第3話 無銘伝二~三英雄と一刀の剣~
「劉備軍は先行した?」
反董卓連合軍、その集結地点の大本営に入ると、俺たちは諸将居並ぶ中、状況の説明を受けた。
幕営の奥、一段高い位置から俺と公孫賛を見下ろす形で気だるげにしている女――この軍の総大将である金ぴか女――袁紹が口を開く。
「ええ。董卓さんごときにわたくしが率いる軍が負けるわけありませんから、いらないといったのに、ええっと……なんだったかしら、顔良さん?」
金髪くるくる髪の傍らに立つ、黒髪の小女が疲れた顔で袁紹を見る。
「偵察です、麗羽さま……」
「そう、偵察に向かうとかなんとか」
「劉備達がそれを買って出たのか?」
袁紹に喋らせるより先に自分が説明した方がいいと思ったのか、顔良が答える。
「いえ、孫策さん達が偵察の提案をして、それで袁紹さまが、いらないと思うけど、劉備さんでいいでしょう、と……」
適当に決めたな、と俺は思った。
「劉備軍の数はどれぐらいなんだ?」
「さあ?」
袁紹が興味なさそうに首を傾げる。
「というか、北郷さんは劉備さんのところにいたんじゃありませんの?」
袁紹たちとは黄巾党の乱の時に、面識があったらしい。
「ちょっと事情があってね。それで、数がわかる人は?」
「せいぜい5千というところよ」
幕営の端っこの方で佇んでいた、小さな女の子……いや、強大な英雄の雰囲気を纏った少女が言う。
何を命令するでもない、どちらかといえばつぶやくような声量なのに、その言葉が重いのは、少女が、あの、曹操であるからに他ならない。
「5千……厳しいな」
偵察にしては多いようだが、少ない。なぜなら、連合軍がこれから向かうのは、汜水関だからだ。董卓の居る洛陽に向かう第一の関門、汜水関。董卓軍が待ち構えて居るであろうそんな場所を偵察するからには、半ば強行偵察のようなものになるだろう。
「偵察を提案した孫策軍が向かうべき所じゃないのか」
と、幕営の一角を見やる。
諸将集う陣のなかでも、一際目立つ……といっても、袁紹軍のような金ぴか悪目立ちではなく、他を圧倒するような炎の赤で統一された装備の軍団。その頂点にいる二人、孫策、周瑜の目がこちらを向く。
三国志の英雄達のなかでもトップクラスの力、器を誇る二人の視線が俺を射貫く。
こ、怖っ……!
ひるみそうになるが、ぐっと耐えて、返事を待つ。
「そうね」
孫策はあっさり認めた。
「でも、もう劉備軍は行っちゃたわ。これから追ってもいいけど、そうなると董卓軍も大きく動くでしょうね」
「……もし董卓軍がでてくれば劉備軍はひとたまりもないってことか」
劉備軍が偵察するとすれば、数を散らして、いつでも逃げられるよう、抑えながら探りを入れるはずだ。そこに孫策軍が顔を出し、董卓軍が対応を迫られ、その結果汜水関からうって出て孫策軍を迎え撃つ事になったとしたら、汜水関の外でうろちょろしている劉備軍を放っておくとは思えない。
逃げるにしても劉備軍には損害が出るだろう。
劉備軍の偵察を中止するなら、大軍を動かさず少数で向かわなければならない。
しかし――
「なんにしても偵察はこなして貰わないと困るわね」
と曹操。
そう。どの軍がやるにしても、偵察は重要だ。勝敗に大きく関わってくる……が、地味な仕事だ。総大将である袁紹の思い付きでしかないのに、劉備が反対できずに押しつけられたのは、他の連中がやりたがらなかったからだろう。
「……俺が劉備軍の様子を見に行ってくる」
「お、おい、北郷……!」
白蓮が止めようとするが、俺は言葉を継いだ。
「見張り役として、他の軍からいくらか将兵を出してくれないか。できれば、戦力になる人材で」
一同を見渡す。
袁紹軍は面倒臭そうにしている。
袁術軍はそもそも聞いてない。なんだあれ? ハチミツ?
孫策軍はこちらを値踏みしているだけで、動く気配はない。
馬騰、というか馬超軍は、ポニーテールの少女……馬超が手を挙げようとしているのを周りが必死に止めている。無理強いは出来ないだろう。
そのほかの軍も似たり寄ったり。
そこに――
「いいでしょう」
曹操が、とん、と卓に手を置き、
「兵八百に三人武将を付けるわ、見張りもさせるけど、ちょっとぐらいの競り合いなら許可してあげる」
「華琳さま!?」
曹操の後ろに立っていた夏侯惇が驚きの声を上げる。
それにかまわず、卓に竹簡を広げ、曹操自ら命令を書き記す。
「兵糧は太っ腹な袁紹が出してくれるでしょう」
「だれが太っているですって!?」
「麗羽さま、そういう意味じゃないですっ!!」
「ほら、この命令書を持って行きなさい。将の名前は、楽進、李典、于禁。帷幕の外に出たら私のところの陣にいる伝令にこれをわたせばいいわ」
「……ああ、感謝するよ」
「結果を出しなさい」
俺は曹操から竹簡を受け取り、外に出た。
「北郷っ、星とうちの兵も連れて行くか?」
白蓮が慌てて追いかけてきた。
「いや、念のため白蓮と星は一緒にいてくれ。偵察が終わった後、合流できるかどうかわからないからな」
なにせ董卓軍にはあれがいる。
この戦いではあれの出番はないはずだが、備えるに越したことはない。なにせあれは天下無双なのだから。偵察に出た劉備軍を心配しているのは、董卓の大軍にやられることへの危惧もあるが、それより万が一あれが大暴れしてきたときのことを思い浮かべたからだ。
「兵は……そうだな、少し分けてもらえるか」
「わかった。そんなに数が居ても困るだろうから……二百、用意させる。曹操の陣に行ったあと、私の陣に寄ってくれ」
俺は頷き、白蓮の肩を叩く。
「行って来るよ」
「気をつけてなっ!」
白蓮の言葉を背に、俺は曹操の陣へと向かった。
短いやりとりだったが、群雄の考えが透けて見えた気がした。
袁紹や袁術はこの戦いに絶対の自信があるがその根拠はない。
孫策はこの戦いが厳しい物だと分かっているため、勝つための布石は打っておくが、自身が前に出るのはまだだと思っている。
曹操は……。
華琳は、あの小さな大英雄は何を考えているのだろうか。
曹操の軍はこの戦いに私財を投じて参戦した。つまり、彼女の兵力は、自分の領地から徴兵して出てきたものではなく、貴重な財産そのものだ。
夏侯惇、夏侯淵などの強将が控えているとは言え、なぜ俺みたいな人間に兵をまわしたのか……。
結論が出ないまま、俺は曹操軍の陣に到着し、三羽烏、楽進・李典・于禁と対面することになった。
曹操軍本営――
「華琳さま、なぜ北郷に兵を送ったのです?」
夏侯淵、秋蘭が主に尋ねる。
「そうです! 八百とはいえ大事な兵、しかも凪たちまでつけて!」
夏侯惇、春蘭も声を揃える。
別に批難しているわけではないが、自分たちの兵でもあるのに何故という気持が強いのだろう。
「……ふたりとも、この戦いの勝利条件は、何だと思う?」
華琳は椅子に座り、質問に答えずに問い掛ける。
「そりゃあ、敵を全部倒せば勝ちです!」
春蘭は勢いよく言い切り、
「董卓を打倒すること、ではないのですか?」
秋蘭は言っている途中で華琳の様子を見て取り、声の調子を変えた。
「確かに敵を、董卓を倒せば終わるわ。できるかどうかはともかくね。でも、それは反董卓連合の勝利条件でしかない」
「……なるほど」
「んん? 秋蘭、どういうことだ?」
「つまり、私たちには私たちの勝利条件……目的があるということよ」
華琳は目を閉じて、周囲の空気を探った。
この場にいる三人以外の誰かが聞いている気配は無い。
「孫策軍には稟と風、他の軍には桂花を中心として様子を探らせているわ。残るは劉備軍と公孫賛軍だけど……ふたりは気になるのはどっち?」
「それは……劉備軍では? 無名とはいえ、関羽や張飛、孔明や鳳統という猛将、軍師が集まっていると聞きますが」
「関羽など、わたしに比べればあんな奴っ!」
春蘭は憤る。
華琳は無視する。
「そうね。劉備自身がどれほどのものか知らないけれど、関羽は欲しいわね」
「華琳さまぁああ……」
春蘭は泣きそうになる。
「公孫賛軍は将といえる将、軍師といえる軍師がいなかった。趙雲という客将はいるみたいだけどね。ただ……少し前の戦いで、公孫賛軍は黄巾党数十万を破った、と聞いたわ」
「数十万……!?」
夏侯淵は眉を顰めるが、夏侯惇はどうということはない、という顔をしている。
まぁ、夏侯惇なら数十万相手でも烏合の衆と考えるだろう。
「そして、今日みた限り、公孫賛軍は一万ほど。数としてはまぁ揃えられそうなものだけど、主力とかいう白馬儀従をはじめとして、質は良さそうだったわ」
「白馬儀従、っぷ、くくっ」
夏侯惇はその言葉がツボに入ったのか、吹き出した。白馬儀従(笑)みたいなイメージなのだろう。
「数十万と戦ってなお、一万の精兵が出せる……それだけの能力がある者がいるわけですか」
「そうよ」
秋蘭と華琳の二人で話は進む。
「それは、公孫賛ではなく……」
「そうね。多分、違うでしょうね」
「趙雲という客将でしょうか?」
「将としては噂を聞くけど、政はどうかしらね?」
「華琳様はどうみておられるのです……?」
「もう秋蘭はわかっているんじゃない?」
「……まさか、北郷が?」
袁紹と同じく曹操達も黄巾党の乱の時、一刀と対面した。協力もした。その時は、天の遣いとかいう胡散臭い男――それぐらいの印象しかなかったが――
「可能性としては一番高いでしょうね。名もない誰かが助力しているかもしれないけど、それはこれからわかるわ」
華琳は外を見る。中天に日が昇り、暑さが増した幕下、冷たい知謀が駆け巡っていた。
「北郷の様子を見るのにあの三人で大丈夫でしょうか」
「素直な人物評を三人分見れば、大体の器量はわかるわ。こういうのは軍師じゃないほうが逆にわかりやすいのよ」
「……さすが華琳様」
このように、曹操陣営は静かに立ち上がり、自分たちの戦いをはじめていた。
孫策軍本営――
「さってと、そろそろ軍を出さないとね」
チャイナドレスのような軍装束を纏い、明るい赤色の長髪を揺らして、美しい妙齢の女が立ち上がる。
孫策。
大陸の南部で勢力を築く、後の小覇王である。
「まさか先陣を任されるとはな」
本営にいるもう一人の美女、こちらは長い黒髪に眼鏡、知の力を感じさせる風貌の女性が嘆息する。
周瑜。
孫策、孫権二代を支え続けた将軍。
「偵察押しつけたのバレちゃったからねぇ。まぁいいじゃない。汜水関で功績を挙げて、次の虎牢関で一休み、機を見て洛陽一番乗り……予定が前後しただけよ」
「ふ、そういわれれば、問題ない気もするな……しかし、まだ蓮華さまや思春が到着していないぞ。どう功績を挙げる?」
「汜水関の奪取か、守将の首、ってところかしら? どっちも一筋縄じゃいきそうにないけど……守将によるわね」
「ああ。どちらにしても十万もの大軍をまともに相手などしていられないからな」
「劉備ちゃんが敵将の情報をつかんでくれれば、方針が決まるわね。うまくやってくれるといいけど」
「なあに、北郷が命をかけてやってくれるさ。曹操の見張りつきだからな。死にものぐるいになることだろう」
「ふふ、天の遣いがどうとかいう噂は聞いていたけど、あんな子だったとはね。まだちょっとやわそうだけど、見込みはあるんじゃない?」
と、口の端にちょろっと舌を出す。
「お前の趣味はよくわからん……」
周瑜は、孫策と周瑜の視線を受けて、引き攣りそうな表情を浮かべた北郷の顔を思い浮かべて肩をすくめた。そして、そんな表情でも眼はこちらを見据えたまま動かなかったな、と少しだけ評価した。
孫策軍は、劉備軍の後背につき、偵察が済み次第攻撃を開始するため、進軍を開始した。
「君たちが、楽進、李典、于禁、でいいのかな」
本当は見知った顔だが、知らないふりをして、俺は尋ねた。
「はっ」
先頭に立っていた顔に傷のある銀髪三つ編みの少女、楽進が肯定した。
「曹操様の命令により、参上しました楽進と申します」
続いて眼鏡を掛けた娘がウインクして自己紹介する。
「わたしは于禁なのー」
そして最後、紫の髪を二つに束ねた女がニッと白い歯を見せて挨拶する。
「ウチは李典や。よろしゅう頼みます、隊長」
「…………隊長?」
俺は首を傾げた。
「曹操からどういう命令を受けてきたんだ?」
「汜水関の偵察が終わるまで北郷殿に従い、一部隊として行動せよ、と」
「……そうか」
これじゃこの三人が俺の下についたみたいじゃないか。監視役のはずなのに、華琳は何を考えているのか
「何か問題が?」
「いや、よろしく頼むよ、三人とも」
「はっ」
「了解~」
「よろしくなのー」
俺たちは騎乗して、連合軍幕営から離れて隊列を整えることにした。
八百の曹操軍、二百の公孫賛軍をあわせて千人の部隊だ。輜重隊をあわせれば実数は倍近くにも膨れ上がる。
「とりあえず、俺と楽進が前衛に、李典と于禁が後衛に。劉備軍と一旦合流するから、それまで急いで行軍するよ」
「はっ」
「隊長が前で大丈夫なのー?」
「まだ戦いになるわけじゃないから。というか、本格的に董卓軍と当たりそうになったら逃げるように。本軍が到着するまで下手に戦っちゃだめだから」
「了解了解っ、と。まぁ、さすがにこの数じゃ当たれんよなぁ」
あらためて隊列を揃え、出陣。
俺は公孫賛軍二百の兵を率いて一路汜水関を目差した。
「ふぅ……」
俺は道中、誰かに気付かれないように小さく息を吐いた。こっちの世界に戻ってきてから一ヶ月、訓練をつんで馬にも乗れるようになったし、真剣の扱いにも慣れた。
とはいえ、俺は、ほとんどこれが初陣のようなものなのだ。黄巾党との戦いは無我夢中だったし、相手は軍というより群だった。
乾いた唇を舌で湿らせる。
俺は、黄巾党との戦いで人を殺した。命令ではなく、自分の意志で、自分の剣で人を斬った。白蓮を守るために。
今度も、千人の部隊を剣として、それをやればいい。
俺はもう一度息を吐いて、吸って、決意を飲み込んだ。
「伝令っ、前方五里に劉備軍の輜重隊と思しき一群と、数百の騎兵隊を発見っ!」
「劉備軍の本陣か……劉備軍に伝令を。こちらは公孫賛軍と曹操軍……というか北郷一刀だと伝えてくれ」
「了解っ!」
「意外と早かったな」
汜水関はまだ見えてこない。見通しのいい、この地形で見えないのだから、かなり遠い。
「劉備軍は崖を登って汜水関側面に回ったのか? それならすぐには敵に発見されないだろうけど、逃げにくくなりそうだな……」
俺は同時に凪達にも指示を飛ばし、輜重隊を切り離し、行軍速度を速めた。
「劉備軍より伝令です」
「おおっ、来たか。で、なんだって?」
「はっ、北郷様の到着を心待ちにしている、とのこと」
俺は桃香たちの顔を思い浮かべ、思わず頬が緩んだ。
「了解っ、じゃあ、輜重隊をもう少し動かしたら本陣を構築、本陣には李典と于禁、楽進には念のため一緒に来て貰うように伝えて」
「はっ」
伝令が飛ぶと、すぐに楽進が駆けつけてきた。
「劉備軍の本陣に向かわれると聞きました」
「うん、劉備軍の偵察がうまくいっているかどうかを見るのが役目だからね」
「隊長はもともと劉備殿の旗下……私は邪魔では?」
「んん? そんなことはないよ。一時とはいえ、仲間じゃないか。桃香も……と、劉備も歓迎してくれるよ」
思わず真名で言ってしまった。よほど親しい者ではない限り真名を教えることはない。俺が勝手に劉備の真名を言い触らすわけにはいかないだろう。凪が真名をうっかり呼ぶなんてことはなさそうだが。
「そうですか……では、お供させていただきます」
「うん、本陣が落ち着いたら、あとの二人も呼ぼう」
馬上で話をしているうちに、劉備軍本陣が見えてきた。
緑地に劉の旗。懐かしくなる旗印……その隣りに、北郷を示す十文字の旗も見えて、思わずじんときてしまった。
さらに馬を進めると、陣の入口前に幾つかの馬影が見えた。
「あれは――!」
「「「ご主人様ー!!」」」
馬の上でぶんぶんと手を振る、三人の少女。同じぐらいの背丈の中肉中背二人と、小柄な一人。
俺も手を振りかえす。
顔が見えるぐらい近付くと、俺は馬を下りた。凪もそれをみて下馬する。
少女達の表情は溢れんばかりの笑顔だった。目元にうっすら涙が見える気もするが、それを吹き飛ばすぐらいの微笑みがあった。
「ご主人様ぁ!!」
先頭を切って走り出した少女は、転びそうになりながら俺のもとへ飛び込んできた。このどこにでもいそうな少女が、あの劉備であるなんて、だれが思うだろう。
「桃香っ……!」
懐かしい温もりと香りを抱いて、再会を喜ぶ。
「お久しぶりです、ご主人様!」
桃香の後ろを支えるように走っていたサイドポニーの麗人、関羽が俺の手を握って、大事そうに両手で包む。
「ご、ご主人、様ッ……!!」
頑張って走ったせいで肩で息をしている小柄な少女、子供と見紛わんばかりの風体の子が、腰のあたりに飛びついてくる。
体は子供だが頭脳は普通の大人以上、いや、この三国志界でも随一といってもいいその少女の名は、孔明。
「みんな久しぶりっ」
ひとしきり温もりで存在を確かめたあと、三人は体や手を離し、改めて対面した。
「ごめんな、心配かけたみたいで」
三人の笑顔の奥には、安堵が透けて見えた。
「そうですっ、突然いなくなるなんて……っ!」
「みんな、みんな必死になって探したんですからっ!」
愛紗と朱里は俺を非難する。
「ほんとごめん。みんなとはぐれてから、公孫賛のところで世話になってたんだ」
「白蓮ちゃんの所?」
「ああ。一ヶ月半ぐらいかな。みんながどこにいるかわからなかったから……また会えて良かった」
その言葉に、三人は一様に頷いた。
「それで、鈴々たちは?」
劉備軍一番の元気印の姿が見あたらなかった。それから劉備軍もう一人の軍師、鳳統も。
黄忠や厳顔、魏延たちはまだ劉備軍に加入していないし面識もないだろう。俺は覚えているが、今の時間軸だと会ったことがないことにしておかなければ。
「鈴々ちゃんと雛里ちゃんは偵察にでてるよ」
桃香が答えた。
「ああ、そうか、そうだよな」
「北郷様」
そこで、公孫賛軍の伝令が声をかけてきた。
「李典様から、本陣が完成したとのこと」
「早いな。じゃあ、李典と于禁の二人もこっちに来てもらおう。そう伝えて」
「はっ」
伝令が駆ける。
「実は、劉備軍の様子をみるために俺と、公孫賛軍と曹操軍が来たんだ」
「様子を見に……ですか」
朱里が顎に手を添えて、呟いた。おそらく彼女は、様子見、という言葉に、監視という実態があることを見切っているだろう。様子見だけなら公孫賛軍だけでかまわないのだから。
「この子は、曹操軍の楽進。楽進、彼女たちは劉備と、関羽、それから孔明」
「楽進です」
控えていた楽進が挨拶する。
桃香達もそれぞれ自己紹介し、とりあえず劉備軍の本営に向かうことにした。
李典達も合流し、孔明を説明役に、軍議が始まった。
「現在、劉備軍は大きく二つに分かれ、汜水関の偵察を行っています。一つは私たちが率いている本隊、もう一つが張飛隊、これには雛里ちゃんが補佐についています。本隊は汜水関の正面から、張飛隊は側面を迂回して敵の様子を窺っています」
「今のところの成果は?」
「汜水関の兵力、それから配置されている将についていくつか情報は掴めました」
「おおっ、それじゃあ、ほとんど終わったようなもんやないか?」
真桜がぽんと手を叩く。
「いえ……肝心の、守将がだれかということがまだわかっていないんです。見えている旗のうち大きい旗は華、張、徐、李、郭、呂が並んでいるのですが……」
華雄、張遼、徐栄……呂布、どれも大将級だ。
「洛陽との距離から考えると、それだけの将がそろえられるとは思えませんが」
と、楽進。
「はい。おそらく、旗だけあげているだけの将がいるのでしょう」
「んん? いくらウチらの進軍が速くても、将一人ぐらい間に合うんちゃうの?」
「私もそう思うのー」
「将が居たら率いる兵が必要だろ? 船頭多くして船山に上るって言葉があるし、将だけ多くても混乱するだけだ」
「なるほどー」
「それで、敵の兵の数はどれぐらいなんだ?」
「運び込まれている兵糧を見る限り、五万は超えないと思われます」
「五万か……」
二万に一人の大将と考えても、三人が最大というところか。
「実際に動いているのは三人ぐらいかな?」
「はい。私もそう思います」
「何度か挑発して軍の動きを観察していますが、徐、李、郭の三つは動きが鈍かったことが確認できました」
事も無げに関羽が言う。
十倍近くの敵を挑発って……。
「ということは華雄と……えっと、残りの二旗はなんや?」
「張と呂、無名ではありますが、おそらく、張遼と呂布ではないかと思われます」
「あんまり聞いたこと無いのー」
「ウチもないなぁ」
「……呂布という名前は聞いた気がします……確か、元の主を裏切り、董卓についたとか。個人の武名は聞きますが、将としてはよく知りません」
凪が記憶の奥をさらうように思いだし、発言する。
「新参の将ということか」
愛紗はふむ、と眼を朱里に向ける。
「新参が総大将、というのは考えにくいように思うが」
「ええ。しかし、即断はできません」
「桃香はどう思う?」
「うーん、そうすると、残るのは華雄さんと張遼さん……、張遼さんは呂布さんと同じ新参の人なのかな?」
「その可能性が高いと思われます。名前がでたのがごく最近のことですから」
「じゃあ、華雄さんが総大将って可能性が一番高いね」
「はい」
「とすると、あとは裏付けだけか……まぁ、偵察で全てがわかる訳じゃないから、可能性が高いってことだけでもよさそうだけどな」
「連合軍の本隊が到着するまで、もう少し突いてみるという事になっているので……」
「うん。俺たちもつきあうよ」
と、楽進達を見ると、三人は首肯した。
「……ご主人様?」
「ん?」
呼ばれて桃香の方を向くと、彼女はなんだか悲しそうな顔をしていた。
「もしかして、偵察が終わったら、別の所にいっちゃうの?」
「え……? いや」
誤解させてしまったらしい。
愛紗や朱里も不安そうな顔をしてこちらを見ていた。
「偵察が終わったら彼女たちを曹操軍に送り届けて、あと白蓮にも挨拶しにいくつもりだけど、そのあと皆の所に戻ってくるよ」
「そ、そうだよね、良かったぁ……」
と桃香は胸をなで下ろした。でかい。いや、注目する状況じゃないが。
「あー、隊長、劉備さんのおっぱい見てるのー」
「ぶほっ!!」
吹き出した。
「うわー、隊長やらしいなー」
「ちょ、ま、待て! 誤解だ!」
誤解じゃないけど。
「隊長……」
「ご主人様……」
みんなから白い目で見られた。
桃香はちょっと顔を赤らめさせたが、俺の困った顔を見て、ぷっ、と笑い出した。
それにからかっていた沙和や真桜も続いて、みんながあははと声を上げて笑った。
北郷隊と劉備軍が少し仲良くなった。
同日、汜水関正面。
関の前方に建設されていた防護柵を蹴散らし、劉備軍が名乗りを上げた。
董卓軍は一瞬の動揺ののち、後方で部隊を纏めて、劉備軍を蹴散らさんと前進を開始。
「関羽隊停止、弓隊一斉射の後、全速で後退せよ!」
愛紗が馬上から指示を送る。
「関羽隊に近付く敵を分断します! 崖上からの落石予定位置まで誘導を!」
朱里が関羽隊の後ろから騎兵隊に命令を下す。
「楽進隊、旗の動きに注意して関羽隊に合図! 華、張、呂の旗に気をつけろ!」
楽進隊は崖上から敵の動きを見張る。
「于禁隊、下の合図をよく見て動くのー! 遅れたら味方が大変なのー!」
于禁隊は落石を監督している。
関羽の挑発的な動きに釣られて、董卓軍の一部が動く。
最初に動いたのは張、次に動いたのは呂……。
「…………ん?」
「…………?」
最初に気付いたのは挑発を何度も繰り返していた関羽。続いて崖上から見ていた楽進隊が気付いた。
「華雄の動きが鈍い……?」
同時刻、汜水関側面。
張飛隊は崖上から迂回して汜水関の偵察を行っていた。
「うー、せまいのだー」
「鈴々ちゃん我慢して。……あ、帽子が引っ掛かったっ……」
同じぐらいの背丈のふたりの少女、張飛と鳳統が肩を並べて、木々の隙間から外を見ている。
「この前仕掛けた罠は外れていないみたいなのだ」
「じゃあやっぱりこっちには気付いていないのかな」
劉備軍の作戦は、関羽による強行偵察と張飛による隠密偵察の二つに分かれて行われていた。正面から事を行う関羽隊も危険度は高いが、張飛隊は隠密行動が露見した場合ただではすまないし、張飛はともかく、鳳統や部下の兵士は命の危機である。
そのため、行動予定位置周辺に何重にも罠を張り巡らせ、敵の動きを牽制しながら、偵察を行っていた。
「まわりも大丈夫みたいなのだ」
劉備軍のなかでも精鋭の兵達が安全を伝える。
「それじゃ鈴々ちゃん、今日もお願いします」
「了解なのだっ」
草むらから飛び出し、ぴょんぴょんと、張飛が汜水関の見える位置に向かう。
鳳統は息を潜め、万が一の撤退径路を頭の片隅に置いて、わずかな変化も見逃さぬよう神経を研ぎ澄ます。
何分、何十分そうしていただろう。
ガサ、っと葉擦れの音。
びく、っと鳳統は息をのみ、しかし冷静に、
「あわわ……北に備え」
と問い掛けた。
「えっと、劉に十なのだ」
と聞き覚えのある声の答え。
「鈴々ちゃん」
ほっ、と鳳統は緊張を解く。
「様子が変なのだ」
「え?」
「兵の数が減っているみたいなのだ」
「汜水関の?」
こく、と鈴々は頷く。
「少し中を探ってみたら、早朝に兵が汜水関から後退したとか話していたのだ」
「汜水関から……後退……」
鳳統は頭を抱え、小さな情報から広く可能性を模索した。
鳳統の背に、つぅ、と冷たい汗が流れる。
「鈴々ちゃん、他に何か変化はあった?」
「んー、いつも通り、愛紗と敵が追いかけっこしていたのだ。今日は呂と張の旗が愛紗を追ってたみたいなのだ」
「華は?」
「今日はお休みみたい」
雛里は目を閉じ、刹那の間に決断を下した。
「……鈴々ちゃん、本陣に戻ろう」
「ん? 何で戻るのだ?」
ここ数日は敵の動きが鈍くなる夕方に本陣に戻っていた。
「華雄が動いたのかもしれない」
鳳統の言葉が風を起こしたかのように、木々がざわめいた。
ほぼ同時刻、劉備軍本陣。
劉備、俺、李典は留守番組として本陣を守っていた。
正確には、劉備が劉備軍本陣、李典が公孫賛・曹操軍本陣、俺がそのふたつの本陣の調整役をやっていた。
留守番組は偵察組の情報を取り纏めると共に、敵がこっちまで雪崩れ込んできたときのための足止めの罠、李典がつくった防御用からくりの設置を行っていた。
とはいえ、偵察組に比べて時間は余りがちであり、ついつい雑談に興じてしまう。
「ご主人様の剣すっごく綺麗だねー」
戦いに備えて、念のため刀を確かめていると、桃香が感心したように声を上げた。
「私の剣も皆に誉められるけど、ご主人様のはなんだか装飾品みたい」
「まぁ、細身だからな」
青龍偃月刀や靖王伝家、また兵達が使う長剣に比べると、一刀の無銘刀はかなり細い部類だろう。
だが、切れ味でいえば、おそらく、この時代の刀剣を遙かに凌駕する。
そのかわり、代えがなく、きちんと手入れをして壊れないようにしなければならないが……。
しかし――
「……」
鞘から刀を完全に抜き放ち、その刀身を外気にさらす。
根元から切っ先まで、目映いばかりに光り輝き、どこからみても刃こぼれ一つ無い。
この刀を貰ったときからまったくかわっていない、美術品のような姿のままだった。そう、あの一月前の戦いの時、血を吸った刀とは思えないほどの……
「手入れもなにもしていないんだけどな」
あの戦いが終わって、一段落し、あらためてみてみると、刃こぼれどころか血のあとすら消えていた。人を斬り、こびりついた血や脂が自然に取れるわけがないのに。
だが、俺はどこか納得していた。
この刀によって俺はこの世界へと再び導かれた。
だからこの刀は、この世界での役目を終えるまで、壊れも汚れもせずに、このままでいるのではないか――
そんな気がしていた。
刀を鞘に収め、腰帯にさす。
「そういえばご主人様、前のきらきら光ってた服はどうしたの?」
「ああ、ええっと……無くした」
今は、前にこの世界に来たとき着ていたフランチェスカの制服ではなく、公孫賛に貰った鎧を着ている。ジャージは寝巻用だ。
「ええええっ!! もったいない……欲しかったのに」
「ん? ああ、珍しいもんな」
未来の日本ならありふれているポリエステルも、三国志世界なら不思議な未来素材である。
「そうじゃなくて……ご主人様が、着ていた物だから」
ごにょごにょ、と消え入るような言葉で桃香は独りごちた。
「…………?」
「……な、なんでもないっ!」
俺が桃香の顔をのぞき見ているのに気付いて、慌てて桃香は首と手を横にぶんぶんと振った。
「そう? 悪用されるようなところには置いてきてないから、大丈夫だと思うよ」
そもそも置いてきたのは天の国……ここから未来の日本だし。
「そろそろ愛紗達が敵軍を挑発している頃かな」
「うん……あ、伝令さんが来たのかな?」
外から馬蹄が地面を蹴る音が聞こえた。
「き、急報、急報です!」
焦りの声に、俺と劉備は立ち上がった。
「崖上に董卓軍と思しき兵を発見、現在李典殿が応戦しておりますっ!」
「が、崖の上? 側面から来られないように雛里ちゃんが罠を仕掛けていたはずじゃ……」
「突破されたのか……!? 関羽達に伝令を! このままじゃ、汜水関の敵と崖上の敵に挟まれる!」
「ははっ!」
「本陣の兵、全員騎乗っ!」
桃香はもってきてもらった自分の馬にぴょんと乗り、部隊を集める。
「桃香、俺は白蓮の兵と一緒に李典のところに行ってくる!」
「うん! 気をつけて!」
俺は劉備軍本陣に置いておいた公孫賛軍二百を率い、李典の所へ急行した。
空気が張り詰めている。そしてその緊張を破裂させるような金属を打ち鳴らす音が響いている。
飛鳥のごとき矢が、飛び交っているのが見える。
崖上を取られているというのは、かなりこちらに不利だ。一方的に矢を射られてジリ貧となる。
おそらく李典は本陣の撤去を始めているはずだ。事前の軍議で、敵に攻められているときどうするかは決めてある。
案の定、李典は敵の動きを見ながら兵達を本陣から外へと誘導していた。
「食糧は放っとき! 盾構え! 弓隊、右側の敵から狙って落とすんや!」
「李典っ!」
「隊長、敵が上に!」
「ああ、わかってる。劉備軍と合流するから、そっちの本陣へ向かおう。崖の側から離れるんだ!」
「了解や。みんな聞いたなっ! 全速前進!」
曹操軍の本陣居残り組三百人、俺の公孫賛軍とあわせて五百が動く。
「隊長っ! 敵が降りてくるで!」
「なにっ!」
高所の利点を放棄?
こっちの追撃を優先?
「偵察部隊の本営だってバレてるわけかっっ! 鼓を打ち鳴らせ! もうこっちの位置は筒抜けだ!」
声を張り上げて、先程来た道を逆走する。
振り返ると、李典と曹操軍が見事な隊列を組んで、敵との距離を離そうとしていた。
「さすが、曹操軍ってところか……これで相手が呂布とか張遼じゃなければいけそうだが……」
呂布ほどではないだろうが、張遼もまた超一流の武将だ。兵を率いたときの総合力なら呂布を凌ぐかも知れない。
「李典っ、敵の旗印は判るか!?」
「わからんっ! というか旗なんかあげてないで!」
「それもそうか……奇襲だもんな」
俺が肩をすくめていると、
「そこの先陣の将っ!」
前方から声をかけられた。
逆光で黒いかたまりのようにみえる隻影、一人の将がこちらを睨んでいる。長柄の戦斧を抱え、甲冑を着た女だ。
――先回りしたのか? いや、複数箇所に別れて崖を降りたのか。だとしたら劉備軍本陣も危ない!
「我が名は華雄っ! お前は!」
「……北郷一刀」
「知らん名だ」
「ははっ、俺はそっちの名前を知ってるよ」
董卓軍の華雄。俺の知識が確かなら、史実においては孫策の父、孫堅に討ち取られた武将だ。
「ふっ、そうか、我が名は下々にまで知れ渡っているか。名も無き将を討ち取っても手柄にはならんが、まぁいい。我が名を噛み締め、戦斧の血錆となれっ!!」
「お断りだっ!」
刀を抜く。
「はっ! そんな子供が使うような細い剣で我が一撃、受け止められると思ったかっ!」
「隊長っ!!?」
李典が呼び止めるが、俺は止まらなかった。
(一撃を刀で受けてでも脇に回る。一刻も早く桃香と合流しなきゃ危険だ!)
「うおおおおおおおおっ!!」
華雄の戦斧が振りかぶられる。
「ぐっおおお!!」
手綱を放し、両手で刀を構えて横に一閃する。
十字に剣尖が交差し、金属音が響いた。
腕の筋肉が軋みをあげる。英雄の一撃、その膂力を受けて悲鳴をあげる。
だが、俺は一合を無事に切り抜け、怪我もなく華雄の脇を抜けることが出来た。
「来い、李典っ!」
「了解や!!」
渾身の一撃を受けきられてたたらを踏んでいる華雄に軍勢が襲いかかる。
「くっ、このぉおお!」
体勢が整わず、さすがの華雄も後退している。
「無理はするな! 俺たちに構わず、劉備軍の元へ!」
「ここは公孫賛軍とウチらに任し!」
曹操軍は公孫賛軍と交代し、殿軍となった俺と李典、公孫賛軍が華雄軍と相対する形になった。
「……ちっ」
華雄は自制して一騎打ちを避け、自軍の集結を待っている。
「ここで討ち取れたらいいんだけどな」
「無理せんといてや隊長。隊長倒れたらウチらどうすればいいかわからん」
「その時は俺たちに構わず逃げてくれといいたいところだけど、于禁や楽進が前に出ちゃってるからな……ここは慎重にいこう」
華雄軍は崖上から次々と兵を送り込んでいる。
総数はまだわからないが、俺たちより少ないというのはあり得ないだろう。
じりじりとさがりながら、にらみ合いが続く。
「伝令ですっ、曹操軍は劉備軍と合流、現在本陣防戦中!」
「本陣近くの敵の数は?」
「一千ほど! その半数が崖の上です!」
「くっ! 厄介だな」
「でも数はそれほどやない。ウチのからくりもあるし、関羽さん達が戻ってくれば、蹴散らせられる!」
「ああ。張飛達の安否が気になるが、今は出来ることをしよう。全軍、劉備軍本陣で防御陣形をとれ!」
華雄を振り切って劉備軍本陣に入り、桃香の傍に馬を寄せる。
「敵は崖上から降りてきてる。位置的に不利だけど、相手は馬がない。こっちの騎馬を使って掻き回そう」
「うん。でも、ここは守っておかないと、鈴々ちゃんと雛里ちゃんが帰って来たとき危ないよ」
「関羽さんや凪達が帰ってくれば、守りやすくなるんやけど……」
「それまでが勝負って事だ」
恐らく華雄は、雛里が仕掛けた罠や索敵網にひっかからぬよう、汜水関から大きく迂回してこっちの側面に回ったのだろう。
いや、だとすると、なんでこっちの本陣を正確に補足できたのかがわからないが……。
「……」
ふぅ、と息を吐く。考えがまとまらない。敵の動きの根拠が読めない。
だが、敵は確かに目の前にいて、戦うしかないときている。
こんなことで、守れるんだろうか……。
華雄の豪撃をうけた腕をさする。まだ、痺れが残っていた。武器がこの時代のものよりも優れているといっても、扱う自分が弱ければ何の意味もない。
……殺すために戦ってるんじゃなくても、強くなきゃいけないんだ……
震えた腕を押さえて、刀を握り直す。
「隊長、右から敵が!」
「李典は弓兵を連れて後方と左を支えてくれ! 騎兵隊! 敵の側面を突くぞ!」
劉・曹・公孫の三軍が号令に従って動く。
臨時の三軍騎馬隊が集結し、こちらを包囲しにかかっている敵を抑えにかかる。
「北郷様っ!」
戦闘に入った隊の中央で、突然、のしかかられた。
「副官さん!?」
「ぐぅっ!」
俺の方に飛んできた弓矢を、自分の盾でかばい、公孫賛軍の副官さんがぐらついた。
「大丈夫か!?」
「かすっただけです、敵は押し出されている模様、このままいきましょう!」
「ああっ!」
寄せ集めのような三軍だが、華雄軍という敵を前に、連携してあたり、なんとか敵を後退させていった。
伝令によると、左側と後方も、李典のからくりと李典自身の活躍により、敵を混乱させているようだ。
「華雄は中央にいるのか? こっちの別働隊にはいないみたいだが……」
劉備軍本陣の方を振り返ると、
ドォオオン!!
と、何かが吹き飛ぶような音がした。
「なんだ!」
「き、騎馬の一部が敵将に!」
「敵将……華雄か!」
「はははっ、その通り!」
ぐるん、と戦斧を振り回し、騎兵隊を二つに分けて、華雄が姿を現す。
「おまえのところの馬を頂いたぞ。やはり、将は馬に乗らなければな」
華雄と十数名の敵が騎馬に乗って、こちらにゆっくりと歩み寄ってくる。
こっちの騎馬隊は動けなかった。
並の兵では華雄に太刀打ちなど出来ない。
「今度は知っている顔と名だ。北郷一刀」
「俺は忘れておきたかったよ」
「ふっ!」
斧を肩に乗せて、華雄が笑う。
「首が飛べば嫌でも忘れられるぞ、北郷」
「物騒な子だなぁ……」
他の英雄達が女性であるように、華雄も女だ。華奢な体に不似合いな大きな斧を抱えて、さらっと恐ろしいことをいっている。
「斧捨てて、甲冑脱げば十分女らしい気がするんだけどなぁ」
「な、何を言ってるんだお前は」
華雄がひるんだ。
じーっと、俺は華雄を上から下までなめ回すように見る。
「いやいや、もったいないなと思ってさ」
「変な目で見おって……」
華雄の甲冑は首、胸、腰、腕と部分部分しか被っていない。これが甲冑ではなくドレスなら、色っぽい淑女にしか見えないだろう。
華雄だけではない、他の子達もそうだ。全員が全員女で、妙齢で、美しいとなれば、もう、こっちとしてはたまらない。戦いづらくてしかたがない。
「……戯言は終わりだ。構えろ、北郷! 我が一撃を受けきったその力、もう一度たしかめてやる」
「しょうがないな。じゃあ、もう一回受けたら諦めてくれる?」
「ふ……」
華雄は鼻で笑い、
「ふざけるなぁああああああああ!!」
どんっ、と大地を蹴り、人馬一体となって襲いかかってくる。
「うおっ」
気圧されて、俺は馬から離れて、ぴょんと横に飛んでそれを避ける。
「なんだ、今度はお前が馬無しでやる気か?」
さっきの状況とちょうど逆だ。
しかし、俺はこっちの方が落ち着いた。馬に乗れるようになってもやはり手足のごとくとはならないもので、地に足がついてないと、とてもまともに戦えるような気がしないのだ。
(剣道みたいに……とはいかないか、馬の高さと武器の違い、これは大きい)
華雄は切っ先を下ろし、脇構えでこちらの出方を窺っている。
(敵の射程距離がつかめない。迂闊にいったら薙ぎ払われるだけか? いや、スピードならこっちが上だ!)
じり、じり、と距離が詰まる。
足は緊張して、今にも爆発しそうだ。右か、左か、前か、後ろか、華雄が動けば、腕ではなくまず足が動くだろう。
ドクン、ドクンと心臓の音が大きくなる。
ふ、と華雄の斧の先端が小さく浮いた瞬間、
「――っ!!」
俺は大地を蹴った。
中段から振りかぶり、斬り下ろす。
「ちぃっ!!」
先手を取られた華雄が戦斧の柄でその一撃を受ける。
キン、と鳴って弾ける。
「このっ」
二撃、斬り返し。
「ふっ!!」
華雄は今度は受けながら体をずらし、溜めを作る。
――来る!!
即座に後ろにとび、疾風のような円月の軌道を避ける。
「ちょこまかと!」
「隙あり!!」
打ち終りを狙って一点集中の突きを繰り出す。
狙いは良かったが、華雄の甲冑の飾りを斬り飛ばしただけで終わった。
「……っ!! その剣、細い割に、強靱だな……」
「自慢の武器でね」
「……ふん。あとで墓標代わりにしてやる」
「墓を作ってくれるなんて、優しいんだな」
「くっ、なんなんだお前は……」
打ち倒せなくても、時間が稼げれば、騒ぎを聞きつけて応援が駆けつけるだろう。ひょっとしたら、愛紗達が間に合うかも知れない。
ただ――それは、相手も分かっている。だから、ここで一息に決めたいだろう。
華雄が改めて戦斧を構える。
重い緊張が体内を揺さぶる。
一撃の対応を間違えれば、臓腑をぶちまけることになる。
「だああああああああっ!!」
「おおおおおおおおっ!!」
一合、二合、三合、武器を合わせ、斬り結ぶ。
腕全体に痺れが走り、切っ先が掠めて怖気が走る。噛み締めた歯が痛い。冷たい汗で体が不快だ。
「はぁ、はぁ」
そんなに時間が経ってはいないのに、息が切れる。
「惰弱だな、次で決める!!」
まだまだ元気そうな華雄が勢いよく振りかぶる。
受けられないっ、避け――
間に合わず、右腕の皮一枚が削られた。熱が腕を焼く。
「――くうっ」
思わず取り落としそうになる刀を慌てて支え、握りを確かめる。大丈夫。肉も骨も断たれていない。あとは、気力さえ断たなければ、持ち直せる。
――いけるのか?
歯の根がかみ合わない。
怖い。
殺される?
当たり前だ。無事で済むわけがない。
俺だって、人を斬ったことがあるし、命令したことがある。
斬ったことがある奴が、なんで斬られないなんていえる?
斬られたくない。
それは俺だけじゃない。
目の前の華雄も。
誰も彼も。
――あの悪夢の中の、彼女も――
華雄の斧が俺の頭上へと振り下ろされる。
「ぐっ、うう」
かろうじて鎬で受ける。
だが膂力を受けて、腕の筋肉と足腰に重圧がかかる。
「っうおおおおおっ!!」
なんとか圧力を払いのけるが、外見以上に満身創痍になった。
「北郷様っっ!!」
副官さんの悲鳴のような声が聞こえる。
俺の不利が、一騎打ちを見守っている誰の目にも明らかになったその時――
ジャーン、ジャーン!!
と遠くで銅鑼の音が聞こえた。続いて、
「か、関羽だあああああ!!」
「げえっ! 関羽っっ!!」
という声が上がる。
「ちっ、援軍が来たか! とっととこいつを蹴散らして――」
脳裏に愛紗の凛々しい姿と俺を呼ぶ声が浮かんだ。
自分の正義を信じ、そして俺や仲間を信じ、青龍偃月刀を振るって戦場を駆ける姿だ。
俺も、彼女のように――
「これで、終わりだぁああああああああ!!」
華雄渾身の一撃が斜め上からくる。
俺は倒れ込むように体を地面に投げ、足で大地をつかみ、下げていた切っ先を一気に空へと斬り上げた。
「……っ!!!?」
俺の一閃は華雄をとらえなかった。しかし、華雄の戦斧を真っ二つに斬り飛ばし、戦斧の刃を地に落とした。
「……え?」
華雄は放心して、先の無くなった柄を見つめた。
俺は華雄の腕をつかみ、馬上から引き摺り下ろす。
そして、首筋に刀の刃をを突きつけて――
「俺の勝ちだ……降参してもらえるか?」
顔を寄せる。
華雄は驚愕した顔を歪め、悔しそうに唇を噛み、少しして、
「は、放せ」
「やだよ。放したら逃げるだろ?」
「逃げん…………顔が、顔が近いぞっっ」
「降参してくれる?」
「……兵を助命してくれるなら、降ろう」
「よし」
と、顔を上げると、
「うおおおおおおおっ!! 北郷様が、華雄を倒したぞおおおおおおおおっ!!」
「うおおおおっ、信じられねぇええええええええ!!」
「俺たちの勝利だああああああっ!!」
天地を揺るがすような歓声が上がった。
「な、なんや! 隊長が華雄を討ち取ったって?」
「え、ええええっご主人様が!?」
戦場の各所で、報が届き、歓声が伝播する。
「なんと!! さ、さすがご主人様だ……え、本当に、ご主人様本人がやったのか?」
愛紗はちょっと困惑した。
「はわわ、ご主人様すごいです!!」
朱里は信じた。
「凪ちゃーん!! 隊長が敵の大将、倒したらしいのー!!」
「本当か!? すごいな……私の隊長は」
「凪ちゃん、なんだかそれいやらしいの」
「べ、別に他意は無いっ!!」
凪と沙和は喜び合った。
「あちゃー、鈴々の出番が無くなったのだ……」
「あわわ、私たち挽回できなかった……」
鈴々と雛里は落ち込んだ。
そこから十数里離れた孫策軍にも、報は伝わった。
「へぇ……わずか五千と一千で、華雄を討ち取ったかぁ」
孫策は面白そうに唇の端をつり上げた。
「しかも関羽でも張飛でもなく、北郷がやったそうだ。あの男、なにかを隠しているのか」
「そうね。資質はあってもそんな簡単に開花するなんて思えない。でも、事実は事実……ちょっと探りを入れてみないとね」
「ああ……」
「そうねー、よさそうだったら、蓮華とめあわせてみたりしてもいいかもねぇ」
「……本気か!?」
「小蓮じゃ小さすぎるし」
「むむむ……」
周瑜は形容しがたい複雑な表情をして黙り込んだ。
さらに離れて、反董卓連合軍集結地点、曹操軍本営――
「北郷が、華雄を討ち取ったですって!?」
「はい。信じがたいことですが……」
曹操の幕下、夏侯惇、夏侯淵、許緒、典韋ら武官が勢揃いして、その報を聞いた。
「……凪達の報告を聞くまでもなく、公孫賛軍の中枢がなにか判明したというわけね」
「し、しかし、あの男が一人でなんて考えられません! おおかた凪達に助けられて――」
「だとしたら、統率力や知力に優れていたということになりそうね」
「ぐ、ぐむ」
春蘭は言葉を飲み込んだ。
「まぁ、凪達が帰ってきてから詳しく聞きましょう……偵察の成功どころか、汜水関突破の功績まで、別の軍にもってかれるなんて、曹操軍の恥ね」
びくっ、とその場の全員が震えた。
「次は、私たちの出番よね、春蘭?」
夏侯惇は急いで何度も頷いた。
視点を移して反対側、汜水関、董卓軍本営――
「まさか、華雄が討たれるなんてなぁー、本格的な戦いの前やのに……」
かくん、と肩を落として張遼が言った。
「…………ここも危険」
呂布が言葉少なに警告を発する。
「呂布どのとねねがいれば連合軍など敵ではないのです!!」
陳宮はぐっと拳を握り頭上にあげる。
「ウチは入ってないんかい……てか、無茶言うな。軍師やろ!」
「ううっ、華雄殿が李傕(李カク)殿の巫女なんか信じなければ……」
「てかあいつどこいったんや」
「消えた」
「くぅううう、わけのわからないうちに負けるなんて……」
「いいから虎牢関まで撤退しようや。孫策軍も来てるし、そろそろ連合軍の本隊も来るやろ。食糧わたさんように動いたほうが次の戦いに有利や」
「仕方ありません……では、虎牢関に撤退なのです。ああ、月殿はともかく、メガネになんといえばいいやら……」
「そやなぁ……怒り顔が目に浮かぶわ……」
董卓軍はとぼとぼと、撤退準備にかかった。
こうして、連合軍対董卓軍の第一戦、汜水関の戦いは序盤の序盤で勝負がつき、第二戦、虎牢関の戦いへと舞台を移すことになった――
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無銘伝第3話。
懐かしい仲間との再会、そして無銘刀がその力の一端を示す。
この第3話までが書き溜め分になります。
ここからは今から書くので、しばらく時間がかかります。(第4話途中まではもう書いてありますが)
1話の量が増えて、どこで改ページすればいいのかよくわからない……