青州にて戦端が開かれようとしていた時より、少しだけ時をさかのぼる。所は兗州、陳留の街。その政庁内にて、二人の人物が顔をあわせていた。
「秋蘭、ひさしぶりね。元気そうで何よりだわ」
「はっ!彩香さまにもお変わりなく!」
少し緊張気味の面持ちで、挨拶をしてきたその女性に、礼儀正しく挨拶を返す夏侯淵。
「ふふふ。そんなに緊張しなくていいわよ。もっと楽になさいな。私たちはあくまでも、華琳に仕えるという同じ立場の仲間でしょう?……ね?」
その長い銀色の髪を、自然のままストレートにした女性が、自身の胸の前で手を組みつつ、夏侯淵にそう微笑みかける。
「ありがとうございます。ですが、私にとっては弓の師でもある貴女様です。礼を失することなど出来はしません。……曹子孝さま。」
その台詞を聞き、やれやれといった感じで肩をすくめるその女性。魏王、曹孟徳の一族であり、従姉妹の関係にある彼女の名は、曹仁、字を子孝。その真名を彩香という。ただし、直接の血縁関係はない。曹操の母、曹嵩の妹に当たる人物(名前の記録は残っていない)が、養子として引き取ったのが彼女である。
「相変わらずまじめね、貴女は。……ところで春蘭は?確か一緒に来ているはずでしょう?」
「は。姉者ならば雹華(ひょうか)さまに、ご挨拶をしに行っております」
「なるほど。……なら今頃は、師弟喧嘩の真っ最中ね」
「……だと思います」
はあ、と。ため息をつく夏侯淵と、それを微笑みながら見る曹仁。その二人の予測どおり、政庁の中庭では。
「ぅらあああああっっっ!!」
「おっと!……相変わらず力任せだね、春蘭は。もうちょっと知恵をつけたらどう?」
「何をおっしゃられますか。全てを破壊する純粋な力。それこそ武の究極と。そう教えてくださったのは、ほかならぬ貴女ではありませんか、雹華さま」
剣を構えたまま、正面の人物にそう言い返す夏侯惇に、その少女はにやりと口の端を吊り上げて笑い返す。
「……なるほど。つまり、あたしの教え方が悪かったってわけね。……純粋な戦闘力なら、とっくにあたしを超えているのに、宝の持ち腐れ状態になっているってわけか。……ちっと鍛えなおしますかね」
ふわり、と。そのツインテールにした髪を揺らしつつ、どこか子悪魔的な笑みをこぼし、少女は再び剣を構える。体格でいえば、夏侯惇よりもいくらか背の低いその少女は、ぐぐっと、地に付くほど低く体勢を落として身構える。そして、
「……シッ!!」
「んなっ!?」
わずか一瞬の出来事だった。高速で夏侯惇の懐に飛び込み、その目の前に踏み込む。その少女に、夏侯惇は力の限りで剣を振るうが、それより一瞬早く、少女はサイドステップを取って夏侯惇の横に回りこむ。しかし、夏侯惇もそれにすばやく反応し、少女から間合いを取ろうと、その反対側へと飛び退る。だが、少女もそれを予測していた。夏侯惇にぴたりと張り付き、その動きに合わせて、剣の柄を彼女の横腹に叩き込んだ。
「ぐあっ!!」
激痛とともに吹っ飛ぶ夏侯惇。そこに。
「はいはい、二人ともそこまで。……戦の前に怪我したら意味がないでしょう?……雹華、貴女もちょっとやりすぎよ」
「い~のよ。戦の前のちょっとしたお・あ・そ・び・よ。固いこと言いっこなしだってば、彩香。……そんなんじゃあ、いい男は捕まえらんないよ?男ってのは硬いのよりも、柔らか~い女の子のほうが好きなんだから。……そのでっかい胸みたいに」
その場に現れた曹仁を、そう笑ってからかう少女。言われた曹仁はというと、その顔をほんの少しだけ赤らめつつ、その少女から顔をそむける。
「……別に殿方にもてなくたっていいわよ。そういう貴女こそ、もう少しつつしみというものを覚えたほうがいいわよ、雹華。魏王曹孟徳の一族として貴女は……って、聞いてるの?曹子廉?!」
「はーいはい。どーせあたしはこんなんですからねー。背はちびだし、彩香みたいにおっきな胸もしてないしー。はすっぱだしー。」
「……まったくもう」
ふてくされる少女の態度に、大きくため息をつく曹仁。少女の名は曹洪。字を子廉。その真名を雹華といい、その背格好や顔立ちからも分かるとおり、魏王・曹操の、れっきとした従妹なのである。
ただし、従妹である曹操とは、あまりその行動を共にすることはない。どちらかといえば、彼女は曹仁とその行動を共にすることが多い。……その理由はいくつかあるのだが、ここではあえて省略とさせてもらう。そのあたりのことは、近いうちに別の形でご紹介しよう。
「まあ、いいわ。……それと秋蘭、春蘭は?」
「大丈夫です。このぐらいで何とかなる姉者ではありませんから」
「う、くそ……」
よろよろとふらつく夏侯惇を、夏侯淵が横で支えて、立ち上がるのを助ける。
「……どうやら本当に大丈夫みたいね。さ、軍議を始めるわよ。……北郷軍にしかけるんなら、十分に準備しておかないとね」
「はい、彩香さま」
「はいは~い」
「…………」
無表情なままの夏侯淵と、どこか楽しそうにニコニコとしてしている曹洪。そしてただ一人、何か物足りなさそうな夏侯惇。それぞれ三者三様の表情で、彼女たちは曹仁の後に続く。
そして、時と場所は青州・斉南郡へと移る。
「私の名は曹子孝。反逆者・北郷一刀に仕える愚か者よ、恐れと恥を知らぬならば、私の前に進み出なさい」
魏軍十万をその背に、曹仁が舌戦のために前へと進み出る。その曹仁の名乗りに応え、張郃が自軍の前に歩を進める。
「わが名は張儁艾。天の御遣い、北郷一刀様にお仕えする者だ。曹子孝よ、何故わが主君を反逆者呼ばわりするか?」
「決まっています。真の天たる漢の帝に従わぬ者を反逆者と呼ばず、なんと呼ぶと言われるか?」
「それこそ笑止。黄巾の乱以降、途端の苦しみに喘ぐ民たちに対し、帝が、そして朝廷がいかなる慈悲の手を差し伸べたか?」
「そ、それは……!!」
張郃の言葉に反論しようとする曹仁であったが、その口から、それが出てくることはなかった。そのことは、彼女自身もよく分かっていることだったから。
「そうだ、何もしては居られぬではないか。実際に民の困窮を救ったのは、わが主君や、そなたらの主君をはじめとする、それぞれの地の諸侯だ。ただ、過去の権威に胡坐をかく者など、もはや民にとっては天とは言わぬ。それに逆らうことのどこが反逆か?真の反逆者とは、民を見ず、民の言葉を聴かず、民をないがしろにする者のことを言うのだ!」
「う……」
まさしく正論だった。曹仁も曹洪も夏侯淵も何も言い返せず、ただ下唇を噛み締めるのみ。が、ただ一人、頭から煙を立ち上らせ、そのイライラが頂点にたとうとしている者が居た。
「ええい!先ほどから黙って聞いていれば、小難しいことをごちゃごちゃと!様は貴様らが華琳様に歯向かっている!それだけで十分だ!そうだろう、秋蘭!?」
「……まったく、姉者らしいな」
夏侯惇の単純な思考に、呆れつつも微笑む夏侯淵。そして、それを聞いていた曹洪もまた、夏侯惇に同調して大声で笑い出した。
「あっはっは!それぐらい分かりやすいほうが、かえって気持ちがいいよ!……だったら、こっちから聞くことは後一つだけね。……魏王・曹孟徳に従うか否か?」
「……否に決まっているだろう?」
「……馬鹿の集まりかしら、魏軍ていうのは」
「……柳花も容赦ないわね」
「ほんとのことを言っただけよ」
曹洪に答えて返す張郃の後ろで、夏侯惇たちの思考にあきれ返り、そんなことを小声で話している、高覧と荀諶であった。
そして、戦端は開かれた。
数だけを見れば、兗州をわざと空にして来た魏軍の兵数は、およそ十万。その上、それを率いるは魏武の大剣・夏侯元譲と、神弓の使い手・夏侯妙才。そして、曹一族の重鎮にして、それぞれもまた、曹武の剛刀、曹覇の弓とうたわれし、曹子廉と曹子孝。
一方、張郃・高覧・荀諶の三人が率いる北郷軍は、その兵数約五万。…野戦における倍の戦力差。さらに、将の質がほぼ同等ともなれば、その戦の趨勢は火を見るより明らかなはずだった。……そう。たとえ魏軍の方に、勝利する気の無い、時間稼ぎ程度の戦という思惑しかないとしても。
だが。戦が始まってわずか二刻後。戦の趨勢は、すでに決してしまっていた。魏軍の、ほぼ完全な、敗北という形で。
「くそっ!!いったい何なのだこいつらは!?こいつら、本当に一兵卒なのか?!」
自身の周囲に群がる北郷軍の兵たちを切り伏せつつ、夏侯惇がそう叫ぶ。北郷軍の兵士たちの、予想以上のその強さに、驚嘆の表情を浮かべつつ。
「姉者!無事か!?」
「秋蘭か!こちらの被害は?!」
「……すでに半分が壊滅した。今は彩香さまと雹華さまが、何とか兵たちをまとめて下さっているが、もはや建て直しは不可能に近い」
「くっ!!」
戦端が開かれてすぐ、魏軍は大軍の利を活かして、鶴翼陣による包囲戦を挑んだ。それは、多対少数の戦であれば、至極当然の戦術だった。だが、それはあくまでも、互いの兵の練度が、同等の場合のものである。
しかし、北郷軍の兵の質は、魏軍のそれよりはるかに高かった。魏兵の実力を一とするなら、北郷軍の兵の実力は、その中心部隊である虎騎豹が十。……つまるところ、魏軍は実質、三十五万に匹敵する戦力と、その矛を交えていたわけである。
北郷軍は、魏軍の鶴翼の右翼を、張郃率いる虎豹騎三万でもって一気に食い破った。そして、それによって混乱した魏軍の左翼を、残り二万の兵を率いた高覧と荀諶が抑えているうちに、今度は本隊を張郃たちが散々に引っ掻き回した。
……十万の魏軍は、まさに成すすべもなく、壊乱状態に追い込まれたのである。
「これは完全に、北郷軍を侮っていたわれわれの落ち度だ。向こうの兵の質がこれほどと分かっていれば、華琳さまとて戦の命を出すことはされなかっただろう」
ふがいない戦果に憤る姉に、夏侯淵は矢を周囲に放ちつつ、そう慰めとも取れる言葉を向ける。
「……そうだな。ここは退くしかない、か。……くそっ!!」
再び剣を一閃し、夏侯惇は周囲の兵をなぎ倒す。だが、致命傷を与えられた者はさほども居らず、再び彼女らに、北郷軍の兵たちが群がりだす。
「これでは本当にきりが無いな。退くぞ姉者。彩香様たちと合流して、何とかこの場から撤退するぞ」
「わかった!」
一方、その曹仁と曹洪の二人はというと。
「はああっ!!」
「甘いよ!こんなへたれ矢!」
高覧が巨大な弩から放つ、これまた巨大な矢を、曹洪は顔色一つ変えずに叩き落す。そこに、
「隙だらけだぞっ!おりゃあー!!」
「ちっ!」
一瞬開いた曹洪の懐に、張郃が飛び込んで槍を突き出そうとする。
「させません!」
「くっ!?」
それを防ぐべく、曹仁の放った矢が張郃の鼻先を掠める。そして、再び距離をとって、弩を構える高覧の正面に立つ。
「……さすがにやる。こうして我々の相手をして、その間に味方の兵を逃がそうとする、その心意気も流石だ」
「お褒めに預かり光栄です。そちらもなかなか息の合った連携ですね。……華琳が見たら、さぞ欲しがるでしょうね」
「あー。それはあるかもねー。華琳ってば、能力はもちろんだけど、可愛い女の子に目がないから」
「……残念ですが、私たちに”そっち”の趣味はありませんので」
戦場という場でありながら、笑顔でそんな会話を交わす両者。
「なるほどねー。天の御使いは相当の好色だって話しだしー、二人とも、もう”お手つき”なのかなー?」
「……ちょっと、雹華。そういうおかしな話は」
「ふふーん。彩香ってば、ほんっと、初心なんだからー。ちょっとぐらい、そういう話にも耐性つけないと駄目だよー?……変な男にだまされて、骨までしゃぶられることになっても知らないよー?」
にゅふふ、と。堅物というかまじめというか、初心な姉をからかう曹洪。
「……余計なお世話よ」
「はっはっは。……噂に名高い曹覇の弓も、恋愛に関してはまったくの素人か。人というのは本当に面白いものだ」
「……沙耶姉さまだって、似たようなものだと思いますけど?」
「……るっさい///」
およそ場に似つかわしくない、そんなほのぼのとした空気が、戦場の片隅にわずかに流れる。だが、それも長くは続かない。今は互いに、命のやり取りをする者同士。……両者とも、表情は笑顔のままでありながら、緊張の糸はけして緩んではいなかった。
「さて。おしゃべりはこれ位にして、だ。……悪いが、お前たちをこのまま逃がすことは出来ないのでね。そろそろ、とっ捕まえさせてもらうよ」
「……そう簡単にはいきませんよ?」
「百も承知。……逆に、そうでなければ面白くない。いくぞ狭霧!」
「はい!」
「雹華、こっちも!」
「はいはいさー!うりやーーー!!」
再び激突する両者。一進一退の攻防が、激しく続く。流石に双子だけあって、曹仁と曹洪の息はピッタリと合致しており、その動きに乱れが生じることはまったく無い。
一方、張郃と高覧も、永年の付き合いから、相方の動きは手にとるように感じ取ることが出来る。こちらもまた見事な連携を見せ、これまたまったく相手に隙を見せない。
その勝負を決したのは、味方の数だった。
『彩香さまー!雹華さまー!』
「ッ?!春蘭、秋蘭!!」
「ちっ!後もうちょっとだってのに!夏侯姉妹のご登場か!」
曹仁と曹洪の二人を、張郃と高覧は、二人の疲労によるわずかな連携の乱れをつき、捕縛直前にまで追い詰めた。だがそこに、夏侯姉妹が騎馬に跨って現れた。
「貴様らー!お二人にその手を触れるではないわー!」
「くそっ!曹家の二人をとっ捕まえれば、一刀さまに良い手土産が出来ると思ったんだが!」
「沙耶ねえさま、ここは」
「ああ。残念だが退くとしよう!」
夏侯姉妹二人のここに来ての参戦に、自分たちもそろそろ体力のつきかけていた張郃と高覧は、無理は禁物と判断してその場から離れた。
「おのれ!このまま逃がすとでも!」
「待て姉者!今はお二人のことが先だ。それと、兵も立て直して、華琳様にご報告もせねばならん」
「……そういうことなら仕方ないか。……華琳様に、会わせる顔が無いが」
二人を追おうとしたのを夏侯淵に静止され、夏侯惇はしぶしぶその足を止め、がっくりとうなだれる。敬愛する主君に、敗戦を報告しなければならないことに。そんな夏侯惇を、曹仁が優しく慰める。
「……大丈夫よ。勝敗は兵家の常。華琳なら分かってくれるわ」
「そうだね。華琳はその辺、懐が大きいから。……胸は無いけどね」
「……華琳が聞いたら怒るわよ?」
「じょ、冗談だって。ね?華琳に言わないで、ね、お姉さまこのとおり!」
「……さあ?どうしましょうかしらね?ねえ?春蘭、秋蘭」
あはははは、と。思わず笑顔のこぼれる三人。その後、彼女たちは敗残兵をまとめ、一路、許都への退却を開始した。その残数一万程度。……魏軍の惨敗といっていい結果で、青州における戦は終わった。
ちょうどその頃、黄河を渡り、兗州に入る軍勢の姿があった。その数、およそ三十万。先頭に翻るは、『十』字の牙門旗。
一刀率いる北郷軍の主力が、曹魏との戦いに、一気に決着をつけるべく、濮陽の街を占領した。そして時同じくして、許を進発する曹旗を掲げた軍勢の姿があった。その数、およそ十八万。
後に、官渡の戦いとして知られることとなる、その一大決戦が、まもなくその幕をあげようとしていた……。
~続く~
輝「久々のあとがきですね。輝里で~す」
由「由やで~。おひさしゅう~」
征「ども。作者でございます」
輝「さて。今回久々にこの場を開きましたのは」
由「ちょっとした特別出演があったからやな」
征「はい。作品説明にも書きましたが、今回、siriusさまよりお許しをいただいて、siriusさま謹製の曹仁お姉さまこと、彩香さんを登場させてみました」
輝「他の人のオリキャラ出演か~。・・・今後メインに絡み続けるの?」
征「今のところ未定。とりあえず、この場にて再び、sirius様には多大なる感謝を。ありがとうございました」
由「で?次はいよいよ、華琳はん率いる魏の本隊との決戦やね?」
征「です。といっても、その前にツン√の二話目を入れる予定だけどね」
輝「・・・大丈夫なの?これから」
征「・・・鋭意努力します」
征「てなわけで、今回はこれにて。また次回にてお会いいたしましょう」
輝「では皆さん、今回もあったかいコメント、お待ちしてますね?」
由「誹謗中傷は勘弁したってな?」
全員『再見~!!』
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あ、さて。
北朝伝の更新でございますが。
今回、sirius様よりお許しをいただき、
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