艶のあるオーク材に似せたカウンターに、白いソーサー付きのコーヒーカップが置かれた。注がれた黒い液体からは温かな湯気と共にコクのある香りが立ち上る。
「いい香りだね、『マスター』」
『僕』はそう言ったが、相手は僕の
「ありがとう。いつもと比べておかしなところはないかな?」
カウンターの内側にいる、白シャツに黒ベストの男――『マスター』が眼鏡の奥から不安げな視線を向ける。
背後には組になった様々な種類のカップとソーサーがずらりと並んでいるが、この白いカップアンドソーサー以外が使われているのを見たことがない。
「いつも通りいい香りですよ」
僕はコーヒーカップを取り上げて口元へと運ぶ。さっきより強さを増した香りと湯気の熱が鼻先を掠めた。
液体を口にそっと含むと、うっとりするような芳香の後、苦味と酸味が口内に広がった。
「……美味しい!」
今まで何度となく繰り返してきた言葉だが、少しの偽りもなく言えるようになったのはここ数百年くらいのことだ。
「それは良かった」
マスターが安堵を見せたので、僕は更に念を押す。
「これならきっと、人間にだって美味しく感じると思いますよ」
僕はこの喫茶店にパンを卸している業務用
ここでコーヒーを飲み始めた頃はただただ苦いばかりで、これを淹れたマスターと僕の味覚のどちらかが壊れているのではないかと本気で心配をしたものだが、飲み続けるうちにそれを段々と美味しいと感じられるようになっていた。だからきっと実際の人間もそうなのではないかと僕は考えている。
「どうもありがとう」
ここへ来てようやくマスターが微笑んだ。
「君のような『お客様』が来てくれると嬉しいんだけどね」
彼の言うとおり、残念ながら僕は『お客様』ではない。この店は人間用の
この広大で狭苦しい宇宙において、地球を離れた人間が人間らしく過ごすための場所。それこそがこの店の目的だった。
とは言えこの店が開店して、協定地球時でおよそ千五百年、人間の客はひとりも訪れていない。元々辺境と言ってもいい地域ではあるとは言え、程がある。
いっそほかの大抵の店のように人間でない客層を取り込んではどうかと提案したことがあるが、やんわりと断られてしまった。
「……やっぱり、人間の客じゃないと駄目なんですか?」
「駄目と言うより、うちはそもそも人間用の珈琲しか置いていないしねえ」
ごく稀にこの店にも、僕のような業者でも人間でもない者が訪れることがある。そんな時は非常用として備蓄してある飲料や食料を出すこともあるが、このマスターは「売り物ではないから」と言って決して代金を受け取らないのだ。
おそらく、彼にとっては人間の客こそが『お客様』なのだろう。
僕では、客になって彼を喜ばせることはできない。それが悔しくて哀しかった。
「ここは当分このままでやって行くよ。昔はお客が来ないのが寂しくて、色々方法を考えたりもしたけどね」
「でも、こんなにおいしいコーヒーを飲む人がいないなんてもったいないじゃないですか」
「もったいなくはないよ」
マスターが、きょとんとした顔で僕を見た。
「珈琲なら、君が飲んでくれるじゃないか」
「でも、僕はお客じゃ」
「自分の淹れた珈琲を飲んでくれて、美味しいと言ってくれる人がいる今なら、私は少なくとも寂しいとは思わないね」
そう言って笑う。
「ああでもね、きみ、この話をバイト君に言っては駄目だからね。私がそんな商売気のないことを言っていたなんて知れたら、あの子に怒られてしまう」
「は、はい、言いません!」
僕は照れくさくなって、ごまかすためにコーヒーに口をつける。香りを楽しむように、そしてなるべく時間を長引かせるように、できるだけゆっくりとそれを味わった。
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喫茶店のマスター(眼鏡受け/ロボ)と、そこにパンを卸している業者(敬語攻め/ロボ)。
SFともBLともつかないものを、両方です!と言い張る勇気、プライスレス。