八話「都の剣士と売られた喧嘩」
黒い影が遠くに見えたのは、昼下がりのことだった。
ところが、それがはっきりとした輪郭を形成したのは昼食の消化も進んだ頃で、門の形がわかる距離にやって来たのは、夕方だ。
そびえる巨大な城壁。砲弾を撃ち込まれても簡単には決壊しそうにはない鋼鉄の門。
それを守る兵士に、都への滞在許可を求める旅人、商人の列は気持ち悪くなるぐらい長く伸びている。
最後尾に辿り着いた一行は、とりあえず水分を補給してから列に並んだ。
夜間、門は完全に閉められる。それまでに滞在許可が出なければ、都を目前にして野宿だ。
ロレッタの見立てでは、何とか間に合うだろうという話だったが、意外と前方の方では手続きに時間がかかっている様だった。
「ねぇ、なんであんなにまごついてるの?」
あんまりにそれが気になったので、ルイスはとりあえずビルに訊いてみた。
同じ村の出身でも、ビルは傭兵稼業の途中で都を訪れたこともあるという。十分求めている答えを返してもらえるだろう。ちなみに、適役であるロレッタは荷物の最終点検をしている。不審な荷物があれば、滞在を許されないからだ。
「そりゃあ、今ロレッタがやっていることと同じ理由か、商人なら、税の納め方を色々話し合ってるんじゃないか。商人は現物で税を納めることが多いから、その多い少ないでよく揉めるんだ」
「へぇ……」
現に、今手続きをしている毛皮商人は、納める枚数を交渉しているらしい。
会話までは聞こえてこないが、質の良い毛皮だから少なくしろなどと言っているのだろう。
物の善し悪しではなく、買い付けて来た商品の割合で税は徴収されるというのに。
「まあ、黙ってほいほい納めてちゃ、相手の思う壺だからな。情に訴えたりはったりで何とか交渉するのが、出来る商人ってやつだ。あんまりそれが過ぎると、摘み出されちまうがな」
「僕には向いてなさそうだなぁ」
素直な感想。
「そりゃあな。商人全員が悪人とは言わないが、時にはとことんしたたかになれて、同時に引き際も見極める力がないと商売なんて無理だ」
件の商人は、がっくりと項垂れて都へと入って行った。どうやら交渉は失敗したらしい。
そのあんまりにしょんぼりとした後ろ姿は、同情を誘う類のものだが、考えてもみれば当然のことだ。ルイスは慌てて自分の胸の中の感情を揉み消した。
「さて、終わり……あら、男二人どうしたの?また下トーク?」
「ロレッタっ、ビルはともかく、僕はそんな事言わないからっ」
「おいおい、二人に挟まれたいとか言っていたのはどこのどいつだ?」
「滅!」
自己防衛反応が働き、ビルのボディにルイスの華奢な拳がめり込んだ。
華奢だが、剣を振り回すことが出来るだけあり、それなりには力がある。大男にも少なからずダメージを与えるボディブローだ。
「そんな必死になってビルを凹まさなくても良いわよ。ルイスがそんなこと言う筈ないわ」
「……ロレッタ」
彼女と旅を始めて、やっと二週間が経過したぐらいだ。だが、それでも信頼関係を結ぶには十分だったらしい。
嬉しさのあまり、ルイスの目元には輝くものがあった。
「ルイスは年増は嫌いだものね。ベレンはともかく、あたしには興味がない筈だわ」
「どこソースだよそれ!?」
逆に、ルイスのロレッタに対する信頼が消失した。
「どこって、そりゃあ……ねぇ?」
「どこ!?ねぇ、どこなの!?ビルの言うことを真に受けるロレッタじゃないよね!?」
掴みかからん勢いで、ロレッタに詰め寄る。
ビルでなければ、候補は一人しか残っていないが、その子がそんなデマを流すとは思えない。
「嘘よ。嘘。適当に出まかせ言っただけだわ。そこで軽くオチてる馬鹿はともかく、あたしの中でのキミは品行方正な良い子だって」
「本当……?」
「何かやましいことがあるの?」
「う、うん。そうだね。僕は何も変なことやってないし、言ったこともないよ」
いつかの夜、ビルと品定め(?)をした時も、変な考えを起こしたりはしていない。
おおげさな言い方になるが、神に誓ってそれは言える。全くその手の欲望がないとは、健全な男子として言い切れないがそれは当然だ。
「くそっ……軽い冗談じゃねぇか」
「しょーもないネタで、僕の評価を下げさせようとしないでよ。本当」
女性陣には聞こえない様に、耳元で小声になって言う。
普段、ルイスは少し気取っているぐらいなので、変な疑いをかけられたくないところがある。
尤も、女性二人、特にロレッタはそれに気付いているらしいということをビルは知っているのだが、あえてそれをルイス本人に告げないのは優しさであり、悪戯心である。
「それにしても、こりゃあ野宿覚悟だな。見ろよ」
ビルの指した西の空には、オレンジ色の夕焼けがある。
あるといっても、それは地平線に沈んで行こうとしていて、見ることが出来る時間は後何分残されているか、わかったものではない。
都を目前にして、宿に泊まれないというのは悲しいが、ルイスはその夕日を、それほど悲哀を込めて見送りはしなかった。
昔から、夕日というのは好きだ。
地平線の向こうが燃えているかの様に、橙の光が射して、それがどんどんか細くなって行き、最後には紫色の空、間もなく闇色の空になる。
その色の移り変わりも好きだったし、この時間帯には今日も一日頑張ったのだ、という気持ちになれて、満足感が味わえるのが好きだ。
「おっ、と。ルイス!ぎりぎり間に合ったらしい、行くぞ!」
「あ、う、うん」
一瞬、今日あったことを思い返していて、反応が遅れてしまった。
足をもつれさせる様にビルについて行くが、実際に手続きの場に立つのはビルとロレッタだ。やはり、年上が「保護者」の様な扱いを受ける。
となると、ルイスとベレンは完全に手持ち無沙汰なので、やはり西の空を二人で見ていた。
「市壁の外じゃないと、夕日は見れませんから、ちょっと新鮮だったんデス」
ぽつり、とベレンが呟いた。
一瞬、ルイスはその言葉の意味を理解出来なかった。彼にとって、夕日は毎日見ることの出来たものだったから。
やがてそれが、都どころか、屋敷からもロクに出たことのない貴族令嬢の言葉なのだと思い出すことが出来て、言葉を返す。
「ベレンは、夕日が好き?」
「はい……今までほとんど見て来れなかったのが、勿体ないと思うくらい、素敵だと思いますデス」
ふっ、とルイスの口元が緩んだ。自分の好きなものを、ベレンも好いてくれていて嬉しい。
「僕も大好き。良いよね、夕日って」
「はい……?」
何故か言葉の言いきりが疑問形になったのに、ルイスが反対に疑問を覚えてベレンを見ると、その肩には腕が回されていた。
しかもそれが他人の腕なら、その無作法ものを怒鳴り付けるだけで済んだのに、その腕の持ち主はルイス自身だったのだから、大問題だ。
無意識の内に、ベレンと肩を組んで夕日を見てしまっていたらしい。慌てて腕を引っ込めようとすると、それをベレンが引き留めた。
「大丈夫デスヨ。ルイスサン」
顔を少し赤くしてそう言うのだから、ルイスの頬も染まる。今にも夕日は沈んでしまい、それに責任を押し付ける訳にはいかないのに。
「…………」
「………………?」
ルイスがなんとなく言葉を返せなくて、黙っていると、ベレンは何か変なことをしてしまったのか、と首を傾げた。
その仕草がまた可愛らしくて、どきっとしてしまうと、また言葉を失う。
嬉しくも、苦しい無限連鎖に陥ってしまい、しばらく無言で肩を寄せ合うという、異様な光景が周りの人々に晒されてしまった。
「おい、終わったぞーって、お前、何ベレンを口説き落とそうとしてるんだ。抜け駆けとか重罪だぞ」
「いっ!?そ、そんなんじゃないよっ。じゃ、じゃあベレン、行こっか」
「は、はいデスっ」
慌てて回れ右をする二人を見て、ビルは苦笑を漏らして、ロレッタもその微笑ましさに頬を緩ませた。
やはり、二人は保護者に間違いない。
都に入ったのは夜で、しかも全員それなりには疲れていたということもあり、いつかの様に夕食をはり込むこともなく、宿も比較的休めの適当なものに泊まることにして、一行は一日目の夜を休養にあてた。
流石に、街に来たからには酒を飲まないと気が済まないのか、ビルは軽くジョッキを呷っていたから床に崩れ落ちたし、ベレンはベッドに礼儀正しく横になると、すぐに寝息を立て始めた。
何となく直ぐに眠るのも惜しくて起きていたのは、ルイスとロレッタだけだ。
「街中だと、鍛練も出来なくて暇してない?」
部屋のドアが開き、ロレッタが顔を覗かせた。
「うん。そうだね」
ベッドが四つ必要になる、ということは、一部屋では足りなかったので、二人部屋を男女別に取った。
お互い、相方が眠ってしまって暇だったので、丁度良いとばかりに椅子に腰かけて話すことにした。
「寝息が酒臭い……あたしの部屋の方が良いかもしれないけど、どうする?」
「い、いや。ロレッタが我慢出来るなら、ここの方が良いかな」
宿の部屋とはいえ、そこに女性だけが泊まるということは、当然その部屋の雰囲気自体が女性的なものになってしまう。
しかも、一行の中で最年少の美少女が眠っているともなれば、十六歳の少年には刺激が強過ぎだ。
「あ、ああ。そうね」
ロレッタも聡明だ。それにすぐに気付いて、少し椅子を後ろに押すことで我慢してくれた。
「といっても、久し振りに旅らしい旅をして、あたしも結構疲れてるのよね。ルイスは大丈夫なの?」
そう言われてみると、萌黄色の瞳はとろんとしていて、疲れが見て取れる。
余談だが、女性二人――ロレッタとベレンはどちらも緑色の瞳をしているが、ロレッタの方がより濃く、ベレンは翡翠と表現するのがかっちりとはまる、薄く透き通った色をしている。
男性陣については、ルイスが青、ビルが黒だ。
「僕も、正直疲れてるかな。野宿だと、やっぱりどこかで疲れが溜まっちゃうもんね」
野宿に耐え得るだけの寝袋は用意していても、やはりベッドの寝心地とは勝負にならない。
きちんと湯に浸かることも出来なければ、痛み出した筋肉の疲れを癒すことも出来ないし、この二週間ほどの旅程は体に疲れを蓄積させていた。
気丈に振る舞っていたが、ベレンは限界も近かったのだろう。
「でも、明日からは仕事を探さないと、そろそろ路銀も危なくなって来るものね。仕事によっては、また移動が必要になるかもしれないし、その時はあたしとビルで受け持つわ」
僕も……と言いそうになって、ベレンのことを思い出して口をつぐむ。
ビルではないが、ロレッタもまた、年の近いルイスにベレンを任すつもりらしい。
正直、年だけは近くても、境遇が違い過ぎるのでルイスも困惑の連続なのだが、確かにビルよりはマシかもしれない。
幼児と呼ばれる年齢の相手をするのは、意外にもビルが得意とすることだがベレンまでそうはいかないだろう。
それに、半分は冗談で下ネタを言っていても、半分は本気なので、本人の前でまで溢して、怖がられてしまいそうだ。
その分、ロレッタは彼のあしらい方を心得ているが、ルイスともどもツッコミが激しいので、いつか本気で倒れてしまいそうでもある。
「都で出来る仕事って、具体的には何があるの?」
単純に町を大きくしたもの、と言われればルイスも予想は付くが、そう簡単に国で二番目と呼ばれる都市を考える訳にはいかないのもまた、予想出来る。
仕事の目星が付かなくては、探すのも困難だろう。
せめてそれを探す手伝いだけでもしたくて、訊いておくことにした。
「そうね……商隊の護衛なんかは、普通に人気があると思うけど、いくら腕自慢と売り込んでも人数が少ないとちょっとね……なら、貴族の邸宅で短期の使用人になる、というのが敷居も高くなくて、給金も十分かしら」
「短期間だけ使用人を雇う、なんてあるの?」
「パーティーの時期や、常勤の使用人が何らかの理由で働けない時期なんかにはあるわよ。あたしの家でも、何回もあったわ。そんなに頻繁にはないけど、この都には多くの有力貴族が住んでいるから、上手くかち合う可能性は低くないと思うの」
貴族の家で働くということは、確かに賃金もそれなりなのだろうが、平民で礼儀作法もわからない男二人には難しそうな仕事だ。
もっと単純な仕事があれば良いのだろうが、もっと腕っ節のある男揃いの傭兵達が全て持って行ってしまうのだろう。
人の多い場所とはいえ、意外と出来ることは限られてしまっていた。
「でも、ロレッタにばっかり働いてもらうのは、なんというか……心苦しいなぁ」
「あら、騎士は生涯現役で働き続けるものよ。普通の貴族のお嬢様とは体の作りから違うから大丈夫」
「でも……」
尚も続けようとして、その口に指が当てられた。
その表情が、いつもの小悪魔の笑みではなく、大人っぽい妖艶なものだったのに驚いて、言葉を失ってしまう。
「お姉さん面をさせて、なんて言ったら嫌?」
「い、いや……」
「なら、そうさせてて……」
「う、うんっ」
と、生真面目に頷いたところで、ロレッタが吹き出した。
次いで赤くなる、ルイスの顔。いや、下手をすると全身だったかもしれない。
「ふふっ、ごめんなさい。最近、こんな無駄話をする機会がなかったから。じゃ、もう戻るわ。おやすみなさい」
「はぁ……まあ、良いよ。ビルだったら全殺しだったけど。おやすみ、ロレッタ」
寝ながらにしてビルがくしゃみをして、この場はお開きとなった。
「全国的に朝だーっ!!」
「うるさいよビル。他の人に迷惑だって」
翌朝。
ぐっすりと眠って、全快したらしいビルがニワトリ以上の大声で朝を告げた。
その声はきっちり隣にも届いたのか、直ぐにドアが荒々しく開かれる。
「ビル、おはよう」
感情を押し殺した様な声で、押し入って来たロレッタが形式だけの挨拶をする。
「おー、おはようおはよう」
「そしておやすみなさい」
鳩尾に光速の突きが入れられた。
急所を正確に、そして強烈に攻められ、鍛え上げられたビルの体がぐらりと揺れ、そのままベッドに倒れた。
「この馬鹿……あの大声がなかったら、もう少しベレンも寝てられたのに」
「あー……ベレン、起きちゃったんだ」
ボロ屋であれば、壁や床が軋むかと思われるほどの大声だ。無理もない。
「はいー……ビルサンの元気をもらえた様で、悪い気持ちはしないのデスガ……」
「ベレン、無理矢理肯定的に捉えなくても良いわよ。考えなしに叫んだこの無意味に早起きの馬鹿が全部悪いんだから」
「ははは……ビルはたまに、長い付き合いの僕でも意味不明で、弁護の出来ないことをしちゃうからなぁ。ほんと、バカ」
本人が意識を失っているのを良い事に、ルイスも普段言わない様なことを漏らす。
今ではすっかり、ロレッタがビルへのツッコミ役となっているが、以前はルイスが彼に振り回され、時にはツッコミとセーブをする役だった。その役目がなくなったのは嬉しいことだが、ツッコミを入れるのが女性になったことで、その光景は「微笑ましい」と形容される類のものになった気がする。
――幼馴染が離れて行く感覚と、魅力的な異性を幼馴染に取られる様な感覚が、ルイスの胸を少しだけ痛ませた。
「……はぁ。ビル、もう皆起きちゃったんだし、街へ出よう。十カウント以内に起きなかったら、斧の柄に古くなった油を塗りたくっておくよ」
「おま、手口が陰湿だぞ!?男なら正々堂々と嫌がらせをして来やがれ!」
「はい、起きたね。皆、行こう」
決闘の作法や、傭兵時代の陰湿ではない嫌がらせの話を披露し始めるビルを無視して、とっととルイスは背を向けて行った。
ベレンだけが、これも貴重な知識かと真剣に聞きたげだったが、二人してロレッタに引っ張られて、朝食の為に街に繰り出す事になった。
「くそっ、やっぱり都会の出店はぼったくってやがる。前の町だと、半額ぐらいだったよな」
朝食の為、出店で軽食を買おうとしたところ、その値段にビルが顔をしかめる。
「まあ、都会なんてものは地元で生産が出来ないから、物価が上がるのも当然で……って、あ、ごめんなさい。ちゃんと買わせて頂きますので」
店先で高い高いと嘆かれていては、店主も穏やかな顔では見守っていてくれない。
ロレッタが素早く、正規の値段以上の額を握らせることで事無きを得たが、最悪兵士の前に突き出されていただろう。
「あなたね、そこまで田舎者ではないのでしょう?都では、治安を乱す者と判断されたら、それだけで罪に問われかねないの。お願いだから、変なことはしないで」
「へいへい。でもあれ、絶対おかしかったよな?
「ええ。あの七割の値段の店が普通よ。賄賂含めて大損なんだから、この分はあなたが稼いでよ?」
財政を担っている二人はちょっとした口論を繰り広げているが、子供二人は買い渡された物に興味津々だった。
タレと香辛料を効かせた肉の塊を注文があれば切り分け、それをパンに挟んで食べるという食べ物なのだが、ベレンの国より更に東のものだという。
この辺りでは香辛料は高価なので、表示価格も妥当なものかもしれないとルイスは思ったが、あれだけ大きな塊であれば、何十、何百食と賄うことが出来るだろう。それに、香辛料は少量でも十分風味が付く。やはりぼったくりだ。
「美味しいデスネー。似た様なものは旅の途中で作りましたが、人に作ってもらうとまた違った美味しさがあります」
「あははー……」
一瞬、自分以外は料理が出来ないのだ、というベレンの皮肉かと思って、ぎくりとしたルイスだったが、発言者本人の顔は無邪気に綻んでいるので、素直な感想だったらしい。
「でも、実際美味しいよね。そこまで勿体なくはないんじゃない?」
「まあな。そこまでケチって作ってる訳じゃねーし……」
二口ほどで食べ終えたしまったビルが、仏頂面になって言う。いつの間に食べ終えたのか、ロレッタはもう財布の中身の確認をして、頭を抱えていた。
「……三人に残念なお知らせよ。宿代が、一週間持ちそうにないわ。とりあえず三日分だけ払っておいて正解だったわね……しばらくここに滞在して仕事をするのなら、前払いでそれなりの給金をもらえる仕事を見つけないといけないわ」
最後の一口を頬張ろうとしたルイスの動きが停止した。
それは、あまりに容赦のない現実を叩き付ける様な言葉で、同時に絶望の感情しか相手に与えない言葉であった。
「前払いでお給金がもらえる様なお仕事って、あるのデスカ……?」
世間について広く知らないベレンの疑問だが、ルイスにも、ビルにも共通した疑問だ。
事前にある程度の信頼関係が成り立っていれば、可能性のある話かもしれないが、一見相手に給金を払う様な雇用者が居るだろうか。
給金の全体の内の何割か、ならあり得るかもしれないが、それでは宿代が足りなくなってしまう。
「住み込みの仕事なら、あるわね。つまり、働く人間が担保よ。仲間には高飛びされても、実際に働く人は残ることになるもの」
「短期の使用人になる、ってアレか。そういや、傭兵団に顔と家柄の良い優男が居て、そいつはそれでよく小遣い稼いでるって聞いたな」
昨日、ルイスはロレッタから聞いていた話だが、ビルもまたその仕事について人伝に聞いたいた様だ。
簡単な仕事だとは思えないが、今の状況なら仕事を選んではいられないし、最適の話なのも事実である。
「顔の良い優男、ね」
悪い笑みのロレッタが、ルイスを見る。ビルもルイスを見る。なんとなく、ベレンも乗っかって視線を送った。
「ええっ……」
断れない状況だとはわかっているが、また自分の女顔をネタにされているようで、少し傷付いた。
「まあ、実際にその募集があるかを見ないとね。掲示板はどこだったかしら……」
「おお!これはなんと可憐な花、二輪っ!神は二人も人の子に寵愛を注いだのか……!」
「ナンパとスリは都会の名物、か」
一行に近付いて来た男を見て、ロレッタがまた頭を抱えた。
背のすらりと高い、栗の色の髪を持った青年だ。
無駄なく筋肉が付いた体と、腰に佩いた剣から傭兵だろうとわかるが、胸元には鉄色に輝くロザリオがあり、服装もどことなく僧服に似ている。
帯剣をしている神父などあまり聞かないが、今の時世、あり得る話かもしれない。
「神父様。私は、我等の神は全ての人を等しく愛すと聞き及んでおります。私に格別の神の愛を感じられるとしたら、それは悪魔の見せる悪い夢でしょう。悪魔の虜にされる様な卑しい人間は、神父様に釣り合いませんわ」
ロレッタの返しも知的だが、青年神父(?)はたじろぎもしない。
「いえいえ。あなた方の美しさは、美の神の寵愛を受けたとしか……」
「それは、異教の考えでは?」
「……び、美の使途的な人の寵愛を受けているんです!それで良いでしょう!」
「アホだな、こいつ」
そろそろ、ロレッタとの会話に限界が見えて来た青年に、容赦なくビルが言い放つ。
格好だけは神父風だが、どうやら女性受けを狙っているだけらしい。
「なっ、貴様、この俺をアホだと!?」
「神父の格好をするなら、聖書の名文を暗唱出来るぐらいになっとけ。それからもう一つ。お前、ナンパするなら分相応な相手を選べ。身の程ってのを知れよ?」
「ほう……この、大商人の一人息子にして、無双の剣士である俺を小物扱いするか!貴様こそ、この可憐な二人には相応しくない男だろう!そちらの少年は許せるが、貴様の様な無骨な男は許せん!爆発しろ!」
「へえへえ。さーせんさーせん」
何故かビルに対抗意識を剥き出しにする青年だが、二人の温度差は激しい。
目的がナンパから、ビルの罵倒に移った為に暇になったロレッタはベレンと共に後ろに下がり、観戦に回ってしまう。
「わかったぞ!貴様にあのお美しいお二人が好きこのんで付いて行く筈がない、金か!それとも、脅しか!いずれにせよ、貴様は全国の美少女の敵だ!」
「お前、男を見る目もねぇな。この、俺様のワイルドさの中にも静かな理性と紳士なテイストを感じさせる、男の色気がわからんのか。言っておくが、お前より俺は二枚目だからな」
「はっ!貴様の目は正に節穴だな!それか、なんて自己愛の強さだ。貴様が俺よりも二枚目?ふははは、都で人気がなくなって、地方巡りをする様になった旅芸人でもまだ面白いギャグが言えるぞ!」
微妙にビルもヒートアップして来たのか、最早口論のレベルが子供のそれと同等以下だが、尚も二人はいがみ合う。
すかした感じの青年が、ビルには不快に映るのだろう。
「……そろそろ、行きたいんだけど」
たまらず、ルイスがビルの腕を引く。別に急ぎたい訳ではないが、これ以上無意味に喧嘩を続けられて仕事がなくなるのも本意ではない。
「お、おお、そうだな。じゃあな、俺様はお前みたいなチンケな野郎といつまでも遊んでられるほど暇じゃあないんだ」
「なんだと?……ああ、そうか。貴様、俺に恐れをなして逃げようというのか。いや、別に俺は何も言わないぞ?むしろ、賢明な判断だと称賛しよう」
背を向けようとしていたビルが、再び青年を睨み付けた。
その時の形相で、ルイスにはわかってしまう。彼が完全に、キレてしまったのだと。
「誰が恐れをなした、だって?ああ、お前、ちょっと良いトコのおぼっちゃんだからって、調子乗ってると痛い目見るぞ」
「おお、おお、弱い犬ほど何とやら、だな。なんなら、実力の違いってやつを教えてやろうか」
相手も相手で、あっさりとビルの挑発の乗ってしまった。
二人は完全に闘志を剥き出しにしており、とてもではないがもう止まりそうにはない。
「どうするんだ?本来なら決闘と洒落込みたいが、ここは街中だしな……」
「本当なら、俺だけで受ける仕事だったんだが……その仕事の出来で争おうじゃないか。フェルミ伯爵の屋敷の用心棒兼、使用人の仕事だ。腕っ節の強さと、品の良さ、その両方が試される。おあつらえ向きだろう?」
「はっ、腕っ節だけでは敵わなさそうだから、自分の得意分野も絡めたつもりか?姑息な奴だ」
口では毒づきながらも、ビルの顔に冷や汗が垂れる。村出身の人間として、礼儀作法は一番の弱点だ。
「――その話、悪くないわね?」
男同士の腹の探り合いに横槍を入れたのは、ロレッタだ。
青年剣士の口から出て来た仕事が、自分達の求めていた類のものだと知ると、ビルに耳打ちする。
『当然この話、受けなさいよ』
「ああ、金の為にもな」
青年の挑戦云々は兎も角、仕事を求めていたのはビルも同じだ。
それも、雇い主は男爵や子爵ではなく、伯爵。その爵位が給金の良さを物語っている。
「――神父様。ではなく、剣士様。そのお仕事について、詳しくお聞かせ願っても?」
「はい。貴女様ほど高貴で知的な方であれば、ご存知でしょう。この辺りでも名の通った貴族、フェルミ伯爵が三週間という短期間の用心棒兼、使用人となる人材を求めておられるのです。募集人員は男性二人、そして女性一人。あ、女性の方は所謂メイドの仕事だけで良い、という話ですが、男は執事業と用心棒を兼ねるのです」
「給金の払い方は?」
「まずは前払いで銀貨五百枚、後は働きに応じて、最高で金貨五十枚の追加給金が出るとか」
「きん、五十っ……」
この辺りの共通貨幣価値で、金貨一枚は銀貨百枚と同等の価値がある。
あまりの高さに、思わずビルとルイスが息を呑んだ。貴族の世界を知っている女性二人は、大して驚くこともしなかったが。
「なるほど……でしたら、剣士様、こういうのはどうでしょうか?そのお仕事、私もお受けします。最終的に一番高額の給金を頂けた人を、勝者とするというのは?」
「……ロレッタ?」
突然の提案に、ビルが顔をしかめる。
働く人間が増えるのは良い事だが、男二人の喧嘩に彼女が介入して来たのは意外だ。彼女なら、くだらない意地の張り合いはやめろ、とでも言い出すだろうと思っていたというのに。
『あなたのサポートの為よ。あなた一人だったら、十中八九何かやらかすでしょう?』
「う……」
「剣士様が勝てば、私は剣士様の旅に同行を。彼が勝てば、今まで通り旅を続け、私が勝てば、彼を自由にして頂いて構いませんわ」
「ちょっと待てーい!!」
「おお、なんと素晴らしい!流石お美しい方は、思い付かれることも違う!」
ビルのツッコミ虚しく、話はほとんど決定の方向へと向かって行く。
残り二人も、口を出す様な無粋なことはしなかった。
「それでは、それで決定としましょう!私はバートと申します」
「私はロレッタ、彼はウィリアムです。伯爵のお屋敷まで、案内して頂いても?」
「勿論ですとも!」
その後は、とんとん拍子で話が進んで行き、日も落ちた。
仕事という名の決闘が始まるのは二日後に決まり、そこから三週間、ビルとロレッタは屋敷に拘束されることになる。
とはいえ、最低額の給金は先払いで、働く二人は屋敷の方で衣食住を保証してくれる。
好条件過ぎる仕事だが、伯爵は名家中の名家で、街の人々の話では、最近は更に金がうなっている。これぐらいの散財をしてもおかしくないから、裏を勘ぐる必要はないだろう、というのがロレッタの話だ。
適当に話を進めている様に見えて、きちんと安全面を考慮することを忘れない彼女は、やはり頼もしい。
自分を蚊帳の外に置かれていたビルは機嫌が悪そうだったが、粗を探そうにも全て彼女が何らかの手を回していたので、少し悔しそうにしていた。
「正直、キミとベレンを二人っきりにしているのは心苦しいけど、二人ともしっかりしているし、大丈夫よね?」
最後にロレッタは、ルイス一人に向けて言った。
一行の保護者の様な立場の彼女にしてみれば、やはり幼さの残る二人を三週間も放っておくというのには、相当の不安があるらしい。
「うん。大丈夫」
彼女の不安を少しでも取り去れれば、とルイスは大きく頷いた。
年齢でも体格でも劣っている少年がそんな風に胸を張っても、野に在って未だ騎士で在り続ける少女が手放しで信用してくれるとは思えないが、今のルイスにはそれぐらいしかできない。
格好良い台詞の一つでも言っておけば良かったかもしれないが、即座にそんなことが言えるのは、昼間の青年――バートぐらいのものだろう。
「そう。――うん、そうよね。キミは、ベレンの騎士だもの。もし何かあったら、身を挺してでも守ってあげるのよ?」
「う、うん!」
そこでどもらなかったら、合格だったのに。
意地悪く言って、ロレッタは背を向けた。
すらりと高く、女性らしさを損なわない程度に鍛えられた、大きな背中だ。
まだまだ彼女には届きそうにない。でも、今度の三週間で、少しでも全身出来れば。
ルイスはそう思って、久し振りに鍛練をしないままにベッドへと向かった。
夜更かしをしていると、身長が伸びない。
いつか親に脅されたことを、思い返してしまったのかもしれない。
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長らくお待たせしました!その分、長くなっております