月よ、見ていますか?
月よ、見てくれていますか?
月よ、どうか何時までも、どうか――
何時か、未来の夜の地で……
~かみさまおつきさま~
祭り囃子が、山を染めていきます。時に喜び、時に悲しみ、時に……それは、まるで万華鏡のよう。
綺麗でした。ただ、綺麗でした。
少なくとも、イザヤはそう、思いました。
イザヤはまだ幼い子供でしたが、だからこそ、沸き上がってきた想いに素直でした。何処までも、純粋に。
ですが、イザヤがそれを表に出す事はありません。かすかに髪の隙間から垣間見える瞳を輝かすだけ。それだけです。
それでもイザヤは、確かに今、この時を楽しんでいたのです。
――そう、たとえ神社の境内裏で、ひとりぼっちだったとしても。
イザヤは、人と交わる事が苦手でした。
怖かったのです。人の全てが、怖かったのです。
昔はそうでもありませんでした。住んでいた所も今の村より都会でしたし、イザヤはそこで、そこそこ上手に過ごせていました。
きっかけは些細なもの――イジメなんて、そんなものです。今の世だから、かも知れませんが。
イザヤには、外国人の血が色濃く流れていました。祖父の一人が外国人だったからです。
クォーターであるイザヤの眼は、蒼色をしていました。綺麗な綺麗な海の色。
それだけの違い。
その程度が、苛められた原因でした。
――いえ、原因なんて、結局はどうだって良いのでしょう。何よりかわいそうな事は、イザヤの心は籠の中、堅い固いイザヤの籠に閉じ込められてしまった事……
『一度、静かな処で療養する事をおすすめします』
お医者さんの勧めで、イザヤのお父さんとお母さんは、それでイザヤが元気になるのなら、と。彼を『爺ちゃ』の住む田舎へと預ける事にしました。
『爺ちゃ』とは、イザヤのお爺ちゃんです。静かで、だけど暖かい。まるで大木のような彼と一緒に住み始めたイザヤは、少しずつ、少しずつ、人と話す事を思い出して来ました。
――ですが、それでもイザヤには足らなかったのです。
イザヤの心が、真っ直ぐ立つ力が。
足らなかったのです。
○ ○ ○ ○ ○
そんなある日の秋、気晴らしにと爺ちゃに手をひかれ、秋祭り。その舞台となる神社に、イザヤはやってきました。
お祭りにはたくさん人がいましたが、爺ちゃが一緒にいてくれたので、危なっかしくもどうにかイザヤは外の世界と交わる事が出来ました。
ですが、それもすぐに終わりを迎えます。
爺ちゃが顔なじみの男と遭ってしまったのです。その男自体に罪はありませんが、イザヤにとっては禍(わざわい)そのものでした。
酒も入り、男は些か強引に爺ちゃを酒の席に誘います。もちろん、爺ちゃはイザヤと一緒なので、丁重に断ろうとしましたが、酔いを纏った人には勝てません。爺ちゃは軽くため息を吐くと、いつものようにイザヤの頭をがしがしと撫で、境内の裏で待つよう言い残し、手を引く男に付いていきました。
――そして、今。
イザヤは仰ぎ、見ています。境内の裏、土の段差。その上に茂る夜色の木々達。その隙間にぽっかりと浮かぶ、月を……
苛めの原因となった蒼い瞳を、長く伸ばした髪で隠しているため、イザヤにとってその光景は、格子の外の、世界のよう――
でん、どん、でん。と、お腹をなでる様な祭り太鼓の轟音が、上へ上へと、まるで、月に向かって飛んでいくようでした。
(そんなはず、ないのに……だけど…………)
それはあまりにも、神秘的で美しく――まるで、神様のよう。
ふと、イザヤは月に手を当て、祈りました。
この神社は、昔から月の神様を祭っている。そう、爺ちゃが言っていたからです。
ほんの、気まぐれでした。イザヤは、願いの全てが何でも叶う事は無い事を、知っています。痛いほどに。
――でも、それでも、『もしかしたら』
( )
イザヤは、祈りました。ちいさな、ちいさな。願い事を――
……
「――そう、だよね」
先程までと、何ら変わりない祭りの音。それ以外の何かがある訳でもなく。
ほんの少しの落胆が、イザヤを包み込んだ。
その時です。
――ほぅ、これはまた珍しい、珍しいなぁ。
「だれっ?」
ほぅ、ほぅ、ほぅ、ほぅ…………
天上から――声。
突然の事に驚いたイザヤが飛び退き、さっきまで座っていた場所の上を見上げましたが、誰もいません。
気のせいかと思い。月へ振り向いた時です。
「…………え」
――月が、月で隠れていました。
それは、人でした。人の形をした。月。
月色の髪と眼をした。イザヤと同じ位の背恰好をした朧色の服を着た少女。
少女のような月は、三日月の笑みを浮かべ、言いました。
「――そら、来てやったぞ……此方の願い。申すが良い」
と……
○ ○ ○ ○ ○
「此方の名は『月常世守尊(つきのとこよかみのみこと)』――まぁ、『おつきさま』で構わぬよ」
土の段差に並んで座った時に、彼女――『おつきさま』は言いました。
「『おつきさま』?」
「うむ……正直、つきのなんたらでは、少々長ったらしいであろう? 此方は月の神様――ならば、『おつきさま』の方が、余程親しみがあると言うものだ。のぅ」
ほぅ、ほぅ、ほぅ……
そう、『おつきさま』は、笑いながら言い。ゆっくりと語り始めました。
『おつきさま』は、神様で、一年に一度。祭りの夜に特別な時と場所で祈れば現れること。
でも、その方法を人間達が忘れてしまい。数百年もの間、こちらへ出るに出れなかったこと。
その所為で、人々から徐々に信仰心が離れて行き、このような威厳もへったくれもない。少女の姿まで、陥ってしまったこと。
「これでもかつての此方は、女神の中でも特に神々しく美しいと評判であったのだが――と言っても、此方のような幼子にはまだ分からんか……」
やれやれとため息を吐く『おつきさま』に、イザヤはさっきからずっと気になっていた事を尋ねる事にしました。
「こなたって、だれのこと?」
「――『此方』は、私であり、お前であり、誰かである。全てが同じ『此方』……まぁ、みんなの名前と思えば良い」
「みんなの、なまえ……」
「そう、此方はこの呼び名が気に入っておってな。神様の此方。人間の此方。違うように見えて、結局皆同じ、この呼び名は、いつも此方をそんな気分にさせてくれるでな」
「……おんなじ」
それを聞いて、イザヤの胸は少しだけ、震えます。違うように見えて、皆同じ……その言葉は、今のイザヤにとって、無視出来ない言葉だったのですから。
呟くイザヤに目を向け、『おつきさま』は聞きました。
「……で、イザヤの願いは何かのぅ?」
「それは――」
ほんの少し、イザヤは躊躇いましたが、元より願ったのはイザヤです。やがて、イザヤはその小さな口を開き、言いました。
「はなしを」
「ん?」
「――はなしをきいて、ほしかったんだ……ぼく、いま、ともだちいないから…………」
「そうか…………構わぬ。話してみよ」
「……いいの?」
「良いも悪いも、それが此方の願いと言うなら、此方に拒む道理もない――何せ此方は『おつきさま』だからな」
「――ありがとう」
嬉しそうに、本当に嬉しそうにイザヤはお礼を言い。そして、たどたどしく語り始めました。
自分が虐められていることを。
それが、辛い事を。
そして、何より、悲しい事を…………
「なるほどのぅ……」
最後まで何一つ声を注さず、『おつきさま』は聞き続けました。
「ぼく、どうすれば、いいかな…………」
縋るような声。イザヤの救いを求める問いかけに、『おつきさま』は笑って答えました。
「――簡単な事。そう、これは、とても簡単な事に過ぎぬ」
そう言って、『おつきさま』は、イザヤの髪をそっと――払いました。
外の、セカイ。
「――あ」
『おつきさま』の月色の瞳と、イザヤの海色の瞳が、触れ合います。
拒絶も無く。強要も無く。静かで、暖かい瞳の交差。
「――そんな風に隠してしまうから、余計に想いが伝わらなくなる……人を、自分を、救えなくなる」
優しい眼で、強い眼で、『おつきさま』は続けます。
「言葉で人は救えぬ。だが、態度でもまた、自分を救う事は出来ぬ……どちらもが、大事なのだよ……そして、そのどちらもを同時に伝えるために、眼はある。だから、ちゃんと前を見て、睨みつけて行けば良い。なに、一人が不安なら天を見ろ。此方が『おつきさま』が見ていてやろう。何も出来ない此方だが、見守る事に掛けては、中々のものだと自負して――どうした? 同時に泣いて笑うなどと、器用な事を急に仕出かしおって」
「――ううん、なんでも、ない」
『おつきさま』の言葉が、想いが、優しくて、暖かくて、面白くて…………
イザヤと『おつきさま』は、それからたくさんの事を話しました。
最近の流行であったり、『おつきさま』の他の神様への愚痴であったり、大抵がくだらない事でしたが、だからこそ、二人は話続けました。
――ですが、やがて、お別れの時はやってきます。
最後に、『おつきさま』はもう一度、言いました。
「忘れてくれるな、此方よ。此方が此方を見上げた時、此方もまた、此方を見上げているのだ、と」
「…………うん」
「ふふ、ではな、中々楽しかったぞ」
それで、お別れでした。
何時の間にか、木々に挟まっていた月は姿を消していました。
祭りは、終わりました。
○ ○ ○ ○ ○
迎えに来た爺ちゃとお家に帰ると、何時ものように、爺ちゃがお風呂の支度を始めました。
火がくべられ、風呂釜に張られた水が、ゆっくりと温かくなっていきます。
イザヤは町のお風呂よりも、このお風呂が大好きでした。大好き過ぎて、いつもポカポカし過ぎてしまう位です。
爺ちゃとイザヤ。いつものように、二人一緒に仲良く入りました。
二人はお風呂の時もあまり喋りません。自分達に代わるかのように歌い出す虫の声を聞くだけで、充分だからです。
――ですが、今日は違いました。違わなければいけませんでした。
だって、窓の外から『おつきさま』が見ていたのですから――
爺ちゃに頭を洗って貰っている時、イザヤは、言いました。
「じいちゃ」
「ん?」
「かみ――きってほしいんだ」
「……うむ」
頷いて何時もの様に頭に置かれた爺ちゃの手は、いつもよりもっと、力強く、優しく、暖かでした。
そして……
柔らかな風が、外に出たイザヤの頬と、短くなった髪を撫でます。
夜に染まった空を見上げます。その先には、『おつきさま』が一つ。
『おつきさま』の光を浴びて、イザヤの眼はきらきらと、輝きます。
それは、日に煌めく海のようで――
イザヤが『おつきさま』を見上げ、『おつきさま』がイザヤを見上げている中。
夜に、イザヤの声が、響きます。
月へ、月へ、届けとばかりに、響きます。
ずっと、ずっと、ずっと……
響き、ました。
届いたのかは分かりません。そもそも、『おつきさま』は本当だったかすら、分かりません。ただ。
『おつきさま』は、今も――
『おつきさま』みていますか?
『おつきさま』みてくれていますか?
『おつきさま』どうか、ずっと、どうか――
わらっていてください。
おしまい。
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昔書いた短編の内の一つです。
今の作風の元となった作品なので、最初に掲載をば。
次からの投稿作品は新しく書き上げて行こうと思いますので、未熟者ではございますが、今後ともよろしくお願い致します。