No.281226

デニムスカイ 第八話 「Cinema -Invader-」

M.A.F.さん

二十二世紀初頭、一面の草原と化した東京。
主人公の少女・ネオンは黒いパイロット・ワタルの導きにより飛行装置「フリヴァー」を身に着け、タワー都市を飛び出してスポーツとして行われる空中戦の腕を磨く。
空を駆ける男女のライトSF。
◆奴が登場。サイトに第四十四話掲載いたしました。

2011-08-21 22:30:18 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:393   閲覧ユーザー数:389

 もしここがネオンの部屋ではなく他のパイロットのいるカフェだったら、一騒動起こっていたかもしれない。

 対人戦のログを一目見ただけで、立体映像のワタルの眉間に憤怒の色が浮かび上がったのだ。初めて飛行場に来たとき、手を抜いた柿色のパイロットに見せたのと同じ。

 恐ろしくはなかった。ネオンは奥歯を噛みしめて、ログの画像越しにワタルの顔をじっと見つめた。

 ワタルはすぐにそのログを閉じ、ディスクとの練習のログを全て一辺に開いた。

「あー……、ネオンよお」

 ワタルが苦々しく口を開く。まだ怒りを抑えているのだろうか。

「はいっ」

「その、ちゃんと休憩はしような。空中でバテたら制御系に勝手に降ろされるぞ」

 記録された時刻から気づかれたのだ。

 いかに自分を見失って不安定になっていたことか。

「きっ、気をつけます」

「まあいいよ、次からはな。大分よくなってる。最初のとこ相手がよく見えてるし、この旋回もよく追ったな」

 ワタルは表情をすっかり和らげ、ログの始まりから誉めた。最後以外は完敗だと思っていただけにこそばゆく、ネオンは耳の後ろを軽く掻く。

「対人戦ならこの状況でやられることはないよ、このディスクくらい旋回が速いフリヴァーはないし」

「本当ですか?」

「ああ。身軽なお前と比べてこれだと、このディスク、ちょっと運動性良すぎるみたいだ」

 ディスクには負けがこんでいたものの、その間上達していたのだろうか。曇っていたネオンの気持ちが晴れやかなものに変わりつつあった。

 ワタルは飛行経路を描いた立体画像を指して添削していく。ネオンは教わったことをログの注釈欄に次々と書き足す。

 ログを挟んで、二人はやり取りを続ける。

 やがてそれも済み、八つのログを全て閉じた。

「この調子で続けてけば問題ないよ」

 夕方までの重く滅入った気分が嘘のように塗り替えられ、頬がすっかり緩んでいるのが自分でも分かった。

「じっくりやっていけよ。ちゃんと休憩取ってな」

 これにはつい苦笑を漏らす。

「はいっ」

 

 通話終了。

「上手くいっているとは言えないね」

 突然ワタルの背後からかかったのは日下氏の声だ。

「いたんだ……。かなりよかったと思うけど」

「あの子じゃないよ、君のことさ」

 自分の何が不調なのだろうか。ワタルがその意を汲むのに一呼吸かかった。

「ああ……、全く」

 最初の対人戦、相手の明らかな手抜きが日下氏にもわかったのだろう。その遠因は自分にもあるのだ。ワタルは顔に浮かぶ苦味を隠さない。

 早く帰ってネオンの相手をしたい。というより、ネオンに相手になってもらいたかった。

「まあいいよ、いずれそれもあの子次第さ。さてと」

 日下氏は手の中に収まった、手帳の姿をしたアプリケーションの映像に指を走らせている。

「もう一泊増やそう。もっとこの辺りの食事を楽しみたいからね」

「えっ、なんでだよ。あいつを放って」

 思いと真っ向からぶつかる言葉に、ワタルは椅子を鳴らして立ち上がった。近付いてくるワタルに日下氏は口の端を歪める。

「滅多にお目にかかれないよ。君が誰かのことをそんなに気にかける姿は」

 ワタルは手の中を覗こうと屈めかけた体を止めた。

 だからどうしたというのか、は分かっている。自分こそ焦る必要がないではないか。ワタルは何も言えず、日下氏をにらみつけたまま座り直した。

「じっくりやっていきなよ。あ、帰りを遅らせることは社秘扱いだよ」

 平然と自分の口真似をする日下氏をよそに手元に映した宿の登録は、すでに変更されている。

「君以外の遊び相手もご招待しなくてはね」

 

 急上昇して、雲の上。

 こちらを捉えられないディスクを雲間に見下ろす。

 流石にこのままでは自分も手が出せない。

 位置を予測、雲越しにディスクを追う。

 雲の縁から再び現れる。狙い通り。

 ディスクは真正面。

 射撃を浴びせる。

 この午前、二回続けての勝利だ。

 降り立ってすぐ手元に戻ってきたディスクが可愛らしくすら感じられてネオンは満足に笑む。

 ネットワーク上にあるディスクの思考回路が、自分を打ち負かす策を練っているとも知らずに。

 カフェの中は相変わらず賑わっている。カウンターまで隅をそっとすり抜け、店の外の、店内からあまり見えない位置にあるベンチまで、昼食を持ってきた。

 腰を下ろすと視界の上にちらつくものがあった。

 柿色と薄青の二機が追いかけあっている。ゆったりと、ワルツのテンポで旋回する。あんな楽しみ方もあるだろうとは理解できたが、それに加わるつもりはネオンにはなかった。

 初めてワタルと出会ったとき芽生えた欲望。ネオンはもっと激しく、空を奪い合いたかった。

 例え相手が無言のディスクでも。

 

 急上昇、雲に飛び込む。

 視界は白に塗り潰される。

 雲は切れ目だらけで、いつかは飛び出てしまう。

 早く上に出ないと何かの拍子にさっきのディスクと同じ目に会うかもしれない。

 そう思うことが罠だった。

 正面が青みを増し、渇いた大気に飛び出す。

 雲の上や谷間を見回す。

 右目の端に、

 楕円のシルエット。

 ディスクが瞬く間に迫る。

 反転を始めても、

 もう射程圏。

 ブザー。

 降りてすぐログを開く。後手に回らざるを得ないネオンは、それだけ上手く立ち回る必要がある。

 二度や三度勝ったくらいで上に立てるものではない。ネオンは気を引き締め直した。

 後下方の雲の裏から奇襲。

 雲間に出た途端真上からダイブ。

 雲の上限に紛れ、左後方から忍び寄る。

 それらをかわし切るには経験も落ち着きも足りない。休憩の間隔が短くなってきた。

 焦りを自覚したネオンの頭を冷やすように、夕立が訪れる。

 

 家の中は静かだった。

 あまり広くないはずの居間にはやけに余裕がある。

 絨毯のなくなった床の面積を椅子とテーブルだけが使っており、それらにクロスなどはかかっていない。唯一壁に残った白塗りの棚板は、空気だけを載せて華美な装飾を浮かせる。

 ここにあったものは一部回収されたが、プリンターで作られたのではない貴重品は現存している。

 シルフィードを手に入れて以来母親の出てこない扉の向こうに。

 その扉が開いて、父親が出てきた。

「お帰り」

 微笑むが目尻に張りがない。

「どう?」

「うん、今は寝てるよ。具合はまだ良くない……、当分は出せないよ」

「そう……」

「気にしないで」

 父親は自室に引っ込んでいった。閑散とした居間に静寂が戻る。

 一家をまとめるものがなくなったのは確かだった。人形劇は幕を下ろしたのだから。

 母親は扉に潜んで沈黙を守っている。飛んでいる間は近寄らずに済む。

 だがもし母親が再び部屋から出てきたら、フリヴァーを自分にとって何だと言えるだろうか。この家をばらばらに砕いたフリヴァーを。

 ネオンは振り返り、父親の部屋をノックした。疲れた顔が扉から現れる。

「夕飯、作ろうか」

「え、大丈夫?」

「大丈夫だよ、合成ばっかりで飽きちゃった」

 料理に特別自信があるわけでもない。

 ただ、こうなった家にいる限りはそれをやらなければいけないように感じられただけだ。

 

 今日も賑やかなカフェを尻目に、ネオンはディスクを投げて飛び立つ。

 空気は地平線まで澄み渡り、隠れる雲などない。追う側のネオンにとっては助かる天気だ。

 何回も負かされてみればディスクの速度や運動性に変わりはなく、ただ動作が少し狡猾になっただけだとわかっている。

 すぐに見つける。まだこちらに気付いていない。

 全速力。一気に間合いをつめ、射程圏。

 ディスクが裏返る。また反転降下か。

 違う。

 負けたときと同じことはしない。

 ネオンは左に飛び退いた。ディスクは直進。

 速力なら勝る。一旦逃げて体制を整えることができる。

 フェイントを見破ってディスクを置き去りにし、ネオンは手ごたえを感じていた。反転するだけということまで見抜けたら撃てたかもしれない。

 ネオンが再びディスクに仮想弾を浴びせるには、半日もかからなかった。

 

 やがて二日後ディスクから五連勝を奪い、さらにその翌日。

 ワタルが飛行場に戻ってくるはずの日。

 基礎的な練習で時間を潰そうにも、ワタルのやってくる南西の方角ばかりが気になって時間の経つのが遅い。

 そうして昼過ぎ、練習を再開するでもなく、一つだけ浮かぶ小さな雲をぼんやりと見上げていたとき。

 管制からの報せが手の甲に表示された。

 フリヴァー一機、南から接近。

 飛びつくようにその機体の情報を拡大表示する。

 機種の欄にあるのは、「センチネル E」。同じ日下製だがワタルのレイヴンではなかった。方角も大分東寄りになっている。第一、ワタルが帰ってくるのなら日下氏も一緒に飛んでいるはずだ。

 落胆しつつも、何かざわつくものを感じる。

 真っ直ぐこちらにやって来るそれは、ただの通りすがりとは思えない。

 表示の端に音声通話の着信を報せるサインが点る。右手を軽く握って耳に当てた。

「やあ、カブラギさん」

 落ち着いた低音は日下氏の声だ。

「日下さん、どうしたんですか?今日の午前には帰ってくるはずじゃあ……」

「ちょっとこちらの都合でね。着くのは夕方くらいになるよ。それより気をつけてもらいたいことがあるんだ」

「なんですか?」

「帰りが遅れることを公表していないからね、ヒムカイ君がもういると思って試合を申し込むパイロットがやってくるかもしれないんだ。もし来たら相手をしておいていただけないかな」

 南から近づいてくるセンチネルは、そういった挑戦者なのだろうか。

「相手って……」

「もちろん、空戦のさ」

 胸のざわめきがぞくりとした震えに変わる。

 視線の先の相手はまだ肉眼で見えない。


 
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