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真・恋姫無双外史 ~昇竜伝、地~ 第一章 名もなき女神

テスさん

○この作品は、真・恋姫†無双の二次著作物です。

2011-03-29 22:34:55 投稿 / 全15ページ    総閲覧数:18661   閲覧ユーザー数:14576

真・恋姫無双外史 ~昇竜伝、地~

 

第一章 名もなき女神

 

(一)

 

 ……天井。本当に生きてたんだ、俺。

 

 光に反射した埃が力無く空中に漂っている。何となく朝ではないかと予測はできるものの、起き上がろうとしても……。

 

 ……駄目だ。身体が重くて、全然動かない。

 

 何かが光を遮り、影が落ちる。

 

 顔を覗かせたのは夢現にみた女神。肩を大胆に晒したドレスのように、布に身を包んでいる。

 

 この人は確か、俺の命の恩人……。死んでいないと、俺に教えてくれた人だ。

 

「……やっぱり、……女神じゃないのか?」

 

「……まだ言うか、この痴れ者が」

 

 溜息を吐きながら、傷だらけの腕を俺の背中へと回す。彼女の長く艶やかな黒髪が目の前で流れ落ちていく。

 

 軽々と俺を抱き起こし嫌がることなく身体を支えると、味がしない水のような粥を掬って少しずつ流し込んでくれる。

 

 ――どうしてこの人は、俺の面倒をここまで見てくれるのだろうか?

 

 疑問は意識と共に、闇の中へと溶けていく。

 

 何、だろう。俺、怒られ、てる……。

 

 

(二)

 

 身体が動く。……力が入らなかった身体が動く。

 

 カコンと音がした方へ顔を向けると、その眩しさに眼を細めた。

 

 ゆっくりと起き上がり、目が慣れるのを待つ。

 

 意識と共に、その姿がはっきりとしていく。日溜まりの中、椅子に座っているのは……

 

「……目が覚めたか」

 

 俺を助けてくれた女の子で間違いない。――今度は首から下を布で隠して、ぴくりと動くことなく俺を見据えていた。

 

 彼女の綺麗な黒髪が日差しを受けて流れていく。

 

 ……あれ? 睨まれた。――あぁ!!

 

「お、おはよう、ございます!」

 

 彼女は静かに頷くと、視線を窓の外へと向けてしまった。

 

 ……っと、ずっと見てたら失礼だよな、うん。

 

 無理やり視線を逸らしても、なんだか落ち着かない。

 

 ……そわそわそわ。

 

 知らず知らずに彼女を盗み見ていたりして、

 

 ――チラッ。

 

 彼女の黒い瞳に、意図も容易く捉えられてしまうのだ。

 

「――っ」

 

 慌てて視線を逸らすと、壁に飾られた一枚の書が俺の目に飛び込んできた。

 

 力強く書かれた『漢』の一文字。そこに血の跡が走り、天井まで飛び散っている。

 

 そういえば彼女が巻きつけている布にも、血の付いた跡が残っていたな。

 

 他の場所には何もない。いや、何かが置かれていた痕跡が残っている。つまり……。

 

 ……うん?

 

「……あ、っ」

 

 彼女は俯いてそわそわしたあと、窓の外へと再び視線を向けてしまう。

 

 原因はやっぱり……、俺だよなぁ。

 

 河で溺れて、――気が付いたら何だか温かくて、柔らかくて、心地良くって。あぁ、ここは天国なのだと。だから間近で彼女を一目見て、女神様だと思い込んでしまって……。思ったことを、そのまま口にしてしまったのだ。

 

 あたふたする姿は可愛い女の子そのもので、彼女はまだ俺が生きていることや、ここが生き地獄だということを教えてくれた。

 

 そこで初めて、彼女は俺を助けるために、裸で寄り添ってくれていたことに気が付いた。

 

 遠退く意識の中で、謝らないといけない気がした。――悲しそうな表情を浮かべたこの人に。

 

 ……なるべく意識しないように努めないと。このままじゃ埒が明かない。

 

「えっとさ! その……、お礼、言って無かったよね? 遅くなってごめん。助けてくれて本当に、本当にありがとう……」

 

 顔を上げると、彼女は俺を睨んでいた。しばらくして彼女は大きく息を吐き出す。

 

 そこから動くなと言って、また窓の外へと視線を向ける。

 

 動くなと言われても……

 

 すぐに限界が訪れた。

 

「あの……」

 

 彼女は俺を黙らせようと、凄まじい殺気を放つ。

 

「か、厠に……限界かも!」

 

 ガタリと音がしたあと、彼女から殺気が消え――、

 

「さ、さっさと済ましてこい! 外にでて壁沿い、左だ!」

 

 俺は超特急で厠へと向かうために、玄関の扉を開け放った。

 

 

(三)

 

「――何だ、これ」

 

 外にある厠へと急ぎながら、俺は辺りを見渡す。

 

 踏み荒らされた田畑、遠くには焼け焦げた家、伸びる道の所々に人らしきものが転がっている。

 

「……ここは、賊に襲われた村なのか」

 

 助けられた俺はここに運ばれた。そんな経緯が一瞬で弾き出される。

 

 あの子が窓の外を気にしているのは、そういう理由か。

 

 ……それにしても、色々と事なきを得たって感じだな。

 

 用を澄ました後、身体の感覚を確かめる。身体が少し重いだけで、どこにも痛みは無く、また溺れたことによる後遺症もなさそ……っ!?

 

 手が震え出した。止まらない。

 

 震えは腕から肩へと伝わると、立つことすらままならなくなる。堪らず俺は壁に凭れかかるように、尻もちをついた。

 

「あははっ、やべっ、止まんねっ」

 

 そっか。俺、生き延びたんだ。本当に……。

 

 着水に成功しても、待っていたのは――死。

 

 引き摺り込まれるように沈む身体。抗うにも、水を吸った服が鉛のように重く、上手く泳ぐことができなかった。

 

 ……悔しかった。沢山の約束を、何一つ守れないことが。

 

 だけど、生きている。生きていれば約束を果すことができるし、この先もきっとどうにかなる。……だから助けてくれた彼女には、本当に感謝してもしきれない。

 

 ――お、震えが治まってきたな。

 

「よっと!」

 

 立ち上がり来た道を戻る。

 

 ……遅くなった理由とか聞かれないだろうな。

 

 聞かれたら何て答えようか? 震えてましたとか、今更すぎて何だか恥しいな。

 

 はっ!? まさか角を曲がると彼女が仁王立ちしてたり……

 

 流石にそれは、――って、何で人が倒れているんだよ!?

 

 急いで駆け寄るが、その人はすでに亡くなっていた。深い傷跡が背中に、右肩から斜めに生々しく残っている。

 

 ……開き扉が死角になって、気付かなかったのか。

 

 俺の気配を察したのか、家の中から彼女が話し掛けてきた。

 

「言いそびれていたが、そこにいるご老人に礼を。私達の命の恩人だ」

 

 扉を開けて彼女に問う。

 

「命の恩人? この人も俺の命の恩人なのか?」

 

「あぁ、そうだ。……寒い! さっさと締めて戻れ!」

 

 扉を締め、そのことに関して詳しく説明してもらう。

 

「私がお前を運んでここに辿りついたときには、ご老人はすでに殺され、……見て分かるように、金目のものはすべて盗まれていた」

 

 彼女が部屋を見渡すと、今度は視線を下にやる。そこには穴が掘られており、――血が流れたのか、すぐ傍には変色している箇所があった。

 

「そこに食糧が埋められていた。死ぬ間際に意地を見せられたのだろう。その場所を覆い隠すように蹲っておられた」

 

 外にいる老人の姿が、食糧が埋められていた場所と重なる。

 

「賊は埋められていた食糧に気付くこと無くここから去った。掘り出されずに済んだのはご老人が守り通したお陰だ。だから私もお前も飯にありつけ、今を生きていられる」

 

 『漢』の一文字を遠くに見据えながら、彼女は静かに言葉を紡いだ。

 

「私は……。不条理な暴力にただ涙を流すだけしかできない庶人を、一人でも多く救うことでこの恩に報いたい」

 

 

(四)

 

「……そっか」

 

 目の前の男はそう言って、再び外に出ていく。――が、先ほどと同じように、しばらく経っても戻ってこない。

 

 何をしているのか気になって様子を窺うと、男は穴を掘っていた。それも人が隠れるほど深く。

 

 助けた賊は今すぐ斬り捨てなくても良さそうだ。少なからず、義の心を持ち合わせている。

 

 そっと扉から離れ、私は椅子へと腰を下ろした。

 

 あれだけ動ければ、身体はもう大丈夫なのだろう。だがあの男……

 

 ――何者だろうか。

 

 男が手にしていた宝剣からして、貴族の出かと思いきや、姿、格好は賊そのもの。

 

 だが男は仁、他者を慈しむ心を持ち合わせていた。

 

 ――何かが違う。

 

 そう思わせる何かが、この男にはあった。

 

 少なくとも私の周りに、あのような人物はいない。……悪びれることなく、歯の浮くような台詞で私を侮辱してくる者など。

 

 ……本心で言っているのだと、分かってしまうから性質が悪い。あの男の第一声が、頭にこびり付いて離れない。私の目を見て『綺麗だ』などと……。

 

 ……はぁ。そんな訳があるはずもないのに。……悪い夢を見ていたと、すべて忘れよう。でなければ本当に騙されてしまいそうだ。

 

 騙されたら……?

 

 なっ、私は何を考えてっ! ――兎に角! 害は為さないと決め付けるのは早計! 油断せず、しばらく様子を見るべきだろう!

 

 男に関してはひとまず整理がついた! 終わりだ!

 

 一番の問題へと、私は意識を切り替える。

 

 ――ま、まだ冀州に入ったばかり!

 

 そう、冀州に入ったばかりなのだ。

 

 道なき道を行こうが所詮は歩き。馬で移動している官士達にいずれ追いつかれるだろう。

 

「……どうしたものか」

 

 手配書も出回っているだろう。斬った相手が相手なだけに、間違いなく多額の懸賞金も掛けられているはずだ。おちおち街を歩くことすらままならない。

 

 だからこそ一刻も早く司州から距離を取らねばならない。

 

 ……この場所に長く留まるのは危険だ。

 

 だが移動するにも服が必要だ。今着ている服は襤褸切れで、さして裸と変わらない。今身体に巻いている布を外衣にしても、だ。……怪しい奴と、街中で尋問でもされたらどうする?

 

『待て、そこの黒髪の女。怪しいな。外衣を取れ。――なっ、は、半裸だと!? 変態っ、ぐぁぁっ!」

 

 ……こ、このままでは親から授かった名を、変態という二文字で穢すことになりかねん。それだけは避けなければっ。

 

「んん~~ッ!」

 

 身体に巻いた布を広げるように、大きく背伸びをする。

 

「はぁ~。どうしたものか……」

 

 あの男の所為で、緊張の糸がぷつりと切れてしまった。

 

 ……とても静かで、日差しが暖かい。

 

 今まで起きた出来事がまるで嘘のような、夢のような時間が流れていく。

 

 そういえばあの男の名前を聞いていなかったな。ふんっ、命の恩人に名を名乗らんとは、何たる不届き者……。

 

 ……いや、待て。

 

 私は追われる身だ。男に名を知られるのは、非常に不味いのではないだろうか?

 

 どうしたものかと悩んでいると……

 

「――つ、疲れた」

 

 突然扉が開き、男が入ってくる。油断していた私に目もくれず、炊事場へと歩いていく。

 

 布で素早く身体を隠すと、喉を潤した男が戻ってくる。手にした服を自慢するかのように私に見せてきた。

 

「服屋で見つけたんだ」

 

「――何? 私が見た時は蛻の殻だったが」

 

「正確には服屋の作業場のごみ入れかな。そこに何着か捨てられててさ、試作品の失敗作かなぁ。素敵な衣装だと思うんだけど」

 

 そう言って男は寝床へと倒れ込んだ。そのまま寝ていれば良いものを、身体を起こして私に話しかけくる。

 

 

(五)

 

「そうだ。改めて、御礼を言わせてほしいんだ。助けてくれて本当にありがとう。はい、これ――」

 

 彼女に服を渡そうと、立ち上がった瞬間――

 

「――あれっ?」

 

 刃物のように鋭く、冷たい視線が俺に向けられていた。

 

「それ以上私に近付けば、命の保証は無いと思え」

 

 低く、威嚇するような声に、俺はそっと元の位置へと戻る。

 

「私は賊と慣れ親しむつもりはない」

 

「賊? 服を勝手に持ってきたから、怒っているのか?」

 

 彼女は首を振る。

 

「そうではない……。壁に立てかけてあるそれだ」

 

 それは日の光を反射して、白刃の輝きを放つ両刃の剣。その剣身には金がふんだんに施され、その根元に埋め込まれた赤い宝玉が一際明るく輝いていた。

 

 全体的に淡緑の、劉備から奪い取った宝剣のことだ。

 

「賊の恰好をし、痩せ細った者がそのような剣を所持しているものか」

 

「確かにこの剣は俺のものじゃない。訳が合って――」

 

「待て、深呼吸する」

 

「へ? あ、うん」

 

 突然、大きく深呼吸する彼女。

 

「……良し。話せ」

 

 彼女は身構えると力強い視線を俺に向ける。

 

 余り深く考えず、俺は今までの経緯を掻い摘んで説明した。

 

 少し前まで楽快という賊と戦っていたこと。兵糧攻めを受ける中、義勇軍を率いていた劉備という男とその幹部達が裏切ったこと。決死隊の仲間達がこの剣を奪い取り、それを預かった俺は、奪い返そうとする劉備達に追い詰められて――。

 

 そして、思い浮かべる。楽快との戦いが終われば、共に邁進するはずだった少女の顔を。

 

 ……無事で、いるはずだよな? ――星。

 

 俺の窮地に駆けつけてくれた、――泣きそうになりながら、諦めるなと、最後まで励まし続けてくれた女の子の無事を願う。

 

「どうした?」

 

「……あ、いや、この剣をさ、劉備達から守り抜いたんだなって」

 

 皆が命を掛けて守り抜いた剣を見て思う。

 

 良い意味でも、悪い意味でも人を惹きつけるこの剣を、悪党の手に渡す訳にはいかない。

 

 それは正しい。絶対に間違っていない。

 

「それで今度はさ、この剣を本当の持ち主に届けなきゃいけないんだなって、思ってさ」

 

「……はっ?」

 

「いや、だから届けるの」

 

「届けるのか?」

 

 そう、届けるのだ。劉備は確か……、中山靖王劉勝の子孫だったはずだ。だとしたらこの剣がそれを証明するモノとみて、良いだろう。

 

 ――絶対に困っているはずだ。

 

「その剣を持っていた人物が偽物だと、何故別人だと思った?」

 

「仲間を平気で裏切る悪党がこの剣を持っていたから、かな? そうだな……。君が俺を見て、この剣の持ち主は俺じゃないって思ったのと同じくらいに、違和感ありありだったと思ってくれ」

 

 彼女は諦めに似た溜息を吐く。

 

「ならば本来の持ち主はどこにいる。……居場所が分からぬなら、どうすることもできまい」

 

「劉備は確か幽州啄郡の出身だったはずだよ。詳しくは分からない。だけど必ず幽州にいるはずだ。何たって始まりの土地だし、間違いないよ」

 

「始まりの土地?」

 

「あ、いや、こっちの話。気にしないでくれ」

 

 ――三国志の序盤、有名な桃園の誓い。劉備は幽州で旗揚げをする。

 

 そして俺には趙雲の居場所も見当が付いている。きっと近いうちに会える。

 

 訝しげな表情をしたあと、彼女は目を閉じた。

 

「……最後だ。もし、その男が本物の劉玄徳だったら、お前はどうするつもりだ?」

 

「ぶん殴る」

 

「いや、そういう意味では無いのだが……?」

 

「冗談でもそれは辛いな。でも大丈夫。確信はある。信じてくれって言っても、信じて貰えないだろうけどさ」

 

 だが彼女は首を縦にも横にも振らずに、

 

「お前の言葉が真か否か、いずれ分かることだ。それまで私はお前の言葉を信じて、その命を預けておいてやる」

 

「そっか……。ありがとう!」

 

「――だがもし嘘を吐いていたなら! まして、それ以前に怪しい素振りを少しでも見せてみろ! 天に代わってこの私が貴様を成敗してくれる!!」

 

 ……うん?

 

「ということは、幽州まで一緒だね。よろしく」

 

「――はぁ!? 何故私が貴様と一緒に行動せねばならんのだ!?」

 

「えっ? でも一緒にいないと確かめられないだろ?」

 

「そ、そんなことは――、ない!」

 

「ほら、その……、俺弱いからさ、返す前に賊に襲われて奪われでもしたら、洒落にならないだろ? 一緒にいてくれると心強いし……、この通り!」

 

 寝床で正座して、手を合わせてお願いする。

 

「知らん! 知らんぞ、私は!」

 

「あ、知らないと言えば名前! 命の恩人をいつまでも君って呼ぶのも、ね? 改めて、姓は北郷、名は一刀! これからよろしく!」

 

 無理やり話を変えると、彼女は言葉を詰まらせたあと、細い眉をぴくぴくと動かす。

 

 ……うっ、爆発寸前だな。でもこっちには命が掛っている。治安が悪い世の中だからこそ、独り歩きだけは絶対に避けたい。

 

「わ、我が名は関……、関……」

 

 ――関? はい、ストップ。……何、この嫌な予感。

 

「えっと、ちょっと待ってくれ。関さん」

 

「え? あ、あぁ……」

 

「その……、関さんの名前ってまさか」

 

「――っ!?」

 

 彼女がガタリと音を立てて、座っていた椅子から立ち上がる。

 

「いや、言う前からそんなリアクションって、えっと、……そんな反応されても困るんですけど?」

 

「……貴様、我が名を知っているのか!?」

 

「いや何となく。……もしかして、みたいな?」

 

「……ほぅ。では言ってみろ」

 

 じりじりと彼女が近付いてくるような……。気の所為か?

 

「……もしかして、『関羽』って名前だったり、っ!」

 

 彼女がニコッっと微笑むと急に悪寒が……。

 

 気の所為か黒いオーラが立ち込め、まるで大鎌を持ったあの人のような……。

 

 アレ? 死亡フラグ、キタコレ?

 

 

(六)

 

「あは、あははははは、やっぱ人違いだよな!? あの関羽が俺を助けてくれるとか、いくらなんでも都合が良すぎるよな!!」

 

 だが彼女は否定も、肯定もしない。ただニコニコと俺の言葉の続きを待っている。

 

 ――あぁぁぁっ!! お、俺の馬鹿!! 名前を口籠るってことは、言い辛い何かがあるってことじゃないか!!

 

 前歴が前歴だけに、『もしかして』という期待に口走ってしまった。

 

 ――と、とにかく全力で勘違いだと誤魔化して、いや! こ、ここは無理やり話を変えよう!

 

「えっと、お腹空いたなぁ~!」

 

 ……シャラシャラシャラ。

 

「――ちょっと待った!」

 

 ――何、その音! 金属か何かが地面に擦れる音がする!!

 

 じわっと迫る彼女がピタリと立ち止まり、『どうした?』と笑みを絶やさず首を傾ける。

 

「お、俺の勘違い! 謝る! ごめん!」

 

 突き出した両手を合わせて、合掌する。

 

「字は?」

 

 ――無視ですとっ!?

 

 ……シャラシャラシャラ。

 

「待って! 動かないで! 身体に巻いた布の中に、何が入ってるわけ!?」

 

 彼女は再び立ち止まると、俺にこう答えた。

 

「……字は?」

 

 ――流されちゃうのっ!? しかも字って!? ……えっ、何だっけ!?

 

「う、雲長――!」

 

「うんちょう? ――どうしてその者だと?」

 

「か、関さんは、俺が賊だと思ったよね?」

 

「思っている、だ」

 

「うっ、で、でも俺を助けてくれた。別に関さんに取って、良い事なんて何一つないのにさ!」

 

 彼女はじっと言葉を待っている。

 

「だから困っている人を放っておけない性格なんじゃないかなって……。それが俺の知る関羽って人にぴったりだったんだ。――それに、俺が尊敬している人の眼にそっくりで、その……、強くて真っ直ぐな瞳が……」

 

 彼女の澄んだ瞳に俺が映っていた。さぞかし間抜けな姿に映っているのだろう。

 

 『そうか』とだけ答えて、彼女は戻っていく。

 

 言ってて気が付いた。これって、ただの願望じゃないか。……関さんに凄く失礼なことをしてしまったな。

 

 彼女は『かんう、うんちょう』と、片言のように呟きながら物思いに耽けたあと、柔らかな表情を俺に向ける。

 

「どう書く?」

 

 不意打ちだった。俺はしどろもどろになってしまう。

 

「へっ!? ど、どうって……、鳥の羽に、字が――」

 

 俺の言葉を遮って、

 

「空浮かぶ『雲』……、頂きへ、か。……ふふっ、悪くない」

 

「……え?」

 

 擽ったそうに笑みを漏らして、窓の外を眺めてたあと、目線をこちらに向けて……

 

「……腹が減ったな」

 

 そう呟くと、名前を問う暇も与えてくれずに俺を急かす。

 

「ほら、腹が減ったのだろう? 動け! いー、ある! いー、ある!」

 

 しぶしぶ俺が立ち上がると、彼女は口元を緩ませて微笑んだ。

 

 

(七)

 

「お粥できたよ」

 

「よし、そこに置いて離れろ」

 

 もぞもぞと関さんが炊事場へと動き出した。

 

『デデデン、デデデン、デデデデッ――』

 

 某怪獣のテーマを心の中で思い浮かべた途端、ギロリと睨まれた。

 

 ……ナンデモ、アリマセンヨ?

 

 巻き付けた布を引き摺りながら、もくもくと湯気が上がる器を手に取ると、のそのそと慎重に定位置へと戻っていく。

 

 その姿に何故か笑いが込み上げてくる。

 

「どこの寒がりだよ」

 

 その一言に彼女は振り返ると、恨めしそうに俺を睨む。怖くない。むしろ可愛い。

 

「うるさい! 好きでこのような格好をしているのではない!」

 

 そう叫ぶと、関さんはふーんと目を細める。

 

「そうか。北郷殿は命の恩人が服で困っているのに、見て見ぬ振りをするのか。そうかそうか」

 

「すぐに用意させて頂きます!」

 

 現代風の服をざっと並べて……。

 

「気に入らなくても、文句言わないで着てくれよ?」

 

「この際だ。贅沢は言わん」

 

「言質取った! ふっふっふっ」

 

「お、おい?」

 

 ……そうだな。彼女の真面目そうな印象を残しつつ、清潔感を出そう。まずは白のブラウスかな。襟元に何かアクセントがほしいけど、贅沢は言えないか。深緑のスカートは控えめに広がる感じで、膝下まであるのを選んでと……。

 

「――いや、待てよ? やはりこの魅惑の黒ニーソを活かさないでどうする! スカートは膝上十センチ以上にして、ときめく夢を詰め込もうじゃないか! くっ、我ながら恐ろしい」

 

「――却下だ!」

 

「…………?」

 

「却下だ! 聞こえている癖に首を傾げるな! ――お前の言動が怪しすぎる。兎に角却下だ!」

 

「くっ、仕方ない! ……だが選ぶ権利は俺にある! 予定通りこれと、これ。そして、これだっ! ――できたっ!!」

 

「もう良い! 食後に私が――」

 

「えい!」

 

 俺は余っていた服を火の中へと放り捨てた。

 

 

(八)

 

「風邪を引いたら大変だ! さぁ、早く着替えたほうが良い!」

 

 関さんが食事を終えたのを見計らって外に出た俺は、彼女が着替え終わるのを心躍らせながら待っていた。

 

「時代を先取りする人っているもんだなぁ~」

 

 どちらかというと、現代的な衣装。だからなのか、この時代の人達には異質に映ってしまうのかもしれない――。

 

「こ、このような格好で外を歩けるか!」

 

 案の定、関さんの悲鳴が聞こえてきた。

 

「大丈夫だって! 絶対に似合うって!」

 

「似合うかっ!」

 

 ――だから俺は関さんの退路を断つため、服を燃やすという策に出たのだ。

 

「そんなことないって! 関さんは綺麗なんだから何でも似合うって。自信持って!」

 

「~~~~っ!」

 

 どれほどの時間が経ったのだろうか。関さんは中々合図をくれない。

 

「関さん、まだ?」

 

「――っ! ま、まだだ! まだ入ってくるな!?」

 

 扉の向こうから、ドタバタと音が聞こえたあと、

 

「よ、良し! もういいぞ! 入ってこい」

 

 とうとうこの時が来た! 何故だろう、緊張してきた……。

 

 俺はゆっくりと扉を開いて、関さん姿に言葉を失う。

 

「むっ、何だ、その眼は」

 

「いや、……何で布巻いてるのかなって」

 

「巻こうが巻くまいが、私の勝手だ」

 

 ――まだだ、俺は絶対に諦めない!

 

 

(九)

 

 何故北風と太陽作戦が失敗に終わったのか。

 

 夕食の後片付けをしながら、俺はそんなことを考えていた。

 

 冷たい視線が突き刺さる中、村中から集めてきた壺を彼女の周り並べ、その中に熱湯を注ぎ込んだというのに見知らぬ顔一つで、さらには足湯まで始められる始末。

 

 このままじゃ、馬鹿丸出しで終わってしまう……。

 

 しかしそんな考えも、彼女の一言で一瞬にして吹き飛んでしまった。

 

「さて、一緒に寝るか」

 

「い、一緒に寝る?」

 

 無造作に並べられた壺の間をすり抜け、のそのそと寝床へと歩いていく。

 

「寝床は一つしかないのだ。夜は冷えるし、お互い体調を崩してはいかん」

 

 ――本気ですか!?

 

「年頃の男女が一緒に寝るのは、さ、さすがに問題だろ!?」

 

 っていうか色々とまずい。冷静でいられる自信がありません。

 

「お、お前を助ける時だって私は恥しいのを我慢して、だな……」

 

 もじもじしながら頬を赤くして、意を決っしたように叫ぶ。

 

「――変に意識をするな! こっちまで変になる。兎に角、すべて私に任せておけ!」

 

「任せろと言われましても……」

 

「――そうか、私とは一緒に寝たくないんだな」

 

「いやいやいや、そうじゃない! 関さんは大丈夫なのかって意味だよ!」

 

「大丈夫だ」

 

 ――即答ですか。俺が選んだ服を着るのに、恥しがっていた人の台詞とは思えない。

 

 これはひょっとして……。

 

『やりましたな、主!』

 

 そうそう、星ならきっとそう……って、違うだろ!? ――自重しろ、俺! 

 

「コホン……。お互い、後ろめたいことがあるやもしれぬ。だが心配するな。……何も、考えられなくしてやる」

 

「何も考えられなく!?」

 

 ――添い寝だよな!?

 

「これは仕方のないことなのだ。想い詰めなくとも良い」

 

 また咳払いをひとつすると、関さんは俺に迫る。

 

「そ、そういうことだ。男なら、そろそろ覚悟を決めてもらおうか、北郷殿?」

 

「――ッ! ……分かった。俺も男だ。そこまで言われたら、引きさがるつもりはないからな?」

 

「おう、上等だ。では準備する。後ろを向いて、目を閉じるんだ」

 

 俺は言われるがままそうすると、布が擦れる艶めかしい音が聞こてくる。

 

 くそっ! 期待するだけ無駄だって分かっているのに、何でこんなにドギマギしているんだよ。って、今夜は絶対に眠れないっ!

 

 彼女の左手が撫でるように肩から腕、胸へと流れていく。

 

 ――えっ!? アレ? ほ、本当に添い寝するだけだよな!?

 

「力を抜け、もっと、そうだ……」

 

「wktk、wkt……」

 

 

(十)

 

「……はぁ」

 

 一夜明けた朝、関さんは相変わらずの定位置で、くすくすと笑っていた。

 

「北郷殿、そこまで落ち込まなくとも」

 

 これが落ち込まずにいられるかっての!

 

 気が付けば外が明るい。あれっと思ったら扉が開くと関さんが――

 

『ぉぉおはよう! 目が覚めたようだな。うん、よく眠っていたぞ』

 

 と、挨拶してきたのだ。

 

 準備するからと言うことで後ろを向いたあと、鋭い痛みが後頭部に走り……、そこから朝までの記憶がバッサリと抜け落ちていた。

 

 ――純情な男心を何だと思ってるんだ!

 

「そう膨れるな。だが私の言っていたことは、嘘、偽りはなかったはずだぞ?」

 

 お互い後ろめたいこと。全て私に任せて置け。何も考えられなくしてやる。男なら覚悟しろ……。

 

「間違っちゃいないけどさ……」

 

 その気にさせるような言葉ばかり選んでないか!?

 

「罠だとは、思わなかったのか?」

 

 関さんが興味あり気に聞いてくる。

 

 ――むむむ。

 

「分かっていても、前に進むものなの!」

 

「そう、なのか?」

 

 何となくこうなることは、分かっていたけどさ――!

 

「それに俺はしないで後悔するよりも、やって後悔する人間なの! 可愛い女の子が手招きしてるんだ。止まる訳にはいかないだろ?」

 

 白い目を向けられていたが、徐々に彼女の顔色が赤く変化していく。

 

「――か、可愛い!? 女の子だと!?」

 

「何を今更……」

 

「――ッ!? 武人に可愛いなど、私を侮辱するのも――」

 

「へぇ、関さんは武人なのか」

 

「そうだ! 何を今更――!」

 

 ……どうやら反撃の時が来たようだ。

 

「な、何だその目は!」

 

「いや、ね? 関さんのような凛々しい人が、時折見せるそんな仕草が可愛いなって思ってさ」

 

「――貴様っ、まだ言うか!! どうやら痛い目を――」

 

 彼女が勢い良く立ち上がる。

 

「あ、でも武人だったらもっと堂々としてるはずだよなぁ。服を見られることで、恥しがったりはしないと思うんだけど?」

 

「くっ、ならば武人らしく、堂々としていれば問題は無かろう!――堂々としていればっ!」

 

 彼女が布に手を掛ける。

 

「そうそう。関さんは綺麗なんだから、自信を持って……」

 

 ……あれ?

 

 どうしたことか、関さんはぴくりとも動かず、俯いたまま手を震わせている。

 

「……そ」

 

「そ?」

 

「そろそろっ、腹が空いたのではないか!?」

 

「へっ?」

 

「空いたであろう! 空いたな!」

 

 ――えぇぇぇっ!?

 

「いや、空いてないかな」

 

「私は空いた。だから早く準備しろ!」

 

「……」

 

「に、ニヤニヤ、するなぁぁぁーっ!」

 

 関さんをからかった俺は、一時的難聴の代価を支払うこととなった。

 

 

(十一)

 

「ふぁ……」

 

 手を口に当てて、大きな欠伸をする関さん。目が合うと照れ笑いして……

 

「こんなにのんびりと過ごしたことなど、今まで無かったのでな」

 

 咳払いして……、ピッっと背筋を伸ばす。

 

「だが昼にはここを発つ」

 

「そっか。じゃぁ昼までにはこの家の片付けをしなきゃいけないな」

 

 そうだなと言って、またふわっと欠伸をする関さん。少し眠そうだ。

 

「それまで一眠りする?」

 

「申し訳無いが、そうさせてもらおう」

 

 寝床に頭まで潜り込んだ途端、規則正しい寝息が聞こえてくる。

 

 俺はそっと外に出て、入口付近の雑草を抜き始めた。

 

 

(十二)

 

 入口付近に生えていた雑草を全て抜き終わり、綺麗になったと一人頷いていると、どこからか聞こえてくる低い地鳴りに耳を澄ました。

 

 ……遠くで砂煙が上がっているな。

 

 その正体が徐々にハッキリしてくる。どうやら官兵のようだ。

 

 官の旗を靡かせて、一直線にこちらへと迫ってくるではないか。あれよあれよと距離は縮まり、二十頭の馬が目の前で一斉に嘶いた。

 

 ……撥ねられるかと思った。

 

 彼等は馬を落ち着かせた後、馬から降りずに声を掛けてきた。

 

「お前、この村の生き残りか?」

 

「いや、違いますけど?」

 

「流れ者か……」

 

 そう言って俺を品定めしたあと、尋問を再開させた。

 

「ここで何をしている?」

 

「何をしているって、掃除かな」

 

 抜いた雑草を指差す。

 

「掃除? 流れ者のお前がこの家の掃除をしているのか?」

 

 俺はその経緯を簡単に説明する。官兵たちが顔を見合せて頷く。

 

「人様の飯食ってんだから盗人のようなもんだが、今回は見逃してやろう。俺達の目的はお前を捕まえることじゃないからな。そのかわり、幾つか質問に答えろ」

 

「うん?」

 

「この辺りで、長くて美しい黒髪を持つ絶世の美女を見なかったか?」

 

「見た。びっくりするくらい綺麗な人」

 

「どこで見た!?」

 

 官兵達が一瞬ざわめく。

 

「中にいるよ?」

 

「そうか! 中にいるか! ……中!?」

 

 彼等の動揺を悟ったのか、馬が暴れ出すと兵士達は必死になって馬を宥める。

 

「関さんのことだろ?」

 

 男達が青褪めていく。……何だろう?

 

「は、ははーん。お前、俺達を驚かそうとしてんだろ? そうだろ?」

 

「いや、別にそんなつもりは……。ちょっと待ってて。起こしてくる」

 

 兵士達が悲鳴に似た声を上げて、俺を呼び止める。

 

「待て待て待て待て! 本当に関長生が中にいるのか?」

 

「関長生? 聞いてみるよ」

 

 部屋に戻ると関さんは起きていたようで、寝床に腰を下ろしていた。

 

「あっ、関さん起きてたんだ」

 

「まぁ、あれだけ外で騒がれればな」

 

「官軍の兵士が名前を教えて欲しいってさ。関さんの字って、長生だったりするの?」

 

「……いや、違うぞ?」

 

 若干、語尾が上がったのが気になるけど……。でも本人が違うと言うのだから、違うのだろう。

 

「違うってさ」

 

 兵士達の曇った表情が、面白いほどに晴れ渡って……いかなかった。

 

「そうかそうか、違うのか! ……って、信じられるか! 女、家から出てきて姿を見せろ!!」

 

 男達が一斉に剣を抜いて、この家を取り囲むように部隊を展開する。

 

「――ちょ! 行き成り剣を抜いて、何だってんだよ!?」

 

「関長生はな、白昼堂々有力豪族を叩き斬った極悪人だ! お前も早くこっちへ来い!」

 

「……極悪人? 関さんがぁ?」

 

 俺が振り返ると、関さんは着ている服を隠すように、もぞもぞと身体を動かしていた。

 

 ……あんな可愛い生き物が、極悪人?

 

「おいおい、人違いも大概にしてくれ。こんな可愛い生き物が極悪人のはずないって、――危なっ!?」

 

 ……後ろからお椀が飛んできましたよっ!

 

「こんな時まで、貴様は私を侮辱するのか! さっさと向こうへ行け!」

 

「――なっ?」

 

 と、兵士達に問い掛けても誰も剣を下ろそうとはしない。

 

「誰に同意を求めているかは知らんが、中にいる女! さっさと出て来い!」

 

 関さんが大きく溜息を付く。立ち上がり、のそのそと姿を現した。血の付いた布を纏いながら。

 

「むむっ、身体に巻いた布が怪しいな、取るんだ!」

 

「――さぁ、取るんだ!」

 

 これはチャンスと馬鹿丸出しで便乗すると、関さんは俺を睨みながら近付いてきて、二の腕辺りを押すように、何度も頭突きをかましてくる。

 

 って、結構力強いな……。一発喰らうと、二、三歩よろめくですけど。

 

「なっ? 可愛い痛っ――!!」

 

 今度は俺の顎目掛けて、……飛んできたっ。

 

 誰かが、あれは痛いと呟いた。……本当に痛いです。

 

「全く! お前は少し黙っていろ!」

 

 官兵の間で何やら話しだしたのだが、その内容が丸聞こえで余りにも酷い。

 

『確か絶世の美女だよな?』とか、『美女じゃないな』、『どこが美女だよ』などと、まるで本人に聞こえるように、わざと話しているかのようだ。

 

 失礼な奴等だと思いつつ、心配になって関さんの表情を窺うと、彼女は青筋を浮かべてじっと耐えていた。

 

「茶番はもう良い! さぁ、取れ! 美女とは程遠くとも、その布の中に武器を隠し持っているに違いない!」

 

「くっ、言わせておけば。どやつもこやつも。……良いだろう。北郷、こっちに来て手伝ってくれ」

 

「あ、あぁ……」

 

 関さんの傍に寄ると、前を向けと言われたので抗議する。

 

「ちょっと待ってくれ、これじゃ関さんの姿が見れないじゃないか!」

 

「――見んで良い!!」

 

「あんた達も何とか言ってくれ!!」

 

「――どうでも良いわ!」

 

 ……くそっ、味方がほしい!

 

「誰か! 関さんは可愛いと、俺に味方する者はいないかーっ!」

 

「ここっ――っぷ」

 

 ――いる!? どこ!?

 

「きょろきょろしてないで、しっかり前を向けっ!」

 

 誰も聞こえていない? 俺の気の所為なのか……。可愛らしい声が聞こえたような気がしたんだけど……。

 

「北郷、絶対に放さずに持っていろよ」

 

 背後から小さな小さな関さんの声、腕を取られて――。

 

「――っ」

 

 硬い何かを握らされる。布で隠されてはいるが、この重さ、剣に違いなかった。

 

 ――もしかして、布の中にずっと隠し持っていたのか。

 

「振り向いたら命はないからな!! ――これで、良いのだろう?」

 

「ぷぷっ、何だ、その御洒落な格好は!」

 

 指を指して笑う官兵達に、それが当り前のような声色で彼女が答える。

 

「ふん。その様なこと、言われなくとも――」

 

「――関さん、綺麗だ!」

 

 そう叫ぶと、ここにいる誰もが沈黙した。馬まで沈黙しなくても良かったのに……。

 

 その静けさの中、最初に声を上げたのは関さんだった。

 

「――っ! い、行き成り何を!?」

 

 官兵達は俺を馬鹿にするように、肩を震わせて笑いだした。

 

「見てない癖にそのような台詞、し、信じられるものか!」

 

 関さんは必死に否定しているけれど、俺には自信がある。

 

「俺が関さんのために選んだんだ。見なくても間違いなく似合ってる。――お前等は謝れ! 彼女に謝れ! さっきから失礼なことばかり言いやがって!」

 

「あー、分かった分かった。そう噛みついてくるな」

 

「だから彼女に謝れって――、っ!!」

 

 後ろから突然腕を回され、抱きしめられた。

 

「もう良い。その気持ちだけで十分だ」

 

「……でもっ」

 

 ――くそっ、腹立つ!

 

「くくっ、男必死っすね。でも剣を持っていないとなると、見当違いっすかね?」

 

「そのようだな。奴は我等から逃げるに必死。このような場所で道草を食っているとも思えん」

 

「ですな。それも多額の懸賞金。どこにも逃げ場などないわ。目の前の女は……、なぁ?」

 

 がっかりだと嫌がらせのように吐き出しながら、官士達は踵を返して去っていった。

 

「もう二度と彼女の前に姿を見せるなーッ!」

 

 ……畜生! いくら叫んでも、負け犬の遠吠えみたいだ!

 

 

(十三)

 

 官士達が乗った馬は彼方へと消えてしまった。

 

「……」

 

「……あの、えっとさ」

 

 だが奴等が見えなくなっても、関さんは俺を後ろから抱きしめたまま動こうとしない。

 

 背中に当たる柔らかな感触に、官兵のことなど何処かへ吹き飛んでしまった。

 

「――凄く、大きいです」

 

「~~~~っ!?」

 

 しまった! つい口に――。

 

「……ぐっ」

 

 凄い力で身体が締め付けられていく。――苦しい、けど幸せ、あ、でもやっぱ苦しい。――ギブッギブッ。

 

 空いていた手で彼女の腕を叩く。彼女は剣と布を素早く奪い取ると、一瞬で身体に巻き付けてしまう。

 

 ……嘘、だろ? そりゃないよ。

 

「……お前だけにはこの姿、絶対に見せぬっ!!」

 

 そう言って、彼女は憤慨しながら家に戻っていった。

 

 

(十四)

 

 片付けを済ませた俺と関さんは、この家の主が眠る墓前で祈りを捧げたあと、幽州へと足を向ける。

 

「関さんも同じ行き先で良いんだよね?」

 

「お前に教える義理は無い」

 

 彼女は俺の前を早足で歩いている。彼女の横に並ぶために走り寄る。

 

「それじゃ一緒の所までよろしく!」

 

「……勝手にしろ。私の足を引っ張るようなら、置いて行くまでだ」

 

「またまた~。関さんは俺を見捨てたりしないよね?」

 

 …………スタスタスタ。

 

「速っ! 歩くの速いって!」

 

「貴様が遅いだけだ」

 

 峠に差し掛かり、俺のペースはさらに落ちて行く。一方、顔色一つ変えず山道を登っていく関さん。見る見る距離が開いていくではないか。

 

「ちょっ、待ってくれー!」

 

 あっという間に彼女の姿は見えなくなった。

 

 近くの村か町で関さんとは合流できるんだろうけど、まさか本当に置いて行かれるとは……。

 

 ――関さんの薄情者!

 

 黙々と一人峠を越える。下りに差し掛かると小さな町が見えた。

 

 ……おっ、残り半分といったところか。

 

 少し休憩しようと思ったとき、後ろから声を掛けられた。

 

「よぉ、兄ちゃん。死にたくねぇよな? 身ぐるみ置いてさっさと消えな!」

 

 そのまま走って逃げようか。そう思った瞬間、山腹から男の断末摩が聞こえてきた。

 

 ――ピィィィッ!

 

 口笛が悲鳴と共に響き渡った。ひとつやふたつではない。数え切れないほど沢山だ。

 

「おいおい、どうなってやがる」

 

 相談するかのように視線を交わして頷き合ったあと、視線を俺に戻して舌打ちする。

 

「命拾いしたな。――行くぞ!」

 

 賊達は声がした方へ走り去ってしまった。

 

 ……助かった。

 

 全身から力が抜ける。その間にも遠くから男の悲鳴が幾つも聞こえてくる。

 

 そして途絶えた。

 

 ……何が起こったのか気になって、声がしたほうへと急ぐ。

 

 見えてきたその光景に、俺は言葉を失った。

 

 百近い数の賊が、其処等じゅうに倒れているではないか。

 

 そんな中を一人歩き周っている人物。……関さんだった。

 

「……北郷か」

 

「か、関さん!? 怪我してるじゃないか!?」

 

 布から出していた手から、血が流れていた。俺は慌てて駆け寄る。

 

「――なっ!?」

 

 彼女の手を取り、俺は水筒の水で傷口を洗い流す。

 

「か、掠り傷だ!」

 

 俺の手を払い退けるが、俺はその手を取り直して傷口を洗い流す。

 

「掠り傷でもだよ。ここ以外に怪我は?」

 

「……無い」

 

「まさか関さんが賊に襲われていたなんて……」

 

「この私が賊に後れを取るものか」

 

 彼女は俺の手を振り解き、水筒と小さな袋を押しつけてくる。

 

「ど、どこへ?」

 

「……落し前をつけに」

 

「……へっ? あ、ちょっ!」

 

 信じられない速さで森の奥へと消えてしまった。

 

 後を追いかけようとしても彼女の姿はどこにもなく、俺は立ちすくことしかできなかった。

 

 ……そういえば。

 

 袋の中身が気になって開けてみると、そこに入っていたのは幾許かの路銀だった。

 

 これを渡されたってことは、先に宿へ向かえということだろうか?

 

 ……きっとそうだな。ここで待っていても、また賊に襲われたら洒落にならない。

 

 後ろ髪を引かれつつも、俺は一人町へと向うことにした。

 

 

 あとがき

 

 お待たせしました! 地編、第一章です。いつもながら、更新が遅くなって申し訳ありません。

 あの人と一刀との出会いになります。

 彼女がどのように彼と接するか、ずっと悩みの種でした。

 まず天の御使い補正がありませんので、畏怖も敬愛もない仕様に。そこに彼女の状況+主人公補正でこんな形に。色々と申し訳無いの一言です。

 

 ――取り敢えず、一刀には彼女の魅力を引き出そうと頑張って貰いました。口説いているように見えますが、本人には全くその気がありませんので悪しからず。

 

 ……思ったことは、物語が一気に弛んだことでしょうか。気が抜けたと言いますか。少しずつ引き締めて行きたいと思います。

 

 さて冀州から北上して幽州へと向かうのですが、途中で少し寄り道なんかしたいなと思っています。地編、お付き合い頂けると嬉しいです。それでは!

 


 
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