とてとてと先を歩く彼女は、時折顔をこちらに向けて、ちゃんと自分が付いてきているか確認するような仕草をする。その様はまるで主人を心配する飼い犬の様で、彼女には悪いと思ったが、思わず笑みが溢れてしまう。
とてとてとて。まるで歩き始めた子供の様にたどたどしい足取りは、普段の彼女からは考えられないもので、それが逆に彼女の可愛らしさを引き出しているように思える。彼女が歩く度に揺れる、真紅と金の飾り紐は先日自分が送った物だ。思った通り、彼女の真っ直ぐとした黒髪によく映えている。
つらつらとそんな事を考えていると、目の前を歩く彼女の歩みが止まる。もっともさっきからいつ止まってもおかしくないような歩き方だったから、驚きもなかった。
「……あのう」
彼女がおずおずと口を開く。これが彼女の素の喋り方で、別に自分を怖がっている訳ではないと気づくまでに、どれだけ時間が掛かった事だろうか。
「なんや」
「……そのう」
自分から話しかけた癖に、妙に言葉を濁すのも彼女の癖だ。一度その事を指摘したら、「言外の意味を悟って下さい」と一蹴された記憶がある。その時は、そんな無茶な話があるものかと思ったが、彼女と過ごす時間が積もっていく内に段々と判る様になった気がする。
何を考えているのか読み取れないような表情を浮かべているのが常な彼女だが、個々のパーツを注意深く見ていけば、そこには驚く程如実に感情が発散されているのだ。
例えば今なら、目と口だ。黒目がちの眼に浮かぶのは困惑、ぎゅっと引き絞られた口は、これから提案する彼女自身の意見を引き下げるまい、させられるまいという意思だ。
まあ、多分彼女が言わんとしている事は、これまでで幾度ともなく繰り返されてきたものであろうことは簡単に予測がつくのだが。
「やっぱり帰りませんか」
「却下」
(ほら見てみぃ)
ばっさりと切り捨てられた彼女は、キッと此方を睨みつけてくるが、それ以上言葉を重ねることはしない。彼女も判っているのだ。到底自分が折れないだろうということも、自分が圧倒的に不利な立場にいることも。
それでも立ち止まったまま、歩きはじめようとしない彼女は相当な根性の持ち主だと他人事の様に思う。いや、ある意味他人事なのだが。
「そんなに嫌け?たがだか外を歩くだけやで、しかも今日は生憎の曇り空じゃ」
「嫌なものは嫌なのです!嗚呼こうしている間にも溶ける気がします、頭の中が!曇りとかカンカン晴れとか大雨だとか関係ないんです、外!外にいることが私には耐えられないのです……!」
よくもまあ、こんなに口が回るものだ。普段もこうだったら苦労はしないだろうに、主に自分が。
「ほうけ」
「嗚呼、もう何でそんなにつれないんですか!?ここは、『やったらもう帰るけ?』とか言うところじゃないんですか?折角貴方から頂いた髪飾りまでしてきたと言うのに!大体女性に前を歩かせるとは何事ですか!男性の散歩後ろを歩いてこその女性というものなんですよ、まったく!」
「……まだ屋敷からでて五百歩も歩いとらんし、ついでに言うなら此処、まだ庭の内やろ?ほれに、後ろ歩かせたら自分逃げるじゃろ?」
一度『どうしても』とせがまれて後ろを歩かせたら、何処にそんな体力があるのかというくらいの早さで玄関口まで逃げ帰ってしまった。そんなに外に出たくないのか、と感心するや呆れるやらだった。
「いや、でも今までに比べたら進歩しましたよね?ほら、あそこの山茶花、前はあそこまでも行けなかったですよね?今日は此処まで来れましたよ?ね?ね?」
必死で言い募る彼女の様子は、普段の引き篭り具合からは想像出来ない。両手をパタパタと振って、更に何か言い募っている姿を眺めながら考える。
そもそも自分が彼女の“散歩”に付き合っているのは、あのポヤポヤとした―確か大坂藩と言ったか―男に、日本さんを外に連れ出してくれないか、と何度目かになるか判らない懇願をされたからで、そもそも仕事の話をしに此処に来たのだ。だから、彼女の帰ろうという提案は本来なら受け入れるべきものなのだろうが、そうもいかない。こんな外出の範疇にも入らない距離で帰ってしまったら、あの男に何を言われるか判ったものじゃない。
しかしこの様子だと、自分が頷くまで梃子でも動かないつもりなのだろう。軟弱に見えて強情なのは、短くない付き合いで判っている。
なら自分が取るべき行動は一つだ。
「大体貴方という人は、ってうひゃあ」
彼女の小さい身体を横抱きにする。
彼女が動かないつもりなら、こうすればいいのだ。
「な、な、な、何をするんですか貴方は!」
「散歩、行こか」
腕の中で顔を真っ赤にして絶句している彼女にニヤリと笑いかける。この笑顔に弱いと言うことも当の昔に知っている。
「わ、わかりました。帰りたいとか言いません、散歩します!だからこの恰好は勘弁して下さい……!」
「ほうけ」
大方予想通りだが、少し残念な気分で彼女の身体を降してやる。ふと曇り空を見れば、雲の切れ間から青空が見え始めている。
さっきまで女性は男性の後ろを歩くものだと言っていたのに、彼女は自分の先を歩いていく。ぷりぷりと怒る彼女が歩く度、飾り紐が揺れる。
彼女の足取りは相変わらずとてとてとしたものだったが、今度は歩みが止まることは無かった。
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