ポポルからの簡単な依頼を終えて家に戻ると、台所にヨナが立っていた。
「ヨ、ヨナ…?寝てなくちゃだめじゃないか!」
「大丈夫だよ、おにいちゃん。今日は、お天気もいいし調子もいいの。お咳も熱も、平気!」確かに顔色は今朝もそう悪くはなかったし、食欲もあった。今もこうして立って歩いていても平気そうだし呼吸も落ち着いている。顔色も、悪い、どころか上気した頬はこのくらいの年齢の女の子には当たり前の張りと色合いだ。が、ニーアの懸念はヨナの体調、というよりもそれは踏まえたうえでのヨナがやっていたこと、である。
「でも…」チラ、と一瞥する「そこにあるなにかの残骸と無残にちりばめられた恐らく果物の成れの果て」。香りはあまり問題はなさそうだが、それにしても、生来あまり器用ではなく、まして病がちでずっと寝てばかりいたヨナが作ったであろうそれ、は、彼女の脳裏に描かれただろう理想的なそれとは恐らく相当な隔たりがあると思われる。
「あ!あの、あの、ね……」えへへ、と尚も頬を紅潮させるばかりでなく、小さく舌を出して肩を竦め、その割には慌てる素振りもない。ニーアの脳裏にはつい先日の記憶――ヨナが作ったたいそう独創的な「プレゼント」を思い出し軽い眩暈を覚えていたりした。
「ポポルさんにきいたんだ!」「あ、うん……」「あのね、今日って、何かのお祭りの日だったんだって…」その話は、聞いたことがある。ポポルが良く酒場でその「お祭り」の歌を歌っているのだ。曰く、古い世界の神様が生まれた日であり、その日に因み人々は祝福と称しめいめい大切な人と過ごしたり、或いは贈り物を贈ったりするのだという。けれど、ポポルは「古い世界の話だからね」などと苦笑してそれでその話は終わったし、ニーアも今の今まで思い出しもしなかったのだが。
「そうなんだ……」だから、知っている、ということはヨナには黙っておこう。ヨナに贈り物をちゃんと準備していなかったし、それに「ふむ、そんな話もそういえばあったかのう」嘯くシロをちらと一瞥してから、やっぱり黙っておいた方がいいな、と思った。――カイネも多分知らないだろうし。
「それでね、あのね、いつもおにいちゃんがお料理してくれるから、今日はヨナがね、おにいちゃんにお料理してあげようと思ったの」やっぱり。ヨナの幼い顔に浮かんだ満面の笑みを見ながら、ニーアはあやうくがくりと肩を落とすところだった。
「そっか…それで、ヨナは何を作っていたんだい?」
「うん、あのね、このまえデボルさんに教えてもらった、けぇきっていうやつなんだ。白くて、あまくて、ふわふわーっとしてて、すっごくおいしいんだって!」
「白くて…あまくて…ふわふわっとして…」
「……白くて、は、ちょっとむつかしいから、今日は無理だったんだけど、でも、じゃあかわりにイチゴで飾ったらいい、って…」なるほど。それで、この残骸。「ふむ、我が知るけぇきとやらは、このように黒々しくはなかったが……」「シロはいいから黙ってて」
「あ、ちゃんとシロちゃんと、カイネさんの分もあるよ!」
「えっ…カイネの?」
「うん!ヨナ、会ったことないけど、でも、おにいちゃんとシロちゃんを助けてくれている人なんだよね?でも、ヨナはちゃんとありがとう、をカイネさんに言ったことなかったから…カイネさん、食べてくれるかな…?」
少しばかり不安げに、けれどもにこにこと笑っているヨナに悪意などは微塵もない。ないからこそ、ニーアとシロはお互いに聞こえる程度に小さく溜息をつき合うのだった。
「まあ、…少々見た目は問題があるが、味はまぁまぁだったぞ」
「……ちょっと、砂糖が多すぎたけどね……」
「ふむ、そういえば焦げ臭かったような気もするがな、それに妙に痺れるような感覚も…」
「ていうかシロ、どうやってたべ…」
「無粋なことを聞くでない」
「いや、うん、…ごめん」
「まあだが、あの下着女の常人には理解し難い味覚には、意外と旨く感じるかもしれんぞ」
「あ、やっぱりおいしくなかったんだ……」
以上が、二人のヨナの「けぇき」なるものの総評である。卵と小麦粉とバター、それから砂糖とを混ぜ合わせ焼いたものだから、余程のことが無ければ悲惨な結果にはなりえない。なりえないが何せ料理慣れなどしていない少女の作品である。その結果、推して知るべし。が、それでも、兄馬鹿の愛情をもってすればそれなりに食べ物であり、兄馬鹿のその気持ちを汲んだからこそのシロの発言であったのだが。
「と、とにかく、これをさっさとあの下着女に届けるぞ!」
「……そうだね……一応、ヨナの気持ち、だもんね……」
ヨナときたら、いつのまにかご丁寧に手作りの飾り箱までこしらえていたのだ。確かにカイネに会いたい、と何度も少女は口にしていた。けれど、村の外までは流石に(いくら調子が良くとも)連れて行けない。だから、その度に我慢を強いなければならかった。ヨナはききわけのよい子だから、そう言えばそれ以上言葉を重ねることはなかったけれど。
「ちゃんと届けないとね」「ああ」
手作りの、小さな折り紙の月光草まで取り揃えられている飾り箱は、何だか少しばかり重たいような気がして、ニーアの足取りはその重さの分慎重になっていた。
「なんだ、これは」
「うん、ヨナがカイネにどうしてもって」
「……お前の妹が?何故、私に?」
「いつも僕やシロのことありがとう、って」
そういって飾り箱を手渡すと、意外にもカイネはあっさりと受け取った。そして、なにやら難しげに鼻先に皺を寄せ、じいっとてのひらにのせた飾り箱を見詰める。「……何か、入っているな」
「……うん、ヨナが作ったお菓子、…というのかな…」
「そうか、少しばかり腹が空いていたからそれは丁度よかった」
「え、あの」
「なんだ、私への贈り物なんだろう。食ってマズイのか?」
「いや、そういうわけじゃ…」
「フン、おかしなやつだな」
ニーアが止める間もなく、カイネは蓋を開けるや中身の確認もせずに手をつっこみ、そのままそれを口に放り込んだ。「あ……」
カイネは無表情でそれをほおばり、咀嚼し、飲み込む。いつものように一部始終が無言であった。「…あ、あの、…ヨナは、料理があんまり…うまくなくて」
「そうなのか?」
「えっ…」
「菓子、にしては私好みの味だったな。で、これだけか」
「あ、う、うん」
「ふん。この程度なら食わん方がマシだ。…ん?」
なにやらカイネは飾り箱をしげしげと見詰め、ひっくりかえし、乱雑に振り出した。「カイネ、な、何を…!」あまりにもカイネがそれを乱雑に扱いものだからニーアは慌てて止めようとするが、逆に肘で顎を思い切り打たれてしまう。「痛っ!」「何をしとるんじゃ、小僧…」「だってカイネが…!」
「何だ、これは?」はらり、と飾り箱から何かが落ちてくる。カイネは怪訝そうに眼を細め、それを指先でつまみ上げしげしげと見詰めている。「………なんだこれは」声色が一段ほど低くなり、眉間と鼻先に寄せられた皺が深くなる。
「なんだ、これは」今度はびしり、とニーアの鼻先に「それ」をつきつけてきた。「…え、な、…何?」
「どうやら何か書いてあるようだが、読めん」
「………あ、…ヨナのやつ、字、かけないから……」
あからさまに機嫌が下降しているであろうカイネをできるだけ刺激しないようにしたつもりだったのだが、カイネの表情はものすごかった。やばい、ヨナ、いったいなんてことをしてくれちゃったんだよ…だなんて、少しばかり兄らしくはない恨み言が脳裏に浮かんでは、消えた。
「………ククッ…」
「………へ?」
「ク、クク……プッ、……な、なかなか…お前の妹は……クッ、将来、有望だな……」
「え、カイネ、いったい何を…」
「だから将来有望だ、と言っている、良く見てみろ」
尚も腰を折るようにしてくつくつ笑い続けるカイネが、ぐい、とさらに押し付けてきた一枚の紙に書かれていたもの、それは―――
「い、つ、も、……あり、…が、…とう……?…文字はなんとか判別できるが、この、なんというか、芸術的で独創的な線の集合体は、我には理解できんぞ」
「ハッ、所詮は口五月蝿いばかりでいっそ役立たずなクズ紙らしい審美眼だな、これは、私とコイツとお前だ」
「えっカイネ良くわかったね…!!!」
「お前も分からなかったのか、この※☆○△野郎が…!」今度は鳩尾に思い切り蹴りが入ってきた。「ウワッ…!な、何するんだよカイネ!」が、カイネのそんな唐突な行動に(哀しいか)慣れたもののニーアは、一撃がモロに入ることだけは避けた。「ふむ、見事な反射神経じゃ」
「大体、一生懸命描いたものがわからないなど、一体お前はヨナの何なんだ……」憐憫すら漂わせ、はあ、と重い溜息をつかれる。カイネが、である。何だかものすごく理不尽でついでに屈辱的な気がする。だいたい、ヨナは字もかけなければ絵もかなり下手なんだ。「でも、ヨナはカイネに会ったことがないのに……」改めてその絵を見てみる。無秩序に自由自在に放たれた色とりどりの線は、よくよく観察してみれば確かに、自分やシロを描いている、ように見えなくもない。そして、ニーア(らしきもの)の隣に立つのは、確かにカイネの特徴を捉えているように見えなくもない。そういえば、数日前だったか、ヨナが執拗にカイネの外見の話をせがんでいたような気もするが……。
ここ最近はヨナの薬を買うために、海岸の町へ赴いたりロボット山へ行ったりと忙しくて、ろくろくヨナの元にいなかった。ポポルさんやデボルさんが様子を見てくれているから、それに手紙も出しているから、少しならば大丈夫。最近はそんな風にも考えていたりした。けれど、改めてヨナが描いた絵を見れば、彼女がどれだけ自分たちのことを一生懸命に考えていたのかが、よくわかる。想像だけで、兄の言葉だけでこれだけ(辛うじて特徴は、というよりもその特徴的な髪型が見事に再現されているのだ)特徴を捉えた絵を描いたり、独創的ではあるけれど「贈り物」を用意してくれていたりする。
「……ヨナ…」
「これは、私が貰っておくからな」
ニーアが物思いに耽っているのをよいことに、いつのまにかヨナの手紙、はカイネの手中にあった。見れば、どことなく弾んだ表情でカイネは飾り箱を玩んでいる。ヨナが一生懸命に描いた絵と、手紙、それから作った飾り箱。ヨナは、多分それをカイネに手渡したかったんだろう。「うん、そうしてくれると、ヨナも喜ぶよ」
「フン」ニーアがふわりと笑顔でそう応じれば、ぷいと背を向ける。「ほほう……お前のようながさつで無神経な下着女でも、照れるということがあるのか」「なんだと…?」
「ああ、もう、シロもやめようよ。折角カイネも喜んでくれたみたいだし」
「私は別に…」
「でも、よかった。カイネが喜んでくれて」
「あ、ああ………その、少し、出掛けてきていいか」
「え?…カイネ、何か用事があるの?」
「ああ、少しな……一人でいい、すぐに終わる、簡単な用事だ」
「うん、まあ…少しっていうなら。僕も、村に戻ってるから」
「ああ、では、また後で、な」
そそくさと、やはりどこか照れを隠すようにカイネは走り去る。残されたニーアとシロはお互いに何事か、と顔を見合わせた。
崖の村に向かうトンネルの途中にある、少しばかりの光が入り込む谷間――カイネの「棲家」だ。
そこには、幼い子供の手で描かれたであろう不器用で、けれども懸命さが見て取れる絵が一枚。そして、その隣に添えるように置かれている、小さな小さな飾り箱。少しばかりくしゃくしゃになっている、月光草の白い花を象った折り紙。それは、とてもとても大切なもののように、そこに、徐に置かれている。雨風が一番当たらない場所に、それは何気なく置かれていた。ありがとう。不器用な子供の文字と絵が描かれたものが、谷間に届く柔らかい光の中、まるで祝福の言葉のようにそこに、存在していた。
「ありがとう、か……。……そうか……」
くすりと小さく笑うカイネの表情は、彼女自身が気付かぬほどに柔らかく、淡い草と埃が舞う光の中ひどくやさしげだった。
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ニーアレプリカント ヨナからカイネへの贈り物の話。