遠い夢から醒めた。
気だるさの残る目覚めだ。
意識はまだはっきりとしていない。どれだけ長い間を眠っていたのだろうと考えるが、それすらも段々と面倒になってきた。
とりあえずここから出ようとカプセルのような寝床から起き上がる。
広いが暗い、正方形の空間だ。カプセルのほかには何もないと周囲を見渡すが、背後に巨大なフラスコがあった。底が球体のフラスコはクランプか何かに固定されているわけでもなく、フラスコの底は円を描くように揺れている。
だが、その底が一部欠けている。フラスコの中にはドス黒い煙のようなものが充満しており、なのにかけている部分からは何も洩れてこない。
それ以外は何もなかった。
どうやらこの部屋は、この装置のためだけの空間らしい。
では、何故ここにいるのだろうか。それを思い出すために、目覚めたばかりの自分の身体を見下ろして確認する。
「色々と…小さいな」
まず見たのは手。見慣れたはずのものよりも二周り以上小さい。見える視点もどこか低く感じる。ということは背丈も相当低いということだ。しかも裸。ナニも隠されていない。
まるで十歳前後の子供の大きさだ。
だが、記憶に残っている最後の断片では二十歳以上だった。肉体と精神がどうにも噛み合わない。眠っていたからというのもあるだろうが、この感覚のズレはそれだけではない。
「起きたようだね。どうだい、楽しかったかい?」
呆然と全裸の身体を眺めていると、暗い部屋に光が入ってきた。
その光を逆行として立つのは男だろうか。中世的な顔立ちで、白衣にネクタイと明らかに研究員だと主張する服装をしている人間が立っていた。
「シャリオ―――ゴットフリート…」
「その様子だと、記憶の混濁しているようだね。まあそれも時間が経てば直るよ。それと、いつまでそうしているつもりだい、君は」
シャリオと呼ばれた研究員が近づき、少年の正面で止まるとしゃがみ込んだ。
「とりあえず服を…と言っても持ってないからな。これでも着てなさい」
そう脱いで掛けられたのは白衣だ。
少年は無言のまま掛けられた白衣に袖を通して前も隠すが、大人用の寸法に子供が合うはずもなく、余った袖や裾がだらしなく垂れ下がっている。
その姿を見たシャリオが微笑む。
「笑うな。それに気持ち悪い」
「どうもありがとう」
「褒めてない」
訝しげに睨むがシャリオは微笑んだまま表情を変えずに立ち上がった。まるで子供の手をを引くようにシャリオが手を取ってくるが、巫山戯るなと掃った。
やれやれとシャリオは首を振り、部屋から出て行くのを少年が後を追う。
部屋の外は左右に伸びた通路だった。暗闇の中にいたので通路の明るさが目に染みるがすぐに成れた。
先を行っているはずだったシャリオが、微笑みながら少年が追い付くのを待っている。
ムッと余計に不機嫌にしながら駆け足で向かう。
「子供扱いするな。何だその幼い息子が追ってくるのを楽しむ表情は」
「何言っているんだい。君は、子供だろう」
「そうやって…ておい。頭を撫でるな」
それは残念だと苦笑しながら手を離した。
踵を返したシャリオが再び歩き出し、その横に並ぶように必死に付いていく。
「もう少し、ゆっくり歩こうか?」
「何度も言わせるな。子供扱いするな」
「でも、君はどこからどう見ても子供だよ」
シャリオの言っていることは間違っていない。だが、それを感じさせるのは背丈だけで、雰囲気や声色は大人が放つものだ。感覚が今まで異なって感じるのが、一番の要因だろう。
本人もそのことは理解しているだけに、何も言い返せずに黙ってしまった。
「で、転森(てんしん)フラスコはどうだった?」
「転森フラスコ…?」
「君が入ってた“世界”のことだよ」
シャリオの言っていることが少年には今一理解出来なかった。
問いは出さず、しかし疑問符を周りに浮ばせて首を傾げる少年に、やはり微笑みながらシャリオが答え始めた。
「もっと正確に言えば君の後ろにあった、あのフラスコのことさ。実験の一環で造り出したものでね、君はその中で大体二十年以上の時間を過ごしたんだよ。けれど、それはあくまで転森フラスコの中での話。現実の中では二日も経っていない」
だから、
「だから君は今感じている感覚と、今まで感じていた感覚にギャップを感じているのさ。君が転森フラスコの中で死んだのは二十歳以上だったんだし、本来の十歳前後の姿に急に戻れば当然だろうね」
少年が感じていたモノは間違いではなかったようだ。
そして、それは子供が持つには重過ぎる歴史でしかない。いかに感覚の中では二十年以上も生きていたとしても、実際は十歳前後。
だが、それすらも少年からすればどうでもいいことだった。
「あれはもういらないね」
だったのに。
その言葉に見上げたシャリオの微笑みに、隠れるようにしながらも表れた狂気を見た気がした。
瞬間、背後から甲高い破砕音が耳に届いた。言い喩えるのならば、その破砕音は硝子のコップを叩き割った音だ。細かくに別けられた硝子がさらに小さく鋭く散っていくその様が、音だけで容易に想像出来る。
「いらないものは捨てる。単純な理由で、最も分かりやすいだろ」
「だからって壊す必要はないだろ」
「まぁね。でも、どうせあの世界はもう終わったんだ。終焉―――否、ここでは演じるのを終える意味での終演かな。君はあの世界で仮想設定された自分を演じていたんだから、こっちのほうが正しいな」
楽しそうに微笑むその研究員に、少年は少し気圧されていた。
仮想設定とはいえ、認識や感覚の中では転森フラスコで二十年以上過ごしていたことになる。実質は二日未満なのだが、それでも、あそこには確かに生活の習慣が出来上がっていた。それが全て演舞だったとは、どうにも理解が追い付かない。
「それに、あの中にまた新しいモノをつくる気はないからね。だったら、邪魔なんだから捨てるのが理に適っているだろ」
「もうつくらないのか」
「残念かい? それとも君はまた私が設定した世界に行くとでも考えていたのかい。それは単なる勘違いだよ。何故なら、あれはあれで一応成功したからね。一度成功して満足したのに、少し違うだけのものを研究者がまたつくると
思うかい。答えは否定(ナイン)さ」
残念だったかと問われれば、この問いはふと出た疑問でしかなかった。
「まぁ結局は少し弄っただけで崩壊するような世界だったみたいだけどね」
「“弄った”? あの戦争がお前が惹き起こしたのか?」
ヤー、とシャリオは肯定した。
「何て言ったっけ、あの国…そう、グーテルなんとかだった気がするけど」
「グーテルモルグだ」
「そう、そうだったね。そのグーテルモルグの中でも、最も面白くなりそうな人形の設定を少し弄っただけで戦争に発展した。元々あの国は異種からの攻撃に耐え続けてながら生きてきて、準備が整ったさぁ反撃しようとしたら、いつの間にか協定やら何やらが出来上がっていて、手出し出来る状態じゃなかっただろ」
「そうだな。不満と苛立ちという起爆剤は幾らでもあったからな。しかも数十年分の濃厚なのが」
「だから別に、あの人形でなくても、少し精神的に後押しすれば、そうだね、一般市民一人だろうと、あっという間に伝播して同じようなことが起きただろうね」
実際、あの人間の起こした行動は市民に支持され、軍派遣などという暴走の後押しとなった。派遣されたグーテルモルグ軍は各国の了承すら得ずに乗り込み、協力すれば良し。しなければ敵性国家として攻撃する暴挙にまで発展していた。
同盟国だったフォリカの声明は聞き入れず、情けということで侵攻こそしなかったが、内心は煮えくり返っていたことだろう。
「これがあの戦争の真相かな。B級どころかC級映画みたいな感じだったけど、シチュエーションとしては面白かっただろう」
「面白いわけないだろ。そんな子供にお話を読み聞かせた後みたいな微笑みは止めろ」
「いやだってね。たった二日も経ってないのに雰囲気変わり過ぎだよ。見た目は子供のままなのにさ」
シャリオを無視する。
「だけど、何故関渉なんかしてきたんだ。フラスコの中での二十年余りが二日未満なら、百年経とうと実際の時間じゃあ十日に掛らないだろ」
「まぁね」
「なら、そんな急いで終わらせる必要なんてなかったんじゃないのか」
あ~、と気の抜ける声で頭上から聞こえてくる。
相変わらずの微笑だ。何を考えているか全く分からないが、出てくる回答はこの研究者特有の楽しみを含んだものだろうと少年は思う。
だが、それは良くない意味で裏切られた。
「終演させた理由はもう一つあってね。君がいつまで経っても本来の目的を果たそうとしなかったから、だから終わらせたんだ」
「本来の目的?」
「そうさ。私は何故、君をあの仮想設定の世界に送り込んだと思っているんだい。しかも時間設定を数倍に加速させて。それは、君自身の幼さの克服と足らない経験値を補うためさ」
シャリオがそのまま続ける。
「君にはやって貰いたい…否、君に付き合って貰わなければならない実験があるんだ。だけど実験をするには君は幼すぎるし、十年前後の経験値じゃあ足りない。だから君を転森フラスコの中に送り込んで経験値を稼がせると共に、転森フラスコ自体の実験も行ったんだよ。まぁそれ以外にもあったけどね。だというのに、君は経験値を稼ぐどころか無駄な時間を消費するようになった。成果も結果も出ないのに、長々と待つのは主義じゃないんでね。だから、人形を弄って終わらせたんだよ」
忘れたのかい、と見下ろすシャリオは微笑んだままだ。だが、今はその微笑みが恐ろしく気圧される。
「黒い森の中を彷徨い、倒れていた君を拾い助け、さらには衣食住まで簡単にだが揃えてあげたんだよ。研究者は無駄なところに知力を注がない。逆を言えば、研究者が何かするのはそれ以上の代価や結果を望み、期待しているということだよ。だから君を拾ったんだ。じゃなきゃ君を拾う理由なんかないさ」
「…俺すら実験の対象、ということか?」
「肯定(ヤー)。…言っただろ。君には経験値を積んで欲しいと」
シャリオが立ち止まり、身体を向けてきた。
いい訳か何かを望むように止まったシャリオに言い返さなければならないと思いつつも、上手く表現しようと考えても言葉が出てこない。
双方共に、沈黙。
だったが、終わらせたのは始めたほうだった。
「まぁ、終わらせたと言っても、弄ったから転森フラスコも少し損傷してしまったようだけどね。無理に関渉したからかな。そっちだと何か変わったことなかったかい?」
「変わったことか…そういえば一度、何か割れるような音が聞こえたような気がした」
「お。やっぱり影響してたか」
そうかそうか、と陽気に歩き出した。
威圧感は和らいだが、研究者に気圧されていたことに戸惑いと怒りを織り交ぜたような敗北感を覚えながら、その後を再び追い始める。
「でもその時は俺にしか聞こえなかったようだけど」
「ふんふん。それはきっと、君がフラスコの中で生まれたんじゃなくて、その外から入ってきた“異物”だからじゃないかな」
「異物?」
「君はフラスコ内で循環して生まれた存在じゃなくて、後付によって存在を確立させてから中に入って生まれさせたからね。だから外で起きた、フラスコに影響することも敏感に感知出来たんじゃないかな。まぁ、調べるつもりも深入りするつもりも興味もそれほどないから、この程度の解釈でも十分かな」
「研究が生き甲斐の奴が、いい加減だな」
「言っただろ。“調べるつもりも深入りするつもりも興味もそれほどない”てね」
演奏するようにシャリオが手を軽く振るう。
そんなシャリオは内心で絶対にウインクしたに違いないと断言する。そんな雰囲気が気持ち悪いぐらい溢れている。星やら華やらが散っていてもおかしくない。
こんな奴に気圧されていたかと思うと情けなくなった。
だが、違和感が残る感覚と未だ曖昧な記憶なのは、この研究員が原因で“転森フラスコに入る”以前に戻すには必要不可欠なのは理解した。
そんな、子供に相応しくない思考だけは転森フラスコにいた時と変わらない。
それだけは唯一の救いだろう。
脇の通路に入ったところで、シャリオがいい加減に着替えようと言ってきた。少年が着ているのは、シャリオが掛けてくれた白衣一着のみ。さすがに、このままでいるわけにはいかないと頷く。
そして連れて行かれた先は小さな個室。
白で統一された空間の左右を並ぶロッカーは、まるでどこかの部室や更衣室を連想させる。というより、そのとおり、そのまんまだ。
ロッカーの列の中から少年の名前のものを見つけ、開けると入っていた紺色の衣類に着替える。
紺色の衣類は甚平(じんべい)のようなラフなものだった。少年が転森フラスコに入る以前に着ていたものだろう。幼い身体にぴったりと合い、キツイと感じる箇所はなかった。
そして、ロッカーに残されたのは一本の反った木の棒。
これも少年の持ち物なのだろうかと疑問に思う。だが、少年の名前が書かれたロッカーに入っていたのだから、そうなのだろう。
左手で携えるが、とても重い。本当は外装だけが木で、鉄か鉛でも仕込んでいるんじゃないかと疑うほどだ。
更衣室を出ると、当然のようにシャリオがいて、
「うん。君はやっぱりそっちのほうが似合うよ」
などと意味深なことを言いつつ、またしても微笑みながら頭を撫でてきた。
「……………………」
なので、少年は借りていた白衣をその満面の笑みに投げ付けてやった。
「ッ! …まったく、素直じゃないな、君は」
「なんか誤解されるような言い回しとかするからだ」
「誤解…? 誰にだい?」
周囲には当然のように誰もいない。
しかしこれは精神的な問題だ。いい大人の研究員と、肉体は子供だが精神は成人男性とが“似合うよ”“ありがとう”なんて語り合っていたら、誰が見ていようと見ていまいと返した少年が精神的に異常が来たしそうだ。
「さてと、身だしなみも整えたことだし、行こうか」
キッと睨みつけるとシャリオは渋々と白衣を羽織ったが、その笑みだけは崩さなかった。
そして歩き出し、その後を少年が追うという構図がまた出来上がる。
「行くってどこまで行くんだ」
「研究室だよ」
「…お前の玩具に入った唯一の人間を解析か解剖かでもするのか」
「それも面白そうだね―――って止まることはないだろ」
「お前の言動は冗談なのか本気なのか分からん」
そのまま歩いていると少し広い空間に出た。その壁には三台のエレベーターが備え付けられ、そのうちの一つにシャリオが近づくと自動的に開いた。
導かれるように二人が入ると行先を指定していないにも関わらず、閉まった。このエレベーターらは行先が予め決められているようだ。ガクンと揺れると身体が軽くなるような浮遊感を感じた。地下に潜っているのだろう。
「そうだな…言うなれば君は、使い捨ての助手のようなものだからね。取り合えず、解体することはしないよ」
「取り合えずかよ」
「まぁ研究者というのは自分の欲求第一だからね。有言実行は出来ないし、やらないよ」
言ったことをやる必要も義務もないからね、と苦笑しながら頭を撫でてきたので振り払った。
「でも、君には悲しいだろうけど興味は湧いたね。今すぐ、はしないけど、いずれは解析してみようか」
「この身体をか」
ナイン、と否定される。
「転森フラスコは身体になんら影響を及ぼしてないよ。してたら君は精神相応の肉体になっているさ」
「じゃあ、どこを…」
「魂さ。未だに議論を繰り広げられているヒトを構成する三大要素、“肉体”“精神”“魂”の一つ。動植物全ての生物、生命体が持つ設計図。専門分野はそれだからね」
「なら転森フラスコは関係ないだろ。あれはむしろ精神が関係しているんじゃないのか」
「そうだけど、言っているだろ、あれは研究が目的じゃなくて、君の経験値を稼ぐためだって。でも…そうだね。魂と肉体は精神を介して繋がっていると云われているけど、実際にどうだろうね」
「実際もどうも、両方を繋いでいるのが精神なんだろ」
精神は魂と肉体を繋ぐもの。
この三者の関係には様々な説が流れている中、一番浸透しているのはこの説だろう。
明確に述べれば、それは人の有り様。百人居れば百通りの考えが生まれ、どれもが正解で、どれもが間違いでもある。この問題に明確な解答は存在しないのだ。
もし、出せるのであれば、それは“神”という概念的な存在だけだろう。
「でも、もしそうだとしたら魂と肉体を繋ぐものを失って君は今頃死んでいるよ。転森フラスコに君の精神を送り込んだんだから。となると、やっぱり三大要素は精神を返して繋がっているんじゃなくて、三者それぞれが、また別の何かを介して繋がっているのかな」
「勝手に自己解決するな。意味が分からん」
「簡単に中略すれば、魂と肉体の“二点”は精神という“線”で繋がっているんじゃなくて、魂、肉体、精神の“三点“がまた別の、何らかの“線”によって円を描くように繋がっている、て考察したんだよ。でないと、今ここで君の魂が肉体と繋がっていられる理由にはならないからね」
それでね、と続ける。
「今回の転森フラスコの場合、精神という“点”を持っていったけど、その力が消えたら三者が安定するように“線”が引っ張るんだよ。こう考えれば、離れていた精神が戻ってくるだろ」
途中から話を聞くのが面倒になってきた少年が導き出した回答は、
「あー…つまり輪ゴムか」
どこを摘まんで引っ張っても、指を離せば勝手に戻ってくる。円だの引っ張るだの繋がるだのと聞かされ、真っ先に思い立ったのが輪ゴムだった。
「そうだね。そう考えれば解り易いかもね。ならその他も然りだし、その応用も可能ということか」
また何か企んでいるのかと見上げれば、やはり笑顔のまま。出た感想は、
「話が随分と反れたけど、魂はそんなぐあいに精神、肉体と強い結びつきがあるんだ。今向かっている研究室もその魂を研究するために造ったんだ」
―――キモチワルイ。
降下と同じ振動がエレベーターを揺らすと正面の扉が開いた。
時間からして、随分と深くに潜ったようだ。よくこれだけの深さまで掘って造り上げたものだと感心する一方、逆をいえば、それだけシャリオにとって重要な場所ということだろう。
開いた扉の先は閉じる前のような通路ではなく、無駄に広い球体の上部半分のような空間だ。曲線で形作られた壁全体には十五個の映像が映し出されていた。
モニターが十五個あるわけでも、一個のモニターが十五に分けられて映し出されているわけでもない。だからと云って、映像を映す機材は見当たらない。個々に浮んでいる。または壁に張り付いているようだ。
だが、それ以外には何もない。
研究室と呼ぶには貧相過ぎる部屋だった。
「なんだ、ここ…」
「言っただろ、ここが研究室さ。まさか、魂を解析するための装置やら機械…もしかして実験道具とかがおいてあると思った? そんなもので調べられるほど、魂は生易しいものではないよ」
「じゃあ―――」
「じゃあ、どうやって研究しているのか…かい。それは秘密さ。自分の研究方法を見せるほど、研究者は優しくないってことさ」
「…なら、どうしてここに連れて来たんだ。見せるわけじゃないんだろ」
「んん~そうだね、見せるものが違うかな。あれが何か分かるかい?」
そう指差したのは一つの映像、ではなく、映像の群れ。
十五の映像のうち、十三までには子供たちが入っていた。その誰もが同じアルビノ容姿をしていて、異なるのは成長度合ぐらい。少年と変わらない十歳前後から、幼女と呼べるような幼さ残る少女たちと様々で、起こしている行動も様々だった。
十五は空だ。そこには誰もおらず、白い部屋だけが寂しそうにしている。
そして、残された十四は、この部屋を映していた。
「幼女たちの部屋に設置したカメラから送られてくる盗撮映像か」
「まさか。幼い女の子に興味はないよ」
「どう見ても拉致監禁した可哀想な少女たちにしか見えないぞ」
「可哀想って、それなら寝たり走ったり逆立ちしたりなんかしないだろ」
「なら何なんだ、あれは」
エレベーターから出て、シャリオが部屋の中央を目指して歩き出した。
少年のその背中を追わず、しかしエレベーターからは降りると、全周囲に貼り付けられた映像の数々に驚きの吐息を洩らしていた。
「研究成果…または素材とでも言えばいいかな」
「成果なのに素材?」
その矛盾に疑問符が浮かぶ少年に、シャリオが楽しそうに口を開く。
「そうさ。形作られても、それがどのように人体に作用するか分からないからね。魂は形にするのが一番分かりやすい。だから成果であって素材なんだよ」
「………」
「倫理や道徳に背く、とでも言いたいのかい。でも、そんなものはその時々、世界の混迷具合で異なるし、何より研究者からすれば邪魔な背徳感(ストッパー)でしかない」
「だからって…これだけの数を」
「実験をした回数で罪になるかどうか定まるのなら、
それこそ倫理や道徳はいらないよ」
部屋の中央で立ち止まったシャリオが白衣を揺らしながら振り向いた。
「それに、これはもう始まったこと。計画は戻らないし、止まらない。今更問われても、出てくる回答は全て事後だよ」
利己と研究欲が渦巻いた言動を繰り返すシャリオ・ゴットフリート。そんなシャリオが言った言葉に含まれていた計画とやらの一端か核心かが、あの少女たちなのだろう。
存在理由が研究とはいえ、彼女たちは今ここで生きている。それを非として見るならば、今の少年もそうだろう。
生誕したことに哀れだと思うべきか。存在出来たことに喜んであげるべきか。
僅かな葛藤が脳裏で繰り広げられるが、彼女達のことを殆ど知らない少年に決着させることは出来なかった。
「さてと、そろそろ連れて来た理由を紹介しようか」
「理由を紹介…?」
普段繋がらない言葉に戸惑いつつも、復唱して問う。
「そう。コレを君に見せたくてね。不思議に思わなかったかい。他の映像にはちゃんとアレがいるのに、十四と十五には何もいないことを。十五はまだつくってないから白いままだけど、十四はこの部屋を映しているということはいるんだよ、ここにね」
ここ、と聞き返すと返ってきたのは肯定(ヤー)。
シャリオが脚で白い床を三度踏むように叩くと、滲み出るようにして彼の横にそびえるように黒い球体が現れた。高さはシャリオより少し低い程度だが、球体であるためより大きく見えてしまう。
「あの映像はアレを自動追尾してその動向を確認し、記録に留めておくための、普通の観察用カメラと変わらないさ。だからほら、黒い球体(コレ)が映し出されただろう」
「なら、この中には―――」
「そう。十四番目がいるんだよ、この黒い球体の中に」
シャリオの口先が釣り上がると同時に球体が破裂した。
飛び散ったゲル状の黒い物体は破裂地点を中心に周囲の床に付着し、しかしシャリオを避けるように広がっていた。それなりに衝撃もあっただろうに、その横にいるシャリオは涼しい顔で立っている。
そして、球体の破裂地点。その中央だった場所には少女の裸体が立っていた。意識はないらしく、眼は虚ろでふらついている。
裸体…裸体、裸体か~、と呆然とその未発達の裸体を見ていた。
「さっきの言葉を返すようだけど、君のほうが女の子に興味があるんじゃないのかい?」
「巫山戯るなっ!」
ははゴメンね、と少年は笑われた。
少女の立ちながら揺れ、まだ覚醒しないのかと見届けていると突然少女の胸がビクンと仰け反った。反動で宙に浮き、身体は仰け反ったまま静かに着地すると前屈みに膝を折り、再び立ち上がる。
その時には、鮮やかな双眸に先程までなかった色が灯っていた。
「どうやら、ちゃんと覚醒(きのう)したようだね。他の二要素との拒否反応も起きていないようだし、調子はどうだい?」
「何…ここは…?」
半ば放心状態の少女が横にいるシャリオを見上げ、その動作に続いて少年の方に視線を向ける。途端に少女の表情が息を呑んだ。緊張や驚愕ではなく、感激が映し出されていた。
反比例するのは少年の困惑度。
少年からすれば、少女は初めて見る存在であり、実験によって生誕した未知数でしかない。そんな涙で潤ませた視線を向けられても困る一方だった。
だが、シャリオは二人のことなど無視して独り話を続けた。
「コレも含めた実験体の教育を君に一任するよ。どのように成長させ、調教しようと君の自由だけど、同時に君自身にも様々な経験をしてもらうよ」
「またフラスコのようなものに入って人生を繰り返せとでも言うのか」
「八十点かな。転森フラスコは手間が掛かるうえに調節するのが面倒だし、もう造るつもりはないよ。だから君には世界を巡ってもらうよ。何、言葉で理解するよりも経験で理解してもらうから無理して今理解しなくていいよ」
「そういえばここはどこで、貴方は誰なの?」
ふふふ、と気味の悪い微笑みを浮べ、ゆっくりと少年とは反対方向に歩き出して少女から離れていく。その足音に同調しているのか、変化はすぐに現れた。
蒼く澄んだ水が溢れてきた。一箇所からでなく、複数の箇所から一定間隔の距離からだ。
足首まで浸かって履いていた靴が濡れてしまったが、濡れた靴特有の感触はしなかった。さらに水から脚を離すと水気がなくなり、濡れる前の状態に戻っていた。
ただの水ではないと分かっていたが、ここまで不思議水だとは想像を超えていた。
シャリオが壁近くまで進んだ時には、この空間の床一面が水浸しになっていた。
「では、研究を続けようか、逆月宗一くん」
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今回で「揺れるフラスコで」は最終話です。ネタバレ&伏線だらけですが、その後が気になる方は当HPで本編を徐々に公開していますので、よろしければお越しください。また閑話を公開することがあれば、お会いしましょう。
少しでも読んでくださった方、完走してくださった方、ありがとうございました。