「ねえ兄貴。兄貴は雨って作れる?」
「……は?」
目を丸くして口を半開きにした、かなり間の抜けた表情を浮かべたハワードは、真剣な目をしてまっすぐにこちらをじっと見ているアルマイアを、ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら見つめ返した。
とある日の麗らかな午後。今日は侵入者達の影もなく、ゆっくりとした時間が流れていた。そんなわけで、ハワードは冒険者が落としていったクローキングマフラーを使ってWPをやすやすと突破し、二階に住まう妹分のところへと遊びに来ていたのだ。
実際血が繋がっているわけではないが、精神的な繋がりという意味での妹といって過言ではないアルマイアをハワードはことのほか可愛がっている。二階のメンバーは皆可愛いと思っているが、アルマイアは同じ商人という職の所為か思い入れも強かった。それに関しては他の三階メンバーも同様のようで、たとえば普段は生真面目なあのセイレンでさえ、セニアの前ではその表情を崩して柔らかな笑顔を見せる。
それはともかく──眼前のアルマイアは、ハワードがひたすら呆けた表情をしているのに対していたくご立腹のようで、不意に両手へ腰を当て仁王立ちしたと思うと、おもむろにハワードの耳へと唇を近づけ、大きく息を吸った。
これはやばいと空気を察知したハワードは座していたアルマイアのベッドから退避しようと腰を浮かす──が、逃げる間もなくアルマイアの怒声がハワードの鼓膜を振るわせた。
「雨が作れるかって聞いてんの!」
確か怒声は右耳から入ったはずなのだが、頭をまっすぐ貫通して両耳の鼓膜がびりびりと振動している気がするハワードである。
「痛ぇ……お前なあ、鼓膜破れんだろ」
「だって兄貴がいかにもアタシのこと馬鹿にしたような顔するから」
ぷうっと風船のように頬を膨らませたアルマイアがハワードを睨み付ける。
普段二階メンバーの前で見せるしっかり者の顔とは違い、どこか甘えているからこそ見せる反発がなんとなく嬉しくなったハワードは、両手で抱え込むようにアルマイアを抱きしめた。
笑顔を浮かべてハワードが頬ずりすると、アルマイアが顔を真っ赤にしてハワードの腕の中でもがく。
「ちょっ、なにすんの馬鹿兄貴っ!」
「アルマってば可愛いなあ。そんなに俺に真面目に聞いてもらえなかったのがヤだったのかー」
「あーもー、はーなーせー!」
「兄貴とスキンシップできて嬉しいくせに」
「嬉しくないっこの変態兄貴っ!」
「変態なのは否定しねえなあ」
くつくつと喉を鳴らして笑ったハワードは、片腕でアルマイアを抱きとめたまま、空いたもう片手でアルマイアの乱れた髪を指で梳きつつ優しく撫でた。
「お前が話してくれたら解放してやるよ」
今度はタコのごとく唇を尖らせたアルマイアが、不服そうに唸る。
「なんだよ、雨を作るって。あんまりにお前らしくなくって、つい呆けちまったのは悪かったよ」
「いくらなんでもアタシだって雨がどんなものかってくらい知ってるよ。作ろうと思って作れるもんじゃないのもさ。……ただ、ここは天候がないじゃない。で、たまたまこないだきた侵入者が、一本の傘を落としてったのさ。綺麗な水色の、まるで空の色みたいな。それを拾ったセニアが、その傘を差して雨を浴びてみたいとかボソッと言ってさ」
「セニアが?」
「……うん。すごい小さい声だったし、たまたま隣にいたアタシにしか聞こえてなかったと思う。そのあとセニア、その傘欲しいって言って皆の承諾とってから部屋に持ち帰ったんだ。侵入者の落としてった物で、剣以外を欲しがるなんて初めてだから皆びっくりしてたよ」
それはよほどその傘を気に入ったんだろうと、話を聞いているだけのハワードにも判る。元来、セニアは二階のリーダーたろうとして自らを律している所為か、あまり願望を口に出すタイプではない。そのセニアが珍しく欲しがったというのも、アルマイアの言を裏付けていた。
果たしてセニアが空色の傘に何を思ったのか、少々興味がある。
ただ、アルマイアがセニアの独り言を拾えたのは決して「たまたま」ではなく、アルマイアが常にセニアを気にかけていたからだろうとハワードは思う。
親友を思う心なのか、はたまた仲間思いなだけか──それとも無自覚な淡い恋心か。
アルマイアの胸の奥に住むそれは何なのか、そこまではハワードには判らない。
が、ここで口にしても話がややこしくなるだけと判断したハワードは、あえてその推測を胸にしまった。
──単に「デリカシー皆無の馬鹿兄貴!」と再び怒鳴られるのが怖いだけという話もある。いつの世も、妹に嫌われたいと思う兄などそういないのだ。
ふむ、と頷いてハワードはアルマイアを解放し、胸元で両腕を組む。
「雨を浴びるか。シャワーじゃダメなのか? ちょっと格好は悪いが、バスルームでその傘を差すとか」
「最初アタシもそれでいいかと思ったけど、やっぱシャワーじゃ違うよ。勢いも量も、何より気分も。やっぱシャワーはシャワーで、雨じゃないじゃん。だから兄貴の鍛冶の腕を見込んで、せめて雨っぽいシャワーみたいなのを作れないかと思ったんだ」
「雨っぽいシャワーねえ」
難しそうに言いつつも、雨のようなシャワーとやらの構成はハワードの脳内に浮かんでいた。
スプリンクラーの要領で天井から水をまけばそれなりに雨っぽく見えるだろう。ただその場合噴出口をいくつか用意しなければやはりシャワーのようになってしまうので、実行するにはある程度の広さが必要となる。水場の豊富な三階に連れてくるのが一番だろう。
「ね、兄貴。できそう? それとも、やっぱ無理……かな」
不安げに覗き込むアルマイアの頭をがしがしと乱暴に撫でてから、ハワードは豪放な笑みを浮かべた。
「やってみなくちゃわかんねえけど、多分できると思うぜ」
「ほんと?」
「俺の腕があれば、できないなんてこた殆どないさ」
「やった! 兄貴ありがとう!」
勢いよく首に飛びついてきたアルマイアを抱きとめそこなったハワードはバランスを崩しかける。
「おわっととと」
「ほんと、アタシは頼りになる兄貴をもったよ」
「おう。当然だろ。もっと褒めていいんだぜ?」
「自分で言うな、馬鹿兄貴」
「ぐえっ、ギブギブ!」
首に回されたアルマイアの腕に力が入ったのを感じて、ハワードは大げさに苦しそうな声を上げた。こうして無邪気に頼られるのはやはり嬉しい。この笑顔を守ってやりたいと切実に思う。
どういった種類の想いであれ、好きな人の為に一生懸命なアルマイアの姿を見ていると、少しでも「彼」を笑わせようと日々躍起になっている自分と重なるのだ。
ふと三階で今頃マーガレッタの淹れたお茶でも飲んでいるだろう「彼」の姿を思い浮かべる。大好きでかまいたくて、かまいすぎた結果逃げられることがしょっちゅうなのだが諦めずにアプローチする。ひとえに「彼」の表情を少しでも多く引き出したいがために。
笑うのが苦手なその「彼」も、今のアルマイアくらい自然に笑って自分を頼ってくれればいいのに──とてもじゃないがあり得ないだろう姿なので想像できず、そんな自分に苦笑を漏らしたハワードは、首に腕を巻きつかせたままのアルマイアの背中をぽんぽんと叩く。
「うっし。可愛い妹のために、いっちょやってやるか」
「うんっ!」
とりあえず今は鍛冶師として兄として期待に応えねば──着ている服はノースリーブなのだが、ない袖をまくる仕草で気合を表現してみせたハワードは、早速作業を始めるべく、アルマイアを軽々と抱き上げて部屋のドアを開けた。
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