春蘭自身と彼女の率いる兵によって血の海と化した船に乗り移るは魏王、華琳
敵兵の体がゴロゴロと横たわる光景に彼女は冷たい笑みを浮かべ
膝まずき、王を迎える忠義の将の肩に手を置く
「物見遊山とはよく言ったものね。此方の兵は殆どと言っていいほどに数を減らされていない」
同じくして直ぐ後ろに着いて歩く稟は戦果を目の前に手で指先で唇を触りながら辺りを見回し状況を把握し始める
二三度首を振り見回した後、自分の想像と合致した戦果が得られたのだろうか少しだけ頷くように顎を引く
「春蘭さま。関羽と孫策はどうしました?」
春蘭の方を見ず、ただ暗闇にある何かを見つめるように前へ、敵の本陣がある陸へと目線を向ける稟に
何故孫策が居た事を知っている?呉が来ていることは眼で確認できただろうが、孫策が、王が前線のこの船に
乗り込んできた等、聞かねばわかるまいと春蘭は驚くが、稟は当たり前だと言わんばかりに春蘭の答えを待っていた
「二人とも逃した。申し訳ございません華琳様」
逃したことを素直に口にし頭を下げる春蘭に、華琳は相変わらず潔く清々しい姿勢だと笑みを浮かべるだけで
咎めることはしない、何故なら元々そのような事では咎めない余裕のある彼女の性格に加え
敵が逃げることも既に稟から知らされており全てが想定内である以上、怒りも起きることはないし
ましてや将二人を退けた彼女の力を褒める以外に何も無かった
「で、どうなの稟」
「はい、あまりにも思い通りに行きすぎて少々つまらないと言ったところでしょうか。春蘭さま、この後は華琳様の
元で護衛をお願いいたします」
溜息さえ吐きそうな表情の稟は、首を振り腰に片手を当てると春蘭に護衛をと口にする
季衣と流琉はどうした?私が着くのは構わんが、この先はどうするのだと怪訝な顔をして問う春蘭
稟の知が先に行き過ぎて春蘭には全く追いつくことが出来ず、想像すらでき無い事に少しだけ不安になってしまう
「この先は大丈夫です。そうでしょう?」
稟の言葉に益々解らないと顔を顰める春蘭だが突然王の背後から次々に騎兵が乗り込み
問に答えるように右の繋がれた船から飛び出してくるのは偃月刀を手に、普通の馬など比べものにならない程の速度で
走る大宛馬を手足のごとく操り、稟の隣へと馬を着ける霞の姿
「応っ!ウチにまかしとき。こっから先はウチら二人の戦や」
「華琳様が昭殿を一番に扱えると仰ったように、私が一番に霞を巧く使えます。伊達に此処まで烏桓を倒し
武都、荊州と攻めた訳ではありませんからね」
相変わらず冷たく笑う稟は徐に手を上げ、其れをみた兵士は華琳の乗ってきた船の牙門旗
曹の牙門旗を力の限り振り回す。同時に霞が通ってきた道、固定された敵左翼に突き刺さった艨衝が離れ
次々に前方へ、後から来た呉の船へと突撃を開始していく
鮮やかに船を指揮する稟。華琳の眼に移るのは後方に、敵左翼の一隻の船に取り残され孤立する呂布の姿
稟は左翼を切り離し、橋を崩すことで呂布の動きを完全に封じ、後顧の憂いを完全に取り去る
更には少しだけ遅れてこの場に参上する敵右翼から一馬の引き連れる虎豹騎が流れ込み真っ直ぐ新たに創りだされる
橋を進み、呉と蜀の本陣へと駆けていく
「稟さん、おまたせしました」
「ご苦労さまです。此れより一馬殿は一人反転、後方の雲の軍に合流して下さい。霞は私と共に追撃を開始、
華琳様と春蘭さまは此処にて高みの見物と洒落込んで下さい」
一馬は馬に乗ったまま、霞と手を叩き合い華琳へ目礼を、姉へ無傷な自分を見せるためニッコリと良い笑顔をみせて
的盧を反転させて後方へと凄まじい速さで駆け抜ける。まるで今までは兵を引き連れていたから抑えていたのだと
言わんばかりに、皆の視界から風のように消え去っていた
冗談じみた言葉を吐いた稟は柔らかい笑みを華琳へ向けると馬から降りた霞と共に前へと歩みをすすめる
王はこの場で待機し、戦の進み具合を見て下さい。此処からが一番戦況を把握しやすく
魏の武の象徴、春蘭さまが居るならば城にいるが如く、この場所は安全ですと
相変わらず赤壁へ、己の才を発揮する場所に来た途端、其の細く小さい体が何倍にも膨れ上がるような威圧感を放つ
稟に華琳は此処から先は全てを一任すると、立ち上がる春蘭と共に前線へと進む軍師郭嘉を見送った
大量に放たれる矢を突き進み、反撃の矢を放つ呉の兵士。だが無徒達は板を構え、放たれる矢を防ぎ耐える
一気に船の距離は詰まり、船同士が接触すると同時に弓を捨て乗り込んでくる呉の兵士達
無徒は声を上げ、皺だらけの顔が変化する。眼を釣り上げ、口を開き鬼のような形相で切り伏せ
同じように魏の兵士、聖女の兵達も武器を持ち呉の兵士へと向かい、鎖でぶつけてきた敵船と繋ぎ固定する
「あの時の勝負、決着はまだであったな」
「祭の目の前で負けるわけにはいかんな。貴様には鉄脊蛇矛の錆となってもらう」
小柄な詠よりも少し高いくらいの老兵は叫び、蛇のように曲がりくねった長い矛を振り回し
兵を殺していく無徒ヘ武器を振り下ろす。頭上から襲い来る矛の一撃を無徒は右手の刀で受け流そうとするが
蛇矛の一撃は重く、片腕をへし折らんばかりの勢いで押し込まれてしまう
腕は畳まれ、血管が浮き出し、歯をギシギシと食いしばる無徒は此のままでは腕を持って行かれると
左の刀を体制を崩しながら程普の体へと叩きこむ
迫る刃、此のままでは斬られると判断した程普は武器を手放し、地面に四つん這いで着地して武器を躱すと
立ち上がり懐深く入り込み、肘を真っ直ぐ無徒の体へと打ち込む
ズンッ
低く、重い音が響き腹に突き刺さる程普の肘。見あげれば無徒の口は膨らみ、吐き出すように血を撒き散らす姿
ボタボタと体を濡らす血の雨に貰ったと口の端を吊り上げ笑みを見せる程普
「なにっ!?」
だが、血を吹き出しながら無徒の眼は紅く、怒りに燃える。此処からは一歩たりとも先には行かせんと
手に持つ刀を逆手に持ち、程普の左足を自分右足で踏みつけるとその上から剣を突き刺す
串刺しになり船床に固定される二人の両脚
足に走る激痛に顔を歪める程普の目の前で無徒は拳の骨を鳴らし、口から血を流しながら笑うと
拳を固く握りしめ、詠と同じように程普の腹に右拳を叩き込み、顎の落ちたところに左拳を叩き込み
強烈な拳に意識を飛ばしそうになりながら必死に耐える程普に容赦のない拳の連打が打ち込まれる
「少々痛めつけさせてもらう。なに、心配はいらん。殺すなとの命令だからな」
益々恐ろしく、鬼神の如き表情で拳を振るう。肝臓打ち、心臓打ち、鳩尾。下がる頭に米噛みへの一撃
斜めから撃ちぬく顎への一撃、拳を返そうにも無徒の拳撃があまりにも早く、鋭く
最短距離を真っ直ぐ撃ちぬく為に返すことも出来ず、まるで人形のように拳の連打を浴びる程普は
崩れ落ちたくても拳で無理矢理立たせられる。ならば無理矢理に一撃でも返そうと、無徒の鎧を掴み拳を振り被るが
密着した状態から腰の回転のみで打ち込む拳撃、寸打を放ちバキバキと折れる程普の肋骨、全身を駆け巡る衝撃に
振りかぶる腕は力なく落ち白目を向いた程普は口から泡を吹き出していた
「我月明かりの下、膝を着くこと能わず」
崩れ落ちる程普を抱きとめ、無徒は空に浮ぶ月に向かい雄叫びのように声をあげる。敵将、程普を捕らえたと
新たに作られる船の橋。後方から来た呉の船に突き刺さり、乗り込んでは鎖を繋げ固定させ、白兵戦へと持ち込み
騎馬の進む道を創り上げていく。その様子をゆっくり徒歩で進みながら確認していく稟は呟く
「諸葛亮、鳳統は既に退がった。耐えて、機を見て逃げるつもりでしょう・・・浅はかな」
少しだけ怒りの篭る呟きに霞は気持ちを理解しているのだろう。大宛馬の手綱を引き華琳が春蘭にしたように
肩に手を置く。そんな霞に稟は心配は無用、自分は春蘭様のように怒りを飼い慣らしていると顔を見上げる稟に
霞は静かに頷いた
キシッ・・・
船舷の闇から聞こえる船床を踏む音。既に艨衝が突き刺さり、船は固定され魏の兵が溢れている場所で感じる強い殺気
明らかに稟と霞に向けられている突き刺さるような殺気に霞は武器を構えるが、稟は溜息を
そして霞の偃月刀を手で抑えるようなしぐさを取り、霞は何故止めると眼を向ければ稟は周りを見ろと呟く
見れば一人の人物を囲むように、暗闇の船舷に張り付き弩を構える呉の兵士。その人物に攻撃を仕掛けた瞬間
一気に矢を放つのであろう。矢を放てば霞は己の身を守ることは出来る、だが稟は周瑜に攻撃を受けるだろう
しかし、稟は周りを見て闇の中へ三歩前ゆっくり歩を進め、敵の攻撃が来ないギリギリまで近づく
「来ましたか。私を見に来たのでしょう?呉の都督、周公瑾」
月明かりが闇を照らし現れたのは呉の都督、周公瑾。唇を噛み、武器を持ち、真っ直ぐ冷たくキツイ目を向ける
稟を静かに睨みつけていた。貴様が我等の策を全て食い破り、騎馬で船の上を走る等という奇策を実行したのかと
だが稟は酷く興味がない、姿を見ても溜息しか出てこないと見下すような蔑みの眼を向けるだけ
そんな稟のしぐさに周瑜は噛み締めた唇から紅い一筋の線を垂らす
怒りを込め、自分を睨み着ける周瑜に稟は表情を変えず、眼を伏せる。目線すら交わすに値しないと
遂に耐えられなくなった周瑜は、肩を震わせ怒りの篭もる声を押さえ込みながら稟へ言葉を放つ
「こんな所へ来て、前方に兵を集中させて良いのか?曹操も直ぐそこまで来ているのだろう、此方の攻めが此れで
終わりだと思っているなどと、我等を軽く見過ぎだ」
ぶつけるように重く少し低い声を稟に放つが、稟はゆっくり瞳を見開き華琳の隣に居た時と同じ仕草
徐に手を横に、暗闇の右翼へと向ける
貴様が言っているのは後方に放った別働隊だろう。将は程普、兵数はおおよそ五千
暗闇に乗じて後方に回りこみ、後ろから王のいる場所へ挟撃のように兵を送り込む
昭殿がダメならば華琳様を直接にと言う腹だろうと
指を差され、顔を青ざめる周瑜。まさか、全て見通しているのかと
指差す方向、自分が前方の蜀の船で異変があったと知った時にすぐさま程普に指示をして別働隊を進めた事まで
何故解るのだと周瑜は空いた口が塞がらず、稟を見つめていた
「今頃、貴女が放った兵は無徒殿によって抑え・・・いえ、滅ぼされて居るでしょうね。彼らは普通の兵よりも
強い信念が有る。向かわせたのは程普でしょう、孫権を使う事など貴女の頭にはない」
話は終わりだと、周瑜の創りだした防衛線のギリギリを悠々と歩き、通りすぎる稟
霞は呆れ、其の度胸は何処から来るんだと小走りで稟の後を追う
「ま、まてっ!!」
何を言えば良いのか解らない、そしてどうして止めたのかも解らない。きっとただ悔しさで引き止めただけなのだろう
周瑜は声を出した後に、複雑な顔をして下を向き行きどころ無い力を嘆くように拳を握り締める
背を向け、歩を進めていた稟は急に立ち止まり驚く霞。どうした?と不思議そうな顔をする霞だが、稟は振り向き
己の眼鏡を指先で少しだけ位置を直す仕草
「陸遜の使い道を誤った時点で貴女の負けは決まっていた。陸遜は元々、政事に特化し戦では防衛戦を得意としている
昭殿との交渉で陸遜を使えば此れほど間抜けな結果にはならず、戦も広まらず。劉備を逆に討ち蜀を呉が手に入れ魏と
互角の交渉をしていたはず。また、戦ならば守りに回しておけばいくらでも時間を稼ぐことが出来た。武で名を馳せた
将ではない、せいぜい賊を討伐したくらいの武しか無い陸遜を奇襲に、攻撃に使うなど笑止。陸遜は既に次の行動を
起こしています、我が軍に降ると言う選択。今の貴女に理解できるでしょうか?陸遜の心を」
静かに、一気に語る稟の言葉に周瑜は膝を着く。気がついてしまったのだ、焦るあまりに将を、自分の弟子であり
一番に使いどころを理解していたはずの将の使い道を謝っていたと。策が進む中、陸遜は幾度と無く自分に
進言をしようとしていたはずだと。だが彼女は呉で発言力が無い、寧ろわざと押し留めていたはずだ
陸家が孫家よりも前に出るような行動は出来無い、そして彼女自身も師である自分の心を理解し、最後まで付いて
行こうとして居るのだと。だからこそ既に破れた時の事を考え、魏に降る。こんな選択が他の誰に出来るだろうか
膝を着き、武器を握り締める周瑜にこれ以上は語る言葉は無いと前を向く稟
後ろで嗚咽の様な声が聞こえたが、稟は振り向く事もせず真っ直ぐに歩を進めていった
剣を振り上げ、足のない魏の兵士が転がった所に止めを刺そうと襲いかかる呉の兵士
倒れる兵の首に深く剣は突き刺さり、討ち取ったと笑う呉の兵士
だがその表情は一瞬で凍りつく。何故なら首に剣を突き刺したまま魏の兵は剣を掴み、残された足で敵を絡め
身動きの出来ない状態へと固める。気がついた呉の兵は離せと喚き、体を振り回すが首を貫いたはずの兵士は
死してなお敵の体を離さず、異常なまでの執念に呉の兵士は顔を青ざめる
力任せに腕を既に死んでいる魏兵の首に押し付け、体を離そうとすると背中に走る激痛、口から流れ落ちる紅い液体
痛みに自分の胸を見れば、胸を貫き伸びる白刃。剣を押し戻そうと掴み、力を入れるが想いとは逆に刃は体に
深く突き刺さる
「お・・・ごぁっ・・・」
振り向けば、腕が無く隻眼の兵士が己の背から固定する魏の兵士ごと剣を突き立てる姿
目の前で笑みと共に死した魏兵と同じ、胸には月と詠の刺繍。呉の兵士は其れを見つめながら、魏兵とは対照的な
苦痛に染まった顔で崩れ落ちる
「これが、魏の兵士か。噂には聞いていたが士気も志も全てが違う」
身を縛られた黄蓋は呟く、中には体が満足に動かない者まで居るというのに恐れること無く剣を振るう呉の兵士に向かう
姿に身を震わせていた。恐れを勇に変え、守るべきを守り義のために生きる。口で言うのは簡単ではあるが難しく
だがその生き方はあまりにも美しく人とは此れほど生に貪欲でありながら美しくなれるのかと唯々見とれていた
ドサッ・・・
見惚れて無防備になっていた黄蓋は、急に近くから立つ音にピクリと反応し、音の方に顔を向ければ体を縛られ
気絶する程普の姿。更には足から血を流し、口の中の血を軽く吐き出し仁王立ちで見下ろす無徒の姿
「どういう事だ、兵の全てがまるで将のようだ。一体どのような練兵をした」
考えられない、兵とは此れほどに誇りを持ち、美しく笑みを称えたまま死する事など出来るものではない
元は民であり、戦を好まず出来れば戦をせずに居たい者たち。国を、家族を守るという意志で戦う者たち
臆病者で、将が指揮官が居なければ逃げることもある。だが目の前の兵たちは己が将であるかのように
全てを背負っているかのように戦っていると黄蓋は再び魏の兵士に眼を移す
「我等は心折られ、地に蹲ることを余儀なくされた。だが昭様に器を癒され、月様と詠様に新たな心を注がれた
言わば子の様なモノだ。我等の生きる導は月の導くままに、誇りを胸に詠い舞い駆け抜けるだけだ」
漲る瞳からは舞王を連想させる鋼の意志、体から溢れる気迫は聖女、董卓の意志。己は一枚の盾であり
兵を合わせれば魏を守る大盾になると無徒は言う。黄蓋はそんな無徒に「爺が・・・」と呟き、滅ぼされる呉の兵士
味方を見ながら助けることも出来ず、身動きすら出来ぬ自分に不甲斐ないと歯の根を噛み締めた
「此方は終わる。任務は完了致しましたぞ稟殿」
前線を見つめ、口を拭う無徒は再びその場に胡座をかいて座り込むと腕を組み、次の指示に従う
呂布の動きを見はり、動きがあれば矢を放ち撃ち殺せと。前線との間に浮かぶ船に一人、空を仰ぎ叫び続ける
呂布を見ながら、無徒は頼もしく恐ろしい軍師だと笑っていた
「霞、私を馬に乗せて最前線へと運んで下さい」
突然立ち止まり、隣を手綱を引いて付いて来た霞に馬に乗せろと言う稟
霞はようやく仕事かと頷き、大宛馬に騎乗すると手を差し伸べ稟を後ろへと引き上げる
「ちーっとばかり早いから舌噛まんようにな」
後ろに座り、腕を腰に回せば弾け飛ぶように地を駆ける大宛馬。少しだけ驚く稟に霞は笑い
此れでも的盧に比べればずっと遅く、速さなら名前の通り絶影や爪黄飛電のほうが早いと言う
船の上を駆けながら本当に的盧が欲しいのだろう「あの馬くれへんかな」「ウチやったら一馬に劣らんくらいに操れる」
等と呟き、稟はクスクスと笑い「それは絶対に無理でしょうね」と断言し霞は酷く肩を落としてやっぱりかと呟く
船で出来た橋をまるで地の上に居るかのように走りぬける大宛馬
先行する虎豹騎の前に無残にも踏み潰され、槍を受け、船床を紅い液体で染め上げる光景が目に映る
特に多いのは騎射により矢を受け倒れる兵の数。先行する虎豹騎達は春蘭と同じように一人の兵が馬上で装填
もう一人が次々に騎射をすると言う形を取り、船の上で距離を詰め一気に撃ち殺すと言う方法を取り
破竹の勢いで敵兵を討ち滅ぼしていた
霞はその光景に季衣や流琉と同様に感嘆の溜息を漏らすが、想像通りの戦果に稟の表情は変わらず
騎射の精度を確かめるように崩れ落ちる兵士の体に突き刺さる矢を確認していく
「頭部に食い込む矢が多い。秋蘭さまの練兵は巧くいったようですね。此れなら次の策も上手く行く」
満足げに呟く稟。だが眼前に迫る最前線。混戦する中に飛び込むと霞は叫び、虎豹騎の間をすり抜けるように
ど真ん中を突き進む。騎乗しながら、後ろに軍師を載せているというのにも関わらず、偃月刀を振り回し
一気に先頭へと躍り出るとまるで紙切れを払うように敵兵を撫で切りにして行く姿
神速の偃月刀に成すすべなく切り殺されていく仲間の姿に一人の兵士は顔をまるで人外の化物を見たかのように
恐怖に染めて声を上げる。見たことがるぞ、あの偃月刀!神業のような太刀さばき!張遼だ、張遼が来た!と
烏桓に武都、荊北を攻略した音に聞こえし神速の張遼。後方から紺碧の張旗を掲げた騎馬がその存在を証明するかの
ように戦場を駆け、連合兵士は益々顔を恐怖に染めて我先にと逃げ出し、河へと飛び込んでいく
まるで霞の進む道を開けるかのように連合兵士は逃げ出し、霞は拍子抜けしたかのように呆けた顔をしていた
「なんやこれ・・・またなんかやったんか」
「ええ、此れまでに戦いを春蘭さまと霞だけに任せてきたのはこういう意味もある。きっと霞は敵に化物のように
思われていることでしょうね」
化物と言われて霞は少しだけ複雑な顔をし、稟はすかさず霞の士気を上げるように言葉を繋げる
これでより強い将が貴女を狙うことになった。頼りにしていますよと
そんな事を言われれば霞は嬉しくない訳がない、何と言ってもより強い将と戦う事ができるのだから
任せておけと顔を輝かせ、稟の指示するままに馬を走らせ一気に長江の長い大河を渡りきり陸に上がれば
目の前には呉ではなく、蜀の大軍が陸で待ち構えていた
霞は大軍を目の前に、すっと体の力を抜いて偃月刀を構え後方から来る虎豹騎を守るように武器を構える
呂布の時のように、貴様らの放つ矢も槍も一つとして通しはしないと
気合と共に守る者の気迫を滾らせる霞だが、稟はそんな霞を馬上に残して一人馬から降りてしまう
驚く霞、だが先ほどの周瑜の時と同じ雰囲気を醸し出す稟に霞は不思議に思い周りを見回せば
自分たちの姿に驚き、怯え、武器すら満足に構えることが出来て居ない蜀の兵士達
どういう事だ、まさか追い詰められているというのにも関わらず先程の兵士達のように自分の存在に怯えて居るのかと
思えばどうもそうでは無いらしい。何が起こっていると稟の方を見れば相変わらず表情を変えず
冷たい目で敵兵を見回すとキツイ目が更にキツくまるで汚物見るかのような眼で見下げる稟
目線の先には兵の後ろから一人、稟とは違う冷たい瞳を持った少女が顔を出し、兵士の前へ足を踏み出す
帽子を強く握りしめ、冷たく強い光をたたえる眼で稟の視線を受け止める
「私達の勝ちです。此処まで置いこまれることは予想しませんでしたが、既に策は動き出した」
稟の視線を弾き返すように立つ鳳統は、勝利を確信し稟へ強く言葉を放ち胸を張る
想像できないだろう、今既に進んでいるこの策を。此処に本陣に劉旗が無いことがどういった意味を持つか
恐ろしい想像力がある貴女には容易に考えつくはずだと
陸に来るまでで十分時間は稼げた、後は逃げるだけだとも言いたいのだろう。鳳統の後方を見れば兵の殆どは
馬に騎乗し、歩兵は荷を纏め、本陣は空になっていた
しかし稟の表情は変わらず、鳳統は稟の姿に眉を小さく動かす。そして頭を駆け巡る最悪の結果
まさか、まさかまさかまさかっ!心で叫ぶ鳳統。振るえる唇、カチカチと音を立てる歯
顔は蒼白に、流れる嫌な汗が頬を伝い、瞳は先程の冷たく強い色は陰りを見せていた
「・・・風」
かぜ、と一言呟く稟。その瞬間、稟の表情は恐ろしく冷たい笑みを浮かべる。口角は釣り上がり瞳は細く
背筋に氷を投げ込まれたような寒さが襲うような美しさと恐ろしさを兼ね備えた笑み
鳳統は対照的に、泣き出しそうな瞳に変わりぐしゃりと涙で歪み、周瑜のように膝を地に着き両腕で己を抱きしめる
「蜀の軍師には寛が無い、恕が無い。謙、勇、厳、そして何より己を支える情報が足りない。貴女達が手に入れた情報は
さぞかし信用のあるものでしょう。私とて其れを信じる、信じぬわけがない。それほどの情報源から手にいれている。
だが思いませんでしたか?そちらが重要な情報を容易に手に入れられると言うことは、此方も同様」
突きつけられる事実に鳳統は眼を涙で歪め、イヤイヤと首を振る。聞きたくない、そんなことは聞きたくないと
だが稟は笑みを崩さず、それどころか益々笑みを深くする。隣に居る霞がその変化に笑みを向けられている訳でもない
のに背筋を悪寒が走るほどに
「お教えしましょう。既に古参の雲兵、統亞殿、苑路殿、梁殿が武都に常駐している。此方が前方に華琳様を押し出し
後方の動きを隠した事にも気付いていますか?既に昭殿率いる雲の兵は北上を開始した。三日あれば十分に届く」
まるで処刑されるかのように稟の言葉は鳳統に突き刺さり、声無き声を浅い呼吸と共に吐き出す鳳統
軍師の変化に蜀の兵士はどよめき、浮き足立つ。一体何が起こったのかと
慌てふためく兵士、そして地に膝を着ける鳳統に稟は唯、冷笑を送るだけだった
―武都―
荷物を纏め、荷馬車に家財道具や商売道具を乗せる人々。皆一様に不安な顔をする
だが其れはこれから開始される戦いにではない、この地を守ってくれている男たちに向けてである
次々に城から出ていく民達。この城は戦場になると兵士から促され、先導されながら新城へと向けて門を潜る
その姿を淡々と見送る魏の飛燕。張燕こと楽進隊、副隊長、統亞
蒼い頭巾に叢の刺繍を入れ全身を蒼い衣服で着こみ、腰には様々な形の短剣と一本の日本刀を携える姿に
武都の民達は眼を伏せ、歯を噛み締める。この人達を残して自分たちはのうのうと逃げ延びて良いのかと
自分達の投降を受け入れ、素晴らしい都へと変えてくれた男達に自分達は何も出来無いのかと拳を握り締める
そんな中、一人の青年が門へ向かう列から飛び出し、統亞へと駆け寄る
「お、俺も戦いますっ!此処は俺達の居場所だ、生まれ育た土地だ!俺は此処を無くしたくないっ!!」
詰め寄るが、周りの兵に止められ、其れでも体を無理矢理に統亞に近づけ、言葉をぶつけるが
統亞は眉根を寄せ、青年を見下ろし体から殺気を漲らせ怒りと共に声を上げる
「我等誇りある魏の精兵が、貴様らのような土人と戦えるかっ!!」
口汚く罵り、一喝すると青年は身を切り裂くような殺気に体を震わせ腰を地に着けてしまう
すると列から異変に気がついた老婆が駆け寄り、青年を抱きしめ許しを請う
恐らくは母なのだろう、頭を下げ許しを請う姿に統亞は一瞥すると、さっさと列へ戻らせろと兵士に指示を出す
青年は兵に両脇を抱えられ、老婆は乱暴はしないで欲しいと訴えると兵士は老婆を背負い列へと戻らせる
青年は振り返り、此方を見もしない統亞を見続け、落胆した表情で兵に抱えられるまま列へ戻り、荷馬車へと乗せられる
距離も長く、多くの民を移動させるには馬車に乗せるのが最も良いとこの日のために大量に馬車を作らせていた
もちろん青年もこの作業に従事していたし、予め知らされていたこの日のことを覚悟していた
遠ざかる城壁、誰一人兵士は見送ること無く馬車を引き先導する兵士が無言で前を見て進むだけ
青年の心に有るのは平穏な日々、共に地を耕し場内に入り込んだ賊を警備する統亞達と追いかけた日々
俺たちは仲間ではなかったのか、俺たちは魏の民では無いのか、全ては見せかけかと落胆は統亞達に対する怒りと変わり
歯を食いしばり、涙を流して乗せられた馬車の床板を叩く。周りの者たちも同じ気持だったのだろう、皆同じように
眼からは涙を流し、老婆は怒りと悲しみにくれる息子を抱きしめた
「おい・・・あれ・・・」
視線を落とし、嘆く青年に何かに気がついた男の声が聞こえてくる
何かあったのかとある方向を凝視する男の視線に眼を合わせれば、視線の先には城壁が
城の中に居た全ての兵だろう、城壁に上り中央には統亞、苑路、梁が胸を張って立ち
此方に向かい、美しく抱拳礼を取る姿。周りの兵士達は其れに合わせ、魏の旗を何度も何度も振り回し
声を上げて武都の民を見送っていた
統亞達の姿に青年は理解する。己を罵り、冷たい言葉を吐いて突き放したのは全ては自分達を守るためなのだと
戦いの場から自分達を逃すために、わざとあのような態度を取ったのだと
理解した青年は荷馬車から飛び降り、護衛の兵士に城へ戻してくれ俺はあの人達と戦うと叫ぶ
「ふざけるなっ!俺たちだって、俺たちだって戦いたいんだっ!だが張燕将軍は家族が居るものはこの場から
離れろと・・・。残っているのは皆、家族が居ない者や戦で失った者ばかりだ。畜生っ!畜生っ!!」
涙を流し、槍を握り締め己の不甲斐なさに体を震わせる兵士に青年は、武都の民は振り返り声を上げ大きく手を振り祈る
せめて此処を、己の故郷を守る兵が死なぬようにと
「馬鹿やろうっ!馬鹿やろうっ!!アンタ達は皆馬鹿やろうだっ!頼む、頼むよ、死なないでくれ
俺の故郷なんてどうなったって良い、だから死なないでくれっ」
青年は懇願する。地を叩き、誇り有る皆を、勇気ある男達をどうか無事に帰してくれと
老婆は祈る。涙を流し、手を組んで天を仰ぎ息子を戦場から離し、戦う為に残った勇敢な男達を守ってくれと
城壁の上、大声で見送る兵士達。統亞は礼を取ったまま口元を柔らかい笑みに変えて見送る
左隣に立つ三尖刀を片手に蒼い軽鎧を身につけ髪を卵白できっちりと後ろに流し固めた男
于毒こと于禁隊、副隊長、苑路は統亞の方を薮睨みで睨む
「あんだよ、こっち見んな気持ちわりぃ」
「気持ち悪いのはこっちだ。あのような言葉、お前は使わんだろう」
腕を組み、馬鹿を言うなと益々眼をきつくする苑路に統亞は腰に手を当て、間抜けな顔を晒し
ありゃ大将の真似だと頭をボリボリと掻く。俺にそんなことが言えるわきゃねぇだろうがと言う統亞に
苑路は其れもそうだと溜息をついていた
右隣に立つ巨躯の体に鉞、頭を綺麗に剃り上げ蒼い重鎧を纏う男が笑う
その声は大きく、普通に笑うだけで隣に居る二人の男達は耳を塞いで迷惑そうな顔をしていた
彼の名は張雷公、李典隊、副隊長、梁
迷惑そうな顔をする男達に梁は小さく、其れでも普通に自分達が話す声と遜色の無い声量で耳をふさげと呟く
統亞達は驚き、城壁の兵に耳を塞ぐように叫べば思い切り息を吸い込む梁
次の瞬間、凄まじい雷が落ちた様な音を響かせ声を上げる
「――――――――――!!!」
側にいる統亞達は何を言っているか聞こえない、余りの声量に体がビリビリと震えるだけ
だが遠くに見える武都の民は聞こえたのだろう、一斉に此方を向いて手を振っていた
統亞は蹲り、両手で耳を塞いで音が止んだ事を確認すると飛び上がり、梁の頭を叩く
だが叩かれた梁は鈍感なのだろうか、首をかしげて頭を一掻き。そして腹が減ったと一言つぶやいていた
「あったく、何て言ったんだ?」
「おおかた、飯の用意でもして待っていろと言ったのだろう」
呆れる苑路の言葉に梁は嬉しそうに頷き、腹をさすっていた。今から用意されるであろう食べ物に妄想をふくらませて
居るのだろう、拉麺、肉まん、炒飯に叉焼と食べ物を次々に呟いていた。座り込む梁に統亞は意地きたねえんだよと
もう一度頭を叩くが梁は首を揺らすだけで何も感じていない様で、苑路は溜息をついていた
武都の民も既に見えくなった時、城壁を登る二人の人影。一人は兵士、もう一人は衣服から見るに職人だろう
服の裾などが黒く汚れ、鉄などを錬鉄している剣などを作っていた人間であると解る
どうやら皆と行動を共にせず、此処に残っていたようだ
理由を聞けば、此処は自分達の生まれ育った土地であり、此処を守るのは自分達の義務だと
そしてなにより此処を守ってくれている皆さんを残して逃げることなどできないと
職人の言葉に統亞はニコリと微笑み、頷き、気持ちは有り難いと言い、ならば私も戦いますと言えば統亞は丁寧に断る
何故ですか、自分の心を理解してくれたのでは無いのですか?覚悟を決めて此処に残ったというのにと嘆き、落胆する
職人の肩を統亞は優しく掴む
「良いか、俺たちは戦い国を守る。だけどアンタ達だって国を守ってるんだぜ、あんたら居なきゃ俺たちは飯も食
えない、職人が鉄を打たなきゃ剣だって振れない。俺たちが出来ないことをやってアンタ達は国を守ってんだ
誇り持ちなよ、俺たちは互いに国を守って支えあってんだぜ」
優しく笑みを見せ諭す統亞に男は分かりましたと項垂れ、それでは何処かに身を隠して居ますとその場から
立ち去ろうとするが、体が動かない。見れば統亞の右手が肩に食い込み男は体が動けずに居た
トンッ・・・と言う軽い音と共に、胸に鈍痛が広がる。見れば統亞の腰から一本の短剣が抜き取られ
心臓めがけ刃が根元まで押し込まれていた。男は口を震わせ、次に統亞を睨むが統亞は無表情に崩れる男を見下ろすだけ
「バカヤロゥ、もうバレてんだよ。大将が武都に来て眼を見たのは投降した兵士だけ。そりゃ変だと思うわな
兵士全員が殆ど何も知らず戦ってすぐ投降してんだ。調べりゃ直ぐに解ったよ、テメエら蜀の指揮官が街の職人やら
飲食店のオヤジになって身、隠してんだからなぁ」
崩れ落ち、血溜まりを作る男に統亞は侮蔑の眼を向け、抜き取った短剣を一振りして血を払う
短剣を腰に収めながら、統亞は振り向き城の外へと眼を向ける
「大将の眼を掻い潜り、コッチに敵を潜伏させるつもりだったんだろう。生憎だがよ、怪しい奴は全部ブチ殺した
残念だったなぁ、蜀の糞野郎共」
城壁に足をかけ、声を荒げて叫ぶ統亞。眼前に迫る緑の蜀の旗
その数おおよそ六万。此方は三万の兵、倍の数の兵士が声もなく旗を掲げこの武都へと迫ってくる
統亞はその中でも、後方に立つ牙門旗を怒りと共に睨みつける。全身の毛が総毛立つ感触を覚え
握る拳は白く、溢れんばかりの殺気を放つ
「解ってんよ。テメエが魏に来た理由も、何でそこに居んのかもよぉ。風の嬢ちゃんから説明受けて頭では理解したぜ
だけどよ、心は理解できねぇっ!テメエっ!どの面下げて此処に居やがる、大将がテメエの事どんだけ可愛がってたか
解ってんだろうがっ!!」
砂煙を巻き上げ、此方に迫る蜀の軍。統亞達三人は同じ牙門旗を睨み、同じように怒りを顕にする
目の前に迫る【馬】の牙門旗に、城壁の兵達は声を上げ統亞達と同じように怒りを滾らせ共に雄叫びを上げる
「大将の心を裏切りやがって、何とか言いやがれ!扁風っ!!!」
城壁の前、横陣を敷き槍を持ち並び立つ蜀の兵
見れば攻城兵器を並べ、右翼には厳の牙門旗。左翼には魏延を表す魏の牙門旗
そして中央には【馬】の牙門旗が立ち並ぶ
風に吹かれヒラヒラとなびく牙門旗の下、馬にまたがり薄紫の波がかった髪を後ろに束ね縛り上げ
馬の尻尾のように揺れる、背に大量の竹簡を担ぐ少女
まるで西涼の馬騰を思わせるその風体に、元涼州の兵士達は地を割らんばかりの声を上げる
覇王を倒せ、英雄の仇を討て、曹操の息の根を止めよと
あとがきです。ようやく此処まで来ました
何だこりゃ、何で扁風が!?とお思いの方がいれば嬉しいなぁ
わかっていた人はやっぱりと思うとおもいます
始めの定軍山辺りから彼女は変な動きを、また昭も彼女と関わる時変な動きをしています
そして彼女が裏切るのは最初から決まっていました
私は真名に常に意味を持たせ、キャラを書いてます
彼女の名は扁風。馬家の扁風は騙しの風
主人公の弱点を詰め込んだ刺客。風の真名を入れたのもそのひとつ
馬と扁で騙す。AC711様の挿絵で随分と怪しさは消せたかと思います
そしてゆっくり表舞台からフェードアウトさせたのですが気がついたでしょうか?
皆さんを巧く騙せて居たらうれしいなぁ
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今回より画竜編は終わり、点睛編となります
絵に書いた三匹の龍。天に舞い上がったのは眼を書かれた
二匹の龍のみ。ようやくこれが書けた、長い伏線は此処から
大量に回収していきます。
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