No.277205

ぼくは三輪車。

みかんさん

文芸部の部誌として提出した詩です これは戦争、というか原爆のお話です 三輪車は小さい子が乗る物なので、三輪車自体も幼いのではないかと思い、小学校1・2年生くらいで習う漢字以外はなるべくひらがなにするようにしました。読みにくかったらすみません;; 『三輪車』はこの中では特別な言葉なのでぜんぶ漢字にしています

2011-08-18 03:30:00 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:594   閲覧ユーザー数:594

 

ぼくは三輪車。小さなおとこの子に使われていた三輪車。

ぼくは三輪車。せんそうのひさんさを体けんした三輪車。

ぼくは三輪車。全身やけどでやけただれて、いたみになきさけぶ人たちを目にした三輪車。

ぼくは三輪車。やけどのいたみで苦しみながらしんでいく人のうめき声を耳にした三輪車。

ぼくは三輪車。うまれたばかりの赤んぼうをかばってしんでいった母親を目にした三輪車。

ぼくは三輪車。親をなくした赤んぼうのなき声が弱々しくなっていくのを耳にした三輪車。

ぼくは三輪車。地面が赤々しい血でよごれていくのを見てかなしくなった三輪車。

ぼくは三輪車。人々のなき声がひびくのをただ見ているしかできなかった三輪車。

ぼくは三輪車。うめく人を見てもなにもできない自分をせめるしかできなかった三輪車。

ぼくは三輪車。ながすなみだもたいせつな人をまもるうでももたない三輪車。

ぼくは三輪車。ないている人をなぐさめる口もなみだをふく手もない三輪車。

 

 

ぼくは三輪車。ある日とつぜん自分の体をねつがつらぬくのを感じた三輪車。

ぼくは三輪車。気づいたら遠くにふきとばされ地面にころがっていた三輪車。

ぼくは三輪車。自分がもううごくこともかなわない体になっていることに気づいた三輪車。

ぼくは三輪車。全身ねつにやかれ車輪はとび、けむりをあげている三輪車。

 

 

 

 

 

ぼくは三輪車。えいきゅうに使われることのない、三輪車。

 

 

 
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