「勅。本日只今をもち、曹孟徳を魏王に封ず」
「は」
ここは許都。
元の名を、豫州・頴川郡、許昌という。
その謁見の間にて、玉座に座る少女の前に、恭しく跪く曹操。その曹操が頭を垂れる少女の名は劉協、字を伯和という。後漢の十四代皇帝である。
数ヶ月前。自身を傀儡としていた王允の手から逃れ、復興途上にあった洛陽にて曹操に保護された劉協は、その居をこの許昌に定める事を決め、新たな帝都とする旨を布告した。その一方で、賊徒に悩まされている徐州牧・陶謙の救助を、曹操に勅として下し、曹操はその勅を見事にこなした。
また、急なことだったにもかかわらず、短期間で都を整備したその手腕に劉協は感服し、この日、曹操に魏王就任の勅旨を下賜した。そして、
「……さらに、魏王・曹孟徳には、河北にて、不遜にも天の御遣いを名乗り、あまつさえ、北方の異民族と、朝廷の許しなく盟約を交わした反逆者、北郷一刀とその協力者を、討伐せしめんことを命ずるものである。ゆめ、これを拒むことなきよう、そして、漢による真の調和を、大陸にもたらさんことを望むものである」
「……勅命、謹んで、拝命いたします」
頭を垂れたまま、曹操は、勅書を読み上げる董承の言葉にうなずいた。その曹操に、劉協が一言声をかける。
「……魏王よ。朕にはそなたの十分の一の才も備わっておらぬ。故に、すべてをそなたに託すしかないこと、心底より心苦しく思う。……どうか、無事、よき報せがもたらされる事、祈っておるぞ」
「……もったいなきお言葉。臣はお約束いたします。必ずや、勝利の報せを、陛下のお耳に届けましょう」
会見は厳かなままに終了した。曹操の即位式は、後日、良き日を選んで執り行われた。文武百官の居並ぶ前で、曹操は高らかに宣言した。
「魏王・曹孟徳は、ここに北伐を宣言する!偉大なる漢王朝に、昔日の栄光を取り戻さんがために!天に二日無し!真なる天は皇帝陛下のみである!大陸に安寧をもたらす為!皆、奮起せよ!逆賊・北郷を見事討ち果たし、曹魏の大儀を世に示さん!」
おおおおおっっっっっ!!
「……と、兵たちの前では言っては見たけれど。……桂花、勝算はどれほどあるかしら?」
許都。その魏王館の軍議の間にて、曹操は猫耳のついたフードを被った、その少女に問いかける。
「……畏れながら、勝算はかなり低いかと」
「桂花の言うとおりです、華琳様。北郷軍が現在有する戦力は、少なく見ても、四十万から五十万はあります。その上、幽州の公孫賛軍が十万あり、烏丸や匈奴も、北郷軍に協力しております。……下手をすれば、百万近い軍勢との戦になるかもしれません」
その猫耳フードの少女の返答に続き、眼鏡をかけた少女が、河北の戦力状況を報告する。
「荀文若、郭奉孝の二人が、揃って今度の戦は負け戦だと。……そう言うのね?」
『……御意』
猫耳フードの少女・荀彧、字は文若と、眼鏡の少女・郭嘉、字は奉孝が、曹操のその冷静な問いに、節目がちにそう答えた。
「……風。貴女はどう見るかしら?」
「……ぐぅ」
「……起きなさい、風」
「おお。……いやいや、あまりの絶望的戦力差についつい」
軍議の席にもかかわらず、鼻堤燈を出して寝ていた、頭に人形を乗せた少女が、曹操のあきれたような一声で目を覚まし、そうもらす。
「……絶望的かしら?貴女から見ても」
「そですねー。実際、稟ちゃんのいう百万はおおげさとしても、向こうは確実に、後背を気にせず、全戦力をこちらにつぎ込めるでしょうから、五十万は最低見ないといけないでしょうー」
「……勝てそうな見込みはどう?……程仲徳?」
「……」
ぽや~っと。そんな感じで少しの間をとった後、その少女・程昱、字を仲徳は、卓上の地図を示しながら、自身の考えを語りだした。
「……西と南の抑えは、絶対に外す事は出来ませんので、洛陽と寿春の戦力は、割くことは絶対に出来ません。といっても、荊州への抑えはいらないので、主に揚州方面への抑えですが」
「そうね。荊州の内乱は、もうしばらく続きそうだし。……孫伯符は、こちらが隙を見せたら、即動くでしょうね」
同じく地図を見ながら、程昱の言葉にうなずいてみせる曹操。
「なので、こちらが実際に動かせる戦力は、およそ二十万がいいところでしょうね~。そうなってくると、やはり狙うのはここ、でしょうか~」
「……青州、ね。……貴女にしては、割と普通な戦略ね?風」
「奇をてらった所で、得られるものは少ないでしょうし。”隙を見せる”のにも、都合がいいかと」
荀彧の辛辣な評価に、そう答えて返す程昱。
「戦力的には、十万ぐらいってところかしら、風?」
「……妥当な数字かと~」
「分かったわ。春蘭!秋蘭!兗州のあの娘たちと合流して、青州に侵攻しなさい。ただし、いつでも戻れるよう、十分に、ゆっくりと、ね」
『はっ!』
自身の左右に控えていた、夏侯惇、夏侯淵の姉妹に、曹操はそう命を下す。
「桂花。凪、沙和、真桜に命じて、許からもいつでも出れるようにしておいて頂戴」
「はい!華琳様!」
慌しく駆け出していく三者。そして、
「稟、風。……一応、北郷に使者を出しておいて頂戴。形式上、一度は降伏勧告しておかないとね。……ま、それで言うこと聞くくらいなら、苦労はないんだけど」
「はっ!」 「はいですぅ~」
(……まさか、素直に従ったりなんかは、するわけがないわよね?天の御遣いさん?)
いつぞやか会ったときの、一刀のその顔を思い出し、クスリと笑う曹操。……良き好敵手に巡り会えた。そんな表情を、その顔に浮かべて。
そして、それから数日後の冀州、鄴。その謁見の間に、一刀たち北郷軍の諸将が揃い、曹魏からの使者を迎えていた。なお、公孫賛と丘力居、そして劉豹は国許に戻っているため、この場には同席していなかった。
「……お話は分かりました。ですが、降伏の選択肢はけしてありえません。その旨、曹操殿にお伝えください。程昱さん」
「……そーですか。分かりました、魏王さまには、そうお伝えしておきます」
ほぼ体面上ともいうべき降伏勧告。その使者を務めたのは程昱であった。副使という名の護衛に、とても元気そうな、少年のようにも見える少女-曹操親衛隊の許緒、字を仲康を伴って。
そしてその、形式どおりのやり取りをするだけの会談で、一刀は当然の如くそれを断った。もはや漢に追従する義理は、自分たちは無い。しかも、異民族とはいえ、同じ人間である劉豹らをけして対等に認めぬ王朝には、なおの事従えない、と。
「他者を見下すしか出来ないものは、けして長く続きはしない」
永久なんてものは絶対に無い。盛者必衰の理からは、誰も逃れる術は無い。ならばどうするか。その答えを、一刀は一刀なりに持ってはいる。だが、それはまだ口にはしない。いや、出来ないといったほうがいいだろう。
それは、あまりにも”早すぎる”考えだから。
……話が少々それたので、本題へと戻ろう。
ともかく、程昱のほうも、その答えは予測済みだったらしく、まったくその表情を変えず、たんたんと礼をして返した。
「では~、まことに残念ではありますが~、たった今をもって、われ等曹魏は、北郷軍に対し、宣戦を布告させていただきますので~」
「ええ、分かりました。……まあ、ちょっと、場の緊張感がたりませんけどね」
「そですね~。でも、風はこんな風なもので、そこはご容赦くださいな~」
ははははは、と。
何故か乾いた笑いをこぼす、一刀と程昱だった。
その程昱たちが退出し、鄴の地を離れた頃。
円卓の間に一刀たちは集合し、対曹魏の軍略を相談しあっていた。
「さて、と。まずはどこから狙ってくるか、だけど」
「まあ、十中八九、青州でしょうね。黄河を渡る危険を冒さず、まずは先制権をとる。そして」
「……わざと空にした兗州に、われ等が侵入するのを見計らって、青州に向かった軍とで挟み撃ち、か。……ちとあざとすぎやせんか?」
一刀に問われた徐庶の答えに続き、李儒が魏軍の策を読んで語るも、あまりにも稚拙すぎるのではと懸念を示す。
「そうだね。あの曹操さんが、そんな見え透いた手をただで使ってくるとは、到底思えないし」
「だがな、一刀。それ以外にどんな手段があるというんだ?」
「……洛陽方面からの急襲。それも、狙いは上党、ですか?」
腕組みをして疑問を呈した徐晃に答えるかのように、司馬懿がそんな手段もありますがと、そう具申をする。
「……輝里、青州には今、戦力はどれだけある?」
「この間送った、新設軍三万と合わせて、五万ほどです。指揮は沙耶さんと狭霧さん。で、その補佐に柳花さんをつけてあります」
「柳花というと、確か荀友若……じゃったか?隠棲していたのを、沙耶と狭霧が引っ張り出してきた」
「ええ。その荀諶さんです」
元袁家の文官で、永らく隠棲していた荀諶、字を友若を、張郃と高覧の二人が一刀に推挙し、不承不承といった感じで仕官してきたのが、この一月ほど前のこと。そのあたりの詳しいいきさつは、また後に語らせてもらう。
「なら、そっちについては問題なさそうだね。向こうの将にもよるとは思うけど、純粋な戦力だけ見れば、たとえ何倍かの軍勢であっても、けして引けをとりはしないだろうし」
「そうやな。正直、あれが味方の部隊でよかったと思うで?……ちっとばかり、敵さんが可哀想になってきたわ」
「……魏軍は面食らうだろうな。あんな部隊、大陸のどこにも存在していないんだ。おそらくは、今後最強の名を欲しい侭にすることになるかも知れん」
姜維の言葉に頷き、華雄が率直な感想を述べる。
「で?上党の方の警戒はどうする?あちらにも、やはりあの部隊を送るのか?」
「……いや。残りの戦力は、すべて、ここに集結させる」
「なに?」
李儒の問いに一刀が返したその答えを聞き、彼女は思わず動転した。それもそうだ。并州方面の守りは、ほとんど捨て置くと、一刀の台詞はそういっているようなものだった。
「向こうが兗州を空にしてくれるっていうんなら、遠慮なく貰い受けるだけさ。そして……輝里」
「はい、一刀さん。みなさん、これから策の概要をお話します。なお、この事は一切他言無用にお願いします。……黄河を渡るまでは」
くすりと微笑んだ後、徐庶はこれまで一刀とともに、あらゆる場面を想定して立てていた戦略を、一同に語って聞かせた。
そして。
「沙耶姉さま!魏軍が!」
「見えてるよ、狭霧。……柳花、久しぶりの戦場だけど、大丈夫かい?」
「ふん。無理やり人を現役復帰させておいて、いまさら余計な心配よ。あたしのことより、あんたたちのほうこそ、しっかりやんなさいよね。……彼らの初陣、無様な指揮で汚すんじゃないわよ?」
どっかで見たことのあるような、猫耳のフード付のパーカーを着た、その少々きつめな少女が、自身を案じる声をかけた張郃に、逆に発破をかけ返す。
「……ハハハッ!それでこそ、荀友若だよ。……よし!ならば行くとしましょうかね!」
すがすがしそうに笑った後、張郃はくるりと振り向き、その彼らに視線を向ける。全身を、蒼色に塗られた鋼鉄の鎧に身を包んだ、北郷軍の最新鋭軍を含む、五万の兵に。
「……いいかお前たち!お前たちにとっては、この戦が初陣となる!だが!お前たちに恐れは必要ない!要るのは唯一つ!己が雄を信じることのみだ!奮い立て!そして咆哮せよ!北郷軍に、そして、大陸に、われ等在りと!」
うおおおおおおおおおっっっっ!!
張郃の檄に、兵たちが応えて吼える。その大音声に、空気は震え、地が唸る。
「いざ往くぞ!大地を踏み鳴らし、大気を震撼させよ!……北郷軍親衛騎団”虎豹騎”!……出陣!!」
おおおおおおおおおおっっっっっ!!
さらに響き渡るその大音量。
騎馬までも、その全身を、蒼き鎧に包んだ軍勢が、整然と隊列を組んで、間近に迫る軍勢へと進みだす。
二つの『夏候』の旗を先頭にし、その中央に、二つの『曹』旗を掲げる、魏の精兵十万。
北郷対魏。
その対決のときは、刻一刻と、近づきつつあった……。
~続く~
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北朝伝、更新いたします。
さて、いよいよ最初の戦端が開かれようとします。
どこがどこに仕掛けたのかは、本文をご覧下さいませ。
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