1.ブランド
行儀よく整列したそれの前のネームプレートを見て、光は目をぱちくりさせた。
「『一文字印のカツサンド』……?」
なるほど、どのサンドウィッチも肉厚でジューシーそうなロースカツが挟まっている。しかし、光がひっかかったのはそっちではない。
「一文字……って」
「お、もしかして茜ちゃんの同級生かい?」
光の独り言が聞こえたのか、パン屋の主人が話しかけてきた。
「は、はい」
「そのカツサンドは実はねえ」
と、主人が説明しかけたところで、噂の当人が騒々しく現れた。
「あー、おじちゃん! 本当に書いちゃったんだ」
一文字茜はプレートを見るなり、頭を抱えた。
「いいじゃないか。茜ちゃんあっての新商品だぞ」
「そうだけど、恥ずかしいよ、ボク」
光はきょとんとして二人を見回した。
「いやね、新しくカツサンドを商品に加えようと思ってたんだけど」
主人は光に向かって話し始めた。忘れ去られてはいなかったらしい。
「こっちはパン屋だからね。どうも中身のカツが上手くいかない。壁にぶち当たってたところに、茜ちゃんが助言してくれたんだ。モチはモチ屋だって」
茜が引き継いだ。
「ちょうど、あっち、もうちょっと学校寄りの方かな。そこのお肉屋さんがやっぱりカツサンドを作ろうとしてて。でも、いいパンがないって嘆いてたから」
光もぴんと来た。
「ここのパンで、そこのカツを挟んだんだ!」
「そうそう」
茜はうなずくとパン屋の主人に向き直った。
「ほら、陽ノ下さんだって気付くんだから。こんな大げさにしないでよ」
しかしパン屋の主人も譲らない。
「いいや。最初に気がつくのは大したもんだ。茜ちゃんがいなければ、もっとまずいのを客に出してたんだから」
「気持ちだけにしておいてよ」
押し問答がまた始まってしまった。光はどっちに味方すべきか悩んだ末、中立で行くことにした。
「とりあえず、そのカツサンド、一つ下さい」
「お。まいどあり。一文字印のカツサンド一つ、398円です」
「ああもう、いちいち一文字印って言わなくていいよ!」
茜は頬を真っ赤にして食って掛かる。
「いやいや、ちゃんと言わないと」
またも論争(?)が勃発しそうだったので、光はとりあえず割って入った。
「えっと、あの。共同開発したってことは、お肉屋さんのほうでもこのカツサンドは売ってるんですか?」
主人は茜を鎮めつつうなずいた。
「ああ。売ってるよ。同じ名前でね」
茜はそれを聞くと飛び上がった。
「うわあ、あっちでも!? 大変だ、こうしちゃいられない」
茜は飛び出して行った。おそらく今度は肉屋の主人を締め上げるのだろう。
「ははは、いい子だよ」
パン屋の主人は上機嫌だったが、光はどう反応していいかわからず、あいまいな笑顔を浮かべて店を出た。
近くに小さな公園があった。木陰のベンチに腰を下ろすと、光はカツサンドの包みを開けかけた。
「あ、そうだ。飲み物が欲しいな」
見回すまでもなく、すぐ近くに自販機があった。ミルクティに指が伸びたが、赤い×印が点灯している。仕方なく隣のストレートティに変えた。
がこん、と出てきた缶を取り出したところで、「あ」という声が聞こえた。
「? あ」
光は頬を緩ませて、手を振る。
「やっほー、今帰り?」
公園の入り口で突っ立っていたのは、光の幼なじみおよびその手の中の。
「あ、それ」
光は笑って自分の手の中の物を目の高さまで持ち上げた。
「あれ。光も買ってたのか」
「うん。そこのパン屋さんで。一文字さんが考えたんだってね」
「ああ。俺はあっちの肉屋で買ったんだけど。途中で一文字さんが怒鳴り込んできたよ。何でこんな名前にしたんだって」
光はぷっと吹き出して、パン屋での騒動について話した。
「……で、一文字さんが駆け出して行ったんだ」
「なるほど、それで俺の方につながるんだな」
二人は笑い合い、一息ついて、面白いくらいに同時のタイミングでカツサンドを一口食べた。
「うん、おいしい」
「うまいな」
空気が止まった。
「おいしいよね」
「うん、うまい」
光はカツサンドのかじった周辺をじっと見つめた。
(おいしい。とっても……でも、なんかちょっと)
光は視線を隣に向けた。横顔が、光と同じ感想を無言で語っている。
「うーん」
光がどう説明しようか考えていると、機先を制された。
「何て言うか、満点じゃない感じだよな」
光はうなずいた。
「95……ううん、99点くらい」
「おかしいよなあ。俺、別に美食家でも何でもないし、カツサンド好きだけど、そんなすごいこだわりがあるわけでもないんだけどなあ」
光も小首を傾げた。
「私もだよ。何でちょっと物足りないのかなあ」
二人はしばし考え、お互いを指差して同時に言った。
『あれと比べてるからだ!』
二人はきょとんとし、それから笑い合った。
「アハハハ、すごい、ハモったよ」
「本当だな。でも、お互いの『あれ』って同じカツサンドなのかな」
「え。あれだよね。あの」
光は言いかけたが、制されてしまった。
「待った光。また同時に言ってみよう。せーの」
光は呼吸を合わせた。
「「こううこえんできひかみりととたべたたべ」」
どうも意識すると上手く合わない。仕方なく二人はばらばらに言った。
「公園で君と食べた」
「公園で光と食べた」
二人はうなずきあった。
「内容の方は合ってたな」
「うん。それにしてもあのカツサンド、どこのだったんだろう?」
「うーん」
「うーん」
うなりながらも、光は考えていた。
(でも、きっと舌が味を覚えてるよね……?)
2.ハンドメイド
翌朝、光は陸上部の朝練もないのにいつもより早起きをした。母親に一言。
「今日のお弁当は私、自分で作るね」
光は冷蔵庫から昨日買った豚肉(ロース)を取り出し、じっと見つめた。
(お肉屋さんに筋切りもしてもらったし)
ついで、パンを見た。
(柔らかい方がいいんだよね)
キャベツにソース。
(よし、完璧)
腕まくりをして調理開始。包丁の音や油の弾ける音でキッチンは賑やかになった。そして、数十分後。
「できた!」
皿の上のカツサンドを見て光は上機嫌になった。
(すっごく美味しそう。私も結構やるじゃん。なんて、えへへ。ちょっと味見)
が、一口食べてみて気分は急降下する。
(う~ん。まずくはないんだけど……なんか違うんだよね)
一文字印のカツサンドですら「何か違う」と感じた舌を唸らせるためには、一体どうすればいいのか。光は首を傾げた。
(あのとき、どこで食べたっけ)
記憶は過去に遡る。緑の芝と、カツサンドと、二人の笑顔。
(中央公園? だとするとお弁当だったのかな? どっちかのお母さんが作った)
箱から出てきた美味しそうなカツサンド。
(……? 箱から? どうして?)
サンドウィッチが箱に入っていること自体は何もおかしくはない。しかし、もし母親の手作りならバスケットやタッパー、ランチボックスに入っていそうなものだ。
(なんか……紙の箱だったような気がするんだよね……あっ)
光は紙の箱だったことを裏付ける記憶を掘り出した。
(空になった箱をぽいっとその辺に捨てそうになって、お母さんに怒られたんだ)
主語がないのは、二人同時にやったからだ。
(紙の箱で決まり。そうすると……やっぱりどこか、お店のカツサンドだったのかな。箱の外側に何か書いてあったかも知れないけど)
いかんせん過去に戻るタイムマシンはまだ発明されていない。しかし、どうやら未来へ進むタイムマシンはもうあったらしい。
「あ。いけない、遅刻しちゃう!」
光はカツサンドを慌ててタッパーに収め、カバンに入れて家を出た。
午前中の授業がどうと言うこともなく過ぎて、昼休みになった。光はカツサンドを持ってちょっと後ろの机まで行く。相方もちょうど弁当箱を取り出したところだ。
「ねえ、お昼一緒に食べようよ!」
「ああ。でも、今日は屋上は無理だな」
窓から雨模様の空を見て、光はうなずいた。
「しょうがないね」
二人はそのまま教室で、向かい合わせになって机上に弁当を開いた。
「あれ、光、また一文字さんのカツサンド?」
「ううん。今日のは自分で作ってみたんだけど」
光は苦笑いした。
「やっぱり一文字さんにはかなわないよ」
向かい側の笑いは、苦味がなかった。
「あはは、あれは一文字さんが作ったわけじゃないだろ。相手は高校生じゃなくてプロ、プロ」
「でもさあ……」
一文字印の物足りなさを解消した満点のカツサンドを作りたかった、などというのがおこがましく思えて光は言葉を濁した。代わりに文句を言う。
「あーあ。ちゃんとお肉に下味も付けたし、キッチンペーパーで水気も切ったし、ソースも自分で作ったのに」
光は言いながら気がついた。
「ソースかな? 何か高度な技があるのかな」
「ちょっと一口」
手が伸びてきたので光は笑った。
「一口と言わず、一切れどうぞ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
いかにも男らしく大きくかじる。
「充分うまいけど……」
光はうなずいた。
「何か違うでしょ、昔食べたのと」
「うーん。確かに。でも、ソースの微妙な味なんて俺、分からないと思うけどなあ。食べたの子供の頃だったし」
「うーん」
「うーん」
昨日と同じ展開になったところで、教室の扉が開いた。二人が反射的に振り向くと、そこには。
『あ、華澄さ……先生』
見事なハーモニーに麻生華澄は穏やかに微笑んだ。
「二人揃ってお弁当? いいわね」
「華澄さんも一緒に食べる?」
と今度はソロで相方が言う。光は慌てて言った。
「華澄先生、私たちに用事ですか?」
華澄はうなずいた。
「そうそう、忘れるところだったわ。今日ね、坂城君が風邪で早退することになってしまって。どちらか、掃除当番を代わってくれないかしら」
「うわ、匠のやつ、サボリじゃないだろうな?」
華澄は少し眉をしかめた。
「こら。そんなことを言っちゃ駄目でしょう。本当に辛そうだったわよ」
「はーい」
光はくすっと笑い、掃除当番を買って出ようとした。
「じゃあ私……」
「俺がやるよ」
珍しく機先を制されてしまった。
「え、いいの?」
「ああ。匠のやつに恩を着せるいいチャンスだ」
ぷっと女二人は吹き出した。
「うふふ、じゃあ、お願いね」
踵を返しかけて華澄は、光の弁当に視線をやった。
「あら、カツサンド? 噂の一文字さんの?」
「これは私が……」
光はちょっと顔を赤らめた。華澄は微笑む。
「そう。手作りなのね。さすが光ちゃん」
華澄はさらに笑顔を柔らかくした。
「二人とカツサンド、という取り合わせを見ると昔を思い出すわね。よくお弁当に持って中央公園に行ったっけ」
光はぱっと反応した。
「華澄さん、あの頃のカツサンド、お店とか覚えてますか?」
華澄は天井をにらんだ。
「お店の名前は覚えてないけど……ええと……確か、私の実家の近くだったと思う。よく私か、私の母が買って光ちゃんたちと合流してたから」
華澄は軽く手を打ち合わせた。
「そうそう。あの、いつも猫がたくさんいた古いお家、覚えてる?」
光はにこやかにうなずいた。
「うん。近くを通るといつも、みんなでにゃあにゃあ甘えてきたよね」
「そうか? 俺はいつも威嚇されてたけど。フーッとか言って」
またも女二人は吹き出し、男一人はむくれた。
「そう、あのお家の裏手にあったはずよ。今もあるのかしら」
重要な情報だ。光はぐっと拳を握った。
「よーし、今日早速行ってみよう!」
3.ディクレッシェンド
光は一人、いつもと違う道を歩いていた。猫屋敷が遠目に見えてくる。
もちろん、一人より二人で行きたかったのだが、
「いいよ。俺、掃除当番だし」
「え、終わるまで待ってるよ。手伝ってもいいし」
「いや。どうせあの家の猫たちにひっかかれるから」
というような会話を経て、一人やってくる羽目になったのだ。
(もう……しょうがないなあ)
回想しているうち、猫屋敷の門前までやってきた。
「……?」
いつもにゃあにゃあとにぎやかだった家は、しんと静まり返っている。垣根には蔦がはびこっており、何より表札がない。空しい長方形の窪みを見て、光は小さくつぶやいた。
「……引越しちゃったのかな」
一抹の不安が過ぎる。光は次第に急ぎ足になり、ついには駆け足になって裏手に回った。
「……あぁ」
そこに広がっていたのは、駐車場だった。月極いくら、無断駐車は罰金いくらなどと書いてある。
「こっちも、なくなっちゃってる」
光は目をさまよわせ、何か痕跡でもないかと探してみたが、全く見当たらなかった。駐めてある青い車のボンネットに午後の陽光が空しく反射しているだけだ。
「はぁ……」
光はため息をついて、いつもの下校ルートへ戻って行った。
「そう、もう全然なくなっちゃってて、駐車場になってたんだ」
『そっか。残念だな』
「うん」
それから数分関係ないことを話して、光は受話器を置いた。
「ふう」
光は伸びをした。
(カツサンド……もう、あきらめようかな。一文字印に任せて)
もう一度伸びをして考える。
(うん……しょうがないよね。そうだ、もっと健康的なのを作ろうかな。野菜サンドとか、タマゴサンドとか)
光は立ち上がり、部屋の本棚を探した。しかし、料理本のストックはあまり多くない。キャリアの分、台所の主の方が充実した書架をもっているだろう。
「お母さーん」
光は呼びながら階下に下りていった。
「えーっと」
光は台所のすぐ近くにある小さな棚の前にしゃがみこんでいた。料理本の多くはここにあると聞いたからである。
「お弁当特集。これに載ってるかな」
色褪せた本をぱらぱらとめくる。
「あ。あった。とりあえずキープ、っと」
そんな調子で何冊か横に置いたとき、変わった本を見つけた。
「『ひびきのの自然食』?」
開いてみると、最初のページに能書きが記してあった。
「『ひびきのは、住宅地であると同時に、山海の環境に恵まれています。これを活かした料理のレシピを載せました』」
光は読み上げ、ページを繰った。
「山菜のおひたし、ふろふき大根、ワカメサラダ……美味しそうだけど、サンドウィッチはないなぁ」
光は本を閉じようとした。が、何かひっかかってまた開いた。
「? 市内で手に入るひびきの近郊の食……」
どうも近郊の産地直送の食材を扱っている食料品店やレストランがリストアップされているらしい。光は目で追っていき、息を飲んだ。
「これ!」
掲載されている写真に、見覚えがあった。『ひびきの牧場直営ショップ』とある。
「『牧場で取れた肉を使ったハム、ソーセージなど……その中でも特に人気なのは……』」
光は声のトーンを上げた。
「『特製カツサンド』! ここだったんだ!」
光は本の奥付を見た。十年前になっている。
「そっかぁ……」
光は時の経過に思いを馳せたが、それよりもまだ現役かもしれないもの方に思いが移った。
「この経営してた牧場って、まだあるのかな?」
そこに行けば、カツサンドが、もしくは使われていた豚肉が手に入るかもしれない。
「そうだ、報告しなくっちゃ」
光は二十分くらい前に置いた受話器をまた手に取ろうと自分の部屋に向かいかけ、止まった。
(びっくりさせるのもいいかなぁ)
もう手に入らないと思っていたカツサンドが突然現れたらさぞ驚くだろう。光はうなずいた。
(今度、一人で行ってみようっと)
4.カツサンド
ひびきの牧場は、そう名乗ってはいるが、市外にあった。冬にスキー客でにぎわう真多羅尾高原のさらに先だ。駅前でもう、高原の涼しい風が吹き抜けている。
光は「ひびきの牧場→」と書かれた看板を見ながら首をひねった。
(うーん)
矢印のすぐ下にある、余り上手とは言えない豚のイラストに見覚えがあった。
(なんか、ここに来たことがあったような気がする)
光はふるふると首を横に振った。
(看板とにらめっこしててもしょうがないよね。行こう)
歩いてもさほどかからない距離に、先ほどの看板と同じ豚のイラストが掲げられた牧場の入り口があった。
案内図によれば、入ってすぐのところに精肉店・レストランなどの複合施設があるらしい。そこにいけばきっとあのカツサンドがあるはずだ。
(う~ん。せっかくこんな遠くまで来たんだし)
光は牧場見学コースの方に行ってみることにした。きちんと申し込めば、ガイドがついてあれこれ教えてくれるらしいが、ぶらりと行くのもいいだろう。
(風が気持ちいい!)
歩いていくと、人だかりが出来ている。ほとんどが小学生くらいの子供に見える。光はその後ろから覗いてみた。
「はーい、この子がクロスケでーす」
係らしき若い女性が子供たちの前に連れて来たのはミニブタだ。名前の通り真っ黒な彼はきょろきょろと辺りを見回している。子供たちは歓声を上げた。他にもブチ模様、白などのミニブタが数頭、子供たちの間を行き交っている。
(えへへ、かわいい)
光は目が合ったクロスケに微笑みかけたが、ちょっと複雑な気分にもなった。
(カツサンドを探しに来た、ってことは、この子たちの仲間を食べに来たってことだよね?)
思わず苦笑い。
(ん? これって)
光が何か思い出しかけたとき、こちらも係らしい中年女性が現れ、ミニブタ係の若い女性に何か事務連絡らしきことを行った。
ほんの数秒でそれは終わり、中年女性は子供たちに笑いかけて立ち去ろうとしたが、もうちょっと高い位置にある視線に気がつき、光にも会釈をした。光も会釈を返す。中年女性はそのまま止まった。
「? あの」
光は記憶を探った。知り合いだったろうか。
「間違ってたらごめんなさい。もしかして、ひびきの小学校の卒業生かしら」
「はい」
光はうなずいた。子供が同級生とかいうのがありそうだ。
「もう十年位前に、うちの牧場に見学に来たかと思うのだけど」
意外性のある展開。そして光は思い出した。
「あ。そうだ、社会科見学か何かで……」
看板に見覚えがあるのも当たり前だ。
「やっぱり」
中年女性は嬉しそうに手を打ち合わせる。その仕種が、さらに光の記憶を呼び覚ました。
『はい、これから大切なお話をしまーす』
十年前、彼女はそう言って手を打ち合わせた。
『みんなが食べているハムやソーセージ、ハンバーグやトンカツは、この豚さんたちのお肉なんです』
食べる、ということを考えさせる教育だったに違いない。しかし、子供たちには残酷なことでもあった。わあわあと泣き出す子もいた。
「……その中でも、一番最後まで泣いていて、『もう私お肉なんか食べない』って言ってた子がいてねえ」
中年女性に指摘されるまでもなく、光も思い出していた。
(そうだ。確か、何だかすごく仲良くなった子豚がいて……)
彼(?)もまたいずれ食べられてしまうことを知った光は、物凄い勢いで泣いて、目前の中年女性や引率の先生を困らせた。
「……その節は、ご迷惑おかけしました」
光が神妙に謝ると、中年女性は豪快に笑った。
「あははは、いいのよ。ああやって物凄く泣いた子ほど、食べ物を大切にするようになるんだから」
光はうなずいた。食べ物を粗末にした記憶はほとんどない。
「そうは言っても、あの同級生の男の子がなぐさめてくれなかったら大変だったかもしれないけど」
(あ)
光の脳裏に、不器用な言葉が蘇る。
『光ちゃん、泣いちゃだめだよ。おいしいおいしいって食べたら、きっとぶたもうれしいよ』
(そっか)
光は頬を緩めた。
(そんな大事なことを、忘れてたんだ……ダメだなあ)
「あの男の子は今でも友達?」
中年女性の言葉に、光は一瞬だけ止まってからうなずいた。
「はい。相変わらずです」
「そう」
「実はですね……」
光はカツサンド探しのいきさつを説明した。
「なるほど。こんなところまで探しに来てくれるなんて、ありがたい話だわ。ひびきの市内のお店は、五、六年前に閉店したのよ」
中年女性は入り口寄りの道を指し示した。
「あっちの店で今でもちゃんと売ってますよ」
「ありがとうございます!」
光はお礼を言って、店に向かって歩き始めた。
(『友達』かあ。確かにそうだけど……それだけじゃ……)
ちょっと頬が上気したあたりで、店の前に着いた。中に入ると、あの懐かしい箱が並んでいる。
(あったあ)
光は手に取りかけ、動きを止めた。
(これで、いいのかな?)
慰めよう、励まそうとした不器用な言葉が頭の中をくるくる回る。
(あのときの君くらい、思いを込めたい。そうじゃないと、それこそ豚のみんなに申し訳ないよ)
光はそのまま、精肉売り場の方に足を向けた。
5.ハッピーエンド
「どうかな?」
光が注目する中、カツサンドをかじった口が答えた。
「かなり近いけど、やっぱりちょっと違う気がするなあ」
「そっかぁ」
牧場の肉を使った、光お手製のカツサンドはかなりのセンまでは来たようだ。
「う~ん、残念。どうやったら再現できるかなぁ」
光は腕組みをしてカツサンドを睨む。と、また一切れが消えてしまった。
「あれ」
「でも、俺は好きだけど。この陽ノ下印のカツサンド」
かじりながらなので、多少こもり気味のセリフに、光の頬は上気した。
「そ、そう? 売れるかな」
「うん。でも、俺しか買わなかったりして」
「えーっ」
口ではそう言いながら、光は、
(それでもいいよ)
と目で語ってみた。
それから何週間か経ったある日、光はまたパン屋の前で足を止めた。
「『一文字印のコロッケパン』?」
光が、子供の頃に芋ほりに行った農園に出かけたのは言うまでもない。
Tweet |
|
|
1
|
0
|
追加するフォルダを選択
旧作ではありますが、光ちゃんお誕生日記念ということで。
内容は……まったりしてます(笑)。