一面に広がる草原。
天に浮かぶそれによって草原は銀色に輝いていた。
風の吹く音のみが支配するその草原には一人の男が佇んでいた。
どれくらいそうしていたのだろうか?1分、1時間、1日・・・・・・それはわからなかったが、確かにその男はその場に存在していた。
男はいかにも高級なタキシードを身に纏っていた。今では珍しい外套も身に着けている。
時折強い風がその外套を翻しバサバサと風以外の音をたてていた。
よく見ると男は空に浮かぶそれを眺めているようだ。
何をするわけでもなく、考えることも無く、ただじっと・・・・・・
それはあまりにも滑稽な姿だったが、見るものが見れば一枚の完成された絵画のようにも錯覚しただろう。
それほどまでにその男は眺めることを続けていたのだ。
ふと、何かに気付いた男は視線は移動させずに意識のみを自身の背後に回した。
「ふむ。どうやら随分長い間待たせてしまったようじゃな」
その口調はその外見とは裏腹に、いやある意味正しく尊大なものだった。
風に吹かれても尚足首ほどにも届く長い金髪。大きく強い意志を感じさせる紅の瞳。
紅をしていなくても扇情的な赤い唇に小さく通った鼻。
肌は白く透き通り、指先は細くしなやかに。
細身の体に不釣合いなほど大きなその双丘はしかし、見事に張りをもったまま自己主張をしてより一層美しさに追い討ちをかける。
そして純白のドレス。
世界最高といわれる宝石や最も美しいといわれる景色が隣にあったとしても、彼女を一度でも見てしまえばそれらは直ちに考え直さざるを得ない。
そこには美そのものがあった。
「最後のやつからもう10年は過ぎた」
男はそんな美をすぐ背後に置きながらも、変わらず空に浮かぶそれを見続けていた。
「では、妾と最期の逢瀬をしてからは?」
不思議な表現を用いながら、美は男に問いをかける
「もう1000年はたったと思う。しっかり覚えていたのは初めの100年の間くらいだけだけどな」
そういう男の雰囲気は懐かしさというだけでは済まされない哀愁が感じられた。
美は何かを言うわけでもなく、その男の様子をじっと見つめる。
空に浮かぶそれがますます輝きを強めながら二人を空の一番高いところから照らす。
二人に吹く風も時折頬を撫でる程度になり、銀色の草原は金色の草原へと移行していった。
思えば始まりは些細なことだった。
ただ、男が美を殺しただけ。
ただそれだけだったはずなのに、二人の世界は大きく変化し続けた。
めまぐるしく入れ替わる自分のいる世界に、男は振り回されながらも精一杯懸命に。
美は身体全体で受け止めながら楽しく。
それは間違いなく二人にとって最高の幸せだった。
美が自分の欲望に負けてしまうまでは・・・・・・
堕ちる自身を自覚しながらも美はいつかした約束を破ってしまったことに涙した。
変わる自身を自覚しながらも男はやさしく金の瞳から流れる涙を何度も拭う。
「ごめんね」
「いいさ」
あらかじめ決められたように口にする男。
もともと素質もあったのだろうか、男の身体はいくつかの過程を飛ばして変化していった。
美はそんな男にありったけの力を渡すために再び男の首筋に顔を埋める。
男は変わりゆく身体に新たに力が流れはじめたことを確かに感じ取っていた。
まもなく言われるだろう言葉を考えながら・・・・・・
背を向けていた男は美に向かい合うように身体を動かし、何も感情を映すことの無い瞳で美を見る。
美はまもなく始まる最期の交わりのために瞳を金に染める。
男は一度瞼を閉じ、ゆっくり開く。そこには蒼金に輝く瞳が見える。
そして――――
男は美に膝枕をされながらそれを眺める。
美は男に膝枕をしながらゆっくりと髪を梳く。
「そなたの魂は『座』に封印されることになっておる」
幼子を寝かしつけるようにやさしく、愚者を諭すように語るかのように美は唇を開く。
男は何かを言うわけでもなく焦点は空のそれにあわせながらも美を視界に収める。
「しかしどんなことがあってもそなたは召喚されることは無い。転生することも出来ずただ魂が磨耗していくのを『座』で待つだけじゃ」
すでに男の身体は崩れ始めている。しかしそんなことはどうでもいいかように男はじっと美の言葉を聞いていた。
「ガイアで産まれたものはガイアからしか力を受け取れないのは道理じゃ。」
美の身体は傷ついた様子も無く、一身に空からの恩恵を受けていた。
「しかし、しかしじゃ。妾はそなたに生きていてほしい。あのうつけではではないが妾はそなたを失うことに耐えられそうにないようじゃ」
ここにきて初めて男が唇を開く。
「馬鹿だな」
それを聞いた美は少し驚きに呆けたが、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「ああ、そうかも知れぬな。しかしそなたに何を言われようとも決めたことじゃ。せいぜいガイアには妾を喚んだことを後悔してもらわねばの」
そして美は瞳を金にしながら祝詞を紡ぐ。
「月よ。
妾はここに契約する。
この者に大いなる祝福を。
仮初の身体に宿るすべての加護の譲位を願う。
さすればこの者半精半鬼と成りて、汝の力となるであろう」
男の身体に金の光が降り注ぐ。
光ですべてを覆い隠す日の光ではなく、やさしく包み込む月の光。
仮初の身体とはいえ、その身は正しく月の精霊。
その言葉に偽りは無く、契約はここに成った。
男の身体に降り注ぐ光は輝きを増し、いつしか美をも包み隠す。
二人の姿が完全に見えなくなるほどの月の光。
いつしか光が納まると、その場には何も存在しなかった。
誰にも知られること無く始まった二人の逢瀬は、やはり誰にも知られること無く終わりを告げた。
ただ、終始やさしく見守る空に浮かぶ月をのぞいて。
このとき以降、裏の世界で恐れられていた死徒27祖第10位『殺人貴』は完全に姿を消す。
世界中の退魔の機関が捜索するが、ようとしてその行方の手がかりは掴めなかった。
しかし、姿を消して丁度一年後ある場所に『殺人貴』の手がかりを発見。
その発見と共に『殺人貴』は死徒27祖から空除されることになる。
発見したのは彼が愛した女性の姉だった。
彼女はその場所に本拠地を移し、それを永劫見つけたままの状態で封印したのだった。
なぜそうしたのか彼女を警戒する者たちには分からなかったが、側近のうちの白い騎士は己が仕える主に聞いたところ彼女は答えた。
「ひとつくらい姉らしいことをしたかっただけよ」
彼女の城の庭の中心。幾重にも重ねられて張られた結界のその中にそれはあった。
無骨な鉄の塊。
彼が生涯使い続けても決して刃毀れひとつしなかったその飛び出し式の短刀。
その握りの隅には彼の故郷の文字で銘が刻まれていた。
「七つ夜」
と・・・・・・
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最期の別れ。
最期は愛しの君の手で。
遥か未来、あったかもしれないそんな「if...」のエピソード。