タイトル:香霖堂に春が来た
ちょっとした作業を終えて、窓から外を覗くと、今日はいい天気だった。
透き通る様な空には所々に雲が浮いていて、何もない青空よりかは趣を持って僕を迎えてくれる。風は殆ど吹いていない様で、木々の葉は揺れる事なく日光浴を楽しんでいた。稀に飛んでいくのは鳥か妖怪か。人間の姿が見えない事に、僕は多少の安堵を覚える。
季節は秋から冬へと移り変わる、そんな時期だろうか。
僕こと森近霖之助は、そんな外を見上げながらう~んと伸びをした。
「ん?」
と、そこで気付く。
魔法の森へと差し掛かる場所にある一本の桜。立派、とも言い切れないがみすぼらしいとも言い切れない、そんな桜がある。春でもないのに、桜に目が止まるというのは、普通には有り得ない事だ。そう、春でもない限り。
しかし、僕の目は彼女に釘付けになった。何故か、と言えば簡単だった。
春でもないのに、その桜が咲いているからだ。
「狂い咲か」
季節にして、今は桜が咲く様な時期ではない。まさしく桜が狂ったとしか思えない現象だ。桜の根元に酒をやると狂い咲くと予想した事がある。『酒』、転じて『咲け』だ。酔っ払う上に桜に強制をする事が出来る。まぁ、それは可哀想だし、なによりお酒が勿体無いので、まだ実験もした事がない。仮説の状態だ。
果たして、彼女が咲いた原因は何だろうか……そう思って、桜を見た時に、珍しい妖精を見かけた。
「リリーじゃないか」
リリー・ホワイト。
別名を春告精と呼ばれる彼女が、桜の根元で眠っていた。春以外に彼女の姿は見る事が出来ない。いったい何処で何をしているのか、謎になっていたのだが……
「こんな所で寝ぼけているとはね……」
どうやら、狂い咲の原因はリリーの仕業らしい。
僕は香霖堂から出ると、桜の根元へと近付いた。リリーは桜の根を枕にしてす~す~と可愛らしく寝息を立てている。側には、お酒の一升瓶。
ふむ……もしかすると、僕の仮説が当たっているのかもしれない。
「……どこかで宴会でもあったのかな」
恐らく、泥酔したリリーは、今が春だと勘違いしたのだろう。この一本の桜だけを咲かせて満足したのか眠ってしまったらしい。幻想郷中を春にしてしまわなかっただけマシだろうか。そうなると、レティとチルノが異変解決へと乗り出す事になってしまう。
「もっとも、春じゃないリリーが異変の主犯なので、大した事件にはなるまい」
そんな事を呟きながら、僕は彼女の肩を揺らす。妖精が風邪を引くのかどうかは知らないが、さすがにこのまま寝させ続ける訳にはいくまい。
「ん~……あれ、ここどこ?」
「ここは香霖堂の裏さ。春の妖精がうろつく場所でも、寝ている場所でもないよ」
僕がそう告げると、リリーは目をパチクリとさせてから、驚き飛び上がった。まぁ、妖精だから人間や妖怪にはあまり近付かない。チルノや博麗神社近くの妖精達ぐらいだろう。
「おい、まだ酒が残ってるぞ」
と、逃げる様にして飛んでいくリリーに声を掛けるが、彼女はその言葉に応える事なく、そのまま行ってしまった。
やれやれ、と僕は酒瓶を拾い上げる。まだ中身が半分程残っており、いったいリリーは何処からこれを手に入れて来たのか、それなりの謎が残る。
「ふむ……春以外に姿を現さないリリー・ホワイトがお酒を手に入れる方法か」
まさか人間の里で買った訳ではあるまい。
僕はポンと酒瓶の蓋を開けると、その答えに気付いた。
「なるほど、自分で作った訳か」
お酒は日本酒などの類ではなく、梅酒だった。これなら、簡単に作る事が出来る。
「せっかくだ……今日は花見をして過ごすのも、悪くはない」
僕はさっそくとばかりに、お猪口と乾物を香霖堂から持ち出し、狂い咲いた桜の前にゴザを敷いて、座った。
お猪口にリリー特製の梅酒を注ぎ、桜の花に乾杯してから、口へと運んだ。甘さの中にほんの少しの酸味を感じる。
「うむ、美味い」
ほんの少しの肌寒さを感じるが、それも酒の御力で感じなくなるだろう。
と、その時、ふと空から降りて来る影に気付く。見上げれば、バサリと空気を撃つ黒い翼。カメラを片手に舞い降りて来たのは、射命丸文だった。
「やぁ、文じゃないか」
ふわりと浮き上がるスカートをバサリと手で押さえつけて、文は着地する。
「はい、いつも清く正しい射命丸です。あやややや、季節外れの花見ですか」
「あぁ。狂い咲いた桜も、愛でられれずに散ってしまうのは可哀想でね」
咲いてしまった限りは、この桜も見てもらった方が良いだろう。彼女が極度の対面恐怖症というのなら別だが。
文はパシャリと桜の写真を撮ると、ついでとばかりに僕の写真も撮る。
「じ~~~」
それから、何か言いたげな目で僕を見てきた。
「……一杯呑むかい?」
「そこまで言うのなら仕方ありません。ご好意に甘えましょう」
まったく。
僕はお猪口を彼女に渡し、梅酒を注いでやる。これはこれは、等と呟きながら文はクイッと一気呑みした。さすがは大酒呑みの天狗。情緒も何もあったものではない。
「ふむ、美味しい梅酒ですね。季節外れの春か~。あまりネタには成りませんが、宴会のネタにはなりそうです」
「おいおい、僕は一人で呑みたいんだがね」
「彼女がご主人を愛していると言うのなら、私も野暮はしませんよ?」
文は手のひらで桜を指す。桜が僕を愛してくれているか、と聞かれれば、僕はため息を吐くしかない。
「はぁ……残念ながら、僕の片思いさ」
「ならば、彼女の姿をみんなで愛でないと、ですね」
と、意気込んで文は空へと舞い上がった。
まったく、仕方がない。どうやら、今日は宴会になる事は避けられないらしい。幻想郷最速を謳う文だ。すでにもう香霖堂で桜が咲いている事は事実として流れているだろう。
「君も運がいいのか悪いのか」
僕は、恐らく最後になるであろう、静かな一杯を彼女に掲げ、口を潤わせた。
~☆~
「あ、本当に咲いてるのね」
果たして、一番初めにやってきたのは、意外にもお姫様だった。永遠亭の月姫、蓬莱山輝夜。豪奢な着物に長い黒髪。顔立ちは美しくもあり、可愛くもある、見る男によって感想が変わる中間的な顔。整っているのは事実なので、彼女に騙される男性は多いのではないだろうか。
そして、彼女の特徴と言えば、
「狂い咲きね。きっと香霖堂の薀蓄の聞きすぎで狂ってしまったんだわ」
これだ。
その容姿からはとても想像出来ないが、彼女は意地が悪い。捉え様によっては、チャームポイントなのだろうが、下手をすればただの捻くれ者。妖怪『腹黒』だ。
まぁ、その絶妙なバランスを取るのが、彼女の処世術なのかもしれない。竹取物語然り、だ。
『なよ竹のかぐや姫』とは竹取の翁もよく名付けてくれたものである。
「僕じゃなくて、リリーのせいさ」
「あら、他人のせいにするのは良くないわ。善人ならば喜んで罪を被るべきよ」
「それじゃ、ただのマゾだ」
僕はゴザの上にある塵を手で払い除ける。ありがと、と彼女はそこに座った。
「それは?」
輝夜は黒い箱の様な物を持っていた。彼女はそれをゴザの上に置くと、蓋を開く。その中身は、いわゆるお弁当だった。出汁巻き卵に金平ゴボウ、黒豆の煮付けやホウレン草のお浸し。派手さはないけれど、随分と大人しく、それでいて美味しそうなお弁当だ。おそらく、若い男子には受けないだろうな。老人たちに絶賛される様なメニューになっていた。
「急な話だったので、こんなのばっかりでごめんなさいね」
「いやいや、美味しそうだよ」
僕は彼女からお箸を受け取り、黒豆を一個だけ口に運ぶ。甘く煮付けてあるらしく、甘い味が口の中に広がった。お酒も梅酒であり、甘い物と甘い物で、これも悪くない。そう考えると、実に僕が老人らしい味覚を持っているみたいに思われるが、まぁいいだろう。それくらいは生きているしね。
「やはり、君の料理は美味しいな」
「それってプロポーズ?」
「なるほど、だから料理人は男が多い訳か」
輝夜は、くひひ、と可愛らしく笑う。ほんと、彼女はいつ奥様方に刺されてもおかしくないよ。あとに待っているのは後悔だけになりそうだけど。
彼女が持参したぐい飲みに、僕は梅酒を注いでやる。彼女は一口呑むと、ほぅ、と幸せそうにため息を吐いた。
「季節外れの桜も、いいものね」
「みんなの注目を集めるし、彼女も鼻が高いだろう」
「文字通り、華が高いわね」
「はっはっは、確かに」
今更ながら、僕と輝夜は乾杯する。
お猪口とぐい飲みだから、甲高い音はせず、鈍い音。それでも、なんだか僕らを表している様な気がして、お互いに苦笑するのだった。
~☆~
「あ、やった。私が一番乗りだ」
上空から声が聞こえたので、仰ぎ見ると朱鷺子が降りて来た。どこぞの天狗と違ってスカートを押さえての着地は、羞恥心があるという証拠だ。やはりどこか人間臭い妖怪だな、と僕は思う。
僕と同じ白系統の髪に混ざる青。黒いドレスにも青が混ざり、彼女の特徴を青と表現しそうにもなるが、実際には背中と頭にある羽に目がいってしまう。そして、その羽の色は朱鷺色な訳で、彼女が朱鷺子と呼ばれているのは、ここからだったりする。
名前というのは、そのまま、そのもの全てを表す。僕としては、この様な名前の付け方には、あまり納得しないのだが……すでに彼女は『朱鷺子』と成ってしまっている。僕としては、是非とも彼女の正体を暴きたいのだが、それは中々に叶いそうにない。
「残念ながら、君は二番乗りだよ」
「え、うそ。だって誰もいないよ?」
「永遠亭のお姫様が先に来ているのさ。今は花を摘みに行っているけど」
久しぶりにこの比喩を聞いたので、僕も使ってみる。相変わらず古風なお姫様だが、この古風はちょっと違うよな。
「あぁ、トイレか」
「……それもどうなんだろうか?」
何が、と朱鷺子は疑問符を浮かべるが、僕は何でもないと応えておいた。
輝夜とは反対側の塵を手で払いのけてやると、朱鷺子はそこに座る。そして、さっそくとばかりに鞄から紙の束を取り出した。彼女の創作物だ。
「そこはお酒じゃないのかい?」
「霖之助は花より団子?」
「花よりも団子よりも、珍しい道具だな。ま、これも悪くない」
僕は朱鷺子から紙の束を受け取り、目を通していく。朱鷺子はその間に輝夜のお弁当に手を伸ばした。それからコップも取り出して、手酌しようとしているので、僕はそれを制した。
「おいおい、そこは僕の仕事だよ」
「あら、そうなの?」
「ここは香霖堂の敷地といっても過言ではないからね。そうなると、君は客人となる。そういう訳だ、僕に注がせてくれないか」
「ならば」
と、朱鷺子はコップを差し出す。それは文字通り『コップ』なので、お酒を呑むには風情がない。しかし、まぁ、これはこれで朱鷺子に似合っている。梅酒をトクトクと注いでやると、返杯とばかりに朱鷺子が瓶を持った。
僕は少しだけお猪口の中身を減らすと、朱鷺子からの返杯を受ける。
「私の素晴らしい作品にかんぱ~い」
「思い上がりも甚だしいな」
僕は苦笑しながらも彼女のコップにコツンとお猪口を当てた。そして、くいっと中身を煽る。それから輝夜のお弁当の出汁巻き卵を頂くと、また紙の束へと向かった。
「あら、朱鷺子じゃない」
「こんにちは、お姫様」
そうこうしているうちに輝夜が戻って来た様だ。
「私が一番乗りだと思ったに、輝夜は行動が早いよね」
「これでも『永遠と須臾を操る程度の能力』を持っているからね。時間に関しては、自信があるわ」
「へぇ~、紅魔館のメイドさんは時間が止められるそうだけど、似た様な感じ?」
「そうね。あっちのメイドの方が上等な代物よ。似た様な事は出来るけど」
そう言った瞬間に、輝夜の手には酒瓶が握られていた。世界がコマ落ちしたような、そんな感覚を覚える。恐らく、『須臾』を操ったのだろう。間延びした世界で、輝夜は新しく酒瓶を持ってきて、戻って来たという訳だ。
「おぉ~、すごいすごい、まるでタイムブースターだ」
「「タイムブースター?」」
僕と輝夜は同時に疑問の声を上げた。
ずっと紙に目をやっていたものだから、聞いてたの、とばかりに輝夜がこちらを睨みつけてくる。
むぅ、別にいいじゃないか。僕はそこそこ器用な方だ。書物に夢中になるときはあるけどね。
「自分の周りだけ時間を遅くするっていう外の世界の漫画にあったよ。アニメってのでやってたみたい。周りが遅いから、自分は加速した世界にいられるの。でも、空気も遅いから呼吸できなくて、周りの石とかも凄く重いの」
なるほど。
確かに時間を遅くするという事は、逆に考えると自分だけが加速している状態だ。そうなると、高速で動く分、摩擦が大きくなる。空気もそうだし、そのあたりの石も岩も恐ろしく重く感じるだろう。更に言うなら、光もそうだ。僕達が見ているこの光も、正体は『光』なのだから、もしかすると、見えるのかもしれない。
「どうなんだい、輝夜?」
「科学ではそうかもしれないわね。でも、ここは幻想郷。それはそれは不思議な場所ですわ」
輝夜はそう言って、ぺロリと舌を出す。
どうやら、良く分からない、と言っているようだ。
無理もない。どうして僕には物の名前が分かるのか、と聞かれれば、相手に分かる様に説明するのは難しい。いや、相手に自分と同等の理解力があるのならば可能だが……それは無理だろう。
恐らく、輝夜もそう感じたに違いない。
「出来るものは、出来るんだから、しょうがない。そんな感じか?」
「そんな感じよ。ねぇ、朱鷺子はどうしてこんなにいっぱいの物語を書けるの?」
「え? え~っと、思いつくから、としか答えられない」
それと同じ、と輝夜は黒豆を摘まんで、口に放り込んだ。朱鷺子も同じく黒豆を食べて、笑顔を浮かべる。
宴会の席に難しい話は要らない。
ただただ、こうして楽しくにこやかにお酒が呑めればそれでいいのだ。
「お、そろそろ集まってきたようだな」
上空を見れば、紅白の巫女に黒白の魔法使い、紅魔館組に白玉楼組に守矢一家に命蓮寺一家。遠くからはプリズムリバー三姉妹の演奏も聞こえてくる。
「さてさて、本格的な花見のはじまりだ」
僕と輝夜と朱鷺子は桜の木に向かって、それぞれの杯を掲げる。
「かんぱい」
呟き、そして酒を呑む。
ふと、長い間、春が来なかった様な錯覚に陥った。
はて、何だっただろうか、と思い出そうとするが、何も出てこない。
春が来なかったあの異変を思い出すのだが、それとは違う感じがした。
まぁ、どうでいいか。
僕はかぶりを振って、疑問を頭から追い出す。
香霖堂に春が来た。
季節外れの春だけれど、僕はこれを歓迎する。
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2010年冬コミで発行した物のサンプルです。
東方創想話様に投稿した作品を中心に、加筆修正及び新規書き下ろし
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