No.233590

SGSS そのいち

てすてすさん

助手記念クリスティーナ杯

2011-07-26 12:17:59 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:642   閲覧ユーザー数:592

 
 

 

 

DAY1 Another Morning

 

 

「休講……だと?」

学部生用の掲示板の前で、岡部倫太郎は眉根を寄せた。

しょぼしょぼと焦点の合いにくい目を凝らしてもう一度じっくり見てみるが、結果は変わらない。休講。授業はお休み。つまりは無駄足。

「何のためにここまできたのか……」

肩にかけた鞄の重みが増したように思う。徒労感に包まれながらきびすを返した時。

「お、オカリンじゃん」

耳になじんだ声が掛かった。ギギギと鳴るような錯覚と共に首を傾け、肩越しに視線を送る。

「……ダルか」

「ど、どしたん? なんかゾンビみたくなってるけども」

この寒空の下、ちょっと尋常じゃないほどの薄着の男が立っていた。視界に対する占有率の高さでは他を圧倒する(横幅的な意味で)この男こそ、未来ガジェット研究所におけるラボメンナンバー003、我が右腕<マイ・フェイバリット・ライトアーム>たる橋田至、通称ダルである。

「そういや、一限と二限出てなかったっしょ。サボり、じゃないか。最近は全然サボらんもんね、オカリン」

「その言い様では今まで俺がさんざサボり倒していたみたいに聞こえるではないか。訂正を要求する」

「いやいや、実際前期は結構サボってたっしょ」

「ふ、そんな昔のことは覚えていないな」

ふるふるとかぶりを振って言ってみたが、ダルはあきれたようにため息をついた。ノリの悪いやつめ。

「……ま、いいお。で?」

「ふむ、我が狂気と波乱に満ちたおもしろどっきりエピソードをそんなにも聞きたいというのであれば、話してやるに吝かではないが」

「いや別にそんなに聞きたいわけじゃないっつーか」

「いかんせんここは寒い。移動するぞ」

返事を待たず、俺は大股で歩き始めた。とりあえず学食へ向かおう。

背後でダルがやれやれという風に鼻を鳴らすのが聞こえた。

 

 

「……なんだかんだと回りくどかったけど、結局金魚鉢のろ過器が壊れて徹夜で修理してたってことでFA?」

言いながらダルがラーメンを啜った。昼過ぎの学食には人影もまばらだ。

「違うな。間違っているぞ、ダルよ! 『金魚鉢のろ過器』ではない。すべてを含めたシステムとして、あれは未来ガジェット11号機『小さすぎる宇宙船地球号』だ」

「ゼロサム乙。つーかさ、あれは別に発明じゃなくね? 廃材で自作したのは確かだけど、普通に市販されてる物と機能は同じっしょ」

うぐ、痛いところを……

「いいのだ。せっかく作ったんだし、あれもれっきとした我がラボの実績である」

「ま、あれが一番役に立ってるけどね、実際」

うるさい。

と、ダルの携帯が鳴った。着信音は、フェイリスが「世界がヤバイ!」と叫ぶ声だ。完全に意味がわからん。もう慣れたが。

「メールか?」

「ああ、まゆ氏から。ちょっと待って」

そう言ってダルは動きを止めた。返信する内容を考えているのだろう。

しばらくして、ダルはこちらをちらりと見てから返信を打ち始めた。

俺は半分ほど残っている親子丼を一気にかき込んだ。うん、相変わらず美味くも不味くもないな。安いけど。

しかし、まゆりからダルへメールとは珍しい……というわけでもないのか? あまりそういう印象がないだけで、普段からわりとやり取りはしているのかもしれん。

食事を終え、何の用だったと聞く前にダルが口を開いた。

「で、直ったん? 結局」

「いや……おそらくアダプターがイカれたんだと思う。俺じゃ手が出せん。予備もないしな」

「ああ、アレも出自不明のガラクタだったからなあ。直すより交換したほうがいいかもしれん罠」

「一応水は取り替えておいたからしばらくは大丈夫だろうが、早めに対処したいところだ」

言い終えたところでフッと眠気がきた。いかん、結構限界に近いかも。冬の弱々しい太陽も、今の俺の目には少しきつい。窓際に座るんじゃなかった。

「お? あれ、牧瀬氏じゃね?」

窓の外を見ていたダルの声に意識を引き戻された。ダルが丸っこい指で示す方向を見やると、言葉通り紅莉栖が歩いていた。相変わらず颯爽と、という言葉の似合うやつだと思いながら眺めていると、紅莉栖もこちらに気付いたようで、おやという顔をして立ち止まった。

あっちあっち、と指差すダルに頷いて学食の入り口にまわった紅莉栖は、そのままツカツカと俺たちのテーブルまでやってきた。

「はろー、HENTAIブラザーズ。奇遇ね、こんなところで」

のっけから人をHENTAI呼ばわりとは失敬な。というかダルと同列扱いは御免こうむりたい。

「それはこちらの台詞だ、クリスティーナよ。われらが学び舎で一体何をしている。何らかの破壊工作か?」

「するか! あとクリスティーナって言うな」

「ここいい?」と言うと、紅莉栖はこちらの答えを待たず俺の隣に座った。

「本を借りにきたの。近くで所蔵してるとこ、ここしかないみたいだったから」

紅莉栖はぱんぱんと手にした鞄を叩いて見せた。ここにしかない、となると工学系の専門書だろうか。

「ふむ、それはわざわざご苦労なことだな」

「そういやウチの図書館、今度改装するらしいお」

ラーメンのスープを飲み干したダルが言った。

「そう。24日の午後からしばらく閉館するみたいね。……だから、急いで読んでしまわないと」

紅莉栖の言葉は、なぜか後半トーンが落ちたように聞こえた。が、気のせいかもしれない。なんだか目も耳もぼうっとしてきた。

「それより岡部、あんたちょっとしんどそうじゃない? 大丈夫?」

俯いていた顔を覗き込まれ、どきりとした。近い! 近いぞ!

別に疚しいこともないのに目をそらしてしまう。

「こ、この鳳凰院凶真、助手に心配されるほど落ちぶれてはいないぞ! フヒューヒャヒャヒャ」

うう、腹に力が入らないせいで高笑いに失敗した……急にそういうことするな。心臓に悪い。

「なに動揺してんのよ、ほら」

紅莉栖の差し出したコップの水を飲み一息ついた。少し眠気も覚めたな。

「まあその水は僕のなんですがね。……爆発しろ」

物騒なことを呟くダルは無視して、俺は経緯を説明した。流石に二度目なので要点だけかいつまんで話したところ、先程の十分の一程度で収まった。ふしぎ!

「ふむん。それで、金魚ちゃんは無事なの?」

金魚ちゃんとはもちろん『小さすぎる宇宙船地球号』の乗組員のことだ。

金魚ちゃんの正体は金魚である。10月にあった学祭でまゆりがGETし、現在ラボのマスコット的存在として君臨している。

ちなみにまゆりは彼女(?)のことを「タマちゃん」と呼び、ダルは「リリスたん」と呼ぶ。つまりはそれぞれ好き勝手に名づけて呼んでいるわけだが……紅莉栖よ、ハンドルネームの時も思ったがお前のネーミングセンスは結構アレだな。

「千の名を持つ者<ザ・スパイ>ならば当面は大丈夫だろう。しかし放っておくわけにもいかないからな。これから一旦ラボへ戻って――」

「なあオカリン」

出し抜けにダルが割り込んだ。

「僕はのどが渇いたんだが」

何を言っとるのだこいつは。

「ラーメンの残り汁を飲み干せば、そりゃのども渇くだろう。水でも飲め」

「五分前の記憶喪失キタコレ! それともなにか、固有結界内での出来事は現実世界ではノーカンってことですかそうですか」

そういえばこいつの分の水を俺が飲んでしまったんだったか。

「むう、悪かったな。しかしそれくらい自分で取りに行けばいいだろう。腰の重いやつめ」

「そ、それは僕がデブオタだからって馬鹿にしてるな! 許さない、絶対にだ」

「そんなこと一言も言ってないだろ」

「くだらないケンカしてんじゃないわよ、まったく。ほら、グラス貸しなさい」

不毛な言い争いを始めた俺たちを尻目に紅莉栖が立ち上がった。

「おお、悪いな」

と、なぜかダルは紅莉栖にコップを渡すのをためらった。

「ええと、それは……いや、いいのか。これでも」

「はあ? なによ、いらないの?」

「いやいや、じゃあ牧瀬氏、お願いするお。牧瀬氏の聖水を、こう、いっぱいに、なみなみと……」

うわあ……流石に俺もそれは引くわ……

と思ったが、紅莉栖にはいまひとつ通じなかったらしい。「なによ聖水って」と首をかしげながら給水器へ向かった。

「さてと、じゃあ僕は食器片付けてくるお。ほらオカリン」

うながされるまま俺はダルに丼を渡した。

「サンキュ……というか食器片付けにいくならついでに水飲んで来ればよかっただろ、おい」

声をかけたが華麗にスルーされた。くそう。

いろいろと妙なことが起こっているような気がするが、一番おかしくなっているのは俺の脳みそだろう。ここのところ規則正しい生活が続いていたから、たまに徹夜するとこたえるな。

しばらくして、というかうとうとしていたので実際どれくらい経っていたのかわからないが、二人が戻ってきた。

「だいぶキツそうね。早く帰って寝たほうがいいんじゃない?」

そう言って紅莉栖が俺の頬をぺちぺちと叩いた。

「いや、でも……」

「牧瀬氏の言うとおりだお。金魚鉢は僕が何とかしておくから」

ダルが自分からそんなことを言うとは珍しい。雪でも降るか? いや、この時期雪が降ってもそうおかしなことはないか。というか金魚鉢ではないとあれほど。

「今日はどうせラボに顔出すつもりだったから、私も手伝ってくるわ。だからあんたはさっさと家に帰りなさい」

むう。

おうちにかえってねる、というのは今の俺にとって非常に魅力的な選択肢なのだが、こうもカエレカエレと言われるとなんだか素直に帰りたくないなあと思うのはやはり男の子の性であろうか。

「やっぱり途中で投げ出すのも気が引けるな。せめてラボで少し仮眠を取って……」

「岡部」

おや、紅莉栖が笑っている。ちょっとレアだな。

「いいからとっとと帰れ」

「はい」

そういうことになった。

 

 

夢を見ていた。自分で夢だとわかる夢だ。

取り留めのない思考が生まれては消えていく。水槽の中の泡のように。

誰かが叫んでいた。

誰かが泣いていた。

そして、誰かがいなかった。

何故いないんだろう。とても大切に思っていたのに。ずっと一緒にいたいと望んでいたはずなのに。

寂しいよ。

寂しいんだ。

俺の苦しみは、誰にもわかってもらえない。

俺の独善を、誰も詰ることができない。

 

――俺が失わせた世界は、誰にも顧みられることがない。

 

悔恨が身を刻み、俺はそこに縫いとめられる。

もう動くことはできない。

アキレスのパラドックス。飛ぶ矢は止まっている。時間は分解され、永遠に至る――

 

 

ひやりとした感覚を額に覚え、俺は目を開いた。

ベッドに寝転がる俺の傍らに、まゆりがちょこんと座っていた。その左手が伸ばされ、俺の額にそっと乗せられている。

直前まで外にいたのだろうか、冷たい掌が眠りで火照った体に心地よい。が、流石に気恥ずかしさが勝った。

「……なにをしている、まゆり」

「えっへへ、オカリン起きた~? トゥットゥルー♪」

人と会話をしたことで、夢から現実へ戻ってきたような気がした。ゆっくりと回転を始めた頭で現状を確認する。

ここは俺の実家で、俺の部屋で、俺のベッドの上だった。大学でダルや紅莉栖に会った後の記憶がいまひとつ曖昧だが、どうにか家まで帰り着き、そのまま眠りに落ちたようだ。

上体を起こして壁に掛かっている時計を見た。時刻は午後6時を回ったところだった。

「まゆしぃはねえ、オカリンを迎えにきたんだよー?」

迎え、とはどういうことだろう。

いや、その前に。よく考えると、ここはラボではないのだった。

実家にまゆりがいる、というのは最近ではなかなかに珍しいケースだ。最後に俺の部屋にまゆりが来たのはいつのことだっただろう。ラボを借りてからは一度もなかったかもしれない。そういえば、近頃まゆりが寄り付かなくてさびしい、と母親がこぼしていたな。野良猫か。

「丁度玄関のところでオカリンのお母さんに会ったの。そうしたらね、部屋で寝てるみたいだからあがっててね、って。お買い物に行くところだったみたい」

そこまで言ったところで、まゆりの声がやや硬くなった。

「……オカリン、すごくうなされてたよ。大丈夫? 怖い夢見たの?」

大きな瞳に見つめられ、俺は返事に窮した。フェイリスほどではないにしろ、こういう目をしているときのまゆりはこちらの嘘を容易く見破ってくる。

「変な時間に変な寝方したからかもな。夢見が悪かったみたいだ」

結局俺は曖昧な言い方でお茶を濁すことにした。

当然ながら誰にも言っていないが、このところ似たような夢をよく見る。本当に夢だったのかと思うほど、内容をはっきりと覚えているのだ。何故こんな夢を見るのだろうか、とは思わない。心当たりがありすぎる。

一方で何故今になって、と思うことはある。身辺が落ち着いて、自分のことを考えるゆとりができてきたからだろうか。余裕があるのも良し悪しだな。

……正直、少し参っていた。

「大丈夫だからそんな顔をするな。狂気のマッドサイエンティストは、いやな夢を見たくらいでは凹んだりしないのだ」

俺はまゆりが膝に乗せていた帽子を掴み、視界を覆うようにまゆりの顔に押し付けてやった。少し大きめの帽子に顔をすっぽりと包まれ、まゆりは手をばたばたさせて「えうぅ、やめてよー」と言った。

思わず笑みがこぼれた。

「それで、お前は結局何しに来たんだ。迎えがどうとか言っていたが」

押さえていた手を離して聞いてみた。

まゆりは帽子を両手で掲げるようにして被りなおすと、にへらと笑って立ち上がった。

「なんだか今日のオカリンはとってもぼんやりさんだねえ」

などと非常に失礼なことを呟きながら、まゆりはデスクチェアの背に掛けてあった俺のコートを取り上げた。ついでとばかりに机に乗っていた携帯も手に取り、コートの右ポケットに突っ込んだ。

いこう、と渡されたコートを受け取り、俺はよくわからないまま立ち上がった。

行くってどこへ――と尋ねようとして、思いとどまった。なんだか質問ばかりで間抜けっぽい。よりにもよってまゆりにぼんやりさんなどと呼ばれた屈辱を払拭するためにも、ここは我が灰色の脳細胞にご活躍願おう!

少し考えてみれば、こんな時間に「行く」場所など限られている。十中八九ラボだろう。

そこで思い当たった。未来ガジェット11号機だ。俺が眠りこけている間にダルと紅莉栖が修理に当たっていたはずだが、それが完了したから見に来い、ということだろうか。いや、それだけのことならわざわざまゆりを使いに出すこともない。

となればもうひとつの可能性が浮上する。すなわち、修理の過程で何らかの重大なトラブルが発生した、という線だ。困り果てたヤツらはラボの象徴たるこの俺、鳳凰院凶真のありがた~い助言を求め、あまり役にたっていなかったであろうまゆりの派遣を決めたと、つまりはそういうことなのだろう。謎はすべて解けた!

我ながらそれはちょっとないかなーと思わないでもない。というかあの二人がお手上げだとすると、俺にできることなど何もなさそうだ。

まあいい。いずれにせよまゆりも一緒なのだから、特に問題もない。それに俺には究極奥義「蛮勇の道標<テイク・イン・ジ・アトモスフィア>」がある。精神力の消耗が激しいためあまり気は進まないが、いざとなれば使わねばなるまい。

この奥義は自信満々で先導する振りをしながら、岐路においては背後の相手の気配を敏感に読み取り進行方向を決定するという実に高度かつ実用性の高い技である。そして相手は死ぬ。

俺はまゆりに背を向けてからコートをばさりと羽織ると、ズバッと振り向いた。

「よし、ではゆくぞ、まゆりよ。世界に混沌をもたらすために!」

まゆりは一瞬きょとんとしてから、

「オカリン、いきなり全開だねー」

そう言って笑った。

 

 

果たして、俺とまゆりはラボまでたどり着いた。

ここまでの道すがら、まゆりは寒そうに身を縮ませながらもぽやぽやと後ろをついてきた。目的地は間違っていなかったようだ。

とっくに日も落ちた暗闇の中、分岐のたびに小股でちょこちょこ移動しながらまゆりの顔色を伺っていた自分を思い出すととてもやるせない気持ちになるが、まあいい。もう済んだことである。

一階にあるブラウン管工房はすでに閉店していたが、二階のラボには明かりがついていた。誰かがいるのは確かなようだが、さて。

階段に足をかけたところでコートの裾をぐいと掴まれた。

振り返ると、まゆりが電話をかけていた。なにやら小声で話しているので内容は聞きとれない。帽子と携帯の影で表情も見えないので、なんだか少し不気味だ。

程なくしてまゆりは携帯をしまった。

「誰と話していたんだ」

「んー? 内緒」

……なんだ? なにかおかしい。そういえば昼間、ダルや紅莉栖の態度も妙だった。

俺の知らないところで、何かが起こっている。

俺はミステリー小説における解決編のページをめくる気分で、階段を一段一段上った。おそらく、ラボの中にすべての答えがある。

そして俺は扉の前に立った。

この不可思議な事件の真相やいかに! 果たしてIQ180の天才にして狂気のマッドサイエンティスト、鳳凰院凶真の推理は多少なりとも真実のとある一面に触れる程度のことはしているだろうか!

よし、これぐらいハードルを下げておけばどうにかなるだろう。

俺はドアノブに手を掛け、ゆっくりと扉を開いた。

 

……結論から言えば、俺はとんだ迷探偵だった。

いくつか言い訳は考えられる。

ひとつ、昨日から今日にかけて徹夜したせいで日にちの感覚がずれていたこと。

ふたつ、ラボのカレンダーを覆い隠すように、まゆりの作りかけコスが掛けられていたこと。

みっつ、これが致命的だったのだが、今日に限って一度も携帯で時計を確認しなかったこと。

とはいえ結局、今日の俺はどうしようもなくぼんやりさんだったのである。

 

 

ぱん! ぱぱぱん! ぱん!

連続する破裂音に迎えられ、俺は立ち尽くしていた。

火薬のにおいが鼻をつく。念のため確認しておくが、拳銃で蜂の巣にされたわけじゃない。

舞い散る紙吹雪を呆然と眺めていると、

ぱん!

「のわあ!」

俺の横からひょこんと顔を出していたまゆりが、いつのまにか手に持っていたクラッカーを鳴らしていた。

まゆりは驚く俺の顔を見上げてにっこりと笑うと、脇をすり抜けラボ内へ入り込んだ。

「せーの」

紙吹雪が沈んでいく向こう、ラボの中にいるのは六人。みんな穏やかに微笑んでいて。

「お誕生日おめでとう!」

六つの声が重なった。

 

そう、今日は12月14日だったのだ。

流石に自分の誕生日が12月14日であることを忘れたりはしない。ただ、様々な条件が重なった結果、今日が12月14日であることをすっかり失念していた。

今朝の時点では乱雑の極みであったラボ内はきちんと整頓され、ささやかではあるが飾り付けられていた。

決して狭くはないテーブルの上には、所狭しと料理が並べられていた。中心にはロウソクの立ったケーキもある。どこかで見た覚えのあるピザはともかく、ケーキを含めたそのほかの料理は、ひょっとして……

「すごいお料理でしょ~? るかくんとフェリスちゃんががんばって作ってくれたんだよー」

「これ、全部か」

今日は平日で、二人とも学校があったはずだ。放課後の限られた時間で、二人がかりとはいえこれだけの料理を用意することが可能なのだろうか。

言外の疑問を感じ取ったのか、ルカ子が答えた。

「ええと、朝のうちに下拵えをしておいたんです。ここではフェイリスさんも一緒でしたし、みなさんにも手伝っていただきましたし……」

「みんなって言っても、橋田は味見してただけだけどね」

「そういう牧瀬氏も早々に戦力外通告を出されていた件について」

完全に自爆した紅莉栖はひとまず置いておく。

「大変、だっただろ。なにもそこまで……」

ルカ子があわてて俺の言葉を遮った。

「い、いえ、好きでやったことですから。それより、岡部さんに喜んでもらえたら……ボクは嬉しいです」

ルカ子は服の裾を掴み、伏し目がちに微笑んだ。

「ルカ子……」

「そこの二人、なんかロマンチックが止まらなくなっちゃってる感じニャア。……フェイリスも結構がんばったのにニャー」

「うーん、ぱっと見全く違和感ないけど、あれ実は男同士なのだぜ。……まあ僕の場合、相手がるか氏なら全然おkだけど」

「黙れHENTAI! 岡部、あんたも戻ってきなさい、こらぁ!」

カシャッという人工シャッター音で我に返った。案の定、萌郁がこちらに携帯電話のカメラを向けていた。

「岡部君……嬉しそうで、よかった」

「萌郁さんもねぇ、いっぱい手伝ってくれたんだよ。お部屋の飾り付けをしてもらったんだー」

まゆりにくっつかれてよろめきながらも、萌郁は満更でもない様子だった。

「……私も、楽しかったから」

「誰かに喜んでもらえるかもって思うと、なんだか自分までわくわくしてきちゃうのです」

ねー、と顔を見合わせてくすくす笑う二人を見て、俺は体の奥の方がじわりと熱を持つのを感じていた。俺の主観において、その光景は奇跡のように得難く尊いものだったから。

俺が込み上げる熱をもてあましていると、紅莉栖がぱんぱんと手を打ち鳴らした。

「ほらほら、なんか収拾つかなくなっちゃってるから、早いとこ先に進めましょ。 せっかくの料理が冷めちゃうわよ」

「おほ、牧瀬氏さすがの委員長キャラ。でも次ってなんだっけ? ロウソクの火をフーってやつ?」

「ちがうよーダルくん。次はねえ、……じゃかじゃかじゃん! プレゼント贈呈~♪ なのです。それではラボメン代表、クリスちゃんどうぞー」

事前に決めていたわけではなかったのか、紅莉栖は驚いた顔をした。

「ふぇ!? な、なんで私なのよ」

「そこはまあ、言いだしっぺの法則ってことでいいんじゃね?」

「ほらほら、クーニャン、これはチャンスニャ。プレゼントを渡すのにかこつけてついでに熱いベーゼを交わしても、今ならみんな見逃してくれるニャ」

「へ? ベーゼって……」

一瞬の沈黙の後、紅莉栖の頬が染まった。

「そ、そんなことしない! ぜったいしないからな! 大事なことなので二度言いましたっ」

「とか言いつつプレゼントは取りに行く牧瀬氏、ツンデレ乙。……つーか先生、僕の心を黒いものが覆い隠していきます。なんだろう、この気持ち……まさか恋?」

「そんな禍々しい恋はイヤだニャ。ダルニャン、ヤンデレかニャ?」

「橋田さん、目が怖いです……」

少しして開発室から戻った紅莉栖は、きれいにラッピングされた大きめの包みを抱えていた。誰からともなく始まった拍手の中、しばしの逡巡の後、紅莉栖は包みを持った両手をこちらに突き出した。

「ほらこれ、みんなから。結構いいものなんだから、大事にしなさい」

「ああ……」

どうも理性が感情を制御しきれていない。プレゼントを受け取ろうと手を伸ばしてから、そうか、ここは礼を言うところだと気付き口を開こうとしたが。

なぜか紅莉栖が手を引っ込めた。皆が怪訝そうに見つめるなか、そっぽを向いたまま紅莉栖が口を開いた。

「えっと、その……ベ、ベーゼはしないけど! しないけど、ほら、あれよ」

覚悟を決めたように、紅莉栖はこちらに向き直った。

「私は、岡部には感謝してる。ラボメンに誘ってくれたこととか、そのほかにも色々。それはきっと私だけじゃなくて、ここにいるみんなが同じ気持ちなんだと思う。だから……」

一旦言葉を切って、紅莉栖は皆を見回した。俺もつられて視線を動かす。

まゆりがいた。ダルがいた。萌郁がいた。ルカ子がいた。フェイリスがいた。そして、紅莉栖がいた。

みんな、笑っていた。

夢じゃ、ない。

「胸を張って。あんたがいなければ、みんながここに集まることはなかった。あんたは厨二病で、HENTAIで、ときどきすごい無茶をやらかすけど。それでも私は……っ私たちは! ……あんたのこと、大切に思ってるから」

照れくさそうに頬を赤らめていたが、その時紅莉栖の顔に浮かんでいたのは、力強く恐れを知らない、俺の大好きなあの笑顔だった。

「あなたに出会えて良かった。19歳の誕生日、おめでと」

先程よりも大きな拍手が起こって、再び差し出されたプレゼントに俺は震える指先を伸ばした。

何か言おうと思うのに、喉の奥が引き攣って言うことを聞かない。

感情があふれて留めようがなかった。

それこそ独善的で勝手な思い込みかもしれないけれど。

――よく頑張ったな、と。

そう、言ってもらえた気がして。

あの日々のすべては無駄ではなかったと、そう思えて。

 

気付けば俺は、泣いていた。

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

――――

 

 

――

 

 

――俺だ。……そう、今日の件についてだ。これもお前の差し金か?……いや、いい。野暮なことは言うな。…………ああ、そうだな。俺は、仲間に恵まれた。それが、それこそが、俺の誇りだ。運命石の扉の選択に感謝を。エル・プサイ・コングルゥ。

 

 
 

 
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