「………華琳……お姉ちゃん……」
「完全に壊れましたね、あなたも趣味が悪いです」
「ふふふっ」
管路はいつもの妖艶な笑いをしながら、動かなくなった一刀が落とした弓を手にした。
管路が弓を手にした瞬間、弓は指輪の姿に戻った。
「安全プロトコルを仕掛けておいたようですね。私には使わせないつもりですか……中々用意ですわね」
「そんな呪われた武器などどこに使い道があるというのです?」
「あら、こう見えてもこれは中々使い道があるのですわよ。例えば、そうですわね。恨みを持っている二人の人が居るとして、その一人にこの弓を持たせる。もちろん、この弓が自分の魂まで持っていくと知らないその人は矢を撃ち、二人とも共滅…とか」
「そこまで行くと二虎競食の計までもなりませんね」
「計略なんてそういうものですわ。人の感情を読み取って、それを己のために使う。もちろん、いい手札があるなら尚更良いものですが……使えないものを嘆いても仕方のないこと…」
管路はその指輪を自分の服の裾の中に入れて、外を見た。
「そろそろ頃合いですわね。仲達の居なくなったことをまだ知らない今が好機」
「夜撤退すると見せかけて総攻撃をかけるとしましょう」
「いいでしょうね。天の御使いと主、それに頭脳の仲達までも失った曹魏なんて、ただの当て馬ですわ。ふふふふっ」
「………」
于吉はそう言いながら、またもや笑っている彼女を見ながら不思議な感情に陥った。
恐ろしい女だった。
単に左慈を得ようとするのなら、敢えてここまですることもない。
彼女の力があればもっと強引にでもそうすることができた。
なのに、彼女はわざとこのようなことを繰り返す。
人を絶望させ、その瞳から希望というものを取り除くことを楽しんでいた。
この北郷一刀も、また彼女のそういう遊戯の贄に過ぎない。
管理者たちにとって管路と言う場はとてつもない力を持つ地位であった。
管理者たちの中でこの外史を守ったとされるあの貂蝉さえも、彼女の力には逆らうことが出来ない。
彼女の言葉はまさに真実。だけど、その真実とはいつも穏やかではない。寧ろ真実とは、辛く険しいことの方が多い。
彼女はそういう未来という真実を完全に知っていた。北郷一刀のこと、左慈のこと、ずっと前から管路はここにたどり着いていた。
そして、遅く「今」走ってくる我々を見ながら妖艶なその笑いをする管路の姿は、まさにおもちゃを持って遊んでいる子供のようだった。
築くのも、壊すのも彼女の自由。
彼女が真実を知っているわけではなかった。彼女こそが真実になる。
管路とはそういう存在だった。
「さあ、左慈、わたくしめを楽しませてくださいませ。見たいのですわ。あなたなら、あなたにならできるはずです。わたくしめの『予言』を越える未来を作ることが……」
「かああんろおおおおおお!!!」
くぐぐぐぐぅぅーー!!!
――…………
「どうどうやりやったがな。あの狐が…うぅ…む!!」
――………
「左慈よ…なんとか言ってみろ…儂が手をつけることを止めたのはお前じゃ。何を考えておった。何をしようとしておった?何を持って管路に当たろうとしておったのじゃ、左慈よ……」
――……ぃ…
「!」
――ゅ……ぃ……
「……はぁ…そんなに後悔するのじゃったら、何故あのようなことを言いおって…」
――……ゆぃ……
「…はぁ…わかった、儂がなんとかするわい」
・・・
・・
・
「………」
「こんな鉄壁の端っこで何をしておる」
「………」
「……あ奴も本心では言ったわけではおらぬ」
「分かっています……分かっていますけど……っ」
「………」
「少し、あの方のことを分かったって、あの方に近づけたって思っていました」
「……」
「失った目を取り戻して、初めてあの方の姿を見た時…それがとても嬉しくて…ずっと側に居たいと思ってしまいました」
「……」
「なのに……本当はわたくしのことを、頼りにしてくれないんだって……まだわたくしは守られる側で…本当の意味であの方を守ることを許してくれないんだって…」
「お主を失うことが恐ろしいんじゃよ……」
「……」
「お主は、この世で唯一あ奴が心を委ねることが出来た女じゃ。昔からその有能な才で注目されて、その分警戒する輩も多かった。その中信頼出来る仲間なんざ得ることもできず今までに時を流していたんじゃよ」
「……」
「あ奴と一緖に居る奴はいつもあ奴の才を自分の利のために利用しようとしかしなかった。于吉がそうで、管路がそうじゃったようにの…じゃが、お主は違った。全てを自分に委ねて来るお主のような存在を、左慈あ奴はその時初めて見た」
「だから、いつもわたくしは守られる側に立たなければならないのですか?」
「……お主が管理者たちの間の戦いがいかにも厳しいか分からん。もしお主が管路の手に落されたりでもしたら、左慈は本気で狂ってしまうぞい。北郷一刀までもあんな風にさせておるのにお主のことは前に出せない理由に何故気付かん」
「私だってあの方を守ってあげたいんです!いつも守られてるばかりで……あんなボロボロな姿になっているのに何にもできないなんてあんまりではありませんか……」
「……あ奴の側に居てやってくれ」
「…………」
「寂しがりな奴じゃ。あの御使いほどに…人と一緖に居ることが初なやつよ…いつも人の温もりが恋しくて、一人になることに誰よりも慣れていて、それを誰よりも嫌う」
「……」
「誰かが支えてあげねば崩れてしまう」
「……駄目です……」
「孟節…」
「あんな姿を見守るだけだなんて…わたくしの心が持たないのです…」
「……」
「せめて助けられる力があるのなら……あの悲しみを分けて背負う力が、わたくしにあるとしたら……」
べしっ!
「んなもん神でもできんわ!」
「……っ」
「あ奴の悲しみの深さがお主に分かるか!何百年を生きてきても振り向くと一人でいる悲しみが、苦しさを!お主なんぞ百年も生きたら長引きする種族に背負えられると思っておるのか!厚かましいにもほどがあるわい!」
「……」
「三千年も生きた儂でも、あれほどの絶望を経験したことはおらぬ。…何故あ奴がお主があの小童をこんなにも助けようとするのか分かっていないのか」
「!」
「似ておるじゃ。100年も生きていられないお主たちが感じたその絶望の深さがあ奴に似ておったから、あ奴は持っている全てを持ってお主らを救い続けた」
「…」
「なのに、何じゃと?あ奴の姿を見守ることさえできぬじゃと…?それもできない奴にあ奴の悲しみが背負えられると思うか!」
「ッ!!」
「……それじゃ、あ奴はどうすれば良い?このままあの絶たない孤独の中で生き続けというのか?それならお主は何故ここに居る」
「…そんなことは…!」
「ならさっさとあ奴のところに行け!もう手遅れになる前に…あ奴だっていつまでも待っていられるわけではおらぬのじゃ!本当に辛くなってしまえば希望の糸が現れても怖くてそれを握れなくなる。そしたらいくらお主じゃとしてもあ奴を救うことなんて出来ぬ!」
「……わかり…ました……」
・・・
・・
・
――……ゅい……
「……左慈、さま……」
――…ゅ……ぃ…」
「先からお主の名前ばかり呼んでおる。事が終わるまで忘れていようとしていたんじゃろう。儂が連れてきたせいで……」
「左慈さま…わたくしはここに居ます」
――……
「わたくし…力不足で…頼りになんてできないかもしれませんけど……せめてお側に居させてください…それまでもできなければ……あの時あなた様に受けた恩、一生返すことができなくなってしまいます…」
――……結以……好き……
「…はい……わたくしも……」
西涼の戦線。
「報告です!後退していた敵軍が反転!後退中のこちらの歩兵隊に向かって突撃中です!」
「なっ!」
夜になって引き上げる敵を見て、同じく陣に引き上げていた稟たちは、突然の敵の奇襲に驚いた。
状況を読みそこねた稟の顔から血気が消える。
「あっちゃー、奴らの罠やったか」
「……私の考えが甘かったです…春蘭!後方の殿部隊の護衛を…!これ以上兵を失うわけにはなりません!」
「分かった!秋蘭行くぞ!」
「ああ、流琉」
「はい!」
春蘭と秋蘭が後方へ向かうが、被害は避けれない状況だった。
続く厳しい戦いに、魏の兵たちの士気はガタ落ちであった。
敵は疲れを知らない人形兵。しかも数でも圧倒されていた。戦いを覆す手が見えなかったのだ。
「この戦…このままだとうちらだけじゃ持たん……」
「でも諦めるわけには行きません!このままだと、華琳さまや紗江殿に見せる顔がありません」
「別に稟のせいでちゃう」
「……ッ!」
敵の力は数だけではなかった。
その陣形、戦術。
人形だと言って愚かだと言うことはなく、まるで後から誰かが思うがままに操っているかのような的確な動き。
相手の軍師はこの戦いを将棋盤のように全体図としても見ることでも出来るというのかと、稟は心の中から叫んでいた。
乱戦であった。
混乱している戦いの中、策が通じる場面は少なくなっている。
助けに来てくれた紗江さえも怪我を背負い戦線から離れ、桂花と風は呉に居た。魏で唯一残っていた稟はここまで頑張ってきた。
が、それももう限界に達している。
だけど、
「ここで諦めるわけにはいきません」
いつか自分が華琳さまの頬を打ちながら言った言葉があった。
私は覇王の軍師であった。諦めることなんてできない。
勝つ方法がなければ創りだして、戦いで勝ち抜くことを常に考えなければならない。それが覇王曹操の軍師としてあるべき姿。
「馬騰殿と鳳統殿に連絡を。間に合わないかも知れませんが、こちらの情報を知らせてください!」
「わかった!」
霞も稟の元を去って、稟は一人になった。
「華琳さま……私に力をください……」
チュッ!
「!」
「これで足りるかしらね」
自分の唇が抑える感覚を感じた稟の前に、そこにいるはずのない華琳が立っていた。
「!か、華琳さま!どうしてここに……」
「あら、足りないの?欲張りな子ね」
チュッ
もう一度彼女と口が重なって、華琳は唖然としている稟を見て行った。
「私はこれより五胡の地に行くわ。誰にも言わないで頂戴」
「!そんな…」
「あなたが言ったでしょう?諦めることは私らしくないって…」
「あ……」
「だから私は諦めないわ。必ず、この手で得て見せる。あの子の幸せを、取り戻して見せる。例えあの子が死ぬことが天の定めだとしても、それさえも打ち砕いて見せる。それが今の私よ」
「………」
稟は息を飲んだ。
これだ。
これこそ私が仕えてきた方の真の姿。
まさに覇王。
あの方の姿が戻ってきていた。
「ここをお願い。桂花たちが来るまで…私があの子を連れて帰ってくるまで、絶対に負けては駄目よ。これは命令だからね」
「…は、はいっ!」
「良い子ね。…それじゃあ」
そして、華琳はまだその姿を消してしまった。
「……うぶっ!」
そして、稟は自分の鼻から噴き出る鼻血を自分の手で抑えながら姿勢を保った。
風も居ないところで、魏の一人残った軍師が一瞬でも倒れるわけにはいかなかった。
増して、覇王の命令を受けたのだから……
「思ったより時間がかかってしまったわ」
まだ半分も来ていないのに、夜になってしまった。
私の軍は夜襲を受けて戦線を崩しているし……私があそこに居てもあんな風になったのかしら。
でも…私はあそこにいるわけには行かない。
もっと大切なものがあるわ。
今じゃないと永遠に失ってしまうそれがあの西にある。
「待っていなさい、一刀」
まだよ、
諦めていない。
私も、あなたもまだ諦めていないのよ。
だから、誰も言わなかったのよ。
願うは大陸の平和。
願うは民たちの安らぎ。
願うは、あなたの幸せ。
「何一つ、まだ諦めるには早いのよ」
絶影、もっと走って頂戴。
あなたには今まで以上に走ってもらわなければいかないわ。
ヒヒーィーー!
結以がくれた薬におかげで誰にも気づかないまま西涼の地を越えることが出来る。
だけど、その先はどうなるか分からない。
自分自身の身の安全も知らない状況で、あの子を守ることができるのかしら。
ううん、できるかじゃないわ。
やるのよ。
天下なんて誰でも取ることができた。
才があれば、徳があれば、武勇があれば、誰にでも値していた。
だけど、
あの子を助けることは、私にしかできない。
あの子の幸せの形を見た。
あの笑顔はいつも私のためにいた。
あの子の絶望する姿を見た。
その笑顔の裏側の泣く姿を、悲しむ姿を、喚き悔しむ姿が今でも頭の中から消えない。
そんなあの子を見ながら、私は喜び、安心し、癒された。
あの子の不幸を私の幸せにしてきた私の姿がいた。
初めて会ってから今に至るまで、あの子のために今まで沢山のものを諦めていたと思っていた。
だけど、それはあの子が私のために諦めたことに比べたら微々たるものに過ぎなかった。
全てを持っていた私と、それしか持っていなかったあの子。
どっちの方がより多く失ったかは明らかだった。
そして、私は返さなければならない。
私が持っている全てを持って、あの子からもらったものを返さなければならない。
だから……
「私を置いて行かないで」
・・・
・・
・
夢は終わらない。
いつまでも続く同じ光景
――……
――……と…
――かず……と…
ずっと、呼んでくれている。
――……一刀……
あの血まみれになってしまった、
なにもかもが死を迎えたあの地で…
――……秋蘭お姉ちゃん?
地面に倒れている秋蘭お姉ちゃん『だった』ものがあって
桂花お姉ちゃんがあって、春蘭お姉ちゃんがあって、
凪、沙和、真桜お姉ちゃんたちがあって、
季衣、流琉お姉ちゃんたちがあって、
霞お姉ちゃんがあって、
風と稟お姉ちゃんたちがあって……
紗江お姉ちゃんがあって…
皆が倒れて、息をしないまま、倒れているその絶望しかいない場で…
――一刀……
!
華琳お姉ちゃんは……ボクのことを呼び続けていた。
華琳お姉ちゃんだけが、生きていた。
誰もがなくなってしまった。
誰も華琳お姉ちゃんを助けてあげることが出来ない。
――一刀……
なのに、華琳お姉ちゃんはボクだけを呼びつづける。
危ないのに。
ここは戦場、
死体なんかを抱えて喚いてるなんて、華琳お姉ちゃんらしくもないのに
なのに、
ーー一刀……
呼んでくれている
ーー目を覚まして……一刀!
華琳お姉ちゃんだけはボクを離さないでくれる。
ーー私を一人にしないで!
ボクのことを頼りにしてくれる
ーー私を守って…
だから、
ボクはこの人を放って死ぬことなんてできないの。
「華琳お姉ちゃん……」
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望みが絶たれたと書いて絶望という。
絶たれるということはそこに絶たれる望みがあったということ。
つまり、望みが絶たれることもあるのなら、それをまた得ることもできるはずだと……人はそう思いながら今日も辛い息をしている。それが希望。