No.228668

「遙けき塔と白い君」第1章その1

少年オーディは砂漠のエルト地方を守る戦士団『砂漠の雁』の戦士である。
彼は異国から来た学者ケルケの依頼を受け、生まれ故郷であるクロファリ村に帰郷する。
ケルケの目的は地神ディフェスの聖地「白の塔」を調査することだった。

2011-07-18 12:26:41 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:410   閲覧ユーザー数:402

   *

 

 吹き上げる風は残酷で、乾いた皮膚を打ち据える。

 太陽は常軌を失い、灼熱の陽炎を照らし出す。

 吹き荒れる砂塵は容赦なく、あらゆる生命を殺ぎ落とす。

 その蒼天に限りはなく、一片の翳りも忘れていた。

 

 朝日を見上げ、夕日が沈む。その昼という時、煉獄に似た炎熱の世界が広がる遙々とした砂丘。そして夜になれば静寂がこだまする恒久の岩城。

 古来より砂漠という場所は生物を寄せ付けず。土着のものだけが生きることを許された完成された世界。

 今、その何人も寄せ付けぬ砂漠の世界に一人挑む者がいた。

 いや、正確には行く先を見失い、彷徨っているだけなのだが、必死に生きようと藻掻いていることに変わりなかった。

 

「ハァ、ハァ、ハァ」

 呼吸音は規則正しく繰り返させる。息が乱れていないのは、まだ限界ではないことの証。

 しかし、この広大な砂漠をどこまで歩けばいいのであろう。

 向かう先もわからず、帰りも道も見失った人の子に待ち受けるのは死しかないだろう。

 

 既に頭上に昇った太陽に毒突く気力もありはしない。ただ黙々と歩くしか術はない。それ以外の行為は、絶対無比なる極限の大地、砂漠を前に全てが無意味だった。

 その子供は薄汚れた布を頭から被り、容赦ない日差しから身を守っていた。その下には袖口のない貫頭衣。それに直接肌に巻き付けた帯布が子供の浅黒い肌を包み込む。それはこの砂漠の地エルトに古くから伝わる民族衣装だ。

 

 子供が自らの村を出て既に一週間が経っていた。その間、人どころか小動物すら影を潜め、子供は孤独と闘い続ける。

 一面は白く色を失った砂の世界、地平線すら砂で出来ている。

 子供は腰から下げた磁針を確かめた。

 標点となる物が皆無の砂漠において、その磁針だけが唯一の道標だった。

 

 北を指すはずの磁針が妙な揺れ方をする。大きく振れたかと思えば小刻みに揺れる。

 普段見られない磁針の動きに戸惑うが、やがて一所を指し示す。

 

「ハァァ」

 一際大きな息を吐き、子供は顔を上げた。雲一つない青だけの空。白い砂の海と空色の原色に目を打ち抜かれそうだった。

 子供は足を止め、肩にかけた水袋を外して水を喉に流し込む。

 自らの喉の鳴る音がやけにうるさい。しかし、水袋から流れでる水滴はほんの数滴。もう水は残っていない。

 

「チィ」

 自らの舌打ちが妙に大きく聞こえた。その音も風の音と混ざり合いながら、どこかへと運ばれていく。

 ただただ広い砂漠の荒野に一人。

 世界でも有数の広さを誇る内陸砂漠、エルト砂漠で旅隊も組まずにいることは単なる自殺行為以外の何物でもない。急ぐ行程とはいえ、灼熱の昼までも進行するなら尚更だ。

 それでも子供は歩き続ける。北へ、北へと、ただひたすらに。

 

「雲……」

 それは久方ぶりの白雲だった。

 西の地平線の際に見えたのは真っ白な入道雲。それが高く天空を目指し伸び上がっていた。

 

「一雨あれば……」

 そうは言っても、事は砂漠の天候である。そう都合よく雨など降るはずもない。

 もう幾月も日照りが続き乾ききった砂漠の砂は、風に軽く舞って足元に重くのし掛かる。子供の体力は徐々にだが、確実に消耗していく。

 

 あの太陽が憎らしい。あの太陽さえなければ……。

 そう、御神が在すというあの天上から雨さえ降れば、こんなことにはならなかったはずなのだ。

 子供の視界には灼熱の空気で陽炎が舞いしきる。地表で熱せられた乾いた空気は、上昇し大気を掻き乱す。

 その歪む景色の中、子供はそれを見た。

 入道雲の真下に何かある。

 真っ白な雲と同じ色で出来た物。

 遙か地平線の際にあるのに、まるで雲から垂れ下がるように真っ直ぐ伸び上がった巨大な物。

 それは蜃気楼と見紛いそうになるが、子供の目には、はっきりと姿が映る。

 

「白い……、塔?」

 地平線に微かに見えたそれは、砂漠の陽炎と揺れ薄れ、砂漠の遠景に消え失せていた。

 

 

 

 

 

『遙けき塔と白い君』

 

 

 

 第一章「エルトの砂漠と白の雁」

 

   *

 

 赤褐の岩が壁の如く切り立った峡谷。誰が整備したわけでもない道が僅かな轍を刻み、緩やかな蛇行を続けている。

 そこはコーベッカ峡谷と呼ばれる巨大な渓谷。左右を岩肌剥き出しの山麓に囲まれた谷は、まるで岩山を切り裂いた割れ目の様。そんな風深い谷は巻き上がる砂埃が舞い、太陽に薄暗い陰を見せている。

 今その谷を、ウヅリに引かれた数台の幌車の一行が先を急いでいた。

 

「今回は崖崩れもなく、無事に済みそうだな」

 隊列の先頭には二騎のウヅリ。その内の片方に跨った男が、横を行くもう一騎に声をかけた。

 ウヅリとは乗用や車の牽引としてこの地方で使われている騎獣である。垂れ下がった耳が顔の殆どを覆い、愛嬌のある顔立ちを隠してしまう。その愛らしい容姿に似合わず、人を乗せても全く疲れる様子を見せない力強い獣だ。

「そうだな。最近は賊も出ねぇし、この辺も静かになったもんだ」

 答えた男は手綱を引いてウヅリ同士を寄せ、足並みを揃えた。ウヅリは比較的大人しい動物で、食料さえ与えてやれば、それに見合った分、移動や運搬に働いてくれる。しかし、餌をやらないと途端に何もしなくなる気難しい面もあった。

「ああ、昔は『砂漠の雁(カリ)』も一日に一人は死ぬ、なんて時代もあったな。最近ではあり得ない話だ」

 『砂漠の雁』とはこの二人、レイモン・デルアンとニータ・ガテリアが所属する戦士団のことだ。

 つまりこの二人は戦士であって、それを体で表すように二人は使い古された革鎧をまとい、帯剣をしていた。その佇まいから二人とも屈強な戦士であることが窺える。

「そんだけ、あんときの干ばつが酷かったってことだろうなぁ。食うもんがなくて、殺して奪い取るか自分が飢え死ぬか……。ほんと胸くそ悪ぃ世情だった」

 レイモンは苦虫を噛み潰したような顔をする。

 隣国イルルガの滅亡、それと時を同じくして起こった大飢饉は、このエルトの地を未曾有の食糧難に追い詰めた。どの集落も餓死者が野に転がり、生きている者も生気なく、やさぐれた空気が蔓延っていた。

「それが今は谷越えの警護が三人で済むとは」

 その大飢饉から四年、平素の平然を取り戻し始めた大地は少しずつ実りを増やし、特に今年は比較的に雨が多く豊作に恵まれた。それに従い、自然と治安も回復している。

 戦士団の彼らには仕事が減って諸手を上げて喜べないところであるが、平和であるのは歓迎すべきことであった。

「へへ、後ろはオーディ一人で大丈夫かねぇ」

 何気なく後ろを振り返る仕草をすると、レイモンはせせら笑うように口元を緩めた。それを隠すように、鼻先を指で掻きむしる。

「はは、お前も心配性だな。オーディはあれで一人前だよ。単純な戦闘力なら」

 対するニータも釣られて笑みを浮かべた。筋の通った鼻立ちが柔和な印象を醸し出していた。

「わかってら。ただな……」

「オーディの悪い癖も殿をさせとけば大丈夫だろ。逆に誰かと組ませた方が危ないぐらいだ。あいつはクロエ族らしく単騎がよく似合う」

「『クロエが殿の隊に全滅はない』か、よく言ったもんだ。十四って言ったら、俺は鼻垂らしてたもんだけどな」

「それはお前がだらしないだけだ」

「ちげぇねぇ」

 ニータの指摘にレイモン共々、自然と高笑いが漏れた。

 二人の笑い声は峡谷に絶壁にこだまする。声に揺れる谷の僅かな鼓動が風に運ばれ伝わってくる。地層剥き出しの岩肌が音を鮮明に反射していた。

 

「おい」

 突然、レイモンが低く小さな声を出す。それにニータは「わかっている」と短く応えた。

 

 コーベッカ峡谷に一際強い風が吹く。

 その風音とは別に空を切る音が聞こえてきた。二人の視界を横切って一線が走る。

 それは二人の横を通り過ぎ、乾いた赤土を耳障りな擦音を上げて地に落ちた。一目でわかる細い棒状の物体。どこからともなく放たれた矢であることが直ぐにわかった。

 

「奇襲一発目も当てられねぇ素人か……」

「相手が素人でも、矢が当たれば洒落にならん」

 レイモンの呟きにニータは声を上げ、後ろの幌車を庇うように、手綱をとってウヅリを回した。

 ニータの手には、いつの間にか抜き放った剣があった。騎乗での自然な抜刀。古い付き合いであるレイモンですら感嘆した。

 そこへ再び幾多の矢が襲いかかる。今度は先程とは違い、応じなければ明らか危険な矢筋である。

 

 矢面に立ったニータはそれを柔らかな太刀筋でいなしていく。

 向い来る矢を剣で撫でるように軽く当てて弾く。それは一々叩き落とすよりも遙かに高度な技であった。

「射速も遅い、狙いも甘い。斉射も揃わない……」

「こりゃ訓練されてねぇな。おい、お前らは動かねぇで待ってろ」

 レイモンは声を上げて、守るべき幌車の御者達に指示をする。

 言われずとも一団に矢が放たれた時点で全ての幌車は止まっている。既に幌車を引いていたウヅリは体を丸め、首も四肢も腹の下に仕舞い込んでいた。

 レイモンとニータはウヅリを降り、直ぐさま駆け出した。大して広くもなく高低差のある峡谷内で騎乗して戦うのは不利になる。

 

「油断するなよ。こういう輩は予想外のことをする」

「んなこと、わかってるさ」

 ニータの忠告に、レイモンは突撃と共に答える。

 すると、レイモンの接近に慌てふためくように、岩肌の斜面から男達が飛び出した。

 木々が殆どない峡谷。剥き出しの岩々の陰にでも隠れていたのだろう。彼らは襲う側のはずが完全に後手に回っている。弓矢が牽制にもなっていない時点で彼らの劣勢は決定的であった。

 斜面を駆け下りてくる男達は薄汚れた身なりで物腰にも覇気がない。

 貧困に耐えかね、最近になって野盗を始めた一行といったところだろう。

 数は十そこそこ。『砂漠の雁』に入る前から傭兵として生きてきた二人は、その数を脅威に感じることはなかった。

 

 早速二人を取り囲むように輪が出来る。

 取り囲んでくる野盗達を見て、ニータは溜息を吐きたい気分だった。

 誰一人として鎧をまとわず、手にしている剣も明らかに安物。恐らく本当に素人の集団で、今、目の前にしているニータとレイモンの実力を推し量ることが出来る者など一人もいないのだろう。数に物を言わせれば勝てると思い込んでいるのかもしれない。世間知らずというのは往々にして厄介なものだ。

 そんな野盗達は互いに目配せし合うだけで、なかなか襲って来ない。どうせ誰にも最初に掛かっていく勇気がないのだろう。

 『戦神の野(トゥース・ガ・ハレル)』において、一番槍というのは誉れになりこそすれ、譲り合うものではない。それならば弓で援護すればいいものを、味方に当てないように狙う腕もないのか、そういう戦術的発想も出来ないのか。野盗達は二人を取り囲んだまま動こうとしなかった。

 

 その様子にレイモンが呆れ、じわりと一歩前に出る。目の前にいた野盗は身を固くしながらも、それに反応してやっと斬りかかって来た。

 レイモンはその一撃を手にした大剣で簡単に受け止め、逆に押しのける。それが合図となって、五倍以上の人数差による混戦が始まった。

 明らかに数的不利の二人だったが、周りを取り囲まれようとも、レイモンとニータは互いに死角を補いながら丁寧に対応していく。

 ニータは器用に向い来る剣撃を捌き、相手が崩れたところに一撃を入れる。レイモンは逆に相手の状態などお構いなしで、先手をとって力強い振り下ろしを放つ。

 柔と剛。二人の対照的な剣術が余計に野盗達の混乱を招いていた。

 数にまかせて押すことしか出来ない野盗達と、自分が倒すべき相手を冷静に見付けて対処していく二人。

 実力の差は歴然で、数合、剣を打ち合う毎に野盗は倒れ、数を減らしていく。

 野盗側も場慣れした人間が一人でもいれば、二人の実力がわかった時点で即座に退却しただろう。

 しかし、五倍以上の戦力差が逆に自分達の劣勢を包み隠していた。

 野盗の死体が六を超えて辺りに血の嫌な匂いが漂い始め、やっと気付いたときにはもう遅い。

 いや本当は遅くないはずだ。襲った相手が自分達の手に負えない猛者であるとわかれば、その時からでも逃げればいいのだ。

 七つ神の一柱である戦神の教えにも『退却することもまた勇気』とある。しかし、引き際を知らない素人達は、目の前で仲間が殺されて逆上していた。

 せめて恐怖に怯えるのならレイモンとニータも手加減出来ただろう。だが、複数人で血気盛んに襲って来る者達に手心を加えるつもりなど微塵もない。結果、二人が十数人を虐殺するという地獄絵図になろうとしていた。

 数が減り始めれば早いもので、いつの間にか野盗は残り五人。息の上がった野盗達にもう逃げ出す体力はない。

 半ば予想はしていたが、ニータは皆殺しという無惨な結末を迎えるだろう野盗達に同情を禁じ得なかった。

 我々に襲って来るなんて馬鹿なことをしたものだ。そんな感傷を胸に、ニータはレイモンと共に残り僅かとなった野盗に詰め寄った。

 

 ふと、ニータとレイモンは重々しい風切り音に気付き、足を止めた。

 それが何の音であるか、二人は承知していた。

 刹那、黒い風が二人の前を行き過ぎる。

 あらかじめ気付いていた二人でさえ、突然に視界を過ぎる黒き飛来物に身を強張らせる。

 何事か知りもしない野盗達は、耳をつんざく金属音に我を忘れて立ち尽くした。

 

「痛っぁ。……あぅぁぁっ」

 一人の野盗が、剣を持っていたはずの自らの手に感じた衝撃に痛みを訴える。

「オーディ!」

 レイモンが大声を上げた。それは非難の意味も込められていた。

 その向けた視線の先、静かに事の成り行きを見守っている幌車の隊列の横に、次の投擲を始めた少年の姿があった。

 手にするのは黒く光を放つ手斧。それが少年の手を離れ、宙を行く凶器となって野盗に襲いかかる。

 素人の彼らが、今まさに放たれた投擲武具に反応出来るはずがない。

 先程と同じように一人の野盗が持つ剣に斧が命中し、大音響と共に弾き飛ばされる。その衝撃に抗う握力があるはずもなく、剣は斧と共に地に落ちた。

 投げ斧により、力ずくで剣を弾かれた二人の野盗に、再び剣をとる余裕はない。

 手を痛めた野盗二人は、明らかに戦闘の続行は不可能だ。

 となれば残る野盗はあと三人。それを見てニータが声を出す。

 

「これで三対三か」

 わざと大声で放たれたその言葉に、野盗達はやっとにして気付いたのか、今更ながら怯みを見せた。

 斧の投擲という横やりを受け、動きを止めていた野盗達の生き残りは顔を見合わせる。

 血が上っていた頭が一瞬にして冷めたのだろう、おずおずと後退を始めた。

 

 ニータとレイモンも、わざわざそれを追おうとは思わなかった。

 野盗達の姿が視界から消えるのを待って二人は剣で空を十字に切る。それには血振りの意味あるが、冥神ヘアレントが教える死者への手向けの祈りだった。

 一時、目を瞑り、今し方自身が殺めた野盗達の為にささやかな黙祷を捧げる。そうしてやっと二人は剣を納めた。

 

「オーディ、後ろは何人だった?」

 斧を投げて寄こした少年はこの隊列の殿として後方警護に当たっていた。

「七人」

 オーディと呼ばれた少年は短く答えた。

 見れば、まだ幼さを残す顔立ちであるのに表情に乏しく、クロエ族独特の浅黒い肌が余計に少年の表情を読みにくくしていた。オーディの答えにレイモンが口笛を吹く。

「七対一で全員を生かして追い払ったのかよ」

 レイモンは呆れ混じり声を上げる。少年は何も言わず首肯した。

 いくら素人同然の野盗が相手とはいえ、どうやってそんな苦行をやってのけたのか、とはレイモンも聞かなかった。

 どうせ、今投げて寄こした二本の斧を得物とし、相手の粗悪な剣を全て叩き折ったのだろう。

 それが『砂漠の雁』の古株であるレイモン達に『戦技だけは一人前』と言わしめる少年、オーディの戦い方だった。

「オーディ。前から言っているが、そんなことをしていると、いつか死ぬぞ」

 ニータはいつも通りの忠告をする。

 相手を殺さないように戦う。それは言うほど生易しいものではない。傭兵上がりのニータ達はそのことをよく知っていた。

「わかってる……。俺だって、ただの一人も殺さないなんてこと言わないよ。守るべき者に危険が及べば何十人だって殺してやるさ。でも、必要のない限り誰も殺さない」

 たとえそれが襲ってきた相手でも。

 それこそが戦いに身を置く、十四という若き少年が決めた生きる道だった。

 

 

 

 

 

 

 

(「遙けき塔と白い君」第1章その2につづく)


 
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