水の塔の長補佐官マリエルが、長の執務室をノックしても答えがなかった。
「ルシウス様、お届け物です。
入りますよ?」
手には果物が入った籠を持っており、戻ってまた持ってくるのは面倒だった。
鍵のかかってない扉は、マリエルが押すと、音もなく開いた。
重厚な姿をしている割に、動きは軽い。
「…ルシウス様?」
開けてすぐ、正面のデスクに突っ伏す主の姿を見つけて、マリエルの眉が顰められた。
つかつかと、俊敏に傍に寄ると、状況を確認する。
…居眠りしていた。
半開きにした口からよだれを垂らしながら、
すかー
などと寝息を立てているのを確認したマリエルは、額を空いた右手で押さえた。
「…頭痛が」
ひどく整った顔立ちが、さらさらの金の髪の海に埋もれている様子は、それだけであれば、一幅の絵と言ってもいいくらいなのに、色々台無しである。
「残念な美青年」の二つ名は伊達ではない。
…いや、まったく、嬉しくないんですが。
さて、どうしたものか、とマリエルは悩んだ。
以前ならば、問答無用で頭を殴りつけ起こしたものだが、最近はマリエルも随分丸くなっていた。補佐官として、水の塔の長であり、仮といいながら長期に渡って塔主会議の議長も兼任しているルシウスの多忙を良く知っているせいでもあった。
(昨日は大国からの使節と夜中まで折衝してらっしゃったものね)
補佐官になった当初は、その奇矯な振る舞いに呆れ、馬鹿にしたものだったが、押さえるべきところは押さえているということに気がついてからは、一歩引いて評価できるようになった。
(まあ、バカ、なのは素だと思うけど)
アイラの事件を経て、彼の過去もかすかに見えてきた今は、多少の興味も湧いていた。
何十年も歳を取らない化け物とも裏では呼ばれていた彼の凄惨な過去を、彼を助けたという女性の曾孫アイラから、わずかばかり伝え聞いたのだった。
もちろん、本人から聞いたわけでもないので、知らない振りはしているのだが。
「う…ぐ…」
つらつらと想いを巡らせながら、手に持った荷物を棚に置いていると、健やかだった寝息が、いつのまにか、うめき声に変わっていた。
「い…や…だ…」
近づいて、顔を覗き込むと、眉間に皺が寄り、苦しそうな表情になっている。
ふむ、とマリエルは首を傾げつつ、ルシウスの肩に手を置いた。
「ルシウス様、ルシウス様、
大丈夫ですか?
起きてください」
呼びかけながら、ゆっくりと揺さぶると、ルシウスの目がうっすらと開いた。
潤んだ深緑の瞳が視点の定まらないまま揺れている。
「ルシウス様、ここは水の塔の執務室ですよ。
わかりますか?」
ゆっくり、含めるような口調で語りかけると、ルシウスの視点がようやく、マリエルの顔に定まった。
「あ、ああ、
マリエル、か…」
眠気を払うように頭を振って起きあがると、状況を把握したらしい。
バツの悪そうな顔をして頭を掻いている。
「なんだかうなされてましたけど、
お具合は大丈夫ですか?」
問いかけるマリエルに、ルシウスは目を彷徨わせた。
「あ、あ、うん。
なんか、夢見が悪くてね」
「へえ、どんな夢だったんですか?」
踏み込むつもりはなかったはずなのに、
と、マリエルは自分の口から出た言葉にかすかに驚いた。
「あーあーうん、えっとなんだ、パンジャに追いかけられる夢」
は?
パンジャというのは、穀物の粉を平べったく焼いたシートで、たれをつけて焼いた肉と刻んだ青野菜を巻いた、この付近の郷土料理のことだ。広場の屋台で売られており、これが好きなルシウスがよく買いに行っては食べている。
「…なんですかそれは?」
マリアルが呆れた声で馬鹿にしたように言うと、ルシウスが口を尖らせた。
「いや、まじで、
こーんなでかいパンジャにかぱあってでっかい口ができてさぁ
ぐあーって追ってくるの」
手を上下に広げたなぞのジェスチャーで説明しようとする。
いや、わけわかんないから。
「毎日毎日パンジャばっかり食べてるから、
恨みでも買ったんじゃないですか?」
「ええーパンジャって恨むのぉ?」
「…知りません」
なんだろう、心配して損した感がひしひしとする。
まったく、
とため息をついて、当の本人を見ると、なぜか優しい瞳でマリエルを見ていた。
ああ、この人は…
と、腑に落ちる。
この人は、自分の苦しみを私に教えるつもりはないのだ。
そう気がつくと、なぜか胸が痛くなった。
だからどうだというのだ?
自分はただの補佐官で、彼の個人的な事情に踏み込む必要はまったくないのだ。
「…アイラのお父様から、
良い品が手に入りましたのでお裾わけでも、
とのことで、こちらをお持ちしました」
とりあえずと置いておいた棚から果物籠を取りだして、ルシウスの目の前に置く。
話題を逸らし、もとい、そもそもの目的に戻したマリエルの声は硬かった。
「あれれ、いつも悪いねぇ
お礼を言っといて」
一時魔術が使えなくなったアイラの諸事情を解決したルシウスへ、彼女の父親は頻繁に礼の品を寄越してくる。だから、その処理についてはマリエルも慣れたものであった。
「はい、すでに、ルシウス様のお名前でお礼状を返送してあります」
「さっすが、有能な補佐官、しびれるぅ」
それはいつもの軽口なのに、妙に苛立つ。
「補佐官として当然の仕事です」
だから、返す口調に通常より多めの棘が乗ってしまった。
それに気がついたのか、ルシウスが、戸惑った表情をした。
「なんか、怒ってない?
…もしかして、マリエルちゃん今日女の子の日?」
が、その口から出たのは最悪の台詞で…
「死ね」
このセクハラ男がぁ、
とエルボーアタックでルシウスを床に沈めると、マリエルは足音荒々しく部屋を出ていった。
「あはは、失敗しちゃったかなぁ」
いてて、と上半身を起こしながら、ルシウスが笑う。
その笑いはひどく自嘲的でさびしく、マリエルが見ていたら、後悔したかもしれなかった。
だが、そこにはマリエルはおらず、ただ穏やかな昼下がりの日の光だけがあった。
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イラスト置き場にもうpした正装姿のルシウスくんです。
画力がないせいで美形に見えないかもしれませんが美形なんです><
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試験的になろうサイトの方に投下していたSSを転載。
http://ncode.syosetu.com/n9480v/