#プロローグ
学校帰りの突然の大雨。
家までの近道になる公園の中を歩いていた
閑静な住宅街の中にある公園はそんなに広くはなく、端から端までを易々と見渡せる。
ぴたりと動きを止めたブランコ。濡れて重々しく黒い砂場。雨水が流れている滑り台。すでに大きな水溜りが出来ている広場。
そして今公園には自分以外誰もいない。公園に面している道にも人影はなかった。
この公園から家までは目と鼻の先ではあるが、ちょっとでも屋根のある場所から出ようものなら一瞬で下着までぐっしょりと濡れそうなぐらいの大雨だ。
瑞音はベンチには座らず、ギリギリ濡れない位置に立ち、空を見上げる。
今は夕方の四時半ば。季節的に考えてすでに暗くなり始めている時間だが、いつもよりより一層暗いのは真っ黒な雲が空を覆っているからだろう。
ザ――――――――――・・・・・・
雨の音以外なんの音も聞こえない。
景色も降りしきる雨と、それらが地面で跳ねる飛沫で白くぼやけ、見慣れた公園がまるで別の世界のようだった。
「こんな雨・・・すぐ止むよね・・・」
不安げに独り言。瑞音はそっと自分の肩を抱いた。
瑞音がいる屋根の下の地面にも、まるで新しい川が生まれてくるみたいに雨が流れ込み、足元にじんわりと溜まっていく。
――寒い。
瑞音はすでに、駆け込む前の一瞬で結構濡れてしまっていた。薄黄色の制服の肩の部分は一段色が濃くなり見た目にも濡れていることがわかる。
髪はとりあえず、バックに入っていたお気に入りのハンドタオルで拭いておいた。こんな時は一年間我慢して伸ばした髪も鬱陶しい。
肌寒い空気がゆるゆると体温を奪っていく。
「はぁ・・・」と小さくため息。早く雨弱くならないかな・・・そんな瑞音の思いとは裏腹に、空はさらに黒さを増し、まるで大きな生物がいるかのように唸り始める。不意に竜か何かが首を覗かせるんではないだろうか。そんな事を想像してしまうくらい、厚くて黒い雲。
目を瞑り、不安や寒さに耐えるようにきゅっと下唇を噛んだその瞬間、轟音と共に突然瑞音の世界が一面真っ赤に変わった。
目を閉じたまま太陽を見た感じ。自分の薄い瞼に流れる血の色。
一瞬の出来事。
キーンとなる耳鳴りの音に周囲の音はかき消され、思わず見開いた目に写った世界は真っ白に眩しかった。
#1
『・・・・・・ちゃん・・・・・・・・・音ちゃん・・・・・・瑞音ちゃんどうした!?ほら、起きんね!」肩を強く揺さぶられ、どこか遠くに行っていた意識に段々と聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「ん・・・んん」
「瑞音ちゃん起きたんかい?女の子がこんな所で寝てちゃいかんよぉ」
頭ががんがんと痛む。あまり揺らさないでほしいと思うがうまく声が出ない。
かわりにゆっくりと重い瞼を開ける。
「どこか体調悪いんか?貧血かい?」
やっとの思いで半分開いた瞳に写って来たのは、向かいの家に住んでいる敏江さんだった。御年八十七歳。毎日元気良く散歩している、真っ白な白髪が素敵なかわいらしいおばあちゃんだ。
「敏江・・・さん。あれ?ここは・・・どこ?」
「何言ってるんよ、ここは瑞音ちゃんのうちの近くの公園だぁ。まあ、私のうちの近くでもあるけんどな。はははは」
敏江さんは自分の言った事にのんきに笑って、屈めていた腰をとんとん叩きながら伸ばし始めた。といっても完全には真っ直ぐにならないのだけど。
瑞音も両手で体を支えゆっくりと上体を起こしす。足は下に垂れていたので、そのまま何かに座る形に。
どうやら瑞音は公園の屋根があるベンチに倒れこんで寝ていたらしい。無意識にさすった頬にはベンチの木目が跡になっていた。
まだなんだか視界の全体が暗い。周りが暗いというよりも、自分の瞳がしっかりと光を認識できていないみたいだ。それでもかろうじて見えた空は晴れていて、夕暮れのオレンジに染まっていた。さっきまで大雨が降っていたような記憶があるけれど、それは夢だったのかもしれない。
頭は未だにがんがんと痛むし、意識もハッキリしない。
自分の身になにが起こったのかわからない。本当に貧血でも起こしたのだろうか。しかし瑞音はこういった突然倒れる体験をしたことがなかった。
ドラマとかマンガとかで、貧弱でしょっちゅう倒れてしまうヒロイン、に憧れてしまうくらい瑞音は健康優良児なのだから。児って年じゃないけれど。
「ほらまたぼ~っとしちゃって、病院行ったほうがいいんでないかい?」
「い、いえ大丈夫です。家帰ってすこし休めば・・・」
「そうかい?まあ瑞音ちゃんが大丈夫ってなら大丈夫なんだろうけんど」
「はい・・・」
正直、辛いけど、病院には行きたくない。病院に行くにしても、どうせ保険証を取りに家に帰らなくちゃいけないんだ。だったらそのまま寝てしまいたい。
覚束無い足を何とか踏ん張り、瑞音は立ち上がると、
「すいません迷惑かけて。じゃあ私帰りますね」
精一杯の笑顔と会釈で敏江さんに挨拶をする。
敏江さんはふらふらと立ち上がった瑞音を心配そうに見つめているのだが、その表情には心配とはまた違う表情も浮かんでいた。
「瑞音ちゃん、一日見ないうちにずいぶんと髪が伸びたねぇ」
ついに敏江さんもボケが始まったか。一日で見て取れるほど髪が伸びたら苦労はない。いや、きっとそれはそれで苦労するだろうけど、と稼働率の悪い頭でひどい事を思いながらも、それとなく答えておくのが近所付き合いというものだ。
「私、がんばって一年間延ばしてたんで」
「一年?ほんの数日前まで肩に着かないくらいの長さだったけんど・・・」
「そんなことないですよ。じゃあ私本当に帰りますね」
「あ、おぉ、気をつけてな」
納得し切れていない敏江さんを措いてよろよろと瑞音は歩き出す。
いつもは結構しっかり話し込むのだけど、今の瑞音にはそれほどの余裕はなかった。
すぐにでもベットに入って寝てしまいたい。
まったく調子を取り戻さない頭と体を引きずるように、瑞音はただただ自宅を目指した。
だから瑞音は、地面がまったく濡れた様子がない事にも、自分の髪と制服が濡れていない事にも、ベンチに駆け込んだ時からの時間がほとんど進んでいない事にも、その時はまったく気に止める余裕はなかった。
***
突如視界が明るくなり、ベットで仰向けに寝ていた瑞音は目を覚ました。
眩しさで完全に瞼を開ける事は出来ず、薄目を開け壁掛けのアナログ時計をみる。短針は九の文字を指し、長針は真上をもうちょっと廻ったくらいだ。外も暗いし、当然夜の九時過ぎだろう。
うう、っとひとうめきし、まだボンヤリしている頭で布団を掻き上げると、ふと疑問が浮かぶ。なんで電気が付いたのだろう…。
まだ誰も帰ってくる時間ではない。
瑞音の両親は夫婦で居酒屋を経営している。夕方四時には二人して家を出て、帰ってくるのは朝六時。ハードワークだけど、二人ともいつも楽しそうに働いているし、そんな二人の居酒屋は巷ではなかなか評判で、毎晩賑わっていた。
だから瑞音もほぼ毎日手伝いに行き(時給も出るし、常連さんからチップも貰えるのでなかなかおいしいのだ)、夕飯も居酒屋で済ませてから帰ってくる。それで家に着くのが大体九時。
で今現在の時間が九時って事は、なるほど、今家に帰って来たのは自分と言うことだ。そう結論をだす瑞音。
今日は悪いことした。いつもならお店に手伝いに行けない時は直前にでも連絡をいれているのに、今日はなにも連絡せずに、そのまま家に帰って眠ってしまった。
あとでちゃんと連絡しておかなくては。
そう思考しつつ、頭はボンヤリボンヤリ、再び眠りの世界に向かい始める。が、
―――……あれ?
脳みそ半フリーズ状態からだした自分の結論に、今だ半フリーズ状態の脳みそが律義に疑問を拾う。
今、自分はなにを考えていたか。
連絡せずに無断で家に帰ってきてしまった事。
いや違う、その前。九時に帰ってくるのは自分だけというところだ。
バカな事を。帰ってくるもなにも、自分は今の今までここで寝ていたし、現に今もベットの上にいるではないか。
じゃあ部屋の電気を付けたのは誰だろうか。
自分以外の誰かなのは当たり前。そして、その自分以外の誰かというのも限られている。瑞音の家は三人家族で、今居酒屋にいる両親と瑞音だけだ。
ではその両親のどちらかが居酒屋から帰ってきたのだろうか。
それも瑞音には考えにくかった。今日は予約だけで席が結構埋まっていたはずだし、何より今日は金曜日だ。一週間の営業のうちで一、二番に混む日である。家に帰ってくる余裕はないはずだ。
それを考えて、忙しいのに無断で手伝いをサボって悪いことをしたな、と余計に自責の念を強めてしまうが、その問題はひとまず置いておくしかない。
いま考えるべきことは誰が家に入ってきて自分の部屋の電気を点けたのか、という一点だけだ。
瑞音以外。瑞音の両親以外。それで考えうる可能性は、つまり・・・
―――不法侵入者!?
正直玄関ドアに鍵を掛けた自信がない。帰って来たらすぐに鍵を掛けるのが習慣になっているが、なまじ習慣になっている分あまり鍵を掛けたか掛けてないかなんていちいち記憶していない。しかも今日はなんだか体調が優れず頭がくらくらしていたのだ。ベッドに入った記憶だって曖昧なのに、ちゃんとドアの鍵は掛けたかと問われたら、わからないとしか答えられない。
不法侵入者の可能性が色濃くなり、その恐怖感で脳が強制リカバリーを始める。
段々と戻ってくる感覚。その感覚は、部屋の扉の前に人の気配を感じるまでに研ぎ澄まされた。
息を飲む。寝たふりをした方がいいだろうか。相手も動く気配はない。
様子を見ているだけかもしれないが、相手の目的が金品目当てではなく、この時間帯から朝までの間は瑞音という少女が一人っきりで家にいることを知った上で“そういった目的”を持って侵入してきているのだとしたら、このまま寝たふりを続けるのは危険だ。
だからこそ、瑞音は相手の様子を確かめなくてはいけないと考えた。強い恐怖感もあるが、不謹慎ながら好奇心めいた正義感もある。
瑞音は選択した。ごくごく薄く目を開けて体の一部でもいい、犯人の特徴を掴んでおくべきだと。
自分の恐怖をあおる考えはいくらでもできる。もし、とても腕力では勝てないような筋肉隆々の屈強な者だったらとか、ナイフを持っていたらとか、チェンソーを持っていたらとか、考えたらキリがない。
だからこそ、相手を確認して自分にどういった危険が迫っているのかと言うことを明確にする必要があった。
早速実行。瑞音は近くで見ないと薄目を開けているなんてまったく気づかないくらい薄く目を開けた。寝返りを打つフリをして顔を動かす。「んん・・・」なんてわざとらしくうめいたりしてもみる。
そしてその薄く開けた瞼のぼやけた景色の中に瑞音は見た。扉の前で尻餅をつき、何かに恐怖したかのように精一杯後ず去った様なばらけた足を。
意外にもその足は細く、さらに黒いニーソックスをはいている。その足を辿っていくと、犯人がスカートを履いている事もわかった。非常に見慣れた青緑という変わった色のスカートだ。
その予想外の犯人の特徴に意表を突かれた瑞音は思わず目を見開く。驚いたのだ、目の前にいる人物に。見間違えるはずのない、あまりにも見知った顔の人物に。
そいつは今にも泣きそうな、驚いた顔とも、恐怖の顔とも取れる表情で、こちらを見て震えていた。
「なんで・・・」
混乱する。瑞音は目を見開いたまま、瞬きも出来ずに、吸った息も吐けずに、口をぽっかり開けたまま、ただただゆっくりと首を横に振っていた。
「なんで・・・」
声を発しているのはもう一人の、
「なんで・・・私が・・・なんで私が寝てるの・・・・・・」
もう一人の、瑞音だった。
耳が痛いくらいの静寂が部屋を満たしていた。
扉の前でへたり込む瑞音の独り言を最後に、双方の瑞音は声を発することも動くことも出来ずに、それぞれで目の前にいる人物の正体のありとあらゆる可能性に頭をめぐらせていた。
ドッベルゲンガー?あの見てしまったら近いうちに死んでしまうという。死ぬのはやだよ。というか、ドッベルゲンガーが本体みて驚くなよ。
それともあれか?いつの間にか幽体離脱でもしてたのか?いや、そもそも幽霊なんて見えないし。・・・え?幽体離脱した幽体って幽霊とあつかい一緒?
そうだ、世界に三人は自分と瓜二つの人間がいるって言うし。ん?その場合瓜三つ?なになにどういう事?
疑問符ばかりが飛び交う中、先に動いたのはベットで寝ていた瑞音。
わけのわからない思考中、視界の端で妙なものを捕らえたからだ。
見慣れて“いた”、ガラスのローテーブル。
それは確か三ヶ月前くらいにうっかり割ってしまった、使い慣れたテーブルだった。
テスト勉強中、頬杖を突きながらうとうとしてしまい、頬杖から頭を思いっきり落下。自慢の石頭は見事にガラスを粉々にして見せた。といってもガラスの両面に安全加工がされていたので、細かい割れ筋が幾本も入っただけで、思いっきりおでこにたんこぶは出来たけど流血するような怪我はしなかった。
とにかく、そんないつ砕け散るかわからないローテーブルは危なく、そのまま次の日には破棄してしまったのだ。それなのに、その破棄したはずのローテーブルが部屋に置いてあるのはどういうことか。
瑞音は部屋を、最小限の首の動きと、最大限の目の動きでぐるりと見渡す。
どう見たって自分の部屋。でも、ちょっとづつ、部屋の持ち主にしかわからないだろけど、ちょっとづつ何かが違っている。
さっきのガラスのローテーブルにしてもそうだし、机の上の本も壁にかけてある上着も、私が今日家を出たときと状況が違う。
机の上の本は、つい先日最新刊の五巻を買ったばかりのマンガの一巻で、棚にはそれ以降の巻は入ってない。買ったばかりの五巻だけではなく、二巻も三巻も四巻も入っていないのだ。
壁の上着掛けに掛けてある上着は去年気に入って着ていた上着で、今年新しく買ったものではなかった。
ありとあらゆるものを見て、瑞音はある共通点に気がついた。それは、部屋がちょっとづつ違うんじゃなくて、前の配置に戻ってるのだと言うことに。
お気に入りの人形も、置物も。細かいところまでは覚えてないけど、覚えてる部分は大方違う。
壁掛け時計とか、家具とかのそんなしょっちゅう動かさない物は、もちろん動かした覚えもないし、頭の中にある配置図と同じ。
自室のそんな状況に気づき、瑞音はとある考えに自然とシフトしていった。
その考えはとても俄かに信じられるものではないが、考えれば考えるほどその可能性しか見出せなくなってくる。
難しい顔でなにかを確認するようにあたりをキョロキョロと見渡すベッドの上の瑞音を、扉の前でへたり込んでいるもう一人の瑞音が怪訝そうに見つめている。声をかけるべきかを戸惑っているようにも見えた。
「そんなの・・・あり?」
先に声を発したのはベットの瑞音だった。独り言ではあるが。
「まさか・・・本当に?」
机の上のデジタル時計に目をやる。大きな液晶画面には、大きく表示された時間にカレンダーまで表示されるなかなか高機能なデジタル時計だ。
時計が最近の記憶とは左右逆に配置されている事には今更驚かない。それよりも問題なのは、今は何年かというところ・・・。まさかとは思いつつも見たデジタル時計には、瑞音が考えた可能性を肯定する数字が表示されていた。
「本当なんだ・・・」
一人納得。は、したらしいが、ありえないありえない、と瑞音は困惑顔で呪文のようにぶつぶつと何度も繰り返している。
まだこの状況に納得のいっていないのは扉の前のへたれ瑞音の方。こうなったら目の前にいる筈のないもう一人の自分に、とことん質問攻めしてやると上体を起こし瞳を強く、
「あ、あの・・・あなたは誰?なんで私と同じ顔してるの?なんできょろきょろ部屋を見回してるの?何に今納得したの?何で私の学校の制服着てるの?リボンの色は私と違うみたいだけど・・・」
兎にも角にも質問攻め。うちの制服は学年で色が違うことも何気なく指摘しつつ、質問攻めはまだ止まらない。
「名前は何?何が目的?何でベットで寝てるの?それってずうずうしくない?侵入者のくせに!年は何歳よ?」
だんだん本題とはずれて来ている質問だけど、こんなに一気に質問をまくし立てられたらきっと参るはず!と、へたれ瑞音は確信していた。何一つちゃんと答えれないはずだと。・・・年齢以外は。
しかしベット瑞音はいたって冷静にへたれ瑞音を見下ろしていた。すべてを悟ったかのように。ただひとつだけの質問を携えて。
「・・・ねぇ、その質問には全部答えるから、先に一つだけ、私の質問に答えてくれる?」
へたれ瑞音は驚いた。目の前にいる人物の自分勝手さにではない。さっきの独り言ではちゃんと聞こえなかったが、はっきりと喋りかけられた声は、自分の声とまったく同じだったから。
この偽者、なんてやりよるんだ・・・と。自分の声を傍から聞いたらどう聞こえているかは知っていた。
思わずうなずくへたれ瑞音。その様子を見てベット瑞音は続けた。
「この一つだけ分かれば、今の状況に対する私のすべての考えをあなたに話せる。あなた、いえ、瑞音・・・」
そう問いかけてベットの瑞音は自分の身体のとある場所を指で指し示す。
「・・・・・・・・」
その指の先を目で追うへたれ瑞音。
「ここに・・・・・・ホクロあるでしょ?」
・・・・・・・・・
沈黙。長い長い沈黙。
きょとん、とベット瑞音の指が指し示した場所に目をやっていた瑞音の顔がぴしっと凍てついたかと思うと、カタカタと音を立てて体が震え始める。顔はみるみる赤くなっていき、それを隠すように手で覆うが、その指し示した場所から目が離せないらしく、指の間から未だ見続けていた。
だって、ベット瑞音は遠巻きに自分の秘部を指差して・・・・・・秘部を指差して!!
「な、ななななな、なんあななななななんんんななんで知ってるの!!??づあ、だ、誰にも見られた事ないのに!!そそそそんな・・・そんな奥まったところ!!!」
まさに炎でも飛び出るんじゃないかと思うほど、顔を真っ赤にして瞳をグルグル回して混乱しまくるへたれ瑞音を見て、ベット瑞音は目を細め、呆れたように笑い、鼻で甘いため息。実はちょっと安心していた。
そして、とてもとても穏やかにへたれ瑞音に語りかける。まるでそれは子供をあやすように、ゆっくりと、愛情を込めて。
「こんな恥ずかしいところ誰にも見せられないもんね、瑞音。私だって気づいたの高校一年の終りくらいの時。つい最近だもんね。私にとっては約一年前、あなたにとっては本当にごく最近・・・・・・ね、私が何を言いたいのかわかった?」
「な、な、なにが?なにに?へ?」
困惑中のへたれ瑞音は、突然の問いかけに更に頭を混乱させる。頭をくしゃくしゃと両手で掻きながら、未だ瞳はグルグルで。
でもさっきまでの敵を見るような緊張感はなくなっていた。
「まあ、とりあえず聞いて、私の考えを。私の存在はなんなのかを」
眉毛を思いっきりハの字にして、今にも泣きそうな顔をしているへたれ瑞音は、ベットの上にいる瑞音をそっと見上げる。
ベット瑞音は床のカーペットに腰を下ろして正座になる。私はこれから真剣な話をします、と言わんばかりに姿勢を正した。へたれ瑞音も釣られるようにカーペットに移動して正座。二人の間にあるガラスのローテーブルにほんのかすかに二人の顔が映りこむ。
静かに進む時計の秒針の音と、かすかに聞こえる窓を叩く風の音。
季節は春。出会いの季節にやってきたこの出会いは、とても信じられない出会いだった。
ベット瑞音は、ゆっくりと、なるべくわかりやすくなるようにと説明を始める。
「えっと、まず何から話そうかな。えっとね、あなたの名前は、瑞音、美作瑞音でしょ?」
へたれ瑞音はうんうんとすばやく二回頷く。
「そして、私の名前も美作瑞音」
ベット瑞音の自己紹介にへたれ瑞音は目を丸くし、小首をかしげ、頭に浮かぶ疑問府。それを見てベット瑞音は「うん」と一つ頷くと、言葉を続ける。
「まあ、はっきりと言っちゃおう。私はあなたと同一人物。名前も、生年月日も、生まれた場所も、住んでいる場所も、母親も父親も、ちょっとした癖も、今まで生きてきた記憶も・・・とりあえず、人と区別出来るものはすべて同じな同一人物なの」
口をぽっかり開け、さらに疑問符が二、三個増える。そりゃそうだ、話しているベット瑞音だって半信半疑なんだから。でも、こうとしか考えられないのも事実。だからそれを話すしかない。
「でも違うところもある。年齢がわかりやすいかな。瑞音は今何歳?」
「じゅ、十六」
まるでちっちゃい子が「みっちゅ」と自慢げに指三本立てるのと同じように、指数字もあわせて答えるへたれ瑞音。もちろん十六本も指はないわけだけど、向かい合う人にちゃんとわかるように、左手は人差し指を立て、右手は親指と人差し指を丸めてグットサイン。それをクロスして見事に数字の“16”は作られていた。
話について行けずテンパっているくせに、器用なもんだ。
「十六歳ね。じゃあ瑞音、私は何歳だと思う?」
テンパってるのは承知の上であえて質問する。こっちのほうが認識しやすいと思ったからだが、思った通りさっきのきょとんとした顔のままへたれ瑞音はフリーズしてしまった。
でも、同じ瑞音としてはわかっている。こうやってフリーズしてしまっている時でも、一応脳みそは動かしているんだと。
瞬きもせず、微動だにもしないへたれ瑞音を見つめながら、ベット瑞音は瑞音の言葉を待っていた。
その間に違うことも考えたりしている。名前が一緒だと呼称するのに困るな…。
そんな事を考えているとへたれ瑞音の口がゆっくり動いた。
「えっと…み、瑞音・・・さんの言ったことから考えると…」
なぜか“さん”付けだった。確かに見た目的にはちょっと、ほんのちょこっとベッド側の瑞音のほうが老けて、いや、大人っぽいからわからなくもないが、自分と同一人物にさん付けというのはどうなんだろう。
考えてる瑞音自身良くわからなくなってきた。
その間にもゆっくりとへたれ瑞音は質問に答える。
「私とまったく同一人物なんだから…」
うんうん、とベット瑞音は相槌を打つ。
「じ、十……六歳?」
間違えたらとんでもないことになるとでも思っているんじゃないかと思おもうほど慎重に答えるへたれ瑞音。
でも、残念。ベット瑞音は表情を殺し、低く冷徹な声で、
「不正解…」
そう告げた。もちろんへたれ瑞音のことをからかってのことだけど。
しかし告げられた瞬間、へたれ瑞音の顔は見る見る青ざめていって、肩をすくめながら震えだした。
きっとこのまま自分は消されてしまうんだとでも考えているのだろう。
「お、お願い、まだ私消えたくないよ…」
考えていることが手見取るようにわかるというのも面白い。さすが同一人物。
面白がりながら、ベット瑞音はさらにからかってやろうと企む。
けれど、これ以上怖がらせてもかわいそうだし、話が進まない事に気づいたベット瑞音。
なによりも、もう笑うのを堪えられない。
「ぷ…はははは、そんなことする分けないじゃない。あ~、おもしろい。さすが私、バカだねぇ」
「な、なによ!間違えたんだから私は消されるんでしょ?み、瑞音さんが私と同一人物だって。だから私と入れ替わって私として生活するから、私はもう用済みだって」
「言ってない言ってない。ははは、なんでそこまで飛躍するかな~」
「だってだって、マンガとか映画とかでそういうのがあるもん…」
こんなに自分はバカだったけとベット瑞音は思わずにはいられない。人の成長とはすごいものである。
「まだあなたは私の年齢の正解を聞いてないでしょ?」
「年齢?そ、そう年齢!私と同一人物なのになんで年齢が違うの?それじゃあ同一人物じゃないじゃない」
「そんな事ないよ。私はあなたと同じ瑞音。でも違うところが一箇所だけある」
「…それが…年齢って事?」
ここまでくればさすがのへたれ瑞音も理解できてきたらしい。
「そう、私は今十七歳。瑞音もさっき気づいてたじゃない。自分じゃあもう覚えてないと思うけど、制服は同じだけどリボンが三年生のリボンだって」
「あ…」
「私は一年後のあなた。一年後の瑞音なの。つまりね、未来のから来たの。いえ、ちょっと違うか、未来から来ちゃった、だね」
ベット瑞音の言葉を最後に、しばらく沈黙が続いた。
その間へたれ瑞音は、そんなわけないじゃない、でもあながちうそでもないかも、でも未来から来たなんて、もしかしてこれが本当なら私は一躍有名人?それとも未来から来た私が有名人?どっち?どっちなんだ??
などどぶつくさ言いながら不安な顔をしたりニヤついたり困ったりと見ていて面白い。
しばらくその様子を見つめていたベット瑞音だが、そういえばそんな悠長に現状を受け入れている場合ではないことにふと気づく。
他の可能性を考えられないので、自分がタイムスリップと言うやつをしてしまったのは、信じがたいが間違いはなさそうだ。
つまり、ベット瑞音は本来この場所、この世界にいる筈のない人物なのだ。
タイムパラドックスとかなんとか言うものは良くわからない、でも瑞音は思う、
「・・・帰らなくちゃ」
そうぼそっとつぶやく。
そのつぶやきにへたれ瑞音が「えっ・・・?」っと動きを止め、ベット瑞音の顔をみた。
その顔にはさっきまでの不安な顔やニヤついた顔や困った顔以外の感情を浮かべている。
「帰っちゃうの・・・?」
そう言ったへたれ瑞音の顔はどこか悲しげで寂しそうで、その意外な反応にベット瑞音は少し驚いてしまったが、目の前にいるのが自分とまったく同じなんだと思い出すと、へたれ瑞音が何を考えたのかすぐにわかるというものだ。
瑞音“たち”の両親は共働きで、しかも居酒屋という職業柄、夜に家にいるという事がほとんどない。
それは瑞音が小学校高学年くらいから当たり前になっていることで、今更その事について両親にどうのこうの言うつもりもないし、なにより楽しそうに働いている二人を見ているのは瑞音としても心地よいものだ。
だけれど、寂しくないといったらうそになる。
夜はいつだって暗く、誰もいない家はいつも静かだ。それが当たり前だと思っていても、隣の家から家庭の笑い声が聞こえてくる度に、テレビに向かって一人笑っている時に、寂しさは胸に顔を覗かせていた。
だから瑞音はずっと思っていたのだ。高校生の今だって変わりなくその思いはある。
姉妹がほしい。
歳の近い姉妹がいれば、きっと楽しいんだろうなとずっと思っている。
同じ学校に通って、学校から帰ってきたら二人で居酒屋に手伝いに行ってご飯も食べて、そしたら二人して家に帰って、二人でテレビドラマを観たりお笑い番組を観て笑ったり、二人でお風呂入ったり。そんな毎日があったらいいなとしょっちゅ考えているのだ。
しかし今更両親に妹が欲しいなんて口が裂けても言えないから、それは夢でもなんでもなく、妄想でしかなかった。そもそも今更作られても、年齢が十歳以上も離れていたらたとえ戸籍上姉妹でも、もはや親子のほうが近いし。
でも、今のこの状況はどうだろうか。
瑞音と瑞音は一年という時間の流れしか違いのない“同一人物”。
だけど、肉体はもちろん、意思も一人一人にちゃんあるし、考える事だってそりゃ同一人物なのだから同じようなものだがそれぞれ違っている。同一人物であるのは違いないが、二人はそれぞれで個人なのだ。
ベット瑞音は、まだ自分の正体を知らずに混乱していたへたれ瑞音に感じたくすぐったい感情を思い出す。愛しく抱きしめたくなるような感情を。
あの時、ベット瑞音はへたれ瑞音をとてもかわいく思った。
それはもちろん自惚れやナルシスト的なものじゃなくて、へたれ瑞音を個人としてかわいく思ったのだ。
その時は自分の安堵感とかいろいろ混じっていて気が付かなかったけれど、あれはへたれ瑞音を妹のように感じていたに間違いない。
逆に、へたれ瑞音はベット瑞音を姉のように感じている。それも間違いない。
それは瑞音たちがずっと欲しいと願っていたが決して手に入らないはずの姉妹そのものだった。
「そっか・・・・・・そう、なんだよね」
それにハッキリと気が付いたベット瑞音はひとりつぶやきくすりと笑う。そんなベット瑞音を見て首を傾げるへたれ瑞音。
状況のわかっていないへたれ瑞音を差し置いて、ベット瑞音はローテーブルに腕を置いて軽く体重を載せると、むんずとへたれ瑞音に顔を寄せてにかっと笑う。
突然のことにビクついて肩を竦めるへたれ瑞音にお構いなしに、ベット瑞音はそのままワシワシと頭をなで繰り回した。
過去の自分への初接触。ベット瑞音も内心ドキドキだ。
「わ、わわたたた、ななななに!?」
わけがわからない展開に目を白黒させてなすがままにされているへたれ瑞音。だけど抵抗はしない。
顔は真っ赤になっているけど。
「で、なぁに、君は私に帰って欲しくないのかなぁ?」
意地悪く聞いてみる。ベット瑞音が「帰らなくちゃ」と言った後のへたれ瑞音の反応の思い出すと、つまりはそういうことだろう。
「べ、別にそういうわけじゃ・・・・・・」
へたれ瑞音も自分がどういった反応をしていたのかを傍から指摘されて、居心地悪そうに目をそむけた。尻すぼみになったセリフは図星を言われたからだ。
それを見てひとまず満足したベット瑞音は最後に頭を軽くぽんぽんと叩いて元の位置に居直った。
バサバサになってしまった髪を撫で付けながら、何か言いたげにベット瑞音を睨むへたれ瑞音を気に留めるわけもない。
自分に睨まれてもなんら罪悪感も感じないし、何を考えてるかもわかるしね。
「まあなんであれ、私は私の元いた場所・・・時間?に帰らなくちゃいけないのはわかるの。だってそうでしょ。私はここにいる筈のない存在だから」
そうなのだ。へたれ瑞音が望もうが、たとえ自分が望んでいようが、ここに自分がいるのはおかしいのだ。異常事態であることに変わりない。
「・・・・・・」
まじめな言葉を聞いて明らかに残念そうにうつむくへたれ瑞音。だけどその様子を見てもかわいそうとは思わない。話はこれからが本題だから。
と言ってもそれはまじめな話ではない。とても間抜けな、思わず苦笑ものの話だ。
「でもねぇ・・・・・・困ったことに帰り方がわからないんだよなぁ」
困り顔でてへっと舌を出してみせる。
「え?そうなの?じゃあどうやってここにやってきたのよ」
「だからさっきも言ったじゃない。ここには来たんじゃなくて、来ちゃったって。だからどうやって来たかもわかってないの。当然、そうなると帰り方もわからないわけよ。
なんか重要な記憶も飛んじゃってる気もするし・・・。ま、つまりしばらくはここのお世話になるほかないよね。と言うか、ここ私の家だし!」
偉くもないくせに腕を組んでふんぞり返り、わざとらしくニヤリとも笑ってみせる。
ベット瑞音が言ったことは何もかも事実ではあるのだけど、当然へたれ瑞音はそれに対して異議を唱えなくておかなくてはならない。
そうしておかないと本当に未来の自分に家を乗っ取られかねないから。でも、まあちゃんとわかっている。
「ここは私の家よ!あなたは他の時間から来た瑞音で、今この時間の瑞音は私なの。だからここは私の家!」
腰に手を当ててずいっと胸を張る。強い口調とは裏腹に、口元は思わずニヤけてしまった。
いわゆるこれは茶番だ。どうしようもなくくだらなくて意味のない、でもとても温かな。
しばらくそうやってにらみ合った後、どちらからともなく笑い出す。
「ぷふふ、さすが私、バカだ。ぷふ、家で、こんなに笑ったの、久しぶりかも。あははは」
目じりには涙まで浮かべて、二人して馬鹿笑いをした。
いつもは静かな美作家の夜に温かい笑い声が溢れる。それは瑞音がひそかに望んでいたもの。形のない、何物にも代え難いものだ。
それを実感するように、二人は遠慮なく笑った。
「なにはともあれ」未だに笑いの尾を引きながら「いつ帰れるかわからないけど、これからよろしくね、瑞音」
「うん、よろしく、瑞音」
そう言って照れつつ手を差し出すへたれ瑞音。その手を照れつつ握るベット瑞音。
すでに二人はお互いの存在に違和感なんてものを感じていなかった。それに不安も。
きっと私たちなら大丈夫。二人の瑞音は何を言うまでもなくうなずきあった。
そう、目の前にいるのは他の誰でもない、自分なのだから。
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☆あらすじ
自宅近くの公園で雷に打たれ気を失った瑞音。近所のおばあちゃんに起こされ、くらくらする頭を抱えながら自宅に帰りそのままベットで眠り込んでしまった。
不意に部屋が明るくなり目を冷ました瑞音はありえない人物を目にする。誰も帰ってくるはずない時間に帰って来たのは
「私!?」
お互い困惑する中、机のデジタル時計を見ると、なんと年月日がまるまる一年前だった!
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