時刻は既に10時を過ぎ、暖かな日差しが冷えた空気を徐々に暖めていく中、劉弁等三人は政務室前にいた。
「弁姉さま、朝食の時母様はお見えになられませんでしたね。」
劉協の言葉に劉弁は答える。
「とすれば、母上はここで朝食を取られたのだろうさ。さ、入ろうか。」
扉に手をかけ、勢い良く開ける劉弁に、最早何も言うまいと溜息を付く劉協。
一刀は今朝ので慣れたようで、何も気にせず後を付いて行った。
「母上、居られますか?」
劉弁は大きな声で言った。
すると、目の前に大量に置かれている竹簡から女性の声が。
「・・・そんなに大きな声で呼ばずとも、聞こえていますよ。弁。」
スッと椅子から立ち上がった人物は、三人を見て微笑んだ。
一刀は初対面である二人の母親――――――霊帝に向かって少し唸った。
「大丈夫よ、一刀。母様は貴方がここに居れるよう配慮してくれた人。安心して。」
その劉協の言葉で、一刀は唸るのを止めた。
その様子に霊帝は優しげに微笑んだ。
「まるで子犬とその飼い主のようだわ、協。・・・一刀というのね、貴方は。」
「・・・・・・。(コクリ)」
一刀は霊帝の目を見ながら頷く。
「・・・・・・いい目をしていますね。・・・本人の手前聞きにくいですが、弁、この子は喋ることができるのですか?」
先程から一言も喋らない一刀を疑問に思ったのか、霊帝は聞いた。
「私が見た限りでは、少し。しかし、此方の言葉を理解しているので大丈夫かと。」
「そうですか・・・」
霊帝はそう言いながら一刀の前に立った。
「私はこの漢を治める皇帝、霊帝といいます。一刀、体の傷は癒えましたか?」
「(コクリ)」
霊帝はホッと胸を撫で下ろすと、優しい声で話しかけた。
「・・・これから行く場所はあるのですか?」
「・・・・・・。」
一刀はわからなかった。故に答えられなかった。
隙を見てあの研究室から抜け出したが、抜け出した後のことは自分でも考えていなかったのだ。
―――捕まったらまたあの薄緑色の液体が詰まった、狭い所に入れられてしまう―――
その思いしか頭に無かったのだ。
一刀は顔を下に向け、手を握り締めて震えだした。
その姿はあまりに悲しく、そして消えてしまいそうな位儚かった。
「一刀・・・」
劉協はその一刀を見て、自分の胸の前で手を握り締めた。
今朝自分達を見たときはあんなにも感情を出していたのに、今はこんなにも震えている。
そう思った瞬間、胸の奥で一つの思いが劉協の中で生まれた。
―――――――――守りたい。守ってあげたい。
何故いきなりそう思ったのかは自分でもわからない。だが目の前で瞳を揺らす青年を見て思ったのだった。
劉弁は母親の顔を見た。
「母上・・・」
すると、霊帝はそっと一刀を抱きしめた。
ビクッとする一刀の背中を撫でながら、霊帝はゆっくりと言葉を紡ぎだす。
「行く宛が無いのなら、――――――ここに居なさい。・・・今からここが、貴方の家よ。」
今からここが貴方の家よ――――
その言葉は一刀の心に響いた。
いつしか霊帝の体を抱きしめ、幾筋もの涙が頬を伝い、零れ落ちていた。
「・・・グ・・・ゥァ・・・アアアア・・・・ッ!!」
この気持ちが何なのか一刀は判らなかった。
しかし、さっきまで感じていた悲しい何かは消え、それとは別の暖かいようなものが胸の奥にあるのを感じていた。
劉弁と劉協は互いの顔を見て、思った。
やはり自分達の母親は凄い、と。
暫くして執務室を出た三人は、先程の霊帝とのやり取りで言われたことを思い返していた。
―――――――回想。
「一刀、貴方がここにいる為には、誰かの役に立つことをしなければならないわ。それは判るわね?」
「・・・?
首を傾げる一刀の横で、劉弁がもしやと前置きをする。
「母上、一刀を仕官させるのですか?」
「えぇ、そうよ。今は貴方達が見つけた怪我人ということで、なんとかこの宮中に特例として居させているけど、それもいずれ限界が来るわ。十常侍達も今回の事をあまり快く思っていないみたいだから・・・」
そこで霊帝の顔が一瞬曇る。
「ですが一刀は人と対話することが難しいのでは?仕官するとしても、かなり限られますが・・・」
劉協が一刀を見ながら言う。
「???」
しかし三人の言っていることがあまり理解できないのか、しきりに一刀は首を傾げていた。
その様子に劉弁は苦笑した。
「この様子だと文官は無理そうだな。」
「ですね・・・。母様、一刀を私達の護衛として置いても宜しいですか?」
「・・・・・・それだけだとまだ反発してくるわね。武官としてならば大丈夫だと思うけれど。」
「武官となれば、戦があった場合出陣は必須・・・ですか。」
そして三人は一刀を見る。
誰もが黙る中、劉弁が口火を切った。
「・・・一刀、お前は人を殺すことが出来るか?」
戦場に出れば、必ず命のやり取りをせねばならない。
人を殺し、国を勝利へと導かねばならないのだから。
その覚悟を劉弁は一刀に問うたのだ。
「・・・・・・。」
一刀は黙ったまま三人を見つめ、そして答えた。
「・・・人、殺したら、ここ、居れる?」
「・・・ッ」
「人、殺せば、役に、立つ?」
純粋な気持ちと真っ直ぐな目で言われた劉弁は言葉を無くした。
考えてみれば、先程の質問は「ここに居たいのならば人を殺せ」と言っているようなものだった。
一刀はそれを理解し、唯それに答えただけだったが、他者から見ればそれは殺すことを躊躇わないと取れるものだった。
何も答えない劉弁に一刀は首を傾げたが、代わりに劉協が言った。
「いいえ、一刀。貴方は人を殺さずともよいのです。私達の近くに居てくれれば、それでいいのです。」
「・・・・・・?」
「それで・・・よいのです・・・」
これが精一杯だった。
この純粋無垢な瞳を、劉協は穢したくは無かった。
霊帝も目を伏せながら言う。
「・・・・・・明朝、一刀の簡単な任官式を行います。追って知らせるからそれまで部屋で待機していなさい。」
そう言うと、三人に背を向け机に歩き出す霊帝。
二人は礼をした後、一刀を連れて部屋を出たのであった。
―――――――以上回想終了。
一刀は不思議でたまらなかった。
突然劉弁が質問してきて、それに素直に答えたのに押し黙るし、劉協は劉弁とは違うことを言うし。
そんな思いと先程霊帝が言ってくれた一言で感じた気持ちが頭でゴチャゴチャになっていた。
「弁姉さま」
その時劉協が突然口を開いた。
「・・・どうした、協。」
「・・・私は、一刀を守りたいのです。」
「・・・・・・先程の言葉はそういう意味だったのか。」
劉弁がフッと笑った。
「今の一刀を戦場に出したら・・・彼は人を殺すことを本当に躊躇わなくなってしまうでしょう。」
「・・・・・・協、心配するな。私とて一刀を戦に出したいわけではないよ。形式上、仕方なの無いことなんだ。」
「ですが・・・いいえ、何でもありません。」
尚も劉協は何か言いたげだったが、押し黙った。
一刀はさっき劉協が言った言葉を無意識に口に出していた。
「・・・守・・・る?」
『えっ?』
二人は後ろを振り返った。
「協・・・弁・・・一刀・・・守る・・・?」
そして、一刀は目の前の二人に向かって言った。
「―――――――協・・・弁・・・守る・・・!!」
それだけで十分だった。
それだけで、二人には一刀の言わんとしている事が伝わった。
「・・・あぁ、私達二人を守るし、お前も私達を守ってくれ。」
「・・・フフフッ、宜しくお願いしますね。一刀。」
「・・・・・・。(コクリ)」
いつの間にか張り詰めていた空気は溶け、朗らかな明るい雰囲気が三人を包み込んでいた。
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第三話。
これにて見習い卒業。前回コメントしてくれた方々、ありがとうございました。一刀の詳細は数話を投稿してからとなりますので、ご了承を。