No.213650

バカとテストと召喚獣 康太と愛子と喫茶店アルバイト

pixivからの転載のムッツリーニと愛子の物語の2番目です。
別に前の話(康太と愛子とアルバイト募集の張り紙)を読まなくても話は通じます。
読んで頂いた方が話が通じやすい部分がありますが。

バカとテストと召喚獣

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2011-04-27 01:09:45 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:10183   閲覧ユーザー数:9830

康太と愛子と喫茶店アルバイト

 

 

「ムッツリーニは知ってる? 工藤さんが春休みの間、僕たちが以前バイトした清水さんの実家の喫茶店でアルバイトしているって」

 康太はその情報を友人からの電話を通じて初めて知り少し不機嫌になっていた。

「…………今、初めて知った」

 何故苛立ちを感じたのか、康太にはその理由が自分でもわからなかった。

「ムッツリーニも知らなかったのか。まあ、バイトの件は秀吉のお姉さんと霧島さんしか知らないみたいだし、工藤さんもこの件で周りに騒いで欲しくないのかもね」

 自分の知らない工藤愛子情報を少なくとも3人の人間が知っている。その事実を考えると康太は胸の苛立ちを留められなくなる。それが何故なのかは本人も知らないが。

「…………A組の女子2人はともかく、明久、何故お前が知っている?」

 自分では気付かなかったが、康太は普段よりも低く鋭い声で明久に尋ねていた。怒りが込められているといっても過言ではないような声で。

「何故って、秀吉のお姉さんが僕に話してくれたから」

「…………そうか」

 康太の心が少し落ち着きを取り戻す。

 木下秀吉の姉、優子が明久に積極的にモーションを掛けるようになったことは康太もよく知っていた。

 どういう心境の変化があったのかは知らないが、優子は明久に好意を抱いている。

 優子が愛子の情報を喋ったのも明久の気を惹く行動の一環だったのかも知れない。康太はそう結論付けた。

「それでお姉さんが、ムッツリーニにこの話は絶対に流すようにだってさ。何でだろうね?」

 明久は優子の行動の意図が全くわからないという唸りのような声を出した。

「…………さぁな?」

 明久が気付いていない以上、康太もこの流れに乗ることにした。

「…………木下優子め、余計なことを」

「うん? 何か言った?」

「…………何も」

 康太の脳裏に秀吉と瓜二つの顔をした女子生徒の顔が思い浮かぶ。

 自分と愛子の関係を勝手に誤解しているらしい優子は康太から見れば頭痛の種だった。

「それでお姉さんは、ムッツリーニは可及的速やかに工藤さんのアルバイト先を訪問するべきなんだって言ってた」

「…………何で俺が?」

「さあ? よくはわからないけれど、とりあえず頼まれた伝言は伝えたから」

「…………ああ」

 明久との電話を切る。

「…………ふぅ」

 何故か溜め息が出た。

 気分が重い。

 何故気分が重いのか康太にはわからない。

 けれども、気分転換が必要だと感じたことは確かだった。

 気分転換に外に出るのが良いと思った。どうせなら散歩に出かけよう。商店街の方まで歩いていくのが良い。

 そこまで考えた所で康太は少しだけ機嫌が直っていた。

 何故機嫌が直ったのか康太自身よく理解していなかったが。

 

 

 数十分後、康太は商店街の一角のとある喫茶店の前に立っていた。

 フランス風の名前を持ち、内装も洋装にこだわったこの喫茶店に康太は以前訪れたことがあった。

 客としてではなく、たった1日だけだったがアルバイトとして門を潜ったことがあった関係の深い店。

「…………俺はよくよくこの店に縁があるらしい」

 康太は「ただの気まぐれ」と3回唱えてから店の扉を潜った。

 

「いらっしゃいま……せ……」

 入り口で応対したウエイトレスの少女は康太の顔を見るなり言葉を詰まらせた。

 ウエイトレス工藤愛子は信じられないものを見たといわんばかりにその大きな瞳をより一層大きく開いた。

「何で、ムッツリーニくんがここに……?」

 愛子は1歩後ずさりながら上体を仰け反らせていた。

「…………ただの客だ。案内しろ」

 康太はテーブルを見ながら素っ気無く答える。

「は、はいっ。1名様ですね」

 愛子が潤滑油の切れたロボットのような固い動きで康太を席へと案内する。

「こちらがメニューとなります」

 愛子に渡されたメニューを無言で受け取る康太。

 中を開いてメニューを一つ一つ確かめていく。

 別に中を見なくても、以前のバイト中に厨房を担当していた康太にとってメニューは既に知り尽くしているものだった。

 それでも康太はジッとメニューを見ていた。

 注文を決めかねている間愛子は側に立っている。

 コーティングされたメニューは光を反射して愛子の姿を映し出している。

 濃紺のシャツに赤いネクタイ、そして腰にはエプロン。少し短いように感じるスカート。

 初めて見る愛子の仕事装束。

 学校で見せる快活な様子と異なり、今日の愛子は少し戸惑いの表情を見せている。

「あの、ムッツリーニくん?」

「…………今決めるから、もうちょっとだけ待て」

 結局康太がブレンドコーヒー1つを注文するのに更に5分の時間が必要だった。

 

 

 康太がコーヒーを注文してから10分ほどの時間が過ぎた。しかしまだ注文した品は来ない。

 代わりに康太は目を瞑り一時の瞑想に入っていた。しかし頭に思い浮かぶのは自分の横を所在無さ気に歩き回っている愛子の姿ばかり。

 そして実際に横を動く足音が気になるので少しも考え事ができない。

「…………少しは落ち着いたらどうだ?」

 目を開けて愛子に注意する。

「うん。わかってはいるんだけどね」

 愛子が捨てられた子犬のような瞳で康太を見る。

「…………???」

 康太には何故愛子がこのような瞳を向けてくるのかわからない。

「その……ボクのカッコ、どうかな?」

「…………別におかしい所は何もない」

 愛子の服装に仕事をこなす上で不都合そうな点は何もないと康太は判断した。

「ムッツリーニくんならそう答えてくれるよね……」

 しかし康太の返答を聞いて愛子は少しだけ落ち込んだ表情を見せた。

 けなしたつもりはないのに何故愛子が落ち込むのか康太にはよくわからない。

「相変わらず女心に鈍い男ですね土屋康太」

 いつの間にか康太の隣にコーヒーを乗せたトレイを持った少女が立っていた。

 愛子と同じ服装をしたツインテールをロールさせた髪型を持つ少女。この少女を康太はよく知っていた。

「…………何の用だ、清水美春?」

 2年D組の女子生徒で、島田美波のことを性的な意味で愛しており2年F組にも頻繁に出入りする少女。それが清水美春だった。

 美波と行動を共にすることが多い康太は美春との接点も多かった。しかし、2人が会話を交わしたことはほとんどない。康太は人と喋るのが苦手であり美春は大の男嫌いだった。

「ここは喫茶店で美春はウエイトレスなのですから注文した品を運ぶのは当然でしょう?」

 美春はコーヒーを置いた。不満があることを隠さない大きな音を立てながら。

「…………俺の注文は工藤が取った。工藤が持って来ても良いはず」

 康太もまた不快感を隠さない苛立ち交じりの声でそう返事する。

「あらっ? 工藤さんに持ってきてもらいたいぐらいの甲斐性はあるのですか?」

「…………何が言いたい?」

 視線を交錯させながら火花を散らす2人。

「まあまあ2人とも。喧嘩しないでぇ」

 慌てて愛子が仲裁に入る。

 康太と美春の仲が悪いのは口下手と男嫌いという相性の悪さだけではない。康太は美春の堂々と続ける盗聴行為を嫌悪し、美春は康太の誰にも悟られずに遂行しようとする盗撮行為を嫌悪していた。第三者から見ればどちらも同じ犯罪行為に過ぎないが、当人達同士の間ではとても容認できない考え方の違いの問題だった。

「まったく、あなたの様な豚野郎に頼みごとをしないといけないとは美春も落ちたものです」

「…………頼みごと?」

 美春の口から思ってもみなかった言葉が飛び出して驚く康太。だが、その瞳はすぐに細められ、口元はより一層固く閉じられて警戒の色を露にする。

「美春だってあなたのような人間に頼みごとはしたくありません。ですが、事情は逼迫しています。だから恥を忍んでお願いしようというのです」

「いや、清水さんの態度のどこにも恥を忍んでいるようには見えないけどなぁ……」

 愛子が苦笑しながら美春にツッコミを入れる。美春はこの喫茶店の店主、つまりオーナーの娘となるので愛子は接し方に戸惑っている。そう康太には見えた。

「…………それで、用件はなんだ?」

 美春との諍いを一時中断して本題に入る。

 ムッツリ商会の経営者でもある康太にとっては私情は全て差し置いてビジネスの話をすることには既に慣れていた。

「今日これから閉店までの間、あなたに厨房をお任せしたいと思います」

 美春は下を向きながら大きく息を吐いた。

「…………何故俺が?」

 康太は顔をしかめた。

「お父さん……この店のマスターが急な用事で出掛けなければならなくなりました。美春も一緒にです。お店を工藤さんだけに任せるわけにもいかず、調理もできる人ということで土屋康太。あなたに急遽白羽の矢が立ちました」

「…………臨時休業にすれば良いだけのことだろう」

 調理やコーヒーを淹れる腕に自信がないわけではない。しかし、突然店長代理の大任を任されてもトラブルが起きれば面倒なだけ。康太にやる気はなかった。

「今日は何組かお得意さんの予約が入っていますので店を閉めるというわけには参りません。この不景気、お得意さんは1人でも手放すわけにはいきません」

「…………事情はわかった。だが……」

 重い事情があればこそなお更引き受けるのが面倒になって来る。

「土屋康太。あなたは喫茶店バイト経験ほぼ0の工藤さんにお店を任せて1人帰るのですか?」

 康太は愛子の顔を見た。

 愛子は戸惑いながら目を伏せていた。

 その顔には助力を頼みたいけれどそれを口に出せずに葛藤している様がありありと示されていた。

「あなたは工藤さんを見捨てるのですか?」

「ムッツリーニくん……」

 愛子が康太の瞳を覗き込んできた。今にも泣き出しそうな瞳。その瞳を見せられた瞬間に康太のとるべき道は1つしかなくなった。

「…………わかった。引き受ける」

 康太は溜め息を吐きながら冷めかけたコーヒーを一口啜った。

「あっ、ありがとう、ムッツリーニくんっ!」

 愛子が瞳をパッと輝かせ、顔に明るい花を咲かせた。

「…………別に、お前の為じゃない」

 康太は愛子から目を逸らした。

 けれど、康太の脳裏には愛子の満面の笑みが張り付いて離れなかった。

 

 

 

 康太が厨房を任されてから2時間半が経過していた。

 その間、何十人という客がこの店を訪れたが、2人は何とか無難に対処してきた。

 特に康太はマスター以上の技能と速度で調理をこなしていた。それが愛子にとっても安心の材料となっていた。

 そして康太も愛子がミスをしないおかげで安心して調理に集中することができた。

 夕方が近づき、喫茶店に入る客が一時的に途絶える。

「ごめんね、ムッツリーニくん。手伝ってもらうことになっちゃって」

 愛子はカウンターを拭きながら厨房の中の康太に向けて頭を下げた。

「…………俺は工藤と同じバイト仲間だ。気を使わなくて良い」

 康太はメニューのサンドイッチ用の野菜を切りながら素っ気無く答える。

 黙々と仕事に励む康太の背中を見ながら愛子が言葉を続ける。

「違うよ」

「…………何が?」

「ムッツリーニくんはマスター代理だもん。だからボクはムッツリーニくんの指示で働いているんだよ。ムッツリーニくんは偉いんだよ」

 康太の野菜を切る手が一瞬止まる。だが、すぐにまた軽快なリズムで刻み始める。

「…………もっと有能な奴がマスター代理なら工藤の仕事ももっと楽だろうな」

「そんなことないよっ!」

 愛子から大きな声で反論が返って来たことに康太は驚いた。

「…………だが俺はF組の劣等生だ。それに口下手だからまともに指示も出せない」

 康太にとって口下手はコンプレックスの種だった。

 正確に言えば康太は口下手なわけではない。話すこと自体は好きだ。しかし康太の話は女性を性的な対象とみなしその魅力を語ろうとするといった類のものがほとんどで、男女を問わず敬遠されてしまう場合が大部分だった。

 康太もそれをよく理解しているので自分の趣味の話をしないように常に警戒している。他の分野の話に興味が薄く知識も感心も共感もないこと、そして自分の発言に対する極度の抑制が康太を寡黙なる性職者たらしめている。

 康太にとって愛子は自分の趣味の話が遠慮なくできる唯一の存在だった。しかし、喫茶店の運用に関する話では普段のような調子で会話することはできない。どうしても口数が少なくなってしまう。

「確かに言葉の数は多くないけれど、どれも的確な指示ばかりだよ。ムッツリーニくんってリーダーの素質があるんじゃないかな」

「…………俺には雄二や明久のようにできない。知恵も無ければ人望も無い」

 康太は時々自分の友人たちを羨ましく思うことがある。

 雄二はFクラスの誰からも、そして他クラスの生徒たちからもリーダーとして一目置かれる存在であり、明久もまた部隊長の位置に付けている。また明久の場合には役職がなくても、人を惹きつけるカリスマにより多くの者が明久と行動を共にする。

 対する康太は単独潜行任務に長けているが、チームの中心に立ったことはない。また、中心に立つことを期待されてもいない。自分の役割に不満はないが、寂しく思うことはたまにあった。

「じゃあムッツリーニくんはボクだけのリーダーだね。ボクの知らないことを沢山知っているし、ボクを引っ張ってくれる。それに、人望なら、ね。うん。誰にも負けないよ」

 愛子の弾むような笑い声が背中から聞こえる。

「…………仕事中に無駄口を叩くな」

「はいっ、マスター代理」

 愛子は他のテーブルを拭きに離れていった。

「…………おかしな奴だ」

 気が付くと野菜を切り過ぎていた。

 

 

 それから更に数時間が過ぎ、店はもうすぐ閉店の時間となった。

 だが、そのタイミングでそれは起きた。

「すみません。すみません。すみません。すみません」

 愛子が何度も謝っている声が康太の耳に聞こえた。

「謝って済む問題と思っているの! 料理に髪の毛が入っていたのよ!」

 続けて中年女性客が激昂している声が聞こえた。

「…………やっぱり、起きたか」

 康太は愛子と客のやり取りを耳にしながら溜め息を吐いた。

 営業時間の最後にして康太の恐れていたことが起きた。

「ちょっと責任者を出しなさいよ!」

 女性客のヒステリックな声が聞こえる。

「…………言われなくても行ってやるよ」

 接客業経験の少ない愛子にこの手の客をあしらえるとはとても思えなかった。

「…………クレーマー対策は客商売の基本」

 気は進まなかったが、客を宥めに康太は厨房を出た。

「…………お客さま、どうかなさいましたか?」

 康太は愛子と客の間に割り込むように体を入れ、彼女を庇うように位置取りしながら女性客に尋ねる。

「あんた誰よ?」

「…………当店の支配人代理です」

 女性客が値踏みするような目で無遠慮に康太を見る。

「随分若いのね」

「…………恐れ入ります」

 康太は深々と頭を下げる。

「…………それで、俺……私どもにどういった問題点がありましたでしょうか?」

 そして康太は見極めに掛かる。

 問題の所在と、どんなタイプのクレーマーであるかを。

「料理の中に髪の毛が入っていたのよ!」

 客は憤懣やるかたなしといった表情で乱暴にカレーが入った皿を持ち上げ、その中身を見せた。

 その皿のカレールーの中には確かに髪の毛が1本入っていた。しかしその髪の毛は長髪であり、しかも白みがかっていた。

 康太も愛子も短髪であり髪も白くない。

 女性客の周囲にこの髪質の客もいない。

 となると、考えられる可能性は1つ。女性客自身の髪の毛で間違いなかった。

「…………大変失礼いたしました」

 髪の毛が客自身のものであると知っていながらも丁寧に頭を下げる。

「謝って済むと思っているの? 髪の毛が入っているなんてどういう調理法をしているのよ!」

 客の激昂した声が続く。

 店内に残っていた他の数人の客も康太へと注目が集まってくる。

 客の中には美春が言っていたお得意の予約客もいた。

「…………さて」

 クレーマーへの対処法というのは何通りも方法がある。

 問題の所在、落ち度の有無、クレーマーの性格、他の客への影響、店への今後の影響などの変数により対処法も異なってくる。

 康太の場合にはそれに加えて、自分が1日限りのマスター代理であるという条件が更に加わっていた。

 複雑な方程式を組み合わせながら最も被害が少ない道を選択する。それこそが康太の取るべき道だった。

「…………申し訳ございません」

 康太の選択、それはまず謝罪することだった。

 客商売である以上、いきなり居丈高に振舞うことなどできない。

「…………ですが、この髪の毛は当店の店員のものではないようです。現在この店は2人で回しておりますので」

 康太は自分の髪の毛を触り、ついで愛子の髪を見た。2人とも短髪であることを何気なく示す。

 クレーマー客へのマニュアル的な対処であればこの過程は必要としない。謝り倒してしまう方が早く、またタイプによっては更なる激昂を誘発してしまう可能性がある。

 しかし、康太は敢えて指摘に踏み切った。

 他の客への影響を考えた時に、髪の毛の件でこちらに非があるような振る舞いをするわけにはどうしてもいかなかった。マスター不在でも店を閉められなかったこの店の事情を考えれば、自分が敢えて矢面に立つ方が店への被害が少なくて済むと踏んだ。

「た、確かにそうかもしれないわね」

 幸いにして客の語気は下がった。直情径行な性格なだけで悪質なタイプのクレーマーではなかったようだった。

 客も皿に入っているのが自分の髪の毛であると気付いたようだった。それを口に出して認める気はなかったようだったが、ここまで来れば後はもう康太のペースだった。

「…………何かの拍子に店内の座席などに付着していた髪の毛が混入してしまった可能性はあります。今、替えを準備いたしますのでしばらくお待ちを」

 あくまでも客を立てる体裁を取りながら、自分のペースに引き込んで話を進めていく。

「もう、いいわよ」

 結局、女性客は他の客の視線を気にして早々に店を出ることを選択した。

 康太は女性客が店の外へと出たのを確認してから店内の様子を何気なく、しかし注意して観察した。

 幸いにしてこの一件に関して特に注意を払っている客はいないようだった。それを見てようやく心の中で張り詰めていたものを少し解く。

「…………閉店までちゃんとしろ」

 今回の件で一番衝撃を受けたに違いない少女に一声掛ける。

「はひっ、マスター代理ぃっ!?」

 愛子は返事をする途中で舌を噛んだようだった。口を押さえながら痛がっている。

「…………ラスト・オーダーが過ぎていて本当に良かった」

 康太は厨房に下がるのをやめて、愛子と共に会計と片づけを担当することにした。

 

 

 

 店は閉店を迎え、康太は愛子と共に店内の片づけを行っていた。

「さっきは本当にありがとうね。ボク、あんなの初めてだったからどうしたら良いのかわからなくって」

 愛子がモップを掛けながら康太を見つめる。その視線が何だかこそばゆくて目を逸らす。

「…………クレーム客への対処はムッツリ商会で散々経験済み。どうということはない」

 康太は素っ気無く答える。

 だが、実際にはムッツリ商会では扱っている品物の性質上康太の力が強く、今回のような複雑な状況下でのクレーム対処は初めてだった。が、それは黙っておく。

「ムッツリーニくん、王子さまみたいだったよ」

「…………客に頭を下げるのが王子さまか?」

 康太は、王冠をかぶりちょうちんブルマに宝石をちりばめた服を着た自分が客に頭を下げながらカレーを渡す場面を思い浮かべた。王子とはとても思えない姿だった。

「ムッツリーニくんはボクにとってはいつだって王子さまなんだけどね」

「…………???」

 いつでもどこでも頭を下げながらカレーを手渡す自分を想像して康太は訳がわからなくなった。

 そんな康太を見ながら愛子は

「どうしてあんなに女の子に興味津々なのに、内側は見てくれないのかなあ」

 少しだけ寂しげに呟いた。

「…………手を止めないで掃除しろ」

 康太には愛子の言いたいことがよくわからない。けれど、聞いていて胸に痛みが走る言葉だった。だからそれを打ち消すために掃除に集中することにする。

「はいっ、マスター代理」

 今度は噛むことなく綺麗な声で返事が来た。

 

 

 それから間もなくして店内の清掃も終了し、本日のバイトは終了となった。

 しっかりと施錠して店を出る2人。

 康太は愛子と並んで帰宅道を歩く。

「ムッツリーニくんに送ってもらえるなんて光栄だなぁ」

 隣を歩く愛子は気分が弾んでいるように康太には見えた。

「…………女子の夜道の1人歩きは危ない」

 閉店間際のゴタゴタがあったせいで愛子の帰る時間は普段よりも遅くなってしまった。

「盗撮のプロフェッショナル、ムッツリーニくんに言われると説得力があるね」

「…………じゃあ、1人で帰れ」

「わぁ~うそうそうそ。うそだからぁ~」

 愛子は回れ右して帰ろうとする康太を慌てて引き止めた。

「ムッツリーニくんは、か弱い女子であるボクを見捨てるのぉ?」

 愛子が瞳をウルウル滲ませながら康太を見上げる。嘘泣きなのはわかっていたが、康太には女性への対処法がよくわからない。

「…………さっさと行くぞ」

 再びUターンして元の方向へ歩き出す。

「うんっ♪」

 愛子も康太の横に並んで歩き出す。

「ムッツリーニくんって本当にすごいよね」

 愛子は楽しそうに話し掛けてくる。

「…………何が?」

「写真の腕は超一流だし、料理もプロ級、困ったお客との交渉術にも長けている。学校出たら一番食べるのに困らないのってムッツリーニくんじゃないかな?」

「…………そんなに単純じゃない」

 康太は自分が不器用だとは思わない。超高校級と呼べるスキルなら幾つも持っている。しかし、それで一生生活に困らない保障が得られるのかと考えるととてもそうは思えない。本物のプロの失業者が多い昨今の情勢で、プロ級は生活の安定を意味はしない。

「でもさ、今日1日見ただけだけど、ムッツリーニくんって喫茶店の経営者も向いているんじゃないかな? 調理からレジ打ちまで完璧だったもの」

「…………喫茶店経営はそんな甘いものじゃない」

 康太は溜め息を吐いた。

「確かに実現するのは難しいのかもしれないけどさ、小さなお店を仲良し夫婦で経営することって考えたことない? ボクはね、小学校の時に将来の夢でそう書いたことがあるよ」

「…………小さな店を、仲良し夫婦でか」

 康太の頭は計算を始める。

 家族経営の場合、人件費は掛からないので売り上げが多少少なくても経営を維持していくことは楽になる。

 しかし2人きりで毎日回すとなると、今日バイトしたような店の規模では大きすぎて厳しい。2人で対応するにはメニューの数を絞るか椅子の数を減らすなり工夫が必要となってくる。そうなると小さな店の方が都合が良いのは確かとなる。

 だが、あまり店の規模を小さくしてしまうと、今度は客の絶対数が減ってしまい最低限の収入を確保できるかが怪しくなってくる。いっそのこと飲み屋を経営した方が単価辺りの利益を多く得られるのではないか。そんなことを考えてしまう。

「うん。仲良し夫婦でお店をね」

 思考を途中で遮られ、愛子の方を見る。

 愛子はとても嬉しそうな表情を浮かべていた。

 そして康太の脳裏に「仲良し夫婦で」という言葉がリフレインする。

「…………お前と一緒に店を、か」

 気が付くと康太は自分で意図しなかった言葉を口走っていた。康太はそんな自分に驚いていた。

「えっ!? ムッツリーニくん、ボクと一緒にお店やってくれるのっ!?」

 愛子が今日一番に顔を輝かせた。

「…………違う! 言い間違えただけだ。他意はない!」

 康太は今日一番大きな声を出して否定した。

「そんなに強く否定しなくてもいいのにさ。乙女のプライドが傷付いちゃうよ。ぶーぶー」

 そして愛子は今日一番ふて腐れた顔を見せた。

「…………と、とにかく、喫茶店の経営は将来の選択肢の一つに入れておく」

「じゃあ、お店開くならボクを雇ってね」

「…………将来有望なA組のエリートを満足させるような大金はとても出せない」

「タダでいいよ。ボク、贅沢は言わないから」

 愛子が再び康太の瞳ジッと覗き込んでくる。その瞳は、とても真剣なものに見えた。

「…………タダで雇用するのは労働法違反だ」

 康太は愛子から顔を背けた。愛子の瞳を受け止めるには今の康太には荷が重すぎた。自分の気持ちも愛子の気持ちもよくわかっていない今の康太には。

「…………ところで工藤は何でバイトを始めた?」

 気分転換に別の話題を振る。

 ずっと聞きたかった話題。

 そして自分を苛立たせもする話題。

「ムッツリーニくんはもしかしてボクが内緒でバイトを始めたことを怒ってる?」

「…………何故俺が怒る?」

 誰が聞いても不機嫌な声で否定する康太。

「そんなにムキになって怒るなんて、ボクのことを少しは気に掛けてくれてるんだね♪」

「…………怒ってなんかいない」

 否定すればするほど康太の声は不機嫌になっていた。

「本当は、バイトが終わってから知らせてビックリさせようと思っていたんだけど」

「…………別に俺には工藤がバイトしようがしまいが関係ない」

 康太はもはや意地になっていた。

「ボクが短期のアルバイト始めた理由は、大切な人たちに感謝の気持ちを篭めてプレゼントを贈りたいからなんだ」

「…………両親へのプレゼントか」

 康太は心が少し軽くなるのを感じた。

「うん。それもあるよ。でもね、もう1人プレゼントを贈りたい人がいるんだ」

 もう1人と言われて康太の心は再びざわめき出した。

「…………もしかして、男か?」

「さぁ? どうでしょう?」

 愛子は悪戯っぽく笑った。

「答えは春休みの最終日にわかるから、それまで楽しみにしていてね」

「…………何故、最終日になるとわかる?」

 愛子の謎掛けは康太には難しすぎてよくわからない。それ以前に何か日本語が矛盾しているように聞こえてならない。

「あっ。ボクの家、すぐそこだから送ってもらうのはここまでで良いよ」

「…………おいっ」

「それともムッツリーニくんはボクの家に上がりたいのかなぁ? 両親に挨拶してくれるのならボクは構わないけれど」

「…………これ以上は絶対近寄らん」

 首を横にブンブン振って否定する康太。

 そんな康太を見ながら愛子は2、3歩進んでから振り返った。

「それじゃあまたね、ムッツリーニくん」

「…………ああっ」

「今日は本当に楽しくて、そして嬉しかったよ。ありがとうね」

 愛子は笑顔を残して康太の前から去っていった。

 愛子が去っていくのを耳で確認しながら康太は空を見上げた。

「…………もしかして今日はエイプリル・フールか?」

 携帯を取り出して日付を確かめてみる。

 日付は4月1日ではなかった。

 

 

 了

 


 
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