No.276064

わすれもの

emanonさん

 時間の流れは、誰も彼も、一切合財を押し流してしまう。だけれど、変わらないものの一つや二つあってもいいと思うんだ。
 ちょっとノスタルジックな恋愛モノです。

2011-08-17 01:54:17 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:491   閲覧ユーザー数:488

 

 1

 

 

 

 電車が揺れる。

 高校のとき、通学のために毎日乗った路線だ、もう少しいけば通った高校が、さらにいけば、実家が見える。景色はそのころと大して変わっておらず、開発が進んだ形跡もない。

 わたしは、ぼんやりと車窓から外を眺めている。

 瓦屋根が太陽を反射し、ギラギラと光る。外は汗が吹き出るような暑さだろう。それに比べ、車内は冷房が効いていて快適そのものだ。

 築50年くらいの中途半端に古い家屋がポツポツと立ち並ぶ。人がごった返すような都会でもなく、かといって自然溢れる田舎でもない。それがわたしの故郷。

 「変わってないなぁ」

 ふと、つぶやいた。 一人で暮らしはじめてから本当に独り言が増えた。

 いつぶりだろうか。成人式以来だから、前の帰省から四年になるだろう。

 仕事が忙しかったという理由もあるのだけど。特に用もなかったし、放任主義だった両親も何も言ってこなかった。

 でも、今回は、わざわざ有給をとってでもこなければならない理由があった。

 車窓の景色が流れていく。

 前のほうから高校が見えてくる。

 太陽の熱気で空気が歪み、校舎が揺らいで見える。久しぶりに見る母校だ。

 夏休みの真っ最中で、汗と砂埃にまみれながらグラウンドを駆け回る後輩達がいる。

 当時、バスケ部に在籍していた私も、夏休みは毎日学校に通い、死ぬほど汗を流したものだ。

 ――懐かしい――

 車内アナウンスが停車を告げる。

 気が付けば、荷物を手に立ち上がっていた。

 

 

 

 電車を降り、むわっとした熱気に顔をしかめる。クーラーに慣れた身には厳しい暑さだ。 

 自動改札などという洒落た物はまだない。駅員さんが健気に切符を確認していた。乗客は涼しい車内でのうのうとしているのに、この炎天下の中で立ちっ放しの業務。本当に頭が下がる。

 こんな小さな駅などさっさと自動化して無人駅にしてしまえばいいんじゃないかとつくづく思う。

 改札を抜け、外に出る。

 そこにあるのは、変わらない風景だった。

 部活の帰りにみんなで食べに行ったラーメン屋。外装はところどころ塗り替えられ、修繕の跡がみえるが、のれんの名前は変わっていない。

 電車が来る時間まで暇を潰した本屋。立ち読み防止用のビニールが無いのが有名で、開けっ放しの入り口からは何人かの学生服が見える。

 ふと、思い出した。

 そこそこ活気がある駅前から、住宅地のほうへ続く小道へと入る。そこにあるのは小さな公園。

 申し訳程度の遊具と一つきりのベンチ、街灯が一本。いかにも、余った土地を申し訳程度に加工しましたという風情だ。

 手入れもろくにされていないようで、ところどころ雑草が目立ち、ブランコや、ジャングルジムのペンキは剥げ、赤錆が浮いていた。

 ベンチに腰を下ろす。木目がむき出しで、よく言えば味がある。悪く言えば古臭い。

 どうして忘れていたのだろうか、あの頃のわたしの事を思えば考えられない。

 わたしは、思い出してしまった。

 あの人とよくここで話をした。練習の愚痴、先生の悪口。進路のこと、受験のこと。

 時間が過ぎるのを忘れて、帰りが遅くなり、両親に怒られたこともあったっけ。

 わたしの脳裏をよぎる、たくさんの思い出

 それと、ただ一つ残してしまった忘れ物。

 取りに行かなきゃいけない。

 そうして、わたしは、六年ぶりの通学路を歩き始める。

 

 

 

 

 

 2、

 

 

 

 わたしは滝のような汗をかきながら六年ぶりに校門をくぐった。

 久しぶりの高校だ。何もかもが過去のままで、時間が止まったような錯覚を覚える。

 生徒用の下駄箱を横目に見ながら来客用の入り口へと向かった。ガラス戸をあけ、据え付けてあるノートに記入する。氏名、それから来校理由。

 わたしはすこし考え「元・生徒」と記入した。理由とは違う気がするけれど、大丈夫だろう。

 そう、元・生徒だ。ここには時の流れなんて無いのに、わたしの時間だけ進んでしまった。そんな気がした。

 上履きでなく、来客用のスリッパを履き、校舎の中へと入った。

 ぱたぱたと、わたしの歩く音が響く。校舎の中は静寂そのものだった。

  誰もいない校舎をぶらぶらと歩く。なんだか現実味が無い。あの頃と同じに学校があって、わたしが居る。しかし、そのほかのものは何も無い。不思議な感じがする。

 暑い中、駅から歩き通しだ。喉が渇いた。

 水飲み場にたどり着く。上向きになっている蛇口を一度下向きに直してから、上向きにし、栓を捻る。

 水が流れ落ち、シンクに跳ねた。

 あふれでる水面に口をつける。割と冷たくておいしい。

 長距離走のあと、部活の休憩。学校に通う誰もがこうやって水を飲む。だけど、それはすごく狭い常識だ。水道水を直接飲むなんて普通はしない。飲み物を飲むときはペットボトルか、コップを使うだろう。

 ――びちびち――

 どこかで水の跳ねる音がした。わたしの蛇口ではない。水の滴る口元を拳でぬぐい、顔を上げた。

 十メートル程離れた水のみ場、ワイシャツ姿の男が上着に飛沫が飛ぶのもかまわずに顔を洗っていた。 

 袖を二の腕までまくりあげ、胸元はだらしなく広げられていた。教師のようだ。自分と同じか若干年上に見える。新任か勤めて数年といったところか。古参の教師であれば、元・生徒である自分を知っているであろうし、昔話もできるが、新任では、お互いのことなど知っているはずも……、いや、違う、わたしはこの人を知っている。

 「セン……パイ?」

 あの頃より痩せ、髪も伸びていたが、面影があった。細かな仕草にも見覚えがある。そういえば、部活の合間にも、トレーニングウェアやユニフォームが濡れるのも気にせず、あんなふうに水をかぶっていたっけ。

 白地の服に透けて見える胸筋や鎖骨を、いけないと思いながらもチラ見していたのは人には言えないわたしの秘密。まぁ、あれだ。一方的な片思いって奴だ。

 振り返った彼はわたしを視界に認め、

「よ、久しぶり」

 と手を上げ、くったくなく笑った。

 わたしの心臓が密かにドクンと音を立てた。

3、

 

 

 

 扇風機の風がわたしの頬を撫でる。 

 数学準備室という名の教師のたまり場にいるのは、わたしとセンパイの二人きりだった。

 わたしは来客用のソファーに座り、センパイがコップにアイスコーヒーを注ぐのを眺めていた。

「砂糖とミルクは置いて無いんだ。悪い」

 彼がソファーセットのテーブルにコップを二つ並べ、わたしの向かい側に座った。

「大丈夫ですよ。ブラック、飲めるようになりましたから」

「そうなん?」

 からかうような口調。わたしは『これが証拠だ』とばかり一口飲んでみせる。ちょっと苦い。

「先生になられたんですね、なんだか、納得できるというか、意外というか……」

 部活中、もっとも先生に反抗していたのはセンパイだった。これが「意外」の意味。

 また、わたしを含む後輩に親身になってくれたのもセンパイだった。これは「納得」の意味。

「ま、先生っていっても、まだ一年契約の講師。まだまだこれからって所。お前の方は今なにしてる?」

「ん、二流企業の広報部ですよ。普通にOLしてます」

「そっか、月日の経つのは早いもんだ」

センパイもコーヒーを一口すすった。

「そういえば、他の先生はどうしたんですか?」

「ああ、本当は、今日、学校休みなんだ。俺は居残り」

「居残りって?」

「進路に悩んでいる生徒がいて、。そいつのためにパソコンで資料あさってたんだよ。別に担任って訳じゃないからやらなくてもいいんだけど」

「センパイ、変わりませんね」

「いや、もう立派なオッサンだろ?」

 彼から自嘲の笑みが漏れる。

「そんなんじゃなくて。ほら、部活が終わった後、よくつきあってくれたじゃないですか。シューティングとか」

「そういや、そんなこともやってたな。毎日、毎日、二人で居残りしてたっけか」 

「そうだ! バスケ部の部室、行ってみませんか?」

 部室といっても用具置き場にテーブルと椅子があるだけのほとんど倉庫みたいなものだ。別に私物が置いてあるわけではないから鍵なんか掛かってないはずだし、体育用具室としても使われていたはず、特に問題はないはずだ。

「そうだな。実はおれも卒業してから見に行ってないんだよ。バスケ部の顧問でも、体育教師でもないから、なんか行きづらくて」

「じゃ、ちょうどいいですね。行きましょう」

わたしは手元のコーヒーを飲み干し、席を立った。

 

 

 

 ――ギギィ――

 たてつけが悪いドアが音を立てて開いた。 

 思わず声が漏れる。

 汗の臭い、埃の臭い。

 カビの臭いも少しは混じっているかもしれない。

 よくこんなところで喋ったり、御飯を食べたり出来たものだ。

 一年生のとき、磨かされたバスケットボール。あの頃と変わらない。今も、新入部員が一生懸命磨いているんだろう。

 壁に立てかけてあるエアマットはよく昼寝につかったのを覚えている。昼休みや、部活の後に数人で寝っ転がった埃臭かったけど寝心地は良かった。

 ここは、わたしの『青春』ってヤツが集まっている場所。

 そして、ここへ来ることが今日の目的だった。

 センパイが今、私の隣にいるというのも、なんだかおかしな神様の思惑を感じる。

 彼を見た。物置棚からキャプテンのナンバーである4番のビブスを引っ張り出し、感慨深く見つめていた。

 視線を外し、部室の真ん中に陣取るテーブルに目を向ける。

 傷の付き方、色のはげ方。

 消えないようにカッターで彫られたラクガキ。

 覚えている。

 あの頃と同じテーブルだ。

 わたしはその場に屈み、下を覗き込む。

 「あった……」

 セロハンテープで、裏板に張りとめられているのは、一通の手紙。

 手を伸ばし、テープを剥がす。時を経て、黄ばんでパリパリになっていて、粘着力も弱っていたから、簡単に取れた。健気にも今までよく張り付いていてくれた。ちょっとだけ、セロハンテープに感謝。

 文具店で小一時間迷って買った封筒。元は上品で大人っぽい茶褐色だったはずが、すっかり色褪せ、乾燥でガサガサになって見る影もなかった。

 裏に書いてあるのは差出人のわたしの名前。

 表に書いてあるのは宛先のセンパイの名前。

 それは、過ぎ去った日々の残り香。

 「それ、なに?」

 センパイがこちらを見ていた。自分の名前が書いてあるのが不思議そうだ。

 わたしは答えた。 

 「ただの、ラブレターですよ」

4、

 

 

 

 「ラブ……レター?」

 「そうです。面と向かって言う勇気は無かったし。あの頃は携帯なんてなかったから、古典的かなって思いながら、一晩かけて頑張って書いたんですよ」

 わたしの声はさっきまでと変わらない。センパイはそんなわたしをじっと見つめている。

 「書いたまではよかったんですけど、決心がつかなくて、いつか渡すために部室に隠していたんです」

 センパイは何も喋らなかった。

 「今日はコレを取りに来たんです。センパイがここに居たのは丁度良かった。六年越しのラブレター受け取ってください。」

 わたしはセンパイにその封筒をゆっくりと差し出した。あの頃のわたしだったら、恥ずかしくでこんなこと出来なかっただろう。

 センパイは、何も言わず、受け取ってくれた。

 「中身はわたしのいないところで読んでくださいね。恥ずかしいから」

 沈黙を守っていたセンパイの口がゆっくりと、ためらいがちに開かれる。

 「俺、実は、おまえのことが……」

 センパイは言葉を失った。わたしが人差し指でセンパイの唇をふさいだからだ。

 実は両想いなんじゃないか、なんとなくそんな気はしていた。でも、あの頃は思い切りがたりなかった。

 「ストップです。センパイ。そこから先は言わないでください」

 わたしは彼に背中を向け、窓を見た。日が暮れかけている。橙の光が部室を照らしていた。

 あの頃も練習が終わった後、この光のなかで、こんな風にセンパイと話をしていた。

 でも時間は流れ、わたしは変わってしまった。

 「ごめんなさい。そういうつもりで渡したんじゃないんです。ただ、あの頃の気持ちに決まりをつけたかったから……」

 ――もったいなかったな。あの頃、今みたいにできたらよかったのに――

 自分の中では、全部終わったつもりだけれど、そう思ってしまった。 

 わたしは、背を向けたまま、つぶやくように言った。

 「わたし、結婚するんです」

 

 

 

 

「そうか……相手は?」

しばらくの沈黙の後、彼は口を開いた

「センパイの知らない人です。優しい人ですよ。もう、式場とか日取りとかも決まっています」

「そう」

 わたしは背中を向けたままだ。センパイの顔を見ることはできない。そして、わたしの顔もセンパイに見られることはない。

 別に、結婚相手に不満は無いけれど。でも、あの頃、ちゃんと渡せていたら。また別の「今」があったのかもしれない。

「いろいろ、変わったし、これからも変わっていくんだな」

センパイがつぶやくように言った。

 どこか遠くでカラスの鳴き声が聞こえる。

 憎らしいほどに、学校というのは変わらない。人だけが時の流れに流されていく。

 しょうがないんだ。と、自分に言い聞かせた。 

 足元にしまい忘れたバスケットボールが一つ、所在無げに転がっている。なんとなく、両手で拾い上げる。

 手元の感覚からおそらく女子用の六号だろう。何年もボールに触っていないというのに、表面のゴムはまるで指に吸い付くようによく馴染んだ。

「センパイっ!」

わたしは、ボールを抱き、思い切って振り返った。

「あのときみたいに、シューティング、やりませんか?」

――このままこんな雰囲気で別れるのは嫌だ。わざとらしくでもいいから、何とかしよう――

 そんなつもりで明るく言ったつもりだったが、成功していたかどうかはよくわからない。

「ああ、やろうか」

 センパイもボール入れから男子用の7号ボールを取り出していた。

5、

 

 

 

 二人ならんでフリースローラインに立つ。言い出したわたしが先だ。

 何度かバウンドさせてボールの感触を確かめ、シュートの姿勢をとる。ボールが手に吸い付くような感覚を覚える。

 自然に力が抜けた。何度も何度も練習した動作。

 構えたボールの向こうに見えるゴールを見つめ、放った。

 身体が自然に動き、肘の動きに合わせ、ボールが両手を離れる。

 ――ぽしゅっ――

 ボールは真っ直ぐにネットを目掛け、真ん中を射抜いた。

「うしっ」

 思わずガッツポーズをとるわたし。やっぱり、入れば嬉しい。小走りでボールを拾いにいく。

 センパイも放つ。綺麗なフォーム。

 寸分たがわず、ネットの中心へと吸い込まれる。

「やりますね、センパイ」

「ふふん、お前もな」

 お互い、口元に不適な笑みを作る。

 ぽしゅっ

「お? わたしもまだいけるんじゃない」

「おれだって、まだまだ若い」

 がだんっ

「ダメダメじゃないですか」

「う、うるさい、今のは手が滑ったんだ。もう一回やらせろ、もう一回」

 二人で、話をしながら、何度もシュートを繰り返す。身体で覚えたものはそう簡単には忘れない。

 全ては変わっていく。それでも、変わらないものだって、一つや二つくらいはあってもいい。

「ねぇ、センパイ」

「なんだ?」

「今度、内履きもってくるんで、1on1やりましょう」

「おぅ、いいじゃん。やろうか。ついでに、その後、飲みにでもいこうな。いい店知ってんだ」

「いいですね。わたし、これでも結構飲めるんですよ」

「何言ってんだ、おれだって大学のときはビールを両手に持って……」

 体育館に響くボールの音が二つ。

 夕日の中に踊る影が二つ。

 これはこれで、いい。そう思った。

 

 

 

 夕焼けが茜色に燃えている。

 センパイと二人、通学路を歩く。

「ねぇ、センパイ。あの公園覚えてます?」

「ああ、あのボロい公園だろ?」

「せめて『風情がある』とか言いましょうよ」

 私達の足は高校生の時と同じようにその公園へと向かっていた。

 駅から、小道へ一本入る。

 しかし、公園の入り口で二人揃って立ち止まることになった。

 唯一つのベンチ、そこには既に制服姿の男女が座っていたからだ。

 センパイをみる。やれやれと、苦笑いをしていた。

「先輩らしく、後輩に譲ってやるかな」

「そうですね」

 幸い向こうはこちらに気づいていないようだ。見つからないうちにこっそりと退散する。

「いやいや、若いっていいですね」

「ばーか、何言ってんだ。おれ達もまだまだ若い」

「まぁ、そういうことにしましょうか」

暮れる夕日、どこからか現れる制服の群れ。何年前かのわたし達。

「センパイ、送っていただいてありがとうございます」

 改札の前で立ち止まる。

「いや、別に、せっかくだから、もうちょっと話したかったし」

「それじゃ、また。今度、ホントに1on1やりましょうね」

 背中を向け、改札へ向かう。

「あ、ちょっと待って!」

 わたしは、もう一度センパイの方を向いた。

 センパイは、わたしに微笑み、言った。

「結婚、おめでとう」

 

 

 

 

 

 

 
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