No.271542

真・恋姫無双~君を忘れない~ 四十一話

マスターさん

第四十一話の投稿です。
天の御遣い、劉玄徳に出会う。これまで一切の接点がなかった彼は彼女に何を語り、彼女はその心に何を見出すのか。そして、彼の一言にその場にいる誰もが驚愕する。
あぁ、もう勘弁してください。これが作者の限界です。お許しください。それでは、どうぞ。

コメントしてくれた方、支援してくれた方、ありがとうございます!

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2011-08-12 23:16:36 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:12386   閲覧ユーザー数:9347

一刀視点

 

 趙雲さんから劉備軍のこれまでについて――益州に兵を発するまでの経緯、更には劉備個人に関する話まで、様々な事柄を聞いた。その話から彼女が如何に劉備に対して忠誠を誓っているのかが分かった。

 

 そして、その劉備が愚かであるということも。

 

 この乱世において話し合いで戦を終結することが出来るなんて本気で信じているのであろうか。そんな非現実的で甘い考えの持ち主が、あの劉玄徳という人物だというのか。

 

 だとしたら、曹操さんが劉備のことを激しく非難したのも納得が出来る。将兵を、民を守るべき存在が、そのような愚かな行為をして良いはずがない。

 

 俺は本人に会う前から軽い失望感を覚えていた。もしも劉備がそのような人物なら、俺は残念ながら劉備にこの地を明け渡すわけにはいかない。

 

 しかし、その一方で違和感があった。

 

 その違和感が何なのか詳しく分からないまま、劉備陣営から返答の軍使が放たれた。俺たちは劉備軍と話し合いの場を設けることを提案したのだ。

 

 これは趙雲さんのアドバイスだったのだが、やはり話し合いを最上の術として考える劉備は、この誘いに乗ってきた。

 

 話し合いの場は、諷陵と劉備軍本陣の中間地点に簡易的に設置された。この話し合いが罠でないということを強調するためにそうしたのだ。下手に警戒心を抱かれてしまっても仕方のない話だから。

 

 劉備陣営からは、劉備、関羽、諸葛亮、鳳統の四名が出席した。おそらく、張飛が陣営で留守を預かっているのだろう。俺たちの陣営からは俺と桔梗さんの二人だけだ。話し合いの場にそれだけ多くの人はいらない。俺の身を守るだけなら、桔梗さんだけで十分だ。

 

 この話し合いの席には趙雲さんにも参加してもらった。勿論、形上は俺たちの捕虜という扱いになっているから、その身体には申し訳なかったが縄を巻かせてもらった――いつでも解けるように緩くではあるが。

 

「益州軍の君主、北郷一刀です」

 

「劉玄徳です。この度は話し合いの席を設けて頂いて感謝します」

 

 俺と劉備が向かい合うように座り、残りの者はその後ろに控えるように座った。

 

 俺は劉備を一目見た瞬間に悟ってしまった。

 

 ――この娘は王ではない。

 

 勿論、現代人で育ち、平凡な元高校生であった俺に、王とはかくあるべし、なんて概念は存在せず、どのような人物が王として相応しいかなんてことは分からない。

 

 しかし、俺はかつて二人の王――曹操さんと翡翠さんに出会っているのだ。その圧倒的なまでのオーラ、ありとあらゆる人民を平伏せさせる覇気は、本能的に彼女たちが王であることを感知させた。

 

 しかし、目の前にいる少女――劉備からは何も感じられなかった。どこにでもいそうな平凡な少女――麗羽さんの言葉を借りれば、善人そうな少女である。

 

 俺が密かに感じていた失望感は一層強くなっていた。俺が抱いていた劉備像とはここまでかけ離れていたとは予想だにしていなかったのだ。

 

 だがその一方で、ある一つの疑問が浮かんだ。どうして関羽や張飛がこの少女に魅かれたのか、そして趙雲さんは何故自身の危険を顧みずに、この少女のために俺の陣営に単身で乗り込むという行為をするまで、劉備に忠義を誓っているのか。

 

 俺はそこに興味を抱いた。趙雲さんは歴史通りの忠義に厚い将である。そんな彼女が劉備を認める訳を、この世界の劉備が如何なる人物であるかを自らの目で確認したかった。

 

 俺は趙雲さんにそっと目配せをした。それは俺が趙雲さんの願いを実行に移す合図である。

 

「北郷さん、まず、星ちゃんを――趙雲を解放して頂きませんか?」

 

 まず口を開いたのは劉備だった。

 

「別に趙雲さんを解放することに異存はありません」

 

「本当ですか!」

 

「ただし、これからする俺の質問に素直に答えることが条件です」

 

「……質問ですか? 分かりました。そんなことで良ければ私は構いません」

 

「では、早速。劉玄徳殿、あなたは本当に今でも話し合いで大陸を平和に出来ると思っているのですか?」

 

 笑顔で俺の条件を呑んだ劉備の表情が、その言葉を聞いて凍りついた。まさか俺がこんな質問を投げかけるなんて想像も出来ていなかったのだろう。思わぬ問いに言葉を失ってしまった。

 

「貴様ぁ! 桃香様の理想を侮辱するつもりか!」

 

 関羽が俺に向かって怒鳴り声を上げた。まるで今にも飛びかからんばかりに、青龍偃月刀を握る手に力が籠った。

 

「……動くな」

 

 俺は素早く刀を抜き、切先を趙雲さんに突き付けた。その行動に立ちあがろうとしていた関羽の動きがぴたりと止まる。

 

「関羽、勘違いをするな。俺は劉備殿と話しているのだ。それとも何か、お前は俺や劉備殿と同等の立場とでも言うつもりか?」

 

「私は……」

 

「そう。お前は劉備殿の一番の家臣であり、そして義妹である――」

 

 ――しかし。

 

 と、俺は続けた。

 

「お前は家臣であり仲間ではない。お前は義妹であり家族でない」

 

「な! それはどういう意味だ!」

 

 関羽はさすがに趙雲さんを人質にしている以上、動きはしなかったが、視線で俺を射殺せるのではないかと思えるほど、殺気の籠った強い瞳で俺を睨みつけた。

 

「そのままの意味だ。関羽、お前は劉備殿の理想を知っているだろう? 大陸を話し合いという平和的手段を以って平定する。だとするならば、何故お前は現在その話し合いの場において、武力行使をしようとしているのだ? お前のその行為そのものが、自身の義姉の理想を否定していることに何故気付かない?」

 

 俺の言葉に関羽がぎりっと歯噛みする。その怒りの矛先は俺に対するものなのか、それとも己に対するものなのか。

 

「極めつけは今回の出兵。益州が反乱で疲弊するときを狙うなど野盗の如き振舞い。劉備殿の掲げるものとは真逆の行為である」

 

 その言葉にはさすがに関羽も反論することは出来なかった。

 

「諸葛亮、鳳統、それはお前たちにも言える罪だ」

 

「はわわ!」

 

「あわわ!」

 

「劉備軍をその類稀なる智謀で支えるどころか、逆に劉備殿の理想を穢す行為を容認した。お前たちは関羽を殴ってでも、この出兵を止めるべきであった」

 

 俺の言葉に二人は激しく動揺する。自分たちが己の主のためを思ってした行為が、逆に主を否定していることを、敵である俺から告げられたのだから当然の反応だ。

 

「だが、一番罪深いのは劉備殿、あなただ。家臣の行動を諌めることなく、まるで被害者の如くに振舞う。曹孟徳の言葉があなたをどれだけ傷つけたのか、俺は知らない。だが、彼女らの主として、いや、もしもあなたが王と称するものならば、その行為は決して許されない――」

 

 俺は一瞬だけ溜めてから次の言葉を告げた。

 

「あなたは王なんかではない」

 

「…………っ!」

 

 劉備が息を呑んだ。既に俺の目を見ることも出来ず、俯くその表情には陰鬱とした影が現れていた。自分だけでなく、家臣まで完全に否定されながら、それにほとんど反論も出来ないのだ。

 

「劉備殿、あなたは誰よりも大きな器の持ち主だと思う。その器には関羽や張飛の武、諸葛亮や鳳統の智、あなたを慕う兵や民、全てを納められるほどの大きな器だ。しかし、彼女らを中に納め、本来ならば守るべき立場にあるあなたは、中身である彼女らに守られている。妹を守るべきたち姉が、妹に守られている。違いますか?」

 

「…………」

 

「自分の才能の使い方も分からず、守られてばかりいるあなたは彼女らに甘え、王と称しながら、その行為はまるでお姫様だ」

 

 劉備は自分の手元を見つめながら、ただ俺の言葉を聞いていた。

 

「今回の出兵もあなたには分かっていたはずだ。その行為は自分の理想に反しながらも、覇権を得るためには武力に頼らざるを得ないということが」

 

「…………」

 

「もう一度だけ問おう。劉玄徳殿、あなたは俺の言葉を聞いて尚、自分の理想が正しいと胸を張って主張できるか」

 

桔梗視点

 

 北郷の言葉に儂は唖然としていた。本来温厚なはずのこの男がここまで他人を否定するような言葉を発することが出来るなんて、正直なところ意外であった。

 

 趙雲とどのような会話が交わされたかまでは知らぬが、どうやら劉備のこれまでの経緯を詳しく聞いていたのであろう。でなければ、ここまで事細かく彼女らを非難することは出来まい。

 

 しかし、北郷の言葉を聞けば聞くほど、彼女らの行為が滑稽であることが分かった。劉備の噂は益州にはほとんど聞こえていなかった。民草より義勇軍を興し、その徳を以って成り上がった者程度の印象しかなかった。

 

 乱世を話し合いという穏便な手段で治める、それは確かに民ならば理想とも思えることなのかもしれない。兵士は民である。誰も戦に駆り出されることなんて望んではいない。もし、戦をせずとも平和な世が実現できるなんて聞けば、その者に追従しようと思うのかもしれない。

 

 しかし、乱世の実態を知る儂らからすれば、そんなもの理想というより幻想に過ぎない。そんなことを信じる者はもはや狂者の類と言っても過言ではないだろう。

 

「もう一度だけ問おう。劉玄徳殿、あなたは俺の言葉を聞いて尚、自分の理想が正しいと胸を張って主張できるか」

 

 北郷のその問いに劉備は答えることは出来なかった。おそらく本人にも分かっておるのであろう。それが事実であり、現実であるということが。しかし、その理想に縋らなくては、自己を保つことが出来ず、無理矢理にでもそれを信じ込んでいたのだ。

 

 まるで救えない。

 

 劉備も愚かだが、それを素直に信じているのか、あるいは知っているが主君に諫言出来なかったのか、どちらなのかは儂の与り知らぬところだが、劉備の許に集った人材も哀れとしか言えないものよ。

 

 北郷は確か劉備を益州に迎えても良いと言っておったが、この有様を見てしまえば、そうするわけにもいくまい。このような者を招き入れたところで、益州の繁栄はあり得ぬものよ。

 

「答えられなくば質問を変えよう。劉備殿、あなたは大陸において何を望む?」

 

「……私は、私を慕ってくれる将や民の皆さんのために平和な世の中を――」

 

「そんなことを聞いているのではない。それはその他の者の意志であり、あなたの意志ではない。それは志と呼べるものではない」

 

 その会話は正しくかつて北郷と西涼の地に訪れたときに、翡翠と交わしたものであった。北郷はかつての己を見ているのだ。他人に正義の理由を求める者が、志を持つ者からすれば、如何に浅はかであるのか分かる。

 

 翡翠と対峙し、己に覚悟を問い、それを乗り越えた北郷ならではの意見である。だがしかし、何故北郷は今になって劉備にそのようなことを尋ねているのだ。既に劉備の愚鈍さは分かったはずであろうものに。

 

「ですけど! 私は何も取り柄がないんです! 人のために役に立とうと思うことがそんなに悪いことですか!」

 

 劉備もとうとう感情的になってしまったのか、声を少し荒げながら北郷に反論した。

 

「人として誰かの役に立ちたいと思うのは悪いことではない。しかし、君主としてそれを掲げるのならば極めて甘い。だからあなたは曹孟徳に反論出来なかったのだ。彼女は王として自らの志を正義としているから」

 

「そ、そんな! 私はただ皆を助けたいんです! 皆が笑い合えるような、そんな明るい国にしたいんです!」

 

「ならば、自分で覚悟を決めよ。自分の意志で民を救いたいと、皆が笑い合えるような世の中にしたいと、己を理由に戦え」

 

「え?」

 

 北郷が劉備にそのようなことを話す理由が分からなかった。これでは本当に翡翠が北郷にしたように、劉備の覚悟を問うているようではないか。

 

「劉備、あなたは王ではない。しかし、あなたの中には王たる資格が秘められている」

 

「それは……?」

 

「あなたが劉備であるということだ。あなたは民草より義憤を持って立ちあがった。中山靖王劉勝の末裔として、あなたは誰よりも大きな器を有している」

 

 北郷が何を言おうとしているのか、全く予想も出来なかった。おそらく劉備も同様のようで、ただ北郷の語る言葉に耳を傾けている。

 

「そのあなたが益州を治め、こう称するとき、天下はあなたを初めて真の王者を認めるだろう――漢中王と」

 

 ――漢中王。

 

 その言葉に身体中に電撃のような衝撃が駆けた。

 

 こやつは自分で言っていることを理解しているのか。その言葉が我々にとってどのような意味があるのかを、どれだけの重みがあるのかを。

 

「漢王朝の創設者にして、絶対的王者である高祖、民は正しくあなたと高祖を重ね合わせるであろう」

 

 馬鹿な……。そんな発想を誰が出来るというのだ。高祖は我々にとって英雄なんて言葉で語り尽くせぬほどの存在――誰もが心に描く王の体現者である。その存在にこの娘がなれると言うのか。

 

 いや、実際、この娘がそれ程の器でなかろうと、民はその名に畏怖の念を覚えざるを得ない。そして、この乱世――曹孟徳が覇王と称し、孫伯符が小覇王と呼ばれる現在、漢中王の名は誰もがそれを心に思うであろう。

 

「劉備殿、あなたにこの名を名乗る覚悟はあるか。そうなればあなたは守られることも甘えることも許されない。自分の手がいくら血に染まろうとも、歩みを止めることは出来ない。今まで通りの人生を全て捨て去らねば、この名を称することは許されないのだ」

 

 北郷の言う通りだ。劉姓であれば、誰でも自称出来るようなものなんかではない。誰もがその所作を監視し、妥協も逃げも許されない。正に自分で退路を断つようなものだ。それだけの覚悟が出来る者なんて、そうそういるものではない。

 

 北郷の目は真剣そのものだった。戯言ではなく、劉備に王としての覚悟を試しているのだ。どこまでも儂の予想を越える男だよ、お前は。誰がそんなことを想像出来たと言うのだ。

 

 全身を震えが巡っていた。その震えは北郷に対して、もはや恐怖すら感じているのだろう。平然と劉備に対してそんなことが訊けるなんて正気の沙汰とは思えんわ。

 

星視点

 

 北郷殿と初めて会った瞬間――彼が見せる笑顔は桃香様を髣髴とさせた。彼は桃香様に似ているのだ。何故かは分からないが、自然と彼に魅せられてしまう。彼もまた天然の人たらしといったところか。

 

 天の御遣い――彼はその名に恥じぬ人物のようで安心した。故に私は彼に桃香様のことを任せようと決めたのだ。桃香様を救うため、私に残された最後の手段を用いようと決心したのだ。

 

 私が北郷殿に頼んだこととは、桃香様を――いや、桃香様の理想も、その理想に与する者全てを否定して欲しいということだった。徹底的に、何の容赦も寛容も見せずに、正面から完全に否定して欲しい。

 

 ――桃香様の抱くその幻想を壊して欲しい。

 

 人は真に窮地に追い込まれたときにこそ、その本性を露わにする。その感情こそ己の器であり、それを初めて自覚できるのだ。勿論、そんなことをせずとも、自らの器を量れる人物はいるであろうが、桃香様にはこのような荒療治が必要なのだ。

 

 私は臣下として失格だ。このような状態になるまで、桃香様のことを諌めることが出来ず、今になって敵方の大将に己の主を否定してもらうことで、救済しようとするなど、決して許されることではない。

 

 この戦がどのような決着を見せるにしろ、私はもう桃香様の許にはいられない。いてはならないのだ。いや、もしも北郷殿でも桃香様を目覚めさせることが出来なかったならば、己の死を以って、桃香様に示さなくてはならないであろう。

 

 それが私の主への忠である。己の主君と定めた御仁への奉公である。

 

 私は北郷殿から語られる我が陣営の欠点を無言で聞いていた。己の主君を貶されながらも、誰一人として――私も含めて――反論出来ない。愛紗辺りは、おそらくその事実に気付けないでいたであろうが、私や雛里は気付いていた。

 

 気付いていたが故の重罪なのだ。それを止められず放置するなど、家臣として有るまじき行為――背信行為にすら等しい行いなのだ。

 

 愛紗は誇り高い武人であった。武侠の者として弱きを助け、強きを挫くその生き様は、同じ武人として尊敬に値する。しかしその誇り高さは、己以外の意見を撥ねつける。悪く言えば、驕りに繋がる――愛紗の場合は狂信、狭心といったところだろう。

 

 桃香様を絶対的であると信じ込み、それ以外の思考を排除してしまっている。それさえなければ、桃香様を支える本当の家族になれたであろう。

 

 ――お前は家臣であり仲間ではない。お前は義妹であり家族でない。

 

 北郷殿のこの言葉は正にそれを示しているのだ。桃香様には頼れる家臣が、頼れる義妹がいる。理想に共感してくれる多くの者がいる。しかし、決定的に足りない存在がいた。

 

 理想を語れる友である。

 

 桃香様は孤独であった。己の理想を掲げ、それを否定されたとき、あの御方はただ自分の理想に縋りついた。そうすることでしか、自分と私たち臣下との関係を保つことが出来ないのだと思ったのだろう。

 

 私は情けない。そんなことにも気付けず、桃香様に忠義を尽くしていたと思い込んでいたとは。あの御方に必要だったのは、頼れる臣下ではなく、信じられる仲間であったのだ。

 

 きっと、そのことに気付いてくれれば、愛紗たちは桃香様を本当の意味で支えられる仲間であり、本当の家族になれる。そのために北郷殿には申し訳なかったが、今回このようなことをお願いしたのだ。

 

 桃香様ならこの不毛な戦いを止めて下さる。兵さえ退いてしまえば、荊州でもどこでもいくらでもやり直せる。既に時は遅いのかもしれないが、私たちはまた最初から始めれば良いのだ。

 

 桃香様が真の優しい王になれるように。今度は皆が――将も、兵も、民も、桃香様の許に集う全ての人間が家族になれるような、そんな国を目指して。

 

 しかし、私の思惑とは別に、北郷殿は会話を続けた。本当ならば既に約定は果たしたことになっている。それにも関わらず、北郷殿は桃香様に詰問しているのだ。桃香様の覚悟を確かめるように。

 

「ならば、自分で覚悟を決めよ。自分の意志で民を救いたいと、皆が笑い合えるような世の中にしたいと、己を理由に戦え」

 

 そうか。

 

 その瞬間、私は北郷殿を見誤っていたことに気付いた。北郷殿は天の御遣いという名に恥じない人物どころか、それ以上の人物であることに。今、北郷殿が桃香様に語っていることこそ、まさに天からの導きである。

 

 北郷殿は桃香様を正しい道へと誘ってくれているのだ。桃香様が王として、万民の頂点に立つべき人物として相応しい人物かどうか、桃香様自身に問いかけているのだ。

 

「そのあなたが益州を治め、こう称するとき、天下はあなたを初めて真の王者を認めるだろう――漢中王と」

 

 思わず声を上げそうになってしまった。その言葉に、その想いに、その真意に、身体全身が粟立った。その言葉は、受け入れる人物以上に、そんなことを口にする人物の方が真価を試される。

 

 愚者がそんなことを口にすれば――おそらく発想すら出来ないとは思うが、それは人の哄笑の的になるだろう。しかし、北郷殿から紡がれた言葉は、この場にいる全員の心を射抜いた。

 

 誰もが唖然として、開いた口が閉じない有様である。驚愕に打ち震え、意味を理解出来ず、ただ北郷殿の顔を凝視することしか出来なかった。

 

「劉備殿、あなたにこの名を名乗る覚悟はあるか。そうなればあなたは守られることも甘えることも許されない。自分の手がいくら血に染まろうとも、歩みを止めることは出来ない。今まで通りの人生を全て捨て去らねば、この名を称することは許されないのだ」

 

 その言葉で、先ほどの北郷殿の真意を汲み取ったのだろう。その名を名乗る覚悟に、その名に恥じない人物に、その名が示す畏怖に――それは決して凡人では届かないものなのだから。

 

 しかし、その言葉に最初に反応したのは桃香様であった。桃香様の瞳が一瞬煌々と輝いたのだ。桃香様はそこで改めて北郷殿の瞳をじっと凝視した。

 

 そして、言ったのだ。

 

「……あります」

 

一刀視点

 

 我ながら悪役の如くに、こんな少女を非難するのは誉められたことではないと思ったが、実際に彼女に向けた言葉は勿論本意である。俺は劉備に失望し、そして怒りすら覚えた。

 

 しかしそれと同時に、俺は劉備とかつての俺を投影させていたのだ。己の無能さを嘆くばかりで、他人を理由に志としていた頃の自分。だからこそ、俺は翡翠さんの言葉を借りたのだと思う。

 

 翡翠さんがかつて俺に天の御遣いとしての覚悟を試したように、俺は劉備に王としての覚悟を試しているのだ。

 

 それも唯の王ではない。

 

 大陸に住まうあらゆる民の中に――農民も、商人も、兵士も、将も、そして王でさえも、その中に屹立している、絶対的な王としての姿。俺は劉備にそれを名乗る覚悟があるのかと尋ねた。

 

 俺は劉備に賭けてみたくなったのだ。

 

 そもそも、俺が彼女を翡翠さんや曹操さんと比べることに何の意味なんてなかった。彼女たちは孤高の王だ。誰の力を借りずとも、誰にも頼ることなく、その器に詰まった才気を如何なく発揮する。彼女らには本来友を必要としない。

 

 だが劉備は違う。彼女には大きな器しかないのだ。その中には最初は何も入っていない。その中が仲間という才能で溢れたとき、家族や友を得たとき、初めて王として輝くのだ。

 

 曹孟徳が天に愛された人物なら――天は彼女に二物どころか、万物を与えているのなら、劉備は人に愛された人物なのだ。

 

 曹孟徳の覇気は万人に畏怖の念を植え付ける。それは彼女を絶対的王者であると認識させ、そのカリスマ性はおそらく彼女と一言でも言葉を交わせば、人は歓喜に泣いてしまうだろう。

 

 劉玄徳に覇気はない。しかし、彼女は常に民の真上に存在しているのだ。民は彼女の存在に親近感を覚え、そして自然に彼女を守ろう、彼女のために力を尽くそうと思わせる。その人気こそ、彼女を王たらんとさせる。

 

 どちらが正しいなんて俺には分からないし、判断の仕様もない。ただどちらも民にとっては同じ王なのだ。

 

 ――そのあなたが益州を治め、こう称するとき、天下はあなたを初めて真の王者を認めるだろう――漢中王と。

 

 俺が劉備にそのことを告げたのは彼女に王としての覚悟を問うためであるのと同時に、あの覇王曹孟徳と対等に争うためには不可欠な名であったからだ。

 

 曹孟徳が天を味方にして戦うのならば、劉玄徳は人を味方にして対抗する。

 

 さすがの劉備もこの言葉は予想もしていなかっただろう。今まであそこまで完膚無きに否定していたのだ。だが、その状態であるからこそ、彼女は己にその覚悟があるか否かを確かめることが出来る。

 

 己が非力であり、一人では何も出来ない存在と認めながらも、己の夢に命を懸けられるか、全てを投げ捨てても、やり直す覚悟があるのか、それは全てを失おうとしている今しか出来ないことだ。

 

 今が劉備にとって最大の岐路なのだ。

 

「……あります」

 

 劉備は静かに答えた。その瞳には確固たる覚悟が見て取れた。その一言には己の命を懸けた劉備自身の志が根付いていた。

 

 俺は唇を歪めてしまった。

 

 劉備は自らの手で選択したのだ。それが修羅道であることを承知で、これまで自分が掲げた理想を捨ててまでも――それによって民が失望する可能性も受け入れて、劉備はその名を掴もうとしているのだ。

 

 そこには善人そうな少女ではなく、紛れもなく王としての覚悟を表した、一人の人間がいた。

 

「……そうか」

 

 劉備は確かに今、正しく王になろうと決意した。俺と同じく、やっとスタートラインに立とうしているのだ。その覚悟を俺はしっかり認めることが出来た。

 

「劉備、ならばあなたはこれまでの罪を贖ってもらわねばならない」

 

「え?」

 

 劉備がこれまでに犯した罪が帳消しになるのではない。劉備が本当にその覚悟があるのかどうか、その行動を以って示してもらわないといけないのだ。

 

「これまで支えた家臣を、これまで慕った民を裏切る罪は重い。あなたはその罪を背負う覚悟はあるか?」

 

「あります」

 

 今度は即答だった。劉玄徳、俺は天の御遣いとして――民を治める一人の君主として、その生き様を見せてもらう。

 

「ならば、劉備、お前が率いた劉表軍の兵士、彼らを皆殺しにしろ」

 

あとがき

 

 第四十一話の投稿です。

 言い訳のコーナーです。

 

 今回は難産なんてレベルじゃありませんでした。書けば書くほど、何を書いているのか分からなくなり、心が何度も折れそうになりました。

 

 今回はまさに「そげぶ回」。一刀くんが劉備を徹底的に否定しました。彼がこれまでどんな人物から影響を受けていたのかを考えれば、そうなるのも自明の理というもの。

 

 構成としては、それから劉備軍を壊滅させて~みたいなアンチ桃香話もあったのですが、今回は桃香と一刀くんが出会うと言うことから、その流れにはしませんでした。

 

 皆さんも分かると思いますが、桃香は一刀くんがいなければ、どうしようもありません。蜀√以外の桃香はかなり酷い行為をしています。

 

 作者はそれを「一刀がいなければ王に非ず」と解釈してみました。桃香はもともと一刀なしでは王にはなれず、一刀くんの台詞を借りれば「お姫様」に過ぎないということです。

 

 そして、一刀くんの言葉に、桃香が王として覚悟を決めるのが今回の話。おそらく、皆様の中には一刀くんと出会って、桃香が覚醒するくらいの予想はあったと思いましたので、作者の無い腕を披露するには、どう覚醒させるかということに。

 

 某作品を参考にしながら、このような形になりました。漢中王と覇王、その組み合わせならば納得してもらえるのでは、安易に思ってしまった次第です。

 

 しかし、いくら桃香が王としての覚悟を決めようと、口でなら何とでも言える、これまでの未熟さが許される訳ではない。故に一刀くんは最後にあの台詞を言ったわけですね。

 

 その真意は次回で明らかにしたいと思います。

 

 次回はその桃香の覚悟が試される回。かっこいい桃香を描写するつもりです。

 

 それから、愛紗に関して、少しばかり酷い描写もあったのではと思っております。愛紗に関する話も今後描写したいなと。

 

 今回は作者にとっては勝負の回であったわけで、皆様の期待を裏切っているのでは、と毎日のように震えています。

 

 この物語は作者の妄想を駄文に載せているだけですので、寛大な心持で御覧になっていただけると幸いです。

 

 相も変わらず駄作ですが、楽しんでくれた方は支援、あるいはコメントをして下さると幸いです。

 

 誰か一人でも面白いと思ってくれたら嬉しいです

 


 
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