ある所に、一頭の雄虎がおりました。
立派な髭を蓄え、力強い足と鋭い牙、そして一睨みで獲物を竦み上がらせる瞳を持つ、壮年の大虎です。
ですが誰もそれを知りません。
なぜなら、彼はいつも寝てばかり。
折角の前足を枕に、口を塞いで瞼も下りてしまっています。
かつては大層大暴れをしたと言いますが、最早見る影もありません。
そんな彼の元に、一羽の白兎が迷い込みます。
兎は周囲の動物達をすぐに打ち解け、いつも談話の中心にいるようになりましたが、それは虎にとって余り面白いものではありませんでした。
「おい新入り。どこから来た?」
いびきと寝言ばかりを吐いていた虎の口が、珍しく言葉を発します。
「ああ、いたのですか。
動かないものだから、てっきり苔の生えた岩だと思っていましたよ。」
兎も何故か虎に敵意剥き出しです。
「僕は我が物顔でズカズカと他人との距離を縮めようとする奴が大嫌いなんです。」
「なにぃ?それ、俺の事言ってんのか?」
「その程度は回る頭を持っていましたか、おじさん。」
虎の、目ヤニで一杯の瞼がミチミチと音を立てて開き、自分の頭よりも小さな兎をじっと見詰めました。
兎も負けじと紅い瞳で睨み返します。
「俺はまだおじさんなんて呼ばれる歳じゃねえ。
まっ、年端も行かない仔兎ちゃんには、大人はみんなおじさんに見えるのも分からなくはないがな。」
「……聞き違いじゃなければ、今、僕の事を仔兎ちゃんと言いましたか?
訂正して下さい、僕は一端の大人です!」
尚も挑んでくる兎に、虎はとうとう枕にしていた足で力いっぱい地面を踏み締めて、その巨体を起こしました。
皆がその光景に驚く中、牡牛は鼻息混じりに興奮し、
「まだまだ衰えてないな。」
と嬉しそうです。
他の動物達との話し合いの結果、来て間もない兎の面倒は虎が見る事になりました。
虎も兎も露骨に不満げな顔をしました-というか、実際に力一杯拒否しました-が、爽やか馬が爽やかにゴリ押ししたために両人共渋々承知しました。
爽やかに頷く爽やか馬は、本当に爽やかです。
まずは狩りの仕方を教えます。
虎は山鳥を見付けると、全速力で獲物に向かいましたが、遠くから大きな獣が正面からやって来るのですから、当然あっという間に山鳥は飛び去ってしまいました。
とても気不味い空気を感じ、恐る恐る兎を見ると、彼は木の根を掘り出してカリカリと齧っています。
「いや、僕は植物食ですし……というか、何やってるんですか?」
今度は外敵から身を守る方法を教えます。
けれども、虎を襲う様な獣はいないので、彼自身どうしていいのか分かりません。
木の周りをグルグルと回りながら考えた結果、虎が兎を追いかけて稽古を付ける事にしました。
「行くぞ、仔兎ちゃん!」
兎は一目散に走り来る虎に一瞬ムッとしましたが、直ぐ様手近な岩の下にある穴に逃げ込みました。
面食らった虎は穴に顔を突っ込んで兎を追いますが、兎が入り込んだ虎の鼻先に思いっきり噛み付くと、余りの激痛に甲高い声を上げながら飛び退きました。
「僕だって命の危険に晒されたら、全力で抵抗しますよ。
それよりも、随分情けないじゃないですかおじさん。」
穴から出てきた兎は、身悶えする虎に紅い目でガッカリ感をアピールします。
もう虎の涙目は何が原因なのかも分からなくなってしまいました。
夜。
嫌がる兎を虎は自分の巣に招きます。
当然兎は全力で拒否しましたが、鼻先の歯型をこれ見よがしに見せながら頭を下げる虎の姿を流石に不憫に思い承諾しました。
「仔兎ちゃんは、どうしてこんな所に来たんだ?」
何度注意しても「仔兎」呼ばわりされるので、この頃にはもう諦めてそのままにしています。
「親はどうしたんだ?
きっと心配しているんじゃないか?」
「この世にいない親が、どうして僕の心配なんかできるんですか?」
呆れた様な溜息が穴ぐらに響きます。
すまないと口にしようにも、兎は虎から顔を背け丸まってしまいました。
虎はデリカシーの無さを反省し、外に出ました。
「あらぁ?
こんな夜中にどうしたのよぉ?」
見上げると、樹の枝に美しい羽根を持つ極楽鳥の姐さんが止まっています。
「お前こそ、鳥目なんだから危ないんじゃないのか?」
「あたしを空から襲う奴なんていないわよぉ。
それより、まだ兎ちゃんとは仲良く出来てない訳?」
虎は今日一日の事を話し、どう接していいのか相談します。
姐さんは、うんうん、と頷き、ろくに見えもしない虎を見下ろします。
「あんた、自分がどうしてあたし達とこうして話が出来るか考えた事ある?
本当ならあたし達はみんなあんたの餌になる側なのよ?
それでも安心して近寄るのは、決してあんたがドジだからじゃない。
馬鹿みたいにみんなを心配して、どうでも良い事でも真剣に力になろうとしている姿がかっこいいからなのよ。
もう少し、自分って奴を信じてみてもいいんじゃないの?
そんなんだから、兎ちゃんだってあんたを信用出来ないのよ。」
虎は一頻り考え唸り声を上げると、そのまま巣へと戻る事にしました。
やっぱり自分にはあれこれ頭を働かせるより、思ったままに行動する方が向いている気がしたからです。
「だらしなくたって、あんたが強くて頼りになる大虎だって、本当はみぃんな知ってるんだからね。
しっかりなさい。」
姐さんは誰に言うでもなく呟くと、首を曲げ、また眠りに就きました。
巣に戻ると、兎は既に眠っていました。
虎は彼の傍に寄り添い、寝姿を眺めます。
兎は体を小刻みに震わせていました。
「父さん……母さん……」
自分が余計な事を言った所為で、悲しい記憶を思い出させてしまったのだろうか。
虎は、やっぱり申し訳なく、そしてどうにか出来ないかと考え、兎の小さな体を舌で舐め上げました。
どうか、今夜はぐっすり眠れるように。
どうか、悲しい気持ちが少しでも安らぐように。
そして、どうか、もうちょっと自分に優しくなってくれるように。
兎はその日、夢を見ました。
いつも見る、両親の無残な姿です。
誰にどうされたかすら思い出せない位、彼とって衝撃的だったあの夜の出来事。
何度泣き叫んでも返って来ないあの優しい父母の声。
幾度の絶望を、幾度となく繰り返し見続ける彼の心は、その度に傷付きました。
でも、その日だけは少しだけ違いました。
声が、返って来たのです。
そして、毛繕いの優しい感触と共に、かつて両親と共に駆け回った草原が視界に広がりました。
兎はもう一度だけ大きな声を上げ、そしてその日はもう泣くのを止めました。
頭を覆い被さんばかりに大きな手と、少しだけザラザラとした舌の感触は、とても気持よく、兎は深く深く眠りました。
兎が来てから、もう何日たったでしょうか。
相変わらず兎は執拗に付き添う虎に悪態ばかり付いています。
「だからな。
こう、敵が襲って来た時は岩を登ってだな……」
「いえ、僕はそんな無駄な事をしなくても、茂みに入り込めば身を隠せますし……」
けれども、みんなが集まる広場には、もうそれを心配する獣は誰もいません。
「ったく、可愛げがないぞぉ仔兎ちゃん。」
わざと牙を見せながら文句を言う虎を尻目に、兎は丁寧に耳の毛を手入れしながら溜息を吐きます。
「そんな口は、せめて僕が齧った鼻が治ってから叩いて下さい、おじさん。」
兎は、もう仔兎と呼ばれても怒らなくなり、そして代わりにちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、虎に気付かれないような笑顔を向けるようになりました。
今、虎はそれにいつ気付くのか、広場の獣の間では内緒の賭けが行われています。
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タイバニの動物化童話風二次創作です。 正攻法だとどうやっても健全が書ける気がしないので、超変化球でお送りします。 童話風だと、かなり無茶な言い回しや遊びが出来るので、書いていて楽しかったです。 本編の展開をガン無視しているので、ネタバレも安心!(笑)