真・恋姫†無双異聞~皇龍剣風譚~
第十話 Wind Climbing~風にあそばれて~
壱
成都城の主、蜀漢王・劉玄徳こと桃香は、薫風の心地良い城壁の上に立ち、一心に成都城の正門の向こうに目を凝らしていた。彼女の主、北郷一刀とその仲間達の帰還する姿を、いち早く見つける為だ。
『道中の宿場町で罵苦と遭遇するもこれを撃破。その際、馬岱将軍が負傷するも大事には至らず、予定通りの日時に帰還する由』との先触れを携えた伝令が成都城に到着したのが、三日前。そして、その先触れに書かれていた“予定通りの日時”と言うのが、今日の事なのであった。
桃香は、手に握りしめていた書簡に、もう一度目を通した。
『桃香へ もうすぐ会えるよ。皆にも会うのが楽しみだと伝えて下さい。北郷一刀』その書簡には、以前より遥かに達筆になった、しかし、確かに本人のものと分かる筆跡で、一刀の短い言葉が添えられていた。
桃香は、人差指でその文字を愛おしそうなぞりながら、小さく声に出して読み返した。この三日間、何度となくそうして来た様に。
「もうすぐ会えるよ―――か。まだかなぁ……」
桃香が、ぽつりとそう呟いて視線を戻そうとすると、斜め後ろにある階段の方から、聞き慣れた凛々しい声が、彼女の背中に投げかけられた。
「桃香様。朝食をお持ちしましたよ」
そう言って、手に持った風呂敷包みを掲げて見せるのは、蜀が誇る猛将、魏延こと焔耶である。
「あ!ありがとう。焔耶ちゃん」
振り返って微笑む桃香に、焔耶は微苦笑を浮かべながら包みを手渡すと、その横に並んだ。
「桃香様。なにも、この様に朝早くから待って居ずとも良いのではありませんか?お館たちだって、きっとまだ、起き出して間もない位の筈ですよ?」
「うん。それはそうなんだけど、何だか落ち着かなくって……だって、今日のお夕飯の頃には、ご主人様と一緒なんだよ?そう思ったら、何にも手に付かないんだもん」
「まぁ、お気持ちは、十分に分かりますが……」
焔耶は、桃香の静かな興奮を帯びた言葉に短く答えると、彼女が、『いただきます』と言って握り飯を頬張るのを確認してから、先程まで彼女が見ていた正門の外に広がる平原を見遣った。焔耶とて、もう一人の主、北郷一刀に早く会いたい気持ちは同じである。いや、もしかしたら、桃香や焔耶本人が思っているよりも、ずっと……。
数年前の自分なら、夢に意中の男が出て来る様になるなどとは思いもしなかっただろうし、何処ぞの占い師辺りにそんな事を言われたとしても、鼻で笑っていただろう。
しかし今では―――桃香にはああ言いこそしたが、正直、焔耶自身、今にも見つめる視線の先に、初夏の風に棚引く十文字の牙門旗が見えはしないかと、心の中では切望してしまっているのだ。成都城内でも、祝宴の準備を終えた蜀の臣下達がまんじりともせずに、一刀の帰りを今や遅しと待っている筈であったし、成都の住人達も、それは同じ事であろう。
「はぁ~。ごちそうさまでしたぁ~」
焔耶は、桃香のそんな間の抜けた声で、物思いから我に帰った。
「桃香様、もう食べてしまわれたのですか!?きちんと噛まないと、お体に良くありませんよ」
桃香は、何故か慌てた様子でそう言った焔耶を、不思議そうに見つめた。
「へ?結構ゆっくりだったと思うけど……ははぁ、さては焔耶ちゃん、私にはこんなに朝早くから―――とか言いながら、実は自分も、“ご主人様まだかな~”とか思ってボーっとしちゃってたんでしょ?」
「はい!?い、いえ、ワタシはそんな―――!!」
「そんな、何かなぁ?」
「うぅ……実は、少しだけ……」
焔耶が、こう言う時には妙に鋭い桃香の言葉に頬を染めながら渋々と頷くと、桃香は満足そうに微笑んで、その豊満過ぎる胸を“エヘン”と張った。
「うんうん。素直でよろしい。本当はその、“少しだけ~”の部分にもツッコミたい所だけど、照れてる焔耶ちゃんの可愛さに免じて、許して上げる♪」
「うぅ……あまり苛めないで下さい、桃香様……」
桃香は、更に顔を真っ赤にして俯く焔耶を悪戯っぽく見つめると、両手を腰の後ろで組み、問いかける様な上目遣いで、焔耶の顔を覗き込んだ。
「そうだよねぇ。ご主人様が帰ってきたら、たくさん“苛めて”もらわないとだもんね~。今からじゃ、疲れちゃうよね~」
「と、と、と、桃香様!?」
「あ!それとも、折角だから、一緒に“苛めて”もらっちゃおうか?」
「桃香様!!」
「えへへ―――ごめんね、焔耶ちゃん。照れる焔耶ちゃんて、すっっごく可愛いから、ついつい苛めたくなっちゃって……」
桃香は、恥ずかしさの余り目に涙を溜め出した焔耶を見て流石に悪いと思ったのか、両手を合わせて頭を下げた。
「はぁ……もう、良いです……」
焔耶は、疲れた様にそう言って、ガックリと肩を落とした。桃香が昨夜、殆ど眠っておらず、通常よりも気持ちが昂っている事を知っていたからである。
「あ~ん。そんな顔しないで?ホントにごめんなさい!!」
「いえ、本当にもう、気にしておりませんから……桃香様もどうか、お気になさらず」
桃香は、焔耶の生真面目な答えに頷いて、もう一度だけ「ごめんね」と謝ってから、再び視線を城の外にも戻した。焔耶もそれに倣って、同じ方向を見つめる。
「もうすぐ……なんだよね」
「はい、もうすぐです。桃香様」
そう言い合う二人の顔を、初夏の風が優しく撫でて行った―――。
弐
「おぉ。大分、見慣れた景色になって来たなぁ」
愛馬となった龍馬、『龍風(たつかぜ)』の背に跨った本郷一刀は、そう言って手で庇(ひさし)を作りながら、周囲の山々を見渡した。一刀の土地勘が正しければ、あと一つ山を越えれば、成都城が見えて来る筈だ。
因みに、龍馬の名付け親は馬超こと翠で、自分の愛馬達に、黄鵬、紫燕、麒麟などの微妙に中二がかった名前を付けた彼女のネーミング・センスを密かに期待した一刀の意向による。結果、翠は、一刀の期待を裏切る事はなかった、と言う訳だ。
「そうだね。ここら辺までなら、遠乗りで何回も来た事あるしね♪」
そう言って、まだ右手を負傷中だという理由で一刀と共に龍風に相乗りしている蒲公英が、笑いながら一刀の方を振り向いた。
「あぁ……この辺りは、あんまり変わってないんだなぁ」
一刀が懐かしそうにそう言うと、高順こと誠心が豪快に笑いながら答えた。
「まぁ、それはそうでしょう。この辺りは既に、成都のお膝元ですから。我々が入蜀する以前より整備が進んでいたのです。二・三年で目に見えるほど、何かを変える必要はありませぬよ」
「そうか、そりゃそうだよなぁ」
一刀はそう言って、決まりが悪そうに頭を掻いた。
「頭じゃ分かってはいるんだけど、パッと考えると、どうしても三年じゃなくて、十三年経った前提で見ちゃうんだよな……」
「まったく、頭の切り替えが鈍い奴なのです」
後ろからやって来た陳宮こと音々音が、大袈裟な溜め息を吐きながら、自分の馬の馬首を一刀の龍風に並べて言った。“並べる”とは言っても、龍風は普通の馬より遥かに大柄なので、顔まで入れれば、音々音の乗る馬とでは、まるで大人と子供程の差がある。なので、音々音は一刀を見上げながら話し、一刀は音々音を見下ろして話さなければならない。
「お前なぁ、今だから笑い話で済むけど、結構、不安なもんだったんだぞ?『帰ったら、璃々ちゃんが大人になっちまってて、俺の顔なんか忘れちゃってるんじゃないか』みたいな事とか考えちまってだな。そうなると、負の連鎖であれやこれやと……」
「心が軟弱ですの~」
一刀の言葉を聞いた音々音はやれやれと言う様に肩を竦めると、鼻で笑って首を振る。
そんな音々音の様子を見ていた蒲公英が、苦笑いを浮かべながら音々音に言った。
「でもさぁ、ねね。想像してみなよ。例えば、ねねがご主人様と同じ様な事になって、ヨボヨボのおばあちゃんになってから帰って来てさ?恋に『……お前、誰?』とか言われたら、結構キツくない?」
「お、お、お、お花!不吉な事を言わないで欲しいのです!!そもそも恋殿は、ねねがどんな姿になっても分からなくなったりしないのです!ね、恋殿?」
そう言って振り向いた音々音に突然、話を振られた呂布こと恋は、無表情を崩さずに音々音に顔を向ける。
「……………………うん」
「れ、恋殿!?長い間はダメなのです~!!」
「……多分?」
「多分、なのですかぁ~!?」
「だって恋、おばあちゃんのねねになんて、会った事ないから……その時にならないと、分からない……」
恋が申し訳なさそうにそう言うと、音々音は「そんなぁ~」と言って目を潤ませ、ガックリと肩を落とした。
「ほらね?結構キツそうでしょ?」と、その様子を見ていた蒲公英が、悪戯っぽく笑って言う。
音々音が、まだ不満げな顔で何か言い返そうとした時、呆れた顔で音々音の百面相に失笑していた翠が、口を開いた。
「二人とも、それ位にしておけって。もうすぐ、他の経路を行ってる兵達との合流場所なんだからな。人数多くなるんだから、注意を怠るなよ?蒲公英も、成都が見える前には頑張って自分の馬に乗るんだぞ?」
「えぇ~。たんぽぽ、ご主人様と相乗りしたまま凱旋したかったのに~」
蒲公英がそう言って頬を膨らませると、翠が溜め息を吐いて答えた。
「バカ言うな。この一大行事に、ご主人様と義兄妹の桃香様や鈴々を差し置いて、お前がご主人様にベッタリなんて訳いかないだろ?」
「うぅ~、それはそうだけど……あ、そうだ♪」
蒲公英は何を思ったのか、怪我をしていない左手だけを器用に使って、龍風の上でくるりと向きを変え、困惑顔の一刀の胸に、ひしと抱き付いた。
「むぉ!?いきなりどうした、蒲公英?」
一刀が怪訝そうに尋ねると、蒲公英は『にへへ』と、笑って一刀に顔を見上げた。
「どうせ、もうすぐ降りなきゃいけないなら、今の内にご主人様を堪能しておこうかな~、なんて♪」
悪びれもせずにそんな事を言う蒲公英に、翠は顔を真っ赤にして大声を出した。
「こら、蒲公英!裸の龍風の上でそんな事したら危ないだろ!?お前は兎も角、ご主人様が落ちたらどうするんだよ!」
確かに、翠の言う事も最もであった。普通の馬の倍はあろうかと言う体躯を誇る龍風に合う馬具は、道すがらの商店では手に入らなかった為、一刀と蒲公英は、未だに直接、龍風の背に乗っているのである。
つまり、何の支えも無く、脾肉の力のみでバランスを取っている状態なので、鞍と手綱を付けている時に比べて、遥かに安定性は悪い。しかし蒲公英は、『全てお見通し』とでも言う様な余裕の笑みを浮かべて、従姉を見返した。
「ふ~ん、だ。そんな事言って、ホントは蒲公英とご主人様がイチャイチャしてるのが悔しいだけのクセに♪」
「な、何だと~!?この、蒲公英!いいから降りてこい!!」
図星を指されたらしい翠が、穂鞘を付けたままの銀閃を振り回して怒鳴ると、蒲公英は更に強く一刀にしがみ付いて、翠に向かって舌を出して言った。
「や~だよっ!一昨日は姉様に一日譲って上げたんだから、今日は蒲公英にちょっと貸してくれてもいいじゃん!」
「な、な、な、な!こんなとこで、何て事言ってんだ、お前は!!」
一刀は、顔を真っ赤にして怒鳴る翠を横目に、蒲公英に抱きつかれたまま、天を仰いで溜め息を吐いた。完全に巻き添えを食って間に挟まれた形の龍風などは、『やれやれ』とでも言う様に一度、頭を振ったきり、あらぬ方を向いたまま、ただ黙々と歩いているばかりである。
「いや、そんな、貸すの借りるのって人をマンガか何かみたいに……恋、何とか言ってやってくれよ」
「……?恋は、昨日、ご主人様を借りたから、大丈夫……」
恋は、話しかけた一刀の顔を不思議そうに観ながら、可愛らしく小首を傾げてそう言った。
「ですよねー。はははは……はぁ」
一刀は、乾いた笑いをこぼしてガックリと項垂れると、再び深い溜め息を吐いた。まぁ、いざとなったら、誠心が何とか丸く納めてくれるだろう……一刀はそう思う事にして我関せずを決め込み、周囲の景色に意識を戻した。
一刀にとって、十三年前の遠い記憶となっていたこの地の景色を改めて見て、胸に湧き上がるこの感慨はきっと、人が、遠く過ぎ去ってしまった“青春”と呼ぶものに対して抱く、淡い憧憬なのかも知れなかった―――。
参
結局、翠と蒲公英の言い合いは、音々音が茶々を入れて煽った事もあって、別経路を通って成都に向かっていた呂布隊の面々と合流する直前まで続いた。見かねた誠心が、仲裁に入ってくれたのである。
翠も蒲公英も、親子程の歳の差があり、歴戦の猛者でもある誠心の言葉には、素直に従わざるを得なかったのだった。
「はぁ……俺、時々自分が、本当に主として認識されてるのか不安になる事があるよ……」
蒲公英が漸く自分の馬に移った事で解放された一刀が、溜め息混じりにそう呟くと、誠心は困った様な顔をして微笑んだ。
「まぁ、そう仰いますな。一騎当千の勇将とは言え、皆さまは歳若い女子で御座います。時に、想い人に甘えたいと言う気持ちが暴走してしまう事も、当然、ございましょう」
「そう言ってくれると救われるよ―――でも、ただ単に、俺に威厳が無さ過ぎるってだけの気がするけどね……」
一刀はそう言って苦笑すると、懐から、鳳統こと雛里が翠に牙門旗と共に預けてくれた箇条書きを取り出し、再び目を通した。個人的な感情が一切排された無駄のない文章で書かれたそれは、、一刀たち一行の凱旋をより効果的に演出する為の、鳳士元の献策案であった。
その内容は、以下の様なものであった。
北郷一刀 様
拝啓、御無事の御帰還、臣、鳳士元、謹んでお慶び申し上げ奉ります。
さて、この程、北郷一刀様、呂布将軍、馬超様軍、馬岱将軍並びに陳宮軍師の成都御帰還に際し、私が愚考致しました幾つかの事柄を以下にしたためさせて頂きました。
一、十文字の牙門旗を始め、各将の旗印は、成都を目視出来る前から掲げておく事。
一、北郷一刀様は、民にその威光を知らしめる為、黄金の鎧を着用して姿を現す事。
一、城壁に入るまでの間、主、北郷一刀様を先頭として、左・右両翼に釣り合い良く人員を配置し、隊列の横幅を大きく取って、威風堂々を演出する事。
一、劉玄徳を始めとする臣下達との必要以上の親しい会話は、宮中に入るまでは必要最低限に留め、成都の住民達の声援に出来うる限り答える事。
一、北郷一刀様の新たな力を成都住民に分かり易く知らしめる為、入城の際、一刀様御本人が最適と御判断なされた時期に、鎧を消して見せる事。
以上、随伴中の陳宮殿と御相談の上、御一考頂きたくお願い申し上げ奉ります。
蜀漢 左丞相 鳳士元
敬具
「しかしまぁ、相も変わらず大したもんだよ……」
一刀は、雛里の達筆な字で書かれた文章を読み終わると、書簡を元通りに丸めながら、そうひとりごちた。雛里が寄こした箇条書きの内容は、自分が直接、傍に居なくても実行可能なものに限られ、尚且つ、人間心理を巧みに突いて、一刀の帰還によってもたらされる士気の高揚を、最大限に高める事が出来る様に考えられていた。この時代の軍師達は、仕える主の知恵袋であるのと同時に、彼等を如何に“英雄”として喧伝するかを考える、現代で言う所のプロデューサーとしての役割もあった。つまり、優れた軍師ほど、『どうしたら自分の主を良く見せる事が出来るのか』を熟知していると言う事なのである。
念の為(後でヘソを曲げられたくないので)、書いてあった通り音々音にも相談してみたが、『悔しいがどれも効果的と思われるので、特に反対意見はない』との仰せだった。一刀は馬足を止めると、少し馬首を巡らせ、後に続く仲間達を見て言った。
「さて、そろそろ準備するぞ!」
「……うん」
「よっしゃ!」
「りょ~かい♪」
「任せるのです!」
「承知!」
一刀は、仲間達の返事に頷くと、心を鎮め、丹田で練り上げた氣を身体に満たしていく。すると、淡い光と共に、一刀の下腹部に現れた『賢者の石』から白く輝く小さな龍が顕現し、一刀の上半身に巻き付いて、吸い込まれた。
「凱装―――ッ!!」
一刀が、己を黄金の魔神へと変える為の言霊を発すると、『賢者の石』から凄まじい光が奔流となって溢れ出し、周囲にある全ての物に着いた色と言う色を呑み込んだ。仲間達が、思い思いに手で両目を覆いながらその光景を観ていると、光は瞬く間に収束して金色(こんじき)に輝く鎧兜を形作り、粒子となって大気に霧散した。
「まぁ、決め台詞はいらないよな、この場合……」
光の渦から現れた皇龍王がそう呟くと、周囲から感嘆の溜め息が漏れた。
「いやぁ、何時見ても、武者震いがする思いですなぁ」
誠心が、感心した様にそう言うと、一刀は兜の上から頭を掻いた。
「うーん。そうは言われても、自分じゃ分かんないからなぁ、人からどう見えるのかなんて」
一刀の言葉を聞いた翠が、面白そうに笑いながら、一刀の横に、馬首を並べながら言った。
「なんだよ、折角、格好良く決まったと思ったのに、締まらないなぁ―――まぁ、ご主人様らしいけどさ。さぁ、みんなが号令を待ってるぜ?」
「お、おう。でも、俺に出来るかね……?」
「おいおい……そんなゴツイ仮面付けて情けない声出すなよ……。大丈夫だって、この錦馬超が直々に、ビシッと締まるヤツを教えてやったんだから!」
皇龍王は、翠の呆れ半分の励ましに頷くと、事態を見守っていた呂布隊の兵士達に、その仮面に包まれた顔を向けた。
「では、戦友たちよ―――我等の旗を天高く掲げ、胸を張れ!!凱旋の時ぞ!!」
皇龍王がそう言って右腕を上げると、興奮した兵士たちの鬨の声と共に、彼等が手に持った槍が突き上げられ、続いて、深紅の呂旗、紅い陳旗、深緑の馬旗、深緑の十文字が描かれた牙門旗―――乱世の時代を駆け抜けた、英傑達の旗印―――が、次々と天高く翻った―――。
四
桃香が、息せき切って宮中にある玉座の間に駆け込んで来たのは、太陽が中天を過ぎ、西に傾き出してから暫く経った頃であった。その場に居た蜀の将達は、『桃香が駆け込んで来た』、という事自体から、その言わんとする所を察知して目配せをし合い、それぞれが己がすべき事をする為に動き出した。
趙雲こと星は、雛里の肩に手を置いて、「そちらは頼んだ」と言うと、頷く雛里と一瞬だけ目を合わせ、桃香の元に駆け寄った。
「桃香様……」
「せ、星ちゃん!ご、ご、ご、ご主人様―――ご主人様達が……」
星は、豊かな胸を弾ませて、回らぬ舌で如何にか言葉を紡ごうと奮闘している桃香の肩を優しく抱いた。
「皆、承知しております。桃香様は、まずは息を整えてから的盧の元へ――鈴々が先に行って、鞍を付けている筈です。お迎えする側の桃香様が汗みずくでは、主も驚いてしまいますぞ?」
桃香は星の言葉に頷くと、大きく深呼吸をしてから微笑んだ。
「星ちゃん。私はもう大丈夫……星ちゃんも、行って?」
「そうですか……では」
桃香は、そう言いながらも、まだ少し気遣わしげな目線を残して振り向いて歩き去った星の足取りが、今にも踊りだしそうな事を見て取り、口を手で押さえて小さく笑うと、自分も、急ぎ足で厩への通路を歩き出した。
『途中で井戸に寄って、水を一杯飲んで行こう』、と考えながら。星の言う通り、久々に逢う主に、肩で息をしたままのだらしない姿を見られたくはなかったからだ。
伍
「おぉ、見えて来た!皆、元気そうだな!!」
皇龍王の姿となった一刀が、仮面の中から嬉しそうにそう言うと、一刀の右側についた恋が微笑みながら答えた。
「うん……みんな、嬉しそう……」
「いや……二人とも、この距離から見えるのか?あたしでも、まだ皆、豆粒くらいにしか見えないぞ?」
一刀の左側について二人のやりとりを聞いていた翠が、片眉を吊り上げて怪訝そうに尋ねると、二人は揃ってコクリと頷いた。
翠が疑うのも無理はない。『見えて来た』とは言っても、今、一刀達が馬を進めている所は、成都城から遥か十里(約5km)程の距離があるのだ。
「まぁ、俺はこの兜のお陰だけどな。恋は―――」
「あ~いや、それ以上言わないでくれ……」
翠は一刀の言葉にそう返して右手で頭を抱え、げんなりした様子で項垂れた。
「そうか?俺からすれば、生身で普通に皆を認識できてる翠も、十分凄いと思うんだが」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど……まぁ、こんな話して疲れてる場合じゃないよな―――ご主人様、少し行軍速度を上げようぜ。あんまり焦らすのも、皆が可哀そうだしな!」
一刀が、気持ちを切り替える様に頭を振ってそう言った翠の言葉に頷くと翠は顔を後ろに向けて、大声で号令をかけた。
「全軍、馬足を速めるぞ!隊列を乱すなよ!」
一刀は、翠の勇ましい声を横で聞きながら、龍王千里鏡を望遠モードにして、懐かしい人々の顔を観察した。
「(おぉ、桃香、星、焔耶……みんな変わんないなぁ……ん?桃香の横で飛び跳ねてるのは―――あの蛇矛、鈴々か!?うーむ。確かに良く見れば鈴々の顔してるけど、よくもまぁ、“立派”に育ったもんだ……)」
一刀は、興奮した様子で桃香に抱き付いている鈴々を見て、内心、密かに感嘆した。背丈はまだ愛紗には届かずとも、既に桃香と殆ど変らないし、幼さを残していた身体つきも、女性らしい靭(しなやか)なラインを帯びている。しかも、トレードマークの一つだったスパッツではなく、極短のマイクロミニスカートから伸びる健康的な両脚は、モデルでも通るのではないかと言う程の美脚である。
彼女が気にしていた“バインバイン”も、流石に規格外とも言える二人の義姉には及ばないが、星や翠辺りとならば、十分タメが張れるのではないだろうか?
「(成程……蒲公英と言い、ねねと言い、こっちじゃ正に『女子三年見ずば』って訳だ……)」
一刀は次に、特徴的な帽子を被って、桃香の後ろに控えている少女に目を向けた。
「(はは、あれは雛里だな。間違いようがない。うぅむ。こちらもまた、ご立派に成長なされて……)」
一刀の目に映った雛里は、鈴々や蒲公英同様、見違える程に美しく成長した、大人の女性だった。あの、時に深遠な知性を覗かせる碧の瞳や、トレードマークの帽子、長いお下げ髪はそのままに、すらりと伸びた腕で何処かを優雅に指差し、凛とした佇まいで、忙しく走り回る武官や分官達に堂々と指示を出している。
「(ふむ。軍師らしくなったのは大いに結構なんだが、『あわわ』を聞く機会が減ってないと良いなぁ……お、紫苑は相変らず色っぽい―――いや、待てよ?と言う事は、隣に居るのは璃々ちゃんか!?)」
一刀は、思わず声を上げそうになったのをグッと堪えて、黄忠こと紫苑の横に立っている少女を見つめた。
背丈は、別れる前の鈴々ほどにはなったろうか。母親譲りの明るい紫色をした髪は昔のリボンではなく、レースの様な飾り布をあしらった髪紐で両サイドの高い位置で留められ、肩にかかる程に伸びている。服も、一刀の記憶に残る割烹着の様な物ではなく、母の意匠を踏襲したデザインのチャイナドレスになっていて、そこから伸びる白く細い首には、金色のチョーカーが巻かれていた。
「(ううむ。あんなに大人っぽくなって―――暫く見ない間に、アクセサリーまで付けたりする様になるとは……女の子の成長を三年も見逃したのは、やっぱりデカイなぁ……)」
一刀は、思わず単身赴任から帰って来た父親の様な気持ちになって、自分が見れなかった璃々の三年間に想いを馳せた。
「(しかし、紫苑が紫苑だから将来有望だとは思ってたけど、“あれ”は……)」
一刀は、そこはかとない罪悪感を覚えながらも、紫苑に何やら話しかけている璃々の胸元を見遣った。
「(あの歳であんだけ成長してたら、近い将来、鈴々や雛里たちは、また悔しい思いをするんだろうなぁ……)」
一刀は苦笑いを浮かべながら、内心でそうひとりごちた。
それもその筈で、出会った頃の鈴々より少し幼い位の歳頃であろう現在の璃々の胸元は、大人の女性とまでは行かなくとも、既に緩やかに膨らみ始めていて、それは、一刀の記憶にある鈴々や朱里、雛里には存在していなかったものであった。
よく『鳶が鷹を産む』などと言うが、こと身体的な特徴に関しては、神と言う存在は、良しにつけ悪しにつけ『蛙の子は蛙』と言う諺の方を支持する傾向にあるらしい。
一刀は次に、ド派手な刺繍や垂れ飾りの付いた巨大な日傘のある方を見た。
「(麗羽たちは相変らず見たいだな……あぁ、笑ってる、笑ってるよ……なんか、今から頭痛くなって来た。あ、白蓮―――見当たらないと思ったら、やっぱりお守役を押し付けられてたのか……可哀そうに。後で労って、愚痴くらいは聞いてやらなきゃなぁ)」
一刀は、高笑いしながら何かを言っている麗羽と猪々子を、斗詩と共に諫めているらしい白蓮を生温かい眼差しで見つめた。それから暫くの間、一刀は月と詠、それから南蛮の少女達の姿も探したのだが、結局、見つける事は出来なかった。
月は元々、あまり一般人の前に出ない様にしているから、おそらく城の方で一刀を迎える為の準備をしているのだろう。それなら、必然的に詠もそちらに居る筈である。南蛮勢に関しては、今日の予定などすっかり忘れて昼寝でもしているのかも知れないし、もしかしたら、里帰りにでも行っているのかも知れない。
一刀が懐かしい顔ぶれの様子を一通り見終わり、望遠モードを解除すると、隊列はもう随分と進んでいる様だった。一刀は、肉眼とほぼ同じ視力でも、段々と形を帯びて来る少女達を見遣ると、馬上で姿勢を正した。彼女達に、成長した自分を見てもらう為に―――。
六
『思ったよりも静かだな』と言うのが、桃香の感じた印象だった。だがまぁ、それも無理からぬ話ではあった。
何せ、両端に馬旗と陳旗、さらに内側の両隣りには、金襴の縁取りが付いた馬旗と深紅の呂旗を従えて翻る十文字の牙門旗の下、隊列の先頭を往く人物の姿は、あらゆる意味で、かなり現実離れしていたのだから。
桃香は改めて、己が主であるらしい人物の姿に目を凝らした。その身体は、一部の隙間も無い黄金の鎧兜に覆われていた。だがその輝きは、本来の黄金の持っているギラギラとしたものとはまた少し違い、淡い銀色を帯びた様な柔らかさを持っている。
跨る馬の身体は“巨大”と言ってもいい程で、蜀でも最高峰である筈の恋や翠の愛馬が、仔馬に見えてしまう位だ。その毛並みは処女雪の如き純白で、焔の燃え立つような真紅の鬣の紅を、一層引き立てていた。
きっと人々は、この存在に対して『畏怖』を抱いたのだ。と、桃香は思った。義兄妹の契りを結び、肌を重ねた自分ですら、十文字の牙門旗を掲げる事で、自身の素顔を主張しているのが分かっていても、それでも何処かで、僅かに『彼』を畏れているのだから。
あまつさえ、そんな存在が、天下の飛将軍と錦の二つ名を持つ猛将を従えて近づいて来るのである。幾ら彼等が敵ではなく、自分達の守護者だと頭では分かっていても、喜びよりも先に畏怖を感じるのは、ごく一般的な感覚を持つ人間にしてみれば、当然の事だろう。
彼等は、桃香達が立っている場所から一里(約500m)程に所で速度を緩めて隊列を整えると、ゆったりと馬を歩かせて来る。
桃香の周りで、誰かが喉を鳴らすのが聴こえた。隣に居る鈴々ですら、押し黙って巨大な白馬に跨った人物を見つめている―――そうして、黄金の魔人が桃香から九十尺(約30m)程の所で馬を止めると、左右に展開していた騎馬隊も、一斉に馬を止めた。
桃香が横目で見ると、恋は相変わらずの無表情で桃香を見ていたし、翠の顔には僅かに、穏やかな笑みが浮かんでいた。
更に隊列の外の両翼にいる蒲公英と音々音も、何時になく静かな事以外は、特に変わった所は見えない。
唯一、変わっていると言えば、蒲公英が右腕を三角巾で吊っている事だけだ。桃香は、そこで漸く心に残っていた僅かな、形容しがたい不安を払拭して、黄金の魔人を見つめた。魔人は、ふわりと白馬の背から降り立つと、白馬の首を優しく一撫でしてから桃香の方に向き直り、ゆっくりと足を踏み出した。桃香はそこで初めて、魔人の腰に、白馬の毛色にも劣らぬ純白の鞘に納められた細身の剣が差されているのを知った。
瞬間、黄金の鎧に反射した陽の光が桃香の目を掠め、彼女は、大きな瞳を僅かに細めた。緑の香りを含んだ初夏の風が、魔人と桃香達の間を吹き抜ける。と、同時に、魔人の姿が淡い光に包まれ、その身体を包んでいた鎧が黄金の粒子となって風に舞い上がった。
その下から、白い外套を纏った男が現れると、桃香は、『少し、年を取った様だ』と思った。
久し振りに見た青年の顔からは、桃香の記憶に残る少年の顔にあった僅かな幼さは感じられず、代わりに、男性的な逞しい輪郭が表れていた。だが、見間違える筈はない。その瞳に宿る、優しい光を。そして、見ている者を自然と穏やかな気持ちにさせてくれる、あの微笑みを―――。
桃香は、鈴々が自分の横を駆け抜けた気配で、様々な感情が入り乱れた思考の波から解放された。
「お兄ちゃん!!」
鈴々が叫び声と共に、抱き付いた男―――北郷一刀―――は、常人には決して軽いとは言えない威力の突進を優しく受け止めると、自分の胸から顔を離した鈴々の頭に手を置いて、愛おしそうに撫でた。
それを見た桃香が、夢遊病者の様な足取りでゆっくりと近づいて行くと、一刀は、鈴々に何事が話しかけて笑っていた顔を、彼女に向けた。
「桃香……」
「ご主人、様―――?」
「ただいま。とう―――」
桃香は、一刀が自分の名を言い終わらぬ内に、その胸に飛び込んでいた。
「ご主人様!ご主人様!ご主人様―――ご主人様!!」
「一度にそんなに呼ばれたら、どう返事して良いか分からないよ。桃香」
一刀が、困った様にそう言って頭を撫でると、桃香は、更に力を込めて一刀の服を掴み、顔を埋めた。
「うん―――うん!お帰りなさい!お帰りなさい、ご主人様!!」
「あぁ。ただいま―――桃香」
一刀はそう言って、桃香の顔を優しく自分の胸から引き離すと、その額に口付けた。それと同時に、静まり返っていた群衆が、一斉に喝采を上げる。一刀は顔を城壁の上に向け、割れんばかりの歓声に応えて、大きく手を振った―――。
七
一刀は、住民達が居る全ての方向にひとしきり手を振り終えると、懐の中に寄り添っている、愛しい二人の義妹に視線を戻した。
「さて―――取り合えず、皆にも『ただいま』を言わないとな」
「うん、そうだよね!―――えへへ♪嬉し過ぎて、すっかり忘れてたよ。本当は、もっとちゃんとごあいさつしようと思ってたのに……」
桃香がそう言って恥ずかしそうに笑うと、その横で鈴々が可愛らしく頬を膨らませる。
「鈴々は別に、もう少しこのままでもいいのだ!」
鈴々は、怒った様な大声でそう言うなり、一刀の腕を抱え込む様に抱きしめた。
「鈴々ちゃん、あんまりご主人様を困らせちゃダメだよ?」
桃香に優しく諭された鈴々は、それでもまだ納得の行かない様子で、うぅ、と小さく唸る。
「でもでも、お兄ちゃんは、桃香お姉ちゃんと鈴々のお兄ちゃんなのだから、もう少し位は良いと思うのだ!!」
「鈴々、そんなに心配しなくても、これからは会おうと思えば何時でも会えるんだから―――な?」
一刀がそう言って、優しく頭を撫でると、鈴々は渋々と言う言葉を絵に描いた様な顔で、名残惜しそうに一刀の腕を離した。
「むー、お兄ちゃんがそう言うなら、仕方ないのだ……」
「もう、鈴々ちゃんたら、私の言う事はなかなか聞いてくれないのに、御主人様の言う事は素直に聞いちゃうんだから―――」
桃香は困った様に微笑んで、一刀の前方を開ける為に一歩退き、一刀を導く様に、彼を待つ臣下達に向けて、右手を伸ばした。
「やぁ、皆―――だだいま」
一刀がそう言ってそれぞれの顔を見渡すと、左丞相である雛里がスッと一歩前に出て、深々と頭を下げた。
「お帰りなさいませ、ご主人様。臣、鳳士元、諸将を代表し、謹んでご挨拶申し上げます」
「あぁ、ありがとう。雛里」
一刀は、雛里の顔を上げさせながら、「今までの所は上出来かい、鳳雛先生?」と、そっと耳元で囁いた。
「は、はいっ!流石はご主人様です!」
雛里は、問いかける様な表情で自分を見つめる一刀に、慌てた様にそう答えた。
「そうか、なら良かった―――でも、雛里。あの書簡は、少しそっけなさ過ぎやしないか?」
「へっ?」
「いや、『早く会いたい』位のお世辞でも書いてくれてたら、すぐにでも飛んで来たのに、と思ってな」
雛里は、悪戯っぽく微笑む一刀の言葉に、思わず帽子を押えて俯いてしまう。
「あわわ。ご、ごめんなひゃい、ご主人様!で、でも、私信ではなく公式な書簡なので、私的な事を書いたらいけないと思って、それで、あの、えと……!!」
「ははは、冗談だよ、雛里。俺の自惚れじゃなければ、雛里の気持ちはちゃんと分かってるつもりだ」
一刀がそう言って、もう『ちょうど良い位置』とは言えなくなった雛里の頭に手を置くと、雛里は、「はうぅ」と呟いて、顔を真っ赤にして項垂れてしまった。
「まったく―――帰って早々、お盛んな様で何よりでございますな、主よ」
星が、包拳の礼を取りながら、呆れた様に笑って、一刀の前に進み出た。
「そっちも、相変わらずの皮肉のキレで安心したよ、星」
星は、一刀の言葉にやれやれと肩を竦めて言った。
「致し方ありますまい―――何せ、主は元より、ここ最近は愛紗と朱里、それに桔梗まで不在でございましたからな。私と紫苑の二人だけで、じゃじゃ馬どもの手綱を一手に引き受けていたのですぞ?事その辺りに関しては、桃香様はあまり頼りにならぬし、雛里は朱里の抜けた穴を一人で埋めねばならず、白蓮殿は麗羽達で手一杯……となれば、切れ味が落ちる暇などありませんでしたよ」
星が言いたい事を言い終わると、その大演説を黙って横で聞いていた焔耶が、盛大な溜め息を吐いた。
「よく言う―――愛紗が居ないのをこれ幸いと、昼間から酒三昧、メンマ三昧のお気楽生活だったくせに……」
「―――星?」
一刀が、焔耶の言葉を聞いて、片眉を吊り上げて星を見ると、星はバツの悪そうな笑顔を浮かべて視線を逸らした。
「いや~何ですな。本日はお日柄も良く、絶好の帰還日和でございますな~、ははは……」
「はぁ……星、前にも言っただろう?お前は、蜀に取っても俺に取っても大切な存在なんだから、体を大事にしてくれ、って」
一刀が、呆れた様にそう言って肩に手を置くと、星は僅かに頬を赤らめた。
「は……申し訳ありませぬ。その―――以後、気を付けます」
「うふふ―――星ちゃんたら、何だかんだ言って、すぐに素直になっちゃうんだから―――」
星の様子を微笑ましく見ていた紫苑は、星をからかう様にそう言うと、一刀に向き直って恭しくお辞儀をした。
「ご主人様、お帰りなさいませ―――黄漢升、謹んでご帰還をお祝い申し上げますわ」
「あぁ、ありがとう、紫苑。紫苑も変わりないようで、何よりだ」
一刀の言葉に、紫苑は優雅に微笑み返す。
「ふふ♪それは褒め言葉ですか、ご主人様?」
「酷いな……俺が紫苑を貶(けな)した事なんてあったか?」
「まぁ、お上手になられましたわね―――お世辞でも、嬉しいですわ」
一刀は、そう言って笑う紫苑に、少し真面目な顔をして答えた。
「お世辞かどうか、近い内に証明する―――約束だ」
「あら……うふふ。本当に、お上手になられましたわね。ご主人様は―――」
紫苑は、そう言って少し戸惑った様に頬を赤らめると、自分の後ろに控えていた少女を招き寄せた。
「さ―――璃々。ご主人様に御挨拶なさいな?」
一刀が、紫苑の影から現れた少女に視線を遣ると、少女は、俯いていた顔をおずおずと上げた。
「お帰りなさい、ご主人様……あの……私の事、覚えてる?」
「勿論じゃないか―――璃々ちゃん。大きくなったなぁ」
一刀がそう言って屈み込み、昔と同じ様に頭を撫でると、璃々は嬉しそうにはにかんだ。
「えへへ♪うん!だって、ご飯たくさん食べたもん!!」
一刀は、「そうか、偉いな」と、もう一度頭を撫でてやってから姿勢を戻し、先程、星との話の時に少し喋っただけの焔耶の方に顔を向けた。
「焔耶、元気だったか?」
「お、おう!当たり前だ。ワタシはお館の様な軟弱者ではないからな!お……お館は、その、どうだった?」
「そうだな―――焔耶に会えなくて寂しかった……かな?」
冗談めかした様な一刀の答えに、焔耶の顔が火を噴いた様に赤くなった。
「ち、違う!バカ者!ワタシが言いたかったのはそう言う事じゃない!」
「ふむ……じゃあ、一体なにが『どうだった』なんだ?」
「いや、だから、元気だったかとかだな……」
「だから、『寂しかった』と言ったろ?」
一刀がふざけているにかと思って怒鳴ろうとした焔耶は、一刀が、至極、真面目な顔で自分を見ている事に気が付いて、言葉を詰まらせた。
「ふ……ふん!やはり、お館は軟弱者だな!男のクセに、情けない……」
焔耶が、照れ臭さそうにそう言うと、一刀は僅かに笑って、同意する様に頷いた。
「まぁ、否定はしないさ。しかしな、本当に寂しかったぞ。何せ、男盛りの年頃に、惚れた女と一緒に居られなかったんだからな」
一刀がそう言って焔耶の二の腕に触れると、焔耶は大袈裟に見える程にビクン!と跳ね上がった。
「お館……」
焔耶が、呆けた様な顔で、肩に置かれた一刀の手に自分の手を重ねようとした瞬間、高貴かつ傲慢で、腹が立つのにクセになりそうな甲高い声が、一刀と焔耶の間に漂っていた甘い雰囲気を吹き飛ばした。
「ちょっと、かーずとすゎーん!!貴方、黙って見ていれば、何時までもこんな脳筋オンナとイチャイチャイチャイチャ……!!そ・も・そ・も!どうして真っ先に、この袁本初の所に挨拶に来ませんの?おかしいでしょう、常識的に考えて!!」
「いや……今の雰囲気にその態度で割って入る様なやつに、常識がどうこう言われる筋合いはない、と、声を大にして言いたいぞ……まぁ、言わないけどな……」
一刀が、肩を落としながらそう呟いて横目で焔耶の方を見ると、ブルブルと肩を震わせて拳を握り締め、怒りを押え込む焔耶を、桃香が必死に宥めていた。だが、その元凶である麗羽は、知らぬ顔で、盛大な溜め息を吐いている。
「まぁ、オタンコナスの一刀さんに、そんな機微を求めた私が悪いのでしょうけど?もう少し、序列と言うものを理解して頂きたいですわ!」
「いや、麗羽様。兄貴は正しく理解してるから、この順番になったんだと思うんすけど……」
「文ちゃん、自分で言ってて切なくならない?それ……」
麗羽の尊大な物言いに、猪々子と斗詩が相変わらずのリアクションをしながらも、両手で『まぁまぁ』と麗羽を押えてくれる。
「あーいや、別に、ただ一番遠くに居たからってだけなんだけどなぁ……まぁ、いいや。ただいま、麗羽、猪々子、斗詩。相変わらず、見事な連携だな」
「ふん!今更、褒めても何も出ませんわよ!」
「麗羽様、それ、微妙に褒められてないっすから……とにかく、お帰り、アニキ!」
「だから、文ちゃん、それ、自分で言ってて……もう、いいや。お帰りなさい、ご主人様。お元気そうで、何よりです」
麗羽が、一刀の言葉に頬を染めてぶっきらぼうに言い返すと、猪々子と斗詩がまたもや絶妙のタイミングで相の手を入れながら、一刀に挨拶を返してくれた。
「ははは、二人もな!猪々子は兎も角、斗詩は苦労し過ぎて知力減っちゃったりしてないか?」
「ぶーぶー!アニキ、それどう言う意味だよぉ!」
「あはは、私は慣れてますから……でも、ご主人様が天にお帰りになられた最初の頃は、それなりに大変だったんですよ?何だかんだ言って、それまで結構、ご主人様に麗羽様や文ちゃんの相手をして頂いてましたから……私は好きでやってるから良いんですけど、白蓮様には随分ご迷惑をおかけしてしまいましたし……」
「そうだったのか―――世話をかけたな。白蓮」
一刀が白蓮の方を振り返ると、白蓮は目に涙を溜めて一刀を見返した。
「北郷!良かったぁ……この流れだと、いつも見たいに忘れられるオチなのかと思ってたんだよぉ~!」
「いや、この展開で流石にそれは哀し過ぎるだろ……」
一刀が困った様にそう言うと、白蓮はうんうんと何度も頷ずいた。
「そうだよな~。いやぁ、麗羽があり得ない時機に飛び出して乗り遅れちゃったから、もう今回はダメかと思ってさぁ。お前に旗を届ける役も、何か訳わかんない理由で落選しちゃったし……」
「あ、あはは……そう、だな……」
流石に一刀も、『残念な事になりそう』などと言う、限りなくネガティブかつアバウトな落選理由をフォローする言葉は持ち合わせておらず、適当に相槌を打ってさっさと話題を変える事にした。
「今度、改めて酒でも飲みながら愚痴を聞くからさ、そんな顔すんなって!」
「……ホントか北郷?それって、私を“でぇと”に連れて行ってくれる、って事か!?」
「お?おぉ……まぁ、デートと言やぁデート……かもな、うん」
一刀が、問い質す様な口調で、ずいと顔を近づけて来た白蓮の迫力に負けて戸惑いながら答えると、白蓮は、パァっと、周囲にピンクの花を咲かせて、祈るような格好でブツブツと何事かを呟き始めた。
「私が―――私が、北郷が帰って来てから初めての“でぇと”に誘われるなんて……」
「あぁ、白蓮さん?それは―――」
一刀が、夢見る白蓮に真実を―――即ち、自分は既に、恋や音々音、翠や蒲公英とデートしている、と言う事を伝えようとした時、一刀の肩に、そっと誰かの手が置かれた。一刀が振り返ると、その手の主は、沈痛な面持ちをした星であった。
「主よ。そっとしておいてやって下され……白蓮殿にも、夢を見る権利くらいはありまする……」
「いや、でもな、星。あのまま放置と言うのは、逆に可哀そう過ぎるだろ……」
星は、一刀の言葉に首を振ると、溜め息混じりに呟いた。
「それもまた、宿命にございます―――どの道、もうそろそろ城内に入って祝賀行列(ぱれーど)に移りませぬと、予定が押してしまい、宮中での段取りを組んでいる月や詠にもしわ寄せが行ってしまいますので……」
「そうか―――じゃあ、まぁ、しょうがないな」
「左様で―――では、主。早速ご自分の馬へ……後の事は、桃香様が御承知下さっておりますから」
一刀は、未だ夢から覚めやらぬ様子で周囲に花を咲かせている白蓮に心の中で詫びると、急ぎ足で龍風の元に戻り、既に的廬に乗って準備をしていた桃香に指示を仰いだ。
その後、桃香と並んで城内の主な大通りを練り歩いた一刀は、住民達の熱烈な歓迎を受け、面映ゆい気持ちになりながらも、時間の許す限りそれに応えたのだった。
ちなみに、全くの余談ではあるが、白蓮が行列に加わっていなかった事に皆が気付いたのは、全員が宮中に戻り、宴の乾杯が行われる直前だったそうである―――。
あとがき
さて、今回のお話、如何でしたか?
初めて作品を投稿してから、約一年。漸く一刀と蜀のメンバーを再開させる事が出来ました。
本当は、十ページ前後で終わらせようと思ったのですが、ほぼ全員と一言二言喋らせるだけでもそうとう文字数が増えてしまいました。出来れば、各キャラとの会話中に、別のキャラでもっとチャチャを入れたりしたかったのですが、それをやってしまうと、またぞろ長くなってしまいますので……。
今の状態でも、予想よりあまりに長くなってしまったので、前後編に分ける事も考えたのですが、それだと、後半が単調過ぎるかと思い、一話に纏めました。
ちなみに、月と詠、南蛮’sが出ていないのは仕様で、決して忘れた訳でも、私が彼女達を嫌いな訳でもないですので、御了承下さいwww
それから、鈴々と璃々、それから前回の蒲公英の成長したイメージは、萌将伝の予約特典だった小冊子内に描かれているイラストが元になっています。ただ、璃々ちゃんに関しては、イラストに描かれている年齢になるにはまだ時間がかかりそうなので、そこへ至るまでの過渡期のような感じで描写しました。
以前、ラウンジで、戦国さんにご協力頂き、ネットにサンプル画像があるのを確認したので、興味のある方は探して見て下さい。私の拙い描写力では分かりづらかった所も、明確になると思います。
今回のサブタイの元ネタは、魔方陣グルグル第一期EDテーマ
Wind Climbing~風にあそばれて~/奥村亜紀
でした。
相変わらず、若い人には分かりづらいネタですねぇwwwでも、奥井さんの歌、大好きなんですよ。
さて、次回、次々回辺りで、一刀達が都に戻る事になります。各勢力のキャラが大方、出揃う予定です。随分、話に幅を持たせられる様になると思いますので、作者として今から書くのが楽しみです。
では、また次回、お会いしましょう!!
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どうも、皆さま。YTAです。
先日行われた同人恋姫祭りでは、沢山の方にご覧いただき、また、支援、コメント等を頂戴し、誠にありがとうございました。
この場を借りて、厚く御礼申し上げます。
さて、今回で漸く、一刀達が成都に帰還する事になりました。後半は、仲間達との再会シーンがメインの為、少し単調になってしまっていますが、省略する訳にもいかない箇所でしたので、御了承下さい。
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