幻想郷と呼ばれる場所が、この世界にはあった。
人々から否定され、忘れ去られ、幻想の存在となってしまった存在が、その存在を確立できる幻想達の理想郷。それが幻想郷である。
故に、幻想郷は全てを受け入れる。それはそれは優しくて残酷な話しである。
「かったるいわー」
境内の掃除中、唐突に箒で掃除をしていた巫女さんはその動きを止め、空をボーッと眺めだした。
彼女の名前は博麗霊夢。幻想郷の東の端にある、幻想郷であって幻想郷ではない場所に建てられた博麗神社に住む、紅白で肩の部分が露出している巫女服が特徴的な、楽園の素敵な巫女さんである。
今日は宴会をやると唐突に友人である霧雨魔理沙が宣言したため、彼女は掃除をしていたのだが、箒で集めた落ち葉が風に飛ばされてしまったり、目を離した間に何故か新たなゴミが散乱したりで、やる気がすっかり削がれてしまたのだ。
「……おかしい、コレは絶対におかしい。一度や二度ならまだ納得も行くけど、流石に三度も続けば誰かの仕業に決まっているわ。姿を隠して楽しんでいる奴がどこかに居るはず……」
霊夢はブツブツと呟きながら、辺りを見回す。見つけたら取っちめてやるんだと意気込み、犯人を探す。
ガサッと、後ろの木から音がするのが聞こえた。そう言えば、魔理沙に懐いている悪戯好きな妖精たちが居たなと思い出す。その妖精達は、確か姿と音を消すことが出来たはずだ。
「……ふふふ、そうだったの。貴方達だったのね」
逃げられる前に捕まえてお仕置きしてやろう。ついでに罰として掃除とお茶汲みと買出しをさせてやろう。そう決めてお札を取り出した。
「ん?」
件の木を睨んでいると、予想していたのとは違うものが見えてきた。それは最初はうっすらと漂う疎らな霧だったが、少しずつ萃まってゆき、霧からその姿を変えて目の前に顕れた。
音が鳴った木の方から。
「やっほー」
そこに居たのは、霊夢もよく見知った者。容姿は幼子のように小さいが、頭から生える二本の角は、粉うこと無き人外の証。頭と左の角に赤と紫のリボンを結び、三つの鎖をその身に結んでいる。密と疎を操る程度の能力を持つ幻想郷の酒呑童子、伊吹萃香である。
「どうしたんだい?なんか怖い顔してるけどー?」
いつも通りに酔っ払った態度で霊夢に絡む。萃香としては、普段の様に掃除をサボっている霊夢に話しかけたつもりだったのだが、間が悪かった。
霊夢は顔を伏せ、プルプルと震えている。理由がわからずクエスチョンマークを頭を浮かべ、変だと思って霊夢の顔を除く萃香。
と
「……ぅアンタの仕業かー!!」
「ウボァー!!」
萃香の顔面に霊夢の昇天脚がクリーンヒットし、訳がわからぬまま萃香は吹っ飛ばされるハメになった。
この時、件の木から妖精が3体ほど音を立てて逃げ出したのだが、霊夢が気付くことは無かった。
「ほーら、キリキリ働きなさい!!」
「だーかーらー、私じゃないって言ってるだろ!?鬼嘘つかない!!」
「煩い!!もう一発食らわすわよ!?」
「ううう、理不尽だぁ……」
霊夢に濡れ衣を着せられた萃香は、弁明の余地なく神社の掃除をやらされている。逆らおうものなら、鬼の形相で睨んでくるため、泣く泣く掃除をしている。
因みに、彼女の能力を使えば、掃除なんて一瞬で終わるのだが、霊夢に『私が味わった苦しみをアンタも味わいなさい!!』という理屈で、能力を行使することを禁じられ、箒で掃除する羽目になっている。
「まったく、どうして私がこんな事を……これでも昔は妖怪の山にその人ありと言われた鬼の四天王の一人なんだぞ、妖怪だけど」
愚痴愚痴と呟きながら、竹箒を使って境内を掃く萃香。
そう、昔では到底あり得ないことである。妖怪の山に他の鬼達と暮していた頃、人間と力比べをして過ごしていた頃。鬼に逆らう者は人妖共にいなかった。自分をからかったり殴ったりするのなんて、同じ鬼か天狗の長しかいなかったのだ。
それが、今ではどうだろうか。
「幻想郷は、変わったなぁ……」
呟き、空を見上げる。空は青く澄んでおり、小さな雲達がその形を少しずつ変えながら彷徨っていた。耳を澄ませば、小鳥達が小さく囁いて、仲睦まじく飛んでいた。
森や動物を焦がす紅蓮の炎が見えない、自衛の為に妖怪と闘う準備をする人間がいない、飛び交う血の臭いがしない、人間達の恐怖の叫びが聞こえない、争いで大地が削れる音がしない。
平和だけが見える。あの日の光景は、瞼の裏にしか映らない。
「なーにをボーッとしてるのよアンタは」
背後からの突然の呼びかけで、意識が戻る。振り返ると、霊夢が頭をポリポリと掻きながら母屋の方を指さした。
「もう終わったでしょ?淹れたげたからお茶でも飲んでいきなさいな」
それだけ言うと、萃香に背を向けて母屋に戻っていった。
その背には、鬼に対する用心や恐怖心は一切なく、家族や友人に対する信頼に似た感情しか、感じ取れなかった。
「ん~……労働の後に飲むお茶は美味しいわねぇ」
「私にばっかりやらせて、霊夢は殆どサボっていたじゃないか」
「自業自得。あんまりしつこいと、今度は天覇風神脚食らわせるわよ」
「濡れ衣だって言ってるのにぃ……うう」
母屋に戻った二人は、縁側に腰を下ろして一服していた。霊夢は先日香霖堂から頂いてきた上等な日本茶を、萃香は自前の伊吹瓢で酒を飲んでいた。
麗らかな日差しを浴びながら、巫女と鬼は肩を並べて息をついた。
「……それで、何があったの?」
「ふぇ?何が?」
唐突に、今まで黙ってお茶を飲んでいた霊夢が萃香に問いかけた。突然の事で何のことだかわからない萃香は驚き、霊夢の顔を見た。
霊夢は何事もなかったようにお茶を飲みながら、再び口を開いた。
「さっきから様子がおかしいじゃないあなた。掃除の途中から上の空になるし、いつもの様な騒がしさもない。あまつさえ人に酒を勧めてこないときたもの。おかしくないわけがないじゃないの」
言い切り、お茶を飲む。萃香を見ると、鳩が豆鉄砲を喰らった顔をして、ポカーンとしている。
霊夢にはわからなかった。萃香がどうしてこんなにも驚いているのかを。
萃香にはわからなかった。霊夢がどうしてこんなにも気に掛けているのを。
「は、ははは……」
少しして、萃香から笑い声が出た。しかし、その顔は笑ってはおらず、何かを思い悩んでいるような、憂いを含めた表情をしていた。
「霊夢、少し昔話をしてもいいかな?」
「……別に、構わないわよ」
ありがとうと呟き、萃香は空を見ながら話し始めた。
「霊夢も知っているとは思うけど、昔は地上にも鬼が沢山住み着いていたんだ。時に人と語り、時に人を攫いその力を比べ……私達は共存が出来ていたんだ。
……でも、それは違った。共存していたと思っていたのは私達鬼だけで、人間の方はそんな事は思ってなんかいなかったんだよ。
何時襲わられるのか、何時食われるのか、何時滅ばされてしまうのか……毎日怯えながら暮らし、何時しか私達が嫌うモノを武器に取り、鬼退治を始めたんだ」
―――鬼は嘘を嫌う
それを知った人間達は、知恵を絞り謀略を立て、鬼を陥れて退治していく。
朝まで飲み明かそうと油断させて酔いつぶれた所を殺したり、素晴らしい酒が手に入ったと毒を飲ませて殺したり、弱点を調べて利用して殺したり……いずれ、鬼は人間を嫌うようになっていった。
「化物、人攫い、疫病神……色々と言われたよ。嫌われ者になった私達は、そのまま地底で過ごす事になった」
ブラブラと足を振り、酒を煽りながら話しを進める。何でも無い事様に話すが、その顔は普段は見せることがない、明るい感情が抜け落ちた顔をしていた。
「でも、地底の生活は酷く退屈でねぇ。便利な能力があったから、こっそりと地上に出てみたんだよ」
自分の腕を霧状にしてみせた。密と疎を操る程度の能力を持つ萃香は、自分の体の密度を操り、霧状に変化して移動することが出来る。
そうして地上へ出て、時を経て変化を迎えた幻想郷の様子を見たのだった。
「驚いたよ、妖怪と人間が当たり前のように共存していて、みんな笑って過ごしているんだ。
何かいざこざがあってもスペルカードによる決闘で終了、羽目を外す輩は博麗の巫女が正妻を下して終わり。人も妖怪も、誰も死なずに共存しているんだ」
それはいつか夢見ていた世界。人と鬼が互いを認めて仲良く暮らしている。
肩を組み合い、盃を交わし、力試しをし、笑いあって暮らしている。
地底に行く前、思い描いていた理想の世界が、そこにはあった。
見るだけだと満足だと思っていたのだが、気付けば異変を起こし、友人である賢者に、天敵であるはずの巫女にも存在を認められて、世界の仲間入りを果たした。
「そんなんだからね、さっきは昔を思い出して驚いちゃったんだ。妖怪の山で四天王と恐れられ、人間から畏怖の目で見られていた存在だった私が、今ではこうして退魔の権化である巫女と一緒に一息入れちゃってるんだから。
それと同時にね、少し怖がっていたんだよ。今はこうして笑っていられるけど、また何時の日にか裏切られ、嫌われ、迫害されてしまうんじゃないかなって」
ハハハッ、と自嘲気味に笑った後、何処か遠くを見ながら酒を煽った。
「……萃香」
話しを聞き、何かを思ったのか。霊夢は少し影を落とした影を浮かべながら、萃香に向かってそっと手を差し伸べる。
そして……
「ふぅん!」
「ひでぶっ!」
強力なデコピンをお見舞いした。
「へ?え??な、何で???」
「アンタの辛気臭い身の上話なんて、あたしにとっちゃどうでもいいのよ」
不当な扱いをされた理由が分からず、頭の上にいくつも疑問符を浮かべる萃香。
霊夢はそんな萃香を見て、そんな事にはさらさら興味がないと鼻を鳴らしながら、先程掃除を済ませた、境内でも広い場所へ歩を進めた。
「そんな事より、今日は魔理沙の奴が突然宴会をやるとか言い出したのよ。私は準備なんてやりたくないから、貴方が全部やりなさい」
「んな!?何だよその理不尽な要求は!境内の掃除したんだから、もういいだろう!?」
相も変わらぬ霊夢の無茶苦茶な要望を聞いて、少しいきり立つ萃香。その萃香を見て、霊夢はしてやったりと言わんばかりに顔を歪めた。
「そう、私の言うことが……この博麗の巫女の言うことが聞けないと言うのね?」
「当たりま……」
「いいわ、ならば私と貴方、巫女と鬼、どちらの主張が正しいのか、スペルカードルールに則り、力比べといきましょう!」
「……え?」
またも、霊夢の突然の申し出に意表をつかれ、ポカンとした顔に成る。
霊夢はそんな萃香を可笑しそうに笑い、言葉を紡ぐ
「さあ、いらっしゃい。人と鬼の、幾年ぶりの力比べよ」
「霊……むぅ
……へ、へへへ」
グシグシと顔を擦り、目の前の人を睨みつけながら、鬼は飛び出した。
「後悔するなよ!人の子よ!!」
「それで、一体何があったんだよ」
「何がって、何が?」
「そりゃあ、これに決まっているだろ」
宴会の席、黒い服に白のエプロンドレスを見にまとった人間の魔法使い、霧雨魔理沙は境内の一部をアゴで差した。
彼女が博麗神社に着いた時には、何故か境内がボロボロ、地面はエグレ岩は散らばり焼け焦げた後まであり、その中心で霊夢と萃香が眠るように倒れていたのだ。
なかなか二人が起きなかったため、仕方がなく二人を担いで母屋に移し、魔法で軽く片付けて宴会の準備をした。
宴会の途中、気になって様子を見に行ったら二人の姿はなく、気付けば宴会の中にごく自然に混じっていた。
「別になにも。いつも通り、幻想郷らしい日々が起こったってだけよ」
「……へえ、いつも通り、ねえ」
その回答に納得がせず、適当な相槌をしながら手元の酒を煽った。
普段の二人ならば、こうはならない。大概は文句を言いながら萃香が霊夢に従うし、弾幕勝負に発展しても、境内を汚したくない霊夢は手加減をしたり、神社の外で勝負をする。
今回は、そのどちらでもない。霊夢と萃香が、珍しく全力で暴れ尽くした。そんな後だった。
「まあ、それならそれでいっか」
折角の宴会で、悩んでいてもしょうが無い。そう結論づけ、魔理沙はその場を離れ、喧騒の中に向かっていった。
魔理沙の行く先を目で追い、宴会の中心を見る。そこには、人間や妖精に妖怪と神、多種多様な種族が集まって盃を交わしている。
その中には、勿論萃香も入っている。
人に酒を断られ、神に呑みっぷりを褒められ、妖精をからかい、妖怪と競いあって呑む。そんな楽しそうな姿があった。
「……幻想郷は全てを受け入れる」
それはそれは優しくて残酷な話しである。
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霊夢と萃香のお話です