――「2,592,000 seconds」
「十一時方向に十メートル立方以上の空間を確認。資材系の倉庫だったものだと思われます」
無線越しの彼女の声は、以前よりも随分と人間的に聴こえた。俺は真空行動用の簡易スーツの状態を改めて確かめ、慎重に壁を蹴った。無重力内で自分自身の身体の質量を足に感じながら、彼女が指定した方向へゆっくりと空中を漂って移動を始める。
「動いている部分はないのか?」
「メインの電源が既に稼働していません。戦時のものですし、長期の運用は想定されていなかったものと推測します」
「なるほどね」
光源を左右に振りながら、長い廊下を進む。真空中で朽ちないせいなのか、戦時のものとは思えない。優に五十年近くは経っているはずだが、まるでつい先日まで使われていた場所のようにさえ見えた。
俺達は数時間前に、この地球軌道上に幽霊船のように漂う補給衛星を発見した。それ自体からは電波も光源も発信されていない上に、自律的に動く事もない。発見できたのはある種の奇跡に近かっただろう。これがなければ、俺達は遠からず地球への流れ星の一つとなって、地表に到達する前に燃え尽きる運命にあったはずだ。もとより生きて帰ることは微塵も期待していなかったが、死に至るまでの緩慢な時間を無為に過ごすのも性に合わない。
しばらく廊下を進むと、前方左手に両開きの大きなハッチが見えた。エアロックになっているようだ。
「入り口を確認した。電子制御扉のようだ」
「手動開閉機能は確認できますか?」
幅三メートルはあろうかという扉の周囲をくまなく調べてみたが、それらしいものは発見できなかった。
「だめだ。エアロックだったから安全上の問題で手動機構がないのかもしれない」
「……多少危険ですが爆破する事は可能です」
思わず俺は眉間を指で押さえようとしてしまった。動作の途中でヘルメットに気付き、溜め息をつくことで代用する。
「少し飛躍していないか?」
「説明が足りませんでした。その空間への他の侵入経路は、構造上全て破壊された部分で埋まっています。一度離れて外周から破壊する手段は、内容物まで破損する恐れがあるので選択肢としてはお勧めできません」
「諦めて他にいく、という選択肢は?」
言いながら周囲に光源を振ってみる。自分でも可能性の薄い話だ、と思う。
「この施設内の他、という意味でしたら無意味でしょう。この規模で複数のドックを持つ施設は例がありません」
「他の衛星、という意味でなら?」
「発見時の僥倖はおわかりでしょう」
言うまでもない。状況からして無駄に時間を使うわけにはいかなかった。
「……しかたない。やるか」
「ここまでで諦める、という選択肢が無かった事に安心しました」
もとより捨てた命だ、と言いかけて思い止まった。彼女には判らないだろう。
「ポッドの弾頭を使おう。そっちに戻るから準備していてくれ」
「了解」
なんとか爆破を成功させ、資材を運び出した。幸い無重力下なので俺一人でも運び出し自体はなんとかなった。彼女の指示で、機体に次々と設備を取り付ける。元のフォルムから考えると継ぎ接ぎのような工作だったが、無いよりははるかにましだ。ゼロと1の差は大きい。
一仕事を終え、コックピットに戻る。少し睡眠を取るべきかもしれない。ハッチを閉め、空気の充填が済むと、無線ではない音声で彼女が出迎えた。
「おかえりなさい」
「挨拶ができるとは、殊勝なコンピュータだ」
彼女、エンデはこの機体の制御用AIだ。元々は管理用で、俺のようなパイロットに上層からの指示を伝え、管理するためのものだった。いわば上官相当だ。しかし、今はもう違う。
「コンピュータとAIは本質的に既に違う概念になりつつあります」
「似たようなもんだ。かたいことをいうなよ」
「硬さは関係ありません」
「お前はもう少し人間の語彙を学習しろ」
そうはいったが、おそらく無理だろう。データベースへアクセスできたのは彼女が軍人だったからだ。その権利は俺達が軍を裏切った時点で剥奪されているだろう。
「努力します」
「いい返事だ」
叶いそうもない事に血道を挙げている、という点では今の俺も変わらない。
「しかし、あっさりと軍を捨てたもんだな。AIなのに」
「自身の保護を最優先した結果です」
「三原則というやつか」
大昔のSF作家が提唱したあれだ。誰しも耳にした事はあるだろう。
「現行のAIはその原則の限りではありません。現に人間であるあなたを最優先していません」
言われてみれば確かにそうだ。
「それに、あなたが今まで従っていた相手もAIでしょう」
「そうだったな」
今や戦略衛星はAIにより無人で軍を指揮している。馬鹿馬鹿しく見えるかもしれないが、それが現在の戦争の姿だ。
しかし、それにしても軍属を離れてからの彼女の変化振りには舌を巻く思いだ。痛快ですらあった。そう伝えると、相変わらずの無機質に聴こえる声で彼女が応える。
「従うべきものが変わったのですから。私自身も変質しています」
「そういうものかね」
「はい。今まで私は”軍”という組織に従っていましたが、今は”あなた”という一個人に従っています」
思わず苦笑する。座席を少し後ろにずらし、休息の体勢を取る。
「それはまた熱烈なプロポーズだ」
「……」
十秒は沈黙が続いた。AIが演算をするには多少長過ぎる時間だ。少し不安になった。
「おい、ハングしたか?」
「いいえ。私は何も提案していません」
「言葉そのままじゃないか」
また笑えてきた。
「すいません。暗喩的な表現に弱いようです。次までに学習しておきます」
「次があればな」
目を閉じると、強烈な睡魔が襲ってきた。明確に意識していなかったが、さすがに疲労が溜まっていたようだ。
「私は次があると信じています」
「……信じるという意味も学習するべきだ」
睡眠に落ちてしまう直前、かろうじてそう返答したように記憶している。
――
「十二時方向、四時下方方向、及び直下に敵影多数。正確な機数報告は?」
「必要ない。さすがに盛大なお出迎えだな」
ペダルを踏みきり、操作盤を手早く操作する。武装は心もとないが、相手によってはなんとかなる。
「会敵まで千秒を切りました」
できることはやった。あとはその瞬間を待つばかりだ。少し時間ができてしまった。しかし、神に祈りを捧げるがらでもないし、おそらくその権利もない。
「自殺する人間を神は救わないというしな」
「これは自殺ではないと思いますが」
思わず口にした独り言のような言葉にも、彼女は律儀に応えた。
「参考までに。お前は勝率をどう見る?」
数秒の沈黙があったが、続く彼女の言葉は非常に明晰だった。
「ゼロではありません」
思わず口元に笑いが出てしまう。
「上等だ。ゼロとの差は大きいな」
「はい。その差は無限大です」
心強い話だ。
「弾数を確認してくれ」
一秒を待たずに応答。
「カノン弾三十、多目的弾頭二十、以上です」
カノンの方は、いつでも撃てるように装備されている。
地球軍が「月から来る一本腕」と称した。
その異形の戦斗機の腕に。
「戦闘中の鹵獲により、現在接近中の第一陣のEOSには対抗し得ます」
「それをきいて安心した。最後の戦闘といこう」
「最後ではありません」
俺の軽口をとがめる様に彼女が言う。その言葉が苛立っているように聴こえたのは気のせいだろうか。
――「私に与えられたただ一本の腕は、今やあなたの勝利を掴み取る為に有ります」
その時俺の中に立ち上がったのは、勝利への予感でも、死へ向かう悲哀でもなかった。
ただ単純な、戦闘本能に近いような闘志だった。
敵影が、かろうじて視認できる範囲に入り始める
ここにはただ戦争の跡と、その結果があるだけだ。この戦闘に勝ち残って、得られるものはほとんど皆無だといえる。
得られるものはただ一つ、勝利だけだ。
ペダルを駆り、操縦桿の確かな手応えを感じる。
「上等だ」
―了―
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だいぶ以前に某ゲームをやっていて、興が乗って書いたもの。