~真・恋姫✝無双 孫呉伝~ 第三章第一幕
「ここに来るのも・・・随分久しぶりさねぇ」
場所は荊州、孫策の住まう城のある街だ。その街の外に女性が一人――あちこち跳ねている後ろ髪をポニーテールにまとめている。
その色が特徴的だ。
真紅――とても鮮やかな赤。
「明命、ウチは街を見てから向うから、コイツ・・・預けていいかな?」
布で覆い尽くされた七尺はあろう代物を、共にいる明命に差し出す。すると、明命の頬を一筋の汗が伝う。
「あの、・・・流石にコレは私には無理かと」
「・・・そうれもそうか、仕方ない・・・ウチが持っていくから雪蓮に報告よろしく・・・」
明命はホッと胸を撫でおろし、いざ報告と姿を消そうとしたが、それは制止の呼びかけに阻まれた。
「ああ、すまんね。一つ確認がしたくて」
「確認・・・ですか?」
「そ。・・・香蓮様が拾った御使い・・名前はなんだったっけかね?」
ああ、それでしたらと明命は笑顔で彼女の問いに応えた。
「一刀様です。北郷 一刀様・・・とても素敵な方ですよ」
名前の確認を済ませ、明命に礼を述べ、彼女は街へと足を運んだ。
「はてさて・・・どんな男なのやら・・・楽しみだねぇ」
呟きは、雑踏の中へと消えた。
――その後の明命は。
「街を見て回るって?」
「はい、雪蓮様によろしくとお伝えするように言いつけられました」
謁見の間にて、明命の報告に、雪蓮は片肘付いて溜息を吐く。
「計らずとも一刀に出逢うことになったとはいえ、相変わらずみたいね・・・あの子。さて、燕と思春はどうなったかしらね♪」
その、当の一刀はというと。
一刀は朝議の後一人で警羅に向かわされた。なんでも、『女だけの大事な用事』といわれ、有無を言わさず追い出されたのだ。
本来、燕と氷花の三人での警羅の予定だったため、今は一刀一人で街を歩き回っている状態だった。
「ま、それぞれの受け持ちがあるから仕方がないとはいえ・・・なんか寂しいなぁ」
しかし、街の人に人望がある一刀。そんな寂しさなどすぐに紛れてしまうのだ。
ましてや警羅は暇な仕事ではない。道案内から揉め事の仲裁まで仕事の幅が広いため師具に忙しくなるのが常。
結局、忙しくて昼間であっという間に時間が流れるのだった
では昼食でも取ろうかと足を動かそうとした――その時、不意に声を掛けられた。
「ああ、すまんね。一寸聞きたいんだけど・・・いい?」
「はい・・・あの、その担いでるモノはなんですか?」
一刀に声を掛けてきたのは七尺(約二メートル)はあろう、布に包まれた〝何か〟を担ぐ真紅の髪の女性だった。
「ん?ああ、コイツはウチの得物さね」
「得物・・・でかいですね」
「まぁね。と、それはいいから、道案内を頼みたいんだけど・・・君の薦める美味い飯屋に案内してくれない?」
聞かれたのは一刀にとって慣れたものだった。
そして、この女性が旅人か何か――つまるところ外から来た人である事であると察した。
もっとも、基本的にこの手の質問をしてくるのが全て外の人というわけでもないのだが、見慣れない人物だという事で、そちらの方に結論を持っていったのだ。
「それじゃあ案内しますね。ついて来て下さい」
一刀を追う形で、女性は足を動かした。
――一刀の背中を見る瞳は、何も気取らせないが、確かな鋭さが宿っていた。
(明命に聞いた特徴と一致する・・・というか、それ以前に目立ちすぎさね、あの服は。)
人の事は言えないわけだが、こういうときは自分のことは棚に上げるものなのだ。
(聞いた印象だけなら・・・なよなよした優男かと思っていたけど、いい瞳をしてるね。〝覚悟〟ってものがちゃんと宿ってる。これは伯符の呼び戻し、感謝かね)
期待に胸を膨らませ、女性は一刀の背を追うのだった。
「麻婆丼・・・えらく豪快な料理さね」
「やっぱりそういう反応になります?」
女性の反応に苦笑いをしながら頬を搔く一刀。
――しかし、そんな反応も食べてしまえば即変わるもので。
「美味いね、コレは初めての感覚さね・・・おっちゃん、お酒ちょうだいな」
「はい?」
「意外って顔してるね。美味い物があったら酒って欲しくならない?」
なりません。とは口で言わずに苦笑いで返すと、「ウチは大概そうなんだけどねぇ・・・」とブツブツと小言を言い始めた。
それから十分ほど過ぎて。
「――ん、馳走になったね。いやはや、満足のいく昼餉だったよ」
「気に入ってもらえてよかった。・・・所でここにはどんなご用事でこられたんですか?」
「・・・気になる?」
「正直を言うと。その得物のせいってのもあるんですが・・・」
「まぁ、無理もない。君のその判断は決して間違いじゃないさね。なに、ここには昔馴染みが住んでいてね。旅の道中、顔ぐらい見ておいてもいいかなって思ったの」
「そうだったんですか。・・・すいません、疑うような事を言ったりして」
すんなりと女性の言う事を信じ、頭を下げた一刀に女性は思わず目が点になってしまう。
ここまでべたな言い訳をここまで馬鹿正直に信じて頭を下げる輩など、この時代にそうはいないからだ。
「君は・・・今のを信じたの?」
「・・・えっと、上手く言えないんですけど、嘘だっていうのは分かりました。俺、駆け引きの面も鍛えられてますから」
その台詞から、女性は一刀が言っている事が嘘ではないと見抜いた。
(冥琳に穏・・・それに香蓮様がいれば、それくらいはむしろ当然か)
非常に納得がいく。ならば、今目の前にいる彼に下手な駆け引きは意味がない。
ソレを考えると少々、先の会話において安い嘘をついたものだと後悔してしまう。
だが、後悔など何の意味も価値もない以上、いつまでも引きずる必要はない。
「いやはや、君は思っていた以上に面白い男。ウチが興味を惹かれる男は君が初めてさね・・・君の名前、聞いてもいいかな?」
「はい。・・・一刀です。北郷一刀」
「ふふっ、ありがとう。それでは返礼といこうかね。ウチの事は悠里って呼んでくれたら嬉しいかな?」
今告げられた名が何なのか、今の一刀にはよく分かる。どうしてソレを教えてくれたのかは彼にはよく分からなかったが、ソレを預けられる事の意味ぐらいは理解してる。
「さて、そろそろ行かせてもらうよ」
そう言って踵を返して女性は。片手を振りながら雑踏に紛れていった。
担いでいる得物は最後まで目立ったままだが、その行く先を見届けぬまま、一刀は仕事に戻るのだった。
「あはは♪いやはや、面白い子さね」
〝悠里〟と名乗った彼女は、高らかと笑う。人目にはついてしまったが、そのような些細な事など全く気にならないほどに気分が満たされていた。
「名乗りもせずに、真名を預けた相手なんて、考えてみたら生涯初めてさね。ま、生涯と言うほど年喰ってる訳じゃないけどね」
独り言をぶつぶつ言いながら歩いていると、目的の場所へとたどり着く。その場に至る入り口には、見知った顔が立っていた。
「お前が出迎えかい?思春」
「お久しぶりです。太史慈様」
――太史 慈 子義
それが、一刀に対して名乗らなかった、彼女の名であった。
「まあ久しぶりはいいんだけどね・・・その面、何したの?」
「・・・お気になさらずに。大したことではありませんので」
彼女の指摘したのは、思春の顔のあちらこちらが腫れていたからだ。それは、確実に殴打による打撲なのだが、彼女が知る限り、思春という少女は、早々に攻撃を喰らったりするような鈍重な将ではない筈である。
ならば、何かの失態の罰として殴打されたと考えるが、それも今一つ納得できない。
「お前、拳で戦るクチだったかね?」
「私事ですので、詮索は無用でお願いします。どうしてもお知りになられたいのでしたら、後に香蓮様にでもお聞きになってください」
「なら、そうするさね。・・・ああ、一つだけ――ソレとは別件なんだけど、聞いても?」
「・・・なんでしょうか?」
真面目な態度を崩さない思春に対し、太史慈はニヤリと不敵に笑う。その笑顔に、背筋が寒くなるのを感じる思春だった。
そして、その予感は、全く間違っていなかった。
「・・・北郷一刀のこと。好きかね?」
一瞬、本当に一瞬の刹那、思春は思考が完全に停止した。
そして、その一瞬の刹那を見逃す太史慈ではない。
「あはははは。どうやら彼は本当に面白い子みたいさね」
満足そうに、笑うだけ笑った太史慈は言い訳をする思春を無視して、城内へと歩を進めるのだった。
太史慈と別れた(一刀は太史慈であると知らない)一刀は、それからいつもどおりに仕事をこなしていると、ようやく、燕と氷花が合流したのだが。
「燕、どうしたの?」
燕の顔のあちらこちらが腫れていた。それは、確実に殴打による打撲なのだが、彼女が知る限り、燕という少女は、早々に攻撃を喰らったりするような鈍重な将ではない筈である。
ならば、何かの失態の罰として殴打されたと考えるが、この感じではそれも今一つ納得できない。
「黙秘・・・大した、こと・・・じゃ・・・ない」
「すみません、一様。ご心配される事は重々承知していますけど、その件には出来れば触れないで頂けないでしょうか?こうして一様の前に顔を見せただけでも本当は凄い事なんですから・・・なので、この件に関しましては女同士だけの秘密というものです」
そう言われては引き下がるしかない。幸いと言うべきかはわからないが、燕自身がそこまで気にしていない様子なので、彼女自身が話さない限りはこちらから触れないでおこうと決める一刀だった。
「何やら魅力的な笑顔をされていますが、私達、一様をお呼びしに来たんです」
「ん、一刀・・・雪蓮様・・・が、連れて・・・来て、って」
雪蓮が呼んでるとあっては、急ぎ引き継ぎをして戻らねばならないのだが、そこは流石に優秀な部下二人。
その引き継ぎを済ませた上で一刀を呼びに来たらしく、一刀は「はぁ」と間の抜けた台詞を言うのだった。
「ああ、そう言えば今日面白い人を見たよ」
「面白い、ですか?」
「そう。特徴のある喋り方でさ、で、七尺近い得物を担いでる綺麗な人」
二人の眼が一気に胡散くさそうなモノになった。その眼は、なに言ってるんだこの人という感じが満点である。
「それほどの得物を担げる方が綺麗というのは・・・まぁ香蓮様に祭様、雪蓮様の様な桁違いのお方たちもいらっしゃいますから、一概にあり得ないとは言えないんですけど」
「氷花・・・自己、完結しちゃ・・・った」
「だね。ま、とにかく戻ろうか。その事も一応報告しといたほうがいいだろうし」
二人は頷いて、三人は並んで城に戻るのだった。
「お帰り、一刀♪燕、氷花、お疲れ様」
「ただいま。で?仕事の途中で呼び出しってことは、結構急ぎの用事なんだよね」
そう尋ねる一刀に対し、雪蓮は軽い感じで応えた。
「そ。ま、とりあえず本題は置いといて・・・一応聞いておかないとね。戻ってくるまでの間で何か変わった事とかあった?」
変わった事と聞かれて、一つ思い浮かんだ事があった。
あの七尺近い得物を軽々と担ぐ、変わった女性だ。
姓も名も、字さえ知らないまま、ただ気に入ったと言われ真名を預けたあの女性の事が、思い浮かんだのだった。
「変わった人なら見かけたよ。危ない感じじゃなかったけど、なんか色々怪しい人」
一刀がそう応じた途端、雪蓮や香蓮、祭に冥琳、穏、蓮華に思春と警羅隊に属する三人以外の表情が揺らぐ。
香蓮、雪蓮、祭、冥琳の四人に関して言えば、少し笑っているようにも思えた。
「怪しいって・・・どんな、感、じ・・・なの?」
訂正しよう、雪蓮はもうほとんど笑っている。声に出して笑うのを抑えている感じだ。
「あちこち跳ねた真紅の髪はまあ、怪しくもなんともないんだけど、あの喋り方とあのやたらとでかい得物」
「その得物ってのはコイツの事?あと、ウチの喋り方は別に変わってないさね」
「いや、そんな喋り方する人初めて見たもん。充分変わってると思うよ」
この質疑応答、相手が変わってしまっているのだが、話がスムーズに進んでいるために、一刀は全く気付いていない様子。
だが、当然周りは気付いており、雪蓮、香蓮、祭の三人に関しては声を殺したまま、腹を抱えて蹲っている。大きな声で笑いたいのを懸命に堪えている感じだ。
「君の持つ得物やその光る服に比べたら、遥かに普通さね」
「それは、まあ・・・?」
ここにきてようやく違和感を覚えた一刀は話し相手を改めて視界に捉えると。
「やあ♪短い別れだったね、少年。今度はちゃんと名乗るとしようかね。ウチは太史慈。 姓は太史、名は慈、字は子義。そこで声殺したまま蹲ってる馬鹿の友人にしてこの国の将。天の御遣い君、よろしくさね」
「・・・・・・は?――はあああああああああああッ!?」
一刀の絶叫が木霊した瞬間、三人の大爆笑も一緒に場内に響き渡るのだった。
ひとしきり笑った後、それでも笑いが抑えきれない様子で、雪蓮は笑いながら目尻を拭った。おい、そんなに面白かったかこの一連の流れ。
「おい、幾らなんでも笑いすぎさね。冥琳、コイツ止めなよ」
「振る相手を間違っているといいたいが、すまん。私も面白かったのでな。今回は共犯だ、諦めろ」
「やれやれ・・・で、御遣い君?いつまで固まってるのかな?」
問いかけられて、ようやく、フリーズしていた思考が活力を取り戻した。
「え、あ、ごめん。・・・えっと太史慈さん」
「こらこら。君にはちゃんと真名を預けたよ?ウチとしては、〝悠里〟って呼んでほしいさね」
「だったら、御遣い君っての止めてほしいかな?祭さんや冥琳、思春みたいに〝北郷〟でもいいし、他の皆みたいに〝一刀〟って呼んでもらえるとコッチとしても嬉しいんだけど」
そう反論され、太史慈は顎に手を添え、ふむと頷いて結論を一刀に告げた。
「なら、君の事は今この瞬間から〝一刀〟と呼び捨てにしようかね。うん、親しみやすくていいね。さて、こっちは条件を呑んであげたわけだし・・・」
「うん。それじゃあよろしくね悠里」
彼女の真名を呼んでスッと右手を差し出す一刀。一瞬、何かと首を傾げた悠里だったが、すぐに察したようで、差し出された手を握った。
伝わってくる一刀の体温に、悠里は自分の胸が今までにない鼓動を打ったのを確かに感じる。
「君は温かいね。まるで春の陽だまりさね・・・それに確かな意思が宿ったいい瞳。うん、よろしくね一刀」
ニッコリと笑う悠里。それがとても優しい笑顔で、一刀も釣られて笑顔で返したのだが、その瞬間、悠里の顔が真っ赤になった。髪の毛の真紅に負けない赤さである。
二人の様子を傍から見ている面々はというと。
「はぁ、瞬殺か・・・やれやれだ」
「でも少し意外かしら。あの子があんな顔見せるなんて思わなかったわ」
などと色々好き勝手に言っていた。
そんなこんなで、顔合わせを終えた一同は、改めて本題に入った。
「一刀を呼んだのは、もしかしたら私たちの知らない情報持ってるかもしれないからよ」
と、そこで一刀は察した。
昨今の情勢から導かれる事柄は一つしかなく、また、行商を通して色々と情報を得ている自分だ。もし、本当にその件ならとても納得がいく。
「・・・ひょっとして、洛陽のこと?」
一刀の返答に、呉の重鎮たちは、満足そうに笑みを浮かべた。
どうやら正解だったらしい。
「話しが早くて助かる。北郷、今現在で我らが知り得ていない情報はあるだろうか」
「なくもないけど・・・」
「歯切れが悪いな。何かあるのか」
特に出し惜しみをする理由もなかった一刀は、一度頷いて彼自身が得ている情報を口にした。
「董卓の暴政の噂・・・どうも出まかせみたいだよ」
最近のと大陸の話題といえば、董卓による洛陽での暴政というとんでもない話題だった。
その大陸中に知れ渡っている話が、出まかせだという一刀の第一声に謁見の間はざわつく。
「仕事柄、行商と話をする事が多いわけだけど・・・そんなわけで洛陽から来る商人の人とも当然話をする機会があるわけで・・・そこで聞いた話を簡略化すると。洛陽が荒れてたのは本当だけど、それは董卓が来る以前の話で、洛陽の前からいる官僚達の時だったらしい。その時は本当に酷かったらしいけど、董卓が来てからは別で、むしろ改善されつつあるらしい。だから、商人たちは暴政の噂を聞いた時、耳を疑ったらしいよ」
簡単にまとめた一刀の発言に、一同の表情が苦いものに変わった。
「・・・冥琳、この一件、情報の出所探れないかしら」
「幾ら貴女の頼みでも、噂が広がり過ぎてる現状で、噂の出所を探るのというのは、残念だが不可能よ」
「ん~・・・実はね、袁紹から物凄くやる気の殺がれる手紙が来たのよ。噛み砕いて言うと董卓を討とうって話なんだけど・・・どうもコレ、最近名を上げてる諸侯にに出回ってるみたいなのよ・・・で、結論から言うと、我ら孫呉もこの反董卓連合に参加する。あ、袁術ちゃんはもうノリノリだから心配いらないわよ♪」
既に頭痛の種は解決済みらしい。
「・・・あのさ、雪蓮」
「〝董卓を助けられないか〟――かしら?」
雪蓮は不敵に笑って、一刀の質問を先回りした。そしてそれは一片のずれもなく核心を突いていた。
一刀の願いは、場を一瞬で静寂で包んだ。
「ま、察してくれてるとは思うけど、私たちの現状・・・分かってるわよね?」
最早、そこに〝雪蓮〟は存在していなかった。
〝江東の麒麟児〟の異名を持ち、〝江東の虎〟の血を受け継ぐ孫家の長女。
――孫 策 伯符
〝江東の小覇王〟と呼ばれる孫呉の統治者がそこにいた。
「貴方は今でこそ孫呉に降りた御遣いだけどね、だからといってなんでもかんでも貴方の好きなように事は運ばないのよ?それをまあ、子供が駄々をこねるみたいに好き勝手言って・・・何様なのかしら」
気を抜けば、意識など一瞬で刈り取られてしまいそうなほどの殺気が一刀を襲う。
ソレは手合わせしたと気にさえ感じた事のない殺気。
倒す――否、殺す相手つまりは敵に向ける代物で、今この時、一刀は雪蓮に敵とみなされていた。
奥歯がカチカチとなりそうなのを必死に堪えながら唾を呑みこむ。
「ま、一応は聞いてみましょうか。具体的にはどうするつもり?」
殺気は決して緩んでないまま、雪蓮が一刀に答えるように促す。
「戦闘中に呼び掛ける」
「・・・それだけ?」
「それだけ」
「それだけって・・・あのねえ、ソレ失敗したら戦っている相手、殺さないといけないのよ・・・まぁ負かして捕虜にするって手段がないわけじゃ・・・・一刀、まさかとは思うけど」
「孫呉に大きな賭けを強いるってことも分かってる。でも、この方法なら万が一の可能性が生まれる」
恐怖に耐えながら、必死に言葉を紡ぐ一刀の姿に、雪蓮はもう呆れてしまい溜息を吐いた。
だが一刀は、無言で近づいてくる香蓮に気付いていなかった。当然彼女の表情が修羅のソレになっている事にさえ。
彼女に気付いた次の瞬間、一刀は部屋の端の壁にまで吹き飛ばされた。
一刀のいた位置には香蓮が立っている。どうやら彼女が一刀を蹴り飛ばしたようだ。
「ガキが調子に乗るな・・・万が一の可能性だと?最悪の場合、孫呉がどうなるかぐらい想像できんのか?お前一人の覚悟程度で国を天秤にかけるな!」
厳しく一刀を叱咤する香蓮の声には、有無を言わさない圧倒的な迫力が籠っていた。
だが、一刀は香蓮の目から逃げずにまっすぐに見つめ返す。
「だけど!それだけの価値はあると思、がっ・・は・・・」
「ほざくな・・・そのまま寝ていろ。なに、今日までの働きに免じて殺しはせん」
鳩尾に力いっぱい拳を叩きこむ香蓮。氷花と燕が身を乗り出そうとしたが祭が一にらみでそれを止めた。その視線には戦慄するほどの殺気が込められており、〝手を出せば容赦はしない〟と語っていた。雪蓮と冥琳、そして悠里は真剣な表情で二人のやり取りを見守っており、穏は少々戸惑った素振りを見せ、蓮華はどうしたらよいのか分からずにおろおろとし、思春は冷たい眼で一刀を見ていた。
香蓮が一刀に背を向けると、一刀はよろめきながらも立ち上がった。
殴られた鳩尾には手を宛がい、表情は痛みで苦悶に歪んでいる。口の端からは血が流れており、先程の一発の威力がいかに凄いものであったかが窺えた。
「まだ立つか・・・」
「ああ立つさ。だって皆が力を貸してくれたらきっと出来る筈なんだ・・・全ては救えない・・・けど、救える可能性がほんの少しでもあるのなら・・・その可能性に欠ける価値は・・・きっとある!!・・・その先にはたくさんの笑顔があると・・・信じているから・・・だから!」
そのまま、一刀の意識は暗転した。
力を失くした一刀は倒れこみそうになったのだが、一刀は地には伏せなかった。
「儒子が・・・言いたい事だけ言って気絶したか・・・」
一刀は香蓮に支えられていた。そして、軽く嘆息する。
そこには先程までの修羅の顔はなく、いつもの香蓮の優しい表情があった。
「一刀を介抱してやれ」
香蓮にそう命じられ燕と氷花が気を失った一刀を連れて謁見の間を去っていった。
「くくくくっ・・・あっはははははははははは――」
声を張り香蓮は笑った。
――可笑しい。
心の底から可笑しくてたまらないとただ声を上げて笑った。
「ああ、見たか祭?・・・一刀のあの眼を」
「無論。・・・いやはや、なかなかに〝男〟であった」
うむうむと感心しながら、祭は何度も頷いた。その顔には笑みを湛えている。
雪蓮も母と同じように声をあげて笑っていた。冥琳も、声こそは出していないが笑って、穏も笑っている。
「ま・覚悟も無く、一刀があんなこと言うわけないのよね・・・め~いりん」
「不可能ではない、成功すれば戦力を得る事も出来る・・・が、どう足掻こうも運の要素が強いのが難点だな」
と、一刀の言い分を聞き入れる流れで話が進み始めると、次女である蓮華が口を挟んだ。
「姉様!?幾らなんでも無謀が過ぎませんか?下手をすれば呉、そのものが窮地に立たされることになるんですよ!?」
「そんな事にはならないわよ?将の捕縛はともかく、説得は一刀がするんだもの」
「は?」
間の抜けた声を上げる蓮華を余所に、悠里は満足げな顔をしている香蓮の傍にまで歩み寄る。
「あの子の信念を試すにしても、もう少し方法があったのではないかと思いますが?」
「ん?ああ、そうだな。だがな、アレぐらいで丁度いいんだよ」
「ま、否定はしません。ウチとしても彼を〝知る〟事が出来たのでいいんですけどね」
「では、改めて聞こうか?一刀はどうだい?」
その問いかけに対して、悠里は満足だと笑顔で答えた。
「子を成す・・・最初はどうかとも思っていましたが、あの子なら文句の一つも浮かびはしませんね。むしろ、改めて惚れましたね」
それはよかったと香蓮も笑って返した。
――一刀の言っている事は言うまでも無く偽善だ。
だが、その偽善の陰に生じる〝業〟
ソレを背負う覚悟があるのならば、口だけでソレを語る輩よりも何千倍もマシなのだ。
一刀には確かにその覚悟があった。
悠里には、そう確信できた。
夜、星空を見上げながら悠里は考えていた。
「〝黒天を切り裂いて、天より飛来する一筋の流星。その流星は天の御遣いを乗せ、乱世を鎮静す〟・・・か」
口にした台詞は管路が告げた占い。
混迷を迎える世にもたらした、吹けば消えてしまいそうなほどに儚い希望の光。
占い師が似非と呼ばれている事もあって、誰もが戯言程度にしか覚えていないものであったし、悠里もそう思っていた。
だが――。
「成程・・・一刀を見ればそれを信じるに足り得るさね」
片手に握った酒瓶を呷る。
「はぁい♪」
「雪蓮」
悠里にとっての盟友にして主君である雪蓮が此方も酒を持参で姿を見せた。
悠里と向かい合うように腰を下ろしクイッと酒を呑む。
しばし、無言の時間が流れた。
時折、星を見上げては酒を呑みを繰り返しながら二人で静かな時間を過ごす。
「何か言いたそうね?」
「ここで共に過ごす以上・・・ウチも同罪だね」
――やっぱり。
雪蓮は素直にそう思った。
悠里の言いたい事はつまり、一刀を第一線で戦わせ、直接的に命を背負わせた事だ。
「直接的であれ、間接的であれ命の重さは何も変わりはせんさね。この時代であの立場にいる以上は仕方ない・・・けど、どうしてだろうね・・・あの子は血の匂いなんて知るべきじゃなかったって思ったさね」
「そうね・・・だけど私たちは、一刀に頼らざるを得ない。彼の〝武〟と彼の〝心〟に・・・だから、戦に臨むときはいつも思うの。〝ロクな死に方をしない〟だろうって」
「〝董卓を救う〟・・・だからあの無茶な頼みを可能な限り叶えようとするわけか・・・罪滅ぼしのつもり?」
「否定はしないわ。でもね、後のためになるって思ったのも本当よ」
そう言って笑って見せる雪蓮。
彼女の言っている事は間違いなく勘のみ。根拠と言える根拠は間違いなくないだろう。
だが、悠里はそれを否定しようとは思わなかった。
(ああ、確かに・・・あの子ならこの国の・・・大陸の未来を良いものに導いてくれそうな気がする)
そう思った後に飲んだ酒は、気のせいかもしれないが、さっきよりも美味しく感じられた。
そして、呉より離れ、場は洛陽。
「・・・ごめん。皆寝かせてあげられなくて」
「ええって、詠っち。月もや。・・・ウチらは気にしてへん。やろ?華雄」
「当たり前のことを一々聞くな張遼。それで緊急の召集との事だが一体何事なのだ?」
「・・・眠い」
「恋殿、もう少しの辛抱なのです」
気づかいに感謝を述べ、賈駆は董卓と呼ばれた少女を一度見て話を始めた。
「・・・」
「・・・・・・笑えへん話や。月が圧政か・・・袁紹もやってくれるやないか」
「?」
「恋殿にはねねが後でお話しますからご安心を」
董卓は賈駆の話を沈痛な面持ちで聞いていた。そして、賈駆の話が終わった時、一人を除いて苦虫を噛んだような顔をしていた。
「・・・多分。ううん・・・間違いなく大陸が大きく動く事になると思う。あんた達を集めたのは夜明けからでも準備に入って欲しいからなの・・・」
「詠・・・よく、わからないけど・・・大丈夫。そんな、気がする」
悠里と同じような真紅の髪を持つ少女がそう言う。
誰もが「何故」と首を傾げたのだが、少女は結局答える事はなかった。
だが、彼女の発言は後に正しかったのだと誰もが思う事になるのだが、それはまだ未来の話。
今は誰も、知る由がなかった。
~あとがき~
はぁあああ・・・・時間かかりました。だいぶかかりました。ごめんなさいです。
どうもKanadeです。
今回の話は新キャラに焦点を当てた形となっており、第三章が本格的に動き出すのは次回からです。次回の予告としては、連合としては初の顔合わせ。華琳や桃香、麗羽やハムの人などの面々が続々と顔をみせます。
知恵熱でそう・・・・。でも頑張ります
この第三章は、私としても前作〝孫呉の外史〟の件がありますので、勝負どころです。なので頑張ります。応援して頂けると嬉しいです。
ここいらで新キャラの悠里こと太史慈に焦点を当てるとしましょう。
彼女の主武器は、私の個人的主観と趣味によって大きな得物を持たせてあります。
イメージとしてはG・E・Bのロングソードがいいですね。さすがにシールドはついていませんが。
詳しいプロフィールは次のページに掲載しておきますので、そちらで。
それでは次回でまたお会いしましょう。
それでは次回でまた――。
Kanadeでした。
太史慈 子義・・・・雪蓮の親友
真名・・・・・・・・・・・悠里
使用武器・・・・・・・慚鋼(刃と柄を合わせて七尺(210cm)の斬馬刀)・長弓の冥夜
一人称・・・・・・・・・ウチ
備考・・・・・・・・・・・雪蓮と同世代で、孫呉が離散させられた際に、どこぞの山奥に引きこもる。釣りが趣味。戦場では、愛用武器である慚鋼を自在に振り回し、戦場を駆ける。弓の名手でもある彼女ではあるが、嫌いじゃないが、接近戦の方が好きという理由から、専ら慚鋼を主体に近接戦闘をこなす。剛柔を併せ持つ万能型の女性。
なお、彼女も大の酒好きである。
Tweet |
|
|
83
|
12
|
追加するフォルダを選択
第三章・・・この話から腕の見せ所になります。
理由は簡単。この孫呉伝の前身〝孫呉の外史〟はここの途中で挫折したからです。
ですが、孫呉伝では完走したいと思っておりますので応援よろしくお願いします。
ただ、本格的に物語が動き出すのは次回の第二幕からとなります。今回は入口ですね。
それではどうぞ。
続きを表示