文月瑠衣は、純粋な人間ではない。
陰妖子(カゲヤシ)と呼ばれる吸血種族と人間のハーフである彼女は、見た目は人間に変わりない(カゲヤシそのものも人間にしか見えない)。彼らは吸血鬼であるというのに血を得る必要はないらしく、姿形だけでなく言語や食事、ファッションセンスまで人間と同じなのだ。人間と違うところなんて、外傷の治癒するスピードが尋常ではない点、肌に大量の陽を浴びると焼けて灰になってしまう吸血鬼特有の身体を持つ点、腕力などが人間の数倍以上ある点ぐらいだ。後はほぼ人間と同じ。いや、むしろ人間よりも寛容な心を持っており、短気な性格ではないのである(例外も何人かいたけど)。ちなみに、カゲヤシの血を人間が飲むと、その人間の身体はカゲヤシと化してしまう。
瑠衣と会話をしていても、「ああ、こいつ人間じゃないな」なんて思う事はないし、むしろ話していて飽きを感じない(俺が瑠衣に好意を抱いているから、そういう意向になっているのかも知れないけど)。
だが、人間とカゲヤシは敵対していた。
瑠衣の母親は、妖主と呼ばれるカゲヤシ達のトップだ。しかし、瑠衣の「人間と共生する考え」に対し、妖主の「人間と敵対する考え」が相容れなかった為、互いに衝突し、最後には俺と瑠衣が双方の想いを確かめ合い、協力して妖主を倒した。その後は、人間勢力で正義の味方的立場だと思われていたNIROという組織を動かしていた男――瀬嶋隆二が、本性をさらけ出した。瀕死だった妖主の血を奪い、超人と化した瀬嶋は、俺との一騎打ちに破れ、野望虚しく灰となった。人間とカゲヤシの共生を夢見る少女――文月瑠衣の完全勝利である。
そんな、俺の恋人兼美少女カゲヤシである瑠衣が、今隣で何やらそわそわと落ち着かないご様子。目線はあちらこちらに移り、貧乏ゆすりを繰り返している。誰かに監視されている訳でもあるまいし、何がそんなにも気になるのだろうか。
恐らく、今瑠衣に話しかけても、生返事をするだけだろう。
「瑠衣。ポッキー食べる?」
俺は開封されたポッキーの箱を瑠衣に差し出し、にんまりと笑った。
「……えっ? ……あ、うん」
ほらやっぱり。
ここ最近――即ち瀬嶋との死闘を終えてからの数週間、瑠衣の様子がおかしい。妙に挙動不審、話しかけても上の空。常に何かに緊張しているかのような態度。最初は、いきなり訪れた平和に落ち着かないだけかと思っていたが、それにしてはどうも期間が長すぎる。
赤い箱から一本、ポッキーを手に取った瑠衣は、緊張を押し殺そうとしているのか、それを勢い良く口に押し込んだ。
「……」
眠そうな目、加えて黙々と食べる瑠衣。まるで寝起きの朝食だ。
よく見ると、目の下に隈が出来ている。もしかしなくても、寝不足なのだろう。
「なあ瑠衣。最近、よく眠れているか?」
「! ……ん」
鳩に豆鉄砲を食らったような顔になり、こっちを見た。
「いや、だって瑠衣さ、最近落ち着きがないっていうか、何ていうか」
「ご、ごめん。ちょっとお手洗い行ってくるね……」
俺の部屋を飛び出していった瑠衣の顔は、明らかに紅潮していた。……照れているのだろうか。
そういえば、瑠衣と顔を合わせて話す事って、あんまりない気がする。隣同士、一点を見つめての会話か、もしくは俺が瑠衣の顔を見たとしても、すぐに目線を逸らされてしまう。
嫌われたか。
そう思うと、すぐに戻ってくるであろう瑠衣とどう接するべきか考え込んでしまう。今日は早々に切り上げ、帰ってもらうか。今後、なるべく会わない方がいいのか。いやいや、それより何故嫌われたのかを思索しなければ。
俺は大学受験に失敗した落ちこぼれ予備校生。なかなか勉強に力が入らず、秋葉原の友人と共に、毎日遊び呆けていた。そしてある日、友人が失踪し、探しに出ると、友人を襲った瑠衣の兄――阿倍野優に致命傷を食らい、瀕死の状態に。そこを瑠衣に助けられ(何と瑠衣は自らの唇を切り、口移しで血を飲ませてくれた)、その後、NIROに協力しながら瑠衣に近づき、最終的には彼女側についた。
考えろ。俺に落ち度はあったか。瑠衣に嫌われるような事をしたか。確かに俺は彼女の実の兄である優を殺した。しかし、あの場面で殺さなければ、瑠衣も殺されていただろう。
……何かもう、訳が分からなくなってきた。俺はどうしたらいいんだ。
「どうしたの? 凄く怖い顔して」
「うおっ!」
いつの間にか、戻ってきていた瑠衣が俺の前に立っていた。
どうしたのって、それはこっちのセリフだ。相変わらず瑠衣の頬は赤い。もしや、熱でもあるのでは……。
そんな心配をしていると、瑠衣は暗い顔になり、俯きながら言葉を紡いだ。
「ごめん。いきなり出て行っちゃって。……何の話だっけ」
「あ、えっと、辛いなら帰った方がいいよ。風邪ひいてるんじゃない?」
「……この通り健康だけれど」
全然健康そうに見えないんだが。
そう言おうとしたが、瑠衣は悲観的で割と傷つきやすい性格なので、もっとソフトに、
「ほら、顔赤いしさ。手もちょっと震えてるよ」
「えッ! いや、これは、その、何でもないから!」
……ソフトに言ったら物凄い反応をされた。
すると瑠衣は、何事もなかったかのように俺の隣に座り、部屋の一点を見つめ、再びだんまりと口を閉じてしまった。
……。
延々続く沈黙にいつまでも耐えられる程、俺の精神は太くない。
「寝不足?」
とりあえず会話を続けさせようと頑張る。
「そんな事ないよ。うん、大丈夫」
どう見ても大丈夫そうじゃない大きな隈を手で隠しながら、瑠衣は言った。
何だ。何でそこまでして隠すんだ。深夜に眠れないような事をして、熱も出して、恋人である俺にそれを隠して……、ん……?
――浮気?
絶対に浮かんではならない言葉が、俺の脳裏に浮かんでしまった。
……確かに、筋は通っている。通っているが、自分で言うのも何だが、瑠衣が俺以外の誰かを好きになるなんて事、ありえるのだろうか。あんなに二人で頑張って、人間とカゲヤシの共生を成して、デートもして、キスまでして……。
「あ」
俺は思わず、間抜けな声を上げた。
瑠衣が不思議そうに俺を見たが、気にせずに俺は部屋を出て行った。「すぐ戻るから」と一言残し、部屋どころか家を飛び出した。
玄関先でポケットから取り出したのは、ケータイ。すぐさまアドレス帳を開き、森泉鈴という名前にカーソルを合わせ、通話ボタンを押した。
森泉鈴は、瑠衣の部下であり、友人である。カゲヤシには妖主、眷属、末端の三つの立場があり、鈴は元々末端だったのだが、次期妖主である瑠衣に抜擢されたらしい。以後、瑠衣と共に行動するパートナーとなり、それは今でも変わらない。
つまり、瑠衣の秘密が知りたければ、常に彼女と一緒にいる森泉にお願いすればって事だ。
『はい。どうしました?』
六回のコールで、繋がった。
俺は瑠衣について語り、質問した。瑠衣の様子がおかしい、最近瑠衣の生活に何か変化がなかったか、など。
森泉は、最初は話すのを渋っていたが、後日ケバブを大量に奢る事を条件に、内緒で話してくれた。
『あのですね。瑠衣ちゃん、妖主に色々言われたみたいなんです』
「色々って?」
『覚えている限りの事を話しますね。……あなたを守ってくれた彼の事を、たくさん愛してあげなさい。ごたごたがあったせいで、あまり意識出来なかったでしょう? 今はもう、気にする事はないの。私があの人を愛せなかった分まで、たくさん……たくさん愛してあげなさい……って』
「……」
『ご、ごめんなさい。感情入れて喋っちゃいました。妙に印象に残る言葉だったので……』
「いや、ありがとう。……つまり瑠衣は、俺の事を改めて恋人と認識して接しているせいで、上手く喋れないって事か」
『きっとそうだと思います。瑠衣ちゃん、思い込みが激しいタイプだから……。ちょっと前も、もちろんあなたの事が好きだったみたいですけど、他にも色々な問題がありすぎて、真剣に悩めなかったようで。今はもう、夜も寝られないって……』
「なるほど、納得した。お礼のケバブは三十個くらいでいいかな」
『ええっ、そんなに食べられるかなあ? ……そうだなあ、六十個くらいでいいですよ!』
「増えてるね」
『えへへ。楽しみにしてます!』
通話を終え、ケータイをポケットにしまう。
全ての整理がついた俺は、何だか突然、とても瑠衣が愛しくなり、愛でたくなり、抱きしめたくなった。さらに、罪悪の念が心の底からうようよと湧き出て、俺自身を責めたくなった。
瑠衣、浮気とか疑ってしまってごめん。失礼極まりない最低な男だ、俺は。瑠衣が首を吊れと言うなら、本気で吊っても良い覚悟。いや、瑠衣はそんな事言わない。絶対言わない。また失礼な想像をしてしまってごめん瑠衣。
頭の中がまるで嵐のようだが、俺はお構いなしに走った。廊下をどたどた走り、自分の部屋に飛び込み、唖然としている瑠衣に抱きつき、今考えている事を思い切り言い放った。
「瑠衣、大大大大好きだあああ!」
混乱しているのか、瑠衣は「えっえっ」と感情のない声を上げるだけで、しばらく動きさえしなかった。だが、十数秒後、何が起きたか理解したのだろう、「わわわわわ」と慌てふためき、「あっ……い、いきなりどうしたのッ?」と緊張と嬉しさが混ざったような声で尋ねてきた。
「ごめん瑠衣。本当にごめん。お前の気持ちに気づいてあげられなかった。責めたいのなら、いくらでも俺を責めてくれ」
「あ、え? えっと、何があったの……?」
「俺も改めて確かめたいんだ。……瑠衣は俺の事が好きか?」
「えっ」
真剣な顔で、そして超至近距離で尋ねる俺に、瑠衣はこれまでにないくらい顔を赤くさせ口を閉じていたが、やがて決心したのか、ゆっくりと口を開けた。
「……すき。好き。大好き。大大大大大好き。……キミの事が……何よりも誰よりも好き」
涙を流しながら言う瑠衣に、俺も思わず泣きそうになったが、グッと涙を堪え、
「瑠衣。前に言ってた……血の味のしないキス、しよう」
「……うん」
唇が重なった。
ある意味、これが瑠衣とのファーストキスだ。
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アキバズトリップの共生END後です。瑠衣ちゃん可愛い。