No.282041 送り火2011-08-22 20:47:28 投稿 / 全1ページ 総閲覧数:519 閲覧ユーザー数:519 |
通勤ラッシュを過ぎ、普通の人が学校や職場へ着くであろう時間。
「さて、今日も実験を頑張りますか」
そんな言葉を口にしながらアパートのドアの鍵を閉めた。もう過ぎた七夕飾りを横目に、ぐっと伸びをして見上げた空は今日も暑くなりそうだった。
「うぅ~・・・」
そんな声を聞いて通りに目を向けると、一人の少女が走っているのが見えた。その子は紺色の着物を着ていて、あちこちキョロキョロしながら走っている。あんな格好で,走り難くはないのだろうか.
「今時の子はああいうのが流行っているのか」
不思議な子だった。浴衣なら花火大会とか夏祭りで着ていく人は多いだろうが、普段着るものではない。それにこの時間は小学校も中学校もまだ授業中のはず。バイト先の塾の生徒が、これから来る夏の予定を楽しそうに話していたのをよく覚えている。もっとも、塾に来ている生徒の多くは受験生で、夏期講習の授業の多さに怨嗟の声をあげていたが。
「どこぉ・・・?」
道が分からないのだろうか。涙を浮かべながら必死に走り回るより、近くの人に尋ねればすぐ解決できるはずだ。
ぼんやり彼女の素性を思案していると、不思議な子(以下Unknown)と一瞬目が合った。あまりにも困った様子だったのでこちらから声をかけようとしたが、私が居るのに気付かないのか、あっさり通り過ぎてしまった。
「なんだかな・・・」
Unknownが気になったが、シャツに染み込む汗を不快に感じたので、駅の方へ歩き出した。
「MAP75、心拍数360、呼吸数は・・・」
今私が居るのは小動物実験室。つまり動物実験をやっているのだ。様々な都合である医科大学へたった一人で出向し、ラットを使った実験を行うことになった。今は処置を施したラットのバイタルを取り終わるところだ。
次は臓器摘出である。処置を施した後、ラットの臓器はどのような変化があるのか調べる為に摘出する。だがその前に灌流という操作を行う必要がある。血液が残ったままだと、ヘモグロビン中の鉄イオンのせいで測定結果が狂う。それを防ぐ為、摘出する前に体内から血液を除去しないといけない。
操作の手順は、胸部を切開し心臓にリンゲル液を注入する。その傍らで、心臓に穴を開け、心臓に戻ってくる血液を抜く。こうして血液をリンゲル液に置き換えることができる。ちなみに、リンゲル液とは手術などで使われる生理食塩水に様々なミネラルなどを加えたものである。
ラットを手術台から灌流用の容器へ移し変え、腹部に鋏を入れたその瞬間、ラットはキュッと鋭く泣き声を上げ手足をばたつかせ暴れだした。私は慌てて麻酔であるハロセンの濃度を上昇させる。ラットを暫く押さえつけるとだんだん抵抗が弱まり、やがて動きを止めた。
「かわいそうなことをしたな・・・」
今日のラットは体が大きかったから、必要な麻酔量がいつもより必要だったみたいだ。週三回解剖を行っていても、ラットが苦しむ姿は耐え難いものがある。出来るだけ苦痛を与えないように実験を進めているが、時にはこのように麻酔から覚醒することもある。ちなみに酷いときには大暴れして、苦労して挿入したカテーテルを全て引っこ抜かれたこともある。
「こりゃネズミに怨まれるだろうな」
軽くため息をつきつつ、ぱっくり開いた胸の中に鋏を差し込んだ。
「あぢぃ・・・」
実験を終え、日が傾きだした地元の駅に降り立った。家を出るときに比べれば暑さは和らいでいたものの、この暑さは不快である。
「トラブルがあったけど、実験を成功できてよかったな」
オレンジに染まる町並みを横目に、今日の実験結果を講評しつつ家へと足を進めた。しかし、後は家に帰ってのんびりビール(でも高いから発泡酒)を空けて今日の疲れを癒そうと思っていた矢先、また彼女が視界に飛び込んできた。
「何で迎え火が無いの~・・・」
朝見かけたUnknown(着物姿の少女)である。
「まただ・・・まさか、あれからずっとここに?」
このご時勢、見知らぬ子供に声をかけることすら疑われる。だが、泣きそうな顔であちこち走り回ってる子を目にしたら無視するのは心苦しい。流石に気になったので声をかけてみた。バイト先でも「怖い」とか「胡散臭い」といわれている応対用のスマイルで話しかけた。
「何してるんだい?」
だが、その子は私の声が聞こえていないのか、反応する様子が無い。声が小さかったのかと思いながら、もう一度Unknownに声をかけてみた。
「お~い、そんなに泣いてどうしたんだ?」
そこでようやくUnknownはこちらを向いた。ただ、彼女は不思議そうな顔をしていた。今まで全く声をかけられなかったのだろうか。彼女は周りをゆっくりと見回し、自分以外に話しかけられる対象が居ないことを確認すると、ようやく口を開いた。
「・・・あたし?」
やっと声をかけられたと少しホッとしつつ、改めて話しかけた。
「ああ、君だ。何かを必死に探しているようだけど、何を探しているんだい?」
ニッっと笑みをみせて、君の力になりたいという意思を伝えた・・・つもりだった。彼女が次に見せたのは困惑の表情で、まるで得体が知れないものを見るような警戒した目つきであった。怖いけど、今のまま一人では悩み続けたくない。そんな葛藤が彼女の中で渦巻いているのだろう。私は彼女が落ち着くまで静かに待ち、次の言葉をじっと待った。
「あなた・・・あたしが見えるの?」
「え・・・?」
思わず反射的に返事をしてしまった。初めて会った人に声をかけられた場合、その人が何者であるか尋ねるものである。にも関わらず、見えるか否かという全く想定をしていなかった質問に私は戸惑った。
「ああ、見えるよ」
人が走り回っている人が居れば普通は見えるだろうと思いつつ返事をした。
「何で見えるの!?」
「いや、何でって言われても・・・」
相手の意図が全く掴めない質問に、またしても素の口調で答えてしまった。
「だって私は・・・あれ、あなたの肩に乗ってるの・・・」
彼女は一体何者なのだろうか。それしても一体肩に何がいるのだろうか。首を左右に振り、両肩を見回しても何も見つからない。汗の染み込んだTシャツしか見当たらなかった。
「私の肩に何が居るんだ?」
やっぱり何も居ないじゃないかと、少しうんざりとした視線を彼女に向けた。だが、彼女は冗談で言っているのではないらしく、私の肩を見て震えている。
「だ、だって、肩に・・・ひゃぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
急に上げた悲鳴に驚き、私が彼女の姿を再び視界の中心に捉えた頃には、彼女は夕日の中へ走り去っていくところであった。しかし、あんな着物を着てこのようなスピードで走れるとは驚きである。
「あれは・・・何だったんだ」
親切が徒労に終わってしまい、わずかに暗くなったその場を後にした。
風呂に入り汗を流し、少し早めの夕食を準備した。
「゛あ~生きているって素晴スィ~!」
いつものように冷蔵庫から特売で買った発泡酒を取り出し悦に浸る。このために今日の実験を頑張ったようなものである。たがこの至福のひと時も、一点の彩りを欠いていた。先ほどの少女が気になるのである。
今まで顔が怖いとか威圧感があるとか言われ、小学生から怖がられることは何回かあったが、今回のように逃げられることは一度も無かった。だからこそというべきか。全力で走り去るほど拒絶されたことが気になって仕方なかった。
「・・・・・」
疑問を意識した後は早かった。
甚平をジーパンに履き替え、先ほどの実験へ出かけたときと同じような服装で家を飛び出した。普通に考えると、実に滑稽な光景である。自分から関与する必要も無く、尚且つ自分を避けた相手である。夏の蒸し暑い夜に出歩く手間をかける義理は全く無い。
「ったく、手間をかけさせやがって・・・」
ぶつくさ文句を言いつつも町内の様々な場所を歩き回った。公園、広場、小学校の校庭など、目に付く場所を粗方探したもののなかなか彼女の姿が見当たらない。
「もうここまでやったから、文句は言われないだろう」
着替えたてのシャツに汗がにじむのを感じ、引き上げようとしたそのとき、足元から弱々しい泣き声が聞こえた。小さな川の上にかけられた橋の上に立っているので、周囲の視界は利くが、何も見つからない。場所を変え、橋桁に目をやると誰かがうずくまっているのを見つけた。特徴的な紺色の着物。見間違うはずが無い、先ほどの少女だ。
「何で・・・何でぇ・・・・・・」
道路横の柵を跨ぎ、彼女の元へ近づく。
「一人はヤダよぉ・・・・・おばあちゃんどこに行っちゃったの・・・?」
家に帰らず真っ暗になっても、健気にも彼女はまだ目的地を探していたようだ。しかしいい時間が経っている。そろそろ家に帰らないと家族も心配するだろう。見かねた私は再び声をかけた。目を凝らして彼女を見ると、随分足が汚れていた。
「こんばんは。まだ頑張っていたのか」
その言葉は先ほどの繕った声色とは違い、優しさがこもった声だった。
「あっ・・・さっきのお兄さん」
着物の子は弱々しく顔をこちらに向けた。やはり警戒しているらしいが、夕方のように逃げ出す素振りは見せない。もうそんな元気も残っていないのだろう。
「こんな時間まで頑張っているのか。まぁこれでも飲んで少しは落ち着いてくれ」
声をかける直前、たまたま買ったオレンジジュースを彼女に手渡す。彼女は缶を受け取ったものの、戸惑った表情でこちらを見ている。
「・・・ありがとう」
ぽつんと礼の言葉を口にし、プシュッと音をたて缶をあけた。一口飲んだところで私に質問を投げかけてきた。
「何で私が見えるの?」
先ほどの質問だ。自分の目がこの子を捉えたからとしか言いようが無いが、噛み砕いてその問いに答える。
「私には君が見えるよ。他の人と同じようにね」
私の答えを聞き、少し考え込んでいたようだ。「見える人もいるから・・・」などよく分からないことをつぶやいていた。
「君が探している物は見つかった?」
私の声を聞き、彼女の目は少し潤んだ。やはりまだ目標を達成できていないらしい。まだ見つかっていないという返事を聞き、言葉を続けた。
「私は君が何を探しているのかは分からない。だが、いい時間が経っている。家に帰らないと両親は心配するぞ。探し物は明日にして、今日は家へ帰った方がいい」
典型的な大人が子供に対して言うセリフだ。それに対し、少女は涙を浮かべ反論する。
「だって、おばあちゃんの家が見つからないんだもん」
目的地だろうか。その「おばあちゃん」という人の家に行きたいのだろう。道に迷ったのなら、電話するなり、人に訊くなり対処法はいくらでもある。
「なるほど。電話して迎えに来てもらえばいいじゃないか」
彼女への提案と同時に、ポケットに入れていた携帯を取り出した。
「ダメなの。だって・・・」
「え、何で?」
話すべきか戸惑っていたようだが、やがて意を決して口を開いた。
「だって、私は幽霊だもん」
部屋の外から聞こえてくるセミの声がやかましい。話が長くなりそうなので、家に場所を移すことにした。愛用のコーヒーカップに三分の一ほど残ったコーヒーを飲み、つつ少女の話に耳を傾けた。どうやら私は想像以上に面倒なことに足を突っ込んでしまったらしい。
「で、つまり君はとなりの婆さんの先祖と」
卓袱台の反対側に正座していた先ほどの少女はうなずいた。
着物の少女の話を纏めると、彼女は隣に独りで住んでいた婆さんの先祖で、小田原の陣の辺りから幽霊をやってて、毎年お盆の時期に迎え火を頼りにこちらの世界(顕界)に来ているとのことだ。だが、数ヶ月前に隣の婆さんが入院してしまったせいで迎え火が焚かれず、婆さんの家が分からなくなってしまった。当然一般の人に霊的存在が見えないため、助けを呼ぶことを出来ず困っていたらしい。
「確かに幽霊なら誰にも頼れないな。しかし聞いた話とはまるで違う」
幽霊といえば、半透明で顔色も悪く陰気な雰囲気が漂っているイメージがある。だがこの子は見た目は普通の少女で、ほわんとした無邪気な雰囲気を持っている。しかも缶や湯飲みなどの実体も普通に触れる。普通の人に認知されない以外、違いが見受けられない。
「あたしにとってはこれが普通なんだけど・・・」
ジャーポットから急須にお湯を淹れながら答える。ポットなどの電化製品は彼女が生きていた時代には存在していなかったが、毎年こっちの世界に顔を出すので使い方を覚えたという。
「そう言えば、私の肩に何かいるのか?」
ふと彼女が私の肩を見て怯えていたことを思い出した。
「だって、お兄さんの肩に何匹もねずみさんがいたんだよ?しかも痛い痛いって泣いてたよ!」
やっぱり居たのかと軽くため息をついた。あれだけの数のラットを実験に使っているんだ、怨まれて当然だろう。
「お兄さん、あんなに沢山のねずみさんに何したの?いじめちゃダメだよっ!」
鼠を虐める。確かに彼らにとっても、状況を全く把握していない第三者にとっても虐め以外の何物でも無いだろう。そして「実験だから」と言い逃れをする気は無い。むしろ実験が失敗し、彼らを無駄死にさせてしまったときは「許しは請わん。怨め」と呟くこともあった。だから常日頃から呪われても仕方ないという、一種の諦観染みた考えを持っていた。
「確かに君からすれば、ラットを虐めているようにしか見えないだろう。でもこれは楽しんで殺しているわけではない」
私は自分の立場を説明した。私が行っている実験は病気や怪我の治療に役立つということ。使っているラットは実験の為だけに生まれてきたこと。そして彼らの死を無駄にしないこと。これらを一つ一つ説いていった。
「でも、ねずみさんだって死にたくないはずだよ、殺すのはおかしいよ!」
彼女の意見は正しい。生物であるならば、進んで死を望むものはいない。いくら実験用動物でもそれは同じはずだ。
でも私は実験とあらば躊躇い無くラットを殺す。だからこそ私は動物実験を任されたと考えている。この子のような考えを持つ人は少なからず存在し、それ故動物実験を拒む人も多い。
「そうだな。どんなに大層な矜持を持っていても、殺しには変わりない。だが、死んでいった動物達に対し、感謝の気持ちは忘れていないつもりだ」
「感謝の気持ち?」
何でここで感謝という言葉がでてくるのか、彼女には理解できなかったのだろう。
「ネズミ達の犠牲になったことで、私を含めた多くの人が救われていることに感謝しているんだ」
彼女は私の言葉を自分なりに噛み砕き、じっくりその意味を掴もうとしている。
「例えば刃物で刺された人がいても、今の技術なら助かる可能性は高いってことだ。それは鼠やいろんな人の犠牲があったからその方法が分かったんだ」
「・・・・・」
それっきり固まってしまった。少し難しい話だったかもしれない。コーヒーに何回か口を付けたところで着物の少女は口を開いた。
「そっか・・・ごめんね、ねずみさん。痛かったよね」
沈痛な面持ちで少女は私に取り付いているであろうラットの霊に語りかけた。
「ありがとう」
彼女が目を赤くして感謝の言葉を述べた次の瞬間、肩が浮かび上がるような感覚に見舞われた。まるで、沈んでいたものが元の位置に浮かび上がるような感覚だ。
「これは・・・?」
不自然な感覚に戸惑っていると、彼女が天井を見つめていた。
「一体何があったんだ?」
「ねずみさん達に、お兄さんの気持ちが少し伝わったみたい。完全に許したって訳じゃないけど、憑くのは止めるって」
結局、彼女に手を差し伸べたつもりが、逆に助けられる結果になってしまった。
「君のお陰だな。ありがとう」
彼女は何もしてないと言っていたが、自分のやっていることに向き合うきっかけを与えてくれたことに感謝した。
何となく軽くなった肩をまわしていて、大事なことに気付いた。
「そうだ、まだ名前を訊いていなかったね」
饅頭にかぶりついていた彼女もはっとしたようだ。
「あ、本当だ。あたしアヤメ。お兄さんは?」
自分の名を教え好きなように呼ぶといいと伝えると、アヤメは「お兄さん」と呼ぶことにした。
大分遅い自己紹介も終わった。やはりというべきか、本人の口からは出ていないがアヤメはこのまま泊まりたいらしい。帰るところが無いといわれたら、追い出すことは出来ない。
「アヤメはこれからどうするんだ、隣の婆さんに逢いたいのか?」
「もちろん逢いたいよ!でも、どこにいるか分かんないよ・・・」
ラットの霊の憑依を解いてもらった恩がある。今度はこちらが恩を返す番だ。
「分かった。任せて置け、私が手伝おう」
ぱぁっという音が聞こえそうな勢いでアヤメの顔が明るくなった。
「本当?ありがとうお兄さん!」
アヤメは私の手を握り、うれしそうに飛び跳ねる。その様子を見ているとこちらまで頬が緩んでしまうのが感じられた。
「こら、そんなにはしゃぐなって」
子供とはいえ、異性に手を握られたことなんて数えるほどしかなかったので、照れてしまった。
「汗かいているだろ、沸いているから風呂に入って来い!」
「は~いっ!」
元気に風呂場の方へ走っていった。風呂場のドアが閉まる音を確認したところで、やっと一息つく。作っておいたコーヒーをカップに注ぎ、口を着けたところでどうにか平常心を取り戻した。
「あ~・・・」
なし崩し的に面倒を見ることになってしまったが、これが普通の人間相手だったら、確実に国家機関が動いていたことだろう。変な感想だが、アヤメが幽霊で助かったかもしれない。
どうせあの子もここに泊まるつもりなんだろう。余分な寝袋が押入れにあったことを思い出し、立ち上がった。
「おにーさん、体拭くものある~?」
廊下へ顔を向けると、アヤメがドアからひょっこり顔を出しているのが見えた。バスタオルを取り出し、アヤメの方へ放り投げた。アヤメはありがとうと礼を言い、再び浴室へ消えた。
寝袋を引っ張り出し、布団も整えたころにあやめが出てきた。
「出たよ~!」
ニコニコしながらこちらへ来る。子供なのに、水気の残った髪や肌を見るとドキッとしてしまう。免疫が全く無い自分が悲しくなる。
「あれ、この布団は?」
「どうせ泊まっていくんだろ?」
「え、いいの?ありがとう!」
しかし純粋な奴だ。警戒感が全く無いのは如何な物だろうか。まぁ、人と触れ合う機会なんてほとんど無いから仕方ないのかもしれないが。
今日は余計なことに首を突っ込んでしまい疲れてしまった。サッサと寝て明日の婆さんの所在の探索に備えて早めに休んでしまおう。
「ほら、もう寝るぞ」
「え~もう寝るの?もっとお話しようよ!」
「子供はとっくに寝る時間だぞ」
「むぅ、あたしはお兄さんより年上だよ」
確かに年は上だが、見た目も考え方も子供のままである。
「あ~はいはい、私が悪かったから早く寝よう」
「お兄さん全然反省して無い・・・」
適当にアヤメの言葉を聞き流し、寝袋を引きずって廊下へ向かう。
「どこ行くの?」
「廊下。そこで寝袋で寝る」
「え~悪いよ~」
一丁前に遠慮してるらしい。さっきからプリンとか饅頭をぱくぱく食べていたのを忘れているのだろうか。「構わない」と断り、明かりを消して寝袋に潜り込む。まだ話したりないようだったが、暫く相槌を返すうちにアヤメは寝てしまった。
次の日、アパートの管理人に連絡を取り、隣の婆さんの所在を聞く。契約上はまだ部屋を借りているらしいので、連絡先を知っているようだ。婆さん宛の荷物を預かったと言いが入院している病院を教えてくれた。地図で確認すると、隣の県の療養所にいるらしい。
出かける準備をしていると、眠い目をこすってアヤメが漸く布団から這い出した。
「おはよ~」
「ああ、おはよう」
着物がはだけ、太ももや胸元が露わになっており、またもや一瞬息をのむ。年齢が年齢なら誘ってると取られても仕方ないだろうが、だらけて間延びした声を聞くと、その線は無いことが分かる。
「ご~は~ん~は~?」
「すぐ出来る。少し待っていてくれ」
食パンをトースターに放り込み、フライパンにベーコンを炒める。少し焦げ目が見えたころに、生卵を落とした。周りに水を少し垂らし・・・一気に入ってしまったが見なかったことにする。最後にフライパンに蓋をかぶせれば後は待つだけ。
トースターから甲高い音が響き、焼き上がりを知らせる。手早く皿を取り出しパンを載せ、冷蔵庫からイチゴジャムとバターを取り出し、居間でまだ目を擦っているアヤメの前に置く。
「先に食べててくれ」
台所へ戻り、ベーコンエッグの様子を見る。いい感じに焼けていた。
半熟に焼けたベーコンエッグを机に置き、アヤメがまだパンをかじっていないことに気付いた。
「食べてればよかったのに」
「ダメだよ、皆揃っていただきますをしないといけないんだよ!」
一人で食事することが多かった為、挨拶する習慣をすっかり忘れていた。そしてわざわざ待っていてくれたことが嬉しかった。
「ありがとう、では食べようか」
久々にいただきますと挨拶をし、食パンにバターを塗った。
食休みも済み、いよいよ婆さんのいる療養所へ出発する。
「忘れ物は無いか・・・って、ある分けないか」
「うん・・・大丈夫」
アヤメは名残惜しそうに部屋の様子をじっくりと見ている。
「どうした、寂しそうだな?」
「だって、今までいたお家から離れるのが寂しいんだもん」
たった一晩でも愛着が湧いたようだ。アヤメの頭に手を置きニッと笑って答える。
「また何時でも来い」
そういいながら頭をわしゃわしゃと撫でまわすと、恥ずかしそうに「うん」と返事をした。
療養所へは車で行くことにした。電車も通ってはいるが、車内だと他人の目があるので、見えないだろうアヤメと会話しずらい。無視し続けるのも没だろう。精神衛生上好ましくない。そこでレンタカーを借りて高速道路を使って行く事にする。車なら気兼ねなく話せるし、なにより私が車のほうが好きというのが一番の理由だ。
レンタカーショップで今朝方予約した車を借り、早速乗り込む。赤い軽自動車だ。高速道路を走るので、もう少し大きい車を借りたかったが、何分急な予定だったので仕方ない。
「よし、では行くぞ!」
車は好調に走り出した。
まずはインターチェンジまで向かう。渋滞と呼べるほど混雑していない物の、頻繁に発進と停車を繰り返す為、たいした速度が出なかった。それでもアヤメは速い速いと喜んでいた。二十分程車を走らせると、インターチェンジへの入り口が見えてきた。ウインカーを出し、車線を変更すると車は特有のカーブを走り抜ける。
「きゃ~!押される~!」
遠心力で体が押さえつけられることが今まで無かったのだろう、その独特な感覚にアヤメは大はしゃぎだ。対する私もこのカーブを経ることで、高速道路を走るという実感が湧いてくる。
通行券をサイドブレーキ横のラックに挟み、準備を整える。目の前にはY字に分かれた道路が映る。右へハンドルを切り、きついカーブを加速しつつ走り抜ける。カーブを抜け体を押さえつける力が緩むと同時に視界は大きく開け、高速で走り抜ける車と広い道が目に飛び込んできた。
車はまばらで、合流地点でもそのまま加速しつつ前進し、ハンドルを僅かに右へ切り走行車線へ進入する。市街地を走ったときには聞くことの出来ない独特の摩擦音が聞こえると気分はますます高まった。
「ククク、マシンに力が漲ってくるのが分かるぞ!」
私の豹変にアヤメは目を丸くして驚いているのが横目で見えたが、そんな些事を気にする必要は皆無。目の前にまっすぐ伸びる道路が私を沸き立たせた。
景色がいつの間にか山や畑が目に付く様にになったころ、近くのパーキングエリアで休憩することにした。
「お兄さん怖かったよ・・・」
先ほどの豹変ぶりが余程怖かったのだろう。助手席に居たはずのアヤメは、パーキングエリアで一休みする頃に、いつの間にか後部座席でシートの陰に隠れていた。
「すまない、これを買ってきたから機嫌を直してくれ」
パーキングエリアの売店に売ってるソフトクリームを買ってきた。こういうところで食べるスナックが好物で、旅行の際も焼き鳥など屋台で買った食べ物を頬張りながら地図を眺めているのが好きだ。
「わぁ、アイスだ~!」
文字通り一瞬で機嫌を直し、アイスにかぶりつく。表情を見ると、実に冷たそうである。
こちらはたこ焼きとコーヒーを買ってきた。いつもの様にたこ焼きを頬張りながら地図を眺めこれからのルートを確認した。最寄のインターまで行くのは造作も無いことだが、そこから療養所への道は確認しないといけない。初めての場所なので、念入りに地図を見ているとアヤメが声をかけてきた。
「それ何?」
「これ?たこ焼きだ。食べてみる?」
楊枝を渡そうと思ったら、指でひょいと掴んで食べてしまった。余程食べたかったらしい。それにしてもよく食べるな。
「おいしい!」
「それは良かった」
締りの無いにやけた顔を見て苦笑し、残りを全部アヤメにあげた。
「ごちそうさまでした!」
暫くするとたこ焼きを食べ終わったようだ。満足そうな顔をしていて何よりだ。お粗末さまと答えた。
「アヤメは向こうについたらどうするんだ。婆さんと何か話でもするのか?」
「お婆ちゃんには私が見えないみたいだけど、私が居ることは何と無く分かるみたい。何も出来ないけど、お婆ちゃんの近くに居てあげたい」
「そうか」
きっとあの婆さんはアヤメが近くに居るだけで安心できるだろう。
「急がねばならんな・・・」
紙コップを傾け一気にコーヒーを流し込んだ。
サービスエリアで休んでから二時間弱ほど車を走らせた。畑ばかりの開けた場所から、木が生い茂る山の中を走り続け目的の療養所に到着した。慣れない道を調べながら走るのは疲れる。
「ここに婆さんは居るはずだ」
行って来いと言わんばかりに助手席を向くとアヤメが困った顔をしていた。
「どうしたんだ?」
「お婆ちゃんに会っても、私が見えないから・・・」
アヤメ曰く、普通幽霊をここまではっきり捉えられる人間は居ないらしい。そういうことが可能な人間は、霊的な影響を強く受けた者のみらしい。私の場合は、元々の適正が高かった事と、多くのラットの命を奪ったことが関係してるのではないかと推測していた。
「私も行こう」
「えっ、いいの?」
「その代わり・・・」
「失礼します」
婆さんの病室の戸を開ける。中を覗くと一人で使うには十分過ぎる広さで、窓の近くに置かれたベットに婆さんが横になっていた。その表情はアパートに居たときと比べ、痩せこけており酸素マスクを鼻に装着していた。顔色も優れず病状は依然悪いようだ。家族も今は居ないのか、婆さんはこちらを見て驚いた様子だった。
「あら、学生さん。どうしてここへ?」
「お見舞いと伝言です」
そう言うと同時に売店で買ってきた花を渡した。
「まあ、ありがとう。それで伝言は誰からかしら?」
「先日アパートの近くにあなたを訪ねてきた女の子が居たんです」
「女の子?一体誰かしら」
婆さんは首をかしげて思案しているが、心当たりは無いらしい。
「アヤメと彼女は名乗っていました」
「アヤメ・・・・・・それで、彼女は何て?」
「『一緒に居られて嬉しかったよ』とのことです」
アヤメからの伝言を伝えると、婆さんは何かを思い出そうとしていた。
「その子の様子を教えてもらえないかしら」
「確か・・・中学校生くらいの子です。紺の着物を着ていた不思議な子でしたね」
「あの子かしら・・・」
思い当たる節があったらしい。
「ご存知でしたか」
「ええ・・・チラッと姿を見た程度ですが・・・」
そうですかと答え、二、三やり取りを繰り返す。
「ではお体に障るでしょうから、私はこの辺りで失礼します」
「わざわざこんな山奥までありがとうございました」
婆さんは深々と頭を下げた。
「いえ。それではお大事に。アパートでお待ちしています」
にっこり笑い右後ろを振り向き、控えていたアヤメに合図し、療養所を後にした。
運転席に戻り、缶コーヒーを開ける。
「ここまでが私の役目。後はアヤメの仕事だ」
周りの青々と葉が茂る山々を眺め、一口コーヒーを含む。チラッと時計を見る。午後二時。昼を食べずに実験をやっていても空腹が気になる時間帯だ。帰りにどこか適当なところで食事に行こうかと思案した。
山を眺め続け、時計の短針が次の数字に移る頃にアヤメが帰ってきた。
「気は済んだか?」
「うん」
療養所に入る直前、婆さんと話す段取りを決めた。まず私と病室へ向かいアヤメと婆さんの通訳を引き受けた。ただ、そのばでやり取りするのは極めて不自然な為、一番伝えたい言葉を決めてもらい、それを伝えることにした。私が退室した後は、アヤメに気の済むまで傍にいてやるよう決めた。
「おばあちゃんといっぱいお話したの」
「ん?姿が見えたのか?」
「ううん、見えなかったよ。でもあたしが居ることに気付いてくれたみたい」
「そうか」
コーヒーを一口飲もうと缶に手をやるが、空になっていることに気付く。
「色んな事話してくれたよ。ちらっと私の姿が見えた時のこと、お盆の間中家の中の雰囲気が明るくなったこと、送り火を焚くと毎年寂しくて涙が出そうだったってこと。いっぱい色んなこと話してくれたよ」
「そうか・・・」
先程と同じ言葉を繰り返すが、声音は大分異なっていた。婆さんにとってもアヤメは大切な存在であったことを感じた。
「あとお兄さんのことも話してくれたよ」
「何て言ってた?」
良くぞ訊いてくれましたとばかりに、満面の笑みを浮かべる。
「お兄さんは無口だけど、困った時はいつも助けてくれる優しい人だって」
「婆さんには色々助けてもらったから、少しでもその借りを返そうとしただけだ」
少し照れながらそっぽを向いた。
「後、わざわざここまで来てくれて本当に嬉しかったって!」
「そうか」
今度の「そうか」はぎこちなく発音された。照れ隠しだ。アヤメもそれを感じとったのか、ニヤニヤと笑っていた。
「お兄さんありがとう。お兄さんのお陰でお婆ちゃんに逢うことができたよ」
ぺこりと頭を下げ、珍しく殊勝な態度を見せる。
「まあ気にしないでくれ。借りを返すってのもあったけど、結局は自分の為にやったような物だから」
「どういうこと?」
「一言で言えば、私は寂しかったんだと思う。一人別な場所で実験しているせいで、動物実験室へ行っても、大学へ行ってもやや孤立してたからな。アヤメといることでその寂しさを紛らわせることが出来たから、こちらも嬉しかった」
わしゃわしゃとアヤメの髪をなでる。ちょっと迷惑そうな顔をしたが、満面の笑みでアヤメは答える。
「じゃあ、あたしもお兄さんもお婆ちゃんも一緒だったんだね」
似たもの同士だったなと二人して笑い合う。
「帰るか。大分遅くなったが、適当なところで昼にしよう」
「うん!」
車を返却し、家に着いた。今で寝転び一息ついていたとき、アヤメが口を開いた。
「お兄さん、あたしそろそろ帰るね」
「・・・そうか」
随分早い別れだ。お盆の間中うちに滞在するものと考えていた。
「今年はおばあちゃんのところに居られないからね。ずっとお兄さんに迷惑かけられないからもう帰るよ」
寂しそうに微笑んだアヤメを見て引き止めたくなったが、彼女が出した結論を尊重しようと見送ることにした。
帰るときは送り火を焚けばいい。近くのスーパーで「お盆セット」という、迎え火、送り火を行う簡易キットが売られていた。
「見るからに安ったい送り火で悪いな」
「お兄さんが送ってくれることが嬉しいから、そんなの気にしないでよ」
優しく声をかけてくれるアヤメが愛おしかった。
アパートの庭へ行きキットを組み立てる。丸めた新聞紙に火を付けると、すぐにキットに燃え移り大きな炎となった。
「ありがとうございましたっ!」
涙を振り切るように元気よく頭を下げるアヤメの姿に涙が浮かんだが、必死に平常心を繕った。結局涙声になってしまったが。
「また来年来い」
とできる限りの笑顔で送ってやった。
アヤメは煙と共に空高く昇っていった。随分小さくなった顔は涙を流しながらも、にっこり笑っていた。
やがてアヤメの姿も見えなくなり、燃やすものが無くなった火も小さくなった。
「何れまたな」
未練を断ち切るように燻っている火に水をかけ、力強く踵をかえした。
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C76に出品した、お盆の時期をテーマにした、不思議な女の子との出来事を綴ったオリジナル小説です。