No.226695

Alternative 1-3

できるだけ王道のファンタジーっぽくしていきたいな、とか思ってます。

2011-07-07 00:41:22 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:384   閲覧ユーザー数:378

 宿での部屋の取り方はいつも決まっている。二部屋取って、俺とクローム、セシウとプラナに分かれる。ほとんどこの一択だ。まれに二部屋取れない時は、俺とクロームだけ別の宿を探すしな。

 だというのにどうしてか今、セシウは俺と共に男部屋にいた。

 女部屋ではプラナがクロームに治癒魔術を施したりなんだりとしてるだろうし、邪魔をするのも憚られたんだろう。案外空気は読めるセシウである。こいつは野性的な部分が強いせいか、空気や雰囲気など見えないものに対して敏感だ。

 俺の使う予定のベッドの真ん中に、スニーカーを脱いでぺたりと座り込みぼーっとし続けている。天井を見上げて一体何を考えているのやら。

 簡素な机に向かい、椅子にだらしなく寄りかかった俺は相手にするのも面倒で、以前立ち寄った貿易街で買い溜めた文庫本を適当に読み漁っていた。視界の端、傷が多くデコボコとした机の上には花の冠が二つ置かれている。

 見慣れない作家の本などもあったので、調子に乗って衝動的にばかばか買ってしまったのだ。旅をしているお陰でそういうなかなかお目にかかれない本などと出会う機会があるので、よさそうなものを見つけるとつい買ってしまう。

 この前の貿易街は特に品揃えがよかったために随分と買い溜めてしまった。今は荷物が嵩張って面倒臭いことこの上ないので後悔している。

 そういうこともあって最近は、暇さえ見つければこうやって読書に勤しみ、本を消費しようとしているわけだ。

 基本的に一度読んだ本の内容はほぼ完全に記憶することができるため、読み終わったら捨てるようにしている。そうでもしないと荷物が増える一方なのである。

 言葉もない部屋は静かで、俺がページを捲る時に紙が擦れ合う音と、セシウが僅かに身動きしベッドが軋む音だけが妙に耳についた。その音がお互いの存在を嫌でも主張する。

 特に話すこともないしな、こいつとは。

 昔の話をするほど懐古主義者でもないしよ。こいつとそんな話をしたところで、特段面白いことになる気もしない。

 お互い改めて話すようなことはないはずだし。

 そう考えると長く深い付き合いをしてきたよな、こいつとは。

 今もこうして旅を一緒にして、なんだかんだセシウはいつも俺の側にいた気がする。

 考えてみれば不思議なことである。

 そんなことを考えてしまったからだろうか? 俺はなんとなくセシウの方へと目を向けてしまう。

 ――どういうわけかセシウと目が合った。

「げっ」

 短く声を上げて、セシウは首がねじ切れるんじゃないかという勢いで俺から顔を逸らす。……な、なんだ?

 ていうか今目が合ったってことはこいつ俺の方見てたな。

「何見てたんだよ?」

 俺の問いにセシウは、心なしか赤く染まっているようにも見える頬をぽりぽりと掻く。視線は彷徨い、俺をちらっと見てはすぐに逸らされる。

「別に? なんかインテリぶっててダサいなぁと思って?」

 ぐっ……口の減らない奴だ……。

「あー、そりゃあ悪うござんしたねぇ。まあ、何? 俺、どっかの野蛮人と違って字の読み書きできるから? ゴリムスからしたらさぞ知的に見えるかもしれませんねぇ?」

「私だって文字の読み書きくらいできるっつぅの? つぅかゴリムスやめろつってんだろぅ。そろそろ本気で本体叩き割るぞ」

「だから眼鏡は本体じゃねぇっつぅの」

「眼鏡がないとガンマと分からない。つまり眼鏡が本体」

 俺の個性眼鏡だけか!

 俺ってそんなに個性ないの? 眼鏡くらいしか取り柄がないの? 常日頃、自分の非力さは痛感してるけど、さ。

 本当になんで俺、こいつらと一緒にいるんだろ……。

 部屋の空気がいい感じに重苦しくなってきたところで、ふと部屋の扉がノックされた。

「ん?」

「はぁい」

 視線を向ける俺と違って、行動力のあるセシウはベッドから素早く飛び降りると、靴下のまま扉の方へと駆け寄っていく。

 セシウが扉を開けると、そこには見慣れたクロームとプラナの顔があった。長身のクロームと小柄なプラナ、並ぶとすごく身長差がある。

「ん、治療終わったのか?」

「ああ、お陰様でな」

 いつも通りに仏頂面で言われると感謝されてるのか、嫌味言われてるのか判然とはしないけど、おそらく今回は後者だと予測される。

 三ヶ月も一緒に旅してれば、そういうのも分かってくるというものだ。

 付き合い自体は旅を始める以前からいくらかあったものの、いろいろと把握してきたのはここ最近だな。

 クロームの後ろから、プラナの小さな頭がひょっこりと顔を出し俺とセシウを交互に見る。

「お待たせして申し訳ありません。治療は無事終わりました」

 さすがはプラナと言ったところだな。あれくらいの傷はあっさり治せたんだろう。

 こういう時治癒士がいるっていうのは頼りになる。

「そんで二人揃って仲良くどうしたよ? 勇者さん? 世界を救うための話し合いでもするのか?」

 もしそうだとしたら、俺が先程あの看板娘に言ったことが嘘になってしまうではないか。俺の人としての信頼だけが下がってしまう。これは由々しき事態である。

「お前達二人には負けるよ」

 また皮肉を言って、クロームは扉のすぐ隣の壁に寄りかかって腕を組む。腰に佩いたままの剣がかちゃりと音を立てた。

 こいつはいつも得物を身につけておくんだよな。俺もだけど。お互い常に臨戦態勢を整えておかないと気が済まないもんな。

 そうでもないと生き残れない俺達って案外気が気ではない状況である。もう慣れてしまったわけだけど。

 プラナは俺達三人の顔を交互に見て、やがてクロームのベッドへととことこと向かい、その上にゆっくり腰を下ろした。セシウは飛び乗るようにぼっすんと座っていたというのに、この差は一体なんだろうな。

 人種の違いだな、うん。

「で? こんな狭い部屋に四人も集まって、どうしたのよ?」

 椅子の上で体を半回転させ、俺は腰掛けの上に顎を載せてクロームに訊ねる。

 腕を組み、黙って壁掛けの置物と化していたクロームは静かに閉じていた目を開け、ゆっくりと息を吐き出した。

「なんてことはない。世界を救うための話し合いだ」

「は?」

「え?」

 俺とセシウは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。それは冗談か? 当てつけか? 本気か?

 こういう時、こいつの表情の変わらないということが面倒になる。

「俺とガンマが魔物を討伐しに行ってる間に、セシウとプラナには買い出しを頼んでいたのは覚えてるな? そこでどうも、プラナがあまり好ましくないものを見つけてしまったようでな」

 好ましくないもの? また妙な言い回しをするな、こいつは。

 少しばかり眉を上げ、俺はプラナへと視線を向ける。

「妙な物? 私は気付かなかったけど……」

 一緒に買い物に行ったはずのセシウは全くそんなものには気付いていなかったようだ。

「ゴリムスに気付けるわけねぇよ。だってオメェ、自分の名前書いたバナナの房、一本食われても気付かなかったし」

「ぬあー!? あれ喰ったのお前かぁ!」

 ふと、ベッドから身を乗り出してきたセシウは握り拳を俺に振り上げてみせる。

 一応気付いてはいたんだな。

「今はどうでもいいだろ。んなこと。で、妙な物ってのは一体?」

「どうでもよくなーい!」

 セシウの異論は無視しておく。いちいち取り合っていては切りがないし、何より面倒くさい。

 俺も村に到着した直後に、一通り調査したはずなんだけどな。フィールドワークは俺の役目だというのに気付けなかったというのは、ちょっと悔しいものがある。

「セシウとガンマが気付けなかったのは無理もありません」

 答えたのはクロームではなくプラナであった。ローブに包まれた膝の上に、ほっそりとした両手をちょこんと置き、俺を真っ直ぐに見つめる。血のように紅い瞳は深く、見つめられているとなんだか吸い込まれてしまいそうな気がする。

「あれは巧妙に魔術的な細工がされていました。私でもなんとか気付くことができた、というほどです」

「プラナでもなんとかってなんだそりゃ? 王族の守護結界じゃあるまいし」

 プラナは、魔術学校の頂点とも言われるヘカテー魔術学院を首席で卒業した才女。かなりのエリートだぞ?

 俺達ならまだしも、王室お抱えの魔術師相当の実力者であるプラナでさえやっとっていうのはさすがにおかしい。

「しかし事実、我々はその存在の気配を察することさえできなかった」

 静かに話に耳を傾けていたクロームがふと口を開く。すっかり置物と化していたので内心驚いたのは内緒である。

「俺達でもそれなり以上に五感で魔術を感じることはできる。そんな俺達が気配さえ分からないという時点でそもそもおかしいことだ」

「まあ、確かにそうだわな」

 プラナほど敏感に、というわけではなくても、俺達だって感づく程度なら今までできた。俺達でも気付けないっていうのはよほどのことだろう。

 そんなものがこんな辺境の村にある時点でおかしい。どう考えても場違いだ。

「で? その中身ってなんなの? 危ないものなの?」

 と、そこで呑気なセシウの声が入ってくる。ここまで来て、危なくないなんてことはまずないだろう。

 危険だと判断したから、クロームも俺達に話したんだろう。その魔術による細工で隠されていたものが他愛もない魔導具――例えば加湿器とか空気清浄機――だったら、クロームは俺達に話す必要性さえ感じないだろう。

 しかしプラナの顔は呆れることもなく真剣だ。

「隠蔽されていたのは魔導陣でした。それもかなり高度な技術によってプログラミングされたものです。学院の学長にも見せて差し上げたいところですよ」

「そんなにすごいのかよ?」

 ヘカテー魔術学院の学長っていったら、王室御用達の魔術師だ。そんな人物でも驚くほどのプログラミングが施された魔導陣なんて、どう考えてもやばいだろう。

「いえ、すごいというよりまずいです。確かにやろうとしていることはすごいですが、それよりもまずおぞましい。あれは魔界と直結する穴を開けるためのものなんです。起動すれば、この村なんて一溜まりもないでしょう。しかもそれが村の至る所に隠されているんですよ? 誰一人助かることはできないでしょう」

 あまりにも常軌を逸した情報に、俺もセシウも言葉を失う。前もってプラナから話を聞いていたであろうクロームの顔も険しいものだ。

 確かにおぞましいもんだな。魔界に直結なんかしたらこんな小さな村、魔物で埋め尽くされることだろう。

 それだけは避けたいところだ。

「魔界に直結って……そんなことできるの?」

 沈黙を破ったのはセシウのバカっぽい疑問であった。

 まあ、その疑問は分からなくもない。そんな話は今まで聞いたことがないからな。簡単にできることではないのは確かなはずだ。

「理論上は可能です。要は召喚魔術の際に魔物一匹を召喚するために使う小さな通り道を広げてしまえばいいだけのことです。言うだけなら簡単ですけど、それだけのプログラミングをするとなると、かなり時間がかかりますし、失敗は許されませんね」

 元々召喚魔術自体が高度な魔術だからな。世界に魔術師は数多いるが、召喚魔術を使える魔術師自体一握りだと聞く。その高度な魔術をさらにより高度にした発展系――きっと俺なんかじゃ譜面を見せられても理解できないプログラミングになってるんだろうな。

「ガンマ、お前はどう思う?」

 クロームがふと俺に意見を求めてくる。最終的な方針を決めるのは当然リーダーであるクロームだが、こういう場合はいつも俺に意見を促してくる。数少ない俺が必要とされる場面といえるだろう。

 俺は頭をかき、思考を巡らせる。

 高度な隠蔽結界によって隠された高度な召喚魔術による、高度な魔界直結。どう考えてもその辺の魔術師がやるようなことじゃない。

 悠長に構えてられる状況ではないだろう。できるだけ早く片付けておきたいところだ。よく分からないものが側にあるってのはそれだけで胸くそが悪い。反面、よく分からないものだからこそ、慎重に行動すべきでもある。

 下手を打つことが許される状況でもないのだ。村そのものが危険かもしれないわけだし、慎重に動くことを第一に考えるべきだろう。

「現段階じゃ情報が少なすぎる。明日辺り、もう少し調べてからでも、結論を出すのは遅くないんじゃないか? あまり不用意な行動はしたくない」

 俺は自分の考えの後者を選び、慎重に動くことを提案する。

 腕を組んだままのクロームは俺に視線を向けたまま、静かに目を細めた。

「あまり、悠長に構えていられる状況でもないのだがな。村人の命がかかっているのかもしれないのだから」

 クロームは俺が選ばなかった方の意見を知ってか知らずか口にする。よくあることだ。

 こいつとは思考パターンが似ているのかもしれない。最終的な決定を下す価値観が違うだけで。

 だからこそ、俺は意見を求められた場合、常に自分が優先すべきだと思った意見を選ぶことにしている。俺が選ばなかった意見をクロームは常に持っているのだから。俺はその考えが行きすぎないように歯止め役に徹するべきだろう。

「そうは言っても今からできることなんてないんじゃねぇか? 明日の朝、四人で実際にその魔導陣を調べてみるしかないだろ、どうするにしたって。調べてからでも遅くはないはずだ」

「ふむ……それもそうだな」

「この時間帯に出歩くのは却って目立ってしまいますね。特に私達は勇者の一行として注目されています。村人に不安を与えないためにも明日、目立たないように行動する方が賢明と言えるでしょう。村人達は我々の一挙手一投足にも注目しているはずです。できれば気付かれないように事を進めたいです」

 俺の意見にさらにプラナが賛同してくれる。これは心強い。俺だけじゃ通らない意見もプラナからの賛同があれば、クロームに届くだろう。

 クロームはプラナに対して甘いからな。

 しかし、確かにプラナの言うとおりだ。自分の家の真下に不発弾があれば、例えそれがどんなに害がないものだとしても不安になってしまう。しかもただの不発弾であったのならまだマシだというのに、この村にあるのはどう考えても危険な魔導陣だ。魔術への親しみが薄い辺鄙な土地の住人にとって、魔術っていうのはそれだけで恐ろしいものだ。正体不明っていうのは人間が最も恐れるものだからな。

 もし発覚すれば村人全員に伝播し、恐慌状態となることは避けられないだろう。

 混乱ってのはやりづらい。できる限り静かに、気付かれないうちに全てを終わらせたいな。

「なるほど、確かにそうだな。混乱を招くわけにはいかない。ガンマの言うように、明日になってから行動を開始するのが最善、だな。セシウ、お前はどうだ?」

 ある程度の結論に達したところで、一言も話さず会話の流れを見守っていたセシウに、クロームが発言を促す。

 セシウはこの手の話題になると、いつも黙り込む。不満や不平はないようでのんびりと俺達の会話を見守っている様子だ。こういった話し合いに関しては俺達三人に全てを委ねているらしい。

 この手のデリケートな問題は苦手だからな、セシウは。俺が戦闘では足手まといにならないように気を付けるのと同じ感覚なんだろう、と個人的には推測している。

 突然指名されたセシウは焦ったり、驚くこともなく「んー?」と少しだけ小首を傾げた。ホント……呑気な奴。

「私もガンマの意見に賛成かな。この村に来るまでずっと歩き通しだったし、今日くらいはゆっくり休みたいっていうか」

 セシウのどうにもズレた意見に俺は呆れてため息を吐き出す。真面目に考えている俺達の方がバカみたいだ。

「……お前な……今はそういう話をしてるわけじゃ」

「セシウの言う通りかと」

 悪口の一つや二つ言ってやろうとした俺の言葉を遮り、まさかのプラナがセシウの意見に賛成の意を示した。

 え? どういうこと?

 これにはさすがのクロームも予想外だったらしく、腕を組んだままながら目を丸くし、プラナの方を凝視していた。これだけでも相当驚いている方だ。

「前の村からここに来るまで徒歩で三日。険しい山道を歩き通しだった上に、お世辞にも寝心地がいいとは言えない場所での野宿ばかり。正直、私も大分疲れが溜まっています。クローム達だって本音を言えば疲れているでしょう?」

 ……まあ、そりゃあ、な。

 ゴリムスであるセシウさえ疲れたというほどである。インドア派の俺が疲れていないわけがない。一応他のメンバーの手前、疲労を口には出さないでいたが、実際動くのもほんの少し億劫な状態だ。

 セシウが疲れているのならクロームだって疲れているし、俺が疲れているということは俺より体力のないプラナはもっと疲れている、ということになる。

 万全のコンディションとは、とてもじゃないが言えない。この状態で、村人の命がかかった問題に臨むというのは確かに愚かな選択かもな。

 クロームも押し黙り、反論する気配がない。つまり言うとおりなんだろう。

「今日はもう休みたいところだよねぇ。さすがプラナ、分かってるぅ」

 賛同されたことが嬉しいのか、セシウはベッドの上で四つん這いになって、出来うる限り隣のベッドに近寄って、腕白坊主みたいな屈託のない笑顔をプラナに向ける。

 一応賛同する形になったとはいえ、セシウとプラナの意見は根本的に違う気がするのはきっと気のせいじゃない。セシウのは本能的なものであり、プラナのは理性的なものである。前者を野蛮人、後者を美少女と呼ぶ。

 大体合ってる。

「それに……あの……」

 と、プラナは頬を赤らめて少しばかり躊躇うように体をもじもじとさせる。膝に載せられた手を落ち着くなく動かして、どうにも恥ずかしげだ。

 ……俺への愛の告白だったらいいのに。

「私達……正直……かなり臭っている、と思います……」

 …………。

 誰も何も言わなかった。

 言うことができなかった。

 そんなことない、と言えるだけの無謀さもなかったし、そうだよね、と現実を認める勇気さえなかった。

 なんせそのままの状態で一体どれだけの村人と接触したと思っているんだ。そんなことを思い返すと、いろいろ後悔が込み上げてくる。

 臭う勇者とか……あかんだろ。

「なあ、プラナ?」

「はい?」

「くんかくんかして――」

「黙れ変態」

 唸るような声でクロームに阻まれた。どう考えても悪いのは俺なので、それ以上は何も言わないことにする。

 俺の使う予定のベッドの上から、セシウが冷ややかな目を向けてきている。声には出さず、口の動きだけで俺に「キモッ」とまで言ってくる始末だ。青筋が立っているようにも思えるので、おそらく至近距離にいたら頭蓋骨を破砕されていただろう。

 セクハラ発言も命懸けである。

 被害者であるはずのプラナが全く俺の発言の意味を理解していないのが救いである。唇に指を当てて、首を傾がせており、頭の中は疑問符で埋まっているのだろう。

 天井を見上げる円らな紅い瞳が実に可愛いのである。

 俺のせいで締まりのなくなった空気を、クロームは咳払い一つで振り払った。三人ともクロームに注目し、次の言葉を待つ。

「何にせよ、今日は休もう。シャワーを浴びて、ゆっくり休もう。シャワーを浴びて、だ」

 至って真面目な声で、クロームは今後の方針を決定する。誰一人文句は言わなかった。何故ならそれが俺達の総意だったから。

 俺達四人はお互いがお互いを見合い、深く頷き合う。これは俺達勇者一行に課せられた最優先の任務だ。勇者一行の威信に関わるとても重大なものである。失敗は許されない。

 ――今日は頭も体も二回洗うことにしよう。

 春の陽射しが眩しい。

 微睡みの中、薄く開けた目に殺到する白日に俺は目眩を覚えた。眼球が膨張するような痛み。目を固く閉ざし、俺は低い呻き声を上げる。

 カーテン開けたの誰だよ……。

 長時間の睡眠で喉は渇き、声がまともに出ない。

 頭にはまだ眠気が溜まり、いくらでも寝ることができそうだ。

 ずっと歩き通しでまともにベッドで休むこともできてなかったしな。

 小鳥の穏やかな囀りが聞こえる。人々の賑わいはなんだか遠い。

 静かで平穏な朝――もう少しくらい寝たって誰も咎めやしないだろう……。

 寝ようかな。ああ、そうだな。そうしようかな。

 ……あれ? なんか忘れてない?

 がばっと掛布を引っ剥がして勢いよく起き上がる。サイドチェストに置いておいた眼鏡をかけ、時計へと目をやる。いや、別に近眼というわけではなく、単なる伊達眼鏡なのだけれど習慣として付けてしまうのだ。

 現在時刻は十時二十三分。

 ……クロームは?

 隣のベッドへと目をやるが、そこにはすでに誰もいなかった。ベッドは綺麗に整えられ、その上に畳まれた寝間着が置かれている。

 剣がどこにも見当たらないので、おそらくすでにどこかへ出かけているのだろう。

 ……完全に寝坊だな、こりゃ。

 頭をぼりぼりと掻きながら視線を巡らせると、サイドチェストの上に紙片が一枚置かれていた。風で飛ばないようにと俺のライターで押さえられている。

 手に取り、広げてみると、見慣れた字で何かが書かれている。筋肉バカらしからぬ丁寧な字、しかし筆圧は強めの刻み込むような濃さ。セシウの字だった。

「えーと……『先に酒場に行くよ。起きたら来いよ、クソ眼鏡』だぁ……?」

 紙をくしゃくしゃに丸めて握りしめ、俺は屑籠へと力一杯に投げつける。丸めたら紙は見事な軌跡を描いて、屑籠の大きく広げられた口の中へと飲み込まれた。

 あんのアマァ……朝っぱらからふざけたこと書きやがって……。

 上等じゃねぇか。直々に文句言ってやる。

 とりあえず顔洗って着替えるか。

 今のですっかり眠気が覚めた。寝覚めが最悪すぎる朝だ。日和はこんなにも最高だというのに、全部あいつが悪い……。

 今日は幼馴染みだからだとか、女だからだとか、年下だからだとか、そんな甘ったるい理由であいつに手加減はしてやんねぇ。

 そんな力強い決意の元、力強い足取りで俺は洗面所へと向かうのであった。

 

 

 

 ジーンズに真っ白な開襟シャツというラフかつお洒落かつ爽やかな服装に着替え、歯もしっかり磨き、髪をセットし終えた俺は部屋の姿見で自分の格好を確認する。

 ふむ、俺マジ完璧。相変わらずイケメンすぎてやばいぜ。これは今日も多くの女性を悩ましてしまうこと間違いなしだな。

 あー、自分の容姿の端麗さが恐ろしー。

 もし俺の挙動や心情を知ることができる人がいるとしたら、一応言っておこう。

 ツッコミは不要である。

 自分が一番分かっている。

 一人っきりの今くらいそんなことを思わせてくれたっていいだろう。いつも散々な扱いを受けて入れるのだ。少しくらい自惚れる余裕をくれたっていいじゃない。

 さて、準備も終えたし行くとするか。

 腰にヒップホルスターを取り付け、昨晩寝る前に手入れをした拳銃を突っ込み、胸ポケットに煙草を入れた俺は、のんびりとした足取りで部屋を出た。

 同時に隣の部屋から看板娘が出てくる。昨日みたいな寝癖はなく、亜麻色の長い髪はしっかりと整えられており、その上に三角巾を被っていた。相変わらずエプロンが似合っている。

「あら?」

「お?」

 目が合い、二人で短い声を漏らす。

「おはようございます、ガンマさ……ん」

 今、様って言いかけたな、こいつ。

「おう、おはよう」

「お疲れだったご様子ですね。クローム様達はすでに出かけていますよ」

「ああ、らしいな。俺も今からそっちに行くところ。いや、低血圧気味なせいか朝が弱くてな。今日も寝坊しちまったよ」

 寝坊したことを指摘された気分になり、俺は誤魔化すようにそんな言い訳をする。まあ、実際そうだけど。メンバー内で俺はダントツの不健康生活を送っているからな。一番健康そうじゃないプラナは生活自体は健康的だけど、病弱で貧弱なのである。

「うふふ、そんな感じはしますね。一応お三方とも待っていてはくださったんですよ?」

「そうなの? すぐに行っちまったんじゃないのか?」

 それはさすがにありえんだろう。そんな慰めはいらないぞ。なんせ三ヶ月もああいう扱いをされていれば慣れるというものである。慣れてなかったら、そろそろ俺自傷癖に目覚めてる。

「そんなことないですよ。ガンマさんだってクローム様の仲間じゃありませんか。特にセシウさんはずっと気にかけておりましたよ」

 ふふふとたおやかに看板娘は笑う。

 嘘をついてるわけじゃ……なさそうだな。

 あのゴリムスが、そんな……ねぇ?

 想像できないわな。どうせ俺にとってプラスになる理由ではなさそうだけど。

「んー?」

「ガンマさんとセシウさんって仲がとてもよろしいですよね。お付き合いは長いんですか?」

「仲はよくねぇよ、いつも喧嘩ばっかだし。まあ、付き合いは長いか……。俺が子供の時からずっと一緒にいるしなぁ」

 腐れ縁っていうのかね。なんだかんだずっと一緒にいるって感じだ。俺達の育った村にいたころはいつも一緒に行動してたかもしれない。

 あの頃からセシウは野生児で山に入って遊び回っていた。それに付き合わされる俺は毎日疲れ切って、夜もぐっすり眠っていた気がする。

「本当に長いお付き合いなんですね。最初は恋人同士なのかと思ってしまいましたよ? あまりにも仲がよろしいので」

「だからよくねぇっての。つぅかあいつと付き合うとかねぇわ。まず向こうが嫌がりそうだしよ。俺もその気はない」

 もう兄妹みたいなもんだ。俺もあいつも恋愛感情なんてもんは持てないだろう。

 しかし看板娘は不思議そうに首を傾げる。

「そうですかね? お似合いだと思うのですけれど……」

「喧嘩ばっかだよ、ずーぅっと」

 それに仮にもしあいつと付き合うことになっても、あいつに振り回され続けたら俺が疲れちまう。体が持たねぇわ。

 この手の話題は苦手だ。あいつは幼馴染みの妹みたいなものとして俺の中で完結してる存在であって、恋人とかそういうものに変化するってのはどうにも想像できない。

 あまり話してもしょうがないことなので話題を変えるか。

「つぅかお前、クロームにはまだ様付けなのかよ?」

「うっ……す、すみません……。やっぱりご本人を目の前にするとどうにも呼びづらくて……」

 がっくりと項垂れる看板娘。まあ、頑張ったんだろうな。

 真面目な子だ。何度も試みて、それでも恐れ多くて様付けにしてしまう姿が容易に想像できる。

「努力は認めよう。もし今度クロームと話す機会があったら、俺もサポートしてやるよ」

「そ、そうですか? それはとても嬉しいです!」

 にっこりと笑って俺にわざわざ頭を下げる看板娘。本当に素直な子だ。こういう真っ直ぐなところはやっぱり好感持てるな。

 勇者の仲間じゃなかったら本気で言い寄っていたかもしれない。この村自体、気さくで自然体な人達ばかりで俺は気に入っている。本気でこの村に定住してもいいと思ってるくらいだ。

 こういうのどかな場所は憧れる。普段、戦ってばかりの明日も分からぬ日々を送っていると特に。

 目の前で当然のように繰り広げられる平穏は、何よりも眩しく綺麗に見える。

「そういえば! ク、クローム様が、私にお疲れ様って仰って下さったんです! あのクローム様が! 私みたいな小娘一人にそんな勿体ないお言葉をかけてくださったんですよ!」

 少女は思い出したようにそんなことを嬉々とした顔で語る。大きな目は純粋に輝き、本当に愛らしい。

「あー、まあ、クロームだしな。それくらい別に」

 あいつは人にお礼を言うことは忘れないからな。言葉数は少ないくせによ。狷介孤高なように見えて、意外と人と関わりを持つのは嫌いじゃないのだ、あいつは。

「それくらい、じゃないですよ! クローム様がお礼を言って下さったのですよ! こんなに光栄なことはありません! あの時のクローム様はすごく優しい表情をされていて……とても、素敵でした……」

 夢見心地に頬を赤らめ、想いを馳せるように目を閉じる看板娘……。

 くっそ! アンニャロ!

 また俺が好意を抱いた女の心を奪いやがった! しかも無自覚に!

 次から次に罪もなき女性の心を惑わせるようなことをしやがって!

 これだから意識しないイケメンは厄介なんだ! 作為がない分逆に好感を持たれやがる!

 いつも仏頂面で冷たくしてればいいものを、そうやって不意打ちに優しさを振り撒きやがって!

 いっそあいつが女ったらしだったら俺も諦めがつくってぇのに!

 旅をしていてよくあることである。行く先々で俺が好意を抱いた女性の心はクロームに奪われている。

 この状況は本当にどうすることもできない。なんせ相手はクロームだ。女性と関係を持とうとするどころか全く手を出そうとしない。女性はそんな真摯な態度に余計好意を抱くし、勇者だから言い寄ることもしづらい。結果、その恋心はずっと維持され続ける。少なくとも俺達が滞在する間は。

 お陰で俺には付け入る隙がないのである。

 ……最近の俺の欲求不満っぷりは半端ない。下半身が運動不足なのである。

「私、クローム様にとっても失礼な勘違いをしていました。クローム様は本当に優しく、真っ直ぐで、素晴らしい人でした……。それに気付くことができたのもガンマさんのお陰です。本当に、ありがとうございます」

「あ、ははは……そ、そいつぁよかったねぇ……」

 引き攣った笑みも看板娘は気付いていない。頭の中はクロームでいっぱいなんだろう。

 どいつもこいつもそんなにクロームがいいのかよ、くそっ。

 お、俺も結構優良物件なんだぜ? などとクロームと競う無謀さは俺になかった。

 さすがに相手が悪すぎた。

 

 

 

 セシウのメモ書きにあった酒場というのは、宿屋のすぐ近くにある。到着してすぐに村を調査して、頭に地図は叩き込んであった。いつもの癖である。

 こういうのは調べておかないと落ち着かないんだよな。

 この村は建物が密集してることもないので、容易に酒場まで辿り着くことはできた。ここの酒場は日中は飲食店として営業されていたはずだな。

 店内からは人々の喧噪が聞こえてくる。朝っぱらからどいつもこいつも元気だな。

 つってももう十一時か。朝っぱらって言うほどでもない。もう三人とも食い終わってんだろうな。まあ、俺は昼食として摂っちまえばいいか。

 ため息を吐き出しつつ、俺は酒場のウエスタンドアを開けた。

「あ、ネボスケ眼鏡が来た」

 店員が俺に気付きいらっしゃいませと言うより先に、カウンター席に座ったセシウが失礼極まりないことを言ってくる。言い返せないわけだけど。

 手酷い歓迎に気分を害するが、帰るわけにもいかないので渋々、カウンター席に座る三人の方へと向かう。

 店内はやはり客で賑わっており、広いとはいえない店内の中に敷き詰められたおっさんどもがテーブルを囲み、わいわいと騒ぎ合っている。あの両手にジョッキが握られていないことが奇跡だと思う。

 真っ昼間から飲み始めてなんら不思議じゃないテンションだ。

 ほとんどの奴はテーブル席につき、席が埋まり座れなかった者はテーブルを囲んでいる。今日はパーティーかなんかだろうか?

 クローム達だけがカウンター席に座っており、なんだか疎外感さえ感じる。

「お前の朝は随分と遅いんだな」

 慈悲深い俺はそんな寂しい勇者一行の話し相手になってやろうと来てやったのに、クロームの声は随分と冷たいもんだった。

 今日のクロームはいつもぴんと伸ばしている背筋も背凭れに預けられ、腕を組んでふんぞり返るように座っている。しかも右足は貧乏揺すりまでしていた。

 いつものクロームらしからぬ態度だ。

「いいだろ、別に。たまにはのんびり休んでもよ」

 言いながら俺は一番脇に座るセシウの隣に腰を下ろす。奥からプラナ、クローム、セシウ、俺という座り順である。

「日頃弛んだ態度の奴は緊急時でも弛む。結果、俺達まで迷惑を被ることになる。常日頃から雑念は排するべきだ」

「んな堅っ苦しいことしてられっかっつぅの。将来禿げんぞ? あ、おっちゃん、ここ煙草は? 吸える? ああ、あんがと」

 カウンター席の向こうにいるマスターと思しきおっちゃんから許可を取り、ついでに灰皿まで出してもらう。

 宿屋が終日禁煙なのでニコチンが大分不足している。ここにいる間に摂取しておこう。

 セシウの向こう側にいるクロームは眉間に皺を寄せ、見るからに不機嫌そうだ。

「貴様のその軽薄な振る舞いが普段俺達にどれだけの迷惑を与えているのか考えたらどうだ?」

「迷惑も何も、よ。俺はいつだってこんなもんなつもりだけど? つぅか、別に急ぎの用事があるわけでもあるめぇし」

 言いながら煙草を咥え、火を点ける。昨日の夕方以来の煙草は最高に美味い。やっぱりこれがないと気合いが入らないな。

「全く……貴様のような軽薄な男が仲間というのが俺の人生の汚点だな」

「そりゃどうも。勇者様の汚点だなんて光栄ですね」

 これはそうそうなれるもんじゃねぇからな。有り難く頂戴しておこう。

 勇者様は眉間の皺をさらに深くし、ため息を吐き出す。傍らのプラナはおろおろと落ち着かない様子で俺とクロームのやり取りを見ている。その顔は今にも泣き出しそうだ。

 争い事が苦手だからな、プラナは。

「でさー! 三人とも何食べる? ていうかどのピザがいい? 何枚?」

 俺とクロームの間に座っていたセシウは身を乗り出しながら、カウンターにメニューを広げ、俺達の顔を順々に見る。

 この殺伐とした俺とクロームの間に挟まれて、平然と割り込むことができるこいつの神経が理解できない。

「あれ? お前らまだ食ってねぇの?」

「それはセシウがだな――」

「――いやぁ、ピザ食べたかったんだけど、そしたらここ大きいサイズしかなくて、そしたら四人で一緒に食べた方がお得じゃん?」

 何かを言おうとしたクロームを退けて、セシウは俺へと顔を近づけてくる。

 うわ、今こいつクロームの足蹴ったよ……。間近にあるセシウの顔の脇から、椅子に座ったまま足を抱えて呻き声を漏らすクロームの姿が垣間見える。

 要するにセシウだけが食いたかったってわけだな。で、それに付き合わされたクロームとプラナも朝食を我慢しなければならなかったということか。そりゃ来るのが遅い俺に苛立ちを覚えるのも無理はない。

「……で、おめぇは何食いてぇの?」

 頬杖をかいて、セシウに訊ねる。正直、俺は寝起きなのであまりピザなどという重量感ある円盤を食う気にはなれないわけだが、ここまで待たせたのは俺だし文句は言えない。

 それにこんだけ時間があったなら、十分頼みたいものは決まっているはずであろう。

「んー、これとー、これとー、これとー……それからこれとこれとこれ!」

「バッカじゃねぇの!?」

 総数六枚であった。

「こんだけ時間あって、なんで六枚も候補があるんだよ! もっと絞れよ!」

「いやぁ……待ってる間、メニュー見てたらさ、どれも美味しそうに見えてきちゃってさぁ。あはは」

「あははじゃねぇよ! 四人でそんなに食えるわけねぇだろ!?」

 いくら朝食分も摂るとはいえ、あまりにも多すぎる。二枚あったら十分だろう。どう考えても。

「いいんじゃないか?」

 足の痛みが引いたらしいクロームが、いつものように腕を組んで、俺達に会話に入ってくる。

 ……こいつは今なんて言った?

「俺とセシウならそれくらいどうってことはない」

「お前らはいいけど、俺とプラナが食えねぇんだよ!」

 確かに前衛二名は異常なくらいによく食べる。胃が異次元に繋がっているのでは、と思うくらいに食べる。三人前とか平然と平らげるからな、この二人。

 それとは対照的に俺とプラナは全く食べない。俺は普通に一人前くらいは食えるんだけど、プラナに至っては一般の三分の一くらいしか食べない。なんとも燃費がいいように思えるのだが、そのうち倒れそうで結構心配だ。

「別に、お前らが残した分は俺達が食べればいい。それくらいどうってことはない。なあ、セシウ?」

「もち! むしろ一人で六枚食べれないこともない気がする! 今の私ならできる!」

 ぐっと親指を突き立て、にかっと笑って断言するセシウ。正直若干否定しきれない。こいつならそれくらいぺろっていけちゃいそうなんだよな。

 流石ゴリラ。

 なんでこいつら太らないんだろう? 結構マジで。

「で? 頼んでいい?」

 瞳を輝かせて俺に詰め寄ってくるセシウ。こういう時、こいつの顔は本当に無邪気な子供みたいになる。体ばっかりでかくなって、本質は幼少の頃から何一つ変わりやしない。

 頬杖をかいたまま煙草の灰を落として、俺はため息を吐き出す。

「プラナ。お前はどうだ? いけそうか?」

「ま、まあ……ほとんど二人が食べて下さるでしょうし、私は特に……」

 そりゃこの流れに逆らえるプラナではないしな。おどおどと答えるプラナに苦笑を漏らし、俺は煙草を揉み消す。

「そうだな。なら問題ねぇよ。好きにしろ」

 ぶっきらぼうながらに俺も賛成を示す。ここまでセシウが食う気が満々なのに、それを否定するってのは俺も心が痛む。

 まあ、食べたくないわけじゃないしな。

「よっしゃ!」

 小さくガッツポーズをしたセシウはまるで敵地に乗り込むように息巻き、すぐさまカウンターのおっちゃんへと身を乗り出して注文をしていく。そんなに食いたかったか、こいつは。

 ホント……欲望に正直な奴。呆れも通り越して尊敬さえ覚えるわ……。

「ガンマ兄さんはセシウに甘いな」

 セシウの後ろから俺の方へと顔を近づけて、クロームが嫌味を言ってくる。俺が一番苦手な嫌味だ。

「うっせ。逆らったら俺の肋骨が三本くらい脱着可能になっちまうんだよ」

「いいじゃないか。能無しのお前に芸が付くぞ」

 そんな芸はいらない。地味すぎて宴会でも盛り上がりやしねぇよ。

 我らが勇者一行の前に所狭しと敷き詰められた朝食兼昼食であるピザはあっという間にその存在を亡き者にされた。六枚のピザをクロームとセシウは、丸呑みするような勢いで次から次へと口に運び、食いきれないとか言っていた俺は、二人の休みなき食事の隙を突いて自分の分を確保することで精一杯であった。

 プラナの分はクロームが確保し、なんと二ピースも食べた。これはすごい。一般人基準だと少ないという意味ですごいわけだが、プラナ基準だといつもよりずっと多かった。一ピース食えるかどうかも不安だったのである、俺は。

 なんせパーティーサイズでやたら一ピースが大きかったからな。

 俺はほぼ一枚分くらいは食えたのではないだろうか? 正直数えてる余裕がなかった。まあ、一度に色んな味を楽しめたのはよしとしよう。

 すでに満腹な俺は食後の一服を嗜んでいるわけだけど、隣のセシウは唇を窄め、じーっと重ねられた六枚の皿を見つめていた。

「……どしたよ?」

 なんかヤな予感を覚えつつ、聞いてみる。

「いや……ちょっと足りないなぁ、って……」

 やっぱりか。

 こいつの胃袋マジありえない。臓器の二分の一が胃でできているのではなかろうか?

「勇者様ぁ? 旅費は?」

「……正直辛い」

 腕を組んで瞑想をするように目を閉じていたクロームは、その体勢のまま短く答える。

 どう考えても食い過ぎだもんな、お前らが。そりゃ財政難にも陥りますよね。

「だからちゃんと謝礼を受け取っておけって言っただろう? この前お礼にもらった装飾品あったろ? どうせ使わないんだし売り払っちまえよ」

 宝石や貴金属の塊だったろ、あれ。どうせ俺達が身に着けることなんてないんだから売っちまえばいい。いい金になるはずだ。

 クロームはまだ瞑想状態である。

「あれはあの街の人々の感謝の象徴だ。手放すわけにはいかない。端金がほしくて勇者を名乗っているわけではない」

「んなこと言ったって金がなけりゃ世界は回らないだろうが。慈善事業じゃねぇんだぞ?」

「そうだな、事業ですらない。勇者は稼業ではない、生き方だ」

 ……あー、ダァメだ、こいつ。話になんねぇ。

 せっかく助けた人々がお礼に金品を授けて下さろうとしても、全部辞退するからな、うちの勇者様は。

 飢え死にしたら意味ねぇだろうに。

「また近いうちにヒュドラから支援金を工面してもらわなきゃなんねぇな、こりゃ」

 あまり頼みたくはないんだけどなぁ。それ以外頼れるものはないんだよな。

 勇者様がもう少しその辺譲歩してくれると助かるんですけどね。

「で? 追加注文できる余裕は?」

「あると言えばある」

「おんちゃん! オムライス一人前!」

 クロームがぼそりと答えた瞬間、セシウは手を挙げ、元気いっぱいな声でカウンターのマスターに注文を入れる。

 食い過ぎだろ。

「カレー、大盛り」

 さらに隠れるようにしながらクロームまでもが注文を入れやがる。

「あ、ずっるぅ! 私も大盛りで! あ、やっぱ特盛り!」

 お前らどんだけ食う気だよ。

 体の構造自体違うとしか思えない。流石に端の席に座るプラナも顔を真っ青にしてげんなりとしている。

 今にも吐きそうだ。

 俺達には理解できないよな、そりゃあさ。

 大食漢二名――セシウの性別とか関係なく漢なのだ。むしろ俺より男らしいので間違ってないはずだ――は放置して、俺は背を向けていたテーブル席の人々に視線をやる。

 テーブルを寄せ合わせて、狭い卓上に大量のご馳走を敷き詰めて、まるで国王の誕生日を祝うかのように賑わう男ども。どういうわけかみんな屈強な体つきをしている。

 この村の男達は日中から仕事もせず筋トレに明け暮れているんだろうか? セシウの同類なのか?

「なあ、おんちゃん? なんでみんなあんなに盛り上がってるわけ?」

 奥の厨房へクロームとセシウの注文を届けて戻ってきたマスターに俺は疑問を投げかける。細いながらも弛んでる体にエプロンをかけ、髭を蓄えたおっちゃんはその無愛想フェイスのままに頭をぽりぽりとかく。

「何っておめぇ、あんた方が森の怪物倒してくれたからだろうよ」

「そんぐらいでかよ?」

 つぅかつまり俺達本当のあそこの中心にいてもおかしくないじゃん、そしたら。なんでこんなカウンター席で四人寂しく放っておかれてんの?

「最初来た時はすごかったんだよ? みんなに囲まれてさ。でもゆっくり食事摂るために、こっちの席にしてもらったわけ」

 聞く前にセシウが教えてくれる。ふむ、俺は遅れて来て正解だったな。

「で? 森のあの化け物倒しただけで、そんなに騒ぐほどなのかよ?」

「騒ぐほどってそりゃもうみんな大喜びさ。あの化け物が棲み着いてた北の森はな、この村の交通の要所なんだよ。あそこを通れないせいで、外から客は来ないし、外に働きに出ることもできなかったんだよ、今まで。んで、あそこにいる連中は、どいつもこいつも森を抜けた先の炭鉱で働いてるわけ」

 ……あーなるほどねぇ。

 おそらくそこで採取できるもんが、この村の収入源になってんだろうな。そこにいけねぇってのは痛いわけだ。

「村の外の連中も化け物が棲み着いたって聞いてからは恐がってこっちに来ようともしねぇ。この村は四方にある街に繋がっててな、そこに向かう連中に金を落としていってもらってんだよ。なんたってこの村で採れる作物はどれも上質だからな。それ目当てに来る奴もいるくれぇだよ」

 確かに野菜とか美味いよな、この村は。

 しかし見た目に寄らず、結構儲かってんのね、この村。いや、そういう田舎っぽさってのも人を呼び込む要素になってんのか?

 まあ、巧くできてるもんだ。

「ん? 待てよ、おっちゃん? 化け物って北の森に棲み着いてた奴だけじゃねぇの?」

「いんや、それ以外の方角の森にも一匹ずつ厄介のが棲み着いててよ。まあ、そっちまで勇者様に倒してもらうのは悪いし、森を抜けた向こうの街で人を雇って追っ払ってもらうって話になってるよ」

 そりゃまた災難だな。不幸にも取り囲まれていた訳か。昨日の早朝、この村に着いた時に活気がなかったのはそのせいだったわけだな。今の盛り上がりっぷりにも納得がいく。

 と、ここで俺はまた一つ嫌な予感を覚えた。我らが勇者様は、そんな話を聞いて黙っていられれるタマではないのだ。

「……その魔物も俺達が退治しましょう」

 ほぉら、やっぱり!

 クロームはゆっくりと目を開け、何の迷いもなく口走る。

「は? 勇者様?」

 おっちゃんも耳を疑っている。そりゃそうだ。今さっき自分たちでなんとかすると言ったばかりだというのに、この勇者様は一体何を言ってるんだ?

「一匹だけ倒して、根本的な解決もせずに満足するようでは勇者失格です。乗りかかった船でもあります。俺達四人で、その魔物を退治しましょう」

 こいつはこういう熱血漢なのである。困った人を見かければ助けずにはいられない性分だ。おっちゃんも戸惑っている。まさか勇者様が進んで申し出てくるとは思ってなかったんだろう。

 そりゃ村人達からすれば勇者に任せるのが一番確実だとは思っていたんだろう。でも、そこまで頼むのは厚かましいと考えて、一匹だけ討伐してもらい後は自分達でなんとかする、という結論に至ったのかもしれない。

 だというのに、勇者は自らそれを志願してきたのである。

「いや、勇者様、さすがにそこまで頼るわけにはいけねぇよ。一匹退治してもらっただけでも十分だぜ?」

「いえ、そうはいきません。四人で手分けをすれば、魔物の三匹程度どうってことはございません。温かいベッドと美味しい食事を授けて下さったご恩、返させていただきます」

 ぐっと拳を作り、クロームは真っ直ぐにおっちゃんを見つめる。銀色の炎が双眸の奥深くに宿っていた。

 こうなったクロームはもう止まらない、止められない。

 はぁ……やだやだ。次から次へと金にならない仕事ばかりが入ってくる。嫌になるね、全く。

 呆れているのは俺だけで、セシウもプラナもクロームを見て微かに笑っていた。さすがは勇者だ、と感銘を受けているのかもしれない。

 俺からすればたまったモンじゃねぇ。

 おっちゃんは僅かな間口を開いたまま硬直し、やが叩き割らん勢いでカウンターに両手を叩きつけ、身を乗り出した。

「お、おい! 聞け! てめぇら!」

 テーブル席を囲む群衆に、マスターは唾を飛ばしながら叫ぶ。あんだけ騒いでいたというのに、男達は耳敏くその言葉を聞きつけマスターを見る。

「なんだよ、親父。今いいとこなんだ。ジェーンのところのせがれが――」

「勇者様が森の魔物を全部退治してくれるってよ!」

「は!?」

「なんだって!?」

 興を削がれ不機嫌だった男達の顔が一瞬で驚きに固まり、次の瞬間には猪のように真っ直ぐ、ハイエナのように俺達へと集ってきた。

 とんでもない統率力である。

 俺達四人を取り囲んだむさいおっさんどもが顔を覗き込んでくる。セシウも驚く、人混みが苦手なプラナはすでに顔面が蒼白だし、俺もむさいおっさんの顔の濃さに当てられて胃もたれを起こしかけている。どっしり構えているのはクロームだけであった。

「お、おい! 勇者さん! そりゃ本気か!?」

「悪ぃことはいわね! やめとけ! 勇者様が欲しいもんなんてこの村にはねぇぞ!?」

「さすがにそこまで頼むわけにはいかねぇよ!」

「そうだ、気持ちだけで十分だよ、俺達ぁ!」

 クロームの申し出が嬉しくはあるらしいが、この程度の断りの文句でこいつが引いてくれるのなら俺も苦労しない。

「いえ、報酬は一切いりません。昨日の感謝は身に余るものでした。その分のお返しだと思って頂ければ」

 この通りである。勇者様は相変わらずの仏頂面ながら、力強く断言する。

 ここで金銭面を気にする程度の余裕がこいつには足りていない。柔軟性がないっていうのかね?

「そ、そうは言ってもよ……」

「これは私達が勝手にすることです。どうぞ、ご心配なく。勝手なお節介ですので、当然報酬はいりません」

 言い淀む人々を遮り、クロームは彼らの顔を順に眺めながら硬質な口調で言い切る。その瞳には相変わらず迷いがなく、何かを躊躇う素振りもない。

 私的な要望としては、ちょっとお金も欲しいなぁ、という欲を出してもらいたいところである。

 さっきから俺は金のことしか考えてねぇな。

 そりゃそうだ。資金の管理は俺がほとんとやっているんだ。頭が痛くならないはずがない。

 つぅかおっさんども、勇者ばっかり見ていて俺達に全く気を配ってくれない。さっきから勇者に近付こうとするおっさんに肩を押されて、セシウの方に寄りかかる形になってしまってる。

「ちょ……ガンマ、近い……」

 やむを得なく体を押しつける形になってしまった俺に、身をよじらせたセシウが不平を漏らす。

「うっせ……不可抗力なんだよ……」

「は? 変なとこ触ったら殴るかんな?」

「頼まれても触らねぇよ、ヴァカ」

 確かに肉付きはいいかもしれないが特段興味は湧かん。なんせセシウだからな。猛獣の体を撫でて、誰が興奮するというのか。

 セシウは何か言いたげに唇を尖らせるが、それ以上は何も言ってこなかったな。

 一命は取り留めた。

 俺とセシウが下らないやり取りをしている間にも頭上ではクロームと村人達の交渉が続いていた。

 これが報酬の額に対する交渉だったら、俺はとっても嬉しかった。それこそマッパで村を走り回れるくらいには喜ばしい。

 俺が未だに捕まっていないことを鑑みると、それは実現していないわけではあるが。

「いや……まあ、そりゃ退治してくれるのは嬉しいけどよ、勇者さん? 少しくらいのお礼は用意させてくれよ。俺達も頼りっきりは申し訳ねぇ」

「いえ、これは私個人の勝手な行動だと思って下さい。見返り欲しさに人助けをしているわけではないんです。ただ、俺がそうしたいからそうするだけのことなんです」

 勇者様はいつだって大真面目にこんなことを言う。普通なら偽善だと切り捨てられるようなものも、勇者という称号との相乗効果でプラスに効力を発揮する。

 本当、勇者の鑑だよ、こいつは。

 クソ喰らえだ。

 欲の一切ないクロームの横顔に呆れかえってしまう。と、そこでクロームの向こう側にプラナの横顔が見えた。フードを目深に被り、俯いたまま顔を覆っている。

「おい、セシウ?」

「な、なによ?」

「プラナがやばい」

「は? て、ちょ、あ! あれヤバイ!」

 完全に体調不良になっている。

 もともと人混みに酔うタイプの人間だ。こんなむさいおっさんの密集地帯に放置されれば、そりゃ体調を崩すのも無理はない。少し都会の街を散策するだけでもすぐにグロッキー状態になるほどだしな。

 クロームは今はさすがに気が回らない様子だし、あのままだと倒れかねないな……。

「あ、あのす、すみません! ちょっといいですか!?」

 セシウは飛び出すような勢いで立ち上がり、豪腕で巨体で組まれた壁をこじ開けながら進み始める。勇者の仲間の道を阻む理由もなく、男達は潔く道を開けてくれるので、俺も腰を低くしてセシウに付いていく。その途中、村人達と話し合っていたクロームの耳元に俺は顔を寄せる。

「クローム、プラナの調子が悪い。悪いが話は任せるぞ?」

 俺の耳打ちにクロームは僅かに頷き、プラナを一瞥する。

「すまん、俺は今席を外せない。プラナを頼む」

「あいよ」

 短いやり取りを終えて、俺はセシウの後ろに続く。セシウはすでにプラナを立ち上がらせているところだ。

 フードの下から覗く唇からは血の気が失せ、心なしかげっそりとしてる。もう立ち上がるのも辛いらしく、セシウの体に半ば凭れかかっているような有様だ。立っているのもやっと、といった様子だな。

 ただでさえ白い顔が今となっては死人のようでさえあった。

「プラナ? 大丈夫?」

「うぅ……ちょっと辛いです」

 絞り出すかのようなか細い声でプラナは弱々しく答える。セシウのタンクトップの端を握りしめ、まるでしがみついているようだ。

「とてもちょっとには見えねぇだろ。外に出て休もうぜ。話はクロームに任せよう」

 どの道俺達がいたところでできることなんてない。俺としては報酬も要求したいのだけれど、そうもいかないだろう。

 俺達がいてもいなくても、大した違いはないはずだ。なんせ、人々が注目してるのは勇者だけであって、俺達の存在はそのおまけだ。

 気楽でいいぜ、全く。

 セシウに体を預けたプラナと共に、俺はおっさん達の分厚い壁を抜け、酒場の外へと向かう。

 そう待たないうちに、クローム達の話も終わるだろう。おそらく俺が最も望まない形で。

 すでに村人達も根負けしつつある。そりゃそうだ。ああなったクロームはプラナでさえ曲げることができない。

 村人達がどんなに拒んだところで、クロームは勝手にやるだろうしな。

「お二人とも、本当に申し訳ありません……」

 背後からプラナの弱々しい声が聞こえてくる。俺は振り返らず、軽く手だけ振って応える。クロームの回りにみんなが集まっているお陰で、あの包囲網さえ抜ければ楽なものである。俺達はゆっくりとした足取りで真っ直ぐに出口へと向かい、ウェスタンドアを開け放った。

 屋外へと踏み出すと陽光が目に突き刺さる。眩しいのは苦手だ。

 俺は手で光を遮り、太陽から背を向けるために二人を顧みた。

「とりあえず日陰で休んでおくか?」

「そうした方がいいかもね。春とはいっても陽射しはプラナ苦手だし」

 傍らにプラナを引っ付けたまま、セシウは腰に手を当てて同意してくる。

 だよな。プラナはその色白な肌から連想されるイメージ通りというべきか、肌がとても繊細だ。あまり白日の下には晒したくない。

「あの辺の木陰とかいんじゃない?」

 セシウが指差したのは、酒場からすぐ近くに腰を据えた木だった。森に生えているような幹の太い木が一本だけ、ぽつんと佇んでいる。

 立派な樹木である。確かにあそこの木陰なら十分涼むこともできるだろう。

「プラナ、休む場所はあそこで……って大丈夫かお前?」

 プラナはぐったりとしきって俯いたまま顔を上げようとしない。ほとんど体に力が入っていない様子で、セシウのタンクトップを握っていなかったら、そのまま倒れてしまいそうだ。もうすっかり憔悴しきって、俺の言葉が届いてるのかさえも怪しい状態だ。

 人だかりとむさいおっさんの相乗効果でプラナがやばい。しかも食後間もない状況。これはよろしくない。

「セシウ!」

「あいさ!」

 俺が名前を呼ぶと、何故かセシウはとってもいい返事で両腕と背筋をぴんと伸ばして直立する。学生だったら教師受けしそうだ。

「プラナを運べ!」

「さーいえっさー!」

 軍人のように、それであってどこかお気楽な敬礼で了解の意を表して、セシウはタンクトップを握るプラナの手を取り、すぐ側にしゃがみ込む。

「お嬢さん、ちょいっと失礼しやすね」

 よく分からない言葉遣いで、セシウはプラナに手を伸ばすと、膝の裏と背中に手を当て、あっという間もなくプラナの体を抱えるように持ち上げた。

「ふぇ!?」

 突然の浮遊感にプラナが短い悲鳴を漏らす。思わずセシウの首にしがみつき、落ちないように必死に自分の体を支えている。

 所謂お姫様抱っことか言う奴だった。

「はっはっは、しっかり掴まっているのだぞ、お嬢さん」

「あ、あのセシウ……! これは……ちょっと……!」

 上機嫌に笑うセシウはプラナの意見に耳を貸さず、一抹の危なげもない陽気な足取りで木陰へと向かっていく。セシウの腕力にかかれば、プラナの矮躯なんて軽いモンだろう。

 とはいえ、プラナの表情は引き攣っていて心配だ……。

「おい!? 落とすなよ!?」

「私を誰だと思ってるのさ?」

「ゴリムス」

 にかっと笑うセシウへ、ほとんど反射的に率直な感想を述べるとむすっと表情が曇る。

「プラナを抱えていなかったら、今日こそぶん殴ってた」

「そりゃ……プラナに感謝だな」

 なんだかんだ俺の悪運もバカにできないもんだ。どうにも巧いこと偶然が重なって、ここ最近直接的な暴力の被害をほとんど受けていない。

 プラナはぎゅっとセシウの首にしがみつき、青ざめた顔で地面を見下ろしている。

 逆に恐怖で卒倒してしまいそうだ。

 そういやプラナって高所恐怖症だったっけ……。

 いや、しかしその程度の高さは大したことないような。まあ、地に足が着いていないっていうのはそれだけで怖いモンではあるけどよ。

「プラナ大丈夫か?」

「だ、だ……ダイジョウブ、デス……」

 あまりにもぎこちない返答が、ダイジョウブじゃないことを伝えていた。

 それにしてもこうやってると、本当にセシウは王子様みたいだな。なんていうか放浪癖があっていつも城を抜け出すような放蕩王子。

 プラナの楚々とした深窓の令嬢のような雰囲気もあって、尚更絵になるな。

 セシウはただでさえ男前だし。そのさばさばとした性格とか、シニカルな笑みとか、どう考えても男より男らしいんだよな。

 絶対生まれてくる性別間違えちまったよな、こいつ。

 いくら病的に軽いとはいえプラナを軽々しく持ち上げる辺り、尚更男らしい。

 ……お、俺だってプラナなら持ち上げられるぞ……? 多分。

 そんな見栄をせめて自分に対してだけでも張っておく。そうでもしないと自分が情けなくて泣きそうだ。

 正直、足は少しふらつきそうな気がするのだ。試したことないから分からないけど……。

 ベッドの上なら女性を抱え上げたことはあるけど、さ。


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
0
0

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択