「ポウさん、ですね。では登録をおこないますので少々おまちください」
そう言ってナルサワは受け取った用紙の内容を帳簿に書き写した。
ウェストとイーストでは言葉や文字がぜんぜん違う。以前に冒険者からそう聞いていたナルサワはつい写しながらも、ポウの書く綺麗なイーストの文字をじっと見つめた。
「なにか?」
用紙を見つめるナルサワを不審に思ったのか、ポウが眉をひそめて詰問するかのように言った。
「あ、い、いえその、字がお上手だなと思いまして」
「来る途中の船で練習したのでな。他にやることもなかったのでずいぶんと上達した」
「そうですか」
どぎまぎした気持ちを抑えるために深く息を吐く。すこしでも気分が落ち着いたところで、ナルサワはいつものようにダンジョンの説明をした。
「……以上がここのダンジョンの説明です。あとはあなたの拠点となる宿ですけど、いま空いてるのは旅籠「桔梗」ですね。手配はこちらで行いますので帰ってきたらそちらを使ってください」
ダンジョンには冒険者が多く集まる分、彼らを目的とした宿も自然増えてきていた。彼らに対する宿の手配もダンジョンキーパーの仕事であった。
だが、ポウはその「宿」の言葉を聞いて再び眉を歪めた。
「宿、ということは金がいるのか」
「は?」
「金がいるのか、と聞いている」
「それはまあ、あの人たちは商売でやってますからお金はかかりますよ。でもそれが……」
「なら宿はいらない。野宿でいい」
「はあ?」
思いがけない言葉にナルサワはずいぶんと素っ頓狂な声を上げてしまった。しかし、それは周囲で物珍しく見ていた人々も同じである。
まさかここに来て宿がいらないという冒険者はだれも聞いたことがなかった。
予想外の言葉に、社務所一帯がまるで時を止めてしまったかのようであった。
「いやいや、嬢ちゃん」
真っ先に我に返ったカワグチはポウのそばに近づいた。
「ウェストがどうだったかはしらねえがこの辺りは荒くれ者が多いんだから、無茶は言わねえで宿はとっておきな。桔梗屋ならそんなに金もかからねえよ」
「気遣いは無用だ。野宿は何度も経験してきたし、それなりの事態には遭遇してきた。それに金は極力使いたくない」
「なんでまた……」
「金が惜しいからな」
あまりの返答にカワグチは口をだらしなく開け、閉じるということを忘れたようにしばし呆然と立ち尽くしてしまった。
それを見てもう話は済んだと思ったのだろう。「もう行っていいか」と大鳥居を指差してポウはナルサワを凝視した。
しかしこのまま終わらせてしまってはダンジョンキーパーとしての職務は果たせない。それでは他の冒険者に示しがつかなくなってしまう。それはナルサワにとっても、ひいては一族のためにも決して良いことではなかった。
ナルサワは体を社務所から乗り出し、ポウを正面から見つめるような体勢をとった。
かすかに女の子特有のにおいが鼻をかすめ心に揺さぶりをかけてくるが、気にせずポウに相対して言葉を投げかけた。
「まだ話は終わってません。宿をとっていただかないと……」
「だから宿はいらないといっているだろう」
「そういうわけにはいかないんです。それで何か問題があればダンジョンキーパーとして冒険者の管理を任されている私の立場がありません」
「あなたに迷惑をかけるつもりは毛頭ない」
「ならちゃんと宿をとってください。それが一番迷惑がかからないんです」
「宿をとらなくても迷惑をかける気はない。要は問題を起こさなければいいのだろう」
「そうじゃないんです!」
「そうだろう!第一、私には自分に金をかけるほど家に余裕は……」
そこまで言ってポウはいきなり押し黙った。ちらとだけ聞こえた「家」という単語にナルサワは疑問を覚える。だが、ポウがいきなり「ともかく!」と声を張りあげたので思考は脇へと引っ込んでしまった。
「私には宿に使える金を持っていない。それが野宿したいという理由だ」
ふん、と鼻息荒くそっぽを向いたポウはそれ以上は何も言うことはない、とでもいいたげであった。
一応文無しの冒険者のために、ダンジョンで手に入れた品物の一部を宿代にあてるという方法もあるにはある。しかし本当に宿代がないとは考えにくいポウにそれを適応するのもどうかとナルサワは思った。それに「金を使う」ということに異常な反応を示す彼女がその程度のことで宿をとるのかという疑問もある。
どうしたものかと考えていたところ、不意に隣からふふん、と鼻で笑うような声が聞こえた。
絹の下でやわらかいものがわさわさと動き回る音が聞こえる。
面白いものを見つけたように目をきらめかせ、犬耳を揺らすコマであった。
「ずいぶん面白いことになってるな。あまりの騒々しさに人が集まってるのにだれもこちらにこぬぞ」
そう言って鼻息強く両の手を腰にあて、ばつが悪そうにしている人々を見回す。
カラもおろおろと心配そうに周囲を見渡しては、どうしようかと思いあぐねている様子だった。
コマの尊大な言葉でポウは初めてコマの存在に気づいたようだ。胡乱な眼差しでコマの耳を凝視している。
「……ずいぶんと変わった子だな。その耳は趣味か?」
「それはお互い様じゃろう」
そう言ってコマは自分の髪と目を指差す。その仕草にポウはむっとした顔を見せた。
「子どものくせにずいぶんな言い方ではないか」
「生憎、我とカラはおぬしよりずっと長生きじゃよ。ところでずいぶんと金にご執心だが、最低限の出費は目を瞑らなければならぬのは当然だとおもうがの。イーストに来るときの船旅に金は払ったのだろう?」
「……まあな」
「なぜじゃ」
「徒歩も考えたが、時がかかりすぎる。そもそもダンジョンはイーストのなかでも孤立した島の中だと聞いた。どのみち船がいる」
「じゃろうな。無理をせぬのは懸命じゃて。宿をとるのも同じように考えられぬか?」
「宿はなくても死にはしない」
「ほほぅ……」
コマの目がすぅっと細められた。まるで隙だらけの小鳥を見つけたような目にナルサワは嫌な予感を禁じえずにはいられなかった。
「ダンジョンに行くには体力がもっとも必要なのはおぬしもわかるだろう。野宿ではそれも十分回復せぬだろうに」
「野宿は慣れていると言った」
「野宿をするにしても風雨を凌げる場所がなければ話にならん。言っておくと、このあたりはここ数年の開発で勝手にそんなことができる場所はないぞ」
「そんなことは……」
「ダンジョンの守り神である我が言うのだ。間違いはない」
「守り神!?」
コマの言葉に胡散臭いとでもいうような声をあげる。ポウはナルサワを、次いでカワグチや周囲を囲む人々をを見据えた。しかし皆、ただ頷くだけであるのを見て、その言葉に偽りがないということを悟った。
「なるほど。その耳は飾りではないと」
「ついでにしっぽもあるぞ。のうカラ」
ただ黙るだけだったカラが頷く。
もうこうなっては完全にコマの調子に載せられるだ。最後までコマに任せてしまうかとナルサワは思った。
「悪いことはいわぬから、宿ぐらいはとっておけ」
「むぅ……」
ポウはあごに手を当てて考え込む。深く考え込む仕草に、もう安心だろうと、ナルサワはほぅっと息をついた。
背中を伝う冷や汗が白衣について気持ち悪く感じるが、しかし今はこの悶着が一段落ついたということに気をとられていたのだった。
やがて苦渋なままの顔を上げてナルサワに視線を合わせた。どうやら腹が決まったようだった。「仕方あるま……」と言ったところで、しかしその声は最後まででることはなかった。
「ああそうじゃ。おぬし金を使うことをやけに嫌がっていたな」
突然の物言いにポウはもちろん、ナルサワも何事かと思いコマを見つめた。
コマのしっぽは朱袴の下からでもわかるくらい動き回っていた。
「なんだったらセノミの母屋を使うがいい。空き部屋はあるし金もいらぬぞ」
「な、コマさん!?」
「!?」
「お、おいおいそれぁいくらなんでも……」
コマのいきなりの申し出にナルサワとカラ、そしてカワグチの3人はコマを一様に声を上げた。だがコマはそれらを意に介さず手で「まかせておけ」と制するだけであった。
かすかに、ポウの目が光っているよう見えた。
「その言葉、嘘じゃないだろうな」
「ああ。いくばくかは家事や仕事に手を貸してもらうかもしれぬがな」
「それは手当てがつくのか?」
「見上げた守銭奴じゃのぅ。考えておく」
犬耳の少女はくつくつと笑った。
ナルサワはやはり任せるのではなかった、と背中に張り付く不快感を今更ながら思い知るのだった。
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ダンジョンキーパーの本編の3です