◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~
34:【漢朝回天】 その心を動かすもの
「なんだか、大変なときに来ちゃいましたね」
「確かにな。いろいろな意味でそれどころじゃないって状況なら、あんな扱いも仕方ない、のか?」
説明を聞き終えた後、公孫越が溜め息交じりにいい、妹の言葉に続けて公孫瓉もまた溜め息をつく。
数刻前の自分たちを思い返しながら、頭を抱えるふたり。
そんな彼女らの姿に、思わず鳳灯は苦笑いを浮かべてしまう。
公孫瓉と、公孫越。
ふたりは遠路はるばる、幽州から洛陽へとやって来た。
目的は、州牧に太守という新しい地位についてからの近況報告がひとつ。
もうひとつが、烏丸族と独自に結んだ同盟関係の詳細を報告することだった。
当初は遼西郡のみであったが、公孫瓉が州牧に就任したことによって烏丸族との融和が幽州全体に広がった。
さらに鮮卑との交流も行われるようになり、幽州に関していえば、いわゆる"北からの脅威"に対して友好的な方向へ進み出している。
漢王朝の在り方にも係わってくるであろう変化である。内容の規模と重要度が大きいがために、直接携わっているふたりが直々に報告に赴いたのだが。
報告を受けるどころではないと、各所で一蹴されてしまっていた。
霊帝が崩御し、朝廷内の雰囲気は険悪で、軍部と外戚そして近衛の間で起こる小競り合いが頻発している。
確かに、外部に意識を回している余裕はないのかもしれない。
だが霊帝崩御はともかく、起こっているいざこざはしょせん内輪での権力争いでしかない。少なくとも公孫瓉の目にはそう映っている。他にすべきことがあるだろう、と、憤りを案じずにはいられない。
その一方で、今現在起こっているいざこざ、その絵図を描いているひとりが鳳灯だと知り。感じていた憤りも突き抜けて呆れに転じてしまう。驚きはしたが、それ以上に溜め息が出てしまう。
はるばる幽州からやって来たというのに、朝廷内の高官たちに門前払いの如き扱いを受けた。
その原因もまた、回りまわって身内にあったと思うと更に溜め息がこぼれそうになる公孫瓉だった。
上洛したにも係わらず、本来の用件を果たすことも出来ないまま。
公孫瓉と公孫越はしばし洛陽に逗留することになった。
鳳灯と華祐の繋がりで、彼女らは董卓勢の世話になっている。
更に、董卓の横の繋がりから、公孫瓉と縁のある面々が集まり。小さな宴席が設けられた。
招いた側は、董卓、賈駆、張遼。
曹操、夏侯惇、夏侯淵。
鳳灯、華祐、それに袁紹。
招かれた側は、公孫瓉、公孫越、趙雲である。
直接の面識がないために、袁術勢はひとまずこの場に呼ばれなかった。
それでも、洛陽における近衛軍の将がほとんど一堂に会している。
宦官勢や外戚らがこれを見れば、なにを企んでいるのかと慄くこと請け合いだ。
とはいえ、上洛したばかりで現状をまったく把握できていない公孫勢。
宦官や外戚の勢力図、その中で近衛軍が台頭した経緯、張譲や鳳灯らが画策してきたことなどなど。
ここしばらくの状況推移を説明され、内容を把握したところで漏らした言葉が冒頭のものになる。
ややこしい話が交わされてはいたが。全員がそれに加わっていたわけでもなく。
張遼と趙雲は早々にそこから離れ。更に華祐と夏侯惇が離れ。
「なにをいっているのかさっぱり分からんぞ」
「分かることは分かるが、分かりたくないな」
「小難しいこと考えながら飲んでも、酒が不味くなるだけやで」
「うむ、どうせなら楽しく飲みたいものだ」
いつの間にか武将勢だけで輪になり飲み交わしていた。
感情がそのまま表に出るような、分かりやすい盛り上がりを見せている。
話がひと段落ついてから、もうひとつの輪が出来る。
賈駆、夏侯淵、公孫越だ。
三人共に、普段立っている位置は一歩引いた"副官"。
いざというときは主の代わりに表にも出てみせるという役回り。
"自分の周囲を傍から助け、大変ではあるが辛いとは感じていない"という点で通じ合うところがある。賈駆は董卓の、夏侯淵は曹操の、その陰に好んで立っていることも似通っていた。公孫越は少々異なるが、姉の補佐をして来たという意味ではその期間は長い。
「つまりそういうことなのよ」
「そうだな」
「そうですね」
言葉は少なくともいいたいことが分かる。そんな雰囲気。
静かではあるが、目に見えない部分で妙に盛り上がっていた。
残る面子、董卓曹操袁紹鳳灯、そして公孫瓉が輪を囲む。
酒も相当進んでいたが、各々意識はしっかりとしていた。
董卓は、烏丸族との同盟をなしたという公孫瓉と話すのを内心楽しみにしていた。
涼州出身の彼女も同様に、北に対する異民族対策に追われていた。
中央に呼ばれたことで、他の軍閥らにすべて任せてしまった負い目もあり。
なにか参考になることがあればと思い意気込んでいたのだ。
「ぜひとも、お話を聞かせていただきたいんです」
「お話、といわれてもなぁ……」
酔いが勢いをつけていることもあるのだろう。
細く小さく可愛らしい外見の董卓が、赤い顔をしつつ意気込んで迫ってくる。
見掛けからは想像し難いその勢いに圧されながら、公孫瓉は、自分の経験したやり取りや同盟の切っ掛けなどについて語った。
曹操と袁紹も、時折言葉を挟みながら耳を傾ける。
同盟を結ぶ最後の一押しが、呂扶の持つ圧倒的な武を目の当たりにしたからだと聞き。それは無理もない、と、その程を知る曹操と鳳灯は笑いだした。
「例えるなら、董卓軍の呂布を怖れて朝廷軍が同盟させてくれというようなもの」
そんな例えをしてみせた曹操に、董卓も袁紹も笑い出す。
「失礼だな、烏丸は朝廷軍ほど腰抜けじゃないぞ。曹操、丘力居に謝れ」
公孫瓉もそんなふざけた言葉を返してみせ、また五人は揃って笑う。
漢王朝にとって、北狄と呼ばれる異民族の存在は悩みの種であった。
その一角である烏丸族と、いきさつはどうあれ同盟し、融和の道を取り出した。
漢王朝に対する脅威のひとつが解消されるかもしれないのだ。これは偉業といってもいいものだろう。
「貴女が洛陽まで来た本来の理由も、遠からず知れ渡るわよ。"幽州の公孫瓉"の名は更に上がるわね」
そうなると、どうなるか。
保身と利に聡い連中が近づいてくるだろうことは想像に難くない。
「むしろ、既にいくらか接触して来てるんじゃない?」
曹操のいう通りだった。
上洛して朝廷中枢に報告を上げ、数日が経つ。そのわずかな間に、宦官外戚を問わず何人もの高官が公孫瓉に接触している。その度に会談の場を設けられ、彼女はあちらこちらに引っ張りまわされていた。
会談といえば聞こえはいい。だが、その内実は一方的なものでしかなかった。彼らは地位を嵩にし、高圧な態度で要求だけをする。そして、そうした態度をとることになんら疑問を感じていない。
朝廷に任官する者たちは多く、中央、つまり朝廷のある洛陽から離れた地域を一段下に見る傾向がある。
これは宦官も外戚も大差はない。
幽州といえば、洛陽から見れば北の果てといっても過言ではなく。
そこを治める公孫瓉に対する態度はどんなものになるか、容易に想像がつく。
とはいえ、善政を敷く者として、また白馬義従を率いる軍閥として、彼女の名はここ洛陽においてもよく知られている。
知名度の高い有力者が上洛してきたのだ。内心はどうあれ、その言動は大いに気にかかる。
ましてや、今は各派ともに戦力に不安を抱えている状態だ。士気は大きく落ち込み、反意さえ隠そうとしない兵も中にはいる。
とはいえ、未だそれなりの兵力をそれぞれ抱えている。単純に兵力差でいうのであれば、近衛軍に与する兵力はまだ及ぶところではない。将兵の質では明らかに上をいっているが、数で押されて近衛が太刀打ちできるかというと甚だ怪しい。質と量を含んだ戦力差では、宦官及び外戚たちがまだ辛うじて勝っている。だからこそ、情勢は危ういながらも均衡を保たれていた。
そこに現れたのが、公孫瓉。
軍閥として名高い彼女は、質としては文句をつけるところがない。
味方につければ、質が補え、兵力も増加し、さらに烏丸族までついてくるかもしれない。
宦官にしろ外戚にしろ、なんとか自陣に取り込みたいと考えている。
そして近衛軍に対抗出来る形を作りたがっていた。
現状において、彼女の交友関係を知る者ならばなにをおいても公孫瓉を引き込もうとするだろう。
なにしろ、近衛軍の主要人物のほとんどに誼を得ているのだ。
西園八校尉である曹操とは、黄巾討伐の際は共に戦場を駆けた仲だ。
袁紹とは、幼少の頃に机を並べて勉学に励んだ旧知である。
董卓軍の軍師である賈駆は、治世のほどを学ばんと幽州へ出向いている。それに応えて、公孫瓉は自身の内政官を派遣するほどなのだから、その親密さがうかがい知れる。その内政官も、董卓と共に上洛するほどの信頼を得ており、これからもより厚い誼を交わすに至るだろう。
董卓軍配下である張遼は、戦場での危機において助力を受けたということもあり、公孫軍の将らとは真名を交わすほどの親しさがある。
更には近衛軍の修練を指導しているのが、客将扱いとはいえ公孫軍の将。指導役の主君となれば、他の軍閥とはいえ、近衛軍の将兵らが向ける目も相応のものになる。
そして、軍閥としての名はかつて霊帝の耳に届くまでのもの。事実、これまで悩まされていた烏丸族の脅威を水際で防いでいた実績がある。また同時に、長く諍いが続いていた烏丸族と同盟を結んでのけたという政治手腕も見せているのだ。
これだけの人物が、表立っては近衛軍に与していない。引き入れたいと思うのは当然だ。もし自陣につくことになったならば、近衛軍に対する影響力は途方もなく大きい。
自分たちは漢王朝の中枢を握る重鎮なのだ、いざ話を通せば色よい返事がもらえるに違いない。
いや、返事をするに決まっている。
宦官も外戚も共にそう思い込み、それを疑っていなかった。
ここでもまた、視野の狭さと、都合のよいことを重視する楽観さが表れている。
自分たちに都合のいいように進むと、この期に及んで信じて疑わない。
公孫瓉は、漢王朝に仕える臣下である。遼西を任されていた頃から、例え田舎太守と呼ばれていても、仕えるべきは皇帝であり尽くすべきは漢王朝であると考えていた。
彼女が粉骨砕身するのは、あくまで"漢王朝の治める御世"のためである。
間違っても、一部の官吏が抱える私利私欲を満たすためではない。
会談という名の服従命令を、公孫瓉は数え切れないほどの苦虫を噛み潰しながら、保留という形でいくつもいくつもやり過ごした。そんな彼女に対して、高官らは信じられないという表情を見せ、苛立ちと不機嫌さを隠そうともせず舌打ちをする。
これまでも公孫瓉は、中央官吏の腐敗具合は目にし、耳にもしていた。だが、市政や民の生活が乱れるであろう時期にあっても変わらない、むしろ酷くなっているその態度を目の当たりにして。彼女の感情は更に冷めていった。此度のやり取りは、温厚な公孫瓉でもさすがに度し難いとしか思えなかった。
「なぁ、本当に皆あんな感じなのか? 私のところに来た奴が特別酷かったってわけじゃないのか?」
「残念ですけど……」
「皆似たり寄ったりよ」
無駄とは分かっていても、思わずすがりたくなる一縷の望み。
公孫瓉の言葉に、鳳灯はいい辛そうに口ごもったが、曹操は正直に断言してのけた。
連発される溜め息。その中で最も深いものが吐かれる。
絶望感、といえばいいのだろうか。中央官吏のお歴々を思い起こし、公孫瓉は胸の内で悪態をつく。
ふざけるんじゃない、と。
漢王朝の支柱ともいうべき霊帝が崩御した今、なによりも優先すべきは、つつがなく次期皇帝を選出し、即位させ、改めて治世を整えることだろう。
それが私利私欲に耽り、後継問題をそのまま権力争いへと横滑りさせ、民と政に見向きもしないとはどういうことか。
彼女の憤りは止まらない。
正直にいうならば。公孫瓉は、この期に妹の公孫越を売り込もうと考えていた。
あわよくば朝廷中枢に届くまで、と思いはしたものの。
鳳灯らの言葉、そして実際に見た高官官吏たちの態度をつぶさにして、その考えを改める。
下手に覚えがよくなろうものなら、かえって使い潰されてしまう。
今の中央に身を寄せても碌なことにはならない、と。
妹の身を案じて、必要以上に名を明かさぬよう、最低限の応対しかさせていなかった。
思惑からは外れたが、違った意味で新しい繋がりを公孫越は得られた。
陽楽で得た、夏侯淵との個人的な誼をより深められたようで。さらに賈駆とも仲良くなれたように見える。
軍閥の中、というよりも近衛軍のといった方が妥当だろうが、その中枢に位置する人物らと顔を繋げることが出来たのだ。
現状において、宦官や外戚と縁が出来るよりもよほど有益であるに違いない。
彼女はそう思うことにして、自らを慰めた。
「白蓮さんも、名を高めた割には変わりませんわね」
「うるさい。変わらないのはお前もそうだろ」
袁紹が呆れたようにいい、それに応えるように公孫瓉がいう。
袁紹と公孫瓉。
幼少のころに通じた、数えるほどのものでしかない誼ではあったが。
互いにどういった性格なのかは、十分に分かり合っている。
顔を合わせ再会したのが、こんな政争真っ只中であるのは想定外だが。
やはり旧知の友に会うというのは嬉しいものだ。
公孫瓉はもちろん、さすがに袁紹であっても、そんな気持ちがこぼれ出る。
口にするのは憎まれ口であっても、その口調に悪意はない。
「私なんかより、袁紹の方が変わりないだろう。
小さい頃から言い続けていた"華麗に"がまだ続いてるんだから、相当だな」
「そういった意味でも、貴女は変わりませんわね。あの頃から華やかさに欠けていましたもの」
「うるさい、黙れ」
「そんな頃から普通だったのね貴女」
「普通っていうな、気分悪いぞ曹操」
「あら、これでも褒めてるのよ?」
「どこがだよ」
「白蓮さん、いい加減に受け入れなさいな」
「お前も気分悪いな袁紹」
曹操まで参戦し、憎まれ口を叩き合う。
公孫瓉がなにやら劣勢になっていくのも、ある意味いつものこと。鳳灯は笑みを湛えながら見守るばかりだった。
「それより袁紹、身内ばかりでもないのに真名を口にするなよ」
「身内みたいなものですわ。ここにいる方々は全員、いうなれば共犯者みたいなものですもの」
常に通して、公孫瓉の真名を呼び続けている袁紹。
確かに真名を交し合った中ではあるが、人前でそう連呼していいものでもない。
真名は人にとって神聖なもの、という意識があれば、公孫瓉の非難は尤もなものなのだが。
袁紹は歯牙にもかけなかった。
「わたくしのことも真名でよろしいわよ? いっそこのまま、貴女も共犯者になりなさいな」
「そうね、ちょうどいいじゃない。こんなときにせっかく洛陽まで来たのだもの。
公孫瓉、貴女も一枚噛みなさい」
その口調はもはや提案ではない。決定事項を通達しているだけのように、曹操はさらりといってのける。
「……曹操、私に拒否権は?」
「あら。更に名を高める好機だというのに、断る理由なんて存在するのかしら」
あるなら是非とも教えてもらいたいものだわ、と。おどけた声でいってみせ。公孫瓉は渋面を浮かべる。
曹操は分かっている。公孫瓉は、このまま幽州に帰ろうとはしないだろうことを。
事実、なにが出来るのかは分からないが、このまま洛陽を離れてしまうことを公孫瓉はよしとしなかった。
鳳灯の友として放っておけない、という想いもある。
だがなにより漢に仕える臣下として、混迷する朝廷内を見過ごすことが出来なかった。
現状を落ち着かせる役割がなにかあるのであれば、その労を惜しむ気持ちは公孫瓉にはない。妹である公孫越とて、その想いは同様であった。
「そもそも、いきなり出てきた私たちが出来ることなんてあるのか?」
「そうね。厳密にいえば、なにもないわ」
「おい、ちょっと待て曹操」
「まぁ最後まで聞きなさい」
曹操曰く、公孫瓉がこれといってなにかをする必要はない。
彼女は既に、宦官外戚らの勧誘を断っている。少なくとも、相手は断られたと思っているだろう。
それが既に、近衛側にとって一手となっている。
このことで、宦官外戚らは深読みしてしまう。
なぜ自分たちになびかないのか。すでに近衛軍と共にあるからではないか?
となると、只でさえ差のある戦力が更に差をつけられ、兵力さえも差が縮まってしまう。
相手が勝手に、そう考えてしまう。
「権力がそのまま自分の力だと思い込んでいる輩。
だから思うようにならないことには我慢がならない。理由を考えても、深く考えようとはしないわ。
そして、なにか理由を見つけたならそれを盲信する。それがどれだけ荒唐無稽なものだろうとね」
宦官外戚につかなかった公孫瓉が、近衛軍の者と会う。
それだけで、もはや敵だと見なされかねないのだ、と、彼女はいう。
「なにもしなくても、きっと変わらない。
あいつらの中ではもう、貴女は近衛についたと見なされているでしょう。
それなら、妙なことに巻き込まれる前にこちらについておいた方が面倒もないわよ」
「いやまぁ、いっていることは分かるんだが」
曹操のいう言葉も、考えてみれば確かにその通り。どうしてこんなことに、と、頭を抱える公孫瓉。
どちらにつくかといわれれば、少なくとも宦官外戚の側につくつもりはない。
ならば近衛の側につくのかといわれれば、中央の政争にわざわざ巻き込まれるのもどうかと思われる。
かといって、早々に幽州へ帰ってしまうというのも、彼女の性格上気分がよろしくない。
朝廷の内乱について、何某かの結果を知るためには洛陽に滞在していた方がいい。
滞在を続けるならば、軍閥の一角である以上そちらを支持しているか表明していた方が面倒も少ないだろう。
そして、内情を知れば知るほど、支持するのは近衛側しか考えられなかった。
その辺りすべてを考慮した上で、こちら側につけ、と、曹操はいっている。
「腹芸が嫌いといっていた割には、外堀を埋めた上でしっかり追い込んでくれるじゃないか」
「嫌いだとはいったけれど、出来ないわけじゃないのよ?」
このままでは漢王朝は命が尽きてしまう。それを憂慮しての、新しい枠組み作りなのだ。
有能な人間であれば、逸早く引き込んでおく必要がある。
公孫瓉は役に立つ。董卓と同じく、前線よりも後衛、戦時よりも平時の方が力を発揮出来そうだと、曹操はにらんでいる。
それでいて戦働きも出来るのだから、器用なものよね。
自分のことは棚に上げ、そんな評価をする曹操だった。
「こちらについていれば、近い将来、相当いいところまで出世出来るわよ?」
「出世ねぇ…・・・」
曹操の内心など、察することはもちろん出来るはずもなく。
彼女の言葉に対して、公孫瓉の反応はいまひとつ芳しくない。
公孫瓉とて、出世願望がないというわけではない。
ないわけではないのだが、どうもそういう気持ちが湧いてこなかった。
強いて理由を探すならば、"自分よりも優秀な奴はゴロゴロいるじゃないか"というもの。
その切っ掛けは、関雨、鳳灯、呂扶、華祐との邂逅だ。
武に知にそれぞれ突出した彼女らを見て、公孫瓉は、自分の程度の低さを実感していた。
少なくとも彼女はそう感じた。
自分程度がそんなに偉くなってどうする、という気持ちがある一方で。
自分が出世すれば彼女らの働きに応えることも出来る、という気持ちもある。
出世によって得られるものとして想像するのが、他に高位を与えられることというのだから。宦官外戚らが、彼女と合わないのも仕方がないだろう。
自分が出世をするよりも、妹たちにそういった道を用意してみせる方に喜びを感じる。
こういうところが、お人好しといわれるところなんだろうな。
自分の考えに苦笑いしてしまう、そんな公孫瓉だった。
時勢を見るに長けるということ。それは、力を持つ勢力を見定めるに敏、ということでもある。
長く、漢王朝の舵取りを担って来た、宦官と外戚という二大勢力。新たに近衛軍が台頭したことによって、その力関係は大きく変化した。
宦官は、主に政に携わっている。ことの良し悪しはどうあれ、時勢や物事の変化を見、なにがしかの決断をするということに長けているといっていい。
近衛軍の台頭に際しても同様だった。
はじめこそ、自分たちの権力財産その他、あらゆる物を手放さないために、反発し、反抗しようとさえした。
だがどう足掻いても敵いそうにないと悟ると、宦官勢の態度は正反対のものになる。
なんとかして近衛軍に取り入り、自分たちの心象を良くしようと画策し出したのだ。
賄賂を贈り、媚びへつらい。董卓の、曹操の、袁紹の、袁術の元へ日参する。少しでも、自分の名を覚えてもらえるように。
確かに彼女たちは、日参する者たちの名を、姿を、覚えていった。
だがそれは決して宦官らの望んだようなものではなく。ただひたすら拒絶すべき対象として記憶したに過ぎない。
彼女たちが何故自分たちを毛嫌いするのか。
これだけ褒め称え金品も贈ろうとしているというのに、耳も貸そうとせず、なにひとつとして受け取ろうとはしない。
宦官らには理解が出来なかった。
当然といえば当然だ。そもそも彼女らが臨み求めるものが、宦官勢と異なるのだから。
金品や名声はあるに越したことはない。程度の差はあっても、それらは彼女らにとってあくまで手段でしかない。
それらが目的となってしまっている宦官らが、最上と思えることをすればするほど、四人の対応は冷たく醒めたものになっていく。
理由は分からない。しかし機嫌を損ねていることは分かる。
相手の醸し出す雰囲気を読み取ることには長けている者たちである。焦りを募らせる。
近衛の面々はなにを望んでいるというのか。
ただひたすらに、宦官らは見当違いな思考を重ねていく。
焦燥感と恐怖に晒された彼らは、突飛ともいえる考えに行き着いた。
近衛にとって、宦官が敵視する存在だというなら、外戚も同じく敵ではないか。
敵の敵は、味方だ。
ならば自分たちが外戚派を潰してしまえばいい。
一度思いついたそれに囚われる。
これこそ最上の案だと、宦官らは配下の者を動かし、実行した。
何進と、何皇后の暗殺。
文字通り"敵"の首を土産として、近衛軍に取り入ろうとしたのだ。
自らに都合のいい思考。その渦に身を取られながら、宦官たちはただ保身のためだけに駆け回った。
その行動自体が、自分たちの首を絞めていることにも気付かないままに。
そして、その想像以上に素早い行動が、さらに状況を込み入ったものにするとは予想もせずに。
公孫瓉を囲んでの宴席、それから数日後に起こった、何進大将軍と何皇后の暗殺。
近衛軍はこれに対してどういった対処をすべきか。
主だった将が集まり論議を重ねている。
「まさか、宦官どもがこうも直接手を汚してくるとはね」
苛立ちを隠さず、吐き捨てるように曹操は呟く。これは他の面々にも共通した思いであった。
正直なところ、何進はまだいい。大将軍を失い、軍部が不安定になるのなら、その隙に取り込んでしまえばいいのだから。
だが何皇后まで手をかけたのはよろしくない。
彼女はそう考えている。
普通に考えれば、次期皇帝の座には長子である劉弁がつくことになるだろう。
何皇后は、その劉弁の実の母親である。私利私欲にまみれ、愛娘さえそれを満たすための道具とみなし、満足な愛情を与えていなかったとしても、血の繋がった肉親であることには違いない。
父を亡くし、時を置くことなく母まで亡くした。それも暗殺で、である。
いかに聡く、自身が権力の座に近しいことを理解していたとしても。未だ幼いといってもいい齢の少女が負う心の傷は、大きくその身を苛む。
ただでさえ、皇帝というものは多くを抱え込む地位だ。心に傷を負った状態では、皇帝の座に就いたとしても早々に潰れてしまう。
それなりの年齢の者でさえそうだろう。歳若い劉弁であればなおさらだ。
事実、劉弁は、何皇后の死を知ると人事不省に陥り、そのまま寝込んでしまっていた。
父、母、伯父、血縁のことごとくが亡くなり、唯一の縁者は妹である劉協のみ。漢王朝という巨大な存在の中心に、身ひとつで取り残されたといってもいい状態。劉弁劉協の姉妹はただ"皇族の血"という部分だけを見出され、いいように利用されるだろう。
幸い、劉弁の周囲には近衛の者がいる。護衛対象としての、そして皇族に対してのものと考えると、その接し方は親愛の念に満ちていた。董卓の影響によるものだったが、劉弁の精神に安寧を与える意味では効を奏していた。
優しく接するということ。
曹操とてそれが出来ないわけではない。だが董卓と比べて、その想いには幾ばくかの功利が混じる。軍閥と呼ぶには線の細い、争いを嫌う同僚のように、無上の親愛を傾けることは出来そうになかった。ついつい、どこか厳しく当たってしまいそうな気がしてならない。
「だから、劉弁様のお世話は貴女に任せるわ」
精神的に疲弊した次期皇帝を、董卓に任せる。
対して、曹操は、宦官や外戚らが仕出かす火遊びの対処を一手に引き受けた。
争いを望まぬ者と、争いが起きても一向に構わぬ者。適材適所、というものだ。
董卓と鳳灯が常から口にする、戦は嫌だ争いは嫌だ、という言葉。
言葉だけならば簡単に口に出来る。口にするだけだったならば、一顧だにせず捨て置けばいい。
だが彼女たちは、戦を争いを避けるために力を尽くしている。そのために上洛してきたのだということを、当人たちの口から聞いている。
そして思う通りにいかなかったときのために、自らが抱える軍勢を鍛え上げてもいる。
曹操としても、そこまでして臨んでいるのならばなにもいわない。董卓らの好きな通りにすればいい。
だが。
「血を流さないための努力は尊いものだけれど、汚れた血まで惜しむのは愚かなことよ」
どれだけ綺麗ごとをいおうと、そのために努めようと。傷つき血を流し死ぬ者、そして傷つけ血を求め殺す者は現れる。存在そのものが害悪となる者も、また同様に。
少なくとも、何進何皇后暗殺に参画した輩は生かしておくべきではない。
後々余計な諍いを生む原因となり、彼ら自身が問題を起こすであろうことは想像に難くない。
汚れた血はむしろ流しきらなければならない。
放置すれば、その汚れは他にも移り、汚れることで澱み膿んでいく。
漢王朝の腐敗は、そんな澱みや膿みが溢れ出した結果なのだ。
見栄えを気にして剪定を繰り返したとしても、腐った根が残っていれば、大樹といえど倒れてしまう。
それは、董卓も鳳灯も、よく分かっている。
「……少なくとも、同じ轍を踏む原因は取り除いておくべきでしょう」
宦官を排除する。
すべて殺すことも視野に入れ、それを受け入れたということ。
「曹操さん、お願いします」
董卓は頭を下げ、手を汚す役を引き受けた曹操に感謝する。同様に、鳳灯もまた頭を下げる。
ふたりとて、"戦を避ける"が信条であっても、避けきれない争いにまで背を向けようとは思っていない。
手段が他にないのならば、躊躇いなく武器を取る。そのために、董卓軍は日夜修練に励んでいるのだから。
だがそれでも、鳳灯は、死なずに済む人がいるならば人死にを避けたいと思っている。
よくいえば、有能なものを掬い上げるために。悪くいえば、恩を着せ縛り付けるために。
「迅速に、でも余計な人死にがでないよう、お願いします」
「随分と難しいことを、簡単にいってくれるわね。鳳灯」
「出来ませんか?」
「出来るに決まっているでしょう」
約束はしないけれどね。
愉快そうに笑いながら、曹操は背を向けその場を離れる。
その姿を見送りつつ、董卓と鳳灯は顔を合わせ。
釣られるように笑みを浮かべた。
世の中が、そう悪くない方向へと変わろうとしている。
そんな感触を得ているからだろうか。
董卓らと手を取り合い、共に行動し、手段は違えど同じ方向を見て歩むということ。
悪くない、と、曹操は感じていた。
・あとがき
まとまりが悪い気がして仕方ありません。
槇村です。御機嫌如何。
一刀の影が薄いぞなにやってんの、という声が上がっておりますが。
なんだ、そんなにみんな一刀が好きなのか?(笑)
誠に残念ながら、少なくとも洛陽炎上編が終わるまでは出て来ません。
その次のお話でも、出番があるかどうか分からない。
話の区切りを見つけて、幕間の話を入れるくらいしかないか。
いや、なんとか理由をつけて出張させるか?
今回の話を書いていて思ったのですが。
白蓮さんって、どんな経緯で麗羽さんと誼を通じたんでしたっけ?
確かゲームでは、最初っから真名を呼んでいたような気がするのですが。
出会ったときのこととか、ゲーム内に描写ありましたか?
思い出せないから、盧植先生のところで劉備と一緒に勉強していた頃より前に、別のところで勉強していたことにした。
……普通普通といわれながら、随分恵まれた環境だな白蓮さん。
それにしても、ここまで長かったぜ。
次、もしくは次の次くらいで、書きたかったシーンのひとつに届きそうな気がする。
それが過ぎても、書きたいシーンは山盛りだけどな。
……洛陽炎上編は、あと四話くらいは続きそうです。
ゲーム本編で数クリックのところが、ここまで膨らむとは。我ながらびっくりだ。
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動乱前夜。
槇村です。御機嫌如何。
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