No.255634

鷹の人5

ひのさん

FE暁デインサイド中心の微パラレル。(本編では3部~4部あたりになります)ペレアス、ティバーンがメイン。ベオクの王とラグズの王。【未完です】

2011-08-02 20:09:07 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:1075   閲覧ユーザー数:1068

 陣営内は、冷え冷えとした月が頭上を通過してゆく刻限になってもなお、静かだとは言えなかった。

 その月も、今や雲の中。風が時折、雪を運んでくる。遠くには風のうなり声すら聞こえる。これでは、明日の決戦は吹雪の中、ということになる。冬のデインは二度目だが、はやりあまり心地よいものではない。強靭な鳥翼の翼は、この程度の風雪には負けぬが、この底冷えの寒さだけは本当に堪える。何故、自分たちの祖先が祖国たる地を南海の島に求めたのか、今ならば良くわかる。

 愉快ではない思考を、ウルキは中断せざるを得なかった。

 血に飢えた獣のうなり声。時折混じる咆哮。あたり一帯に漂う殺気。意識していなければとっさに化身してしまいそうになる。これでも仮眠を取れるアイクは、成る程大物に違いあるまい。

 

 何故だかはわからないが、デイン国境を突破して以来、戦闘後の疲労が倍増しているような気がする。身体などは常にだるく、休息をとっても回復しない。そして、化身している最中に、堪え難い衝動に襲われる事が度々あった。捕えた敵をより残虐に、より凄惨に、殺す。それは、過激な殺し方をすることで相手の戦意を失わせる、などという、理性的な理由からなどではないことは、ウルキ本人がよくわかっていた。

 ただ、殺したいのだ。

 ただ、喰らいたいのだ。

 ウルキは、フェニキスの中でも、その性根が穏やかで、どちらかといえば戦を厭い、気配りに細やかな、思慮深いと言われる種族の出だ。ついでにいえば相棒ヤナフは翼力にすぐれ、何れの種族よりも速く、見事な飛行をする。彼の千里眼は彼特有の能力だが、彼の種族の特徴として、強靭な翼力の他に、やはり視力に優れるという傾向もある。

 そのような種族の出でもあるウルキは、ゆえに戦いの中で我を失うまで戦い尽くすような衝動に駆られた事は、百余年生きてきて未だにない。故郷を焼かれたという報を聞いた直後の戦いでもそうだった。堪え難い怒りを覚えたが、それでも、耐えた。決して獣に落ちてはならぬのだと、強い信念があればこそだった。

「感情に殺されるでない。どのような時も己をわきまえ、王を王として敬い、だが、自分を見失う事なかれ」ウルキが新王ティバーンの側近になる、という話を聞いた時、ウルキの母親が静かにそう告げた。ウルキは未だにその母の言葉を信条とし、努めて戦の折は己を見失わぬよう、自制しつづけていた。

 だからこそ、思うのだ。

 この状態は、何かがおかしい。確かにデインという国は反ラグズ国家ではあったが、デインという国に、例えばラグズを呪うような魔術的なものが存在している、という事はない。仮にそのような罠が仕掛けられていたとするならば、優れた魔道の遣い手でもあるグレイル傭兵団の参謀セネリオが勘付かないわけがない。

 

 漠然と、だが、確実に、自分達は拒まれているような気がする。この土地そのものに、だ。

 お陰で、デイン国内に入ってからというもの、持ち前の順風耳すら、生来の半分の威力も発揮出来てはいなかった。それは、相棒ヤナフにしても同様で、それどころか、フェニキス兵全般が何らかの異常を訴えて来ている。

 ノクスに近づくにつれ、肌や羽毛を刺す不愉快な空気がいよいよ増していた。

 

 そうでなくとも、このとどまる事のないガリア兵の咆哮を夜通し聞かされれば、ベオクの兵など、おそらく生きた心地すらしていなだろう。その旨を懸念したのか、ラグズ勢とベオク勢の陣営は、一部例外を除き、きっちりと分たれている。このような、お互い疑心暗鬼の状態で、だが、お互いに協力し戦うなど、伝説の三英雄でもなければ成せぬ難事ではないか。そもそも彼らには大義があり、共通の倒してしかるべきな「敵」がいた。だが自分たちはどうだ。

 その事を思うと、断続的な不快感に加え、胃の腑のあたりがとたんに重たく感じられる。

 仮眠はそれでも無理矢理とっていた。戦い慣れしていない新兵ではないし、眠ろうと思えば眠る事は出来る。

 だがこの異様な緊張感につつまていては、仮眠がせいぜいだろうか。さらには、不自然な音が四方八方から届く。これでは、仮にデインの間者が入り込もうと、今のウルキの聴力では関知出来ない。雑音が多すぎるのだ。

 ともかくガリア兵の猛りぶりは、彼らに比べ極めて冷静なフェニキス人からすれば、「異様」ともいえる光景だった。

 

 フェニキス陣地はノクス城を取り囲む森の手前に位置している。森の手前の、こんもりと盛り上がった丘の上、ひときわ高い一本杉の梢付近に、二人のフェニキスの戦士の姿はあった。

 そこから望むノクス城は、あかあかと篝火が焚かれ不気味な静寂を保ち、あわただしさなど微塵も感じさせてはいない。これが、戦況を押されまさに背水の陣にある国の軍隊の様相なのか、と疑念を抱かせる程、かの瓦解しかけた砦はどっしりと構えているように見える。むしろ焦っているのはこちら側のようにすら思える。

「ったく、こうもガァガァ五月蝿くっちゃ、眠れやしねえ。こちとら、ろくすっぽ見えない目で偵察までして、疲れきってるってのによ」

「………ああ」

 ヤナフは面白くもなさそうに、鼻をならした。翼を動かすのも億劫だ、と言わんばかりだ。

 ノクスの森は、セリノスの森のようなうっそりと繁るそれほどではないにせよ、深い森だった。さらには、ゆるく砦に向かって、勾配がある。

 デイン軍は地の利を生かした、ゆるく長く続く傾斜の上に陣営を置いていた。元は、ノクスの砦があったそこである。半壊しているとはいえ、風雪を防げる場所がある、というだけでもこの天候では違うだろう。

 地形を無視出来る飛行兵の数は、こちら側が圧倒していた。デインの誉れ高き黒竜騎兵団は、四年前の戦において、その騎手はほぼ壊滅していたはずだ。だが、ウルキはそれを圧倒的優位な材料であるとは、考えなかった。何故ならば、すぐれた機動力たるその翼を妨害する針葉樹は、所狭しと行く手を阻んでいるからである。デイン軍の現在の主力はほとんどが歩兵であったが、むしろこの地形ではそれが有利に働くだろう。地の利は当然だが彼らにあり、さてどのような罠が仕掛けられているのか、検討もつかない。森の中をちらちらと動く影はあるのだが、かといって手出しも出来なかった。最高司令官でもある神使皇帝サナキが、戦闘以外での手出しは無用、と厳命している。

 実は、自分たちはデイン軍に都合の良い戦場に誘導されたのではないのか、という懸念も覚えなくもなく、その事に関してはどうやらセネリオも認識しているようで、それは彼の態度がより厳しくなったことからも判断出来る。

 昨日の戦いでの被害も、結果的には城門を破ったのはこちら側だったが、決して軽視出来るものではなかった。どうもあちら側には、容赦なく手段を選ばぬ策士がいるようだ。

 加えてこの積雪だ。いかに強靭なガリア兵の四肢といえど、彼らは雪には慣れていない。ノクス一帯は、豪雪地帯でもある、行軍の行く手を阻むものには、事欠かなかった。

 そうでなくとも、神使サナキは自らを待ち望む民がため、道程を急いでいる。その強行軍は、結果としてベグニオン正規軍の武装を貧弱に、デイン軍の武装を強固にした。ベオク兵の中には、慣れぬ厳寒の中で疲労を重ね、体調を崩す者も出始めているという。

 

 サナキの無謀なデイン横断強行における最大の失態とも言えるであろう、クリミアよりの補充兵及び補充物資の損失。この件に関してクリミア女王エリンシアは「兵卒達も納得ずくでの従軍でした」と事を荒立てる事はなかったが、おそらくクリミアに置いても帝国の威光は、かの国の復興を支援したという前提を含んでも、低下する事は必至だった。

 容赦なく吹き付けてくる雪まじりの寒風、常に零度を下回る気温。慣れぬ地形、そして断続的に行われるデイン軍による奇襲。度重なる犠牲。

 被害状況の報告を受けた時のセネリオの顔色は、その直前の大敗の報告を受けた時よりもさらに悪かった。まるで病人のようだった。

 懸念の材料など山ほどある。「小さな軍師」の顔色が優れないのも無理はない。どころか、よくそれで戦場に立つと言ってのけた、と感心すらしてしまう。はっきりいってしまえば、最高司令官の希望は無茶と言ってよかった。回避出来る筈の戦闘を回避せず、だが、相手を滅ぼす事なくとは、流石に戦を知らない皇帝神使は言う事も違う。いずれにせよ、帝都シエネに辿り着くまで、セネリオは心休まるときなどはないだろう。ウルキは同情すら覚えそうになっていた。

 

 

 ベオク、ラグズ両種族からなる皇帝軍の、全体としてのまとまりのなさは今更ではあるが、皇帝神使の無謀さもさることながら、指揮官にも問題はあった。

 勢いに乗じて本陣に攻め上げ、大将首を打つ。確かに、指揮官アイクの猪突猛進な、作戦とも言えない、良い言い方をすれば信条めいているそれは、今まで幾たびも逆境を覆して来ている。勢いが皇帝軍側に圧倒的であり、そこに確固たる大義があり、行けると踏めばこれ以上有効な作戦はない。

 だが、今回に限っては違う。皇帝軍そしてグレイル傭兵団はデインにとっては二度に渡る侵略者であるし、そもそも大義名分を持たない。「帝都に向かう為、通過したい」との要求を拒まれてしまえば、本来なら別の手段を考えねばならなかったのだ。だが、サナキはーー正確には彼女に仕える親衛隊長シグルーンが強硬にデイン王国内への「侵入」をすることを主張、選んでしまった。

 アイクはそのような名目を嫌うのだが、いっそ神使に率いられている軍と言う名目を使い、これは「聖戦」である、と大々的に宣言してしまえば皇帝軍側にもある程度の大義を示す事は可能だった。

 

 今回の戦に関しては、戦の発端は兎も角として、神使がデインと敵対することで宗教的対立、という要素も決して無視は出来なくなっている。

 デインでは宗教的総本山ともいえるパルメニー神殿と、帝都シエネのマナイル大神殿との確執は有名だった。ただし双方、いずれもが、事を表立ち荒立たせる事を好まず、現在の祭司長でもあるトメナミも愚か者ではなかったから具体的な衝突は避けて来ていただけである。今回の神使の軽率な行動は、パルメニー神殿にまでも、対立敵対の口実を与えてしまっていたのだ。パルメニー神殿と現在のデイン王室は先代と比べ懇意であれば、それもまた想定してしかるべきである。

 

 マナイル神殿と袂を分かって以来、その教義から祈り、服飾、神殿内における順列、儀礼式典の様式に至るまで、あらゆる要素を独自に取り決め、その通りに行っている。何しろ、デイン国内では女神アスタルテの像ですら、独自の表情をしているのだ。

 中央集権の名目からひたすらに力を奪われ、押し込められていた先君の代とは違い、現ペレアス王政権の元では彼らは王に次ぐ強い権限を得る事に成功していた。それは先君が有力貴族を尽く誅殺し、政敵を滅ぼしつくしたという理由が大きいが、神殿にしてみれば二十数年辛苦を舐め尽くし耐えた対価と考えれば、決してその月日は無駄ではなかったといえる。

 彼らにしてみれば、この王の信頼を真っ先に得る事こそ肝要であった。ゆえに、解放軍を旗揚げしたペレアスにいちはやく助力を申し出たのも、彼ら僧侶であった、最も、ベグニオン間者でもあったイズカにより、一時こそその寵を彼に奪われてはいたが、かの側近の謎の失踪が、パルメニー神殿の思惑を結果的に叶えていた。

 現在ペレアスが重用しているのは軍事最高司令官でもあるタウロニオやマラド領主フリーダを除いてしまえば、ほとんどが貴族階級に属さない平民や彼らに由来する組織だ。それでも彼らは、パルメニー神殿に比べれば、神殿に対し牽制こそ可能なもののそのものの発言力や影響力は落ちる。

 そのようにして、力を得たパルメニー神殿は、解放の英雄ミカヤの求心力までも利用した。

 神使がデイン国境を越えた直後、本家マナイル神殿の神使サナキに対し、パルメニー神殿は暁の巫女ミカヤを擁した。

 確かにミカヤの奇跡とも言える快進撃は、或いは女神のお告げを耳にした無名の女性が突如歴史の表舞台に躍り出たという事にしてしまえば、これほど効果的な事もあるまい。その事で、原因は横暴を働いた皇帝側にあるのだと暗に主張もしている。

 民は救世主の到来に浮かれ、女神の加護は自分達にあるのだと思い込み、戦争の痛みを忘れる。すれば、彼らのうちから「聖戦」などという言葉も自ずと出てくる。もっとも、ミカヤは名目上、軍隊における最高司令的な立場にあったが、現実にはそうではない。彼女はよくも悪くも象徴的な存在であり、実は軍を動かしているのがタウロニオであることは、周知の事実であった。そしてミカヤその人も、己に司令官である天分がない事をよくよく承知し、あえてその地位にとどまりつづけている。

 思惑は絡みながら、だがその彼らが、共通の敵を前に異様な結束を見せる。

 少なくとも現状では、むしろ「聖戦」という言葉を使っているのが、神使に敵対しているデイン兵卒なのだというから、皇帝神使サナキの無謀の代償は、あまりに皮肉な結果を生んでいる。対するサナキ側とすれば、このように敵対する領内を通過しておきながらも、戦を避けたいと願い、自ら「聖戦」の旗を掲げるまでは踏み切れない。命の危機にあってもそうなのだというから、彼女の認識の甘さは推して知るべしではあるが、一方そうなってしまえば、デインと対立が決定的になってしまい、最終的にはデイン王の首を取り、パルメニー神殿の息の根を止めねばならなくなるだろう。だが、サナキはそれを望んではいない。

 そのように、非常に矛盾する事情を内包しながら進撃するのであれば、それを担う参謀や指揮官は、それこそ情勢に対する慎重な心配りが必要であったし、当然だが行動もそれに伴うものが求められる。そもそも、ラグズの大軍を伴うならば、そのあたりの機微を読みつつも、巧い具合に彼らを扱わねば、あっという間にただの殺戮者、破壊者の集団になりかねないのだ。

 それを、今までのように「正当性はこちら側に揺るぎなく、ゆえに眼前の、敵対するものを滅ぼす」理屈で罷り通ればどうなるか。デインークリミア戦役の折のデイン軍と、今回のデイン軍は、その質も性格もまるで異なっているのだ。そもそも正当性など皆無である。

 元よりクリミアに破格の待遇で迎えられてもそれを断ったようなアイクは、そういった建前という部分を軽視する傾向があった。

 ゆえに、今回の戦の背後に潜む事情をある程度把握し、その事に対し懸念を覚えなかった親衛隊長シグルーンや、中央軍司令官ゼルギウス、そして皇帝神使サナキやラグズ連合側に非がないとは言い切れない。

 

 

 当然ではあるが、自国の領土を延々と半獣の四肢に蹂躙されれば、デイン軍の悪あがきは彼らのその強固な結束を示さんとするがごとく、苛烈さを増していた。彼らにとっては、ラグズ兵の大軍団が国土を踏むという事自体、それだけでも神経を逆撫でされる行為だった。

 なるほど、デイン領内を通過するならば、執拗な反撃、襲撃に遭うであろうことなど、想定して然るべきである。

 皇帝神使の存在することの意味合いは、クリミア国内では先の戦の関係もあり歓迎されこそすれ、デイン国境を越えたとたんに逆転する。

 パルメニー神殿は、デイン王が神使率いる軍隊に敵対するとの姿勢を見せれば、まるで待ち望んでいたかのように戦力と財力を王家に提供し、扇動者を駆使し民の間から「聖戦」の言葉を引き出した。

 見事に呼吸の合ったその動きに、王家と神殿の密すぎる繋がりに疑問を抱く声は多くあがったものの、ペレアスはあえてそれを黙殺した。

 利用されている事を承知で、互いに利用し合う。また、神殿の思惑に踊らされている暗愚王、という体裁は、確かにこの場合都合が良かった。

 現デイン国王ペレアスとパルメニー神殿の関係は、言ってみればそれに集約されるだろう。

 

 先に国境を侵したのは皇帝軍側なのだ。その時点で神使が願う話し合いなどは望むべくもなかった。

 

 パルメニー神殿側も、好戦的な手合いではない。ゆえに一度神使に対し独自に使者を放っていたのだが、その存在は黙殺された。というよりも、「そのつもりはない」という返事が返って来たのだ。つまり話し合うつもりはない、ともとれる。ここは、完全に対応したシグルーンの落ち度だ。神使が絶対と信じることが彼女の仕事でもある。確かに、パルメニー神殿はマナイル神殿と折り合いが悪い。だが、立場としてはパルメニー神殿はあくまでもマナイル神殿より派生した、格下の存在である、という認識がして悲劇を生んだともいえる。ただし彼女が全くの盲信でのみ動いている訳ではなかった。パルメニー神殿よりの使者を返し、ついでデイン国王に独自に接触をもつべく、暗に使者を放ったのは、彼女である。

 

 そうでなくとも、現国王ペレアスは、帝国式の儀礼ではなく、デイン式の儀礼で戴冠しその正当性を女神の名において認められている。戴冠式における帝国の参列こそ最低限必要事項として省かれる事こそないのだが、それは最早形式的な意味合い以上のものを持ってはいない。

 デイン国民は、女神の言葉をいつまでも賜われぬ神使を信用する理由などないのだ、ということを、そのようなペレアスを新たなる王として、デイン式の戴冠で圧倒的な熱狂のうちに迎える事で示してみせている。

 そしてパルメニー神殿と国王は、揃って暁の巫女ミカヤの神聖性を認めていた。彼女の存在は、あえて声高に主張するまでもなく、いまやデインにおけるまるで神使そのものだった。

 

 

 流石に、当の本人がいる前でそのような不遜な発言はウルキもヤナフもしなかったが、デインという国の情勢に気を配っている者であれば、誰しもが真っ先に感じることだった。

 そのような事情から、デインにおいてはかねてより帝国軽視のきらいがあったのだが、サナキの対デイン外交の失策続きのため、かの国はいまや帝国の威光などは、微塵も感じてはいないのだろう。

 そのあたりの感覚は、ヤナフもウルキもむしろデイン側の心情を察するに難くなかった。

 デインという国を、ベオクの国・反ラグズ国家、という考え方をせず、ベグニオン帝国という大国に対し、決して良い感情など建国当初からもたず、強い独自性を何れも貫いてきている国、という考え方をしてみれば、得心もゆく。鷹王の側近は両名とも、デインという国に対し好意的な感情等微塵も持ち合わせてはいないにせよ、同様にベグニオンという国にも、決して好感を持っているわけではなかった。

 

 少なくともこれから先通過する場所は、敵地なのである。だが、驚くべきことに、サナキを始めとしたベグニオン勢は当初、そのような考えなど微塵も持っていなかった。

 デインもまた、クリミアと同じように己の意に追従するであろう、例え一時国境を侵したとて、わけを話せばデイン王も理解するに違いない。サナキという皇帝神使は、その強すぎる権力とは裏腹に、あまりに、善良すぎた。

 

 

 

 

 オルベリス大橋でデイン軍と一線を交えた後、それでもなおデイン王からの返書を待ちながら開かれていた軍議の場においても、既にして皇帝軍とラグズ連合の間には、わだかまりがあった。本来ならば、戦闘を始める前に十分に協議すべきであった、と、参謀セネリオは不機嫌さを隠そうともせず、神使に言ってのけたのだ。

 敵国の領地を通過する。戦ってみた結果、デイン軍は驚く程に精強であり、おそらく行く先の村落においても反発され拒絶される事は目に見えている。あえて村落を避け通ろうとも、かの国の強烈な帰属意識からなる義憤に逸った連中は、偽神使とラグズ軍団の通過を大人しく傍観してはくれまい。そうでなくともグレイル傭兵団とベグニオン帝国は、先の戦いでデインを滅ぼしている。その事の是非は兎も角として、彼らにとってグレイル傭兵団と皇帝軍は仇敵でもある。

 であれば、非武装の民間人によるゲリラ的な襲撃の可能性も充分考えられる。それでは尚の事デイン側には正当性を与えてしまい、神使の威光に泥を塗ることになるのではないか。

 なればいっそ、命がけで冬の山脈越えを敢行し、現在手薄となっているガドゥス領内を通過、シエネに向かう。

 

 

 その案に真っ先に賛同したのはフェニキス王ティバーン、ついで実質ガリアの代表でもある若き獅子スクリミルと、ともにラグズ勢であった。血気に逸る彼らが消極的な案を支持するのは珍しい事であったが、当然ながら彼らには含むものがある。

 

 逆に、強硬に反対の姿勢を見せたのは現聖天馬騎士団、神使親衛隊長シグルーンだった。

 

 彼女は言う。天馬の翼は優美だが、それゆえ飛竜の力強さには適わない。飛竜の生息地として名高く、かつ冬場の、あの峻厳で知れるラキニア連山を越えるには、命がいくつあっても足らぬ。さらに本国にはクルベア公爵及びペルシス公爵両名の軍団を除く、元老院側に所属する公爵軍が無傷で存在している。確かに元老院側は混乱を来たしてはいても、彼らの保有する兵力を軽視は出来ない。

 まして皇帝神使サナキの、その存在の唯一絶対な存在を賭すわけにはいかぬ。

 その発言自体には、一理あった。まして彼女はベグニオン国の軍人でもあれば、かの国に対する状況把握や情報などはセネリオよりも正確であろう。ただし、デインが、よもやここまでな猛反発をベグニオン側に対してなす、などとは、彼女の敬虔なる忠誠心からは思いも及ばなかったらしい。

 手薄になった所を、狙われないとは限らない、とシグルーンは言う。陽動などしても無駄であり、むしろ、元老院に脅されているのだとすれば、狙ってくる、という懸念が先走りすぎていた。

 だがそれらのことを、ちらりと視線を投げ掛けることで他意を含んで見せたシグルーンは、やはり一筋縄ではいかぬとティバーンは肚の底で思った。

 神使の身柄を他者にあずけるという事が、その責任感の強さと一度の失態から、決して許されぬ事であると頑に思い込んでいるのであろうが、おそらくは彼女はティバーンの胸の内にある思惑を、漠然と感じ取っているのだろう。軍議の前に鷹王と参謀が密かに言葉を交わしている所を、あるいは目の当たりにしていたのかもしれない。

 重ねて彼女は言う。

 フェニキス兵の中、えりすぐりの強靭な翼を持つ種族に任せるもよいが、「半獣」に引き連れられた神使、では、ラグズ蔑視が罷り通るベグニオン帝国では、あらゆる意味で最悪の凱旋となる。少なくとも、今回の事は「民意」が最優先なのだと。

 そもそもデイン側は、神使の尊顔など見た事がないであろうに。セネリオは渋面の下にひそかにため息をついていたに違いなかった。彼女の言葉を、なるほど、親衛隊長らしい物言いだ、とウルキは思った。

 シグルーンにラグズ蔑視のつもりはない。サナキも無論の事だ。だが、彼女らが如何に親ラグズを主張しようと、それが民衆の間に広く受け入れられているのか,といえば別だ。何より、そう告げるシグルーンの憂い顔が、それらを如実に物語る。こうなると、見目麗しい淑女めいた容貌というのは、実に強い。

 また、ライも、ティバーンも、その事を含めないほど、ベオクの事情に疎くはない。そこに間髪いれず「これ以上あなたがたに、恥の上塗りをさせたくはありません」ときっぱり言われてしまえば、口封じとして申し分ない。

 彼女が強硬に反対すれば、サナキとて、我を通す事は出来ない。今、サナキが最も頼れるのは、シグルーンだ。サナキにしては、セフェランを除けば最も信頼する部下であり、姉のような、母のような存在なのである。そして、なるほど自分を認めてくれる彼女の意向に、まだ幼き皇帝が逆らえるわけもない。

 だが、デイン軍やデイン国民が反発するだろう、というセネリオの懸念に対しては、彼女はあえてその事を話題にはしなかった。そこもやはり、皇帝神使は絶対的であって然るべき、というまるで盲信めいた意識に毒されているからに他ならない。名目上総大将であるアイクは、あえて戦わない選択肢を非ともしないが、だからといって是ともせぬ。彼は雇い主に対し順応な、傭兵でしかない。サナキがそのようになすといえば、あえて反対などしない。今回もそうであり、ただ黙って双方の主張に耳を傾けているばかりである。

 

 とはいえ、肚の底に一物あるティバーンも素直に引き下がるような真似は出来なかった。

 軍議の前、セリノスの姫を伴って現れたティバーンの姿を認めるや、休む暇を与えずセネリオが接触して来ていた。彼の提言に、ティバーンは僅かの思案ののち、首を縦に振っていた。そのようなやりとりがあればこそ、ティバーンはその巨躯をセネリオの隣に置いていたのだ。

 この大戦のきっかけを作ったと言ってもよいかのフェニキス王が、率先してこのような案を支持したのには当然だが理由があった。ゆえにウルキもヤナフも、王の提言に疑問は抱かなかった。

 確かに、ベグニオン軍には故郷を焼き払われている。彼らに対し、憎しみの情がない、とは言えない。さらにラグズ特有の、戦に逸る心もある。だが、ティバーンは、この戦が己の野心が高じ、それが自らの選択により拡大したことを、わずかにではあるが悔いていた。

 それは目下かのメダリオンのことにある。実を言えば、かのメダリオンは白鷺三兄弟が交代で沈めねばならぬほどの「負」の気をまき散らしてた。かねてよりの懸念が、いよいよ現実味を帯びて来ている。であれば、尚更戦など避けて通るべきではないか。セネリオの懸念はそういう側面からも間違いではないと言えた。

 だが、ティバーンは一国の王だった。それのみでセネリオを支持したわけではない。

 セリノスの正式な返還及び謝罪も、建前のみではなかった。だが、フェニキスという国の意志をそれ全てと言うほど、ティバーンとてお人好しではない。なんとなれば、ティバーンはフェニキスの王である。

 真の目的は更にその先にある。これを機に、帝国の力を弱め、最終的には帝国とフェニキスとで対等な国交をもち、貿易をすることにあった。

 フェニキスは、確かにキルヴァスに比べれば貧しくはない。自国一国のみならば、民を養う事も出来よう。だが、本当にそれだけでよいのか。ティバーンは、鳥翼族としても若い部類である。その野心、好奇心は、前代の王に比較するべくもない。襲ったベグニオン商船の船員などを、奴隷として使役することはあったが、基本的にフェニキスは、同じ鳥翼族であるキルヴァスやセリノス以外とはほぼ交流など持ってはいなかった。

 四年前、初めて関わった友好的なベオク、いや、初めて言葉をまともに交わしたベオクだろうか。

 彼らの持つ文化に、ティバーンはいたく興味を惹かれた。成る程ベオクは脆弱だ。だが、脆弱であればこそ時に驚くべき考えをなし、ものを作り出す。ニンゲン、などと蔑称で呼ばわり、奴隷としてのみ使役しかしたことのなかった存在は、こうも想定外の、いや、想像以上に驚きを与えてくれるのか。ティバーンは感動したのだ。知るという行為そのものに、感動し、ベオクという存在そのものに、ひどく心を動かされた。

 ゆえに、四年前の、デインークリミア戦役終結の後、ティバーンは彼らとの接触や交流を、力を行使するではく、なしてみるのもよい、と思うようになっていた。

 そのような発想をするラグズの王は、古今東西、おそらくティバーンが初めてで、そしてこの世界の理が歪みでもしないかぎり、ともすれば最後になるかもしれない。

 

 ただ、その為には一度、今の帝国の体制を崩壊させる必要がある。そしてフェニキスやセリノスにとって存在として有益である皇帝神使だけは生かす。

 それは、現在の帝国を滅ぼすとほぼ同義の意味も含んでいた。

 

 ともあれ皇帝の無力ぶりを象徴するのが、今回の幽閉騒動であり、三年前のセリノスの謝罪だった。本来ならば査問機関である元老院に強すぎる権力と野心を抱かせ、神使の意志と帝国の意志とは相通じぬ、ということを大陸中に知らしめる結果になった。

 だが早急に結論を出す事もあるまい、と再び彼女に助力をしたはよいが、今度は他国へとまるで侵攻するが如く、堂々と蹂躙してまわる、などと言われては、流石に神使の意志を尊重するにしても、限度というものがある。神使自身の意志がどうであろうと、敵対状態にある他国への国境侵犯は、それだけで相手に大義名分を与えてしまう。

 

 代々フェニキスの王になるものは、霊峰アウネーベの山頂に住まうという、その国の名にもなっている霊鳥フェニキスの風切羽根を戴くと同時に、打倒ベグニオンを誓うのである。そして、それは、未だ適ってはいない、フェニキスという国が独立し、南海の島に国を作ってよりの種族の悲願といっても良いものだった。

 かの国を征服してしまう、などという野望を抱かぬわけでもないのだが、かといってそれは甚だしく現実味に欠ける妄想であることは、ティバーンとて承知の上だ。

 では、かの国にフェニキスという国を対等な相手と認めさせるのはどうか。殊更過激な手段に訴えずとも、サナキならば聞く耳は持とう。

 そのような思惑がティバーンにはあったが、事態は思わぬ方に転んでしまった。

 

 だがそれも、考えようによってはまたとない機会が到来した、とも言える、現在のベグニオン帝国は、確かに元老院の軍隊は残ってはいても中央軍はこちら側にいる。純粋に兵力のみを考えたとして、軍配は皇帝側だ。

 その状態で、セネリオの進言どおりにサナキを連れてティバーンが凱旋するとなれば、ティバーンは同時にサナキという強力なカードをその手中に握れる事になる。

 サナキに、確実に恩を売る。そうすれば、ティバーンは、より覚えめでたき存在となるだろう。何より元老院は力を失いつつある。連中の要する部隊も、今ならば、化身したティバーンを討つ気概のある者などはいないだろう。今だから、出来るのではないか。

 

 敵将らの会話を聞いたウルキによれば、デインの狙いは、神使と元老院を引き合わせない事だという。

 なれば、いっそ、帝都に向かうより先にデイン国王の元に神使を伴い参じるのも一興だろうか。

 本来なら、デインがラグズ国王でもあるティバーンが来訪をしようと、デイン国王が謁見を承諾する事はあるまい。

 だが連中も手段を選んでなどいない現状を見れば、追いつめられている。神使その人は、権威があろうがなかろうが、現実的にはベグニオン帝国代表者といえる。その来訪という事ならば、流石にベグニオンに対し不愉快な感情しか持たぬデイン国王と言えど、会合を持つ気にもなろう。ティバーンは第三者として、そこに列席する。流石にこれならば、こそこそと動き回っているおそらくは元老院の間者どもとて、気がつきようもないだろう。そして気がついた所で、何も出来ない。

 ラグズ国王がベオク二国間の会合に調停役として列席するなど前代未聞の珍事だが、デイン国王は当初、自国の反ラグズ感情をどうにかすべしと動いていたはず。それは、ライの配下でもある諜報員が伝えて来た情報だが、ティバーンとてあえて疑う気は起きなかった。ガリアは流石に地続きでベオク三国と隣接していれば、各国に間者を相当数紛れ込ませており、常に他国の情勢に目を光らせている。

 出てこないというのならば、こちらから出向けばよい。一見した様子では、あの総司令官のミカヤという女性は、決して話の通じないタイプではない。なれば、彼女を説き伏せて王に謁見を頼めばよかろう。デイン王が暁の巫女に絶対的な信をおいている、という情報は、彼女のありえない出世の早さを見ていてもよくわかる。巫女などという神懸かった言葉を持ち出されるほど、なるほど俗な話好きの民草が語りたがる男女の交わりがかの主従にある、などという話はどこからも聞こえてはこない。不思議と言えば、不思議でもある。

 ともかく乱暴な理論ではあるが、少なくとも大軍団を引き連れて領内を横断するよりは、神使が危険に晒される事はない。

 なにより、メダリオンに対する懸念も、これならば考えなくとも済む。自国の益のみならず、これはベグニオンにとっても決して益のない事ではないだろう、ティバーンはそう踏んでいた。だが、流石にあけすけに全てを言うわけにはいかず、ゆえに「いっそデイン国王に神使を伴って行くか」という事のみを、まったく端的に言ってしまったため、シグルーンの猛烈な反対に合ってあえなく口を閉ざさざるを得なくなったのだ。

 ティバーンという男は、思惑はともあれ、ベオクを隷属して然るべき弱者、という既存概念に囚われすぎるがゆえに、どうしても発言が乱暴になるところが唯一の欠点だと言える。

 その同じ胸の内で、だがそれでいてベオクという種族に興味を抱き、接触を考えてもいる。それのみならば、偉大なる現ガリア国王カイネギスの思想に近いものもある。ガリアの戦士ライからすると、かのフェニキス王が不思議な存在に思えるのは、そういうところだった。

 その、ガリア側の実質的な代表でもあるライは、そもそも反ラグズ思想に塗り固められたるデインという国に足を踏み入れる事自体に二の足を踏んでいた。

 彼は、ラグズ勢の中で唯一と言っても良い頭脳派で、冷静だった、漠然としてはいるが、だがそれは直感が優れたる猫であればこそ感じる事が出来る、だが抜き差しならぬ危機感のようなもの。そのことをライは彼なりの言葉で説明し、肝心の大将スクリミルはといえば、頼れる側近やお気に入りの「小さな軍師」の提案を疑いを覚えるまでもない。

 

 デイン軍に見つからぬように、などということはこの大軍混成軍ではまず不可能である。

 それでどうしてもデイン領内を通過するというのならば、それなりの戦は覚悟しなければならない。だが、悪戯に戦線を拡大する事は、そもそもメダリオンの懸念がある。そういうことを、何故だかサナキやシグルーン、セネリオそしてアイクその人もまた、まるでそのような懸念などなかったのだ、という態度である。

 その事を、ティバーンは自分はセリノス王家に並々ならぬ思いがあればこそか、と切り捨てるように納得していた。大陸を巻き込む戦がおきれば、メダリオンの邪神の復活し世界を滅ぼす、などと言われてもあまりにも非現実的すぎ、お伽噺めいていてティバーンはピンと来なかったのだが、病床にあるロライゼが何より恐れる事態でもあった。

 それを抑える為に王家の三兄弟の負担が日々募っている。

 となれば、己が戦の衝動を抑える苦痛など、如何ほどのものでもなかった。

 

 

「俺の雇い主は、皇帝だ。なら、その意に従うまでだ」

 すべてを聞き終えた上で、アイクはただ一言、そう言った。

 それですべては決した。

 

 

 軍議の場を後にしたティバーンは、えもいわれぬ疲労に苛まれていた。

 何故か今回あえてアイクやシグルーンを説き伏せよう、とは思えなかった。決定は決定である。戦える事を伝えれば、同朋は奮うであろうことも目に見えていたし、自らの中に疼く衝動は、鎌首をもたげ獲物をとせかしてくる。メダリオンやセリノス王家三兄弟。心地よい衝動と、王としての理性。その何れを選ぶのか。何れかを選べば何れかは滅ぶ。その突飛な思いは、だがどこか生々しくティバーンの思考を支配していた。

 

 ティバーンは気がついていなかった。いや、気がつけないでいたのだ。

 彼が、心地よい戦の衝動に殊の外駆られやすく、だからこそ衝動を抑えることに常ならぬ努力をせねばならぬ理由が、セリノス王家三兄弟に対する懸念だけではないのだ、ということに。

 そういったものを誘うもの。

 目に見えぬもの。それは、だが、確実に、あらゆる箇所を要素を侵蝕し始めている。

 

 

 

 

 なるほど、現状ではデイン側の出方は足止めの為の域をまだ出てはいない。

 だが、彼らが本気でその牙を剥いたのならば、おそらく神使サナキは、その幼き命をとっくにこの白い雪上に散らしている、とウルキは見ている。彼らの帰属意識の高さや勇猛さは一度火がついてしまえば、収まりどころは敵あるいは自分たちの殲滅しかあるまい。そういう意味でデイン人の気質は、どこかラグズに似ている所があった。そうでなくとも、国境を突破して領内に「侵入」した時点で、デイン側からは完全に敵視されているのだ。

 デイン王の下には、手段を選ばず自国のみを最優先する策士が存在している。手段を選ばずとは文字通りの意味であり、決して容赦などしてはくれない。

 その事に気がついていたのは、王ティバーンの他には、シグルーンにセネリオぐらいのものだろう。

 セネリオは、鬼気迫る雰囲気を隠そうともしなくなった。辛辣な口調はいっそう厳しくなり、兵の中には彼を疎む者も出始めている。それでも、寝食を惜しみ、白磁の面をいっそう青白くしながらも必死に策を練り出し、指示をとばす様を見ていれば、表立った陰口を叩く者は、いなかった。

 なんとなれば、デインはこれほどに追いつめられてもなお、理性を、誇りを失わず、死を恐れず、彼らが大義を持って女神の代弁者たる皇帝神使サナキに弓引く事を、厭わなかった。

 神使その人を目の当たりにしようとも、畏れることも、あがめることもなく、「暁の巫女」の名を叫び、或いは己の国の栄光を信じて、迷わず攻勢に出て来た。

 その兵士一人一人の目に宿るものそれが、強い信念を持つ人の理性だったことに、ウルキは背筋に寒いものを覚えてた。

 

「やっぱり、あのときあの参謀殿の言う通りにすべきだったんだ。俺たちや王の翼の強靭さを疑った神使は、自分で不幸を招いたな」

 その結果が、ほぼ壊滅したクリミア軍に、兵力を半数以上失った神使親衛隊、そして底をつきかけている兵糧だ。ヤナフの言葉には侮蔑と後悔が含まれている。

 その後の行軍に際しても、替え玉を用い、サナキ本人は魔道兵になりすます、というセネリオの提案をかの親衛隊長は却下した。というよりか、その案に関しては、替え玉の準備に関して「そのへんの村から年格好の似た子供を攫えばよい」とサラリと言ってのけたセネリオに対するサナキの反発が強かった。

 きれいごとを言っている場合なのか、と尚も食い下がるセネリオを抑えたのはアイクで、アイクに釘を刺されてしまえば、セネリオはそれ以上言葉を告げる事は出来ない。

 それでも、神使に向けられたセネリオの厳しく、冷徹な瞳は、見ているこちらの方がゾッとするような代物だった。

 デインにおいては、暁の巫女ミカヤは、神使サナキにも匹敵するか、あるいは凌駕する求心力を持つ。

 その事を、セネリオは予め全軍に告げていた。だが結局、彼の忠告は、まったく生かされなかった。

「………仕方ない、我らが従っているのは、ベグニオン帝国だ。それは、王も、納得している」

「わかってるよ。わかってるから、せめてお前相手にくらい好きなように言わせろ」

 ベグニオンという帝国の、最もよからぬ体質の一つがこれだった。おかしな事にかの国は、一枚板ではない筈が、このような他国に対する態度となると、何故だか驚く程に同一の行動、思考をする。

 自らが絶対的に正しく、かつ、優位であると思い込む。それは強大な版図を誇るからであり、軍事力を誇るからであり、財力を誇るからであり、何より女神の代弁者でもある神使という存在が彼らの中で絶対視されているからだ。

 だが、デインもクリミアも、ベグニオン帝国より独立して久しい。ラグズ国家三国は、元よりベオクと慣れ合う事を厭う。

 ベグニオン帝国は、自らの強大さを信じすぎるがあまり、実は孤立していたことを、それでも盟約があればこそ、辛うじてデインもクリミアも配下に準じていたということに気付くことは、結局このような事態となっても、なかった。

 

 ヤナフもそれきり、おしゃべりな口を紡いだ。このよく動く口は、一度開かれれば留まる所を知らないが、逆に頑に閉じられていれば、三日も四日も沈黙を保つ事もある。

 おそらく、しばらくは相棒の喧しいおしゃべりからは解放される。だが、ウルキは今回に限っては、その事に不安を覚えるのだった。

 寡兵にして大軍を討つ。今のデイン軍にこれほど相応しい言葉が、あるだろうか。かつては自分たちがその寡兵であったことを思うと、尚の事ウルキは明朝よりの戦に、危機感を覚えている。そこまで計算してではないだろうが、ヤナフも漠然とその危機感を感じ取っていればこそ、この沈黙なのだ。

 一見すれば皇帝軍の優位は動かない。だが、だからこそ、その奢りにより、今までも苦渋を舐めさせられたのではなかったのか。デイン側の結束を結果的に固めてしまったのは、実は自分たちの存在がしてではないのか。彼らを育ててしまったのは、他ならぬ、神使を戴き正当性は本来なら揺るぎなき、皇帝軍である我らなのではないのか。

 そして、理解不能なこの不愉快な空気は、時が経てば立つ程、ウルキの思考そのものすらも圧迫してくる。なにもかも、どうでもいい。ただ、思うは明朝の決戦のことのみを。

 ウルキは力なく、だが、不自然な衝動を払うべく頭をふるう。ヤナフは、ただじっと眼前の闇を見つめていた。

 

 

 

 目眩が、突然ペレアスを襲った。とっさに卓に手をつくことで倒れる事こそ免れたが、全身の臓腑が圧迫されるような、じわじわとこみ上げる悪寒に、ペレアスは歯を食いしばりひたすら耐えた。

「陛下!」

 真っ先に、短く叫びながらタウロニオが、黙ったまま側近の男がそれぞれ駆け寄るが、ペレアスは辛うじてそれを手を挙げる事で制した。

「構うな、大丈夫だ。私は、大丈夫だ。それよりも、続き、を」

 だが、ペレアスが言葉を続ける事は不可能だった。

 突如、理由はわからぬがこみあげてくるもの。覚えのある純粋な感情。不愉快な汗がにじむ。ペレアスは口早に古代語を紡いだ。『闇よ、去れ』その言葉の意味を聞き取ったミカヤとニケ、ラフィエル、そしてクルトナーガの表情がとっさに変じた。

 ミカヤは、隣に立つサザを押しのけてペレアスに駆け寄り、身体を支えるように手を添えた。『我が光、我が祈りにて、悪しき咀よ、退きなさい!』ミカヤの澄んだ声が室内に響き渡り、彼女のてのひらが淡く光を放つ。

 その光は一瞬ペレアスを包んだかと思えたが、まばゆく発光する間もなく消えた。

「ありがとう、ミカヤ。すまない。このようなこと、今まで、なかったのだが」

 大丈夫だ、と言うようにペレアスは身体を起こすと、ミカヤを引き離した。側近の男はといえば、何事もなかったかのように一歩引いた位置に戻っており、タウロニオも元の場所に戻っていた。ひとり、ラフィエルだけがほっとしたように吐息をつく。

「精霊の護符、陛下が宿されている精の力は……おそらく、増しております」

「確かに。それよりもミカヤ、君は、力をそのように使っても大丈夫なのか?まだ、本調子ではないと」

「ご心配には及びません。直接的な傷の治癒を行うわけではなければ、私の身体に負担は、かかりませんから」

 頷いてみせ、ミカヤもまた、彼女のあてがわれた席へと戻っていた。その様子を、サザは黙って見守っていた。

 

「皆、済まなかった。もう大丈夫だ」

 告げるペレアスの顔色も、挙動も、元に戻っていた。それをミカヤの「癒しの手」によるものだ、と皆納得している。

「では話を戻そう。誓約を破る方法は、誓約書を奪う事だ。そのため、既にベグニオンには潜入した者がいる」

 確かにその様子は、何事もなかったかのようだ。先ほどの変調が、睡眠不足や不摂生からではないのか、とだがタウロニオはそれでも疑いの眼差しで見ていた。側近の男も同様で、この男は寡黙で面に何かを出すという事は皆無なのだが、常よりもやや厳しい面持ちに見える。

 双方魔道的なことは理解の外だが、ペレアスが玉座についてからというもの、まっとうな食生活と、充分な睡眠を人ほどしてはいないということを、誰よりも知っているからだった。おそらく、部下である者のほうがよほど良いものを食べている。身体を健康に保つ事も務め、と言ってはじめてペレアスは用意された食事に手をつけるという始末であれば、両名の懸念が決して大げさだとはいえない。

 

「彼らは選りすぐりの間者だ。数日のうちに、誓約書を携え戻るだろう」

 誓約書の扱いに関しては、ペレアス自身およそ破棄すれば済むであろう事も想像していた。だが、それが第三者の手でよいのか、はたまた契約に携わるものの手に依る必要があるのかまでは、かき集めた知識のみでは限界があった。契約者の死に第三者の手が加わる必要があるということは、同様の事が言えるような気もしたのだが、いずれにせよこちら側に現物があるにこしたことはない。

 それら全てに関わる諜報組織「草」の存在は、だが、公には出来ない。彼らは王家の懐刀だ。流石に他国の客人に、それを暴露するような愚かな真似は出来ない。とはいえ、おそらく女王ニケは、デイン王の周りをこそこそと動き回るその存在を察知しているだろう。

 聞かれれば、答えられる範囲で答えるつもりでいたが、ニケはそこまでは具体的なものを求めてはこなかった。

 「草」の存在を知るタウロニオやフリーダ、側近の男は何も言わない。

 ガドゥス公ルカンが、帝都シエネはマナイル神殿をほぼ住居としているのは、以前より確実な情報としてペレアスは握っていた。マナイル神殿への道程、冬場であること、侵入に際してはおそらく混乱しているだろうから通常よりは容易だったかもしれないが、そこから首尾よく事が運んだとして、あと三日程は必要だ。

「我らがとるべき手段は、彼らが戻るまでの間、生き延びる事だ。その日数はおよそ三日。三日間、我々は耐え続ければよい」

 この三日間こそが、すべてを決する戦となる。幸い兵糧、物資は冬場という事もあり、補完状態も良好であった。砦の守備隊長は昨日の戦で戦死してしまったが、彼の功績はむしろ、物資を損なわず守り通したことであった。ネヴァサよりの兵站に、それなりに守備兵を割り当ててはいたが、今の所不思議と皇帝軍が手を出す気配もない。

「今回の総大将は私だ。ただし、戦闘指揮官は、引き続きタウロニオ将軍。タウロニオ将軍の命は、私の命と思ってほしい」

 ミカヤが、傍目からもわかるほど、強く唇を噛み締めていた。眉間に皺がよっている。彼女は思い出していたのだ。あの日、神使を捕え損ねた、あの時の事を。皇帝軍をおびきよせ、一網打尽にすべく仕掛けた罠。王命を遂行せねばという強すぎる思いから、タウロニオを説き伏せ、無茶な作戦を敢行したあの戦。

 そして、戦いの前後ペレアスが自分にかけてきた、言葉を。

 

 その言葉は、まさに今そのペレアスが告げた言葉そのものだった。ミカヤの命令は王命であると。

 作戦の失敗を聞いたペレアスは、自らの筆を取り責を悔やむミカヤへ書をしたためた。その紙面には、ただ一言『全ての責は王たるこの身にある』とだけ記されていた。

 

「ミカヤ。君は、総大将としてではなく、戦闘指揮官タウロニオ将軍の補佐として戦場に立ってくれ」

「はい」

 一度、ミカヤはラグズ連合に敗北を喫していた。その折、総司令という地位から彼女は下ろされている。現実に指揮を執り、軍を動かしていたのはタウロニオだった。

 タウロニオは求心力、実力、名声、経験、全てにおいて申し分のない指揮官であった。

 その隣に、あくまでも「補佐」という形で臨時の役職をおく。それにより、ミカヤはあくまでも、総大将に近い、だが総大将ではない曖昧な地位を与えられた事になる。それは、ミカヤという存在がもつ求心力を殺さずに生かすための緊急の措置だった。そして、その旨をミカヤ自身がよくよく理解していた。

「デインに暁の巫女は健在である。敵にも味方にもそう思わせる」

「王、皆まで言わないで下さい。デイン軍は、…デインという国は、ひとつです。誰が欠けても、なりません。それが私の、誇りです」

 ミカヤの瞳に光が宿っていた。それは、女神の導きではない。神を思わせる、奇蹟の代弁者でもない。

 ミカヤという女性の内から、自ずと迸る言葉で、思いだった。毅然と言い放つ言葉によどみなく、すっとのばされた背筋には、絶望の影も形も見いだす事は出来ない。

 ミカヤにとっては、具体的に効果的な策がある、だとか、確実に皇帝軍を足止め出来る策がある、などというより、彼女自身が確信を抱けるか否かが重要だった。そしてそれは、言ってみれば天啓のようなものだ。そういうミカヤに軍を任せた事自体が、そもそも失策だったのか。だが、ミカヤでなければ、デインの兵たちはこれほどに奮える事はなかった。そして、側につけたタウロニオは、よくやってくれたと思う。

 もとより、このような状況を引き起こした張本人は、誰でもない、ペレアスだ。だから、タウロニオやミカヤの敗北を、必要以上に叱責する気はなかった。

「私にも、責任があります。沢山の兵達を死なせてしまったこと。その事を忘れるつもりは、ありません」

 ミカヤは胸の前に片手を握り、瞑目した。続くように小さく呟かれる言葉は、祈りだ。

「その言葉、君の想い……信じるよ、ミカヤ」

「はい」

 交わされた言葉と、交わされた視線は、それでも堅い信頼で結ばれている。率直にそれを感じ取ったサザは、いい知れぬ疎外感を覚えた。

 何故か、何が。具体的な理由はわからない。だが、そこには、他者の入り込めぬ余地がある。信頼と、信頼。

 それでも、疎外感を覚えながらも、それを以前程に嫌なものだとは感じなくなっていた。

 少しなら、姉の気持が、理解出来るからなのだ。その事に、サザはふと、気がついた。この二人の間にある信頼とは、純粋にただ相手を信頼する、互いに忠誠を誓うようなものなのだ、と、忠誠という言葉の意味すらよくはわかっていないサザが、だが感覚的にそのように理解していた。

「異議はないのであれば、話を進める。タウロニオ将軍、概要を皆に」

「はい。王の言葉通り、我らが目的は、この場を守る事にあります。生憎と篭城という手段は奪われましたが、地下に隠し込んだ兵糧や武器の存在、そして風雪を凌げる場所もあります。兵力の差こそありますが、我らに勝ち目がないとも、いえません」

 ペレアスが卓上に地図を広げ、タウロニオの言葉を受け、側近の青年が書き込みをいれてゆく。本陣はノクス上の脇、丁度丘陵地の頂の台地に位置していた。周りはうっそうとした針葉樹に囲まれている。

 物見の報告より彼が書き込んだ情報も、詳細に記されていた。ニケは無意識に、感嘆の息を吐いた。

 これならば、改めて自分が情報をもたらすまでもないかもしれない。それは皇帝軍を裏切る事になるが、それはデイン側に与した事で決定的だ。大義名分など、ベグニオンという大国のまき散らす因習と無関係なニケには、どうでもよい。それよりも彼女自身が興味を持ち、血を沸かせ肉を踊らせるような状況と、伴侶ラフィエルの望みこそ、彼女にとっては是である。

 そしてニケにとって、デイン軍は、彼女の心を満たす要素に溢れていた。

「女王……全てを、話すおつもりなのですね」

「それがミカヤを助ける事になろう。それは、お前の望みでもあるのではないか、ラフィエル」

 夫婦の間に交わさされたひそやかな囁きは、一旦はその場に収められた。

 

「本日早暁。第五竜騎兵隊で、皇帝軍本営を襲います」

 第五竜騎兵隊。タウロニオの言葉に息を呑んだのは、フリーダとノイス、そしてミカヤだった。

 


 
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