No.262858

ダンジョンキーパー

一応完成したので序~七をまとめました。
作品としてはナルサワの抱える過去のトラウマと将来への不安をメインテーマに据えて冒険者であるポウとの出会いで向き合うという方向性を持たせています。
( ´ノω`)ヨンデクレルトウレシイナー

2011-08-07 00:13:16 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:315   閲覧ユーザー数:315

 ガス灯の明かりが狭い居間に影をつくる。2つ3つ、いや、それ以上の人影が部屋を埋め尽くしていた。その人影からどこからともなく話し声がささやかれる。

「もう待ち続けて何日だ?」

「3日だな。冒険者の救出でもこんなにかかったのはいままでにないぞ」

「しっ。この子の前でいうことじゃないだろ」

 影の中心に目を向けると、一人の少年があぐらをかいて俯いていた。

 ここ「イースト」と呼ばれる国には”ダンジョン”と呼ばれる異境がある。

 普段は単に広大な原生林でしかないのだが、彼らのいる神社の境内、その端にある大鳥居から入るとまるでこの世ではないかのような密林へと姿を変えるのだ。その中には希少な動植物や遺物がたくさん見つかる。一攫千金が狙えるのだ。そういったお宝に吸い寄せられるように人々はあつまり、冒険者としてダンジョンへと足を踏み入れていった。

 しかし、当然ながらそのダンジョンにはモンスターなどの危険が付き物であり、中には同じ冒険者の獲得品を強奪したり、欲を出しすぎてダンジョンの奥深くに入りすぎ、出てくることがかなわない者まで現れだした。

 そういった危険から冒険者たちを守り、ダンジョンを管理する者が少年の一族「ダンジョンキーパー」である。

 影が揺れる。ガス灯の揺らめきか、身じろぎする人の動きか。

 いずれにせよ、居間に集まる人々は少年を見据え、または外が気になるかのように落ち着きをなくしていた。

「ナルサワ。もう今日は遅い。子どもは寝ろ」

「……いやだ」

 ナルサワと呼ばれた少年はそう呟いて床に落とした目を上げたが、すぐに下へ戻す。

 ある冒険者が予定帰還日になっても帰ってこなかった。

 それ自体はたまにあることだが、その場合はダンジョンキーパーがダンジョンに潜って冒険者を探すこととなる。

 現在のダンジョンキーパーはナルサワの両親が当主である。そのため冒険者の救出にはナルサワの両親が向かうこととなっている。また、一族にはダンジョンを自在に行き来できる守り神が付いているため、大抵1日もあれば冒険者を生死に問わず連れ帰ることが可能だ。

 それが3日も帰ってこない。異常としか考えられなかった。

「救出に手こずることもたまにはあるだろ。心配するな、明日には帰ってる。寝ろ」

 大人の強い口調に対してナルサワは睨みを向けるが、正面に座る男に睨み返されて目をそらした。

「……わかった」

 あきらめて立ち上がりかけたそのとき、玄関で大きな物が倒れる音が響いた。

 その場にいた全員が振り向く。少年は我先にと玄関へと駆け出し、それに続けて大人たちが足音を踏み鳴らして廊下を駆け出した。

 少年が玄関を開けると、そこには血まみれの大きな犬が2匹、互いを支えあうかのようにうずくまっていた。

「コマさん!カラさん!」

「ナルサワ……」

 コマと呼ばれた、犬の一匹が辛そうに言葉を放つ。周囲に生臭い血の匂いが漂い、血にはなれたはずの大人たちでさえ顔をしかめ、目を背ける者までいた。

2匹がそっと体を横たえると、2人の人物が長い毛に包まれているかのように姿を現した。

 どよめきが辺りを支配した。ここに集まったものが皆、その人物に見覚えがあったからである。

「父さん……母さん……」

「すまない。我らが付いていながらこのような……」

 コマと呼ばれた大きな犬が力ない言葉を返す。やさしく背中の男性をおろすと、倣うかのようにもう一匹の犬も背中の女性をおろした。力なく地を這う姿からはすでに生気は無くなり、魂が抜けてしまったのが見て取れた。

「いや、親父さんとおふくろさんを連れて帰っただけでもありがたい。ゆっくり休め」

 大人たちの中でもリーダー格の男が二匹の頭をなでた。その温もりを感じながら、二匹は苦しげにひとつ息を吐き、目を閉じた。

「おまえら、ぼっと突っ立てないで仏様をお迎えしろ!おまえとおまえは包帯とチンキだ!急げ!」

「は……へ、へい!」

 男の号令にその場にいた大人たちは目覚めたかのように大慌てで倒れたナルサワの両親を担ぎ上げ、暗い部屋の中へと運び入れた。

 突然沸いたような喧騒の中、二匹の犬とともに動きを止める少年は悲しげに下を向き続けたのだった。

 東の空から光が昇ってくるのが見える。日に日に太陽が顔を出す時間が早くなってきているのを、ナルサワは毎朝の掃除で実感するようになった。

 ナルサワの住居であり、ダンジョンの入り口にあたるセノミは昼になれば多くの冒険者でごった返す。そのため、ナルサワは小さい頃より朝のうちに大鳥居から境内を掃き清めることを日課としていた。

 境内には2体の狛犬が向かい合って鎮座している。その間を竹箒で掃いている内に、ある一つの考えが頭をよぎってきた。

(今年で20歳か)

 すでにあの夜からは数年が経とうとしていた。

 冒険者の救出失敗と当主の死亡。

 当時はこの事件が冒険者の間で大変な動揺をあたえた。

当然である。冒険者たちが安心してダンジョンにアタックできたのもダンジョンキーパーの後ろ盾があればこそであったし、そもそもダンジョンキーパーに冒険者登録をしないとダンジョンに入ることすら許されないのだ。彼らの根幹を揺るがすほどの衝撃を与えたに違いない。加えて次期後継者がいまだ幼い少年であったということから、ダンジョンは閉鎖という噂までまことしやかに流布されていった。だが、それも事件を聞き伝えでしか知らない冒険者の間だけであり、実際にはそうはならなかった。

顔なじみの冒険者たちが幼くしてダンジョンキーパーとなったナルサワを補佐し、守り神のコマ、カラの回復をまってダンジョンは再開されることとなったのである。

硬い箒が石畳を掃く乾いた音が響く。

青年となったナルサワは大人たちの手助けでここまでこれたことを感謝しながら、もう一つ、胸のうちでぐるぐると回る思いを抱いてた。

(俺はこのままでいいのだろうか)

 当主となって数年、もう大人といえる年齢となったナルサワは様々な冒険者を見続けてきた。

一攫千金を夢見る者、スリルと冒険を求めに来た者、強い相手と戦いたい者、家族を養うために来た者……。割合的にはその昔戦に出ていたというような屈強な男たちが多いのだが、中には女性や自分と同じ年齢の冒険者も存在した。

そんな自由気ままな冒険者と比べて、自分はずっとこのダンジョンの入り口、セノミに一人ではりつけられる日々を過ごさなければならないのだ。

いままでも、ひょっとしたらこれからもずっと。

そして待っているのは両親のように……。

「なにを辛気臭い顔をしておるのじゃ」

 後ろから突然声を掛けられてナルサワははっと顔を上げる。

振り返ると、二体の狛犬の足元に二人の少女が立っていた。

両者とも腰まで届く長い黒髪を持ち、巫女装束に身を包んでいる。

その顔立ちはどちらも端整で美しく、片方は童子のような小さい身体に快活な笑みを、もう片方はナルサワと同年代の少女が持つ身長より少し高い程度の背丈で、慎ましく、また心配そうな表情を浮かべていた。

男性であれば思わず振り返りそうな少女たちである。しかし、この二人には明らかに人間とは異なる外見的特長を有していた。すなわち、その本来人間が耳を持つ部分には犬の耳を、巫女服の後ろからはふさふさのしっぽが見え隠れするのである。

「コマさん、カラさん。いたんですか」

「ああ。我らはお前の守り神じゃからな。お前の行くところは我らも付いてくぞ」

口を開けた狛犬の下にいる少女は頭の後ろで組んだ腕をそのままにナルサワの元まで歩みを進めた。その後ろで控えめに、口を閉じた狛犬の下にいたもう一人の少女も付いてくる。

彼女たちこそナルサワの、ひいてはダンジョンキーパーの一族に仕える守り神で狛犬のコマとカラであった。

普段はこうして人型をとっているが、ダンジョンに入ればその鼻と耳を使ってダンジョンキーパーを自在に案内し、遭難した冒険者を見つけることができる。ダンジョンキーパーの職務は彼女たちがいるからこそできる仕事とも言えるのである。

「おぬしがそんな顔だと送り出す冒険者も安心してダンジョンに潜れん。のう、カラ」

「(こくん)」

 カラと呼ばれた犬耳の少女がうなずく。

「おぬしには我らがついておる。安心せい」

 そう言ってコマは薄い胸を張り、ナルサワの背中をバシバシと叩く。彼女たちなりの励ましに心が軽くなる感じがした。

なるほど、一人じゃない。

そばに人がいるだけでこんなに心が変わるのかと驚きを覚えるナルサワであった。が、次のコマの一言で再び重石がのしかかるのを感じた。

「ありがとう、コマさ……」

「経験はいずれ付くのじゃ。若いことを不安に思うことは無い。気楽にいけ気楽に。わははは」

「……」

 楽観的に笑うコマをよそに、そうじゃない、とナルサワは思った。

 ナルサワの悩みはたしかに若いことだが、それは若いからこそ、このままでいいのかという不安だった。

コマとカラが目の前にいるので顔にはその思いを出すまいと思うが、そう思うたびに心はどんどんと影をさすのだった。

(このまま、このダンジョンの入り口で生涯を過ごすのか?そしてとうさんとかあさんみたいに……)

 脳裏に数年前の夜がよぎる。鼻腔を襲う体液の匂い。生気を失った両親の顔。

 そしてその顔がまるで水面のように自分の顔を映し……。

「ナルサワ!」

 コマの大きな一声で再び頭を覚醒させられた。

顔を下げるとすぐ目前にまでコマの顔が迫っていた。

「え……」

「なにをぼさっとしておる。とっとと掃除を終わらさんか、阿呆」

「あ、ああ。ごめんなさい」

 手にした竹箒でさっと境内を掃く。

気の早い冒険者は日が昇ってからすぐにでもダンジョンに向かう。もたもたしていられないのはたしかだった。

早く掃除を終わらせようとさっと砂埃を脇にどかすのと同時に、暖かく、やわらかいものに包み込まれる感触が体に広がった。

「カラさん?」

「だいじょうぶ」

 いままで沈黙を守っていたカラが、唐突に後ろから抱きついてきたのだ。

 体を包みこんだカラの体からはかすかに日の匂いがする。急に抱きしめれた驚きとともに、胸元に感じる双球の感覚に心臓が跳ね上がった。やや上気した顔を後ろに向けると、垂れ目がちな瞳が迎えてくれた。そのまなざしが頭の中の水面をかき乱し、心に生気がよみがえってくるのを感じる。まるで母親に抱き上げられた赤子のような気分を覚えていた。 

「私たちがついてる。守ります。今度こそ、あなたを」

 今度こそ、と言う言葉に並々ならぬ気配を感じてもしかしてと思う。

(カラさんはわかっている……?)

耳元でゆっくりとささやかれる言葉に目を閉じ、寄りかからないように注意しながら体の力を抜く。

数秒立ってから「ありがとうカラさん」と礼を述べてカラの胸から離れた。

完全に不安が取れたわけではないが、一時的にでも心の平穏を取り戻せたことにナルサワは感謝していた。

後のことは後で考えよう。今は今のことを考えなくては。

「まあ、そういうことじゃ。大船に乗った気で気楽にいろ」

「うん」

「……ありがとう」

 3人を暖めるように朝日はさんさんと降り注いでいた。

「では7日後の日没までには戻ってきてください。お気をつけて」

白衣の袖をまくって札を渡す。

受け取った男は「わかってるよ」と威勢のいい声を上げて仲間たちと共に大鳥居まで歩いていった。

すでに日は高く昇り、セノミの境内は冒険者たちであふれかえっていた。

その多くはこれからダンジョンへのアタックを目的としているが、中には情報収集のみが目的だったり、冒険者へのインタビューを試みる新聞記者も混ざっている。

 ごったがえす境内の脇、社務所にて冒険者たちはダンジョンの入場や冒険者としての登録を行う。そこではナルサワとコマ、カラの三人が並んで窓口を受けつけていた。

「これで登録はおわりじゃ。がんばってこい」

「……お気をつけて」

 一組の冒険者の処理が終わり一息ついたところで、コマとカラのところに再び新たな冒険者がやってくる。

両者に挟まれた位置にいるナルサワの前にはいまのところ並ぶものはいない。脇に用意した竹筒の水を一口飲み、やはり対応されるなら若い女の子の方がいいのかな、と苦笑を浮かべた。

 こうして横から観察すると、二人とも違う魅力を持っていることにあらためて気づかされる。

コマは幼い外見に鈴のような丸い瞳をし、さらに口元から見える犬歯が可愛らしいの言葉を誘っている。逆にカラは眠そうな垂れ目に艶のある黒髪、そして着飾らないその姿から清楚な印象を抱かせる。

そして極めつけは顔の両側に付く犬の耳とおしりから生えるふさふさのしっぽなのであろう。初めて見る冒険者の中には気味が悪いと思う人もいるらしいが、慣れてくると語りかける言葉に反応してピクリと動く耳や、感情に合わせて動くしっぽに魅了されてしまう。

そういった普通の人間には無い点で冒険者に人気があるのだろうなと文机に肘を付いて考えるナルサワの前に、不意に人影が覆いかぶさってきた。

「よう、ナルサワ。ずいぶんと暇そうじゃねえか」

「カワグチさん?」

 無精髭をはやした壮年の男で、色黒でがっしりとした体を青い甚平で包み、左手には木刀をつかんでいる。

カワグチと呼ばれた男は目線をナルサワに合わせ、そのあと冒険者の対応をしているコマとカラに目を移した後、ささやくようにつぶやいた。

「両手に花とはこのことだな」

「な、なんのことですか」

「とぼけんなや。見惚れてたくせに」

「そんなこと……」

「ま、相手は神様だ。見目麗しいのは当然だろうな」

 にやついた顔をするカワグチに声を上げようとするも、さっと体を上げて逃げられてしまう。出かかった言葉を飲み込み、ナルサワは平静を装ってカワグチへと視線を向けた。

「で、今日はどんなご用向きで?もしかしてダンジョンに行く気なんですか」

「まさか。この怪我で何年前に冒険者を引退したと思ってんだ」

 カワグチはククク、と低く笑いながら左肩から袈裟懸けにえぐられた様な傷を見せる。そして左手の木刀をナルサワに見せるように持ち上げた。

「なに、そろそろ昼時だろ?みんな昼飯にでていくから暇ができる。その間にお前に剣の稽古でもつけてやろうかとな」

「はぁ」

「昼飯は奢ってやるからよ。腹ごなしにもなって一石二鳥だろうが」

「いえ、まだ仕事があるので遠慮しておきます」

「おいおい、つれないやつだな」

 素っ気無い返事にカワグチは苦笑いを浮かべた。ナルサワもどうしたものかと頬を掻くと、遠くから「カワグチさーん」と呼ぶ声が聞こえた。

見てみるとカワグチと同じような大人たちが数人集まっている。カワグチも振り返ると「げっ」と一声上げて固まってしまった。

「めんどくさいのに見つかったちまったなぁ。ありゃ一緒にどこか飯食いに行きましょうかって顔じゃねえか。逃げるか」

「いいんですか。冒険者組合の組長なんでしょう」

 ここぞとばかりに反撃にでるナルサワに、心底悔しそうな顔を向けたカワグチは溜息をついた。

冒険者組合とは引退した冒険者が自主的に集まってダンジョンキーパーの活動を補佐する寄り合いであり、主に冒険者達の長老衆のような存在となっている。

数年前に起きたナルサワの両親の事件の後に若いダンジョンキーパーを助け、ダンジョン再開までこぎつけることができたのもこの冒険者組合の存在が大きかった。

そして当時からもカワグチが組合の長を務めており、ナルサワにとっては親代わりと言える存在なのである。

「組長だから嫌なんじゃねえか。上のものとしては飯の一つも奢ってやらなきゃならねぇ。だがあれだけの人数はさすがにキツイぞ」

 見れば5,6人は集まっている。こちらに向かって手を挙げてやってくるのを見てあきらめたらしく、再び溜息をついてからカワグチは窓口を離れた。

「しゃあない、行ってくるか。じゃあなナルサワ。また今度稽古つけてやるわ」

「はい、また今度」

「ふん、急に元気な声だしやがって……おっと」

 後ろ向きに右手をひらひら振って集団に向かっていったカワグチだが、次の瞬間には脇からやってきた冒険者にぶつかってしまいよろめいてしまっていた。

「すまねえな……!?」

「……」

 ふわりと広がる異質の髪に、カワグチだけでなく待っていた集団も、ナルサワも息を詰めた。

ぶつかってきたのは周囲から見ても明らかに浮く、金髪碧眼をした――それはナルサワたちの暮らす「イースト」とはまた違った文明をもつ「ウェスト」から来たことをあらわす――少女だった。

金属の鎧を縫いこんだ青い服を身につけ、腰には同じく金属でできた棍棒――メイスを付けている。総じて重そうではあるが、鎧が必要最低限の箇所にしか着いていないのでさほど苦でなさそうである。

周囲が時間を止めた中、彼女一人だけがまるで当たり前のように「こちらこそ」と言うと、颯爽と歩みを進めていった。

初めて見るウェストの人間、それも自分と同じくらいの年齢の少女にナルサワは呆然としていたが、すぐに彼女が歩いていった方向を見てぎょっと席を立った。

彼女はまっすぐに大鳥居を目指していったのだ。

「ちょ、ちょっとまってください!あなた冒険者ですよね」

 その声に少女は振り向くと、だからなんだと言いたげな目をナルサワに向けた。

意図に気づいたカワグチがすぐに少女のそばによると、2,3ほど話をして少女を社務所に連れてきた。案外物分りがいい性分らしくてナルサワはほっと胸をなでおろした。

ナルサワの目の前に来た少女は胡乱な目で見つめ、「ここで冒険者登録をしなければならないのか?」と言った。

「そうなんです。勝手に入られるとダンジョンキーパーが冒険者を管理できなくなってしまいますからね」

「管理、ということは金をださなければならないのか」

「え、い、いや、それはないですけど」

「そうか」

 急に穏やかな表情で微笑む少女に戸惑いを覚えながらも、ナルサワは机から用紙と筆を取り出した。

「ここに名前と、常備している武器、あと仲間がいればその人達の名前と人数を書いてください」

「わかった」

 予想に反し手馴れた様子で筆を扱う少女をナルサワはついじっと見つめてしまう。

日の光を受けて稲穂のような輝きを見せる髪に青い空のような瞳は、見慣れていないというだけではなく、その少女の美しさを際立たせる一種の武器とも思えるのだった。

あまり見つめるのも失礼だな、とふと思い、視線を下にさげる。そこには綺麗な字で「ポウ」と書かれていた。

「ポウさん、ですね。では登録をおこないますので少々おまちください」

 そう言ってナルサワは受け取った用紙の内容を帳簿に書き写した。

ウェストとイーストでは言葉や文字がぜんぜん違う。以前に冒険者からそう聞いていたナルサワはつい写しながらも、ポウの書く綺麗なイーストの文字をじっと見つめた。

「なにか?」

 用紙を見つめるナルサワを不審に思ったのか、ポウが眉をひそめて詰問するかのように言った。

「あ、い、いえその、字がお上手だなと思いまして」

「来る途中の船で練習したのでな。他にやることもなかったのでずいぶんと上達した」

「そうですか」

 どぎまぎした気持ちを抑えるために深く息を吐く。すこしでも気分が落ち着いたところで、ナルサワはいつものようにダンジョンの説明をした。

「……以上がここのダンジョンの説明です。あとはあなたの拠点となる宿ですけど、いま空いてるのは旅籠「桔梗」ですね。手配はこちらで行いますので帰ってきたらそちらを使ってください」

 ダンジョンには冒険者が多く集まる分、彼らを目的とした宿も自然増えてきていた。彼らに対する宿の手配もダンジョンキーパーの仕事であった。

だが、ポウはその「宿」の言葉を聞いて再び眉を歪めた。

「宿、ということは金がいるのか」

「は?」

「金がいるのか、と聞いている」

「それはまあ、あの人たちは商売でやってますからお金はかかりますよ。でもそれが……」

「なら宿はいらない。野宿でいい」

「はあ?」

 思いがけない言葉にナルサワはずいぶんと素っ頓狂な声を上げてしまった。しかし、それは周囲で物珍しく見ていた人々も同じである。

まさかここに来て宿がいらないという冒険者はだれも聞いたことがなかった。

予想外の言葉に、社務所一帯がまるで時を止めてしまったかのようであった。

「いやいや、嬢ちゃん」

 真っ先に我に返ったカワグチはポウのそばに近づいた。

「ウェストがどうだったかはしらねえがこの辺りは荒くれ者が多いんだから、無茶は言わねえで宿はとっておきな。桔梗屋ならそんなに金もかからねえよ」

「気遣いは無用だ。野宿は何度も経験してきたし、それなりの事態には遭遇してきた。それに金は極力使いたくない」

「なんでまた……」

「金が惜しいからな」

 あまりの返答にカワグチは口をだらしなく開け、閉じるということを忘れたようにしばし呆然と立ち尽くしてしまった。

それを見てもう話は済んだと思ったのだろう。「もう行っていいか」と大鳥居を指差してポウはナルサワを凝視した。

しかしこのまま終わらせてしまってはダンジョンキーパーとしての職務は果たせない。それでは他の冒険者に示しがつかなくなってしまう。それはナルサワにとっても、ひいては一族のためにも決して良いことではなかった。

ナルサワは体を社務所から乗り出し、ポウを正面から見つめるような体勢をとった。

かすかに女の子特有のにおいが鼻をかすめ心に揺さぶりをかけてくるが、気にせずポウに相対して言葉を投げかけた。

「まだ話は終わってません。宿をとっていただかないと……」

「だから宿はいらないといっているだろう」

「そういうわけにはいかないんです。それで何か問題があればダンジョンキーパーとして冒険者の管理を任されている私の立場がありません」

「あなたに迷惑をかけるつもりは毛頭ない」

「ならちゃんと宿をとってください。それが一番迷惑がかからないんです」

「宿をとらなくても迷惑をかける気はない。要は問題を起こさなければいいのだろう」

「そうじゃないんです!」

「そうだろう!第一、私には自分に金をかけるほど家に余裕は……」

 そこまで言ってポウはいきなり押し黙った。ちらとだけ聞こえた「家」という単語にナルサワは疑問を覚える。だが、ポウがいきなり「ともかく!」と声を張りあげたので思考は脇へと引っ込んでしまった。

「私には宿に使える金を持っていない。それが野宿したいという理由だ」

 ふん、と鼻息荒くそっぽを向いたポウはそれ以上は何も言うことはない、とでもいいたげであった。

一応文無しの冒険者のために、ダンジョンで手に入れた品物の一部を宿代にあてるという方法もあるにはある。しかし本当に宿代がないとは考えにくいポウにそれを適応するのもどうかとナルサワは思った。それに「金を使う」ということに異常な反応を示す彼女がその程度のことで宿をとるのかという疑問もある。

 どうしたものかと考えていたところ、不意に隣からふふん、と鼻で笑うような声が聞こえた。

 絹の下でやわらかいものがわさわさと動き回る音が聞こえる。

面白いものを見つけたように目をきらめかせ、犬耳を揺らすコマであった。

「ずいぶん面白いことになってるな。あまりの騒々しさに人が集まってるのにだれもこちらにこぬぞ」

 そう言って鼻息強く両の手を腰にあて、ばつが悪そうにしている人々を見回す。

カラもおろおろと心配そうに周囲を見渡しては、どうしようかと思いあぐねている様子だった。

コマの尊大な言葉でポウは初めてコマの存在に気づいたようだ。胡乱な眼差しでコマの耳を凝視している。

「……ずいぶんと変わった子だな。その耳は趣味か?」

「それはお互い様じゃろう」

 そう言ってコマは自分の髪と目を指差す。その仕草にポウはむっとした顔を見せた。

「子どものくせにずいぶんな言い方ではないか」

「生憎、我とカラはおぬしよりずっと長生きじゃよ。ところでずいぶんと金にご執心だが、最低限の出費は目を瞑らなければならぬのは当然だとおもうがの。イーストに来るときの船旅に金は払ったのだろう?」

「……まあな」

「なぜじゃ」

「徒歩も考えたが、時がかかりすぎる。そもそもダンジョンはイーストのなかでも孤立した島の中だと聞いた。どのみち船がいる」

「じゃろうな。無理をせぬのは懸命じゃて。宿をとるのも同じように考えられぬか?」

「宿はなくても死にはしない」

「ほほぅ……」

 コマの目がすぅっと細められた。まるで隙だらけの小鳥を見つけたような目にナルサワは嫌な予感を禁じえずにはいられなかった。

「ダンジョンに行くには体力がもっとも必要なのはおぬしもわかるだろう。野宿ではそれも十分回復せぬだろうに」

「野宿は慣れていると言った」

「野宿をするにしても風雨を凌げる場所がなければ話にならん。言っておくと、このあたりはここ数年の開発で勝手にそんなことができる場所はないぞ」

「そんなことは……」

「ダンジョンの守り神である我が言うのだ。間違いはない」

「守り神!?」

 コマの言葉に胡散臭いとでもいうような声をあげる。ポウはナルサワを、次いでカワグチや周囲を囲む人々をを見据えた。しかし皆、ただ頷くだけであるのを見て、その言葉に偽りがないということを悟った。

「なるほど。その耳は飾りではないと」

「ついでにしっぽもあるぞ。のうカラ」

 ただ黙るだけだったカラが頷く。

もうこうなっては完全にコマの調子に載せられるだ。最後までコマに任せてしまうかとナルサワは思った。

「悪いことはいわぬから、宿ぐらいはとっておけ」

「むぅ……」

 ポウはあごに手を当てて考え込む。深く考え込む仕草に、もう安心だろうと、ナルサワはほぅっと息をついた。

背中を伝う冷や汗が白衣について気持ち悪く感じるが、しかし今はこの悶着が一段落ついたということに気をとられていたのだった。

 やがて苦渋なままの顔を上げてナルサワに視線を合わせた。どうやら腹が決まったようだった。「仕方あるま……」と言ったところで、しかしその声は最後まででることはなかった。

「ああそうじゃ。おぬし金を使うことをやけに嫌がっていたな」

 突然の物言いにポウはもちろん、ナルサワも何事かと思いコマを見つめた。

コマのしっぽは朱袴の下からでもわかるくらい動き回っていた。

「なんだったらセノミの母屋を使うがいい。空き部屋はあるし金もいらぬぞ」

「な、コマさん!?」

「!?」

「お、おいおいそれぁいくらなんでも……」

 コマのいきなりの申し出にナルサワとカラ、そしてカワグチの3人はコマを一様に声を上げた。だがコマはそれらを意に介さず手で「まかせておけ」と制するだけであった。

 かすかに、ポウの目が光っているよう見えた。

「その言葉、嘘じゃないだろうな」

「ああ。いくばくかは家事や仕事に手を貸してもらうかもしれぬがな」

「それは手当てがつくのか?」

「見上げた守銭奴じゃのぅ。考えておく」

 犬耳の少女はくつくつと笑った。

ナルサワはやはり任せるのではなかった、と背中に張り付く不快感を今更ながら思い知るのだった。

 セノミの社務所から渡り廊下を隔てた先にナルサワたちの母屋が建てられている。

その母屋の中にある居間でナルサワとカワグチ、カラの3人がちゃぶ台を囲んで、コマを詰問するように座っていた。

太陽はすでに落ち、室内灯の明かりだけが部屋を照らしている。ガス灯に暖められた空気が部屋の温度を上げ、より張りつめた空間を作り上げているようにも感じられた。

ダンジョンの入り口は日没と共に締め切る。そのため、ナルサワたちは太陽の隠れたことを確認すると仕事を速やかに終わらせ、コマを呼び寄せたのだった。

ポウはというと、登録を終えるとセノミの母屋、あてがわれた部屋に荷物を置いてすぐにダンジョンへと入っていった。

3日間はダンジョンに挑戦することになるので、彼女のことを話すには最適とも言える時でもある。

「コマさん。なぜ勝手にあんなことを言ったんですか」

 開口一番にナルサワはコマを問い詰めた。「あんなこと」とは当然、コマがポウに対して言った「母屋を貸す」ということである。

「もちろん、おぬしらがどんな反応をするか楽しみだったにきまってるではないか」

 対して、コマは飄々と笑みを浮かべるだけでとくに3人を気にする様子は見せなかった。

「こっちは真剣なんですよコマさん!」

「冗談じゃ。そう青筋立てて怒鳴りたてるな」

 両耳を折りたたんで「聞きたくない」とでもいうような姿をとるコマであったが、真剣な表情を向ける3人に「むぅ」と一声うねるとしかたない、とでも言いたげにあぐらをかいた膝の上に手を置いた。

「なに、あやつは宿に金を使いたくないみたいじゃないか。野宿させるわけにいかないなら、ならここに泊めてやるのが人情ではないのか」

「だが、それじゃあダンジョンキーパーとしての立場が危うくなっちまうぜ」

「また……別の冒険者が……同じことを言う……かも」

すかさず言い返すカワグチの言葉に、カラが同意する。

ナルサワもその点を一番憂慮していた。

ダンジョンキーパーは冒険者に平等でなくてはならない。これはダンジョンを管理する上では欠かすことのできない掟である。

冒険者に不平等ではいらぬ不都合を生む原因となるし、最悪ダンジョンの運営に支障をきたす事件の引き金にもなりかねない。

ならば、一度冒険者に与えた待遇はすべての冒険者に適応されるべきである。

つまり今回のコマが行った処置は、冒険者が宿に金を使いたくないときはダンジョンキーパーの家たるセノミの家を貸す、ということを決定付けることにもなりかねない行為であった。

「それぐらいはわかっておるわ。組合の方ではどうなっておる?」

「今回は初めてのウェストからの冒険者ってことで、まずはセノミ預かりの特例にする、てことにした。まあ幸いなんとか言い聞かせられそうだが、それにしても……」

「わかっておるって。手間を掛けさせてすまなかった。だが、少々気にかかることがあっての」

「気にかかること?」

「うむ」

 コマが腕を組んで考え込む。仕事の間は大勢集まる人の中にも気味悪がる人もいるため、しっぽは袴の中に押しこんでいる。今ではしっぽ用に空けた穴から外に出しているが、それも上下にぱたぱたと揺れていた。

「あれは金に汚いわりに身なりが貧相じゃったの」

 言われてナルサワは昼間のポウの姿を思い描いた。

綺麗な金髪に、青い瞳。そればかりに目がいってしまって他をなかなか思い描くことができなかった。

 それはカワグチも同じようで、あごに手を当てたまま考え込んでしまっている。

「なんじゃおぬしら、いくらなんでもおなごにうつつを抜かしすぎじゃろ」

 呆れたように二人を見つめたあと、「カラは気づいておったよな」と言った。

「ん。泥のにおいも」

「さすがにカラは鼻がきく。まあ、あれだけケチケチしていれば身なりはともかく、それなりに金を抱えていそうなものじゃがの。だが、そういうわけでもなさそうじゃ」

「わざわざ遠くウェストから旅に来てるんだ。そりゃ持ち歩ける金には限界があるだろ」

「それはそうじゃが……どこか気になっての。あれは金に汚いのではなく、なにか別の理由がありそうな気がしてならんのじゃ」

 どこか釈然としないといった感じのコマは、ちゃぶ台にあごを乗せ、耳をぴくぴくと動かしている。

 それをよそにナルサワはポウの言動を思い起こしていた。

 ポウが言った「家」という言葉。

(私には自分に金をかけるほど家に余裕は……)

 ナルサワにとってウエストの風景、ましてや一般家庭の様子などは知るよしもない。

しかし、ポウからこぼれ落ちた必死な様相はナルサワにある奇妙な感覚を呼び起こしていた。少し前に、夜中ふと目覚めて廊下に出たら、月明かりで伸びた自分の影を死んだはずの父親と勘違いした時があった。

ナルサワはその時と同じように奇妙で、どこかで見たことがあるという感じであった。

視線をちら、と壁際に向ける。

父親の形見であり、一族にしばらく伝わり続けていると言われる名刀、真改国貞が刀掛けに置かれていた。

 ポウの家はいったいどのようなものなのか。

かすかにそう思うのだった。

「気になるなら本人に直接聞けばいいじゃねえか」

 カワグチの声にふと我に返ったナルサワは思考を押しとどめる。

今は別の事を考える時ではなかった、と自分に言い聞かせて意識をちゃぶ台の方へ戻した。

「聞いて、話してくれるならそれで越したことはないんですけど」

「あの様子では話すとは思えんのう」

 ちゃぶ台に預けた体を起こしてコマは3人を見た。

「まあ、そういうわけで宿に置くよりここで面倒を見て真意を覗いてみようと思ったわけじゃ。なによりこの広い母屋で3人だけというのもつまらんじゃろ」

「いや、つまるつまらないじゃなくてですねコマさん」

「……結局は……興味本位?」

「そうともいえるかのカラ。かははは」

「……事態は笑って過ごせるものじゃねえがな」

 それぞれ三者三様に溜息をつく。

コマの突拍子のない行動はいつものことと思いながらも、その後のことまで手を尽くさねばならぬということにはなかなかやっかいに思うのだった。

「なにはともあれ、ポウが戻って来たらすこし話をしてみることにしよう。ポウのやつめ、荷物を置いたらさっさとダンジョンに入っていきおったから、いろいろと聞く暇もあったものではないではないか」

 それにはナルサワも同意であった。

なにを抱えているのか知らないが、とにかく同じ屋根の下に暮らすことになった以上、意思疎通をしておくのは必要であろう。

そう思って、しかし、なにを話そうかとも思うナルサワだった。

幼い頃から一緒であった守り神のコマとカラは別として、ダンジョンの管理にあたり女性と話すこと自体が久しいナルサワにとって、同じ年頃の女の子というものはまさしく未知の存在といってもよかった。

ウェストの風情、ポウの故郷、好きな食べ物、嫌いな食べ物……そしてポウの家族のこと。

あれこれ思い浮かべるが、今考えても詮方ないと思い、ひとまずは思考の隅に追いやった。

まずはポウが戻ってきてから、そう思っていた。

しかしナルサワにとっては思いもよらない方向事態が待ち受けていたのだった。

ポウがダンジョンに入ってから3日――帰還予定日時を過ぎても戻ってこないのである。

数年前、両親が死んだ日の時のように。

「くそっ!」

 振り降ろされた拳を受けてちゃぶ台が盛大な音を立てて揺れた。当然、上に乗っている湯飲みもたまらずにひっくり返る。

「これナルサワ。行儀が悪いぞ」

「落ち着いて」

 悠長に構えるコマに、あわててこぼれ落ちた茶を拭くカラ。

その動きが訳も無くナルサワをイラつかせて語気を荒くさせるのだった。

「これが落ち着いていられますか。ポウには先日もさんざんな目に合っているのに、さらに期間予定日を守らない。これじゃあ……」

「気持ちはわかるがナルサワ。冷静にならないと余計にドツボにはまるぞ」

 カワグチの言葉にナルサワは言葉を抑えた。

いまは熱くなるときではない。細く絞った目線は言外にそう語っているようであった。

 時刻はすでに夜。ポウが出かけてから4日目を終えようとしていた。

ガス灯が煌々と輝き、4つの影を不規則に揺り動かしている。

大きな影の一つが、ゆらゆらとゆれる小さな影に話しかけた。

「こういう時の対応はわかっているよな」

「……ええ」

 先ほどとは打って変わり、まるで少年のように縮こんだ影は控えめな言葉で答えるのみであった。

冒険者が帰らないときは、ダンジョンキーパーが守り神であるコマとカラを連れて探索に出る。それは歴史上、何十年と繰り返された光景であった。

しかしここ数年はそういったことはなかった。

ひとえに数年前の、ナルサワの両親の事件が冒険者の心理に喰いこんでいるのがある。ダンジョンへの挑戦に危険は付きものだが、命がなくなってしまえばそれまでなのは当たり前である。

また、現在の当主であるナルサワが未だ若く、経験が浅いということから冒険者組合の方でも、あまり無茶な探索はしないようにと触れを出していたのも影響しているのだろう。

とにもかくにも、ここ数年の一般的な冒険者はその辺りを考慮してダンジョンに挑戦するようになっていた。

だが今回の冒険者は遠くウェストから来た、しかもろくに情報を得ずに早々とダンジョンに挑戦した冒険者である。そのようなことを配慮に入れろという方が無茶であった。

「怖いか」

「……え?」

「ダンジョンに入るのが怖いか」

 カワグチからの問いにナルサワはぐっと息を詰まらせる。

ダンジョンは両親が死んだ場所だ。それも、冒険者を助けに行った先で、である。

ぎゅ、と両手で袴を握る。気が付いたら汗がべっとりと掌を覆い、気持ちの悪い感触が広がっていた。

「怖い……ですね。やっぱり」

 正直にそう答えた。嘘や見栄を張るのは簡単だが、そんなものは歴戦の冒険者であったカワグチや守り神であるコマとカラには到底通じるとは思えなかった。

カワグチがひとつ、溜息をつく。

「まあ、仕方ないな。なあコマ。俺がダンジョンキーパーの代理で行くことはできるか」

「できんことはない。じゃが、我らはダンジョンキーパーが居てこその守り神じゃ。それ以外の者ではまともに力は発揮できんぞ」

「俺だって腐っても冒険者だ。剣の腕に覚えはある。ポウを探すことができればいいさ」

「ふむ……カラはどうじゃ」

「ん……」

 ちら、とカラはナルサワを見た。重なった視線はなんとなく悲しそうでもあり、ナルサワの心を照らす日差しのような感じもした。

 その視線もすぐに外し、カラはカワグチの方を向いた。

「なんとか……できると思う」

「そうか。なら我もできうる限りの力はだそう」

「じゃあ、決まりだな。さっそく支度をしよう」

 そう言って席を立つカワグチ。それにあわせてコマとカラも立ち上がったが、ナルサワだけがただ座ったままであった。

袴を握る手をさらに締める。

自分は何もできない。両親が亡くなったときもそうであった。

ただただ大人たちに囲まれて、待ち続けた先に両親の死が待ち受けていた。

ふと鉄の匂いに気が付く。

あまりにきつく手を握っていたために爪が布越しに掌を突き破り、血がにじみ出ていたのだった。

玄関でごとり、と音がした。

ナルサワは驚きでにわかに立ち上がり、誰もいない廊下を渡って玄関へと足を運んだ。引き戸を開けると、そこには血まみれで倒れる2匹の犬、そしてその背には息を止めたカワグチと金髪の女の子の姿が……。

「しっかりして、ナルサワ!」

 大きな声にはっと顔を上げる。その先には珍しく必死な形相のカラが目前に迫っていた。

「カラさん……?」

「……!」

 ぎゅっと抱きしめられことでようやく我に返り、ナルサワは辺りを見回した。てっきり玄関にいたと思っていたのだが、ガス灯の光に未だ居間にいるということが確認できた。

妄想。

掌の痛みがナルサワの心を現実に引き戻すが、同時に暗い影を立ち込めさせた。

「あまり自らを追い詰めるのはよくないの。自分で自分の身を滅ぼしてどうするのじゃ」

 コマが困ったように言った。

カワグチもどうしたものか、という表情でナルサワを見つめるのみである。

「あ……すみません」

「無理もなかろうて。すこし行水でもして頭を冷やしてこい」

「……はい」

 そう言われてナルサワは立ち上がろうした。しかし、カラに強く抱きつかれて身動きができないことにいまさらながらに気づく。

抱きつかれたときは呆然としていたのでわからなかったが、日の暖かさのようなカラの匂いが鼻をつく上、そのやわらかい体を押し付けられているのだ。その刺激に反応して心がどぎまぎしてしまい、どうしても静めることができないでいた。

「カラさん?」

「離さない」

「は?」

「ナルサワが安心するまで、離さない」

 耳元でささやく声は涙まじりになっており、横目で顔をのぞくと明らかに泣いているというのがわかった。

「や、俺はもう安心できてますから」

「嘘」

「いや嘘じゃないですって」

「嘘」

「う……」

 目の前にある犬耳は垂れ下がり、しっぽも元気なく垂れ下がっている。

 なんとかならないものかとコマとカワグチの方を見ると、2人とも「やれやれ」とでも言いたげに笑みを浮かべているのが見えた。

「どうするよ、コマ」

「カラは((吽形|うんぎょう))ゆえあまり喋らぬが、一度感情に火がつけば起こす行動は激しいからの。放っておくのがいいじゃろう」

「だな。じゃあ俺は一度帰って得物をとってくるぜ」

「わしも出立の準備をしてくるかの。終わったら大鳥居まで集まるのじゃぞ」

「ちょ、ちょっとコマさん、カワグチさん!?」

「安心せい。おぬしの心が定まれば離してくれようぞ」

 そう言って二人とも居間から出て行ってしまった。

抱きつかれたカラの頭に手を載せる。さらさらの髪を梳くと、さらに香りが広がってナルサワのざわついた心を落ち着かせた。

「ありがとう、カラさん」

「ん……」

 5分程してようやく、ゆっくりとカラが体を離した。

「カラさんにはこうやって助けらてばっかりですね」

「それが……守り神の勤め」

「はは、確かに」

 赤くはれた目を隠さず、真正面にナルサワを見つめるカラ。

彼女はこうやって何代ものダンジョンキーパーを守ってきたのだろうかと思うと、彼女やコマの積み重ねてきた歴史、ひいてはダンジョンキーパーとしての連なりを感じずにはいられなかった。

居間の壁際を見る。

数日前と変わらず居続ける真改国貞。これも彼女たちに比べれば歴史は浅いが、すくなくとも数代はダンジョンキーパーと共にあった存在である。

刀掛けに掛けられた国貞を握り、そっと鞘から引き抜く。重厚な刀身がガス灯の光に反射してその存在を主張していた。

「俺は……何をしていたんだろうな」

 自分自身に問いかける。

この刀も両親を救うことはできなかった。 だが、なにもできない自分よりははるかに有能だとも思えた。

あのときは無力な少年であったが、今は違う。この刀を振ってカワグチから剣の手ほどきを受けた。実力も駆け出しの冒険者など相手にならない程度には付いたと褒めてもらった。

(なら……俺ができることはあるじゃないか)

 刀身を鞘に仕舞う。刀と一緒に置いてあった絹帯で白衣にたすきを掛け、もう一本で腰帯を作ると国貞を差した。

 そのそばにいつの間にかそばにカラが立っている。顔にはすでに涙が消え去り、嬉しそうに耳をぱたつかせている。

「決心がつきました。行きましょう、カラさん」

「ん」

 2人で玄関を潜る。真っ暗なのでカンテラを手に大鳥居まで行くと、コマとカワグチが待っていた。

カワグチの腰には二本の大小が差してある。

「お、来たか。……その様子だと俺の正宗は出番なさそうだな」

「まったく、心配かけおって」

 ナルサワの姿を見てカワグチは安堵の表情を浮かべた。

それはコマも同じようで、ふん、と鼻息を鳴らすと腰に両手を当てる。

「お世話をおかけしました。このとおり、万事準備が整いました」

 その言葉にカワグチとコマは同時に頷いた。

まだすこし不安は残っているが、それでも押し込めておける位にはなったと感じられる。

「おし、行ってこいナルサワ。修行の成果をふたりに見せてやれ」

「はい。留守はお願いします」

 冒険者の救出にはダンジョンキーパーと守り神が行く。それが本来のダンジョンキーパーの姿であり、部外者であるカワグチは例外が発生しない限りついていくことができない。

なのでナルサワが持ち直した今、カワグチはセノミの留守役としてセノミに残ることになるのである。

「よし、では行くとしようかの」

「ええ」

「ん」

 3人は並んで大鳥居を潜った。

その途端、暖かい夜風に混じってこの世のものとは思えない冷たい空気が3人を包み込んでいった。

 森林の樹海。それこそがこのダンジョンを一言で言い表せる表現である。

本来は単に大きな御山を中央に抱く広大な森であり、入り込んでも磁石さえあれば容易に出ることができる。しかし、セノミの大鳥居から入った場合だけは別だ。

薄暗い霧が立ち込め、右を見ても左を見ても同じような大木ばかりが見え、磁石も回転し続けるだけで役に立つことができなくなる。また、セノミではやかましいほどと感じられた虫の鳴き声も止み、なにか禍々しい、異様な視線と気配ばかりが辺りを支配していた。

冒険者にとっての唯一の目印は、鳥居から入って正面に見える御山と夜の星だけであり、これをもって現在地と方角を推し量ることを余儀なくされるのである。

鳥居を潜ったナルサワはすでに異界の雰囲気で足がすくんでしまうのを感じていた。

小さい頃に両親に連れられ、何度か修練と称して連れられたことがあったが、両親の死以降はまったく足を運んだことがなかった。

ここが両親の死んだ場所。

思い出したくなくても思い出してしまう自分に情けなさを感じていると、不意に後ろから湿った何かを突きつけられた感触がして、びくりと震え上がってしまった。

「なにをしておるナルサワ。ポウの匂いはこの先じゃぞ。さっさと進まぬか」

 慌てて振り返りランタンの光を向けると、いつの間にか本性を現して狛犬型となったコマが鼻を突きつけていた。

カラも同じく狛犬型となって鼻をひくつかせている。

「久しぶりに本性をだすとこの四足もなれぬな。のうカラ」

「ん」

 守り神としての本来の姿、狛犬型となった二人は、大きさとしては共に全長が2m近くあり、ナルサワの胸ぐらいまでの大きさを持っていた。先ほどから鼻と耳を忙しなく動かしては何かを探す仕草をしているが、ダンジョン内ではその鼻と耳で冒険者の居場所を特定することができるのである。

その守り神としての特性がダンジョン内を迷わずに移動することができる秘訣であり、ダンジョンキーパーをその職務に当たらせることができる要因でもある。

「無理はしないで」

 ふとカラは振り返り、心配そうな声を掛けた。その声と視線でナルサワは先ほどのカラのぬくもりを思い出した。

腰に差した真改国貞に触れる。

今は一人じゃない。そう思うことでどうにか足の震えは抑えることができた。

「大丈夫です。行けます」

「よし、その意気じゃ。ではカラ、続けて探索を頼んだぞ」

「ん」

カラが一歩進んでナルサワの前に出た。鼻を高く上げ、耳を激しく動かしてはポウの居場所を特定しようとしている。

やがて、ぴたりと耳の動きが止まった。

「かなり遠いけど……だいたいわかった」

「さすがカラは探し物が上手いの。わしはまだ方角しかわからぬぞ」

「ん。私が先導する……ナルサワは後ろを付いてきて」

「わかりました」

「では、我は殿を務めるかの」

 こうしてカラ、ナルサワ、コマの順でダンジョンを進むこととなった。

大木を抜け、時折現れる大猿のような生き物や危険な人食い植物を撃退し、急斜面を下り、沼を迂回してはポウの匂いをたどりダンジョンを歩き続ける。

すでに夜は明け、陽が東から南に近づこうとしていた。

途中休憩を挟みながら進むうちに、ついに3人はダンジョンの奥、御山の近くにまでたどりついたのだった。

3人の目の前には御山に開いた大口のような洞窟が暗闇を広げて待ち受けていた。

「この先から……ポウの匂いがする」

「この先……ですか」

 1メートル先も見通せない暗闇を覗くと、、まるでダンジョンに漂う瘴気はここから撒き散らしているのではないかというような思いにとらわれてしまう。

だが、ここで足を止めるわけにはいかないということはナルサワがよくわかっていた。

カンテラをかざすと、光に当てられたなにかがうごめくような気配を感じる。

それは気のせいだ、と心に唱え続けてナルサワは洞窟に足を踏み入れた。

その両隣を支えるようにコマとカラが並んで歩みを合わせる。

きぃきぃとコウモリの鳴き声に近い音が辺りに反響していた。今のところはそれらが襲い掛かってくる様子はないが、ダンジョンでは何が起こるかわからない。

気を引き締めながら歩くうち、水が流れる音が聞こえてきた。

湧き水があるのか、と思いながら音の方向をふと覗くと、鼻をつく匂いを感じた。

なにかが燃えたあとのような、つんとした匂い。そのの向きにカンテラを向けると、集められた木が燃えかすとなって残っているのが見受けられた。

明らかに誰かが焚き火をした跡であった。

「コマさん、カラさん」

「うむ。焚き火跡のようじゃの」

「近い……もうすぐ……」

 焚き火跡を調べるナルサワとコマを他所に先ほどよりさらに激しく匂いを嗅ぐカラは、不意に立ち止まると弾けるように2人のほうを向いて声を上げた。

「見つけた」

「本当ですか、カラさん!」

「うぬ。よくやったぞカラ!」

「こっち」

 湧き水の流れを滑らないように慎重に歩く3人。

数分も歩かないうちにナルサワの持つカンテラの光は洞窟のでっぱりを枕に横になる人物を照らし出した。金色の輝きを返すその髪の人物は、まさしくポウであった。

「ポウさん!」

 真っ先にナルサワはそばに駆け寄ると、かすかに開けられた口元に手を当てた。

瞳は閉ざされているが、口からは規則正しい息が吹きかけられ、大事はないことが確認できる。

ひとまず胸を撫で下ろすナルサワだったが、ポウは深く疲労しているのか抱き上げても目覚める様子はなく、服や縫い付けた鎧はボロボロに傷ついており、腰に差したメイスも血脂や泥がこびり付いていた。

「コマさん。彼女を載せられそうですか」

「余裕じゃ。おなごならさほど重くなかろう」

「わかりました。乗せますよ……」

 抱き上げたポウを優しくコマの背中に乗せる。

そのときだった。

「ん……」

 ポウが呻くような声を出すと、薄く瞳を開けた。

「ポウさん。気づきましたか」

「あなたは……ダンジョンキーパー?ここは……」

「まだダンジョンの中です。帰還予定日をすぎても戻ってこなかったので、あなたを迎えにきました」

 そう言ってポウの腕をコマの首に巻きつけるように置く。あとはコマが慎重に運べば特に落ちる心配はない。

だが、ポウはその腕を伸ばし、コマから降りようとしていた。

「ちょっとポウさん!?」

「お、おい……」

コマがバランスを崩し、ついポウを落としそうになってしまう。

横からカラが支えに入ってバランスを取り戻すが、なおもポウはコマから降りようともがいていた。

「ん……」

「おぬし無茶をするな。ろくに動けんじゃろ」

「大丈夫だ……そこの荷物を取りたいだけだ」

「荷物?」

 ポウの視線を追ってカンテラの光をかざすと、たしかにポウの物らしき袋が壁に立てかけられていた。

しかしその大きさはポウの身長に迫るほどに大きく、見るからに重そうな袋である。

とても救助者を抱えながら持って帰還できるほど余裕のある大きさではない。

「あれは……ぜんぶおぬしが集めたものなのか?」

「ああ。この3日間で手に入れられる宝はすべて取ってまわったからな」

「大きい……」

 コマとカラが呆れてしまっている。当然、ナルサワも同じ気持ちであった。

「だめです。あんなものを担いでいては、襲われたとき応戦できません」

「なんとしても持ち帰らねば……」

「無理です。そもそも3日目で帰られるように抑えていればこんなことにはならなかったんですよ」

「目の前に金目のものが転がっているのに、拾わずにどうしろというのだ」

「……とんでもない守銭奴ですね、あなたは」

「勝手に言え。なにを言われても、私はあれを持って帰る」

「ちょ、おぬしそんなに動くな、落ちるぞ!」

 なんとしてでもコマから降りようとするポウと、バランスを崩して倒れないように必死に抑えるコマとカラが揉みくちゃになってしまっている。その間、ナルサワはポウに対して気にかかっていた点を思い出していた。

(家に余裕は……)

「家のため、ですかポウさん」

 その言葉に、ポウはぴたりと動きを止めた。

 ナルサワの方に顔を向ける。その顔はまるで鬼のように牙を向いた形相であった。

「貴様、なぜそれを知っている」

「知りませんよ。あなたの言葉や行動から類推しただけです」

「……ふん」

 それだけ言うと、顔を逸らしてしまった。

 ポウがおとなしくなった隙にコマが体を地面に付けた。地面が近くなったのを幸いにポウは動かない体を這ってコマの体を降り、袋の方に近づいていった。

体を擦る音が洞窟の壁に響く。

しばらく沈黙を保っていたナルサワだったが、不意にポウを追い抜き、大袋を「よいしょ」と勢いよく担ぎ上げた。

「貴様……」

「わかりました。これは私が担いで持って帰ります。ただし、危険が迫れば躊躇無く捨てますからね」

「……」

 ポウは何も言わなかった。

ナルサワのそばにコマとカラが近づく。

「大丈夫なのか、ナルサワ」

「平気でしょう。ある程度は雑に扱っても人間みたいに文句は言わないですから。コマさんは彼女を、カラさんはカンテラで先導をお願いします」

「ん」

 袋を担ぐ際に地面へ置いたカンテラをカラは口にくわえ、出口へと向かっていった。

ポウは近づいたコマに乗り、落ちないように首に手を廻すとゆっくりと歩き出した。

そしてナルサワは大きな荷物を抱え、遅れないように付いていったのだった。

 それからの道中、ダンジョンのトラップや危険生物の襲撃はあったものの、一向は警戒を解くことなくダンジョンを脱出し、ついにセノミまでたどり着いた。

一度昇った太陽はすでに没していた。

暗闇のなかで大鳥居をくぐったナルサワたちはすでに疲労がたまり、動き続けなければ今にも倒れそうな状態である。

そんな彼らの前に、多数の明かりが待ち受けるように灯されていた。

「おかえりー!」

「待ってたぜナル坊!」

「初仕事おめでとう!」

 明かりの数に倍する人々がそこに集まっている。

驚きのあまり立ち尽くすナルサワたちだが、すぐに彼らの見知った顔を見て気づいた。

多くの冒険者だけでなく、周囲の旅籠の関係者にいたるまで――ナルサワの帰りを待ち続けていたのだ。

口々に囃し立てる中心に、カワグチがいた。

真っ先に彼のところに歩み寄ると、カワグチはナルサワの体を支えるようにしがみついた。

「よくやったな、ご苦労さん」

「カワグチさん……この人たちは?」

「別に俺が呼んだわけじゃねえ。ダンジョンキーパーが冒険者の救出に入ったからしばらくセノミを閉めるって触れを出したら勝手に集まってきやがった」

 呆れるように周りを見て、それにばつの悪そうな顔をする聴衆。

ナルサワも彼らの心情をはかり、なんとなく気恥ずかしく感じた。荷物を降ろして顔を下ろす。

「まあ、奴らなりに心配してたんだろ」

「そうですね」

 そう言って改めて顔を彼らに向けた。煌々と照らす明かりに心が暖められるのを感じる。

「皆さん、ありがとうございます!このとおり勤めを果たして参りました」

 歓声が一段と大きく鳴り響いた。

そんな中、未だ狛犬型をしたコマが渋い顔をしてナルサワの前に出てきたのだった。

「嬉しいのはわかるが、おぬしら我々が今しがた帰ってきたばかりなのを忘れてはおらんか?だれぞこの怪我人を運ばんか!」

 コマの一喝とともに、背中に抱きついているポウを見て人々は慌てたように動き出した。

その様子にポウは薄く笑みを浮かべた。

「イーストの連中は大概こうなのか?」

「いや、奴らが浮かれてただけにすぎん。気にするな」

「そうか」

 屈強な男たちによって持ち上げられたポウはそのまま母屋へと運ばれていった。

この後、ダンジョンキーパーとして初の勤めを終えたナルサワのために酒宴をしようと誰かが言い始めたのを皮切りに、集まった人々は再び浮かれ出した。

血の気の多い冒険者たちはなにかと言えば酒盛りをしようとする連中である。

主役であるナルサワがいなくては話にならないと、連れて行こうとして巻くしあげる輩もいたが、さすがに今回は帰ってきたばかりということでナルサワは不参加、「やりたい奴だけが勝手にやってろ」というカワグチからの裁量が下された。

そして境内には誰もいなくなり、静かになったセノミには虫の声だけが鳴り響いていた。

ナルサワも自分の部屋に戻り、一つ溜息をついた。

やりとげたという思いが募り、吐いた息から疲労が抜け出すのを感じる。

言い知れぬ気持ちよさが体を駆け抜けるとともに、ふと床に置いた荷物を思い出した。

「そういえば……これを置いてこないと」

 それはポウがこの3日間で集めたダンジョンの宝物である。

人間ひとりなら入り込めそうな大きさの袋を見て、ポウの執念深さを改めて思い浮かべるのだった。

家のため、と言った言葉に反応したあの態度。

家といえば、ナルサワにとってはこのセノミ、ひいてはダンジョンキーパーという一族のことに他ならない。

このままダンジョンキーパーとして生きていくことに不安を覚えるナルサワにとっては「家」とは漠然とした闇に他ならなかった。

その家のためにここまでできるポウは、いったい何者なんだろう。

一度持った興味は尽きることが無かった。

しかも、ちょうどナルサワの足元にはポウの元へと導く格好の「理由」がある。

「……行くか」

 疲れた体に鞭打ち、大きな袋を背負ってナルサワはポウの部屋へと向かった。

                           †

 ポウの部屋には明かりが付いていた。

閉められた障子の前に立ち、中の気配を伺うと「誰だ」と声が聞こえた。

どきりと心音が跳ね上がるが、元々この部屋に用があったのだ、と自分に言い聞かせて気持ちを落ち着かせる。

「ナルサワです。荷物を預かったままでしたので持ってました。入ってもいいですか」

「そうか、すまない。いいぞ」

「失礼します」

 障子を開けて中に入る。

6畳間の部屋の中央に布団がひかれ、その中でポウが横たわっていた。

先日部屋を提供したばかりなのでポウの私物らしきものは脇に寄せてある武具のほかに見受けられない。

しかし、初めて他人の、しかも同じ年頃の女の子の部屋に入るという気がもたげてつい部屋を見渡してしまった。

 持ってきた荷物をポウの私物の隣の置く。

「荷物はここに置いておきますね」

「ああ、ありがとう」

「どういたしまして。傷の具合はどうですか」

「おかげさまだ。まだろくに体は動かせんが大分よくなったと感じている」

「それはなによりです」

 そう言ってナルサワはポウの枕元に座った。

「ちょっと話したい事があるですけど、平気ですか」

「多少はな。なんだ?」

「ウェストの事です。特に、あなたの家について」

「……」

 ナルサワとポウはしばし目線を合わせた。

それからポウは体ごと背中を向けてそっぽを向いていしまった。

 ランプの炎が芯を焦がす音だけが聞こえる。

ナルサワはぽつりと、言葉を漏らすように話し始めた。

「ご存知のとおり、私の家系はダンジョンキーパーとして、ダンジョンを管理する一族です。数年前に両親が冒険者の救出に失敗して他界し、私が跡を継ぎました。

 人生50年と敦盛という歌で歌われるように、人間の寿命は50年ほどです。

私は今年で20になります。あと、30年はこのダンジョンを守り続けることになるでしょう。

それで、最近思うんです。このままでいいのか、と。30年このセノミで暮らし続けて、冒険者をダンジョンへ送り、問題があれば解決、救出に向かう。

冒険者ほどではないでしょうが、それでも危険は付きものです。自分がどんな死に方をするのだろうと思うと不安で仕方ないんです。

ちゃんとこの母屋で死ぬことができればいいんだけど、俺の両親はそれが叶わなかった。

小さい頃に両親の死体を見て、俺もこうなるんじゃないかと思うと……思うと」

「それを私に言ってどうする」

 その声にはっと顔を上げる。ポウが背中を受けたままであったが、顔はこちらを向けていた。

「そんな先のことは知らん。それでいいか悪いかは後で考えるものだ。今の自分が信じる道を歩めばそれでいいだろう」

 すこし辛そうに、ポウは体をこちらに戻した。

その碧眼は湖のように深く、ナルサワの心を包みこむように向けられている。

「そんな感情的にお前の私生活を話されてはこちらも話さなければならないではないか。絶対に誰にも言うなよ」

 ナルサワは軽く頷いた。

一度深く息を吐き出し、ポウは話し始めた。

「私の家はこれでも貴族で、10年ほど前までは町の領主だったんだ。

 だが、驕りがあったんだろうな。私が物心付いたころにはすでに傾いていて、昨日あった調度品が今日には無くなっているということがたびたびあった。

父上には商才も無かったし、母上は貴族の妻だけあってただ意味もわからず微笑むだけ。最近になって領主権も他家に譲り、家系を維持するだけで精一杯という有様だ。

ただ、兄上だけは別だった。

剣の腕がすこぶるよく、その腕を買われてウェストの聖騎士に選ばれるほどだった。私の腕前も兄上に教えを受けたからこそ、ここまで戦ってこれたのだ。

その兄上の給金でなんとかやっていけたのだが、我が家系はとことん運が尽きていたらしい。

昨年、兄上が流行り病で死んだ。

他はまだ幼い兄弟たちで、とても家を支えられる金を稼げる年頃ではない。ならば当然、一番年長である私がなんとかするしかないではないか。

生憎、体を売るほど落ちぶれてはいない。 兄上から教わった腕前でなんとかするという手があったが、女である私を雇う軍や傭兵団などはどこにもなかった。

途方にくれていたところでふと、兄上が以前話していたダンジョンというものを思い出したのだ。

遥か東、イーストというところにダンジョンがあり、そこでは一攫千金が狙える宝が山ほどあるという。

それを手に入れてウェストに送れば、家を救えるのではないかと、そう思ったのだ。

まあ、ざっと話すとこんなところだな。だからどうしても金が必要というわけだ。理解できたか」

ポウの独白を聞いたナルサワは、心に刺さったトゲのようなものを感じていた。それにそっと触れてみる。

「一つ、聞いていいですか」

「なんだ」

「いつまで続けるつもりですか」

「無論、家が再興するまでだが」

 トゲが指を刺した。

指先から流れ出るものが、心の中に流れ込んで喉元からこみ上げてきそうになる。

「それでいいんですか」

「なにが」

「見たところあなたは私と同じ年頃ですよね。まだ何十年と生きるというのに、家に捕らわれなければならないなんて……」

「もう『俺』とは言わないんだな」

「茶化さないでください!」

「ふん」

 見上げるポウの瞳は相変わらず深い。

ナルサワはどうしてもその瞳から顔を背けることができずにいた。

「これも自分の運命だと思っているよ。自ら決めたこと、後悔はない」

「運命……」

「そういうことだ。それにさっきも言っただろう。いいか悪いかは後で考えるんだ。今あれこれ悩んでも、決めた先で必ず『あのときああしていればよかった』と後悔するんだ。だったら、今の自分が信じてる道をひたすら進むしかない。そうすれば『あのとき自分が選んだ道だから』と思うことができる。後悔が少なくなる。それでいいんだと私は思うよ。少なくとも今は、な」

「……」

 言葉は続かなかった。

いいか悪いかは後で決める。

自分が信じた道を歩くのみ。

この言葉がぐるぐるとナルサワの頭をめぐっていた。

いままでナルサワは「今の自分がこれでいいのか」と考え続けていた。しかし、それを考えるのは「今の自分」ではなく、「未来の自分」であるとして、置き換えるべきではないのか、と考えるようになった。

「未来の自分が、これでよかったと思えるのか」

未来のことは誰もわからない。守り神であるコマやカラでもおそらくはわからないのではないのだろうか。

だからこそ、今の自分が信じた選択をするしかない。

過去の自分がこれでいいと思ったから今の自分は存在する。そう思えばこそ、後悔はない。

だからこそ未来の自分が後悔しないように、自分がこれでいいと信じる道を進むのだ。

そのためになにができるか。

ナルサワは勢いをつけて立ち上がった。

「もういいのか」

「ええ。あなたのことがすこしは理解できるようになりました。ありがとうございます」

「そうか。出ていくついでにそこの明かりを消していってくれないか。ここに運んでいった者たちが付けてくれたんだが、私の体が動かないということを忘れていったらしい。眩しくて眠れないんだ」

「そうですか、それは失礼しました」

 ナルサワはランプの炎を吹き消した。

とたんに明かりが真っ暗となり、月明かりだけが周囲の輪郭を浮かび上がらせるのみとなった。

ポウの体を踏まぬように注意しながら、ナルサワは廊下に出た。

「では、おやすみなさい」

「ああおやすみ」

 障子を閉じる。すぐに穏やかな息遣いが向こうから聞こえ出した。

ふと庭を見ると庭に黒い道ができているのが見えた。

何と言うことはない、ナルサワから伸びた影が庭を横切っているだけである。

だが、今のナルサワにはそれが「道」に見えるのだった。

庭に向かって一歩を踏み出す。しかし影も同じ距離だけ離れ、足を入れることができなかった。

「俺は、なにができるんだろうな」

 それだけを呟き、自分の部屋へと足を転換させた。

翌日からはまたセノミを開放し、冒険者を迎え、送り出す日々が始まる。

自分の周りには守り神のコマやカラ、カワグチをはじめとした大人たち、そしてポウがいる。ダンジョンキーパーとしての勤めをしながら、追々考えようと思うのであった。

                              了


 
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