ワタルは工房の玄関が開くのを身じろぎせず待っていた。
報せはワタルにも今朝届いたばかりだ。
テストパイロットとして経験浅いワタルは、成果が認められないという蹉跌に耐える術を知らない。しかし無理もないことだ。
間違いなく最高の性能を実現したというのに、より劣る機種に採用の座を奪われたのだから。
性能が良くても関係ないというのか。
刺さるような太陽を背に、ワタルの影は次第に濃い闇になっていった。
そこで扉が開いた。
「やあ。どうしたんだい、そんなに苦い顔をして」
日下氏は穏やかに笑んでいる。同じ報せを受けたことを疑うほどだった。
「性能では我々のが日本一だとお墨付きをいただけただろう?いずれ劣らぬ高性能機が雁首そろえていた中でダントツの、ね。それに比べれば高額だから不採用だなんて、この広大な飛行場の中の草の葉一ひらのようなつまらないことさ。さあ、おいで」
内側に歩き出す白衣の背中について狭い廊下を歩く。入ったのは、この工房で開発された機体を納める倉庫だった。
採光窓からの光で円筒形の庫内は青白く照らされる。A型からE型まで、それに各種改造型の「センチネル」シリーズが畳まれて壁沿いにずらりと立ち並ぶ。
その中央に、二つの意味で最もよく見慣れた、だからこそ異様な機体があった。
黒いスーパーセンチネル。
ワタル愛用のE型センチネルと同じ深い黒。背面には模擬銃と、ワタルの用いる「満月を追うカラス」の紋章。
「不採用、結構。あちら様に先んじて市販できるだけ得というものさ。それを活かすためにもこいつを思う存分飛ばして、性能を世間に知らしめておくれ。君の役にも立つだろう?」
いつの間に用意したというのか、ワタルには言葉もない。日下氏は話し続ける。
「もう警察への贈り物ではないんだ、「番人」なんて名前は変えてしまおう。そうだね、君の背のカラス君から取って「レイヴン」、というのはいかがかな」
「あ、ああ……、いいと思う」
すでに大分高い日差しの中、ワタルは「レイヴン」で飛び立った。
軽さと力強さに物を言わせて駆け上がる。推力は有り余っている。
低い小さな綿雲の周りを、縛るようにきっちりとループする。自分自身の手足でさえ、こんなにも思い通りには動かない。
名誉はこちらにもたらされるはずだったのだ。
フォーポイントロール、続けてバレルロール。狙ったところにぴたりと止まる。
素早いスライスターン、精密なキューバンエイト。世界一のフリヴァーであると確信できる。
それを退けた選考会の愚行。
ループの頂点で横転するアヴァランシュ、美しいハート形の軌跡。選考会には伝わらないのか。
垂直上昇から失速、ハンマーヘッド。叩いてやりたいのは連中の頭だ。
怒りの熱気渦巻く曲技。その最中でも操縦の冷静さは失わない。
挑戦者の来訪も、自然に察知できた。
地平線の向こうから近づいてくる敵機は、採用された王鷹と同じ五栗工業製の「斑鳩」。
ワタルの怒りは冷たい刃に姿を変えた。
相手に向かって突進。ほんのわずかずつ下降して速度を増す。
予想外に早く発見された相手はワタルに大分遅れて頭を向け、管制の通話で名乗った。
「エアロバティックスチーム「カラミティーズ」リーダー、小松田だ!勝負っ!」
テストパイロットを倒して名を売るつもりだろう。
相手が名乗る間にも加速は進む。向かい合っていれば速さに気付かれない。
相手のほんの少し右を目指す。
これ見よがしに、撃たれやすいように。
斑鳩が黄緑色だと分かる。
相手の間合いが近づく。
鴨を演じたまま踏み込む。
射程圏。
ここで跳ね上がる。
とっさに頭を上げる相手。
狙い通り。
一気に左上に引き起こし。
仮想弾が後ろを抜ける。
ターン、下降へ。
相手はもたついている。
無理に上を向いて撃とうとしたせいだ。
こうなれば後ろに付くのは容易い。
多少の無理はレイヴンのパワーが許してくれた。
相手は複雑に揺れ、ワタルの鼻先からゆらゆらと逸れる。
黙って撃たせてはくれない。
そのほうが面白いと思う。
怒りを抱きつつ楽しんでいる。
引き離される心配はない。
甘い瞬間を待って、
確実に叩き込む。
ブザー。
鳴り終わるとすぐ、小松田は口を開いた。
「くそっ、ヘコんでるだろうと思ってナメてたぜ!参った、もう手は出さねえ!邪魔したな」
飛び去る小松田に向かって、ワタルは返事を口に出さなかった。
(なんだ、一度負けたからってもう来ないのかよ……)
ワタルはカフェからやや離れたところに降りてきて、機体を外して仰向けに寝転んだ。
カフェの周りで見上げていたパイロット達は、続々と店内に戻っていく。
「放っといた方がいいか」「そっとしとこう」「触らぬ神に祟りなしだな」
今まで話題にしてこなかったのと同様、新型機の顛末について触れる者、ワタルに声をかける者はない。誰もがワタルに背を向けてそそくさと去っていく。
髪が乱れワンピースも夕べのままで飛び出して来たネオンを除いて。
ネオンはワタルを見つめたままその場に立っていた。
一人黙って寝そべるワタルに、勝利の瞬間までの躍動はかけらもない。
ワタルに会ったら憂鬱を吹き飛ばしてもらえるような気がしていたが、今やワタル自身に振りほどけない空しさがあるのだ。
人の流れと反対にワタルに駆け寄る。
試合に勝った。良い物を作った。
ワタルが求めているのは、それらを祝福されるという当たり前のことに違いない。
ワタルのすぐそばに立ち、そっと声をかけた。
「ヒムカイさん」
「ん、お前か」
白けた顔にほんの少し色みがさしたようだ。
「あの……素敵でした!」
努めて明るく、そして素直にそう言うと、ワタルは身を起こした。
「そうか、ありがとよ」
目に力が戻った気がする。腰を下ろしてさらに続けた。
「試合も曲技も、とっても鮮やかでした。本当に見れてよかったです!……それに、本当に一番になったんですもんね」
ワタルはそれに応えず、ネオンの顔を黙って見つめていた。
余計なことだったか。謝りそうになった頃、
「ああ、一番だ。「シルフィード」にも負けないぞ」
再び自信に満ちた言葉を聞くことができた。
「シルフィードって、今売ってる中で最高のフリヴァーなんですよね」
「こいつが市販されるまでな!」
「……ふふっ」
あまりの景気の良さにネオンはつい笑いを漏らした。ワタルもつられて笑い出す。
そのまま少し、二人で意味もなく笑いあった。
みじめな気持ちの二人だったが、喜びはちゃんとある。二人揃うとそのことを思い出せた。
ネオンの喜びは、今朝届いた立体画像をワタルに見せられること。
一息ついて、それを両手に乗せるように表示させて差し出す。
「ヒムカイさん、これ……」
「ん?」
青く光る球体を幾重にも取り巻く銀の帯には、細かい文字が刻まれている。
「Flivver Pilot License:Amateur Stunt Class,Kaburagi Neon」と。
「ああ、やったな」
「はい、全部ヒムカイさんのおかげです!」
「じゃあもう金があったらこれからフリヴァー買いに行こう、作ってもらうのに意外と時間かかるから飯前にな」
少し早口で言って立ち上がるワタルは、すっかり張りを取り戻していた。
「あ、髪切ったのか。そのほうが飛ぶ時邪魔にならなくていいな」
その髪を今朝梳きもしていない。自分のだらしない姿に気付いて頬が火照りながらも、ネオンはただ笑みを返した。
タワー下層の商業フロアを、ワタルに連れられ歩いた。
一つひとつが宝石箱のように賑やかな小物や雑貨の店が並ぶ道。宙や路面に、季節柄、金魚や朝顔など爽やかな意匠の広告や装飾がいっそう賑やかに表示されている。
その奥の比較的静かな区域に、フリヴァーショップはあった。
家にあるような一般の分子プリンターで作ってはいけないフリヴァーを製造する認可を受けた、特別な施設。それを思うと、周りの店とは違う厳かな場所に見えた。
落ち着いた薄青でまとめられた天井の高い店内に、様々なフリヴァーの立体映像が立ち並ぶ。
「説明するか?」
「いえ、あの、もう決めてあるんです」
「どれ?」
ネオンは展示場に入ったときから、自分なりに調べた中で最高のそのフリヴァーの映像だけを見ていた。
展示場の最も奥まで静かに歩き、その前に立つ。
先端が三つに分かれた特異な主翼が水鳥を思わせる、優雅な曲線に包まれた機体。
ナドウモビリティ社製の最高級フリヴァー、名機中の名機「シルフィード」の前に。
ワタルの視線がこちらを真っ直ぐ射抜く。
「だ、駄目ですか?やっぱりまだ免許取り立てですし」
勝手に最高級機を選ぶのは生意気かと尻込みしていたが、
「いや。買えるなら……、買えるなら買えるだけ良いやつがいい。予算は?」
ワタルは背中を押してくれた。
「大丈夫です」
昼下がりの陽光を浴びて、純白のシルフィードが飛ぶ。
機体も飛行服もつい自分を隠してくれる白にしてしまったが、鳥のような翼にはよく似合っていた。
ループを試してみる。遠心力の強さは相変わらずだが、もう未知の脅威では全くない。
それに、シルフィードは教習で使った斑鳩よりずっと滑らかだ。
最高に綺麗な円を描けた。
性能以外にも何かが軽やかだ。
ストールターン、バレルロール、インメルマンターン。教習で習った技を一つ一つ試していく。
借り物ではない、本当の自分の翼で。
恐ろしかったはずの遠心力を、自分から味わう自由もある。
ハーフロールで背面飛行に。
今度はそのまま水面に浮かぶように、のんびりと空を見上げる。
視界は一面の青。地面なんかこの世にない。
ずっと上に、こちらを見守るワタルの姿。翼を手に入れてもまだ遠いのがもどかしい。
ネオンはとりあえず、初めて背面のままでループしてみた。
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二十二世紀初頭、一面の草原と化した東京。
主人公の少女・ネオンは黒いパイロット・ワタルの導きにより飛行装置「フリヴァー」を身に着け、タワー都市を飛び出してスポーツとして行われる空中戦の腕を磨く。
空を駆ける男女のライトSF。
◆序盤の中で特に気に入ってる回。