No.289814

Little prayer(1)Ewhoit 前編-(1)

虎華さん

C80にて頒布されました、ライトノベル総合誌LsB!に掲載した Little Prayer 前編 になります。 
全文入れたら長ぇよと言われたので章別に分けてあります...全角51200文字余裕でオーバーしてました。まだ半分なのに。
後編は冬コミで頒布される予定です。

2011-08-31 23:10:47 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1968   閲覧ユーザー数:1962

プロローグ.夢中の記憶、霧のように

 

 

 

 <In the dream phase 1>

 今日もまた、夢を見た。

 いつもと同じ夢だ。

 

 幼少時代の記憶が僕にはほとんど無いにも関わらず、この夢だけは何故か――僕が子供の頃のことを写し出すのだ。その繰り返し。ループ。何回見たのかは両手で数えきれなくなってから覚えるのをやめた。

 

 辺りは黒煙に包まれ、激しい火の手が視界の中で揺らめいていた。

 戦争? いいや、違う。

 

 ――一方的な殺戮だ。

 それも、対象は僕。幼い僕。

 

 遠く離れた所から、鋼鉄の死神が飛来する。鋭く澄んだ、頭蓋をびりびりと響かせる音を出してこちらへ迫る。既にガタついて使い物にならない足が訴える文句は無視して、横へ飛んだ。それでも完全には避けきれず、また一つ、腹に抉られたような傷跡が増えた。

 体中がボロボロだ。右眼はまともに攻撃を受けて失明した。そこから流れ出た鮮血は否応なく口へ、鼻へ、流れ込む。その口鼻もいまや息を繋ぎとめるだけの出口にすぎない。歯は何本か欠け、鼻はひしゃげて匂いを感じない。

 腹部胸部に至っては生きていることが不思議なくらいのダメージを、少なくとも見た目からでも感じる程度に負っていた。前屈みになると激痛が走るのは背骨が何本か逝っているからだ、かと言って、次々に外へ出ようとする数多の紅の水源を止めるにはどうしても前に屈まざるを得ない。それくらい、幾度の襲撃で穴だらけだった。

 足元には僕を穿った鋼鉄のモノとその痕跡が、獣が数百暴れたかのように非常に多くの爪跡となって切り刻まれている。

 何故、この夢の中の僕はまだ死んでいないのか。

 夢とはいえ、当然痛みは感じる。

 むしろ早く殺してくれ、楽にしてくれと、身体が叫ぶ。

 けれど幼い僕は頑丈だったのか、負けず嫌いだったのか――自ら倒れることはなく。

 その後も敵からの攻撃を受け、傷つき、痛み、耐え……続けた。

 反撃はしない。

 それは敵に攻撃しても無駄だと分かっていて諦めていたのか、はたまた攻撃できない理由が彼にあったのか……。

 襲われているにも関わらず、回避ばかりで抵抗の意思が夢の中の僕にはなかった。

 

 また一つ、死神が飛んだ。

 ――避けられない。

 咄嗟に右腕で顔を庇った。

 激痛。

 液体が顔へかかり、鉄の味を残した。

 こじ開けられた城門のように真っ二つ、右腕は完全な二枚に下ろされ、骨が露出する。

 

 敵は見えない。

 黒煙で確かに視界はかなり悪い。

 それでも向こう側の灰白色の壁は見えるのだ。

 今巷で有名な戦闘用ステルス機の外表面でも纏っているのか。

 あるいは透明マントなどという架空の道具を使っているのか。

 細かいことは分からない。けれど一つだけ明確な点があった。

 

 このままでは、誰がどう見てもやがて死に追いやられる、ということだ。

 

 絶望だけが支配する中、荒れる息を少しでも落ち着けようと副交感神経が働く。

 ATPを獲得せよ。闘争するのではない、逃避するのだ。少しでも、致命的な一撃を避けなければ――

 

 三度目の死神の攻撃は横から襲ってきた。

 まさに影のように視界を過ぎったそいつに、反応が遅れる。

 神速の衝撃に、頭をノイズが流れた。

 もともと機能のほとんどを失っていた片方の肺は完全に潰れ、息が詰まった。天地が逆さに見え、頭から固い地面に落ちた。痛みも音もなく、自分の右腕はもうどちらを向いているのかも分からない状態になった。腹から優先して排出される血は、もう口からは出なかった。

 気づくと、僕はさっきより数メートルも違うところに居た。ふっとばされたのだ。

 もう体は動かない。

 ふと、視線を感じた。

 芋虫が地を這うように頭をずりずりと動かすと――そこには幼い僕よりもさらに小さな、およそ五歳か六歳だろうか、そんな少女がこちらを見下ろして立っていた。……血染められた服を纏って。

 夢の中で僕は、ああ、この少女にここまでやられたのかと理解する。

 髪色は銀に近く、光の少ない屋内でも容赦なくそれはきらきらと星屑の輝きを持っていた。紅の飛沫に覆われても侵されることなく、腰まで余すことなく伸びている。

 髪と同調した色白の輪郭は儚さが程よく残るものの、右手に握られた、鈍く光るカトラスのような剣から発せられる殺気が、それを感じさせない。

 ところが、少女が僕にかけた言葉は、殺意のこもったものではなく、

「ごめんなさい……」

 謝罪、だった。

 僕は問いを投げた。

「なん、で……君が」

「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい……」

 俯いた少女の首筋から、煌いた透明の雫が落ちるのが見えた。

「…………」

 半ば諦めたように、僕は溜息を吐き出した。空気に血が混ざってゴボっと音を立てる。

 途端、僕のものでも、少女のものでもない声が一つ、正面から聞こえた。

「これまでのようだな。私が数年かけてもたどり着くことの無かった答えをただの一度で解決する種になってくれたのだから、邪険には扱いたくはなかったが。お前が私に抗ったのが間違いだったな。明るい未来を自ら消すなど」

 少女の背後から現れた声の主は、白衣に身を包んだ壮年の男だった。

 白髪が目立ち、皺も多く痩せこけた容姿からは威圧感など欠片も感じられないが、男の背後には、目の前の少女と同じか少し上くらいの年齢の男女子供達がずらりと並んでいたところを見ると、支配的な位置にあるようだ。

「う、るさい。お前の指図なんか受けるか……! 返せよ、僕の***を……」

 自分が発したはずなのに、一部何故かノイズが掛かり、聞き取ることができない。

 「黙れ。おい、今すぐソイツにとどめをさせ。どうせ虫の息だ、抵抗もロクにできんだろう。さぁ、やれ!」

「っ……」

 男が少女を睨んだまま、僕を激しく指差す。が、その意とは裏腹、少女は何か迷うように瞬きを何度も繰り返し、微動だにしない。

「どうした! やれないのか! ……チッ、これだから情の残った兵器は使いづらい。いいだろう、ソイツを殺れないのなら、まずはお前からだ」

 男がポケットの中をまさぐり、手のひら大の、一見テレビのリモコンのような物体を取り出して、何か操作をする。

「――やめろ!」

 僕は激昂する。

 体に残った空気をそれだけで吐き出してしまった肺は、折れて守護を失った肋骨から圧力を否応無く受け、体内で猛獣が暴れたように、ドクンと身体全体が跳ねた。男はそんな僕を一瞥すると、吐き捨てた。

「そんな身体で何をどうするつもりだ。――だがもう遅い。貴様はここで、愛するものに殺されるのだ。本当ならば私がこの手で葬り去っても良いのだがな、それでは情操教育に良くない……なぁ***」

 ジロリ、と横目で少女を見る。すると、先ほどまで頬を伝っていた雫の泉は枯れ、まるで人形の様に、瞳は光を失っていた。僕を睨み目線を外さないその顔から、僅かに口が開かれ、

「……逃げ、テ」

 瞬間、幼い僕は堰を切ったように動き出していた。

 地に伏した格好から、瞬間的に腕へ電気信号を送信。パルスは0.3秒という短い時間で伝い、カエルが伸び上がるように、両手の力だけで前方へ飛び出した。

 目標は少女、ではなく男。

 超人的な跳躍力に、男は反応できない。

 少女が僕を見ていた。何も動く様子は無かった。ただ、失われた光の奥に、何かが見えた気がした。

 10メートルの距離を、0.2秒で詰めた。高度は男の頭上2メートル。

 拳を固めた。

 振り上げた。

 叫んだ。

 

 

 意識が、途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   1.旅立ちは喧騒と共に

 

 

 

 季節は夏。

 国の首都に位置する、騎士養成所。

 中核施設――もし他国との戦争が勃発したならば、まっ先に狙われるであろうほどの規模――であるこの養成所には、常駐騎士が十三万。非常駐騎士がおよそ一万程度。生活の場として、朝起き上がる瞬間から夜眠りに付く時までを過ごす。

 時刻はまだ東方より登る日の丸を認めていないほど早く、辺りは暗い影に包まれている。

 しかし、一国を守る騎士にとって日照時間などただの基準にもならない。

 朝は夏冬問わず四時起床。

 訓練所に勤める騎士の場合は、五時までに食事を済ませ、五時半より講義なり訓練なりが始まる。

 そして、騎士学校所属、訓練生のフラウもまた、それは例外ではなかった――

 

 

 騎士学校訓練生寮の一室。

「ふぅ……よし、スパイクも取り付けたし、短剣の補充もバッチリだな。忘れ物は、ないか」

 自分の服を上から順になぞる様にして確認していく。一人前の騎士にとって、慎重さとは任務において重要になることが多い。まぁ、まだ騎士学校を出てない手前、一人前とは言えないのだけど、常に一人前だと思い行動することもまた、一人前への道だ。

 今日は定刻より早く起きたおかげで準備を念入りに行ってもまだ時間は余った。武器関連のチェックは2回。靴は3回も確認して、ついでに磨いた。少し研磨剤のキツイ臭いが残ってしまったが、どうせ訓練の中では人口の9割を占める男臭さで掻き消される。

 ……そんなに早く終わらせても、結局定刻ギリギリになってしまう原因が残っているのだが。

 溜息を付きつつ、自分が一時間前まで横たわっていたベッドと向かいにあるベッドの上で未だ静かに寝息を立てる『同僚』に訝しげな視線を向ける。

 水色の短いタオルケットを微かに揺らしつつ夢の中を泳いでいる同僚、フラン。

 年はまだかなり若い。若いというよりは、幼いと言った方が良いか。

 僕も十六――正確には自分でも把握していないが――になったばかりだけど、フランはその僕よりも四つ下。つまりは十二歳。

 先にも述べたとおり、騎士団のほとんどは男であり、それも騎士団に入るのは平均で十年以上掛かる。自衛隊で一階級上げるのに掛かる時間の倍以上も学校に通わなくてはならないのにこれほど人数が居るのは、政府が直々に年三百万円を保証してくれるからだ。

 要するに前科者、元暴力団関係者、海外からの不法移住者、はたまた施設出の孤児まで。そういった人間が集まっている。

 僕とて例外ではなくて、僕は四年前、浜辺に打ち上げられているところを巡回中の騎士団第一大隊に保護されて騎士学校に入った。

 そしてフランもまた、僕と同時期に入った孤児だ。

 ただ――一番稀有なのはやはり、女の子と言う点だろうか。

「ふにゅ……」

 可愛らしい寝言を上げて寝返りを打ち、布団から顔が出てきた。

 白く透き通るような輪郭は、日焼けという言葉を否定するくらいおぼろげで儚い。対照的に、輝いて存在を誇る金の糸のような髪。普段は束ねているが今は枕の上に放射状に広がっている。

 どこをどう見ても、青年や壮年のガタイの良い男達と同じ訓練をする子には見えない。

 訓練は厳しい。知り合いのヴィルトールは前科二犯だけど、刑務所の中で更生プログラム用に組まれたものよりも数倍辛いって話だ。それを何年も、ましてや少女が続けるんだから、驚きだ。

 だけど、それとこれとは別。

 過去に偉大な王が言ったらしい。

 『時に無慈悲な行動が、仲間に最大の恩恵を授ける』と。

 その教えに習って、僕はおもむろにベッドの前に立つと、

「おーい、起きろ。訓練の時間だ、ぞっ!」

 布団を捲り上げ、フランの手から奪い取った。

「う、にゅう……」

 微かに返ってくる反応。だがまだ起きる気配はない。

「遅刻するぞ。教官のゲンコツが増えるぞ」

「うぅやだぁ……教官より布団……」

「あ、こら布団持ってく、な!」

 奪った布団を取り返された。無理やりひっぱったが、すごい力で握りしめているから奪えない。

 そして、顔は横を向き、再び寝息を立て始める。

 仕方なく肩を揺らすと、今度はくるりと回ってうつ伏せに。さらに揺らすとくるくる何度も、布団を巻き込みながら回転し、やがて蓑虫型フランが完成した。

 ぐう……今日のフランは一味違うか。いい度胸だな。ならば次の作戦だ。

 ベッドに膝を立てて上がりこみ、布団の防護から飛び出た頬を、人差し指で突く。

 柔らかい感触と共に反応が返ってくる。

「う、うぅう」

 眉間に皺を寄せ、不機嫌そうな表情になる。

 もう一息。

 今度は両手を顔の端と端に持っていって、横に伸ばした。

「うにに――い、いい加減にしろ~~~!」

「おっと」

 起き上がる勢いを利用して投げられたクッションを軽くかわして、額を右手で確保。

「ほい、ストップ、フラン。起きたか?」

「う、う~?」

 僕におでこを抑えられ、リーチの短い腕で反撃することもできなくなり動きの止まったフランは、長い金髪を乱し寝惚け眼のまま、暫く唸りながら僕の手に額を擦り付ける。

 そして突然、スイッチが入ったかのように頭で手を跳ね除け、がばりと上体を起こす。

「お、おはよう……? フラウ兄ぃ」

「おそよう。あと五分しかないぞ、急げ」

「う、うん……!」

 こくりと頷くと、ぱたぱたと音を立てて慌ただしく自分用のクローゼットに走って行き、扉を開けるとおもむろにパジャマを脱ぎ始めた。

「…………」

 僕は即座に目を逸らし、窓の外を眺めることにする。

 いかに四年同じ屋根の下過ごしたとは言え、フランは女の子だ。本人はそんなことまったく気にしないのだけど、こっちは気が気でない。なんだか父親気分である。

 背中越しに布ずれの音を聞きつつ、フランに問う。

「まだか?」

「うーん、もうちょっと、待って。……手伝ってくれれば早く終わるけど」

 何をどう手伝えと。

「誰がするか、少しは恥じらいってものをだな」

「むー。年頃の女の子が誘ってるんだからその気になってくれてもいいじゃない!」

「だー! 口開いてる暇あったら手を動かす!」

「はいはーい」

 棒読みでまったく反省の兆しが見られない声を上げて、再び準備を開始したようだ。

 

 ……結局、フランが準備を終えたのはそれから三回、僕が叱責を飛ばした後だったが。

 

 

 ざわざわと、食堂は喧騒に満ちている。

 訓練用の武装準備をした僕とフランは、定時ギリギリで朝食の食堂に飛び込んだ。

「わぁ、席見つかるかな?」

「誰のせいだ、誰の」

 僕はフランに皮肉を飛ばしつつ、空いている席を探す。

 訓練時間は起床後一時間で開始される。故にそれまでに朝食を摂らねばならないが、寮と訓練棟は離れているので、往復している時間はない。よって、食事は各々武装したまま食べないとだめだ。

 これが遠方支援や軽武装兵なら良いんだけど、僕もフランも中・重武装。靴はレアメタル製で非常に重く複雑なもので、胸装・腕装甲までも金属。だから準備に時間がかかる。

 その為に僕は早起きしているんだけども、フランが朝に弱いことで、食堂の席を見つけるのが非常に酷だ。

 なお、訓練前に皆座って休みたい気持ちがありありだから、空席を作って貰えることはまずない。席が無ければ、立ってでも食べる。例え朝食が鮭と味噌汁とご飯のコースだったとしても、カレーだったとしてもだ。それが騎士団……と言うお小言をこれまで何回も聞いた。

「お、あそこ空いてるな」

 だだっ広い中凄い人口密度で、視野が狭くなるところ、ある場所にちょうど二人分の空席を見つけた。が、

「おいー、空席見つけたぜ~」

 背後から野太い声。振り返ると外人風情の長身二人が同じ席をターゲットにしたらしい。一人は黒髪で強烈にパーマをかけたレゲエ風、もう一人はポニーテール気味に金髪を後ろで纏めた奴だ。

 「む」と、唸りを上げたのはフラン。

「アァん? なんだ若いの。俺達とやろうってかあ?」と、向かって右側の金髪。俺を睨みつける。

「……なるほど」

「……チッ」

 僕とレゲエが互いに相槌を打った――刹那。

 八本の腕、八本の足が、一斉に『二つの席』を目指し、動いた。

「にゃあぁぁあああ!」

「うぉおおおおお!」

「クソがぁ!」

「…………ッ」

 奇声を上げたのは二人と一匹。違った、二人の男とフラン。

 距離は二十メートルだ。奇声を聞いてか、恐ろしい形相で走ってくる四人を見てかは知らないが、近くで駄弁っていた騎士達が道を開ける。

 ルールは簡単。というか、騎士学校暗黙の了解。

 席に先に座った方の勝ち。

 エレメンタリースクールや、程度の低いジュニア・ハイスクールでよく見られる『タッチした者勝ち』は適用されない。手早く言えば椅子取りゲームだ。

 僕らの方が先に出ていたから、せこいとかそういうのは存在しない。因果応報もまた、騎士の心得だからだ。

 装備が重いのはお互い様。

 ならばあとは個人の俊敏さだけだ。

 ――勝負は一瞬で決まった。

 相手はガタイがでかい。僕よりも頭一つ抜けている。

 だからこそパワーに身を任せて押さえ込むことでそのスキに奪おうとしたのだろうが、それでは甘い。

 僕らは二人とも、スピードに物を言わせる近接兵だからだ。

 フランは僕よりも速く、ちっこさを生かして最短コースで席に到達し、外人部隊の手が届くよりも前に着席を完了させた。

 僕はそれから一息遅れたが、やはり『タッチ』すらさせずに滑りこんだ。完勝だ。

 遅れて二人が到達するも、

「ちっくしょぉ~~~!」

「クソが! 速過ぎんだよ!」

 と悪態を付くだけに留まる。

 ところが、膝に手をついて本気で悔しがる外人部隊に、やめておけばいいのにフランが突っつき回す。

「しっしっ。敗者はさっさと次の席を見つけるんだね」

「………………アァん?」

 ほらみろ、こういうことになる……。

 レゲェ風の男がフランの方をジロリ、と蛙を見つけた蛇のような、血走った目で睨むと、急に立ち上がって、白いプラスチック製のテーブルに太い、毛ばかりの腕を振り落とした。

 ドォン、と音がして、その衝撃で同じテーブルに乗っていた隣席の奴らの朝食が5センチほど浮き上がった。向かいの席から味噌汁の飛沫が飛び、僅かに胸甲にかかった。途端にそれを見聞きした野次馬が集まり始める。

「調子に乗ってんじゃネェぞこのガキが!」

「痛っ……! ちょっと離してよ!」

 男の力強い腕が、フランの長い金髪を掴み、引っ張る。

 僕はたまらず立ち上がって、男を抑止に入る。

「おい止めろ。騎士が女子供に手を上げる気か」

 フランの髪を掴んでいる腕を上から持ち上げ、睨む。すると、向こうは僕を見るなり鼻で笑った。

「騎士? バカにしてんのかテメェ。そんなもん律儀に守ってられるかってーの。大体、戦闘なんてもんはな、俺やコイツみてーな前科付きの奴こそが敵をブッ飛ばして、金貰えんだよ。お前みたいな背もそこそこ、腕っ節も中途半端なガキは一生学校で教鞭垂れてゃいいんだよ! ハハハ!」

 釣られて横の金髪も笑った。野次馬の中にもやや嘲笑が混じる。

 対して僕は、憤怒も抱くことなく、ただ冷酷にその男を睨みつけていた。それを不快に思ったのか、それまで笑っていた男は唐突に口を閉じ、手をバキバキと鳴らし始めた。

「……なんだその目は。ヤんのかオラ」

「まずはフランを離せ」

「上等だこの野郎ッ!」

 フランの髪を掴んでいた方の手が僕の方に飛んできた。争いごとには慣れているらしい、腰の入った右ストレート。

 反射的に体が動く。

 戦闘において、体の軸は必ず利き手側と反対側に偏らせなければならない。

 そうでなければ、大抵が右利きである敵側の攻撃が左から迫ってくることに対して反応が遅れるからだ。

 教え通り、左に重心を掛けていた僕は、左足を軽くスライドさせるだけで、威力の乗った高速パンチを避けた。

 風圧がやや頬を掠めたものの、腕は素通りするように僕を避けて、勢いのまま男はバランスを崩した。二、三歩たたらを踏むと、野次馬の肉壁に突っ込むようにして止まる。

 周りから歓声が上がる。

 男は顔を茹で上がりの蛸みたいに染め、再度殴りかかってきた。

 また避けるか、あるいは反撃してやるか。尻尾巻いて逃げ出す選択肢は無い。まだ朝飯にはありついてないし、それでは騎士としても男としても示しが付かないだろう。

 とりあえず避ける。

 当たれば重い一撃を、軽くバックステップでいなす。顔に命中すれば頬骨の一本は折れるだろうそれは、正確に僕の顔面を狙う精度があった。

「畜生、当たりやがれ!」

 観客の野次や罵声が大きくなる。もっとも雑音としか捉えられず、何を言っているのかは分からない。

 二発目は突っ込まずに、空振りだけで済ませた男は、間髪入れずに左フックも見舞ってきた。

 威力は良い。さっきからぶんぶんと、風を切る音だけは凄まじい。きっと野球の木製バットで殴られるより痛いだろう。

 たが、それだけだ。

 軌道は直線で読みやすい。これがもっと初速の遅い剣だったなら、教官に怒鳴られ、外周ダッシュを罰として命じられるに違いない。速度や威力は純粋な力としては重要だけど、相手と自分の実力が伯仲してない場合、特に数で劣る場合において規則正しいというのは致命的だ。戦闘において、1+1が2であることを暗記するよりも1+1を3にする不規則さが攻撃の質に影響する。

 つまり男の攻撃は延々と1+1=2を繰り返しているだけ。エレメンタリースクールの初年度生にとっても練習にすらならない行為だ。書く文字が達筆でも1+2に対応できなければ意味がない。

 しかも攻撃にだけ集中しているせいか、足はロクに使われてないし、腹はガラ空きだ。

 僕には、幾度と無く空気を殴る男を観察する余裕もあるというのに。

 このまま観察し続けて、相手が疲れるのを待って退散してもらうのもありだった。

 だけどそれじゃさっきフランが痛みつけられた分を返せない。ただ髪を掴まれて肩をゆすられただけだったりするけど、これでも可愛い妹のような存在、兄としてとりあえず一発入れておくのが筋だ。

 あんまり重いのはいらない。ただせめて、今日の訓練に時間通り参加できないようにしてやろう。そして遅刻した分の特別補習を、皆が休憩する時間に受けさせてやる。

 脳のスイッチを切り替えた。

 冷静に男のパンチを見極める。一段階、スピードが落ちているように見えた。

 より近くで攻撃をかわし、右手にありったけの力をこめる。

 左フック。ちょっと体を捻って回避。ナナメ横から、がら空きになった腹に向けて急所を外して叩き込んだ。

「ごふっ!?」

 胸骨と腸の間にめり込むクリーン・ヒット。伊達に鍛えているわけではないのか、感触は、肉に押し返される感じがした。それでもダメージは大分あったらしい。男は喰らった瞬間咳き込むと、ふらふらと体を前後に揺らして、床に手と腰を着くように倒れこんだ。

 野次馬共がとびきり大きな歓声を上げた。黙っているのは僕と、地を眺めるレゲエ男、それとその連れだけだ。

「ぐぬぬ……」

 レゲエ男が腹に片手を当てて立ち上がった。僕を睨む眼光は一級品。でも深く肩で息をしている。

「手前……やりやがったな……!」

 なんだ、まだやるのか?

 同じ攻撃なんかしてきても当たらないことは分かりきってる。よくあるロールプレイング・ゲームのボスがやってくる、一定ダメージを喰らうと攻撃力が二倍になる、なんてオプションは現実世界じゃありえないのだから。

 それでもなお、男は敵意を剥き出しにしてこちらへ向かってきた。

 呆れていた僕は、男が先ほどとそう変わらない攻撃を繰り出してくると、半ば慢心していた。そのおかげで相手が固めた拳の中に何を握っているのか、注意を払っていなかった。

「フラウ兄ぃ! そいつ、ナイフ持ってる!」

 フランの声で、はっとした僕は男の右手の内を見る。そこには、ギラリと獲物を狙う狼

の牙の如く鋭い銀色の刃が僕へ向けられていた。刃渡りはキッチンナイフとは程遠く、15センチ以上はあると見受けられる。狩猟用のナイフだ。

「うおあれ%#&!」

 奇声を発した男の刃が迫る。

 完全に誤算だった。刃を持たれれば、それは攻撃力だけでなくリーチも、軌道も変わる。

 さらに敵が錯乱しているのもある。一歩間違えれば致命傷になりかねない。装甲にだって急所はある。

 今までのように避けようとすれば、刃でリーチが伸びた分だけ僕の腹を掠めるだろう。後退すれば、突っ込まれた勢いで装甲を突き破り致命傷になるかもしれない……なら、答えは一つ。

「クッ……」

 眼前1メートルに迫ったナイフの先に、むしろこっちから刺さりにいく勢いで左肘を突き出し、体を半身にして相対しようとした――

 刹那、横からヘビー級ボクサーの直撃パンチを受けたような衝撃が、僕を襲った。

 ベクトルを前方にしか向けていなかった僕は当然のように吹き飛ばされる。視界がくるりと一回転。プラスチックのテーブルにヒビの入る音を聞きながら、腰を床に打ちつけて止まった。

 目を開けて辺りを見回すと、視界にはぶっ倒れたレゲエ男が映っていた。何が起きたのか分からず、体を起こすと横にはフランが居た。

「フラウ兄~~大丈夫?」

 僕の背中を手で支え、心配そうに覗き込んでくる。少し瞳の端に雫が浮かんでいた。

 そんなフランの頭をポンポンと撫でてやり、

「大丈夫……ちょっと腰は打ったけど。一体何が……?」

「ん」

 フランが指で指し示す先には――身長2メートルはあろうかという大男が、倒れたレゲエ男の頭を掴みながら、連れの金髪男に向けて凄い形相で罵詈雑言(何を言っているかは分からないがとりあえず凄い言葉のようだ)を放っていた。

 やがて文句を言い終えたのか、大男はレゲエ男を離すと、僕の方を見てこちらへ歩いてきた。

 こういう事に首を突っ込むのは一人しか居ない……と心の中で思いつつも、大男の名を呼ぶ。

「ヴィルトール!」

 それまでつまらなさそうな表情だった彼は、微かに笑みを浮かべると――と言っても彼の元々の顔があまりにも怖いから笑ってる、とは言いがたいが――こちらに向かって、挨拶であろう、手を挙げた。

「よぉ、遅くなって済まなかったな」

 ヴィルトール=ラングレー。

 僕よりおよそ頭一個分高い背に、ずっしりと重い肉体。それは全て脂肪ではなく筋肉だ。巨漢、の言葉がまさに合う。今は訓練前で重装備を身に纏っている為、さらに大きく見え、近くに居るだけで妙なプレッシャーを受けてしまう。

 さっき吹き飛ばされたのは他でもない、彼のタックルかなんかを受けたからだ。

 とはいえ、僕に責める気は微塵もない。いや、むしろ感謝すべきか。

 結果的に腰を強打することになったが、彼が僕とレゲエの間に咄嗟に飛び込んだおかげで、僕は致命傷を負ったかもしれない攻撃から助かったのだ。

 ヴィルトールは僕の横で中腰になると、背中をボンボンと叩いてきた。本人には軽いつもりなんだろうけど、地味に痛い。

「大丈夫だったか? 悪いな、間に合いそうになかったんで加減が利かなくてよ、お前までふっ飛ばしちまった」

「大丈夫。むしろ助かったよ、ありがとう」

 僕が素直にそういうと、ヴィルトールは「あ~」と少し照れながら頭をぽりぽりとかいて、 

「ちと人ごみが面倒だな……。窓際の席にリゼッタが居るからよ、そっちに移って飯食っちまおうぜ」

 と、食堂の奥の奥にあるスペースを指差して言った。

 僕は勿論賛同した。

 

「フラウ、フラン、ヴィル~、こっちこっち!」

 奥の席に向かうと、リゼッタが手招きをしていた。金色のポニーテールに赤のリボンがよく目立つ。僕ら三人は、それぞれリゼッタの周りに座った。

 思わぬ騒動に巻き込まれたから、かなり時間を食ってしまった。訓練開始まで残り三十分もない。いちいち並んでいるわけにもいかないから、フランに全員分の注文を取りに行って貰った。

「しっかし災難だったなぁ。アイツら二人、素行が良くねぇって有名なんだよ。何か絡めそうな奴を見つけては、喧嘩吹っかけてるらしいからな。まさか武器出してくるたぁ思わなかったが」

「アンタに素行云々言われちゃオシマイね」

「うるせぇ」

 リゼッタがすかさず突っ込み、ヴィルトールは憮然とした顔つきになる。

 ……確かに誤算だったけれど、僕の甘さもあったはずだ。訓練前は戦闘装備携行が当たり前。今はセーフティ(刃止め)を付けているけど、僕だって履いている靴は凶器だし、短剣を身に着けている。これじゃまだ、一人前の騎士にはなれない。

「おいおい、そんな心気くせぇ面すんじゃねぇ。お前さんはよくやったよ、フランを助けたんだ、もっと胸張れ」

「そうよ、気に病むことなんかないわ」

「……うん、ありがとう」

 ヴィルトールとリゼッタの指摘に従うことにした。終わったことを反省するのは当然だけど、引き摺りすぎるのもまた良くない。

「はいはい~取って来たよ。ちゃっちゃと食べちゃおう!」

 戻ってきたフランが全員に朝食を配る。僕はオーソドックスなサンドイッチ、リゼッタはパンケーキとコーヒー。フランはカレーライスだ。ヴィルはというと、朝からガッツリとビッグバーガーセットに山盛りのポテト、さらに追加でカツカレーも付けていた。見るだけで胃がもたれそうだ。

「あ、そうだフラン。新聞無かったか?」

 一個目のサンドイッチ(中身はタマゴ)を頬張りつつ、カレーで口の周りをベタベタにしているフランに尋ねた。食堂にはおよそ十部ほどではあるが、誰でも無料で見られる新聞類が置いてある。人気は決して高くないけれど、ちり紙などの用途に使ってしまう奴が後を絶たない為、朝早くから確保しておかないと手に入らないこともある。

「勿論取って来たよー。フランちゃん、言われなくてもさり気無く気を利かせる……偉いでしょ! 褒めてくれたら渡したげても良いよ?」

「はいはい偉い偉い」

 「ちょ、ちょっと!? ごほうびは~~~?」 

 うるさいフランを机越しに押し戻し、受け取った新聞に目を通す。裏面のテレビ番組表は必要ないので飛ばして、政治経済のニュースを主に見る。

 そこには今や毎週何かしら載っている、『彼ら』の情報がズラリと並んでいた。

 

 『公共機関、また被害……三人死亡』

 『製紙工場全焼、先月と同一犯か』

 『政府高官官邸襲撃、リトルプレイヤーの仕業と見られる』

 

「……また、リトルプレイヤー、か」

 これら三つの記事は全部、リトルプレイヤーについて書かれたものだった。僕は軽く舌打ちをし、顔を顰めた。

 リトルプレイヤー。

 意訳すると、『幼き機械人間』。

 およそ十年前、突如姿を現した彼らは、現在確認されているだけで数は千前後。

 ほとんどが子供のままの容姿を保ち、そしてなにより、人間離れした『異能』により人類を攻撃、時には殺戮に及ぶ――元・人間。

 異能の種類は様々だ。

 曰く、空を自由に飛べる。

 曰く、掌から炎を浮かべることができる。

 曰く、百メートル、二百メートル先でさえ鮮明に見ることができる。

 

 普通の人間には到底できたること。

 そしてその能力を使い、迫害を行う。

 騎士団は、リトルプレイヤーの為に作られた、特別自衛隊だ。リトルプレイヤーの発見、保護……とは表向きの活動で、原則リトルプレイヤーは被害を起こせば逮捕され、処刑される。

 もっとも、全部が全部危険というわけでもない。

 政府機関――特殊異能管理庁の長官は、『読心』を持つリトルプレイヤーだ。

 人間に協力する意思があり、能力が非攻撃的であるものは政府に手厚く利用される。

 そもそもリトルプレイヤーの起源は、政府の無能な政策によってもたらされた産物だからだ。

 減りすぎた子供と終わらない高齢化を嘆いた政府が、国外から児童移民を大量に行い、結果あふれた子供達がなんらかの影響を受けてこうなったからである。そのなんらか、は実は分かっているらしいが一般には公開されていない。当然僕も知らない。

 ただそれを考慮しても……僕にはなんとしても騎士団に入り、有害なリトルプレイヤーを根絶――いや、希望としては有害無害関わらず滅したい事情がある。

 僕は十二歳で孤児になった。

 その際に両親を亡くしたのだが、保護した分隊の話によると、辺りにあった村一つが、とあるリトルプレイヤーに滅ぼされていて、つまり僕の両親はリトルプレイヤーに殺されたのだ。

 その時のショックか、僕には幼い時の記憶が無い。あるのは、偶に見る夢だけ。

 復讐と聞かれれば、少し違うかもしれない。

 ただ僕は――未だ人々の日常を壊す彼らが、酷く憎い。

 妹のような存在も出来た。ヴィルやリゼッタと言う仲間も居る。けれどいつか彼らがリトルプレイヤーによって生活が脅かされることがあるのなら。

 僕は身を粉にしてでもリトルプレイヤーに刃を向ける。

「フラウ兄ぃ?」

「何……ってフラン、どうしたんだよ」

 呼び声にふと顔を上げると、目の前にフランの顔があった。なにやら心配そうな顔つきだ。

「あんまり考えすぎないでね。今のフラウ兄ぃ、とっても怖い顔してる」

「えっ……」

 思わず頬に手を当てた。

 ぎゅっと、フランが僕の片手を握り、

「大丈夫。大丈夫だから。フラウ兄ぃは一人じゃない。いつもフランが、傍にいるから」

 薄く微笑んでくる。

「…………あぁ」

 フランは本当に良い子だ。

 寝坊常習犯だし、たまに僕のベッドを失敬するけど。こうして僕を気にかけてくれる。

 ――だからこそ、守りたいんだ。

 

「ねぇ、ところでヴィル?」

 まだ残っているサンドイッチを片付けようと急いで口にしていると、既に食べ終わったリゼッタが、同じくあの分量をぺろりと平らげ、今は爪楊枝を口の中で動かしているヴィルトールに突然話題を振る。

「なんだ?」

「今日の私、何か違うわよね?」

「…………何が」

 本当に突然な話だ。

 いきなり聞かれたヴィルトールは目を白黒させると、咄嗟に隣でサンドイッチを頬張る僕に近づいて、内緒話を持ちかけてきた。

 「(おい、フラウ。何か分かるか?)」

 「(う~ん……あっ、今日のリゼッタ、少し香りが違うかも。香水変えたんじゃないかな?」

 「(はぁ……? わっかんねぇな……。まぁお前がそういうなら……)」

 リゼッタは普段、気の強い女剣士としてかなり恐れられているけれど、素はかなり可愛く、人気がある。命知らずの新入生達がこぞってラブレターを送り、纏めて訓練ホール裏に呼び出し渇を入れたのは有名だ。

 また、密かにヴィルトールに気があるのは同じ訓練クラスの輩は皆分かっていることで、ヴィルトールの前では女の子っぽい仕草で通している。

 そんなわけだから、今日もきっと何かしら高い香水だとか用意したんだろう。もっとも、ヴィルトールの朴念仁はもはや定評で、リゼッタの試みも長持ちせずに毎回失敗するのはお決まりのパターンとして定着してしまっているが……。

「こ、香水を変えたのか?」

 しどろもどろに、ヴィルトールが(本当は僕の意見だけど)返す。

 するとリゼッタは、ぱぁっと顔を輝かせて、今まで凛としていた表情はどこへやら、ふにゃと相貌を崩す。

「えっ! ええ……よく気づいたわね……その通りよ。えへ、実は……先週カティア達と首都に遊びに行ったんだけど……その、ヴィルが前、おしとやかでアイドルみたいな娘がいいからっていってたから、今有名なAKP48が宣伝してる……高級ブランドのやつ買ってきたの。値は張ったけど……ヴィルが良いって言ってくれるなら私……」

 ああ、いつもハキハキしてて、後輩からは羨望の的であるリゼッタが完全に骨抜きだ。頬を少し紅に染めて、なんだかモジモジしている。

 が、それを素直に受け取らないのもまたヴィルトールの性格で……。

「フン、無駄なことを」

 と、口走った。

「――なんですって?」

 瞬間、食堂中の空気が急に北極に放り出されたかのように、凍りついた。さらに、なんだか鋭い痛ささえ感じる……。

 ヴィルトールはしまった、と口を開けて固まるも、もう遅い。

 ゴゴゴ、と禍々しい『気』みたいなものがリゼッタから溢れ出ている気がする。

 これはやばい、と僕は思った。笑顔なんだけど、全然笑っている気がしない。

「……ち、ちょっと糸電話掛かってきたから行ってくるわ」

 などと言って、当のヴィルトールはガタリと音を立てて立ち去ろうとする。その腕をテーブル向かいにガッシリと掴んで、

「どこに! そんな! 電話が! あるのよ! 今は現代社会よ!?」

「おい、離せってば……」

 リゼッタはヴィルトールの腕を掴んだまま、向かい側に移動。そのまま両手に持ち替えて締め上げた。

「痛だだだだ! おいやめ、訓練始まるだろ!?」

「うるさい! さぁ、さっき言ったことをもう一回言ってみなさい」

「だ、だってお前みたいな暴力女が高級ブランドの香水なんてつけた所でかわんねーだろ!? 金の無駄だ無駄。どうせならお得意の剣につぎ込んどけよ!」

 だめだ。今のヴィルトールには『自重』の言葉が思いつかないらしい。リゼッタの目つきが段々と据わっていき、と同時にヴィルトールの腕も極まっていく。

「ちょ、マジで痛てぇって! 折れる折れる折れる!」

「選びなさい。三択よ。ひとつ、このまま腕を折られて病院。ふたつ、この訓練塔の屋上から飛び降りる。みっつ、死ぬ」

 逃げ場の無い三択だった。むしろ一択にしか見えない。

「待て、落ち着け、な? そんな物騒なものは下ろして早く解放した方が身の為……ぎゃああ」

 ボゴッ、と何か潰れる音。

「フラウ兄、逃げよ。ああなったらリゼッタ、止められないし」

「そうだな……」

 呆れた声で耳打ちしてきたフランに連れられ、野次馬の壁を掻き分けて僕らはその場から去ることにした。

「やめろ、いややめてくれ!」

「これは楽しみにしてたお菓子を毎日我慢して貯めた貯金の分! これは遠路はるばる街まで出向いた私の脚の分!」

「あぐっ……おいこれはまじでやば」

「これは私の分! 私の分! 私の分! 私の分! 私のぶぅうううん!」

 数回の鈍い音と、背後から断末魔の叫びが聞こえてきた。ああ、どうか安らかに成仏してくれ……。

 

 ***

 

 ――訓練棟、第五訓練室。

 訓練室と聞くと聞こえは良いが、ただの剣道場みたいなもの。質素な屋根に窓が二、三。床が実践を拝してコンクリートと木片、人工芝が敷き詰められている所だけが大幅に異なる点だろうか。

 そんな訓練室は部屋中、物々しい雰囲気に包まれていた。

 それは部屋の中に所狭しと詰められ、かつ正座で耐えている男騎士の、暑苦しいフェロモンが滲み出ているからというわけでも、朝早くから訓練召集を受けてちくしょういますぐこの隣を野郎をぶん殴って憂さ晴らししてやりたいぜというフラストレーションから、というわけでもない。……まぁ後者は少し影響しているのかもしれないが。

 著しくプレッシャーを受けるこの空気の原因は、僕らを前に口を閉ざし、銀色の両手剣を上段に構えた、重装備の騎士。

 グスタフ・ラインハルト。

 現騎士団の第一連隊長にして、特務騎士団団長、団における地位は大将。

 実質的に騎士団のナンバー1であり、十数万の騎士全てを束ねる武人。

 高貴な身分の男性のような、軽くウェーブを掛けた金髪。曲線は甘えとばかりにキリリと直線に伸びた凛々しい眉毛に、僕ら訓練生を静かに見据える碧の瞳。肩口から足元まで鋼鉄の鎧に覆われている彼の肉体は巨大で無骨。一見美男子の顔からはとても似つかない……が、頬に走った数センチほど、一筋の消えぬ傷、それと獲物を常に監視するような眼光は、誰が見ても「武人だ」と答えるだろう。

 その迫力を前に、僕らは半時間以上も晒され続けているのだ。

 前方から無言の圧力、左右は密着させられた肉壁によって、体位を変えることを許されない。長時間の正座で筋は悲鳴を上げつつあるし、何より地面に転がるコンクリートの破片や尖った石木が遠慮なく膝に刺さる。痛みから逃れようと手で除こうとすれば否応なく睨みつけられた。

 勿論これも訓練の一環であることは皆分かっている。

 ラインハルト大将は名将かつ実力主義の騎士団において断トツの技量を持つ人だ。それでいて奢らず、こうして騎士の端くれですらない訓練生の講師としてやってくる、面倒見の良いことでも知られる。

 だから、普段講師をしている年齢だけで昇格してきた曹長や軍曹レベルの命令する、ロクに役にたたない訓練と違って、皆黙って正座を続けているのだ。なお、いつも偉そうにしている軍曹は小さく体を縮こませ、隅でただ見ているだけだ。

 そんな中、やはり耐えられない奴はでてくる。

 ちょうど僕の右と、その隣の奴――なんだか顔が二人とも良く似ているし、右隣から取ってライト兄弟と名づけてやろう。今決めた。ちなみに人類初の飛行機で有名なライト兄弟の綴りはWrightであり、Rightではないが。とにかくそのライト兄弟が、大将には分からないように小さな声で私語を始めた。脚こそ正座したままだけど、背中に回した手で隣同士ちょっかいを出し合っている。小学生か。

 訓練中の私語や無駄な行動は厳禁。ライト兄弟達は見つからないと思っていたようだけど、歴戦の兵は見逃さなかった。

「――そこの腐ったミカン二人。前に出ろ」

 前から罵声が飛んだ。叫ぶというよりは、諭すような重厚を持った声。

 対して、ライト兄弟は顔を見合わせ、やべぇ、といった表情。

 良く見ると、ライト兄弟の右側はさっき食堂でやりあったレゲエの連れじゃないか。ざまぁみろ。

「どうした。忍耐訓練がつまらないのだろう? さぁ早く前に出ろ」

「い、いやでもその……」

「別につまらないわけじゃ――」

「前に出ろ……ミカンらしくそのままジュースになりたくなければ」

「「は、はい!」」

 口を揃えて竦みあがったライト兄弟は、がちゃがちゃと装甲の音を立てて、僕の横を荒々しく通って行った。

 二人は大将の前まで出ると、さっきまでの余裕はどこへやら、平身低頭、平謝りを始めた。

「ほ、本当にすいませんでしたぁ!」

「ちょっと魔が差しただけなんです……!」

 ガタイは僕より一回りも二回りも大きいくせに、今にも泣き出しそうな勢いだ。その滑稽な見た目に、心中ほくそ笑む。

 一方大将は、まったく意に介さない表情で、

「構わん。忍耐だけが訓練ではない。やれやる気だ根性だ、と無意味な精神論を唱えるだけの騎士など所詮は階級だけの存在。もっとも、忍耐を軽んじるからには戦術でカバーできるのだろう。……さぁ、かかってこい」

 両手剣を右手一本に持ち直し、二人の胸元に突きつけた。

「は?」

「え?」

 棒立ちのライト兄弟は、目を左右に泳がせて固まっている。困惑するのも無理はない……こっちは階級すら何もない、ただの訓練生。向こうは国で一番の騎士。まさにゾウとアリ。ゾウの長く太い足が、アリの頭上1センチで止まっているに等しい状態と言える。

「どうした、掛かってこいと言っている。二対一で良い。掛かってこなければ、こちらから行くぞ」

 右手に立てた剣の切っ先を左手に持ち、横に。大将・ラインハルトの、有名な臨戦の『型』である。

「……おいどうすんだよ」

「やるしかねぇだろ――っくしょう!」

 ライト兄弟の左側が腰元からシミターを抜いた。合わせて右側も剣を抜く。こちらは細く長い――レイピアだろうか。当然ながら訓練なので全員刃は落としてある。それでも、三者が持つのは正真正銘の金属武器、喰らえば痛い。

 全員が武器を構えたのを見て、僕は正座から膝立ちっぽい格好になりつつ身を乗り出していた。周りも大体そんな感じだ。毎日剣の打ち合いはやっても、大将の剣技なんてそうそう見れない。間近で見れるとしたら、戦地に赴いて大将と出くわした敵くらいか。

 緊張感のあまり、唾を飲み込んだ直後。

「――シッ!」

 ライト兄弟の左側が繰り出した、シミターの一振り。斬撃の軌道は斜め。力任せに振り下ろされただけだが、有り余る筋力によって増強されたそれはとても速く見えた。大将は横一線の型から右手だけで両手剣を横に一閃。斬撃と斬撃がかち合い、鋭い金属音を生み出す。

「ハァッ!」

 続いて、右側がレイピアを突き出した。片手で凪いだ慣性で、ラインハルト大将の剣は横に泳いでいる。完全に空いた左胸にレイピアが迫る――!

「ふむ」

 対して、大将は余裕だった。突き刺しに向かうレイピアに対抗しようとはせず、あえてじっくりと剣筋を見るように、直前まで不動。

 もらった、とレイピア男が口端を緩めた瞬間、まるで最初からそこにあったように――大将の上半身は四十五度、左へ反転。

 左胸を目標としていた切っ先は、ちょうど脇の下を抜け、空気を切った。

「なっ」

「甘い」

 踏み込んで前につんのめった男のレイピアを、泳いでいた剣で振り上げ、真上へと弾き飛ばした。おおっ、とざわめきにも似た歓声が上がる。

「畜生っ!」

 間髪入れず、続いてシミターの迫撃が襲来した。上段から剣道の「面」のように打ち下ろされる。レイピアを打ち上げた衝撃で、右手に持たれた両手剣の剣先は上空を向いていた。今度こそ、肩口を確実にヒットするであろう攻撃に、皆緊張を走らせる。

 するとまたもやそれは杞憂に終わる。

 頭より高い位置に掲げられていた右手から剣を離し――シミターが襲い来る寸前、左手に持ち替えた!

 再び耳を劈く金属の悲鳴。

 本来両手剣はその重さと重心から言って片手では到底支えられないし、バランスをとることも難しい。その状態でシミターの斬撃をまともに正面から喰らえば押し戻されるのが普通だ……しかし、後退したのはシミター男の方だった。

 武器がやや弾かれ、空を舞い、腹が開いたその一瞬を、強者が見逃すはずもなかった。

 右手を添え、形は両手に。

 中段から繰り出される「胴」の一撃。

 それは避けることを赦さず、男の装甲へ鈍い音を残した。

「ごはっ……」

 装備の上からとはいえ、現役最高の戦力から一撃を貰った男は、どうすることもできず後ろへ吹き飛んだ。

 もう片方は武器を失っている。たった数秒で、大将が勝利を収めたのだ。

 

 その後すぐに二人は救護室へ連れて行かれた。普通に手加減してもらっていたのか、直撃を受けても意識はあったが、鉄とコバルトの合金で出来た分厚い胴当ては陥没していた。

 そして何故か今……僕の目の前には大将が、凄みを利かせた目でこちらを見据えていた。

 勝利を収めた直後に大将が言った。

「さて、今日の本題はこれだ――多対一の状況で、如何に多から攻撃を凌ぎ当てていくか、また一をどのように限定していき倒すか、の練習である。三人一組になり、二対一で打ち方始め!」

 言われるなり、三人グループを周りは組み始めた。

 が、一つ問題があった。

 僕の隣とその隣、ライト兄弟は救護室に行っているのであり。

 つまり二人足りないから……僕は一人あぶれることになった。

 やばいこれは困ったぞ、と頭を悩ませていると大将が、

「一人になった者は私と組むように」

 ということになってしまった。

 ちなみに軍曹は救護室に付き添ってしまったから、三人にすらならない。あの軍曹、大将と打ち合いたくないからって逃げ出したな、ちくしょう。

 そんなわけで僕は大将と向き合う形で打ち合い訓練を始めることになってしまった。

 なお、僕の武器は短剣と二刀。いつもは『スラッシャー』と呼ばれる細く長い、しかし幅を持った刀二本を表に出し、遠距離からの攻撃手段として短剣を楔に繋いで懐に備えている。この距離だと使わないけど。大雑把に言えば二刀流である。

 しかしスラッシャーを構えたはいいけども、正面に相対すると凄まじいプレッシャーで動けなくなる。まだ相手は構えてすらいないのに。それを考えれば、ライト兄弟は結構肝が座っていたらしい。

 緊張で固まっていると、前から声を掛けられた。

「脅圧もまた、武なり」

「は……?」

 いきなりなんだろう。

「発するプレッシャーは実力と比例すると言うことだ。故に、君が緊張するのは武人として当たり前ということだ。先ほどの二名は、そのことに気づかなかったが為、私の間合いに何の警戒もなく踏み込んできた。いかに力差があろうと、三手で詰まれるのは力よりも考えと知己による」

「はぁ……」

 なんとなく言われたことは分かる。けれどこのまま突っ立ってる訳にもいかないじゃないか、と腑に落ちない顔をすると、大将は僕の返答を待たずに返してきた。

「まだ理解は難しいか。ならば分かりやすく言おう。私の間合いを破る方法など無限にある。その服の中に詰まった短剣はただの飾りか?」

 驚いた。

 僕の仕込みナイフは戦闘に役に立つかもしれない、くらいの軽い気持ちで持っているだけで、実戦じゃ使ったことはない。だから大将も知らないはずなのに。

「分かったのなら始めよ。私から攻撃はしない」

「――了解しました」

 言われて、ようやく体が軽くなったようだ。

 一呼吸の後、両手に収めたスラッシャーの片方を素早く納刀。寸後、腰口に備えておいた短剣を投擲、目標は足元。

人間にとって最も弱点は頭部と心臓。但し戦闘の場合、一番効果的なのは足を封じることだ。下半身を折られればどんな兵士でも戦闘力は零に等しくなり、かつそれが多数戦であれば味方の足枷にもなる。歴史上の戦争の悲惨な副産物として地雷がよく上げられるのはこのせいだ。

 武器を構えることすらしていなかった大将は、五メートルの距離から放たれた短剣を後方に飛びのいて回避。短剣は寸でのところで地面に突き刺さった。

 飛ぶと言うことはそれだけ隙ができる。僕はその僅かな時間でやや前進。今度は右ポケットから二本綴りの短剣を抜き、投げる。上から角度を付けて放ったそれは、互いを繋いだ鎖を捻りながら不規則に回転して目標に迫った。

 大将が背中に手を回す。澄んだ音を残して鎖が断ち切られ、唐突に別れを告げられた番の短剣はあらぬ方向へ飛んでいった。他の訓練生に当たらないことを祈っている暇はない。

 僕は前へ走る。走りながら、左右両胸に手を突っ込み、計六本のナイフを飛ばした。投げると同時に、さっき鞘へ戻したスラッシャーを抜刀。

 短剣の行く末は追わなかった。

 膝元に投げたから、避けることはできないはず。

 僕の予想どおり、金属を叩き落す音が二度鳴った。二回に分けたからそれはそうなるはずだ。

 視野に大将の脚が入り、上払いにスラッシャーを振った。そちらの金属音は一回。しめた。僕の剣は二本だ――

 やった、と剣先を確認しようと顔を上げるとそこには、

「知己は十分。だがそれでは足りないな」

 大将が左より繰り出した片方のスラッシャーを、薄い皮手袋一枚のみで、掴んでいた。

「っ……!」

 自分が攻めていた時にはまったく感じなかった殺気が、正面から溢れんばかりに突き刺さる。すぐに飛びのかねばならないのに、一瞬足が凍りついたように動かなかった。

「ふんっ!」

「っぐ!」

 そのせいで、重いタックルを至近距離で貰う。スラッシャーは手から離れ、後ろにぶっ飛ばされた。受身をやや失敗して肺から空気が漏れた。

「げほ、げほ」

「悪くは無いぞ。ただ次どう攻めるかが重要だ。二度同じ策を用いることは重大な戦況を生む可能性も有る。そして今度は私も剣を抜く」

 そう言った大将は、先ほどライト兄弟を捉えた必殺の構えに入る。なんとか立ち上がって、剣を拾ったはいいけれど、短剣はさっき全部で九本使った。無駄遣いすると一気になくなってしまう。しかし剣だけでは攻め手に欠いていた。

「来なければこちらから行くぞ」

 そしてこの台詞だ。焦って攻めても意味が無い。何か、何か手は……。

 そうこうしている間に大将は目を静かに開き、一瞬の間で突撃してきた。その速さはまるで流星のよう……流星、流星か。

 一計を案じた僕は、両手1本ずつ持ったスラッシャーを重ね、右手を上、左手は下にして……野球のバッターが球を待ち受けるような形で構えた。

 かの有名な、一本足のホームランバッターは言った。

 バッティングとはタイミング。技術以前にそれができなければ、如何に地面スレスレの変化球にも対応できようと、当たらなければ意味がない。

 ド真ん中の甘いボールでも、空振ってしまえばストライク。

 白球がゾーンを通過する僅か数フレームの違いが、三振とホームランを分けるのだと。

 その一瞬を待つ。今の自分は流星を打つホームラン王だ。

 凄まじい殺気を漂わせ迫り来る大将ラインハルトの一撃をただ待つ。

 まだ、まだだ。

 徐々に刃が向かってくる。一メートル。五十センチ。三十センチ。

 そしてその瞬間は訪れた。

 今だ――!

 踵を浮かせた左足を前へ。

「っあ!」

 前に出る勢いを利用し、束ねた二重剣を力の限り、フルスイングした。

 どんな巨大な鐘の音より大きいだろう、鍔鳴りが響いた。

 振動が金属を伝って指を伝って、腕の骨にびりびりと伝導。

 あまりにも強い衝撃。それでも何とか堪え、剣を振り切った……!

 上段から振り下ろされた流星は、軌跡を曲げられてスライド。大将の足元がぶれ、体が横へ泳いだ。

 攻撃の回避に成功した! と思ったのも束の間。

 大将は弾かれた刃から咄嗟に手を離し、空中で持ち換えると、

「――はぁあ!」

 右手一本で返しの袈裟切り。

 フルスイングで完全に空いていた僕の横腹にそれは狙い澄まされ、スレスレで入り込んだスラッシャーを巻き込み、鈍い音を立てて叩き込まれた。

「ぐ、は」

 肋骨が砕けたかと思うほどの衝撃に、意識が明滅する。踏ん張ろうとしたが、体はいうことを聞かず、膝は折れ、剣を落とし手を地面に着いた。

「……参りました」

「うむ」

 直後、休憩時間のベルが鳴った。打ち合いをそれぞれやっていた訓練生達が、各々部屋から出て行く。

 僕も休憩しようと、よろめきながら立ち上がると、

「良い太刀であった。私の初撃を刀剣で防がれたのはそう無い……この後話がある。本日の訓練が終わり次第、講堂奥に来るように」

 そう告げて大将もまた、訓練室を後にした。 

 

 ***

 

 言われた通り、既に日の落ちかけた夕方、講堂の奥にやってくると、大将・ラインハルトは壁に背を寄せて待っていた。訓練室では無骨な鎧を身に纏っていたが、今は薄めのシャツに長ズボンとカジュアルな格好をしている。

「お待たせしました」

「大丈夫だ、問題ない――さて、話をしよう」

「は、はい」

 実のところ、僕はかなり浮かれていた……それはそうだ、まさか自分の憧れている騎士団の、実質トップに訓練とは言え褒められる機会があったから。

 しかし、喜び勇んで昼ご飯時、フランにそのことを話せば反応は冷ややかで、

「フラウ兄、ちょっと浮つきすぎじゃない? もしかしたら、ボコられちゃったりするかもしれないよ?」

 なんでだよ、と返すと、

「だって放課後体育館裏に来い、ってシチュエーションだもんそれ! 男と男の殴りあいに発展するフラグが立ってるんだよっ。なんだろ、こう、グッとくるものがあるよね!」

 などと興奮気味に捲し立ててきたのだった。冗談じゃない、こんな人と本気でやりあったりしたらこちらが触れる前にボッコボコにされるだろう。

 そんなだから、浮ついた気持ち半分、残り半分はかなり緊張していた。やがて、大将が口を開く。

「フラウ。君は入校して何年になる」

「はい、今年で四年になります」

「ふむ……となるとかなり早いな。が、時は迫っている」

「大将?」

 時が迫っている、とは?

 何か重大なことでもあるんだろうか。

「――すまない。今のは気にしないでくれ……話を戻そう。君は何故騎士団を目指そうと思ったのか、聞かせてくれるか?」

「リトルプレイヤーを根絶するため。親の仇を討ち、友の平穏を守る盾になりたいからです」

「つまり、復讐ということか」

「一理あります」

「なるほど……しかし一武人として、君に一つ言うべきことがある。……復讐は何も生まない」

「…………」

「私とて、騎士だ。害なす彼らを屠り、時には残虐を課さなければならないこともある。しかしそれとはもう一つ、彼らと歩まねばならない時代も来ていることを、痛感してもいるのだよ」

 大将は続ける。

「世界中を巻き込んだ第三次世界大戦。それにはおよそ数億の児童が動員されたことはニュースとして新しい。そんな中、リトルプレイヤーは現れた。一人で兵士百人とも千人とも比較できる、戦力。私はこの因果を解き明かすことで、彼らの出生と秘密が明るみになると信じている。これが本当に何かの陰謀であれば、騎士はもう剣を振るわなくても良くなる。血は流れなくても良くなる」

「……それが本当だったとして、僕の仇はどう討てば良いのでしょうか」

「この陰謀の、主が居る。幼き子達を戦地に狂わせ、社会の敵へと仕向けた黒幕が。私はその敵を探している……君の真の仇はその者でもあると、頭の片隅に入れておいてくれるといい」

「ですが、そんな話は聞いたことが……」

「君だから話している。確証たる証拠はまだ無いし、国が揉み消すだろう。だからこの話は、君の心の中に留めておくと共に……覚えておいてくれ。騎士になるということは、命を背負うということ。そしてリトルプレイヤーは、共に歩むものだと」

 黙りこくる僕を前に、大将はポケットに手を突っ込み、なにやら探ったあと、手紙のようなものを取り出して、

「これを受け取りなさい。来週の頭、集合時間は朝の九時、正門前」

「これは……!」

 手渡されたのは、一畳みの赤い紙だった。

 通称、赤紙。騎士を目指す者にとって、命と家族の次に欲しい物。

 書かれている内容は分かっていたものの、一目確かめたくて、中を開いた。

 

 訓練生 フラウ

 右の者を大将 ラインハルトの命において、騎士入団資格を与える。

 

「どう騎士としての道を歩むかは君次第だ。だが数々の苦難を乗り越えて真実を見る勇気があるなら、この紙を持って門を叩くといい」

 

 


 
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