亜人は小脇に身長185センチメートル程度の大男を抱えたまま屋敷への道を急ぐ。男の吐いた胃液によって燕尾服やズボンが汚れてしまったが、それはさしたる問題では無かった。
今自分の主人である御嬢様には身を守る為のボディーガードが居ない。自分は力加減が出来ないゆえに、いざという時に相手を殺してしまう。そうすると自分の仕えているアンジブースト家の名に傷が付く。
今まで雇われたボディーガードは皆厳しい旦那様や屋敷に居る人外異形達に恐れをなして辞めていった。どちらにしても他の貴族はあまり人外を雇わない為にアンジブースト邸は通称人外屋敷と呼ばれていて、その不名誉な呼び名が人々を敬遠させるのだ。そのせいもあるのか屋敷に居るメイドは必要最低限でほんの10人程度でそのほとんどが人外である。後は人間の庭師、医者、薬剤師、料理人。後は執事である亜人。
そして今日恐らく加わるであろうこのみすぼらしく小汚い恰好をして、胃液をどろどろと口元から垂れ流している男。
今更ながら先が思いやられた。無計画に連れて来てしまったがいいが、この男にまともな教養があるとは思えない。ただ何かわけがあってあのような場所で生活をして、脚が動かなくなる程の怠惰な生活を送っていたのは確かだ。
亜人は回りの視線が当然ながら自分と男に向いている事にふと気が付いた。女のような美麗な容姿を持った男亜人と、彼の細腕に抱えられて気を失っている大柄で顔半分が悲惨な事になっている男性。大通りを歩いている今、注目されない方がかえっておかしい。
そんな訳で、亜人は回りの視線や陰口を無視することにした。そんな事に構っている暇は無いのだ。現在両親が仕事で居ない御嬢様はきっと寂しがっている。早く帰って安心させてあげなければいけない。
彼が働いている屋敷は大通りを抜けた所にある。庭は手入れが行き届いていて、それなりに綺麗な場所だ。ただし呼び名は人外屋敷。
亜人は屋敷裏にある門をくぐり、使用人達が寝泊まりしている別館に入る。別館は2階建てで1階に主人一家も使えるような食堂、救護室、浴場があり、使用人は2階の大広間で雑魚寝をする。ちなみに執事はこの別館ではなく本館に寝泊まりしている。
まずはこの男を何とかしなくてはいけない。
亜人は男を床に下ろし、医者を呼びに救護室に向かった。メイドは今忙しいだろうし、男の顔を何とかして治療し、失明した片目をある程度見えるようにしなければいけない。
「おい、アレン、急、患だ、ぞ」
ドアを開け、中で昼食のオートミールを掻きこむように頬張っている若い女性に呼びかける。女性は深緑色のウェーブがかった髪を後ろで一つに束ねており、その目は丸く大きく、頬にはそばかすがあった。
「あぁん?急患?」
昼食を邪魔されて不機嫌そうな彼女はオートミールの皿を乱暴に机に置くと救護室を出て床の上に座り込みぼんやりとしている男を見つけ、顔をしかめた。
「うっわ、汚えし臭ぇっ!」
つなぎの袖で鼻を塞ぎながら女とは思えないような暴言を吐く。声自体も少年のようにハスキーだ。
「おぉい、フィンよぉ。どうすんだよコイツ。あたしにどうしろってんだよ」
鼻声で彼女が聞くと、フィンと呼ばれた例の亜人はまっすぐある場所を指差した。丁度今彼らが居る場所の向かい側にあるドアで、その向こうには浴場がある。
フィンは事もなげに、思いやりのかけらも無いような口調で一言言った。
「洗え」
「あーだーもー! だぁらアイツは嫌いなんだよっ!いっつもあたしに雑用押しつけやがって。あたしは医者兼機械技師だっつーの!」
フィンに対する文句を叫びながらアレンはひたすら「彼」の体にお湯を浴びせ、体を布で擦る作業を繰り返していた。つなぎの上半部分を脱ぎ、邪魔にならないように袖を腰に巻きつけ、ズボンの裾も膝小僧までたくし上げている。
フレデリックは痛がる事も、気持ち良さがる事もせず、ただ浴場の床に座ってぼんやりとしていた。
「……なあ」
ふと彼が声を漏らした。自分に向けた言葉だとアレンは暫く経ってからようやく気が付いた。
「ん、どうしたん? 熱かった?」
アレンの問いかけに男は首を振る。
「俺はどうしてここに連れてこられた? あの女みたいな顔の奴に殴られた時は、身を任せていたが……」
アレンは彼の傷だらけの多少骨の浮き出た背を布で擦りながら答えた。
「アイツには大事な人がいるんだよ。その大事な人をアンタに守ってほしいのさ」
「あいつは守ろうとしないのか」
「アイツは力加減が出来ないからね。相手をぶっ殺してしまうんだ」
そう呟いたアレンの声色は少し暗くなっていた。
フレデリックはそれ以上聞くのを止めた。それと共にその大事な人がどういった人物なのか、という事を考え始めた。
あの時フィンは御嬢様に命を捧げろと言った。御嬢様、とは誰なのか。この家の主なのか。とにかくあの場所から抜け出せただけ運がいいと思おう。
「ほら、終わったよ」
アレンの声に急かされる様にフレデリックはがくがくする膝を壁に着いた手で補助しながら、若干ふらつきながら立ち上がった。
浴場の外に出たとたん、全身を覆うような重苦しい多少肌触りの悪い布が投げられた。
視界が閉ざされておろおろするフレデリックにアレンが覆いかぶさり、体を若干乱暴に拭いていく。顔だけは乱暴にするわけにもいかず、そろそろと拭いたが、若干危機が訪れている頭は頭髪が抜けそうなのも構わずにがしゃがしゃと音が出る程度の強さで水分を取っていく。
「ま、待て。毛が抜けたらどうするんだ。最近危ない……」
布の中からくぐもった声が聞こえる。
「ああ?そんときゃ坊主にすりゃいいだろ。それとも何?風邪引きてぇの?」
アレンは良くも悪くも合理的な考え方をする。そしてぶっきらぼうで色々な意味で不器用で女らしさのかけらも無い。
「ていうかさ」
覆っている布の切れ目から見える体をじろりと見下して彼女は感心する様な表情を見せる。おもに彼女の視線は彼の下半身や胸に注がれており―――。
「アンタ、昔何やってたの? 結構筋肉あるけど」
フレデリックは座り込んだまま後ずさる。顔は羞恥に歪み、赤く染まっている。ついさっきまであんなに落ちぶれていたが、昔は軍に所属していた。
首から下がっているドッグタグを見て彼女は察したのか、それ以上昔の事について詳しく言及することは無かった。
あらかた水分を吸い取り彼女は今度は服を放り投げてきた。直接渡せばいいのに、と思ったがあのマシンガンのように畳みかけてくるのが嫌だったのでやめた。
久々に着る小奇麗な服に若干戸惑いつつものろのろ着ていると、早くしろと言わんばかりに舌打ちされたのは言うまでも無い。
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ファンタジーなのかそうでないのか……