一度目は、気付かなかった。お互い『あの』記憶がなかったからだ。
二度目は、私が気付かなかった。私に記憶がなかったからだ。奴には『あの』記憶があったと言う事は、お互いの生を終えて還った雲の上の世界で聞いた。でも、その生では出会えなかった。
三度目は、お互い『あの』記憶があった。お互い探しはしたが、ただ、出会えなかった。
四度目の私の生は、三時間で終わった。せっかく同じ胎に同時に宿ったにも関わらず、男女の双子は心中の生まれ変わりだという俗説の所為で、女に生まれた私は直ぐに、取り上げ婆の手で始末された。
雲の上の真っ白な世界から、一緒に飛び込んだ女の胎の中でこれ以上はないくらい睦まじく過ごした十月十日。
私が濡れた布を顔に押し付けられているその横で、奴は大きな声で泣いていた。理由は解らない。溝に投げ棄てられた柔らかな体が黒い水に飲まれていくのを茫然と見ながら、ふわりふわりと雲の上の世界に還った。
奴はどうやら、『あの』の記憶が残っていたらしい。二十八年生きて家庭を持つまで、奴は心の中でずっと私を呼んでいた。私はそれを、雲の上の世界で聞いていた。
その声も、どんどんどんどん小さくなって、雲の上までは届かなくなった。自分を求めない人間の姿は、この世界からは伺う事はできない。求められて初めて、『生まれ変わる』その為に、下の世界が覗けるからだ。
奴が此処に戻ってきていないという事は、きっと、何処かで幸せに生きていると言う事だ。長い永い年月を、私はずっと,
ぼんやり霞んで見えない雲の下を、独りきりで膝を抱えて見つめていた。
『五十年経った』
そう言ったのは、雲の上の住人が『神』と呼ぶ存在。
雲の上には、五十年しかいる事ができない決まりになっているようだ。私は、あと十日以内に、雲の下にいる何れかの女の胎に飛び込まなくてはならないらしい。
ふと、目に映った雲の下。
そこにいるのは、孫を抱いた奴の姿。同じ胎に宿り、生まれた今生、奴は今、五十歳。まだ、寿命は来そうになかった。
奴が同時期に雲の上の世界に居れば、近くの胎に同時に飛び込む事もできたと思うが、今回はそうもいかないようだ。
そもそも、この広い広い世界で出会える確率など、天文学的数値だ。しかも、前世の記憶を持つなどという、奇跡を以てして。
『あの』、熱かった日々は、どれほどの確率の下で為された事だったのだろう。熱くて熱くて……ぶつかって融けて、泣き叫んで消えた。私はあのまま、終わるつもりはない。きっと奴も、同じに違いない。きっと、きっと。
一年程前、奴の娘の胎に飛び込んだ魂を、涼しい目で見送った。今から思えば、その魂を捻り殺してでも、私がその胎に飛び込むべきだったのだ。
そうすると必ず、私は奴の腕に抱かれるほど近くに、生を受ける事になったのだから。
もし、そうであれば。
奴の娘の胎内から出てきた赤子が私だと、奴は気付いたのだろうか。どうやら今生、『あの』記憶を持っている、奴は。
そして私も『あの』記憶を持って、生まれ落ちたのだろうか。物心がついた時、血縁関係にある奴にどういう感情を抱いたのだろうか。
……そこまで考えて、気がついた。全ては後の祭りだと。
奴に会いたい。逢いたい。あいたい。
自分という魂が、何度生まれ変わった結果、奴に出会ったのかは解らない。ただ、自分が生きた生で、一番古い記憶は奴と出会った『あの』生だ。
その記憶だけが、強烈に、記憶にこびりついて。恐らく、奴もそうなのだろう。きっとそうに違いない。奴が私と生きた、『あの』時より強烈な生の記憶など、あってなるものか。
何回、何百年。どれだけ生まれ変わっても、私の魂は奴を求める。だから、奴も同じ筈だ。何度生まれ変わっても、私を求める筈なのだ。
──そう言えば、思い出した。
確か、先の生で約束をした。同じ胎の中で二人絡まり合って、羊水に浮かんでいた時の事。
『もし、次に生まれ変わる時は、三成の居城があった、あの湖の畔がいい。そうすれば、また、生まれ変わっても三成に会える』
言いだしたのは奴で、私は黙って頷いた。
『家康の城、じゃなくてもいいのか……?』
そう訊いたら、
『ワシは、あの湖が好きだ。あの湖の畔の城は全て羨ましい。素晴らしい、戦国の城があそこにはある。ワシと三成が過ごしたあの戦国の世を凝縮した、それがあの湖の畔だ』
そう、晴れがましい声で言った。
嗚呼、過ぎたるものと言われた佐和山の城は、関ヶ原にほど近い。あの、記憶の奥深く、魂の奥深くに刻まれたあの、関ヶ原の熱さに。
同じ胎に宿り、同じくして生を受け、一緒に育つ筈だったにも関わらず、奴はその時『来世』の話をした。もしかして、生まれてすぐに雲の上に還る事になる私の運命を、奴は予感していたのだろうか。
佐和山の、城の天主から眺めた湖を覚えている。此の高い高い場所は、自分が与えられた栄誉の全てが見渡せた。
きらきらと太陽の光を反射して光る水面。行き交う人々。
戦国の世は終わろうとしていた。これからは、平和に、民が苦しむ事のない、安寧な日々。琵琶の形に似ていると評される美しい湖。その穏やかな水面のように、ずっと、ずっと。
この、同じ胎盤に繋がれた男は、そのようやく辿りついた安寧で平和な世を乱し……我がものと、した。
許せなかった、許せなかった、どうしても、許せなかった。
憎かった。どうしようもなく、憎かった。
……一つだけ、気付いた事がある。繰り返す輪廻の中で奴が築いた『徳川』の時代が、長くこの国を戦乱から遠ざける結果になった事を。認めたくは、なかったが。
『みつなり……三成』
生ぬるい水に満たされた胎内で、二人が同時に最初の鼓動を始めたその瞬間。耳に飛び込んできたのは、私の名を呼ぶ奴の声。
『まさかこんな近くで……』
うれしい、と奴は言った。
私はただ、頷いた。
ふわふわと漂った羊水の中。
ぎゅうぎゅうに押し込められた狭い胎内。
何よりも睦まじかった十月、十日。
共に育つ、夢をみて揺られた海。
しあわせだったと、そう、思う。
ぽろりと涙が、頬を伝う。
しあわせだったと、深く、思う。
雲の上の世界では、感情なんて、ない筈なのに。
ぽろりと涙が、雲の海に沈む。
そうして。
ぼんやりと見えた、あの湖。
聞こえてきた、次に私の母となる女の呼ぶ声。
身体は自然と惹かれるように、ゆっくりと、降りていく。
いえやす、やくそくどおり。
あのみずうみのほとりで、わたしはせいをうけるから。
どうか、きおくがのこっていますように。
そうして、どうか、であえますように。
どうか、どうか。
せつなる、ねがいを。
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冬コミあたりで配布した合同コピ本より。
輪廻転生。