No.213887

『孫呉の龍 第二章 Brown Sugar!! 建業編』

堕落論さん

やっとの事で恋姫達の『外史』に到着しました『孫呉の龍』第二章をお届けさせていただきます。

あいもかわらずの文才の無さですが暫しの御付き合いの程宜しくお願い致します。

2011-04-28 19:31:03 投稿 / 全7ページ    総閲覧数:2283   閲覧ユーザー数:2052

此処は呉の首都建業、先の大戦に敗れ一時期曹魏の支配下にあったとは言え、大戦終結後の三国同盟の締結と、それに伴い統治の継続を華琳が雪蓮達に委ねた事で首都機能の大半が存続した為に、大戦前程では無いにしてもそれなりの賑わいの中にある。

 

その建業の中心部にあり石頭城と呼ばれる城の城壁で、この城の主である雪蓮が賑わっている街を見下ろしながら杯を傾けている。

 

彼女は杯の中の酒を飲み干すと一度だけ小さな溜息を吐き、本来なら側に居てくれたであろう筈の大切な者に向かって語りかける。

 

「祭……貴女なら今の呉……いや、私達を見て、どう思うのかしらね………」

 

城下の賑やかな喧騒とは相反するような彼女の呟きは、城壁を吹き抜けていく風に流されていった。

 

どのくらい城壁で佇んでいただろうか、手にした小さい甕の中の酒は粗方呑んでしまい、杯の残りを空けようとした時、不意に後方から声がかかる。

 

「こんな所にいたのか、雪蓮」

 

城内に通じる櫓から、断金と呼ばれる程の盟友であり、未だ呉の都督でもある冥琳が雪蓮の元に近付いて来る。

 

「あら、冥琳、何か用事?」

 

「別に用事と言う程でもないが……コホッ」

 

そう言うと冥琳は、雪蓮の手の内にある杯を咎める様な目で見つめる。それに気付いた雪蓮が杯を持った手をヒラヒラと振って

 

「あら、冥琳も呑みたかった? 残念、もう無くなっちゃったわ」

 

ペロリと舌を出して冥琳の追及を逃れようとするが、

 

「誰が仕事中に酒なぞ呑むものか……コホッコホッ それよりもお前は何をしているのだ? 治水関連の竹簡をそちらに廻していた筈だが……」

 

先程よりも剣呑な瞳で冥琳は雪蓮の退路を塞ぐ様に言葉を繰り出す。

 

「ああ、あれねえ……あれは亜莎にやってもらってるわ、あの娘も行く行くは、この孫呉の大都督になってもらわなきゃいけないんだから……亜莎にとってはこれも勉強の一つよねえ♪」

 

あっけらかんとした雪蓮の答えに、冥琳はこめかみ辺りに手を当て苦虫を噛み潰した様な顔で言う。

 

「全く……お前のは試練や勉強と言うよりはコホッコホッ 丸投げと言うものだっ」

 

「え―っ、ちょっとそれは酷いんじゃないっ! それよりも冥琳、あなた風邪でもひいたの? さっきから変な咳ばかりしてるじゃない」

 

「んっ、確かに多少は熱っぽいが大したことは無い、それに先程薬蕩も飲んだしなコホッ それよりもさっさと執務室に戻れ、言っておくがお前の決裁が要るのは治水の竹簡だけでは無いのだぞっ」

 

そう言いながら冥琳は雪蓮の襟首を捕まえて城内に引っ張って行く。

 

「ちょっ、ちょっと待ってよぉ冥琳! 痛い痛いっ! 引き摺ってかなくても、ちゃんと歩くからぁ」

 

「引き摺られながらも逃げる算段をしている奴の言う事は聞けんなあ」

 

「ぶ――っ、何か私の扱いって酷……って、冥琳! あれ何!」

 

「そんな子供騙しの様な手は食わんぞっ、雪蓮」

 

後ろ手に冥琳に引き摺られながらジタバタしていた雪蓮が、何かに気が付いた様に突然大きな声を出す。しかし、冥琳はそれすらも雪蓮が逃げる為の方便であろうと全く取り合わない。

 

「違うわよっ! あれっ! 鍾山の方よっ!」

 

「全く何をさっきから言ってるんだ……なっ、何だ……こんな昼間に流星っ?」

 

雪蓮の切羽詰まった様な声に、渋々振り向いた冥琳の目に飛び込んできた光景は、真昼の建業の空に白い光の尾を引きながら、城の近くの鍾山に真っ直ぐに落下して行く流星と、その流星を追いかける様にして落下して行く、深紅の尾を引く流星であった。

 

「遠き彼方の地より流星が二つ、その流星と共に天の御遣い此の地に再度降臨する也……か」

 

「冥琳、それって……」

 

「ああ、先日魏の華琳殿の推薦状を携えて此の地に来た、星見の菅輅が残した言葉だ」

 

そう言った冥琳の胸中には何か言い知れぬ不安が募る。

 

「ふうん、天の御遣いねえ……確か白き天の御遣いと紅き龍の御遣いとか言ってたわよねえ、ふうん、紅き龍の御遣いかあ……」

 

一方の雪蓮は、自分の中に有るどうしようもない焦燥感が、この流星の落下によって起こるであろう出来事で全て霧散してしまうんじゃないか……何となくその様な勘がするのであった。

「うっ、ううっ………」

 

まるで水底から水面に浮き上がって来る様に、ゆっくりと龍虎の意識が覚醒して行く。未だ閉じられたままの瞼を通して日の光が感じられる所をみれば、今は日が昇っているらしい。

 

「ううっ……あぁ、あぁ、……暑いっ!」

 

ゆっくりと覚醒をしてた筈の意識が、外気の温度を感じ取れるようになった瞬間、龍虎は一気に飛び起きた。

 

強烈な日差しの降り注ぎ方は時刻が正午過ぎであろう事を表し、煩いほどに耳に付く蝉の声は、此の地の季節が初夏以降である事を物語る。

 

制服の胸元を肌蹴て風を取り入れつつ龍虎は

 

「あっ、そういえば一刀は何処だ?」

 

龍虎の周りには、此方で生活する為に必要であろうと思われる物を詰め込んだ、海外旅行用のハードトランクケースと多機能ディバックがキチンと置かれてあるだけで、此の地に一緒に来た筈であろう一刀の姿が何処にも見えない。

 

「拙いな……着いたと思った早々逸れちまったか……恐らく一刀はこっちの世界には慣れてるだろうし、襲われたとしても何とかなるぐらいの武は持たせたし……まあ、一刀から色々聞いた話だとアイツ一人でも大丈夫そうだしな」

 

そんな風に、かなりお気楽な事を龍虎が独り言のように呟いた時、後方の木々の茂みから感じた事の無い威圧感が膨れ上がる。

 

(何だっ……この氣……卑弥呼か? いや、違うっ……コイツは、人が発する氣なんかじゃ無いっ!)

 

龍虎はそう思うや否や、本能的に身を低くして素早く前方に飛んでいた。

 

「ゴウゥゥゥゥゥッ!」

 

瞬間、今迄龍虎が居た場所には入れ替わる様に一匹の獰猛な獣が着地して、敵意と言うよりは殺意を宿した目をして龍虎と正対していた。

 

「ああ、もう一刀も見付からないってのに……しかし、あれって、どう見ても虎だよな……それも白って……はあ、今日は厄日かってえの……」

 

現在の境遇に溜息を吐きつつも、前方の虎に対して牽制の姿勢を崩さずに龍虎は、己の氣を足止めの意味で虎にぶつけながら、今の状況の回避に最善な手段を探す。一方の白い虎の方も、龍虎が纏う尋常でない氣に警戒心を強めて、低く唸るだけで攻撃に移れない。

 

暫しお互い睨み合いを続けた後、龍虎は自分の周りに白い虎以外の気配を感じ取った。それと同時に白い虎が殺気を放つのを止め、徐々にではあるが後退りを始める。やがて完全に先程飛び出してきた木々の茂みにその姿を隠すのと同時に足音が遠ざかって行くのを、龍虎は気配で悟った。

 

白い虎の気配が完全に消えるのを確認しても暫くは構えを解かずにいた龍虎が、その姿勢のまま辺りの気配を発する者達に声を掛ける。

 

「せっかく虎がいなくなってくれたんだから、そろそろ俺も肩の力抜きてえんだけどな……」

 

龍虎の言葉が終るのを待つように、周りから複数の人間の気配がしたかと思えば、龍虎を囲む様にして現れたのは赤銅色に日焼けした屈強な佇まいの男達である。手には各々が手斧や、鉾を持って一分の隙も無く龍虎を包囲している。

 

その様子から、龍虎はこの集団をかなり調練の行届いた精兵である事を一瞬で見抜き、次にこの精兵達の統率者であろう者の方に視線を走らせる。そこには褐色の肌に薄桃色の長髪を無造作に後ろで束ねた長身の女性が、軽鎧に身を包んで立っていた。

 

「俺の名は子義龍虎。決して怪しい者じゃあない。貴女がコイツ等の頭目かい? 出来たらその物騒な獲物を下してくれるように全員に言ってくれないか」

 

龍虎が周りに対する警戒を一切解かずに、その女性に自分の名と害意が無い事を告げると、その指揮官らしき女性は美しい顔に頬笑みを浮かべながら言った。

 

「ふっ、周々程の虎を目の前にしても一歩も引かぬ程の猛者を前にして獲物を下せなどと、私の可愛い部下にそんな危険な命令は下せませんよ。そうではありませんか? 子義龍虎殿」

 

「孫将軍、あまり前に出られては危険です。ここは我等にお任せ下さい」

 

「馬晋、貴方達の気持ちはありがたいのですが、私も孫呉の将なのですよ。それにこの子義殿の武は、私を含め此処に居る全員が、同時に討ちかかっても敵わぬ程だと言う事が判らぬ貴方達では無いでしょう」

 

龍虎を囲む兵達のリーダー格であろう兵士が女性を護る様に前に立って、龍虎に鋭い視線を投げかけて来る。その兵士の肩に手を添え穏やかな口調で下がる様に伝え、長身の女性は龍虎の方に向かってニ、三歩進み出る。

 

「「「「「将軍っ!」」」」」

 

兵士達が一斉に彼女に向かって悲痛な声を出す。それを見た龍虎は不意に身体全体から緊張を解くと同時に、今迄の構えも解いて無防備な状態に自分を置いてから改めて目の前の女性に問い質す。

 

「今、貴女は孫呉の将と御自分で言われたが、貴女は孫家の人間なのか? だとすれば此処は孫呉の地、江東なのか?」

 

急に全ての警戒心を解き放ち無防備な姿を晒した事と、改めて居住いを正した龍虎を見て、何事かを納得したかの様に指揮官の女性は、誰もが一瞬で心を全て魅かれる様な笑顔を見せて龍虎に答える。

 

「はい、此処は呉の首都建業に有る鍾山の麓です。そして私は呉王孫伯符に仕える将の一人で、姓は孫、名は瑜、字は仲異と申します。以降お見知り置き下さいますようお願い申し上げます。子義龍虎殿……いや、紅き龍の御遣い様」

 

そう答えながら深々と揖礼をし跪く孫瑜と、自分の主が跪くのを見て慌てて同様に跪く他の兵士達を見た龍虎は呆気にとられて声を失ってしまうのだった。

「はい、此処は呉の首都建業に有る鍾山の麓です。そして私は呉王孫伯符に仕える将の一人で、姓は孫、名は瑜、字は仲異と申します。以降お見知り置き下さいますようお願い申し上げます。子義龍虎殿……いや、紅き龍の御遣い様」

 

そう答えながら深々と揖礼をし跪く孫瑜を前にして、一瞬声を失ってしまった龍虎だが、直ぐに気を取り直して慌てて孫瑜達に話しかける。

 

「ちょっ、ちょっと待った……何? その紅き龍の御遣い様って……胡散臭いにも程があるだろうが、確かに俺はこの世界の住人じゃあなくて、別の世界から来た様なものだけれど……」

 

龍虎が必死になって自分の噂の様な物についての弁明を繰り広げているのを、不思議な顔で眺めていた孫瑜が龍虎に向かって、気を落ち着ける様に諭してから、数日前に建業の石頭城であった出来事を聞かせる。

 

「先日の事でありましたが、魏の曹孟徳殿よりの推薦状を携えた星見の菅輅と言う者がこの建業に参りまして、我が王孫伯符等を筆頭とした呉の重臣達の前で予言を披露したのでございます」

 

「魏王からの推薦状? 星見の菅輅? 予言……?」

 

「はい、その星見の菅輅の予言曰く、遠き彼方の地より流星が二つ、その流星と共に天の御遣い此の地に再度降臨する也。白き天の御遣いは覇王の下に馳せ参じ、いずれ覇王と共に大いなる徳を持ちて此の地を包み込む者也。紅き龍の御遣いは白き天の御遣いを導きて此の地に現れ、その類稀なる力を使い此の地に垂れ込める暗雲を払い、白き天の御遣いが此の地を照らす事を助ける者也との事だったのです」

 

孫瑜は菅輅の予言を一字一句間違う事無く龍虎に伝えた後に、もう一度龍虎に拝礼をする。

 

「ああ、でっ、その俺が……菅輅だったっけ? その予言の中に出て来る紅き龍の御遣いだって言うのかな……?」

 

菅輅の予言を聞いて多少疲れた様な表情をした龍虎が孫瑜に問うてみると、孫瑜はその美しい顔に満面の笑みを湛えて答える。

 

「はいっ、先程この鍾山に流星が二つ相次いで降るのを、私を筆頭に孫瑜隊の者全てが此の目にしておりますし。偶々この鍾山に近い場所で調練を行っていました我隊が一番にその流星を捜索する為に参ったのですが……」

 

何故か孫瑜は興奮覚めやらぬと言った体で顔を上気させながら、言葉を続ける。

 

「私共の目の前で子義殿が、孫呉の守り神でもある周々を、氣一つで下がらせる離れ業も拝見させて頂きました。そして何より極め付けは子義殿が纏われている、その立派な衣装にありますっ!」

 

(ゲッ……事もあろうに一番触れられたくなかった点に触れますか、この娘はっ!)

 

内心目眩がする程の恥ずかしさを懸命に顔に出さないように、龍虎は平静を取り繕って孫瑜の話を聞く。

 

「その燃えるが如き深紅の衣装の背に、生きているが如く表されている五爪の龍! これぞ正に予言の中にある紅き龍の御遣い様に相違ございませんっ!」

 

興奮と感激が最高潮に達して、今にも龍虎に抱きつかんばかりの勢いの孫瑜を、龍虎は懸命になって、兎に角落ち着く様に話す。すると孫瑜は突然口元を袖口で隠してクスクスと笑い始めた。

 

「うふっ、うふふふっ……」

 

「んっ? 俺、何か可笑しい事でも言ったかい?」

 

「いっ、いえ、別に、うふふっ……余りにも一生懸命になって御自分の事を否定なさるから……うふふふふふっ」

 

「当たり前だろうっ! いきなり此の地に吹っ飛ばされたと思ったら、初対面の綺麗な女の人に、物凄く恥ずかしい名前で呼ばれてるんだぜっ! ったく……否定の一つもしたくなるだろう普通はっ! なあ、そうは思わないかい孫瑜さん」

 

憤懣やるかたないと言った表情で龍虎が愚痴を並べて、その事に同意を求めようと孫瑜に向き直った時、龍虎の視線に入った光景は、先程迄小首を傾げて可愛らしく微笑んでいたのに、今は耳まで真っ赤にしてアタフタとしている孫瑜の姿であった。

 

「初対面の……キッ、キッ、キッ、綺麗な女の人ってて、ワ、ワ、ワ、私の事ですかあっ?みっ、みっ、御遣い様?」

 

「あ、ああっ、そのつもりで言ったんだけれど……何か気に障る様な事でも言っちゃったかな?」

 

「いっ、いえいえいえ……その様な事は御座いません。ええ、まったくもって御座いませんよっ!」

 

先程迄の興奮してはいたが、何処か凛とした物言いで将たる者を体現していた孫瑜の面影は今は其処に無く、あたふたとした仕種で忙しそうに龍虎の顔を見たかと思えば、急に真っ赤になって下を向いたりする年相応の女の子の姿が其処にあった。

 

「あ、あのお、孫瑜さん?」

 

「ひゃっ、ひゃいっ!」

 

(噛んだっ、いっ、今噛んだよねっ、この娘……何でこんなに急に挙動不審になるの?)

 

「俺は、この後どうしたら良いのかな?」

 

「はっ、はひっ、御遣い様には、こっ、これからっ、御足労ですが石頭城迄お越しいただいて、我が王孫伯符にお会いして頂きまふっ! ひゃいっ」

 

「そっ、そうなんだっ……(また噛んでるよ……)あっ、そう言えば一つ、孫瑜さんを始め孫瑜隊の皆さんに頼み事があるんだけど良いかなあっ?」

 

「ひゃっ! ひゃいっ! 何事でしょうか御遣い様?」

 

「いや、大した事じゃあ無いんだけれどねっ、その予言に出て来た白い御遣いって奴も、恐らくは、どっかこの辺りに転がってると思うから、出来たら皆さんの手で探してくれないかなあって……ああ、格好なんかは俺の白い版だから直ぐに分かると思うんだけれど……」

 

「はっ、はいっ、分かりました。直ちに孫瑜隊を五つに分けて、皆其々白い御遣い様の捜索にあたりなさい。宜しいですねっ!」

 

「「「「「応っ!」」」」」

 

幾分平静を取り戻した孫瑜の命に、孫瑜隊の兵士達が力強く応えて、其々の担当の方面に散って行く。一刀が多少離れた場所で気絶していたのを見つけられるのは、それから一刻後の事であった。

建業の石頭城に向かう馬車の中、鍾山で無事に保護された一刀と龍虎は、自分達の荷物と共に孫瑜隊の荷馬車に揺られている。荷馬車は幌付きの二頭立てで、簡単な長椅子らしきものも中には用意されていて、一刀と龍虎、そして孫瑜が一緒に乗っている。

 

鍾山から建業の石頭城に近付くにつれ、未だ荒れ果てた土地や、戦火に焼かれて放棄された家屋などがちらほらと目に付く様になっていた。

 

「この辺りは、まだ復興が進んでないんだな」

 

辺りの景色を見回しながら龍虎が独り言の様に呟いた。

 

「はい、この辺りは先の大戦で建業の守備隊と、曹魏の攻城隊が最も激しくぶつかった場所でございますから、田畑も家屋も全ての損傷が酷かったので……」

 

何故か龍虎の隣に座っている孫瑜が、龍虎の目の前でその呟きに答える。

 

「そっ、そうなんだ……ってか、近いっ! 顔近いっ! 何で孫瑜さんは、こんな近くに……俺の隣にくっついてんの!」

 

鍾山から馬車に乗り込む際、孫瑜は自分の馬を部下に預けて、二人と共に馬車に乗り込んだ。まあ其処までは良かったのだが、馬車での移動中にいつの間にか孫瑜は龍虎の隣に寄り添う様に……いやいや、今はもうベッタリとくっついていたりする。

 

龍虎の二の腕に女性特有の柔らかいモノを押し付けてくる孫瑜は、実に無邪気な顔で龍虎の側で色々説明をしてくれる。

 

しかし、そんな楽しそうな孫瑜とは裏腹に龍虎の方はと言えば、一刀の生暖かい目と、今にも自分達の獲物を使って馬車の幌をぶち破る勢いの怒気を放って来る孫瑜隊の皆様との板挟みで、非常に居心地が悪かったりするのである。

 

「あ、あのお、孫瑜さん……」

 

「紅蓮と御呼び下さい……紅き龍の御遣い様」

 

「へっ?」

 

突然の孫瑜の申し出に、虚を突かれた龍虎が間の抜けた声を出すのを見た一刀は小声で、龍虎に説明する。

 

「それ真名だよ、龍虎。自分が認めた相手、心を許した相手……そういった者だけに呼ぶ事を許す、大切な名前の事だよ。向こうの世界で、俺、ちゃんと教えただろう」

 

一刀の説明を聞いて、事の重大さを理解した龍虎は先程より三割増しぐらいの勢いで狼狽した声を出す。

 

「いっ、いやっ、いやいやっ、ちょっと待って下さい、孫瑜さん? 何で、いきなり大事な真名なんて教えてんですかっ! 俺と貴女はさっき知り合ったばかりでしょう。いくら菅輅とか言う人の星見の予言があったって言っても、俺自身がその紅き龍のなんちゃらって奴だって決まった訳じゃあ無いし……」

 

「あら? 人と人とが信頼し合うのに、出会ってからの時間など関係有りませんし、既に龍虎様は我々の眼前で、周々を氣一つで下がらせると言う、紅き龍の御遣いたる力を披露されたではございませんか。それに、それに龍虎様は先程私の事を綺麗なゴニョゴニョ・・・・・・」

 

最後の方の台詞こそ小声になった為に聞こえなかったものの、いつの間にか呼び名が龍虎様にさりげなく変わっている孫瑜が、何故だか上気した顔で瞳を潤ませて先程よりも力強く龍虎の腕を取って離さない。

 

「ううっ……それはっ……」

 

事、此処に至っては龍虎も返す言葉が無く返答に詰まってしまう。それを上目遣いで見ていた孫瑜は

 

「龍虎様が紅き龍の御遣いと言う事は間違いありません。それはこの孫仲異が保障します。何故ならば……」

 

そう言うと孫瑜は、龍虎の腕を離さずに一刀の方を向いて

 

「白き御遣い様……いや、以前は魏王 曹猛徳殿の下で赤壁を我が孫呉と戦われた、天の御遣い北郷 一刀殿と御呼び申し上げた方が宜しいですか」

 

今迄の龍虎に対する孫瑜の声音とは違って、多少畏まった口調で一刀に問い掛ける。一刀は逡巡した後に観念した様な顔つきをして、孫瑜からの問いに答える。

 

「やはり、知っていたんですね。俺の事を……」

 

「はい、私も孫呉の将の一人です。赤壁の折りには後詰を任され戦地には赴かなかったものの、その後、成都における大戦終了後の宴の折りに、北郷殿の御姿は遠目より拝見させていただいておりましたので、よく覚えております」

 

孫瑜は一刀が予言の白き御遣いである事を確認すると、その美しい顔に満面の笑みを浮かべて龍虎に向き直り

 

「これで如何ですか、龍虎様」

 

「いや、一刀が白い天の御遣いだからって……」

 

「龍虎様。菅輅の予言には、紅き龍の御遣いは白き天の御遣いを導きて此の地に現れ……と言う件があります。紅き衣を纏いて白き天の御遣いである北郷殿と共に此の地に訪れた貴方様以外で紅き龍の御遣い様は、この孫仲異には考えられませぬ」

 

確固たる意志を感じさせる表情で真っ直ぐに孫瑜は龍虎を見つめる。暫しの間その瞳を見つめ返していた龍虎は、観念した様に一つ大きな溜息を吐くと

 

「まあ、あんまり過度な期待はしないで欲しいなあ……孫瑜……いや、紅蓮さん。俺は一刀と……白き天の御遣いと共にこの国の為に何か役に立ちたいとは思っているけど、実際何が出来るかは未知数だからね」

 

苦笑交じりの笑顔で孫瑜に向かって優しく話しかける。それを聞いた孫瑜は龍虎の腕から離れ、その場に跪き揖礼をしてからその顔を上げて、心底嬉しそうな声を上げる。

 

「委細承知仕りました。この孫仲異、今後紅き龍の御遣い様の手足となりて、この身果てる迄、貴方の下で尽くしましょう」

 

恋する乙女の様な上気した顔に、誰もが魅入ってしまう様な碧眼を潤ませながら、孫瑜は、さり気無く爆弾発言を龍虎に向かってするのであった。

「委細承知仕りました。この孫仲異、今後紅き龍の御遣い様の手足となりて、この身果てる迄、貴方の下で尽くしましょう」

 

孫瑜は龍虎に向かってこう言った後に、龍虎の側に侍る様に身体を密着させて上目遣いで龍虎の顔を覗き込むようにする。

 

孫瑜の、呉の将としてどうなのよ? ってな台詞に固まっていた龍虎だが、孫瑜の爆弾発言を聞いて一気に膨れ上がる外の孫瑜隊の皆様の怒気に、我を取り戻し慌てて孫瑜を諌める様に話す。

 

「ちょい待ちっ! 紅蓮さん、貴女って確か呉の重鎮である孫静さんの娘さんでしたよねえ。と、言う事は貴女、呉の皇族じゃあないですかっ! そんな重要な地位にある人が俺なんかに………」

 

「ご迷惑でしょうか?」

 

龍虎が慌てるのを不思議そうな顔で眺めていた孫瑜が、一瞬泣きそうな顔で龍虎を見つめる。

 

(ぐっ、その顔は反則ですよ、紅蓮さん……)

 

「いや、迷惑とかそんなんじゃあ無くて、紅蓮さんは孫伯符の所の将軍で、確か、貴女と同じ名の周公瑾の覚えもめでたい方だったと思いますが?」

 

「はい、現在は建業の守備大隊として、主に後方支援等を担当していますし、覚えがめでたいかどうかは判別付きかねますが、公瑾様とも懇意にはしていただいております」

 

龍虎からの問い掛けを、泣きそうな顔から一転して今度はその破壊力満点の胸を張って誇らしげに答える。

 

「そんな貴女が、菅輅の予言があったとは言え、いくらなんでも俺みたいな得体の知れない奴に忠誠を誓うってのは駄目でしょう。それに御遣いって呼ばれるのは俺一人じゃあ無くて、此処にいる北郷もそうだし……」

 

必死になって龍虎は孫瑜の説得を試みるが、対する孫瑜も龍虎の腕にしがみ付く様にして

 

「いえ断じて龍虎様は得体の知れない輩では御座いません。鍾山で龍虎様の御姿を一目見た時から私は、この胸の高鳴りが抑えきれないのです。周々を退かせ、我々に囲まれても顔色一つ変えない龍虎様は、この孫仲異が心底認め、真名をお預けするに値する御方です」

 

龍虎の腕を今迄よりも更に力を込めて抱き込みつつ、自分が考えられるであろう精一杯の言葉で孫瑜は龍虎に訴える。

 

「それに、北郷様は白き天の御遣いであると同時に、覇王曹猛徳殿にとっての掛け替えの無い御方であり、魏の諸将の方々の大切なお人だと言う事も、三国交流の折りに張文遠殿より聞き及んでおります」

 

「霞から……」

 

孫瑜の言葉に一刀がすぐさま嬉しそうな表情で反応する。そんな孫瑜と一刀の姿を見た龍虎は暫し瞑目した後、観念した様な表情で

 

「あのお、紅蓮さん、貴女の御気持ちは非常に嬉しく思います。でも、まずは俺達二人を孫伯符に会わせていただけませんか? 紅蓮さんも主である伯符の許可無く俺と行動は共に出来ないでしょうし、俺も後々孫呉を敵にまわすような事はしたくないですからね」

 

優しく孫瑜に語りかけながら無意識のうちに龍虎は、空いている右手で孫瑜の頭を撫でるが、突然の事に孫瑜は驚愕と羞恥とで固まってしまう。

 

「たっ、龍虎さまっ……」

 

「んっ……あっ、こんな子供にするみたいな事、流石に失礼でしたね」

 

そう言った龍虎が、固まったまま真っ赤な表情で俯いてしまった孫瑜の頭部から手を放そうとした時、

 

「いっ、いえ。あの……突然の事でしたので驚いてしまって……決して不快と言う事では無く、寧ろ龍虎様の手を当てて頂いた所が暖かくて満ち足りた気分になるのです。ですから、もし宜しければ、もしご迷惑では無いのならば、今暫くはこのままで……」

 

潤んだ瞳で龍虎の事を見上げた孫瑜が懇願するように、抱きついた腕に力を込めながら言う。

 

「あっ、ああ、こんな事で良ければ……」

 

そう言うと龍虎は孫瑜の頭を再度撫で始めるのだが、先程より一層膨れ上がる馬車の外の怒気と、更に生暖かくなった一刀の視線、それに気持ちよさそうに頭を撫でられ続けている孫瑜の満ち足りた様な笑顔との板挟みで、先程より更に居心地の悪い一時を過ごさざるを得なかったのである。

 

暫しの間、龍虎に撫でられるが儘に身を任せていた孫瑜なのだが、流石に建業の関が近付いて来るのを察すると一軍の将の顔に戻り、配下の者達にテキパキと指令を出す。

 

「馬晋、御遣い様達の事を我々より一足早く我が王と都督の公瑾様にお伝えしなさい。他の者は関に詰めている者に報告をした後に、隊列を整えたまま城に向かいます」

 

「「「御意っ!」」」

 

一指揮官の顔に戻った孫瑜の号令に、先程迄の怒気は何処かに置き忘れたかの様な従順な返答をする孫瑜隊の面々、その信頼関係を垣間見た龍虎は、改めて孫瑜が非凡な将であるという認識を持つのであった。

暫くして建業の関に到着した後、孫瑜の命を聞いた副官であろう兵の一人が先に隊列から離れて行く。龍虎と一刀が、孫瑜と残った兵達と共に関を通過する許可待ちをしていた時、不意に龍虎は自分に向けられる視線を感じた。

 

龍虎も一刀も服装が服装なだけに兵士達の中に居れば浮きまくる為、民からの好奇の目に晒される事を重々承知はしているのだが、どうやらそういった好奇の視線では無い。龍虎は精神を集中させて、その視線の出所を気配だけを頼りに探る。

 

(何処だっ……居たっ! 城の正面の門……城壁のほぼ中央かっ!)

 

視線の出所を覚った龍虎は、かなり離れた城壁の上に立ってこちらに視線を送る主へ、振り向きざまに威嚇する様な視線を送り返す。視線の主は、瞬間、自分の気配が察知された事に驚愕の体を為したが龍虎の威嚇の視線に気付いたのであろうか、踵を返して城壁から姿を消す。

 

(何だったんだ? まあ紅蓮さんの兵達に捕縛された様にも見えるからなあ……)

 

龍虎がその様な事を考えていると、龍虎の一連の行動を訝しんだ一刀が話しかけて来る。

 

「どうしたんだ、龍虎? 何かあったのか?」

 

一刀も龍虎との二年以上にも亘る鍛錬の結果、先の外史の時とは比較にならないぐらい氣の扱いに慣れている為に、龍虎の放った鋭い氣を多少は感知できるのである。最も凪の様に自由に使えると言う訳でもないので中途半端ではあるのだが。

 

「んっ、いや、ちょっと城壁の方から気になる視線を感じたんでな」

 

「城壁からの視線って……此処からどんだけあると思ってんだよ……」

 

今現在一刀と龍虎が立っている建業の関から見て、ほぼ街の中心部にある石頭城の城壁の方を見やった一刀が、直線で200m弱は有るであろう距離を見て呆れ顔で呟く。そんな一刀を後目に龍虎は、全ての報告を関の兵に伝え終えて此方に来る孫瑜に向かって話しかける。

 

「さてと、これから俺達はどうしたら良いのかな、紅蓮さん」

 

「はい龍虎様と北郷殿は、私達孫瑜隊と共にあちらの石頭城においで頂きます。その後、おそらくは別室で多少はお待ち頂く事になるとは思うのですが……」

 

「まあ、国の王に謁見するんだったらそうだろうなあ……しかし紅蓮さん、呉王孫伯符は本当に俺達なんかに会ってくれるのかい?」

 

先程は孫瑜に図々しくも国王への面会を頼んだ龍虎だが、冷静に考えてみれば国王たる者が、いくら自分達が予言にあった天の御遣いらしき人物であったとしても、そう軽々しくは会ってはくれないのではと言う、至極真っ当な考えが頭を過った。

 

そんな龍虎の考えを理解したのか、孫瑜は自身を持って笑顔で龍虎に答える。

 

「はい、それは間違いなく大丈夫だと思われます。菅輅の予言を聞いて以降、我が王は重臣達に、呉領内で御遣い様と思しき者を見つけたら石頭城迄連れて来る様に命じられましたから。ただ……」

 

そう言って孫瑜は笑顔から一転して言いづらそうに一刀の方を見る。孫瑜の急に曇った顔を見て何事かを思い当たったのか一刀は

 

「ああ、やっぱり俺が呉の人達の前に出るのは拙いですよね……」

 

三国大戦終結後の宴の末端の関に居た孫瑜でさえ一刀の事を覚えていたと言う事は、華琳達の側で宴に参加していた孫策、孫権、周瑜達孫呉の重臣達は間違いなく一刀の事を見知っているだろうし、赤壁では孫呉の宿蒋である黄蓋も討たれているのである。孫呉の者の中には一刀に恨みを持つ者がいてもおかしくはない。

 

「ええ、誠に北郷殿には申し訳なく思いますが……大戦後の三国交流に於いて見聞した事柄を纏めた後に我が孫呉は、この大戦の趨勢を決めたのは正しく天の御遣いの力であると結論付けました」

 

訥々と孫瑜の声だけが流れていく。

 

「しかし、私が思うに、確かに我々孫呉は此度の戦には後れを取ったのかもしれませんが、それは地の利、人の利、そして何よりも天の利が我々孫呉に無かっただけの事でございます……」

 

「いや、だk「ですからっ!」……」

 

何事かを言おうとする一刀の機先を制する様に更に孫瑜が言葉を紡ぐ。

 

「私個人の意見を失礼を承知で言わせて頂ければ大戦後此の地に、いや、呉、蜀、魏の三国が納める地に平和が訪れたその事こそが先の大戦の意味であると私には思えるのです。ですが北郷殿……」

 

そこまで淡々とした口調で話をしていた孫瑜が、一刀の方を向いて淋しげな笑顔と共にキッパリと言い切る。

 

「呉の兵達や民達にとっては孫呉が曹魏に屈した……この事だけが唯一の真実でございます」

 

その言葉に一刀だけでなく龍虎も思わず、孫瑜の顔を凝視してしまう。それでも孫瑜は一切構わずに話を続けて行く。

 

「呉の建業も、蜀の成都も焦土と化した訳ではありませんし、敗戦国の王も重臣も誰一人として重罪の沙汰も下されませんでした。その事につきましては、驚きそして感謝もいたしておりますが、この戦いの中で三国共に何かしら大事なものを失ってきております」

 

心なしか孫瑜の声が震えていると、龍虎は感じた。

 

「その失ったものに対しての悔恨を忘れ、三国共に手を取り合って生きて行く事など、理解は出来ても納得はいたしかねると言うのが、あの大戦を生き残ってしまった我等敗軍の将一同の偽らざる心境でございます」

 

真っ直ぐに一刀を見つめる凛とした表情とは裏腹に、今にも泣き出してしまいそうな声で孫瑜は己の心の内を話し終えた。それを聞いた一刀は元より、龍虎でさえも答えるべき言葉を失ってしまうのであった。

後書き……のようなもの

 

 

 

どうもTINAMIユーザーの皆様如何お過ごしでしょうか? またもや一月ぶりの更新……遅筆駄目小説家の堕落論でございます。(涙)

 

今回から『孫呉の龍』は、とうとう舞台を魏√afterの『外史』に移しての第二章となりました。序章と第一章では力一杯『漢√』でしたので(苦笑)今後は華の登場も増やして行きたいなと思ってはいますが

 

如何せん文才の無さと、忍耐力の無さが致命的であって果して上手く話が転がせるのやら……トホホ

 

 

 

 

閑話休題

 

 

第二章冒頭に雪蓮さんと冥琳さんにご登場願いましたが、まだ直接的にこの御二方は、龍虎君と一刀君に関わりません。

 

いくら予言があったからと言って一国の王と宰相が素性の曖昧な者と行動を共にする事など、それこそ群雄割拠の時代でもないとあり得ませんからねえww

 

と、言う訳で話を転がし易い様にまたもやオリジナルの女性を出さして頂いた訳なのですが、はてさて、どうなることやら

 

取り敢えず建業編は、この『外史』のスタートとして龍虎、一刀に孫瑜こと、紅蓮を軸に展開をしていく所存ではありますが、なんせプロット通りになぞ進んだ証しの無い駄目小説家でありますのでねえ(苦笑)

 

 

 

さてさて次回は孫呉一番のオシャマなあの方にご登場願う予定になっております。出来るだけ早く上げようとは考えております(毎回言っている様な気が……)ので、その時は御目汚しでしょうが御付き合いの程を宜しくお願い致します。

 

 

 

 

コメ頂いたり、支援していただいた皆様へ

 

毎度毎度拙い文に皆様からコメや、支援いただき本当にありがとうございます。結構おっかなびっくり書いている私には皆様のコメや支援が大変嬉しく又、励みになっています。

 

まだまだ駆け出しの新米ではございますが今後とも本当に宜しく御贔屓の程をお願いいたします。

 

また、このssに対するコメント、アドバイス、お小言等々お待ちしております。「これはこうだろう。」や「ここっておかしくない??」や「ここはこうすればいいんじゃない」的な皆様の意見をドンドン聞かせていただければ幸いです。

 

皆様のお言葉が新米小説家を育てていきますのでどうか宜しくお願いいたします。

 

 

 

それでは次回の講釈でまたお会いしましょう。         

 

 

 堕落論でした。


 
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