「…………暑い」
今日は休日、まだ起きるには早すぎる時間。普段なら起きることのないような時間に、しかし俺は目を覚ました。
いくら室内にエアコンを効かせていないにしても、この暑さは異常すぎる。
その原因には見当がついていた。俺は首だけをひねって後ろを向く。
「…………すぅ……」
その視線の先には、俺の背中から俺を抱きしめるようにくっついて眠る一人の少女がいた。
「またか……」
昨夜、俺は確かにこの少女をベッドに寝かせて自分は布団で寝たはずだ。だが、俺が寝ている間に少女は俺の布団に下りて俺の背後から抱きついてきたのだろう。それは、なにも今日に限ったことではなかった。
それはあの日から――
「おい、起きろ、起きろって……メリー」
――そう、「メリーさん」を名乗る少女と出会ってから、一度としてこの状況を違えたことはないのだ。
今から一週間ほど前、俺は不審な着信を受けた。
携帯電話の向こうからは、あまりに拙い少女の声。しかし、少女の発した言葉はかの有名な「メリーさん」と同じものだった。
あまりに拍子抜けする声と、恐怖すべき言葉。俺は混乱の極みに達した。完全に恐怖していればすぐに対処法を調べることもできただろう。しかし、その時の俺はそんなことを考えている余裕はなかった。
そして、ついに最後の電話が届く。
『私、メリーさん。今、あ、あなたの後ろにいるの……』
余裕のなかった俺が取った行動、それは……、
『えっ、きゃあっ!?」
通話中のまま携帯を胸ポケットにしまい、両手を後ろに回した。
ちょうど胴体を捉えることができたので、そのまま持ち上げて俺の右となりまで運んでそちらを向く。
「えっ……」
俺に電話をかけ続けた「メリーさん」の正体……それは、ただの小さな少女だった。
「今にして思えば、変な出会いだよなあ」
届く方の手でメリーの頭を撫でる。事情はともあれ、懐いてくれた身寄りのない少女を放り出すことはできない。俺はメリーを家で預かることにした。
彼女が「メリーさん」だからなのだろうか、メリーはとにかく俺の後ろにいることを好んだ。
「今この状態がまさにそれだよな……」
俺の後ろにぴったりくっついて眠るメリー。その表情は安心しきっているのか、とても穏やかだ。
「ほら、起きろ、メリー」
「う、んゅ……」
ようやく目が覚めてきたのか、俺の声に反応して声が出る。
「……そろそろいいか。……よっ!」
起きないなら起こすしかない。俺は前に回されている腕を掴み、一息で引き剥がした。
「……目が覚めたか」
「……う、うん。おはよう……」
かなり強引ではあったが、なんとかメリーを起こすことに成功した。
俺が動くと、大抵メリーは俺の後ろをついて歩く。
トイレとか、風呂とか、どうしても別行動をとらなければならない時以外は四六時中俺にべったりだ。
そして、俺もそれを当たり前のこととして受け入れている。それはきっと、俺が今の生活をかなり楽しんでいるからなのだろう。
なにせメリーは可愛らしい。西洋の人形のような精巧な美を体現した彼女の容姿は、気付いた誰もが足を止め、目を凝らすほどだ。
もし、このメリーが更に成長した姿をしていたら、俺は自我を失っていたことだろう。それほどまでに、この金髪碧眼の少女は可愛い。
「んじゃメリー、買い物行くか」
「う、うん。行く……」
買い物や用事で出かける時も、メリーは俺の後ろをついて歩く。
隣やら前にいてくれると目がいくから分かりやすいのだが、後ろにいられると見えないから少々困る。
「っと」
服の裾をちょんとつままれる。メリーの合図だ。
「は、早い……」
「おっと、すまんすまん」
メリーの歩調に合わせて、ゆっくりと歩く。そのすぐ後ろを、メリーがついて歩く。
なんてことのない時間。それでも、二人の鳴らす足音が耳に心地よい。
料理は俺が一人で作るが、最近はメリーも手伝ってくれる。相変わらず俺の後ろにいたいみたいだけど、俺の背中が見えているといくらか安心するらしい。
ただ……。
「いただきます」
「いただきます」
食事時、さすがに俺の後ろでご飯を食べることはできないので、机について向かいあって食べることになる。
「こらメリー、そんなに急ぐなって」
メリーの食事は早い。ちゃんと良く噛んで食べろと何度言っても、メリーはそれを直すつもりはないらしい。
「ごちそうさまでした!」
勢いよく茶碗を置くと、がちゃがちゃと激しく音を立てて流しに食器を運び、放り込む。
このあたりのしつけというか指導は徹底していて、メリーも素直に応えてくれている。ただ、この早食いだけはどうしても譲れないらしい。
そして、メリーは俺の椅子の後ろに自分の椅子を動かして座る。
「だって、落ち着かないもの」
とはメリーの弁だ。
理由はよく分からないが、俺の背中にいると落ちつくらしい。この辺り、「メリーさん」の話を踏襲していると言えなくもない。
なぜ、かの有名な「メリーさん」はターゲット(?)の後ろに立つことにこだわるのか。当の本人に聞いてみたところ、
「メリーは人の背中を探しているの」
と言われた。
「メリーは背中を探すの。自分が幸せになれる背中を求めて……そして、候補を探して後ろに立ち、その人が自分の求めていた人なのかを見極めるの」
「……もし、それが自分に合わない人だったらどうするんだ?」
「殺すわ」
「っ!?」
ゾクッとした。いつもはあんなに拙い喋り方をするメリーが、はっきりと発した言葉に俺は恐怖せざるをえなかった。
「つまり、俺はメリーに選ばれたってことか?」
「うん。あなたの背中は、私が求めた背中だったから……」
「もし俺の背中がメリーの求めていたものじゃなかったら、メリーは俺を殺していたのか?」
「うん、そう」
……情けないことに、この時俺は凄まじい量の汗を流していた。もしかしたら死んでいたかもしれない。その未知の恐怖が俺に与えた衝撃は計り知れない。
「……メリーが俺を見つけたってことは、今後メリーによって死ぬ人はいなくなるのか?」
「……メリーは私だけじゃない。他のメリーが求める背中を見つけるまで、メリーさんの噂が消えることはないわ」
「……そうか」
荒唐無稽な話だが、俺は目の前の少女が嘘をついているとは思えなかった。
こうして、俺は人殺しをやめた少女、メリーと共同生活を送ることになった。人を殺す者といえど、中身は外見通りの少女。聞きわけはいいし、これからきっと穏やかな日々を送ることができるだろう。
「うわっと、だから抱きつくなって!」
「だって、こうしてると落ちつくから……」
「まったく、しょうがないな……」
なんだかんだ言って、俺は今のメリーと過ごす日々が好きだ。この日々を大切にしていきたい。
「問題は山積みだけどな……」
今は大学の夏休みだからずっと家にいられるが、学校が始まるとそうはいかない。大学を出て就職するときも頭を抱えることになるだろう。
「でもまあ、なんとかするさ」
いつの間にかメリーは眠ってしまっていた。あまりに穏やかなその寝顔に、思わず笑みがこぼれる。
「おやすみ、メリー」
優しく髪を撫でて、俺はそっと囁いた。
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有名な都市伝説「メリーさんの電話」を独自の解釈でアレンジしたまさかのハートフルストーリー(?)をお届けします。メリーさんが背後に立つ、その理由とは……? ▼ツイッター等でお世話になっている猪瀬りこさんが、同じような視点でメリーさんを萌えキャラ化したゲームを開発中だそうな。期待しております。