真・恋姫無双外史 ~昇竜伝、地~
第一章 名もなき女神
(一)
……天井。本当に生きてたんだ、俺。
光に反射した埃が力無く空中に漂っている。何となく朝ではないかと予測はできるものの、起き上がろうとしても……。
……駄目だ。身体が重くて、全然動かない。
何かが光を遮り、影が落ちる。
顔を覗かせたのは夢現にみた女神。肩を大胆に晒したドレスのように、布に身を包んでいる。
この人は確か、俺の命の恩人……。死んでいないと、俺に教えてくれた人だ。
「……やっぱり、……女神じゃないのか?」
「……まだ言うか、この痴れ者が」
溜息を吐きながら、傷だらけの腕を俺の背中へと回す。彼女の長く艶やかな黒髪が目の前で流れ落ちていく。
軽々と俺を抱き起こし嫌がることなく身体を支えると、味がしない水のような粥を掬って少しずつ流し込んでくれる。
――どうしてこの人は、俺の面倒をここまで見てくれるのだろうか?
疑問は意識と共に、闇の中へと溶けていく。
何、だろう。俺、怒られ、てる……。
(二)
身体が動く。……力が入らなかった身体が動く。
カコンと音がした方へ顔を向けると、その眩しさに眼を細めた。
ゆっくりと起き上がり、目が慣れるのを待つ。
意識と共に、その姿がはっきりとしていく。日溜まりの中、椅子に座っているのは……
「……目が覚めたか」
俺を助けてくれた女の子で間違いない。――今度は首から下を布で隠して、ぴくりと動くことなく俺を見据えていた。
彼女の綺麗な黒髪が日差しを受けて流れていく。
……あれ? 睨まれた。――あぁ!!
「お、おはよう、ございます!」
彼女は静かに頷くと、視線を窓の外へと向けてしまった。
……っと、ずっと見てたら失礼だよな、うん。
無理やり視線を逸らしても、なんだか落ち着かない。
……そわそわそわ。
知らず知らずに彼女を盗み見ていたりして、
――チラッ。
彼女の黒い瞳に、意図も容易く捉えられてしまうのだ。
「――っ」
慌てて視線を逸らすと、壁に飾られた一枚の書が俺の目に飛び込んできた。
力強く書かれた『漢』の一文字。そこに血の跡が走り、天井まで飛び散っている。
そういえば彼女が巻きつけている布にも、血の付いた跡が残っていたな。
他の場所には何もない。いや、何かが置かれていた痕跡が残っている。つまり……。
……うん?
「……あ、っ」
彼女は俯いてそわそわしたあと、窓の外へと再び視線を向けてしまう。
原因はやっぱり……、俺だよなぁ。
河で溺れて、――気が付いたら何だか温かくて、柔らかくて、心地良くって。あぁ、ここは天国なのだと。だから間近で彼女を一目見て、女神様だと思い込んでしまって……。思ったことを、そのまま口にしてしまったのだ。
あたふたする姿は可愛い女の子そのもので、彼女はまだ俺が生きていることや、ここが生き地獄だということを教えてくれた。
そこで初めて、彼女は俺を助けるために、裸で寄り添ってくれていたことに気が付いた。
遠退く意識の中で、謝らないといけない気がした。――悲しそうな表情を浮かべたこの人に。
……なるべく意識しないように努めないと。このままじゃ埒が明かない。
「えっとさ! その……、お礼、言って無かったよね? 遅くなってごめん。助けてくれて本当に、本当にありがとう……」
顔を上げると、彼女は俺を睨んでいた。しばらくして彼女は大きく息を吐き出す。
そこから動くなと言って、また窓の外へと視線を向ける。
動くなと言われても……
すぐに限界が訪れた。
「あの……」
彼女は俺を黙らせようと、凄まじい殺気を放つ。
「か、厠に……限界かも!」
ガタリと音がしたあと、彼女から殺気が消え――、
「さ、さっさと済ましてこい! 外にでて壁沿い、左だ!」
俺は超特急で厠へと向かうために、玄関の扉を開け放った。
(三)
「――何だ、これ」
外にある厠へと急ぎながら、俺は辺りを見渡す。
踏み荒らされた田畑、遠くには焼け焦げた家、伸びる道の所々に人らしきものが転がっている。
「……ここは、賊に襲われた村なのか」
助けられた俺はここに運ばれた。そんな経緯が一瞬で弾き出される。
あの子が窓の外を気にしているのは、そういう理由か。
……それにしても、色々と事なきを得たって感じだな。
用を澄ました後、身体の感覚を確かめる。身体が少し重いだけで、どこにも痛みは無く、また溺れたことによる後遺症もなさそ……っ!?
手が震え出した。止まらない。
震えは腕から肩へと伝わると、立つことすらままならなくなる。堪らず俺は壁に凭れかかるように、尻もちをついた。
「あははっ、やべっ、止まんねっ」
そっか。俺、生き延びたんだ。本当に……。
着水に成功しても、待っていたのは――死。
引き摺り込まれるように沈む身体。抗うにも、水を吸った服が鉛のように重く、上手く泳ぐことができなかった。
……悔しかった。沢山の約束を、何一つ守れないことが。
だけど、生きている。生きていれば約束を果すことができるし、この先もきっとどうにかなる。……だから助けてくれた彼女には、本当に感謝してもしきれない。
――お、震えが治まってきたな。
「よっと!」
立ち上がり来た道を戻る。
……遅くなった理由とか聞かれないだろうな。
聞かれたら何て答えようか? 震えてましたとか、今更すぎて何だか恥しいな。
はっ!? まさか角を曲がると彼女が仁王立ちしてたり……
流石にそれは、――って、何で人が倒れているんだよ!?
急いで駆け寄るが、その人はすでに亡くなっていた。深い傷跡が背中に、右肩から斜めに生々しく残っている。
……開き扉が死角になって、気付かなかったのか。
俺の気配を察したのか、家の中から彼女が話し掛けてきた。
「言いそびれていたが、そこにいるご老人に礼を。私達の命の恩人だ」
扉を開けて彼女に問う。
「命の恩人? この人も俺の命の恩人なのか?」
「あぁ、そうだ。……寒い! さっさと締めて戻れ!」
扉を締め、そのことに関して詳しく説明してもらう。
「私がお前を運んでここに辿りついたときには、ご老人はすでに殺され、……見て分かるように、金目のものはすべて盗まれていた」
彼女が部屋を見渡すと、今度は視線を下にやる。そこには穴が掘られており、――血が流れたのか、すぐ傍には変色している箇所があった。
「そこに食糧が埋められていた。死ぬ間際に意地を見せられたのだろう。その場所を覆い隠すように蹲っておられた」
外にいる老人の姿が、食糧が埋められていた場所と重なる。
「賊は埋められていた食糧に気付くこと無くここから去った。掘り出されずに済んだのはご老人が守り通したお陰だ。だから私もお前も飯にありつけ、今を生きていられる」
『漢』の一文字を遠くに見据えながら、彼女は静かに言葉を紡いだ。
「私は……。不条理な暴力にただ涙を流すだけしかできない庶人を、一人でも多く救うことでこの恩に報いたい」
(四)
「……そっか」
目の前の男はそう言って、再び外に出ていく。――が、先ほどと同じように、しばらく経っても戻ってこない。
何をしているのか気になって様子を窺うと、男は穴を掘っていた。それも人が隠れるほど深く。
助けた賊は今すぐ斬り捨てなくても良さそうだ。少なからず、義の心を持ち合わせている。
そっと扉から離れ、私は椅子へと腰を下ろした。
あれだけ動ければ、身体はもう大丈夫なのだろう。だがあの男……
――何者だろうか。
男が手にしていた宝剣からして、貴族の出かと思いきや、姿、格好は賊そのもの。
だが男は仁、他者を慈しむ心を持ち合わせていた。
――何かが違う。
そう思わせる何かが、この男にはあった。
少なくとも私の周りに、あのような人物はいない。……悪びれることなく、歯の浮くような台詞で私を侮辱してくる者など。
……本心で言っているのだと、分かってしまうから性質が悪い。あの男の第一声が、頭にこびり付いて離れない。私の目を見て『綺麗だ』などと……。
……はぁ。そんな訳があるはずもないのに。……悪い夢を見ていたと、すべて忘れよう。でなければ本当に騙されてしまいそうだ。
騙されたら……?
なっ、私は何を考えてっ! ――兎に角! 害は為さないと決め付けるのは早計! 油断せず、しばらく様子を見るべきだろう!
男に関してはひとまず整理がついた! 終わりだ!
一番の問題へと、私は意識を切り替える。
――ま、まだ冀州に入ったばかり!
そう、冀州に入ったばかりなのだ。
道なき道を行こうが所詮は歩き。馬で移動している官士達にいずれ追いつかれるだろう。
「……どうしたものか」
手配書も出回っているだろう。斬った相手が相手なだけに、間違いなく多額の懸賞金も掛けられているはずだ。おちおち街を歩くことすらままならない。
だからこそ一刻も早く司州から距離を取らねばならない。
……この場所に長く留まるのは危険だ。
だが移動するにも服が必要だ。今着ている服は襤褸切れで、さして裸と変わらない。今身体に巻いている布を外衣にしても、だ。……怪しい奴と、街中で尋問でもされたらどうする?
『待て、そこの黒髪の女。怪しいな。外衣を取れ。――なっ、は、半裸だと!? 変態っ、ぐぁぁっ!」
……こ、このままでは親から授かった名を、変態という二文字で穢すことになりかねん。それだけは避けなければっ。
「んん~~ッ!」
身体に巻いた布を広げるように、大きく背伸びをする。
「はぁ~。どうしたものか……」
あの男の所為で、緊張の糸がぷつりと切れてしまった。
……とても静かで、日差しが暖かい。
今まで起きた出来事がまるで嘘のような、夢のような時間が流れていく。
そういえばあの男の名前を聞いていなかったな。ふんっ、命の恩人に名を名乗らんとは、何たる不届き者……。
……いや、待て。
私は追われる身だ。男に名を知られるのは、非常に不味いのではないだろうか?
どうしたものかと悩んでいると……
「――つ、疲れた」
突然扉が開き、男が入ってくる。油断していた私に目もくれず、炊事場へと歩いていく。
布で素早く身体を隠すと、喉を潤した男が戻ってくる。手にした服を自慢するかのように私に見せてきた。
「服屋で見つけたんだ」
「――何? 私が見た時は蛻の殻だったが」
「正確には服屋の作業場のごみ入れかな。そこに何着か捨てられててさ、試作品の失敗作かなぁ。素敵な衣装だと思うんだけど」
そう言って男は寝床へと倒れ込んだ。そのまま寝ていれば良いものを、身体を起こして私に話しかけくる。
(五)
「そうだ。改めて、御礼を言わせてほしいんだ。助けてくれて本当にありがとう。はい、これ――」
彼女に服を渡そうと、立ち上がった瞬間――
「――あれっ?」
刃物のように鋭く、冷たい視線が俺に向けられていた。
「それ以上私に近付けば、命の保証は無いと思え」
低く、威嚇するような声に、俺はそっと元の位置へと戻る。
「私は賊と慣れ親しむつもりはない」
「賊? 服を勝手に持ってきたから、怒っているのか?」
彼女は首を振る。
「そうではない……。壁に立てかけてあるそれだ」
それは日の光を反射して、白刃の輝きを放つ両刃の剣。その剣身には金がふんだんに施され、その根元に埋め込まれた赤い宝玉が一際明るく輝いていた。
全体的に淡緑の、劉備から奪い取った宝剣のことだ。
「賊の恰好をし、痩せ細った者がそのような剣を所持しているものか」
「確かにこの剣は俺のものじゃない。訳が合って――」
「待て、深呼吸する」
「へ? あ、うん」
突然、大きく深呼吸する彼女。
「……良し。話せ」
彼女は身構えると力強い視線を俺に向ける。
余り深く考えず、俺は今までの経緯を掻い摘んで説明した。
少し前まで楽快という賊と戦っていたこと。兵糧攻めを受ける中、義勇軍を率いていた劉備という男とその幹部達が裏切ったこと。決死隊の仲間達がこの剣を奪い取り、それを預かった俺は、奪い返そうとする劉備達に追い詰められて――。
そして、思い浮かべる。楽快との戦いが終われば、共に邁進するはずだった少女の顔を。
……無事で、いるはずだよな? ――星。
俺の窮地に駆けつけてくれた、――泣きそうになりながら、諦めるなと、最後まで励まし続けてくれた女の子の無事を願う。
「どうした?」
「……あ、いや、この剣をさ、劉備達から守り抜いたんだなって」
皆が命を掛けて守り抜いた剣を見て思う。
良い意味でも、悪い意味でも人を惹きつけるこの剣を、悪党の手に渡す訳にはいかない。
それは正しい。絶対に間違っていない。
「それで今度はさ、この剣を本当の持ち主に届けなきゃいけないんだなって、思ってさ」
「……はっ?」
「いや、だから届けるの」
「届けるのか?」
そう、届けるのだ。劉備は確か……、中山靖王劉勝の子孫だったはずだ。だとしたらこの剣がそれを証明するモノとみて、良いだろう。
――絶対に困っているはずだ。
「その剣を持っていた人物が偽物だと、何故別人だと思った?」
「仲間を平気で裏切る悪党がこの剣を持っていたから、かな? そうだな……。君が俺を見て、この剣の持ち主は俺じゃないって思ったのと同じくらいに、違和感ありありだったと思ってくれ」
彼女は諦めに似た溜息を吐く。
「ならば本来の持ち主はどこにいる。……居場所が分からぬなら、どうすることもできまい」
「劉備は確か幽州啄郡の出身だったはずだよ。詳しくは分からない。だけど必ず幽州にいるはずだ。何たって始まりの土地だし、間違いないよ」
「始まりの土地?」
「あ、いや、こっちの話。気にしないでくれ」
――三国志の序盤、有名な桃園の誓い。劉備は幽州で旗揚げをする。
そして俺には趙雲の居場所も見当が付いている。きっと近いうちに会える。
訝しげな表情をしたあと、彼女は目を閉じた。
「……最後だ。もし、その男が本物の劉玄徳だったら、お前はどうするつもりだ?」
「ぶん殴る」
「いや、そういう意味では無いのだが……?」
「冗談でもそれは辛いな。でも大丈夫。確信はある。信じてくれって言っても、信じて貰えないだろうけどさ」
だが彼女は首を縦にも横にも振らずに、
「お前の言葉が真か否か、いずれ分かることだ。それまで私はお前の言葉を信じて、その命を預けておいてやる」
「そっか……。ありがとう!」
「――だがもし嘘を吐いていたなら! まして、それ以前に怪しい素振りを少しでも見せてみろ! 天に代わってこの私が貴様を成敗してくれる!!」
……うん?
「ということは、幽州まで一緒だね。よろしく」
「――はぁ!? 何故私が貴様と一緒に行動せねばならんのだ!?」
「えっ? でも一緒にいないと確かめられないだろ?」
「そ、そんなことは――、ない!」
「ほら、その……、俺弱いからさ、返す前に賊に襲われて奪われでもしたら、洒落にならないだろ? 一緒にいてくれると心強いし……、この通り!」
寝床で正座して、手を合わせてお願いする。
「知らん! 知らんぞ、私は!」
「あ、知らないと言えば名前! 命の恩人をいつまでも君って呼ぶのも、ね? 改めて、姓は北郷、名は一刀! これからよろしく!」
無理やり話を変えると、彼女は言葉を詰まらせたあと、細い眉をぴくぴくと動かす。
……うっ、爆発寸前だな。でもこっちには命が掛っている。治安が悪い世の中だからこそ、独り歩きだけは絶対に避けたい。
「わ、我が名は関……、関……」
――関? はい、ストップ。……何、この嫌な予感。
「えっと、ちょっと待ってくれ。関さん」
「え? あ、あぁ……」
「その……、関さんの名前ってまさか」
「――っ!?」
彼女がガタリと音を立てて、座っていた椅子から立ち上がる。
「いや、言う前からそんなリアクションって、えっと、……そんな反応されても困るんですけど?」
「……貴様、我が名を知っているのか!?」
「いや何となく。……もしかして、みたいな?」
「……ほぅ。では言ってみろ」
じりじりと彼女が近付いてくるような……。気の所為か?
「……もしかして、『関羽』って名前だったり、っ!」
彼女がニコッっと微笑むと急に悪寒が……。
気の所為か黒いオーラが立ち込め、まるで大鎌を持ったあの人のような……。
アレ? 死亡フラグ、キタコレ?
(六)
「あは、あははははは、やっぱ人違いだよな!? あの関羽が俺を助けてくれるとか、いくらなんでも都合が良すぎるよな!!」
だが彼女は否定も、肯定もしない。ただニコニコと俺の言葉の続きを待っている。
――あぁぁぁっ!! お、俺の馬鹿!! 名前を口籠るってことは、言い辛い何かがあるってことじゃないか!!
前歴が前歴だけに、『もしかして』という期待に口走ってしまった。
――と、とにかく全力で勘違いだと誤魔化して、いや! こ、ここは無理やり話を変えよう!
「えっと、お腹空いたなぁ~!」
……シャラシャラシャラ。
「――ちょっと待った!」
――何、その音! 金属か何かが地面に擦れる音がする!!
じわっと迫る彼女がピタリと立ち止まり、『どうした?』と笑みを絶やさず首を傾ける。
「お、俺の勘違い! 謝る! ごめん!」
突き出した両手を合わせて、合掌する。
「字は?」
――無視ですとっ!?
……シャラシャラシャラ。
「待って! 動かないで! 身体に巻いた布の中に、何が入ってるわけ!?」
彼女は再び立ち止まると、俺にこう答えた。
「……字は?」
――流されちゃうのっ!? しかも字って!? ……えっ、何だっけ!?
「う、雲長――!」
「うんちょう? ――どうしてその者だと?」
「か、関さんは、俺が賊だと思ったよね?」
「思っている、だ」
「うっ、で、でも俺を助けてくれた。別に関さんに取って、良い事なんて何一つないのにさ!」
彼女はじっと言葉を待っている。
「だから困っている人を放っておけない性格なんじゃないかなって……。それが俺の知る関羽って人にぴったりだったんだ。――それに、俺が尊敬している人の眼にそっくりで、その……、強くて真っ直ぐな瞳が……」
彼女の澄んだ瞳に俺が映っていた。さぞかし間抜けな姿に映っているのだろう。
『そうか』とだけ答えて、彼女は戻っていく。
言ってて気が付いた。これって、ただの願望じゃないか。……関さんに凄く失礼なことをしてしまったな。
彼女は『かんう、うんちょう』と、片言のように呟きながら物思いに耽けたあと、柔らかな表情を俺に向ける。
「どう書く?」
不意打ちだった。俺はしどろもどろになってしまう。
「へっ!? ど、どうって……、鳥の羽に、字が――」
俺の言葉を遮って、
「空浮かぶ『雲』……、頂きへ、か。……ふふっ、悪くない」
「……え?」
擽ったそうに笑みを漏らして、窓の外を眺めてたあと、目線をこちらに向けて……
「……腹が減ったな」
そう呟くと、名前を問う暇も与えてくれずに俺を急かす。
「ほら、腹が減ったのだろう? 動け! いー、ある! いー、ある!」
しぶしぶ俺が立ち上がると、彼女は口元を緩ませて微笑んだ。
(七)
「お粥できたよ」
「よし、そこに置いて離れろ」
もぞもぞと関さんが炊事場へと動き出した。
『デデデン、デデデン、デデデデッ――』
某怪獣のテーマを心の中で思い浮かべた途端、ギロリと睨まれた。
……ナンデモ、アリマセンヨ?
巻き付けた布を引き摺りながら、もくもくと湯気が上がる器を手に取ると、のそのそと慎重に定位置へと戻っていく。
その姿に何故か笑いが込み上げてくる。
「どこの寒がりだよ」
その一言に彼女は振り返ると、恨めしそうに俺を睨む。怖くない。むしろ可愛い。
「うるさい! 好きでこのような格好をしているのではない!」
そう叫ぶと、関さんはふーんと目を細める。
「そうか。北郷殿は命の恩人が服で困っているのに、見て見ぬ振りをするのか。そうかそうか」
「すぐに用意させて頂きます!」
現代風の服をざっと並べて……。
「気に入らなくても、文句言わないで着てくれよ?」
「この際だ。贅沢は言わん」
「言質取った! ふっふっふっ」
「お、おい?」
……そうだな。彼女の真面目そうな印象を残しつつ、清潔感を出そう。まずは白のブラウスかな。襟元に何かアクセントがほしいけど、贅沢は言えないか。深緑のスカートは控えめに広がる感じで、膝下まであるのを選んでと……。
「――いや、待てよ? やはりこの魅惑の黒ニーソを活かさないでどうする! スカートは膝上十センチ以上にして、ときめく夢を詰め込もうじゃないか! くっ、我ながら恐ろしい」
「――却下だ!」
「…………?」
「却下だ! 聞こえている癖に首を傾げるな! ――お前の言動が怪しすぎる。兎に角却下だ!」
「くっ、仕方ない! ……だが選ぶ権利は俺にある! 予定通りこれと、これ。そして、これだっ! ――できたっ!!」
「もう良い! 食後に私が――」
「えい!」
俺は余っていた服を火の中へと放り捨てた。
(八)
「風邪を引いたら大変だ! さぁ、早く着替えたほうが良い!」
関さんが食事を終えたのを見計らって外に出た俺は、彼女が着替え終わるのを心躍らせながら待っていた。
「時代を先取りする人っているもんだなぁ~」
どちらかというと、現代的な衣装。だからなのか、この時代の人達には異質に映ってしまうのかもしれない――。
「こ、このような格好で外を歩けるか!」
案の定、関さんの悲鳴が聞こえてきた。
「大丈夫だって! 絶対に似合うって!」
「似合うかっ!」
――だから俺は関さんの退路を断つため、服を燃やすという策に出たのだ。
「そんなことないって! 関さんは綺麗なんだから何でも似合うって。自信持って!」
「~~~~っ!」
どれほどの時間が経ったのだろうか。関さんは中々合図をくれない。
「関さん、まだ?」
「――っ! ま、まだだ! まだ入ってくるな!?」
扉の向こうから、ドタバタと音が聞こえたあと、
「よ、良し! もういいぞ! 入ってこい」
とうとうこの時が来た! 何故だろう、緊張してきた……。
俺はゆっくりと扉を開いて、関さん姿に言葉を失う。
「むっ、何だ、その眼は」
「いや、……何で布巻いてるのかなって」
「巻こうが巻くまいが、私の勝手だ」
――まだだ、俺は絶対に諦めない!
(九)
何故北風と太陽作戦が失敗に終わったのか。
夕食の後片付けをしながら、俺はそんなことを考えていた。
冷たい視線が突き刺さる中、村中から集めてきた壺を彼女の周り並べ、その中に熱湯を注ぎ込んだというのに見知らぬ顔一つで、さらには足湯まで始められる始末。
このままじゃ、馬鹿丸出しで終わってしまう……。
しかしそんな考えも、彼女の一言で一瞬にして吹き飛んでしまった。
「さて、一緒に寝るか」
「い、一緒に寝る?」
無造作に並べられた壺の間をすり抜け、のそのそと寝床へと歩いていく。
「寝床は一つしかないのだ。夜は冷えるし、お互い体調を崩してはいかん」
――本気ですか!?
「年頃の男女が一緒に寝るのは、さ、さすがに問題だろ!?」
っていうか色々とまずい。冷静でいられる自信がありません。
「お、お前を助ける時だって私は恥しいのを我慢して、だな……」
もじもじしながら頬を赤くして、意を決っしたように叫ぶ。
「――変に意識をするな! こっちまで変になる。兎に角、すべて私に任せておけ!」
「任せろと言われましても……」
「――そうか、私とは一緒に寝たくないんだな」
「いやいやいや、そうじゃない! 関さんは大丈夫なのかって意味だよ!」
「大丈夫だ」
――即答ですか。俺が選んだ服を着るのに、恥しがっていた人の台詞とは思えない。
これはひょっとして……。
『やりましたな、主!』
そうそう、星ならきっとそう……って、違うだろ!? ――自重しろ、俺!
「コホン……。お互い、後ろめたいことがあるやもしれぬ。だが心配するな。……何も、考えられなくしてやる」
「何も考えられなく!?」
――添い寝だよな!?
「これは仕方のないことなのだ。想い詰めなくとも良い」
また咳払いをひとつすると、関さんは俺に迫る。
「そ、そういうことだ。男なら、そろそろ覚悟を決めてもらおうか、北郷殿?」
「――ッ! ……分かった。俺も男だ。そこまで言われたら、引きさがるつもりはないからな?」
「おう、上等だ。では準備する。後ろを向いて、目を閉じるんだ」
俺は言われるがままそうすると、布が擦れる艶めかしい音が聞こてくる。
くそっ! 期待するだけ無駄だって分かっているのに、何でこんなにドギマギしているんだよ。って、今夜は絶対に眠れないっ!
彼女の左手が撫でるように肩から腕、胸へと流れていく。
――えっ!? アレ? ほ、本当に添い寝するだけだよな!?
「力を抜け、もっと、そうだ……」
「wktk、wkt……」
(十)
「……はぁ」
一夜明けた朝、関さんは相変わらずの定位置で、くすくすと笑っていた。
「北郷殿、そこまで落ち込まなくとも」
これが落ち込まずにいられるかっての!
気が付けば外が明るい。あれっと思ったら扉が開くと関さんが――
『ぉぉおはよう! 目が覚めたようだな。うん、よく眠っていたぞ』
と、挨拶してきたのだ。
準備するからと言うことで後ろを向いたあと、鋭い痛みが後頭部に走り……、そこから朝までの記憶がバッサリと抜け落ちていた。
――純情な男心を何だと思ってるんだ!
「そう膨れるな。だが私の言っていたことは、嘘、偽りはなかったはずだぞ?」
お互い後ろめたいこと。全て私に任せて置け。何も考えられなくしてやる。男なら覚悟しろ……。
「間違っちゃいないけどさ……」
その気にさせるような言葉ばかり選んでないか!?
「罠だとは、思わなかったのか?」
関さんが興味あり気に聞いてくる。
――むむむ。
「分かっていても、前に進むものなの!」
「そう、なのか?」
何となくこうなることは、分かっていたけどさ――!
「それに俺はしないで後悔するよりも、やって後悔する人間なの! 可愛い女の子が手招きしてるんだ。止まる訳にはいかないだろ?」
白い目を向けられていたが、徐々に彼女の顔色が赤く変化していく。
「――か、可愛い!? 女の子だと!?」
「何を今更……」
「――ッ!? 武人に可愛いなど、私を侮辱するのも――」
「へぇ、関さんは武人なのか」
「そうだ! 何を今更――!」
……どうやら反撃の時が来たようだ。
「な、何だその目は!」
「いや、ね? 関さんのような凛々しい人が、時折見せるそんな仕草が可愛いなって思ってさ」
「――貴様っ、まだ言うか!! どうやら痛い目を――」
彼女が勢い良く立ち上がる。
「あ、でも武人だったらもっと堂々としてるはずだよなぁ。服を見られることで、恥しがったりはしないと思うんだけど?」
「くっ、ならば武人らしく、堂々としていれば問題は無かろう!――堂々としていればっ!」
彼女が布に手を掛ける。
「そうそう。関さんは綺麗なんだから、自信を持って……」
……あれ?
どうしたことか、関さんはぴくりとも動かず、俯いたまま手を震わせている。
「……そ」
「そ?」
「そろそろっ、腹が空いたのではないか!?」
「へっ?」
「空いたであろう! 空いたな!」
――えぇぇぇっ!?
「いや、空いてないかな」
「私は空いた。だから早く準備しろ!」
「……」
「に、ニヤニヤ、するなぁぁぁーっ!」
関さんをからかった俺は、一時的難聴の代価を支払うこととなった。
(十一)
「ふぁ……」
手を口に当てて、大きな欠伸をする関さん。目が合うと照れ笑いして……
「こんなにのんびりと過ごしたことなど、今まで無かったのでな」
咳払いして……、ピッっと背筋を伸ばす。
「だが昼にはここを発つ」
「そっか。じゃぁ昼までにはこの家の片付けをしなきゃいけないな」
そうだなと言って、またふわっと欠伸をする関さん。少し眠そうだ。
「それまで一眠りする?」
「申し訳無いが、そうさせてもらおう」
寝床に頭まで潜り込んだ途端、規則正しい寝息が聞こえてくる。
俺はそっと外に出て、入口付近の雑草を抜き始めた。
(十二)
入口付近に生えていた雑草を全て抜き終わり、綺麗になったと一人頷いていると、どこからか聞こえてくる低い地鳴りに耳を澄ました。
……遠くで砂煙が上がっているな。
その正体が徐々にハッキリしてくる。どうやら官兵のようだ。
官の旗を靡かせて、一直線にこちらへと迫ってくるではないか。あれよあれよと距離は縮まり、二十頭の馬が目の前で一斉に嘶いた。
……撥ねられるかと思った。
彼等は馬を落ち着かせた後、馬から降りずに声を掛けてきた。
「お前、この村の生き残りか?」
「いや、違いますけど?」
「流れ者か……」
そう言って俺を品定めしたあと、尋問を再開させた。
「ここで何をしている?」
「何をしているって、掃除かな」
抜いた雑草を指差す。
「掃除? 流れ者のお前がこの家の掃除をしているのか?」
俺はその経緯を簡単に説明する。官兵たちが顔を見合せて頷く。
「人様の飯食ってんだから盗人のようなもんだが、今回は見逃してやろう。俺達の目的はお前を捕まえることじゃないからな。そのかわり、幾つか質問に答えろ」
「うん?」
「この辺りで、長くて美しい黒髪を持つ絶世の美女を見なかったか?」
「見た。びっくりするくらい綺麗な人」
「どこで見た!?」
官兵達が一瞬ざわめく。
「中にいるよ?」
「そうか! 中にいるか! ……中!?」
彼等の動揺を悟ったのか、馬が暴れ出すと兵士達は必死になって馬を宥める。
「関さんのことだろ?」
男達が青褪めていく。……何だろう?
「は、ははーん。お前、俺達を驚かそうとしてんだろ? そうだろ?」
「いや、別にそんなつもりは……。ちょっと待ってて。起こしてくる」
兵士達が悲鳴に似た声を上げて、俺を呼び止める。
「待て待て待て待て! 本当に関長生が中にいるのか?」
「関長生? 聞いてみるよ」
部屋に戻ると関さんは起きていたようで、寝床に腰を下ろしていた。
「あっ、関さん起きてたんだ」
「まぁ、あれだけ外で騒がれればな」
「官軍の兵士が名前を教えて欲しいってさ。関さんの字って、長生だったりするの?」
「……いや、違うぞ?」
若干、語尾が上がったのが気になるけど……。でも本人が違うと言うのだから、違うのだろう。
「違うってさ」
兵士達の曇った表情が、面白いほどに晴れ渡って……いかなかった。
「そうかそうか、違うのか! ……って、信じられるか! 女、家から出てきて姿を見せろ!!」
男達が一斉に剣を抜いて、この家を取り囲むように部隊を展開する。
「――ちょ! 行き成り剣を抜いて、何だってんだよ!?」
「関長生はな、白昼堂々有力豪族を叩き斬った極悪人だ! お前も早くこっちへ来い!」
「……極悪人? 関さんがぁ?」
俺が振り返ると、関さんは着ている服を隠すように、もぞもぞと身体を動かしていた。
……あんな可愛い生き物が、極悪人?
「おいおい、人違いも大概にしてくれ。こんな可愛い生き物が極悪人のはずないって、――危なっ!?」
……後ろからお椀が飛んできましたよっ!
「こんな時まで、貴様は私を侮辱するのか! さっさと向こうへ行け!」
「――なっ?」
と、兵士達に問い掛けても誰も剣を下ろそうとはしない。
「誰に同意を求めているかは知らんが、中にいる女! さっさと出て来い!」
関さんが大きく溜息を付く。立ち上がり、のそのそと姿を現した。血の付いた布を纏いながら。
「むむっ、身体に巻いた布が怪しいな、取るんだ!」
「――さぁ、取るんだ!」
これはチャンスと馬鹿丸出しで便乗すると、関さんは俺を睨みながら近付いてきて、二の腕辺りを押すように、何度も頭突きをかましてくる。
って、結構力強いな……。一発喰らうと、二、三歩よろめくですけど。
「なっ? 可愛い痛っ――!!」
今度は俺の顎目掛けて、……飛んできたっ。
誰かが、あれは痛いと呟いた。……本当に痛いです。
「全く! お前は少し黙っていろ!」
官兵の間で何やら話しだしたのだが、その内容が丸聞こえで余りにも酷い。
『確か絶世の美女だよな?』とか、『美女じゃないな』、『どこが美女だよ』などと、まるで本人に聞こえるように、わざと話しているかのようだ。
失礼な奴等だと思いつつ、心配になって関さんの表情を窺うと、彼女は青筋を浮かべてじっと耐えていた。
「茶番はもう良い! さぁ、取れ! 美女とは程遠くとも、その布の中に武器を隠し持っているに違いない!」
「くっ、言わせておけば。どやつもこやつも。……良いだろう。北郷、こっちに来て手伝ってくれ」
「あ、あぁ……」
関さんの傍に寄ると、前を向けと言われたので抗議する。
「ちょっと待ってくれ、これじゃ関さんの姿が見れないじゃないか!」
「――見んで良い!!」
「あんた達も何とか言ってくれ!!」
「――どうでも良いわ!」
……くそっ、味方がほしい!
「誰か! 関さんは可愛いと、俺に味方する者はいないかーっ!」
「ここっ――っぷ」
――いる!? どこ!?
「きょろきょろしてないで、しっかり前を向けっ!」
誰も聞こえていない? 俺の気の所為なのか……。可愛らしい声が聞こえたような気がしたんだけど……。
「北郷、絶対に放さずに持っていろよ」
背後から小さな小さな関さんの声、腕を取られて――。
「――っ」
硬い何かを握らされる。布で隠されてはいるが、この重さ、剣に違いなかった。
――もしかして、布の中にずっと隠し持っていたのか。
「振り向いたら命はないからな!! ――これで、良いのだろう?」
「ぷぷっ、何だ、その御洒落な格好は!」
指を指して笑う官兵達に、それが当り前のような声色で彼女が答える。
「ふん。その様なこと、言われなくとも――」
「――関さん、綺麗だ!」
そう叫ぶと、ここにいる誰もが沈黙した。馬まで沈黙しなくても良かったのに……。
その静けさの中、最初に声を上げたのは関さんだった。
「――っ! い、行き成り何を!?」
官兵達は俺を馬鹿にするように、肩を震わせて笑いだした。
「見てない癖にそのような台詞、し、信じられるものか!」
関さんは必死に否定しているけれど、俺には自信がある。
「俺が関さんのために選んだんだ。見なくても間違いなく似合ってる。――お前等は謝れ! 彼女に謝れ! さっきから失礼なことばかり言いやがって!」
「あー、分かった分かった。そう噛みついてくるな」
「だから彼女に謝れって――、っ!!」
後ろから突然腕を回され、抱きしめられた。
「もう良い。その気持ちだけで十分だ」
「……でもっ」
――くそっ、腹立つ!
「くくっ、男必死っすね。でも剣を持っていないとなると、見当違いっすかね?」
「そのようだな。奴は我等から逃げるに必死。このような場所で道草を食っているとも思えん」
「ですな。それも多額の懸賞金。どこにも逃げ場などないわ。目の前の女は……、なぁ?」
がっかりだと嫌がらせのように吐き出しながら、官士達は踵を返して去っていった。
「もう二度と彼女の前に姿を見せるなーッ!」
……畜生! いくら叫んでも、負け犬の遠吠えみたいだ!
(十三)
官士達が乗った馬は彼方へと消えてしまった。
「……」
「……あの、えっとさ」
だが奴等が見えなくなっても、関さんは俺を後ろから抱きしめたまま動こうとしない。
背中に当たる柔らかな感触に、官兵のことなど何処かへ吹き飛んでしまった。
「――凄く、大きいです」
「~~~~っ!?」
しまった! つい口に――。
「……ぐっ」
凄い力で身体が締め付けられていく。――苦しい、けど幸せ、あ、でもやっぱ苦しい。――ギブッギブッ。
空いていた手で彼女の腕を叩く。彼女は剣と布を素早く奪い取ると、一瞬で身体に巻き付けてしまう。
……嘘、だろ? そりゃないよ。
「……お前だけにはこの姿、絶対に見せぬっ!!」
そう言って、彼女は憤慨しながら家に戻っていった。
(十四)
片付けを済ませた俺と関さんは、この家の主が眠る墓前で祈りを捧げたあと、幽州へと足を向ける。
「関さんも同じ行き先で良いんだよね?」
「お前に教える義理は無い」
彼女は俺の前を早足で歩いている。彼女の横に並ぶために走り寄る。
「それじゃ一緒の所までよろしく!」
「……勝手にしろ。私の足を引っ張るようなら、置いて行くまでだ」
「またまた~。関さんは俺を見捨てたりしないよね?」
…………スタスタスタ。
「速っ! 歩くの速いって!」
「貴様が遅いだけだ」
峠に差し掛かり、俺のペースはさらに落ちて行く。一方、顔色一つ変えず山道を登っていく関さん。見る見る距離が開いていくではないか。
「ちょっ、待ってくれー!」
あっという間に彼女の姿は見えなくなった。
近くの村か町で関さんとは合流できるんだろうけど、まさか本当に置いて行かれるとは……。
――関さんの薄情者!
黙々と一人峠を越える。下りに差し掛かると小さな町が見えた。
……おっ、残り半分といったところか。
少し休憩しようと思ったとき、後ろから声を掛けられた。
「よぉ、兄ちゃん。死にたくねぇよな? 身ぐるみ置いてさっさと消えな!」
そのまま走って逃げようか。そう思った瞬間、山腹から男の断末摩が聞こえてきた。
――ピィィィッ!
口笛が悲鳴と共に響き渡った。ひとつやふたつではない。数え切れないほど沢山だ。
「おいおい、どうなってやがる」
相談するかのように視線を交わして頷き合ったあと、視線を俺に戻して舌打ちする。
「命拾いしたな。――行くぞ!」
賊達は声がした方へ走り去ってしまった。
……助かった。
全身から力が抜ける。その間にも遠くから男の悲鳴が幾つも聞こえてくる。
そして途絶えた。
……何が起こったのか気になって、声がしたほうへと急ぐ。
見えてきたその光景に、俺は言葉を失った。
百近い数の賊が、其処等じゅうに倒れているではないか。
そんな中を一人歩き周っている人物。……関さんだった。
「……北郷か」
「か、関さん!? 怪我してるじゃないか!?」
布から出していた手から、血が流れていた。俺は慌てて駆け寄る。
「――なっ!?」
彼女の手を取り、俺は水筒の水で傷口を洗い流す。
「か、掠り傷だ!」
俺の手を払い退けるが、俺はその手を取り直して傷口を洗い流す。
「掠り傷でもだよ。ここ以外に怪我は?」
「……無い」
「まさか関さんが賊に襲われていたなんて……」
「この私が賊に後れを取るものか」
彼女は俺の手を振り解き、水筒と小さな袋を押しつけてくる。
「ど、どこへ?」
「……落し前をつけに」
「……へっ? あ、ちょっ!」
信じられない速さで森の奥へと消えてしまった。
後を追いかけようとしても彼女の姿はどこにもなく、俺は立ちすくことしかできなかった。
……そういえば。
袋の中身が気になって開けてみると、そこに入っていたのは幾許かの路銀だった。
これを渡されたってことは、先に宿へ向かえということだろうか?
……きっとそうだな。ここで待っていても、また賊に襲われたら洒落にならない。
後ろ髪を引かれつつも、俺は一人町へと向うことにした。
あとがき
お待たせしました! 地編、第一章です。いつもながら、更新が遅くなって申し訳ありません。
あの人と一刀との出会いになります。
彼女がどのように彼と接するか、ずっと悩みの種でした。
まず天の御使い補正がありませんので、畏怖も敬愛もない仕様に。そこに彼女の状況+主人公補正でこんな形に。色々と申し訳無いの一言です。
――取り敢えず、一刀には彼女の魅力を引き出そうと頑張って貰いました。口説いているように見えますが、本人には全くその気がありませんので悪しからず。
……思ったことは、物語が一気に弛んだことでしょうか。気が抜けたと言いますか。少しずつ引き締めて行きたいと思います。
さて冀州から北上して幽州へと向かうのですが、途中で少し寄り道なんかしたいなと思っています。地編、お付き合い頂けると嬉しいです。それでは!
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○この作品は、真・恋姫†無双の二次著作物です。