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「セミ、うるさいね」
シンジの言葉に一瞬だけ顔をあげたアスカは窓の外を見るその両の目が自分を見ていないのを確認して、なにも返さずにまた机に突っ伏した。暗くなった視界の中で、左目が違和感に震える。
早く来ないかしら、ミサト。
テーブルの下でふらふらと足をぶらつかせて、自分たちを呼んだ当人の到着が十分は遅れている現状に焦れる。シンジと二人きりになったのは久しぶりで、別に気を使うような相手でもないとわかっているのにアスカはどう行動していいのかわからないでいた。
サードインパクトの後、ぽつりぽつりと帰ってきた人々は以前と変わらぬ生活を送ろうと躍起になった。もちろんネルフも解体されず、依然存在している。ただ、総司令官であった碇ゲンドウを抜かして。
望まない限り固体を持つことができない世界だ。それをゲンドウが望んでいないのは彼の生前の行動からも明白だった。ぽっかりと空いたその席には冬月が持ち上がる形で埋まり、ネルフは形を保っている。
日々少しずつ戻ってくる人々はジオフロントの残る第三新東京市から離れた主要都市、第二新東京市に落ち着き、機能しない政府に参りながらもなんとか生活を送っていた。不幸中の幸いは人類補完計画によって人間以外の生物が死滅しなかったことだろう。
シンジとアスカ、そしてレイはまだ一応ネルフ関係者として、エヴァパイロットとして扱われているがこの先エヴァに乗ることがないのは明白だった。そもそもネルフが解体されないのも名目としてはエヴァの管理およびそれに伴う被害を未然に防ぐことだ。日本政府としてはエヴァの破棄を望んでいる声も少なくない現状、下手に動かすのは得策じゃない。
実際もうすでに乗らないといえど、おいそれと元の生活にパイロットを戻すことができないのが大きくなりすぎた機関ゆえだ。以前とは違いネルフ内の居住区に住まいが移されているのもその所為だろう。むしろこの待遇はエヴァパイロットの監視というよりは保護のそれに近い。
先のサードインパクトで大ダメージを受けたのはどこの国も一緒だが、実際に多くの被害を出したのは日本だ。そしていつでもどの国でも資金は入用で、軍事はあるのが当然だった。ただでさえ弱っている日本政府だ、資金援助は喉から手が出るほど欲しい。その交換条件としてマギのプログラムを欲しがる国は少なくない。実質ネルフの中心であるマギ。それがなければ起動しないといっても過言ではない。
軍事力、力というものはいくら手にしていても不安なものでマギ、エヴァ、使徒がいる限り手を出せなった日本もといネルフ機関に対し、使徒がいなくなった今、他国は早急にことを進めようとしていた。
支配下においてしまえば日本の軍事も資金も自らの手の内になる。その第一歩としてマギはこれ以上ないものだった。
実際日本政府内にも多額の資金援助の変わりにマギを渡したらどうだという声もあがっている。しかし彼らはその先のことにまで頭は回っていないのだ。目先の金がいかに大切かをこつこつとネルフ関係者に説いたところで首を縦に振るものはいないだろう。
そのことも影響してか日本政府とネルフの関係は以前にも増して険悪なものとなった。サードインパクトの名残をどうにかするという名目がなければ今頃機関がなくなっていてもおかしくないのだ。
そんな中、エヴァパイロットの身の安全を確保するにはネルフ内でなければいけないのだろう。
重々承知しているが、決定された直後、アスカは不満だった。学校も通信制になり外出する際も護衛が付く。これは今までの諜報部のようなものなのであまり気にしてはいないがこう自由な時間がネルフ内にしかないと、段々と外からも足が遠ざかりがちになってしまう。シンジはそれの典型だった。
エヴァに乗ることもなくなった今、二人が会うこともほとんどなく。廊下ですれ違っても二言三言話すだけで会話は終わってしまう。というよりもアスカが一方的に話しているのをシンジが聞いている形で、これといって反応が返ってこない。そのことにアスカが焦れてそこで会話は終了となることが多かった。平和とはこうもつまらなく無気力なものなのかと、今更になって思ってしまうのだからおかしい。
「日本政府も都合がいいわね」
マグカップを持ったリツコはその言葉とは裏腹に笑うような表情を見せて「マギシステムの復旧を完了するまで様子見だなんて」と続けた。
「しょうがないんじゃなーい、うちでしか直せないんだもの。だからこそまだネルフは無事なのよ」
他国からの侵略も今のところないんでしょう? リツコと向かい合うようにデスクに腰掛けたミサトはそう口にしながらマグカップを傾けて、すっかり底のついたそれに眉根を寄せた。
「一日三杯までなんて馬鹿げてると思わない? 備品なんだから使ってなんぼじゃない。お金がないからって削るところ間違えてるわ」
サードインパクトの影響と日本政府との仲違いの所為でネルフに落とされる資金は以前にも増して微々たるものとなった。それこそぎりぎりで本来の任務が遂行できるほどのものだ。ゼーレからのバックアップもない今、ネルフは資金難だった。
「それこそ仕方ないわ、国連軍からも資金援助をつつかれてる政府が、どちらを優先するかなんて明白じゃない。だからこそこうしてマギの復旧に時間をかけてるんじゃない」
話してる時間をマギの復旧に当てればすでに終わっていてもおかしくないころよ。それをしないのはせめてもの時間稼ぎね、と事態の重さは重々承知で言うとゆったりと脚を組んだ。
実際、サードインパクトによりマギがシステムエラーを起こすようになってしまったのはネルフにとって都合がよかった。でなければ自らの力でバクを起こさせるくらいしかネルフを現存させる手はなかっただろう。このシステムエラーによりオリジナル以外のマギが使い物にならなくなった為、さらにマギの価値はあがることとなった。
直せるものが赤木リツコしかいない今、他国は迂闊にネルフに手を出すよりもマギの復旧が完了してからネルフそのものを潰せばいいと思っているのだ。あのゼーレさえも敵になってしまえばマギの復旧を遅らせるのがネルフにできる唯一の方法だった。
「この演技がどこまでもつかしらね。日本政府なんかはもう我慢の限界かもしれないわ。二号機の修理に時間を割くくらいならマギの復旧に努めろなんて、マギがある程度動かなければ修理もできないって知らないのね」
当然のことを口にしたリツコはマグカップを傾けるとその中身を飲み干して席を立つ。
「ミサト? 約束の時間からだいぶ経ってるわよ?」
そうして悠々と本日四杯目のコーヒーをマグカップに注ぐと眉間に皺を寄せたまま黙っていたミサトにわざとらしく声をかける。マギが復旧したあとのことに考えを巡らせていたミサトはその言葉に慌てて時計に視線をやり「気づいてるならもっと早く言いなさいよー!」と文句を口にしながら腰掛けていた机から離れる。
「あら、教えてあげただけいいでしょう?」
リツコの言葉にぶちぶち文句を言いつつも本来の用事である書類を手にすると慌てて扉に向かう。
「シンジくんは相変わらず?」
忙しない背中を見ながら最近マヤに貰った手触りのいい猫のぬいぐるみを撫でると扉をくぐろうとしていたミサトがはたと足を止めて振り返った。
「そうね、まだ元気ないわ。もう一年も経ったのに、って私たちは思うけれどシンジくんにとってはまだ一年なのよ」
しょうがないことね。
緩く笑うと目を伏せたリツコにひらひらと手を振って、扉の先に消えていった。
「心の均等を取り戻すのは難しいものね」
ぽつりとつぶやいたリツコの言葉に返答はなく。
*
待たせてしまっている事実に足早に通路を移動しているというのに一向に目的の場所に着かない事実に目を逸らしていたミサトはそれでもなんとか手元に残る地図を片手に道を折れたり戻ったりを繰り返していた。
「ここもだめなの?!」
思わず手にした地図を握りつぶしてそう叫ぶと目の前の通行禁止と書かれた黄色いセフティコーンをけり飛ばした。中に重りでも入っているのかつま先に走った衝撃に短く呻く。目尻に浮かんだ涙もそのままに「だったらどこに行けばいいのよ」とつま先を抑えながらびくともしなかったコーンを睨んだ。
「葛城?」
ふと背後から聞こえた声にわかりやすいほど嫌な顔をして「げっ」と漏らしたミサトは今さっきまで痛さで踞っていた体勢から立ち上がると平然とした顔で振り向いた。
「なんでアンタがこんなところにいるのよ」
今日はベルリンにいるはずでしょう? と眉を吊り上げるミサトにわざとらしく肩を窄めた加持は「それは先週の今日だろう?」とため息をついた。そんなんで大丈夫か? という言葉が言外に漏れる。
「うるっさいわねー、ちょっち間違えただけじゃない。そもそもなんであたしがアンタのスケジュールなんか把握しなくちゃいけないのよ」
一気にまくし立てるように言うと腕を組んでふんっと鼻を鳴らした。なんでまたこんなときに会っちゃうのよ、と苛立つミサトとは裏腹に悠々とした加持はそんな言葉など気にしたふうもなく「こんなところでなにしてるんだ? まさか、迷子か?」とわかったうえでミサトの神経を逆撫でする。
もちろんその言葉を聞いたミサトは当たり前のように激昂するのだ。
加持リョウジは昔からそういうところがあった。だが、最近はとくにそれが顕著だ。それもミサトが以前にも増して加持に突っかかるようになったことが原因の一つだろう。
サードインパクト後に帰ってきた加持はことあるごとにミサトを口説きにかかった。あんなことがあった後なのにとミサトは憤ったがまんざらでもないのは確かで、それでも理性をフル動員させて「うざったい」という態度を崩さなかった。まるで大学時代ね、と言ったのはリツコだ。
別にミサトとて本気で嫌がっているわけではないのだ。それ以上に加持が殺される直前に残したメッセージを大切にしているだけで。だからこそ加持があの留守番電話に吹き込んだメッセージ通りの言葉を口にしてさえくれれば、とも思っている。
そんな自分自身をミサトは女々しいわね、と度々嘲笑するが期待するのをやめられはしないこともよくわかっていた。本当ならもう一度逢えた事実だけで喜ぶべきなのかもしれないけれど。
「迷子なわけないでしょう、何年勤めてると思ってるのよ」
けれど本来の想いとは裏腹にミサトはまた加持に強く当たると「それよりアンタ、なんでここにいるのよ」と唇を尖らせた。もう以前のこととは言えど加持はスパイとして葬られたのだ。あまり迂闊にネルフ内を動き回るのはまたあらぬ疑いを持たれることになるかもしれなかった。
そのことをミサトは心配していたが加持本人は意に返してさえいないのかもうスパイをするような組織はほぼ残っていないからな、と簡単に言い結局以前と同じネルフ特殊監査部所属の一役員として定着している。よくもまぁ上が許したものだと思ったが、今は人手が足りない、ミサトもそれは重々承知しているので少しの危険性くらいには目をつぶっているのかもしれないと結論付けた。
「ちょっと野暮用でね」
片方の口角をあげて笑った加持はウインクをして見せると怒りと恥ずかしさに顔を赤くして震えるミサトに「じゃあ、また今度。そのときはゆっくりと話でもしようじゃないか」と手を上げて背中を向けた。
「だぁれがアンタなんかと!」
背中に罵声を飛ばしたミサトにひらひらと手を振った加持は「シンジくんたちならそこの通路の右扉だぞ」と平然と答えて去っていった。
「っ、知ってるわよ!」
本当、なんなのかしら! と肩を怒らせながら加持に言われた通路を曲がると本当にすぐ右手に扉がある。こんなに近いなら教えられなくても来れたわよ、とミサトは憤ったがすぐにその考えを否定して声には出さずに「ありがとう」と唇だけでつぶやいた。
「お待たせー、ちょっち立て込んでて。悪いわね」
勢いよく開いた扉とは裏腹に椅子に座るシンジとアスカはゆったりと視線をミサトにやると「遅いじゃない」と文句を言った。シンジに至っては口も開かない。
「しょうがないでしょー、知らない間に二佐に昇進させられて作戦課長なんて名前ばかりの雑用なんだから」
肩も凝るわよ、と今さっき加地がしていた動作を無意識に繰り返したミサトは長方形の無骨な机に近づくとせっかく四つの椅子があるのに斜め向かいに座る二人にしょうがないわね、と息を吐いてアスカの隣、シンジの向かいに腰掛ける。
「あら? レイはまだ来てないの?」
三人に収集かけたはずよ? と首を傾げるさまにシンジが困ったように笑って口を開く。
「綾波なら定期健診の日ですよ、ミサトさん」
すっかり忘れていたミサトはその言葉に「失敗失敗」と舌を出してから思い出したように「ならアスカもそうじゃない、定期健診は優先事項のはずよ」と隣に視線をやった。
「私はいいのよ、なにも問題ないもの」
ミサトの言葉に即答して、煩わしげな表情のまま頬杖をつくと「もう平気よ」とつぶやいた。
「平気かどうかはあなたが決めることじゃないわ、行きなさい」
アスカの体を気遣っての言葉をかけるミサトだが当のアスカは本当に煩わしそうでしまいには怒り出してしまいそうだった。そんな二人の前でただやり取りを見ていることしかできないシンジは困ったように視線をさ迷わせている。事なかれ主義の彼としてはアスカが素直にミサトの言葉を聞いてくれたらと思っているのかもしれないがそんな気配はない。
「少しの怪我だったら私だってなにも言わないわ、けれどアスカは目でしょう? この先見えなくなる可能性だってないわけではないのよ」
ミサトの怒ったような声にシンジは俯いて自分の指先を見つめた。
「見えなくなった世界はもう体験したわ」
ぼそりと口にされた言葉にこもった感情を読み取ろうとシンジは顔をあげたがそこにはさきほどと変わらず不機嫌そうな表情のままのアスカがいて、一瞬見えたと思った弱さもなにもなくなっていた。
「アスカ……」
眉を寄せて名前を呼んだミサトはアスカの頑ななその姿勢に折れたのか「わかったわ、けど次回は必ず行きなさい。なにかあってからじゃ遅いのよ」と念を押すように言った。
「わかったわよ」
それよりそんなこと言うためにわざわざ呼び出したわけじゃないでしょうね? 片眉を吊り上げるアスカにミサトはにやりと笑顔を見せた。
「あったり前でしょう」
今日呼んだのはこの間のテストのことよ。口にした瞬間に明らかに嫌な顔をしたアスカとまた俯いてしまったシンジ。
「その様子だと二人とも自覚はあるようね」
まったく、と呆れ調子につぶやきながら先ほどリツコから受け取ったばかりの書類を二枚、机に並べる。紙には細かくグラフや数字が並んでおり、それらは大きさに大分変動があった。
「アスカ、数学や英語がものすごーく優秀なのはわかったわ。それに対して国語のこの散々なまでの結果はなに?」
ほぼ綺麗に五角形を描いているふたつのグラフと、こじんまりと幾何学模様を描いているようなグラフが並んださまはひどく不格好でアンバランスだった。その上に書かれた正答率も他ふたつと比べかなり数字が小さい。
「うっ、それは……」
口にしようとした言葉を寸でで抑え唇をまごつかせる。すいっとミサトから視線を逸らした。そんなアスカに詰め寄ることはせずにミサトは口を開く。
「まだ苦手?」
悔しそうな表情のまま頷くアスカに「そう」と言葉を返すと勢いよく立ち上がったミサトは「ちょっち待っててねー」という台詞を最後にまた扉の向こうへと消えてしまう。
呆気に取られる二人を残し、扉は閉まってしまった。
「日本語なんて出来なくたって平気よ。日本人だってドイツ語が出来ないからってバカにされないじゃない」
納得いかない様子で言い募ると机に置いてある紙を手に取ってぐしゃりと握りつぶした。
「日本に住んでるから必要なんだよ。ドイツにいる人は日本語使わないじゃないか」
シンジの声にキッと眦をあげたアスカは余計なお世話とでも言うように今しがた握りつぶした紙を投げつけた。カシャと間抜けな音を立てて塊が跳ね返る。
「そういうアンタはどうなのよ、優秀だったらあんなふうに俯いたりなんてしないはずよね」
にたりと嫌な笑みを浮かべたアスカは机に乗るもう一枚の紙にゆっくり手を伸ばしぺらりとそれを眼前に掲げた。
「なによ、これ……」
紙面に書かれたグラフや数字をにやにやとした笑みを浮かべながら見たアスカは自分の思っていた以上のものをそこに見て、愕然とした声を漏らす。
「正答率もなにも、答えてすらいないじゃない」
テストの結果を表す紙にはゼロと測定不可の文字が並んでいて、その結果をすでに知っているであろうシンジは平然としたものだった。さっきまでの態度は結果についてというよりもこのことを言及されるのが嫌なのかアスカの愕然とした表情と言葉にも曖昧に笑って返すばかりだ。
「まぁ別にアンタの成績なんてどうでもいいわ」
シンジの様子に視線だけやったアスカはため息をつくと持っていた紙を机の上に滑らすように放った。
「本当ここの構造どうにかならないのかしらねー」
また迷ったのか文句を言いながら扉を開けたミサトは二人の様子に一瞬なにか言いかけたがそれでもなにも気づかなかった風を装い椅子に腰かける。
「アスカ、これ使いなさい」
そう言って持ってきた本の束をアスカの前に置くとぱんぱんっと表紙を叩いた。
「なぁに、これ? 漢字ドリルー? 前時代的な上に対象年齢十二歳じゃない! ちょっとミサト、こんなの使えるわけないでしょう?!」
一冊手に取ったアスカはそう言って憤るとバンっと音を立ててドリルを眼前の机に叩きつけた。その音にシンジがびっくりしたように肩を震わせる。
「なによー語学は書いて覚えるのが一番よ、少しは妥協しなさい。それに十二歳レベルだって積み重ねが必要なのよ、それが終わったら新しいの渡すからとりあえずやってみなさい」
ミサトの言葉にさらに険しい顔をしたアスカは駄々をこねる子供のように「いらないわ!」と吐き捨てて扉から出て行ってしまった。その背中からも怒っているさまが容易にわかってミサトは困ったようなため息をつく。
「さて、シンちゃん? わかってるでしょうけど次はあなたの番よ」
シンジは答えるつもりはないのかただ俯いて握った自分の拳をただ見つめるだけだ。それでもミサトは構わず言葉を続ける。
「体調が悪かったわけじゃないわよね?」 こくりとも動かない首に焦れることもせず、ゆっくりと吐き出す。
「受けたくなかった、とかそういう理由?」
特別処置で通信制になってから初めての定期試験だった。ネルフに居住区があるチルドレン達は第二新東京市まで通うことができない。だからこその通信制だったのだが、以前のシンジからは窺えないほど受講態度が悪くなった。サボるほど目立つことはしたくなく、けれど積極的に質問にも答えるような生徒では以前からなかったが、それでも成績は悪くなかった。
それが通信制になってからというもの提示している時間にパソコンを付けはするものそのあとは授業を聞く気がないのかベッドに寝転がりS-DATを聴くばかりだ。
個々人の問題だからと今までは口出しをしてこなかったミサトだが、最近はその頻度が増え、そこにこの白紙のテスト結果とくれば心配になってさえくる。
「シンジくん?」
聞いてる? 俯いたままのシンジに眉を寄せたミサトはついに痺れを切らしたように「あのねぇ」と腕を組んだ。
「エヴァに乗っていればいい世界じゃないのよ、もう。このままじゃお先真っ暗よ。将来どうするの? 勉強くらいしときなさい。わからないなら聞くなりなんなりできるでしょう」
すっかり親のような物言いをしたミサトはそれでも答えないシンジに苛立ちを募らせる。ただでさえ口数の少ない、自分のことを口にしないシンジの気持ちをこれだけでわかれと言われたって元々無理なのだ。「いいんです、将来なんて」
ぼそりとつぶやかれた声に含まれた諦めのような嘲笑はすでに憤りを感じていたミサトの堪忍袋の緒を意図も簡単に切った。
「将来なんて!? ふざけんじゃないわよ、アンタまだ十五歳でしょう? そんなんで人生のすべてがわかりきったみたいな顔してんじゃないわよ!」
シンジの胸倉を掴む手に力がこもる。自分で選んだ世界じゃないのかとミサトは叫びたくなった。自分で選んで、納得こそしなくてもこれでいいと思ったんじゃないのだろうか。
「生きてて嬉しいって、少しも思えないの?!」
「僕を認めてくれる人なんていないじゃないか!」
自分を掴む手を振り払うようにもがいたシンジは驚きに目を見張るミサトをうっすらと涙の浮かんだ目で睨み返した。
「なんで、僕なんだ……僕は巻き込まれただけなのに。僕の所為じゃないのに、みんな、皆、僕が悪いと思ってる! 父さんもいなくなった! カヲルくんだって、帰ってこないのに…ミサトさんは良いですよね、加持さん帰ってきましたもんね。どうせ僕に将来なんてないんだ、政府だって本当はサードインパクトを起こした本人が僕だって知ってるんだ。けど、ネルフにいるから手が出せないんでしょう? だったら僕はこの中でしか生きていけないんだ。父さんもカヲルくんも、母さんも、誰も、誰も僕を認めてくれない……僕が望んだ世界なのに」
泣き笑いのような表情を浮かべたシンジはガクリと椅子に沈むと両手で顔を覆った。
いやだと、もういやだとつぶやくさまにミサトはなにも言えなくなる。この子が望んだ世界はきっともう少し温かいものだったんだろう。お母さんがいて、お父さんがいて、自分を好いてくれる、認めてくれる存在がいて、けど、望んだはずの世界は牙を剥いた。
サードインパクト後、その原因が世間に明らかにされることはなかった。今までと同じように取ってつけたような嘘を提示しているが真実を知っているものは少なくない。そもそも帰ってきた時点ですでにおかしいことには気づくだろう。政府から提示された嘘を人々は嘘だと気づきながらも自分たちの平穏のために受け入れているのだ。それでも原因を探すような人は後を絶たないし、憶測や噂は飛び交うばかりだ。その中心がどんなにキツいものなのか、ミサトは少しはわかっているつもりだった。
自分の経験と重なると言ったら、きっとシンジは笑うだろうけれど、それでもミサトはわかっていたつもりだったのだ。
「シンちゃん……」
どうしようもない寂寥を前に、ミサトは呆然とすることしかできなかった。
しかし事態は悪化し、そして加速していく。
*
「マギの復旧が終わるまで、攻めてこないはずじゃないの?!」
空間に鳴り響く警報と点滅するディスプレイに辺りがちかちかと光る。そんな中人々は忙しなくオペレートを続けていく。
「それが、ある程度の復旧が終わってることが勘付かれたようで、それをわざと遅らせていることにも――」
日向の言葉に盛大に舌打ちをしたミサトはマギシステムのハッキングを阻止しているリツコの元へ駆ける。
「状況は?」
「大丈夫、相手も本気でハッキングする気はないみたい。けれどこれは脅しでしょうね」
次はなさそうよ、と口にするリツコは画面から一度も目を離さないわりには余裕をかますように笑った。
「次もなにも、マギはうちのシステムじゃない。図々しいにもほどがあるわね」
肩を怒らすミサトはハッキングされずに済んだマギに視線をやる。
「使徒がいなくちゃ保たないなんて皮肉にもほどがあるわ」
ネルフがなきゃ使徒も倒せずもっとひどいことになってたっつーのに。
「しょうがないわ、一番の敵は人間だってもうわかってることでしょう」
サードインパクトの前のこと、忘れた? かけていたメガネを外したリツコはホッとしたように息を吐いてそう口にした。
「それでも私たちは一人では生きていけないのね」
本当に皮肉なものね、と笑ったミサトに「これ、見てみなさい」とリツコはパソコンの画面を見せる。
「ご丁寧なこと」
画面上に表示されたデジタル時計は刻々と時間を刻み、少しずつ零へと近づいていく。
「猶予はあと一ヶ月、ね」
やってやろうじゃない、と片眉を吊り上げたミサトは口角をあげてニヤリと笑った。
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.EOE後の二人の話。とらのあなさまで委託してもらってます http://www.toranoana.jp/bl/article/04/0020/00/56/040020005621.html