No.225323 俺の妹がこれで最終回なわけがない Another Good End2011-06-29 00:04:27 投稿 / 全6ページ 総閲覧数:3924 閲覧ユーザー数:3524 |
俺の妹がこれで最終回なわけがない Another Good End
今日、私は一大決心をした。
千葉の堕天聖黒猫ではなく、五更瑠璃としてあの人に、先輩にどうしても伝えたい。
私の、本当の気持ちを。
そして、願わくば……私の気持ちを受け入れて欲しい。
私を、受け入れて欲しい。
三時半に、
校舎裏で
待つ。
我ながら素っ気無さ過ぎるメールを送ってしまった。
私らしいと言えば自己正当化は幾らでも可能。
でも、これがこれから一世一代の告白をする女子高生のメールかと問われれば、世情に疎い私でも違うと言い切れる。
先輩もまさかこれが愛の告白の為の呼び出しだとは思わないだろう。
色気がなさ過ぎる。
こんな私が先輩に受け入れてもらえるのか考えていると憂鬱になって来る。
それ以前に先輩は来てくれるのかしら?
田村先輩と一緒に帰っていたのだし。
一番仲の良い女と一緒にいる所に他の女から呼び出しを受けても来るとは思えない。
弱気の虫に駆られながら慌しく時計を見る。
約束の3時半を少し過ぎていた。
やっぱり、来てくれないのかしら?
不安になったその時だった。
誰かが近付いて来る物音がした。
この地面を擦る音、このリズム……先輩の足音で間違いなかった。
本当に、来た。
それを意識した途端、私の体は硬直し、心臓は飛び出しそうなほど跳ね上がった。
まだ姿を見ていない段階で既に極度の緊張状態にいた。
告白を前にして逃げ出そうとしてる自分がいた。
でも、今更逃げるなんてできないし、したくなかった。
私だって、今日、この時の為にずっと悩みに悩み抜いて告白するって決めたのだから。
本当は臆病者でしかない私が必死になって顔を上げ、立ち上がりながら声を出す。
「あ、あのぉ……」
けれど、やって来た想い人、高坂京介先輩の顔色を見て私は考えを改めた。
「酷い顔をしているわね」
先輩の顔は酷くやつれ、蒼ざめていた。
30分前、階段で会った時とはまるで別人だった。
「そうか?」
先輩は自覚があるのかないのか頼りない返事を寄越す。
「この世の終わりでも見て来たかのようよ」
過剰表現でなく、先輩は絶望に陥ったような表情で視線は宙を彷徨わせている。
この30分の間に先輩の身に何か起きた?
ううん。違う。
先輩自身が厄介ごとに巻き込まれているならここには来られないはず。
来られる程度の面倒なら先輩は私の前でもっと強がった態度を見せているはず。
この人はそういう人。
じゃあ、先輩の周辺の人物に何かが起きた?
多分そちらの可能性の方が高い。
そして先輩をこれほど動揺させられる人物と言えば……
田村先輩の身に何か起きた?
ううん。それだったら先輩は田村先輩の側にいるだろう。
先輩の両親でも同様の行動を取るはず。
つまり、先輩の魂を抜き取るぐらいに重要な存在。なのに側に駆け寄れない人物が窮地に陥っている。
そんな存在、候補は一人しか考えられなかった。
「そんな有様では私の用件は果たせなさそうね」
椅子に座り直す。
今の先輩はあの子、遠くに行ってしまった大嫌いな友達のことで頭がいっぱいに違いなかった。
私の告白が届くとはとても思えない。
告白する前に妹に負けていることを感じずにはいられなかった。
悔しいし泣けてくる。
けれど、その悔しくて妬ましい妹は私の大切な友達でもあった。
「いいわ。何があったのか話して御覧なさい」
桐乃の身に何が起きたのか、聞いてみないわけにはいかなかった。
「……て、わけだ」
3分ほど続いた先輩の説明が終わった。
話を要約すると以下のようになる。
ついさっき、先輩の所に桐乃からメールが届いた。
桐乃がアメリカに行ってから初めて受け取った連絡だった。
そしてメールの内容はごく短いもので、オタグッズを全て処分してくれというものだったという。
先輩はそのメールの意味を図りかねている。
けれど、心配で堪らないと。
先輩の心配事はわかった。
じゃあ、後はどう対処すれば良いのかだけの問題となる。
「で? 何であなたはこんな所でグズグズしているの?」
キツい瞳で先輩を睨む。
「えっ?」
先輩は予想外という感じに聞き直す。
先輩は無意識に私に優しい言葉を期待している。
先輩の無力感を慰めてくれる言葉を求めている。
その言葉は先輩の慰めになるだけでなく、私にとっても大きな利益を生むに違いない。
即ち、弱っている所に優しく接することで心の距離をグッと縮め、あわよくば私が先輩の彼女になれるかもしれない。
でも、先輩の期待通りの言葉を今掛けたらきっと良くない結果に繋がる。
桐乃にとっても、先輩にとっても、そして長期的には私にとっても。
私の幸せはあの子の不幸の上に成り立つものではない。
先輩とあの子、そして私。
3人がみんな幸せでないと意味がない。
だから、今は先輩の期待には添えられない。
たとえ私がこのやり取りで嫌われたとしても。
「どうしてこんな所で私なんかの呼び出しに応えているのか? そう訊いたのよ」
先輩は凄く驚いた表情をみせた。
その表情を見て、私は自分で恋愛成就の道を断ってしまったことを感じずにいられなかった。
口で毒を吐きながら、内心で泣いていた。
私がずっと暖めて来た想いは叶わない。
でも、だったらせめて先輩には自分の果たすべきことを貫徹して欲しい。
もう、半分やけっぱちな気分になって来ていた。
「いや、でもこんな短いメールぐらいで……」
私にここまで言わせたというのに先輩はまだ覚悟を決めかねていた。
それが、凄く腹立たしかった。
「こんな短いメールぐらいで? 十二分にわかるでしょ? 貴方の妹がこんなメールを送ってくるぐらいの状況に陥っていることが。それとも貴方の妹は冗談や酔狂でこんなことを言うのかしら?」
苛立ち半分、先輩の景気付け半分の声を発する。
「言うわけないだろう!」
先輩はムッとした表情で目を吊り上げた。
けれど、すぐにまた落ち込んでしまった。
「だけどアイツは今、アメリカにいて……」
「それが何?」
私もムッとしていた。
先輩が私よりも妹のことを気に掛けているのは明白。
それがどんなに女として悔しいことか。
なのにその悔しい思いをさせている先輩が煮え切らない態度を取り続けている。
年下の女の為に要らないお節介を焼くのが高坂京介の真骨頂の癖に躊躇している。
そんな先輩は見たくなかった。
「魔界に帰ったわけでも地獄に落ちたワケでもなし。いる場所がわかっていて、行く方法があって、心配する気持ちも自覚していて、後は何が足りないの?」
先輩に、腹が立つ。
自分に、腹が立つ。
何で愛の告白をしようとした席で他の女の為に動くように尻を叩いているのか。
自分への矛盾に苛立ちが頂点へと達して行く。
「貴方は本当に……本当に本当に本当に、どうしようもない最低のヘタレだわ、先輩」
苛立ちは罵倒となって口から漏れ出て行く。
「愚図でノロマで察しが悪くて、スケベでバカで怠惰で、その癖妙に優しくて、妹同様性質が悪い。よく似た兄妹よ。まったくね」
これが、愛しい男に愛を語ろうとした女の言葉かしらね?
こんな悪口ばかり語る女が先輩の彼女になれると本気で思っているの?
終わり……だわね。
より一層自分の失恋を強く意識する。
でも、失恋の自覚はある意味で私を吹っ切らせた。
「報告しておくことがある。…色々と改善されたから。…クラスのこととか色々。……だから、一応報告」
今日ずっと言おうと思っていた言葉がやっと口から出た。
先輩に好きだと語る前にどうしても伝えておきたかった言葉が。
その私の言葉を聞いて先輩はとても嬉しそうな表情を見せた。
「俺は、大したことしてねえよ」
謙遜してみせる先輩。
「確かに、何の役にも立たなかったわね」
謙遜を利用して先輩を凹ませてみせる。
先輩はムッとして、それから落ち込んだ表情をみせた。
これは、先輩が他の女のことで頭を悩ませていることへの仕返し。
「でも、私は嬉しかった」
そしてここから先は私の気持ちの素直な吐露。
「妹の代わりじゃなく、お前のことが心配だと言ってもらえて…嬉しかった。兄さんではなく、先輩の方が良いと言ってもらえて…嬉しかった」
先輩は私を妹の友人ではなく、1人の女として見てくれた。
私みたいな邪気眼電波女と正面から向き合ってくれた男性は先輩が初めてだった。
「同じ部活に入ってくれて、クラスで孤立しているのを心配してくれて、プレゼンのフォローをしてくれて、田村先輩との時間を削ってまで…一緒にいてくれて」
先輩の顔をジッと見る。
「私はとても、嬉しかったわ」
更に近付いて私の大好きな人の顔を覗き込む。
先輩は私の顔が近付いてたじろいだ。
「ああっ、そっか……」
先輩は動揺していた。
どうやら少しは女として意識してくれているみたい。
でも……。
「私は、こうして素直に言った。で、貴方はどうするの?」
私は問わなければならなかった。
私のこの想いが今の先輩に届かないことを確認する一言を。
先輩は地面を向いて2、3秒ほど逡巡した。
そして、鞄を取りながら言った。
「桐乃に、会ってくるよ」
先輩の顔は先ほどまでと違ってすっきりしていた。
そしてその言葉は如何にも先輩らしいもの。
私が聞きたい言葉だった。
そして、先輩が私よりも桐乃を選んだことを告げる言葉でもあった。
「そう」
聞きたい言葉が失恋の知らせ。
もしかすると私は相当なマゾなのかもしれない。
心の中で苦笑していると先輩が立ち上がった。
「ありがとな。じゃあ、行ってくる」
先輩の声には力と勇気が篭っていた。
この人は妹の為に本気でアメリカに行くつもりなのだ。
私よりも妹を選んで。
先輩が力強く歩いていく。
私の想いを知らないまま歩いていく。
「ちょっと待って!」
気付くと自分でもびっくりするぐらいに大きな声を出していた。
何故そんな声を出したのか自分でもわからない。
本能が私を揺り動かしていた。
私の視線は振り返ろうとする先輩の頬を捉えて離さなかった。
そして私の体はその頬に向かって背伸びを開始していた。
私は、先輩の頬に向かって キス しようとしていた。
けれど、その時、思ってもみないことが起きた。
「うぉっ!? バナナがぁっ!?」
先輩はバナナの皮を踏んづけて体勢を崩した。
先輩ほどの芸人気質な人間ともなればバナナを見れば踏まずにはいられない。
誰なの、こんな危険なものを道に捨てたのは?
……って、私だった。
さっきここでバナナを食べて皮をどこかにやってしまったのを思い出した。
私のバカバカ。
でも、後悔先に立たず。
体勢を崩した先輩は私の正面を向く構図となった。
先輩に向かって爪先立ちを始めた私も止まらない。
2人の止まれないが交差する。
その結果、私の唇は意図した箇所とは違う所に接触することになった。
「「うぷっ!?」」
それは、先輩の唇だった。
ほっぺにチューするつもりが唇にキスしてしまった。
ファーストキス
しかも、2人とも勢い良く顔と顔が重なってしまった為に口が半分開いた状態でキスする羽目となってしまった。
それでも勢いは止まらず、先輩の舌が私の口の中に割り込んで入って来た。
先輩の舌の感触を、自分の舌で感じている。
ディープキス
私たちはこの突然の事態に呆然とし、それから10秒以上全く動けなかった。
目も瞑らずにお互いを凝視、ううん、固まっていた。
ただ、時々動く舌と唇の感触だけが私たちの時が止まっていないことを示していた。
そしてキスの終わりも唐突に訪れた。
爪先立ちに疲れた私の足が踵を地面に下ろした。
身長差により私と先輩の顔が離れていく。
でも、2人の顔が離れた後も私たちはしばらくの間呆然としたままだった。
「な、な、な、なぁ~っ!?」
先に意識を取り戻した先輩が騒ぎ始める。
意識を取り戻したといっても相変わらず混乱状態だったけれど。
でも、その声は確かに私の脳を活性化させた。
「祝いよ」
あっ、言い間違えた。
呪いと言わなければいけない所を祝いと言ってしまった。
念願のファーストキスの夢が叶ったので、つい本心を口に出してしまった。
だけど、先輩は桐乃を迎えに行かなければならない大事な身。
ちゃんと背中を押さないと。
「貴方が途中でヘタレたら死ぬ呪い」
今度はちゃんと言えた。
よし、このまま電波系ミステリアスガールとして先輩を気持ち良く送り出さないと。
「私の願いを果たすまで解除することはできない。これが呪いの契約書よ」
そう言って私は懐から1枚の紙を取り出してみせた。
えっ?
私、呪いの契約書なんて話を持ち出すつもりは全然ないのに何を言っているのかしら?
ファーストキスの動揺は思った以上に大きいようで、自分がまるで制御できない。
「わかったら、早くこの呪いの契約書にサインして、実印を押すのよ」
「お、おぅ」
呪いの契約書を先輩に見せ、先輩の名前と印鑑を押させる。
でも、そもそも呪いの契約書って何なのかしら?
そんな書類、作成した覚えはない。
気になって契約書を覗き込んでみる。
するとそこには『婚姻届』と文字が書かれているのが見えた。
更にその書類にはぎっしりと文字が書き込まれている。
そう言えば昨夜、先輩にどうやって告白しようか悩んでいる時に、上の空で色々なメモを取っていた覚えがある。
どうやらその際にたまたま持っていた婚姻届の全部の項目につい記載して、つい捺印してしまっていたらしい。
「よし、捺印したぞ」
先輩が半分以上呆けた表情のままそう呟いた。
見れば、呪いの契約書の先輩側の全ての事項に記載と署名、捺印が済まされていた。
「ど、どうしたら良いの……?」
この書類がまかり間違って千葉市役所に提出されてしまえば、私と先輩は夫婦になってしまう。先輩は18歳で私は16歳なので法的に結婚できてしまう。
五更瑠璃改め高坂瑠璃が誕生してしまう。
先輩にまだ愛の告白もしていないのに、先輩は桐乃の方が大事なのに、こんなもやもやした状態で夫婦になんてなれない。
少し勿体無いけれどこの婚姻届は破り捨てよう。
そう思った瞬間だった。
「きゃっ!?」
女子高生の天敵、イタズラな風が私のスカートを捲り上げた。
慌てて両手でスカートの裾を押さえる。
そしてその行為は呪いの契約書こと婚姻届から手を離してしまうことを意味していた。
でも、まだ婚姻届は先輩が左手で握っているはず。
「うぉっ!? イタズラな風が俺のズボンと署名捺印済みの呪いの契約書を大空へと運んで行くぅうううぅっ!?」
だけど運命は過酷だった。
婚姻届は風に乗って空を飛んでいた。
そしてどんな大道芸を使ったのかは知らないけれど、先輩の学生服ズボンも風に飛ばされていた。
「待てぇ~っ! 俺のズボンと呪いの契約書ぉ~っ!」
青いトランクス姿のお兄さんはズボンと婚姻届を追って走り出した。
「ま、待ちなさいっ!」
走り出す先輩を見て、2歩遅れる形で私も走り出す。
ズボンと婚姻届は川の中を泳ぐ魚の如くすいすいと空中高くを進んでいき、学校の敷地を出てしまった。
「ハァハァ。どこまで飛んでいくのよっ?」
運動はあまり得意ではない。
けれど、息が切れようと走るのをやめるわけにはいかなかった。
「あの呪いの契約書、手元に置いておかないとやっぱり大変なことになるんだろ?」
「確かに色々な意味で大変なことになるわね」
あれを拾った人間がゴミ箱に捨ててくれるならまだ良い。
ご親切に私の家か先輩の家に郵送されては面倒だし、市役所に代わりに提出してくれたら更に面倒なことになる。
何としても私の手に回収しなければならない。
「あっ、高度が下がってきたわ」
呪いの契約書が段々と地面に近付いてきた。後、3mぐらいの位置まで降りて来ている。
「だが、俺のリヴァイアサンを封印する二大防壁の一つはもう見えなくなりそうだ」
一方で先輩のズボンは大空高く高くと舞い上がり、既に点でしか見えなくなっている。もう高度は悠に100mは超えているに違いない。ズボンは諦めるしかなさそうだった。
「どうやら、あの人の付近に落ちていきそうな勢いね」
婚姻届は、赤枠のタスキを掛けて何かを訴えている背広姿の若い男の元に向かって落ちていっているようだった。
「……こちらは……市役所……何でも即やる課……出張サービスです……ご利用……」
男が何を言っているのかは走っているせいでよく聞こえない。
けれど、不吉な予感がした。
「先輩っ! スピードを上げて一気に呪いの契約書を確保するのよ」
「おうっ!」
残りの体力気力を総動員して婚姻届を追う。
「ここよっ!」「ここだっ!」
そして私たちは同時に空中に向かって跳躍し、呪いの契約書をキャッチした。
「ようやく婚姻届をこの手に収めたわ」
ようやく安堵感を覚えながら地面に着地する。
しかし──
「婚姻届のご提出ですね。わかりました。お預かりします」
目の前の男は私たちの手から婚姻届を奪い取った。
「なっ?」
タスキを見れば『千葉市役所』の文字。
さ、最悪よ……。
「おっと。上司から毒電波で呼び出されてしまいました。それでは俺は1万m記録保持者の脚力を生かして全力で役所に戻ります。受け取った婚姻届はきちんと受理しておきますのでご安心ください。それではお幸せに。ダッシュっ!」
それだけ言うと男は桐乃以上に綺麗なフォームを無駄に見せつけながら全力で走り去っていった。
もう追うことは不可能だった。
「なあ、俺、もしかすると呪いに掛かってしまったのか?」
先輩が首を傾げた。
「そうね。恐ろしい呪いに掛かってしまったわよ」
「どんな呪いだ?」
先輩の声がちょっと上ずった。
「一生私の面倒を見ないといけない呪いよ。離れろって言ってももうあなたから離れられないわ」
大きく溜め息を吐きながら呪いの内容を端的に説明する。
「ふつつか者だけど、よろしくお願いするわね……あなた」
こうして私は高坂瑠璃になった。
嫁ぎ先であり新しい我が家ともなった高坂家に向かいながら、先輩に呪いの契約書についてきちんと説明する。
すると意外にも先輩はすんなりと私との結婚を受け入れてくれた。
「あんなに激しいディープキスをされてしまったら俺は黒猫の所にお婿に行くしかもう道はないだろう」
「わ、私から無理やり……ディー…プ…キス……したみたいに言うのはやめて」
思い出すだけで恥ずかしくて死にそうになる。
まだ、舌の感触が残っているというのに……。
「警官だった親父は当時中学生だったお袋に力ずくで無理やりキスされて婚約したそうだし問題はないだろう。じっちゃんも妹分のばっちゃんに強引に唇を奪われて結婚したそうだし」
「高坂家の男はみんなそうなの?」
脈々と受け継がれる高坂の男のヘタレの血統。
私も男の子が生まれたら育て方に気を付けないと。
「まあ、そういうわけでこれからよろしく頼むな、黒猫……瑠璃」
「……もぉ、諦めたわよ……京介」
先輩と手を繋ぎながら家路へと急ぐ。
「まずは桐乃の様子を確かめないとな」
「そうね」
私たち夫婦の初めての共同作業はケーキカットではなく義妹の救出になりそうだった。
「ただいま」
「お邪魔しま……ただいま」
今日から私の嫁ぎ先となった高坂家に上がる。
するとリビングの方から男女が争っている声が聞こえた。
争っているのは先輩のお父さんとお母さん、即ち私のお義父さまとお義母さまのようだった。
「大丈夫だって言ってるでしょ!」
よくはわからないけれど、お義父さまの行動をお義母さまが止めようとしているらしい。
とにかく何が起きたのか確かめるべく先輩と2人リビングへと入る。
すると予想した通りにお義母さまがお義父さまの体を引っ張って止めていた。
「悪い、お袋。ちょっと頼みが……」
一方先輩はそんな2人を見ながらキリッとした表情で話を切り出そうとしている。
こんな動じてない先輩を見るのは初めてかもしれない。
夫を頼もしく感じる。堂々としてないで争いを止めるべきだと思うけど。
「いいから」
背広姿のお義父さまは旅行鞄を持ってどこかに出掛けようとしている。
「急に休むなんて代わりの人にも迷惑でしょ」
「行って帰ってくるだけだ。2日あれば足りる」
2日?
行って帰ってくるだけで2日も掛かる場所ということは……もしかして。
ううん。もしかしなくても。
「あー、あら、お帰り。五更さんもいらっしゃい」
「親父、どっか出掛けるの?」
「えっと……ただい……お邪魔しています」
考えてみればまだ先輩のご両親に挨拶もしていない内に籍を入れてしまった。
それは大きな問題だけど、でも目の前の問題も重要だった。
「それがね、桐乃からメールが届いて、トロフィーや賞状を全部捨ててって。何があったか確かめに行くって」
やっぱり、お義父さまも桐乃のことが心配になって迎えに行こうとしていた。
さすが高坂の男は年下の女に対する可愛がり方が尋常じゃない。
「連絡取れてからでもいいじゃない。桐乃だって子供じゃないんだから」
「子供だっ! まだ中学生なんだぞっ!」
お義父さまが声を張り上げる。
「いや、そうだけど」
微妙に呆れ顔を見せるお義母さま。
2人の間では事態の認識にズレがあるらしい。
中学3年生を大人とみなすお義母さまと、子供とみなすお義父さま。
それはそのまま、年下の女に滅法甘い高坂の男と雄々しく生きる高坂の女の違いなのかもしれない。
「あんた、どう思う?」
お義母さまは先輩に援軍を求めた。
けれど、お義父さまを止めてもらいたいという意図ならそれは失策に違いなかった。
何故なら、先輩も高坂の男だから。
「親父」
「うん? 何だ?」
交錯する先輩とお義父さまの視線。
男同士の視線の交錯。
「俺たちが行く」
先輩が私の手を右手で握りながら力強く断言した。
「「えっ?」」
驚いたのは私とお義母さま。
私は桐乃救出において後援サポートに回るものだと考えていた。
まさか、私までアメリカに行くと先輩が言い出すなんて思わなかった。
「よし。行って来い」
「「ええっ?」」
再び揃って驚きの声を上げる私とお義母さま。
こうして私は生まれて初めて海外に足を運ぶことになった。
「人生、何が起きるのか本当にわからないものね」
先輩に告白しようと思ったら、彼の心は妹のことでいっぱいだった。
告白を諦めようとしたら、先輩とキスしてあまつさえ結婚してしまった。
妹の為に先輩を快く送り出そうとしたら、気付くと自分もアメリカの地に立っていた。
「だけど、自分とは一生涯縁がないと思っていた海外、しかもアメリカに来ちゃうなんて……」
パスポートを取得しておいて本当に良かった。
魔界に行く為に申請しておいたパスポートがこんな形で役に立つなんて思わなかった。本当に人間万事塞翁が馬なのねと思う。
「でも先輩のご両親にも気に入られて本当に良かったわ」
先輩は私と2人でアメリカに行くことに関してご両親に説明をした。
即ち、キスをしてもう役所に婚姻届を提出済みであることを。
「それで、ディープキスはお前からしたのか、京介?」
先輩の報告を聞いてお義父さまは烈火の如く怒った。
先輩に今にも殴り掛かろうとする勢いだった。
「キスをしたのは私の方からですっ!」
慌てて先輩とお義父さまの間に割って入る。
両手を広げて先輩を背中に庇う。
「そうか……君の方からか」
するとお義父さまは殴り掛かるのをやめて地面に膝を折って手を突いた。
それは、アニメ第8話で先輩が見せたような見事な土下座だった。
「息子を……京介をよろしく頼む」
「あ、あの……」
お義父さまの突然の行動に私はどう対処したら良いのかわからない。
「高坂の男は普段偉そうに振舞っているけれど、その実はどうしようもなくヘタレよ。それはわかっているのよね、瑠璃さん?」
お義母さまが真剣な瞳で私を見ていた。
「はいっ、勿論です」
「それじゃあ京介のことをよろしくね、私の新しい娘」
こうして私は夫の両親に受け入れられた。
「そう言えば、うちの両親の許可をまだもらっていないけれど、後回しで良いわよね」
良いも悪いも今私はアメリカにいる。
日向に電話で結婚したことは一言伝えておいたし、当座の問題はないだろう。
日向には完全に電波女扱いされていたけれど。
「それで、桐乃は一体どこにいるの?」
「住所は親父から聞いているから、タクシーで向かう」
「タクシーで……」
タクシー。それは経済的に裕福でない我が家とは無縁のブルジョワジーが乗る乗り物。
でも、私も先輩の元へ嫁いで今日から上流階級の仲間入りを果たしてしまった。
なのでブルジョワ文化も学んで行かなければならないだろう。
やっぱり、社交界に出席しないといけないのかしら?
私、ダンスなんて踊れないわよ。
ねこにゃんダンスとうっうウマウマとハレ晴れユカイぐらいしか。
「I am the born of my sword(妹の桐乃たんにハァハァしたいんだ。いる場所まで連れて行ってくれ)」
「Don’t think. Feel(妹萌えは世界の合言葉。乗れよ兄弟。全速力で連れてってやるぜ!)」
私がブルジョワジーへの恐怖に恐れおののいている間に先輩がタクシーを拾ってしまった。
先輩、英語喋れたのね。
私は海外旅行と生涯縁がないと思っていたので、学校の試験以外で英語を使うなんて想像もしていなかった。
そんなだから、咄嗟に言葉が思い浮かびあがらない。
先輩のことをまた一つ見直した。
「早く来いよ」
「あっ、ちょっと待って」
タクシーの中から手招きする先輩を追う。
でも、タクシーに乗る前にどうしても確かめておかないといけないことがあった。
「タクシーに乗る時って靴を脱ぐものなの?」
先輩に、とても微妙な瞳で見られてしまった……。
1時間ほどで桐乃が滞在しているという寄宿舎に到着する。
真っ白なその建物は寄宿舎というよりも避暑地のコテージを連想させる外観をしていた。
「Hi, Jack! How are you? (俺が兄貴だ。桐乃たんに会わせろ。ぺろぺろしたいんだ)」
「I’m fine. Thank you(男が桐乃たんに近付こうものなら撃ち殺してやる所だったが、兄貴なら許可するぜ)」
手続きもすんなり済んで、桐乃の部屋へと向かう。
「最初は俺がちょっと話をする」
「そうね。桐乃がメールを送った相手はあなたなのだし」
私はちょっと離れた所で先輩のやり取りを見守ることにする。
先輩がちょっと気まずそうな顔をしながら部屋の戸を叩く。
すると、ほんの少しの間を置いて扉が開いた。
「う、うぅ?」
3ヶ月ぶり以上に見る桐乃は先輩の顔を見て引き攣っていた。
思ってもみなかった顔があるのだからそれも当然かもしれない。
ちなみに桐乃の頭には灰色の学生服ズボンがヘアバンド代わりに巻かれている。
あれは、先輩のズボン?
どうやら先輩のズボンは風に乗って太平洋を越え、このアメリカの大地に落ちたらしい。
それをたまたま桐乃が拾い、髪を束ねる道具として使っている。
まあ、よく起きそうな偶然かしらね。
特に問題視するほどのことでもないわね。
私も気が付くと、先輩の使用済み歯ブラシで歯を磨いていたりするし。
「よぉ、久しぶり」
先輩は不自然な笑顔で桐乃に笑い掛けた。
うん。胡散臭いわね。
「何であんたがここにいるの?」
案の定桐乃は驚き、かつ胡散臭そうな眼で先輩を見ている。
「あのなあ、俺がお前に会いに来ちゃおかしいか?」
「おかしいってぇの」
この場合は桐乃の言葉の方が妥当だろう。
何しろここはアメリカなのだし。
自分で送り出しておいて何だけど、改めて先輩は無茶していると思う。
「親父も心配してたぞ」
「そっか。お父さんが」
けれど、そんな桐乃もお義父さまの名が出た途端、先ほどまでの勢いがなくなった。
急に落ち込んだ表情を見せる。
「親父だけじゃねえ。あやせも沙織も滅茶苦茶心配してたんだぜ。何でお前連絡しないんだよ?」
「チッ。あんたには関係ないでしょ」
桐乃は如何にも忌々しいという風に舌打ちしてみせた。
そう。大きな問題はそこにある。
桐乃は私たちの誰にも一言も告げずに旅立ち、現在に至るまで連絡を寄越さない。
それはあまりにも不可解な現象だった。
多分そこに今回この子が先輩とお義父さまにだけメールを寄越してきた謎があるのではないかと思う。
その謎を解かない限り、この子の心は行き詰ったままだと思う。
「つーか、何しに来たわけ?」
桐乃が不信感半分、当惑残りの5分の4、他の感情その残りと言った表情で先輩を見る。
この質問の返答を間違えれば恐らく桐乃は怒ってドアを閉めてしまう。
あの子はそういう子。
さて、先輩はどう答えるのかしら?
そして出した答えは──
「エロゲーやりに来た」
先輩は妹モノエロゲー『妹×妹』を見せながらニッコリと笑った。
その発想はなかった。
「あっ、あっ、ああ……」
桐乃も予想外の回答に呆然としているようだった。
ドアの前に立ち尽くしている。
でも、扉は閉められていない。
先輩の回答は正解だったようだ。
この隙を逃さずに一気に私も畳み掛ける。
「久しぶりに会ったと思ったら相変わらず間抜けな表情をしているのね、貴方は」
先輩の横に立って桐乃をバカにしたように見上げる。
「なっ、なっ、何で黒いのまでここにいるのよぉっ!?」
桐乃は心底面食らった表情で驚いていた。
「友達の所に遊びに来ただけよ。それがどうかしたかしら?」
「…………………入りなさいよ」
こうして桐乃は陥落した。
室内に入ると、広々とした部屋にベッドが2つ、そして机が2つあるのが見えた。
きちんと整理整頓されているベッドが桐乃で、乱雑に布団が捲れっ放しになっているのがルームメイトのもので間違いない。
桐乃はアメリカに行っても相変わらず外面完璧人間を続けているようだった。
そして現在その桐乃は先輩と共にエロゲーをプレイしている。
先輩は目線で力強く私に任せろと語っていた。
ここは先輩にお任せしたいと思う。
桐乃もきっと先輩に力になって欲しいだろうし。
「意味わかんない。どうしてアタシアメリカまで来て、あんたとエロゲーやってんだろ?」
「お前がわかった。やるって言ったからだろ」
「あんたが表でエロゲーエロゲー騒ぐからでしょ。あーまじ、意味わかんないし」
先輩・桐乃会談が始まった。
さて、私は何をしようかしら?
「アタシも本当は今頃走ってたんだけど、コーチに止められちゃってさ。できるって言ったのに……」
やっぱり、あのルームメイトのベッドの散らかり様が気になるわね。
自宅で主婦、そしてこれからは高坂家の主婦となる者としては見過ごせないわ。
「ねえ、あんたは?」
「何が、だ?」
こんな風に起きっ放しで整頓もしないで出掛けるなんてだらしない子なのかしらね?
ぬいぐるみが幾つもある所を見ると桐乃よりも年下の子のようだけど。
「みんなアタシのこと心配してたっつったじゃん? あんたは?」
「あっ……心配してたに決まってんだろ」
「ふ~ん」
でもこの子、桐乃と一緒に暮らしているということは変な影響を受けているじゃないのかしら?
日向は「あたしもルリ姉の毒電波の影響を受けてしまっているせいでクラスの中で変な目で見られてる」とよく私に文句を言ってくる。
私は常に日向の善き姉でいると思っている。なのに、年下の少女は悪影響を蒙るっていると訴えてくる場合もある。オタクとはかように過酷な生物。存在自体が悪なのかしら?
掃除しながらこのルームメイトがメルルの如き悪しきアニメに嵌っていないか入念にチェックする。
「お前さ、俺に会えなくて寂しかったか?」
「あっ……バカじゃん。そんなわけないでしょ!」
「そっか。俺は、寂しかったぞ」
「えっ?」
ベッドの下を隅々までチェック。
エッチな本もメルルのDVDもないわね。
どうやらまだ桐乃による脳汚染はそんなに進んでいないらしい。
「寂しくて寂しくて……黒猫に叱られちゃったよ。妹の代わりにすんなってさ」
えっ?
今、急に私の名前が出た気がする。
でも、2人の話をほとんど聞いていなかったので何を喋っているのかわからない。
口を、挟めない。
「……シスコン」
「ほっとけ」
よくわからないけれど、桐乃は少しだけ笑っていた。
もう少し、2人の話に耳を傾けないといけないようだった。
「この黒いの、同じ学校に行ったらしいじゃん」
桐乃は私のことを話題にするのにわざわざ先輩に話し掛けている。
2人きりの空間を維持しようとする願望かしら?
まあ、別に構わないけれど。
「ああ、ああいう性格だから色々あったけどな。今はゲーム研究会で友達もできて上手くやってるよ」
けれど、先輩の言い方は何か腹立たしい。
ゲーム研究会や赤城瀬菜のことも重要なのは間違いない。けれど、あなたは妹に語らなければならないもっと大事な話があるでしょうが。
私と先輩が結婚して、桐乃は私の義理の妹になった話をしてくれないと。
「あっそ」
「友達取られたみたいで妬いちゃうかぁ?」
「全然。そろそろあんな女にも飽きてきた所だから。押し付ける相手ができて、調度良かったっつーの」
けれど、先輩は私との関係の話を持ち出さなかった。
まだ喋る時ではないと考えているのかもしれない。
確かにこの子はヘソを曲げると人の話を一切聞かなくなる意固地な娘。
そして重度のブラコン。
ここで私たちの関係を知ったら怒り出して全てがフイになる可能性は否定できない。
にしても桐乃のヤツ、「あんな女にも飽きてきた所だから」とは随分な表現を使ってくれるわね。私も以前同じ表現を使った気がするけれど。
とにかく、私をコケにしてくれる夫と義理の妹に不平不満の視線を送る。
けれど、2人は私がいないかのように振舞っている。あの兄妹、都合の悪い時だけ結託してくれやがるわね。
アメリカの家の掃除道具と家具は勝手がよくわからないけれど、自分でできる範囲の掃除を進めて行く。
何故他人の部屋の掃除を勝手にしているのか?
そんなことは決まっている。
そこにゴミがあるからよ。
「今日さ、コーチに走れるって言ったんだけど、全然取り合ってくんなくって。ちょっと凹んでたんだけど、エロゲーやってたらなんか元気出てきたよ」
「そりゃあ良かったな」
しかしこの兄妹、何て会話をしているのかしらね?
「久しぶりに好きなことできるわけなんだからさ、結構嬉しかったりするんだよね」
けれど、先輩の顔を見てから桐乃の表情が段々明るくなっているのは確かだった。
じゃあ、そろそろ平気なのかもしれない。
先輩と私の視線が合う。
そして私たちは同時に頷いた。
「あのメール、どういうことだ?」
そして先輩は本題を切り出した。
「書いた通りのことじゃん」
メールの話題が出た瞬間、桐乃はあからさまに目を背けた。
掃除機を掛けていた手とスイッチが止まる。
「捨てて良いのか、お前のコレクション?」
「……うん」
桐乃の両目から一筋ずつの涙が流れ始める。
それを見て私は義妹に駆け寄ろうとした。
けれど、先輩はそんな私を桐乃には見えない様に手でそっと制した。
「本当にか?」
「…………うん」
桐乃の涙は止まらない。
見ていて私まで胸を打たれる。
けれど、それでも先輩は私を制し続けている。
やはりここは、夫を信じて事態が解決するのを待つしかないらしい。
頑張って、あなた。
「何でだ?」
先輩は茶化したりせずに桐乃に理由を尋ねた。
「そうしないと、甘えが、消えないから」
桐乃は少しの間逡巡した後、その理由をポツポツと話し始めた。
「甘え?」
その理由は私にも先輩にもわからない、言葉足らずなものだった。
でも、桐乃の口から出たその単語は確かに桐乃らしいものではあった。
プライドが高くてストイックでどこまでも自分を追い詰めてしまうあの子らしいもの。
「うん。ここに来る時、自分に縛りを掛けたの。ここの誰かにタイムアタックで1勝するまで、日本の友達とは連絡取らないっていう縛り」
桐乃の口から語られる真実。
それは桐乃だけでなく私や先輩の胸も締め付けるものだった。
「アタシの実力じゃ、世界には通用しないってのはわかってた。でも、全力で頑張ればギリギリ何とか。そう思って……調度良い目標だと思って。みんな心配するだろうな。悪いなって思ったけど、だからこそ、みんなと話す為に勝つんだって。頑張れるって思ったの」
桐乃の慟哭が痛い。
「すぐ勝って、事情話して謝れるって思ってた。でも……勝てなかった」
バカな娘だなって思った。
そんなに自分を辛く縛り付ける必要なんてないのに。
けれど、桐乃がこういう性格の子だということは私にもよくわかっていたはず。
高校新生活に懸命に対応しようとしている内に、桐乃と連絡を取る重要性を段々と感じなくなっていった自分のバカさ加減に本気で腹が立つ。
言葉も生活スタイルも違う異国で、知り合いもなしに生活している桐乃の方が辛いに決まっているのに。
私は、自分のことしか考えてなかった。
「みんなには、申し訳ないなって思ってるよ。でも、言えないじゃん。そんなの他の誰にも……」
申し訳ないと思わないといけないのは私の方。
「それで俺と親父なのか? どこまでストイックなんだ、お前」
先輩もまた苦しそうな表情を浮かべていた。
再び先輩と視線が合う。
同時に頷きあう。
やっぱり、ここは私たちが桐乃を救ってあげなくちゃいけない。
そして先輩は動いた。
「一緒に帰ろうぜ」
先輩の申し出た言葉は私の考えと一致していた。
「俺と一緒に日本に帰ろう」
先輩はもう1度自分の考えを、私たちの考えを力強く述べた。
「何でそうなんの? アタシ、息巻いて留学したのに、半年もしない内にダメだったって、日本に逃げ帰れって?」
桐乃は私たちの申し出を拒絶する。
それは彼女からすれば当然のこと。
そしてそんな選択肢が取れるぐらいの柔軟性を持っているのなら今のように自分を追い詰めることはなかったはず。
でも、桐乃は自分の選択によって行き場がない所に追いやられてしまっている。
だから、私たちが強引にでも桐乃を八方塞の空間から引きずり出さないといけない。
「ああ」
だから、先輩は、そして夫と心を共にしている私は一歩も引かない。
「出来るわけないでしょ? アタシを誰だって思ってるの?」
「俺の妹だ!」
生で見るのは2度目の先輩の本気お兄ちゃんモード。
熱い語りで妹の固い氷の心を溶かして行く。
「心配して何が悪いっ! 辛いんだろっ! 友達と喋って遊びたいんだろっ! だったら日本に戻って来いよっ!」
「出来ないっつってんでしょっ!」
けれど、今回ばかりは桐乃も一歩も譲ろうとしない。
それは、彼女がどれほどの覚悟を決めてアメリカに来たのか少し考えてみればわかることだった。
ここで日本に帰ることは、おそらくこれまで桐乃が積み上げて来たものを下手すれば全否定することに繋がる。
「そんな簡単に……アタシがどんな気持ちで陸上やって来たかわかんないからそんなこと言えんのよ。アタシは絶対帰んないから。アンタなんかにはわかんないっ!」
やはり、桐乃のこの留学に賭ける想いをひたすらに重い。
けれども、それがわかっていてもまだ踏み込んで来るのが私の夫、高坂京介だった。
「お前がいないと寂しいんだよっ!」
先輩は、泣いていた。
「あっ」
桐乃は先輩の顔を見て驚いていた。
「結局それなんだよ。あやせのこともぶっちゃっけオマケみたいなもんなんだ。俺は、お前がいないと寂しくて嫌だから連れ戻しに来た。それだけだっ!」
妹の為ならどんなみっともない醜態を晒しても、その果たすべきことをなす。
それが、私の大好きな高坂京介という人間。
「お前の都合なんて知ったこっちゃねえ。文句あっか!」
言っていることなんて支離滅裂で単語の一つ一つを分析すればただ我侭を述べているだけ。けれども、聞いている人間の胸を打つ。それが先輩の言葉。
「もう頑張らなくても良い。すごくなくても良い。俺のことが嫌いでも良い。周りの目なんか気にすんな。こんなに一生懸命なお前に文句言うヤツがいたら、俺がぶっ飛ばしてやるからさあ」
「あ、あんた……」
頑なだった桐乃の心も溶かされていく。
「一緒に、帰ろうぜ。じゃないと俺、死ぬかもしれない」
先輩は泣きながら必死に訴えた。
これなら桐乃だって心を動かされないわけがなかった。
けれど……
「ダメ。やっぱり帰れない。アタシまだ、タイムアタックで1勝もしていないんだもん」
それでも桐乃は首を横に振った。
先輩は涙目のまま私を見た。
「ここで私に振るの?」
できることなら先輩に最後まで締めて欲しかった。
その方が高坂家の今後の平穏の為に良い。
けれど、考えてみれば私も今日から高坂家の一員。
決して他人事ではなかった。
なら、先輩が作ってくれたこの流れ、私がみごとに締めてみせるわよ!
本当は帰りたいのにタイムアタックに勝利するまで帰らないと強情を張る桐乃。
そんな彼女に、私は掃除機を床に置いて近づいて行く。
「それじゃあ貴方は、タイムアタックで勝利するまでは日本に帰って来ないというわけね?」
桐乃の顔をキツい瞳でジッと見る。
「そっ、そうよ。負けっ放しで帰るなんてアタシのプライドが許さないんだからっ!」
桐乃は腕を組んでいつものポーズで強がってみせた。
ここまでもう心が日本に傾きかけているのにまだ帰らないなんて本当にどうしようもないほどに強情だ。
でも、だったら──
「そう。だったら、今日の所は諦めてホテルに引き上げましょう、あなた」
先輩の方を向いて一旦引き下がることを提案する。
「へっ?」
「ちょっ、ちょっとぉっ! アタシを置いて帰るって言うのっ!?」
2人には私の言葉が予想外だったようだ。
でも別に私は変なことを言ったつもりはない。
「貴方はタイムアタックに勝つまで帰らない。けれどタイムアタックに勝つのは簡単なことじゃない。だったら貴方はすぐには日本に帰れないんじゃないの?」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
桐乃は私の言葉が不満らしい。
強引に連れ帰ってくれないことへの不満だろうか?
でも私は桐乃の意思を尊重してあげているのだから文句を言われるのは理不尽だ。
「そういうわけで今夜は近くのホテルでゆっくり休みましょう、あなた」
先輩の腕を取って絡ませてみたりする。
こんな風に男性と腕を組んだのは生まれて初めてのことだった。
「おっ、おっ、おい……」
先輩が真っ赤になっちゃって可愛い。
「なっ、なっ、何をやってるのよ、アンタたちはぁああああああぁっ!」
一方、両手を振り上げ真っ赤になって怒るこっちの娘はそんなに可愛くない。
同じ真っ赤なのに。
「何でアタシのことを連れ戻しに来たアンタたちがイチャついてんのよ、死ねぇっ!」
「ぐっはぁああああああぁっ!?」
桐乃のドロップキックが先輩の背中に命中。先輩は大きく吹き飛んだ。
「大体、アンタもアンタよ。こんなケダモノと一緒にホテルだなんて……一体、な、な、何を考えてアメリカまで来てんよ!」
桐乃は怒り心頭、でも泣き出しそうな顔で私を睨んでいる。
まあ、もっと怒ってくれた方が私にとっては都合が良い。
なので今回のアメリカ滞在のもう一つの目的をきちんと述べることにする。
「別におかしくはないわよ。だって今回のアメリカ行きは私たちの新婚旅行も兼ねているのだから」
軽く息を吐いて桐乃の反応を待つ。
「しっ、しっ、新婚旅行ですってぇええええええええぇっ!?」
すると桐乃は鼓膜が破れるんじゃないかと思うぐらいに大きな声を上げてくれた。
予想通り、ううん、予想以上の驚きっぷりを表してくれた。
「し、しっ、新婚旅行ってどういう意味なのよっ!?」
桐乃は目を剥いて怒っている。
「新婚夫婦が行う旅行って意味よ。そんなことも知らないの?」
「知ってるわよ、それぐらいっ!」
桐乃は怒りの表情を崩さずに先輩へと向き直る。
「あの黒いのと新婚ってどういうことよ?」
「あ~ま~その、なんだ。色々あって俺たち、結婚したんだ」
先輩はとても引き攣った表情で目を逸らしながらそう結論だけを述べた。
「いっ、妹がいない間に妹の友達と結婚するなんて……」
桐乃は後方へとよろめき、そして
「信じらんないことしてんじゃないわよぉおおおおおおおぉっ!!」
ウエスタン・ラリアットを思いっきり先輩の首へと極めてくれた。
「ぐっはぁああああああああああぁっ!?」
再び吹き飛ぶ先輩。
「まあ、そういうわけだから私と京介は今日の所はホテルに泊まって……し、し、新婚初夜をエンジョイすることにするわ」
言っていて急に恥ずかしくなってきた。
そういえば先輩と私はもう夫婦なわけで。
夫婦と言えばエッチなこともする関係なわけで。
今日は自分で言った通りに新婚初夜に当たるわけで。
先輩と2人きりで泊まれば当然そんな展開が待っているわけで。
そんな展開はエッチなことに免疫がない私には耐えられないわけで。
でも、先輩とそんな関係になるのが嫌かと言われたらそうではないわけで。
今夜、私の身に起きるに違いないことを想像してみる。
脳にクラッときて立っていられなくなり、床にしゃがみ込んでしまう。
「……成田空港に着く頃には私のお腹には先輩の赤ちゃんができちゃってるわね。確実に」
想像の中の先輩はケダモノ過ぎて妊娠END以外の自分が想像できない。
そんな自分が……ちょっとだけ好き♪
「ちょっと黒いのっ! あんた、一体何を想像したのよっ! 鼻血出てるじゃないの!」
義妹がうるさい。
「うるさいわね。来年には貴方も甥か姪のできる叔母さんになるのだから少しは大人としての自覚を持ちなさいよ」
「まだ中学生のアタシが…来年にはおばさんですってぇええええええぇっ!?」
桐乃が更に更に大きな声を上げる。
「このアメリカの広大な大地で新婚初夜を迎えてしまえばそれは避けられないわね」
やっぱり、広い国にいると心まで開放的になってくる。
今日の私はちょっと大胆♪
「だったらぁっ! ちょっと待ってなさいよぉっ!」
桐乃はシューズが入った袋を引っ掴んでどこかへ駆け出して行った。
「おい、桐乃行っちゃったぞ。いいのか?」
「いいのよ。それより私たちも帰国の準備を始めましょ」
訝しがる先輩に鼻歌を交えながら答える。
「何故帰国準備?」
「最高を超えるコンディションなら、きっと誰が相手でも勝てるからよ」
「はぁ?」
私はあの子の実力を過小評価するつもりはない。
今のあの子なら多分ここの誰よりも速い。
「でも、タイムアタックが終わるまでにはまだ時間が掛かりそうね」
練習中にいきなり勝負とはいかないだろう。だから、タイムアタックが行われるのは全体練習が終わった後になるに違いない。
だったら……。
「ねえ、京介♪」
桐乃のベッドに座りながら先輩に問う。
「な、なんだ瑠璃?」
どもりながらも京介はちゃんと返事してくれた。
「私たちは夫婦で新婚旅行の最中。桐乃はしばらく帰って来ない。そして、アメリカまで来て1度もベッドで休まないで帰るなんて疲れるだけだと思わない?」
「そ、それって……っ」
京介の顔が真っ赤に染まった。
「京介は……どうしたいの?」
尋ねる私の顔も真っ赤に違いなかった。
普段の私なら信じられないぐらいに大胆なことを訊いていた。
これが、アメリカ効果。
「お、俺は……」
京介はゆっくりと近付いてきて、そして私を力強く抱きしめた……。
2時間以上が過ぎてようやく桐乃が室内に帰って来た。
「さぁっ、タイムアタックでここにいる子たち全員に勝利にしてきたわ。もうここには用がない。日本へ帰るわよぉおおおおおおぉっ!」
予想通り、桐乃は意気揚々と引き上げてきた。
しかし、本当に全員に勝利してしまうとは。
この子のブラコンエネルギーは底なしなのね。
「で、アンタたちは何で部屋で待っていただけでそんなに息を切らせてんのよ? 何か衣服も乱れているような気もするし?」
桐乃が首を捻る。
「掃除してたのよ」
しれっと答える。
「掃除? そう言えば、部屋全体が綺麗になってる。布団もシーツも綺麗に畳んである。何々、アタシがタイムアタックに勝って日本に帰るって予測してたわけぇ?」
「……そうよ」
ついでに言えば部屋に戻って来るのは2時間以上経ってからであることも。
「荷物もまとめておいたわ」
「うっしゃぁっ! それじゃあ早速帰りましょうかぁ! 残念ね、アンタたちはアメリカで泊まることなく帰るのよ。あっはっはっは」
意気揚々と歩き出す桐乃。
タイムアタックで勝利し、私と先輩の新婚初夜も止めたことで凱旋帰国の気分なのだと思う。
落ち込んでいた義理の妹がこうして元気になってくれたのだ。
その雰囲気に水を差す必要はない。
私と、一言も喋らないように釘を刺しておいた京介が桐乃の後ろについて歩いて行く。
鼻歌交じりでご機嫌な桐乃に聞こえないように小さな一言を呟く。
「……でもやっぱり貴方は来年には叔母さんになってしまうかもしれないけれど」
京介の背中がビクッと震える。
何はともあれこうして先輩に受け入れてもらうという当初の目的を果たし、桐乃の悩みも解決することも出来た。
まあ、全ては結果オーライということで。
「ほらっ、早く空港に向かうわよっ!」
振り返る桐乃の顔は輝いて見えた。
さすがは読者モデルをこなすだけはある同性の私でさえ見惚れてしまう笑顔。
ほんと、私の義妹がこんなに可愛いわけが……ある、わよね
おわり
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俺妹アニメ15話が配信されていた時に発表した作品。
題名通り15話のアナザーエンドです。
見た人は思い出をぶち壊し、見てない人は騙されてください。
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