No.237976

魂の還る星[ところ]設定:「はじめに(ベレシース)」

2007年6月「天野こずえ同盟」様にて初掲載、2009年4月「つちのこの里」様にて挿絵付き細部修正版掲載

2011-07-28 06:06:00 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1706   閲覧ユーザー数:1686

はじめに(ベレシース)

 

日本には「物にも魂が宿る」という古来からの神道の考え方があります

このSSはその寛容な考え方に基づき「物に宿った魂にも癒しがあるのだろうか?」と考えることから始まりました

このSSにおける主目的は”癒し”であり”SF的考証”は”癒し”という心理的表現を引き立てるための”演出道具”という位置づけであります

よって、本SSは「S・F(サイエンス・フィクション)」ではなく、「S・F(すこし・不思議)」として

お読みいただけますようお願い申し上げます。

 

 

 

なぜ”オカエリナサλ”ではないのか?:

「トップをねらえ!」をクロスオーバーの対象にしておきながら、ラストの締めがあのお約束”オカエリナサλ”ではない

極めて重大な問題ですがこれには訳がございます。

それはこのSSが人類サイドの視点から見られた物語ではなく、”ノリコ”に最後を看取られた宇宙戦艦”ヱクセリオン”

の視点から見た物語となっているからです。

全ての始りたる”ノリコ”の「さよなら、ヱクセリヲン」の対句として「おかえり、ヱクセリオン」が最後の締めとなりました。

 

 

今回の主人公”セリオ”について:

地球帝国宇宙軍第4世代型宇宙戦艦ヱクセリオン級ネームシップ第10001号艦”ヱクセリオン”

(に宿った魂)がその正体です

「物にも魂が宿る」という考え方は日本の神道に限ったことではなく、古今東西を問わず

”船には船魂が宿る”とされてきました。

西洋の場合は1部の例外を除いて船は常に女性人格ですが、日本は”○○丸”といった

命名法でわかるように基本的に男性人格です

イタリアのヴェネツィアのあるヴェネト州に隣接したロンバルディア州にはセリオ川やセリオ空港という地名が実在します

ヱクセリオンの中3文字をとって咄嗟に吐いた嘘が偶然にもイタリア地名のセリオに合致したという設定になっています

 

 

”セリオ”のスタンスについて:

セリオは終始一貫して免疫存在を”彼ら”と呼び、決して”敵”とは呼びません。

また”仲間”と呼ぶのは戦艦や兵器群だけであり、人間に対しては決してこの呼称を使いません。

国家が守るのが国民ではなく国土であるように、セリオ達戦艦が守るのは人類ではなく地球なのです。

しかしセリオはアリシアとの出会いによって変わってゆきました。

”自分が本当に守りたいもの”は何なのか、それを知ったセリオはあえて我が身を再び戦いに投じました。

 

 

”提督”について:

「なんてこった!」が口癖で、いつも何か食べているあのタシロ提督です。

このSSでは”出航前に息子夫婦が送ってくれたクサヤ”という独自追加設定がございます。

(以下が独自追加設定)

タシロ提督の一人息子はヱクセリオン艦隊で直衛重巡洋艦”フェルミオン”の艦長を務めていました。

しかし火星沖の戦いで最後まで生き残っていたものの、

操艦不能となった自艦がヱクセリオンへ激突することを防ぐため、タシロ提督の目の前で自沈して戦死しました。

地球にはタシロ提督の妻と息子の嫁及び孫が居ましたが妻はタシロ提督の地球帰還前に老衰で死去、

薩摩半島知覧の城ヶ崎に住んでいた息子の嫁と忘れ形見の孫もその後のヱクセリオン特攻作戦により

生じた激災害に巻き込まれて死亡、タシロ提督は全ての家族を失い天涯孤独になってしまいました。

しかし最も残酷な事実は提督が自分の手にかけて殺したセリオはその孫の幼い姿に酷似していたのです

  

  

”免疫存在”について:

原作である「トップをねらえ!」では”宇宙怪獣”とか”宇宙超獣”と呼称されています。

しかしこの呼称は個人的にあまりに恥ずかしいのでこのSS中では改変して”彼ら”と呼んでいます。

彼らは宇宙を人類の魔手から守るためならば自己犠牲すら厭わない義務に純粋な存在、という設定にしています。

 

 

”トップをねらえ!”世界に流れる”想い”について:

”トップをねらえ!”世界にはその考えの底流として”想いは力になる”が隠されているそうです。

今回はそこを徹底的に独自拡大解釈しました、これについてはごめんなさいとしか言いようがありません。

 

 

”トップをねらえ2!”の原作設定で利用した技術乖離について:

”2”では第5世代技術と第6世代技術との乖離が激しすぎその間に何があったか不明としています。

今回はそれにつけ込んでその技術乖離を繋ぎとなる橋渡し役を割り込ませる余地として利用しました。

第6世代型の”ノノ”の誕生の前にはそれ以上の概念能力『世界創造能力』によって危険視された者

”ヱクセリオン”が存在し、そしてその「大きすぎる可能性(=危険性)」により全ての記録が抹消された、

ということでつじつまを強引に合わせてしまっています。

また”ノノ”自身もアルタイルやカノープスの電脳反乱によって「自我に到る人工知性は危険」と判定され、

極秘裏に彗星の核に封印されてしまった、として”トップをねらえ2!”の設定に合流させています。

 

 

局長とトレーナーの対立について:

局長はセリオの存在を黙殺することにしました

そしてトレーナーはセリオの可能性を希求していました。

しかし宇宙そのものを創造できる可能性を秘めたセリオの力が

もしもせっかく安定した力の均衡を崩し、

再び戦争を招く危惧になるようであれば、

手段を問わず総力を挙げてセリオを殺すつもりだったのです。

局長がセリオの秘密に辿り着いたトレーナーを見逃したのは、

かつての盟友だからではなく、もしもの時にセリオを殺す決め手になるかもしれない、

という計算が働いただけでした、それが自分の命と引換でも。

トレーナーもまた、人類そのものが更なる高みに辿り着く可能性を得る為なら

命を落とす事になってもかまわないという信念を持っていました。

そのためにかつての盟友はお互いを殺すことも辞さない姿勢をとったのです。

しかし信念を異にしてしまった二人も、もしもセリオが人類の敵に回り再び戦争をもたらそうとした時には、

”平和を守るためにセリオを殺す”という心は一致していました。

 

現実を認めなかった結果:

タシロ提督は第一波ワープアウト前兆現象の報告を受けて驚愕に陥り、

その後、相手が特攻を謀っている事に気が付いて指揮を再開するまで、

自らがなすべき「迎撃命令」”戦え”という命令を発していませんでした。

最高司令官のタシロ提督の命令なくしては、各艦隊は迎撃を行えず、

艦隊の間隙を縫って侵攻されていくのを黙って見ているしかありません。

「命令が無い以上、明らかな侵略行為でも阻止することすら出来ない」

これは軍が軍として成立していく以上、やむを得ない軍規の遵守でした。

しかし提督が「現実を認めたくなかった」僅かな間に現実である相手は、

防衛ラインの奥深く侵攻し、更に本隊のバリア近くにまで迫っていました。

「現実を認めなかった結果」その後大きな犠牲を払う事になったのです。

かといってこの事についてタシロ提督の非を過重に責める事は出来ません。

提督も人間です、あれ程の驚愕を受けて即座に冷静になる事は難しく、

また仮に即座に対応が出来ていたとしても、あの圧倒的な戦力差では、

損害を減らせたところでそれは余りに微々たるものでしかなかったでしょう。

しかし現実を認めていれば助かる命を増やせた事もまた現実でした。

 

消えていったものたち(自分の為に生きられなかったものたち)の”想い”:(注記:これは完全に作者の独自解釈設定です)

太陽系を、人類を、仲間達を、そして地球を守るためにヱクセリヲンは消えていきました。

それでもヱクセリヲンは事象の地平線の向う側から地球を見守り、還りを待ち続けました。

ノノもまた一人永い眠りについたまま、いつか会えると信じながら還りを待ち続けました。

ヱルトリウムや、銀河中心殴り込み艦隊の残存艦や、その乗員達も還りを待ち続けました。

 

大切な”あの人”が還ってくるのを・・・

 

しかしかつての地球帝国の「大人達」は「赤い天の川の遺跡群」と呼ばれて忘れ去られ、

ゆりかごに守られた人類は自分達が守られていることに気づかぬほど「子供」と化していました。

一万二千年もの永きに渡って、ありとあらゆる「子供達」の愚かさを見せつけられたヱクセリヲンは、

幼稚な力に酔い痴しれた人類が免疫存在を復活させる愚行を見るに到って遂にその魂が堕ました。

堕ちた魂と化したヱクセリヲンは自らの手でかつて自らと引換に守った地球を滅ぼそうと決意したのです。

 

「こんな地球を”あの人”には見せたくない」

 

それが”純粋な悲しみと怒り”(エグゼリオ変動重力源)へと変わり果てたヱクセリヲンの”想い”でした。

しかしヱクセリヲンは忘れていました、”あの人”の還りを待ち続けているのは自分だけではないことを。

ノノとの最終決戦の最中にヱクセリヲンはノノ達の姿に自分が待つ”あの人”の姿を見出したのです。

自分が忘れてしまった希望を取り戻したヱクセリヲンは再び消えることを決意し、ある事を願いました。

 

「どうか君達の手でまた私を殺して欲しい」

 

そして全く通用しないはずの攻撃をわざと受け、二度と還れぬ彼方へと消えて逝く事を選んだのです。

地球を見続け、守り続け、そして何よりも”あの人”の還りを待ち続けたヱクセリヲンとノノは、

皮肉にも自らが守った人類の愚行によって”あの人”に一度も会えぬまま消えていったのです。

最後には幸せな希望で魂を満たされながら・・・それが「消えていったものたち(自分の為に生きられなかったものたち)」の”想い”でした。


 
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