春の終わる足音
「神威。今度どっか行く時はちゃんといいなさいよ」
屋上でそよそよとなびくピンク色の触角に、声をかける。
私に気づくと、彼はにっこりと笑った。
「よく見つけたねぇ。あ、これご褒美。丁度ヒモ切れちゃったんだよね」
差し出された物は小さな民芸もののストラップ。表面には垢がつき、所々がボロボロになっていた。
私の記憶によると、それは彼の携帯電話に昨日までついていたものだ。故郷の物だと、ずっと前に彼が言った言葉を思い出した。
「いらないわよ。汚いし、欲しくない」
「そぅ?」
あっさりと彼は差し出した手を引っ込める。そしてストラップを学ランのポケットにしまった。くれる気はあまりないようだ。
携帯電話を開いて時間を確認した。チャイムが鳴るまであと三分。教室に行くまでは五分かかる。遅刻厳禁の先生だから、今から行っても無駄だろう。
減点と欠課そして単位。計りにかけてからサボる事を選択した。
スカートの裾を押さえながら、彼の横に腰掛ける。日陰の為か地面が冷たい。マフラーを持ってくればよかったと、内心後悔した。
こんな事になったのも、コイツのせいだ。全ての原因の発端となったコイツをジロリと睨みつけた。
「なぁに、怖い顔して」
「あんた……単位ギリギリの癖によくさぼれるわね。もう留年できないくせに、ありえないわよ」
「えー何でぇ?もう一回三年生やり直せばいいじゃんか」
「日本は一学年につき一年しか留年できない決まりなの。だから最高六年までしかいられないわよ。あんた今その崖っぷち六年生じゃない」
そう言うと彼は興味がなさそうに「ふーん」と言った。何時もよりワントーン低めで、何時もより興味なさそうな声だった。
留学生で、この学校始まって以来の留年数を誇る彼は、自身の学生服姿をみてため息をついた。
「あーぁ残念だなぁ。俺、学生服好きなのに」
「二十一歳でその台詞ってヤバいわよ?中二病の最終形態みたい」
「酷いなぁってゆーか、今授業中でしょ?何サボってんの?」
「クラスで進路希望出してないのアンタだけなの。だから見つけ次第書かせろって言われて、探してたらチャイムなっちゃったのよ」
彼に紙を投げつけた。紙は覇気もなく彼の手のひらにおさまる。
「こんなものとっとと書きなさいよ」
「うわー。面倒くさいなぁ」
神威は紙を地面に置くと、丁寧に皺を伸ばし始める。皺はしつこくて、神威は何度もそれを繰り返した。
ピンク色の後頭部が目の前に広がった。こうすると、旋毛までよく見える。ひらひらと触覚が左右に揺れるのをぼぉっと眺めた。
妹よりも色が濃くて、少し人工的な彼の髪の毛。そう言ったら、実は染めているのだと笑っていった。本当は真っ黒な髪をしているらしい。
妹が髪の色のせいで虐められた事があるらしく、成り行きで染めたのだと話してくれた。桜の色よりも濃くて、目に焼きつくこの色が、私は好きだった。
「ねぇ沖田ちゃんは大学何処いくの?」
その体勢のまま彼が聞いてくる。私はちょっと考えて、自分が記入した内容を思い出す。
「ちょっと頑張るなら天地大学。でも面倒だし女子大の指定校とるかも」
体育座りがきつくなって壁に寄りかかった。背中が白くなるだろうが、この際どうだっていい。進路の事を考えると、かなり憂鬱になる。
神威は手を止めてこちらを向いた。そして眉を寄せる。
「女子大は潜りにくい気がするね」
「まぁ、確実に警備員に止められるわね」
「うーん、じゃぁ俺が大学の教師になればいいのか」
「それまでには私卒業してるし」
「留年すればいいじゃん」
「い・や・よ」
「じゃぁ、沖田ちゃんが卒業するまでに偉大な人になって、特別講師として呼んでもらおう。ねぇ?」
私の顔を彼が下からのぞき込みながら訊ねてくる。
冗談だか本気だか、よくわからない声。彼ならきっとその気になれば何でも出来てしまうだろう。でも多分きっと、いや絶対に冗談だ。大丈夫、私はちゃんとわかっている。
「何か、アンタと居るとつかれる」
「何でー?俺はこんなに楽しいのに」
「私は楽しくないわよ」
神威はケタケタと笑う。
つまらないと言っているのに、気にせずにその後も言葉を紡いでいった。次々と、冗談じみた案を恥ずかし気もなく口にしていく。
本当に嫌になってきて、膝に顔を沈めた。
「どうしたの沖田ちゃん。気持ち悪い?」
「違う、けど」
「けどなぁに?」
「ねぇ、卒業したらやっぱり帰るの?」
「今までずっと此処にいる前提で話してたじゃん」
「そんな胡散臭い話、信じられるわけないじゃない。ねぇ、本当はどうするつもりなの?」
「さぁ、どうだと思う?」
神威はヘラッと柔和に笑う。裏も表も、彼自身の心もない笑み。風が吹けばとんで行ってしまうほど、影のない笑いだった。こころが此処にないから、きっとそんな顔が出来るのだろう。
彼はポケットからストラップを取り出した。赤いストラップは、影の中で淡く色を失っていた。
また「いる?」聞かれるのかと思ったら、今度は何も言われなかった。
ストラップは故郷に帰る時くれると約束してくれた。
故郷に帰れば何時でも手に入る物だけど、まだ帰る予定ないから。だから、帰る事になったらあげるよ。 そう彼と約束した。だからこれをもらった時こそ、本当の別れなんだとずっと覚悟していた。
それは昨日まで彼の携帯についていて、今は彼の手の中にある。
屋上の肌寒い風が、顔をすり抜けた。向きも変えず、私なんてもろともしないで突き抜ける。
「ねぇ、今度どっか行く時はちゃんといいなさいよ」
私は彼に言う。
彼は曖昧に笑う。こたえてはくれなかった。
ピンク色の髪がひらひらと風に舞った。
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支部から。神威←初期沖田。学パラ。捏造激しいです。