No.240411

一縷の妄念

一縷(いちる)とは、絶えようとしているさま、わずかながらにつながっているさま。純文学気質です。

2011-07-28 17:09:00 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:296   閲覧ユーザー数:292

 

 涼風に揺られる風鈴の鈴音と、蒸されたような畳の匂い。寝ころんでいた体を起こすと降りそそる西日が目を焼くようで、その心地よさを感じながらおもむろに掌を目の上に置いた。連なる丘陵。広がる田畑。緑の稲穂と緑の西瓜。徐々に光沢をあびた二つが見えてくる。まさしく夏であった。

 帰郷してきたはいいが、農作業というものがあれほど疲れるとは知らなかった。普段からさほど運動をしていないのが一因でもあろうが、とにかく疲れ果てそうだった。

「楽になったかしら」

 後ろから声を掛けられて振り向いた。西日が背中に当たる。汗で濡れてしまっている背中が乾かせて丁度良かろう。

「ああ、大丈夫。休んだら幾分か楽になったよ」

「熱中症になるまで無理しなくても良かったのに」

「頼まれたことだから、な。自分でやりだしたことなら別に良かったけど、ちゃんと最後までやりたかった」

「倒れたら、元も子もないでしょ」

 痛いところを突かれてしまった。言い返す言葉が浮かばず、会話がしぶる。

「ごめんなさい、ちょっと意地悪だったかしら」

「いや、反論が出来ずに困っただけさ、迷惑掛けたらプラスマイナスゼロなのは確かなことだ」

 そう、確かにその通りなのだ。負担を掛けてしまったら相手にとって益なことなど無くなるだろう。むしろ後悔の念が浮かんでもおかしくはない。流石にそこまで卑屈なことは口にしたくはないので、濁したが。

「ちょっと、ネガティブ思考ばかりしていないでよ。顔に出ているわよ。顔に」

「よく分かるものだな。臨床心理士にでもなればよかったじゃないか」

「そうね、それも良かったかもしれないわ」

「一人のカウンセラーになっても仕方ないけどな」

「それが実現に成ったなら成ったで、ちゃんと働くわよ。私は」

 彼女の言に嘘偽りはない。酷く生真面目であり、自分と対照の関係にいる人間なのは分かっている。分かってはいるが、自分は、それでも。

「だろうな」

 心の奥底に眠る思いをひた隠し、封じ込めた。一時のことだ。いずれは解く。

「うん、でもそんな優れたものがあったって」

 そこで彼女はふいに口をつぐんだ。一つの風が部屋を駆けめぐる。汗を掻いている箇所に風が当たったからであろう。ふいに背中が冷たく感じた。

「知らないほうがよかったこともあるのよね」

 再び返答に困ってしまった。今度は本当に。彼女は気付いてしまったのだろうか。人の心を理解することなど、自分には叶わぬ所業であった。

「西瓜、食べましょう。今日採ったやつ。最後ぐらいはいい思いして帰りたいでしょ」

「ああ、有難う。恩に着るよ」

 彼女が来るのを待った。いつの間にか西日は沈むか沈まないかの瀬戸際にまで迫っている。そろそろ帰らなくてはならない。そう思っている折に彼女がお盆に西瓜を載せてやってきた。

「どうぞ。真ん中のやつのほうがたぶん甘いと思うけど」

「それじゃ、お言葉に甘えて頂こう」

 数ある西瓜の切れ端の中から、一つ取り出す。咥えると、手で折った。顎で噛むよりも楽だったからかもしれない。隔てられた赤い欠片を口に含み、噛み潰す。甘い汁が溢れ、渇きを潤してくれた。

 美味い、お世辞抜きでと断言できよう。口の外へと垂れそうだったので果肉ごと胃へと送り込む。消化吸収が行われればこれも血肉となるのだろう。

「良い物を食べられたよ」

「それは本当みたいね。私も美味しいと思うわ」

「もう一つ、食べてもいいかな」

「いいわよ。たくさんあるし、食べたいだけ食べて貰っても」

「有難う。うん、やっぱり美味しい西瓜だ」

 二度目といえ、味は微妙に違う。その味の違いを発見できるし、美味いものは何度繰り返し味わっても美味いのだ。

「私はこれ一つでお腹一杯。まだ食べるつもりなら置いておくけど」

「悩んだけど、止めておくよ。腹の中が心配だ」

「そう、じゃあ冷蔵庫に仕舞っておくわ」

 彼女が再び部屋から出て行くと、その間に西瓜も食してしまい、何もすることは無くなった。彼女のことを考えた。心の中の波濤が荒れ狂う。これを沈静化するためには、吐露するほかないのは分かっている。しかし、出来ずにいた。悪魔と悪魔の板挟みの中にいるような心地だった。自分はどうすれば良いのだろう。きっと解答はなく、正解もない。失敗もないのだろうが、自分には失敗と感じる結果は存在するだろう。

 彼女には打ち明けるべきだ。亀裂が生じ、瓦解する前に。結果がどうなろうと、もはや構わない。

「それで、どうするの」

「ああ」

 しばし沈黙。言葉を考えて紡ぐ。

「一緒に来てくれないか。外に」

 彼女は黙って付いてくるだけだ。泥がへばりつき汚れた靴を履いて、外へ出る。彼女は無言で自分の言葉を待っているようだった。

「これから二人でどこかに行かないか」

「どこに行くの」

「分からない。でも行かなくてはならない。分かるだろう君なら」

「分かるわ。でも貴方が嘘を言っているのも分かる」

「そうだろう。だから君はこんな手伝いを頼んだ。気休め程度にでもなればと思って、あわよくば考えなおしてくれるかと思って」

「なによ。ちゃんと貴方も人の心が分かっているじゃない」

「これは自分の心を見たに過ぎないさ。その中の一つの可能性。気づいているのか気づいていないかの二パターン考えれば、分かるだろ」

「まあ、いいわ。答えはノーよ。そんなところには行きたくない。なんで私をそんなところに連れていこうとするの」

「自分一人じゃ耐えられないって思ったからさ」

「お願い、そんな思いは捨てて」

「駄目だ。捨てられない、それも君は分かっている」

「嫌よ。理解したくなんかない」

「すなわち肯定だ。どうしようもないのが分かるだろう。僕はもう限界だ」

 彼女は歯噛みするかのようは表情をするが、気づかない振りをした。

「それでも、来てくれないのかい」

「ええ、ごめんなさい。ただの夕惑いなら付き合っても良かったのだけど」

「宵でも夜でも同じさ。君の考えは分かったよ。自分の一縷の妄念はここに捨てることにする。拾っても拾わなくても君の自由さ。出来れば潰してから埋めてやってくれるといい」

「私なら焼いて空に贈るわ。もう話すことはないでしょう。今日は有難う。貴方がもっと逡巡して違う決断を下してくれると思っていたわ。それだけに残念よ」

「悪いね。自分は無知蒙昧さ、矜持もない。だから留まらずに去ろう。お別れだな」

「悲しいわね。貴方はそうじゃないみたい。だからこそ」

「踏ん切りがつけば良かったのさ。君には感謝している。次に会った時は祈ってくれよ」

 彼女の双眸が自分の背中に深く突き刺さっているのを感じる。

 気にしないように歩き、彼女の視線から逃れた。

 

 

 
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