小野塚小町は眉根を寄せた。
ここらあたりでは普段見かけない……というより、見かけるべきではないだろう人物の姿を見つけた。
小さく息を吐いて、幽霊の群れをかき分けて彼女は見知った顔へと近付いていく。
「おいお前さん。こんなところで何してんだい?」
「……うん? って、あんたか。何か用?」
背後から声を掛けられ、霊夢は小町に振り向いた。
大きな鎌を担ぎながら、ぽりぽりと小町は頭を掻いた。
「いや、別に用があるってわけでもないがね。ただ、分かってここに来ていると思うけど、ここは中有の道。三途の川へと続く道だ。まさか死んだわけでもあるまいに、それなのにどうしてこんなところにいるのかって気になっただけさ」
「別に生きてたらここに来ちゃいけないってきまりもないでしょうが?」
「そりゃそうなんだがねぇ」
周りが亡霊や幽霊……死者だらけだというのに、そんなことを全く気にしていない巫女の態度に、小町は苦笑した。
とはいえ、霊夢も小町の言いたい事が分からないわけでもない。
「私は仕事よ。ちょっと妖怪退治をしていたら、ここまで逃げていったみたいでね。追いかけてきたのよ。幽霊に悪さされても困るでしょ?」
「なるほど、そういうことかい。お仕事熱心で何よりだ。まあ、確かに幽霊達に悪さされちゃあこっちとしても愉快じゃない。よろしく頼むよ。出来れば、あんたらも幽霊を涼む道具扱い……悪さするのは止めて欲しいんだけどね?」
「夏以外ならいいわよ」
けろりとした口調で言ってくる霊夢に、小町は肩をすくめた。
「まあ、事情は分かった。それらしい妖怪を見つけたらあたいもあんたに伝えるよ」
「そう? ありがとう。助かるわ」
「もっとも、大したこともしていないのに退治しようって言うのなら止めさせるけどね。映姫様からも言われていると思うけど、あんたは業が深い。そこらへん、気をつけなよ」
小町に言われ、霊夢は少しだけ神妙な表情を浮かべた。脳天気でフリーダムな巫女ではあるが、少しは気にしているらしい。
「なに、心の中に留めておけばいい。業が深いのも確かだが、それでも周囲には何だかんだ言って多くの人間や妖怪達、神や妖精が集まっているし、親睦だって浅くない。実際に彼岸へと渡ったとき、閻魔の沙汰で白と黒のどちらに傾くかはあたいには分からないが、そういう人間の裁きがそう悪くもならないと思うがね」
閻魔はときとして過大に彼岸の後の事を話し、脅す事もある。それはあくまでも生前と死後の生活を豊かにさせるためにやっていることだが、それ故に気にしすぎてかえって生活を貧しいものにさせては意味がない。緩みすぎるのも締めすぎるのも、それは豊かな生活とは言えない。要はバランスが大切なのだ。
霊夢にも思うところはあるのか、小町の言葉に頷いた。これで、あとは業を浅くしてくれるようになれば、なお良しだと小町は思った。
「ところで、私もあんたに訊きたい事があるんだけれど。あんたの方こそどうしてここにいるのよ? 仕事は? 三途の川にいなくてもいいの?」
これは痛いところをつかれた、と小町は額を叩いた。
「何、ちょっとだけ気晴らし……みたいなもんさね。まあ、まったくのサボりっていうつもりじゃないけどね。知っているかも知れないけど、ここに出ている屋台は地獄に落とされた罪人達が開いている。悪さしてないか見に来たっていうのもあるんだよ。売り上げを誤魔化したりする輩がいないかってね。直ぐにばれるんだが、それをやるとまた地獄に戻る事になるからねえ。ちょっとでもその防止になればと思ってね」
小町は小さく嘆息した。
顔を上げて、少しだけ遠い目を浮かべる。
「あとは……そうだねえ。ちょっと、今の状態の映姫様に送るには難しい死者がいたもんでね。今は……待った方がいいと思ったのさ」
「ふぅん? 閻魔様に何かあったの?」
話すべきかどうか、小町は少しだけ迷ったが、話す事にした。話し好きの性分にはなかなか逆らえないようだ。
「そう大したことでもないんだけど。つい先日、うちらの方に見回りに来たお偉いさんに映姫様がお説教をくらっちゃったんだよ。それがどうにもこう……気にしているというか凹んじゃってねえ。流石にこの仕事をして長いから、メンタルが影響して裁決そのものが乱れるだとかそんなことは無いんだけど……あまりいい傾向じゃあない。そんなときにあまり多くの死者を送るのもよくないだろうってね」
「へえ。そっちも色々大変なのねえ」
世の中、生きていようが死んでいようが、楽な世界は無いようである。
やれやれと霊夢は苦笑を浮かべた。
“陰口とは感心しませんね”
不意に聞こえてきた声に、小町はびくりと体を震わせた。
恐る恐る振り返ると、四季映姫・ヤマザナドゥその人が立っていた。小町の後ろに隠れていた彼女の姿を見つけ、霊夢も渋い顔を浮かべた。
まさしく、噂をすれば何とやらである。
四季映姫は咳払いをして見せた。
「小町、あなたはおしゃべりが過ぎます。それにサボり過ぎです。さっさと本来の持ち場に戻りなさい。まったく、どうも最近、こちらに送られてくる死者が少ないと思ったら……」
「きゃん」
映姫に怒られ、小町はぺこぺこと頭を下げた。
小町に雷を落とす映姫に、霊夢は疑問符を浮かべた。
「……って、あんたの方こそどうして今ここにいるのよ? 三途の川の向こうにいなくていいの?」
「私の事なら心配は無用です。閻魔は二交代制ですからね。今の私はオフです」
オフだというのにわざわざこうしてお説教をしに来るとは……と、霊夢は感心しながらも少し呆れた。
そんな映姫を見て、霊夢は「ふむ」と、軽く頷いた。
「それじゃあ、あんたちょっと私に付き合ってくれない?」
「付き合う? 何にです?」
霊夢はにやりと笑みを浮かべた。
「そうね、弾幕ごっこ。私が勝ったら、そこの死に神を解放してもらうっていうのでどう? ああ、それから休日の間はこことか三途の川、彼岸に戻らないっていうのも追加で」
四季映姫は顔をしかめた。
「意味が分かりませんね。……ですが、まあいいでしょう。なら私が勝ったらあなたにもお説教をさせてもらいましょう。この際ですから、この機会にあなたにも伝えておきたい事が色々あるので」
「じゃあ決まりね」
よしよしと頷く霊夢に、小町が振り向く。そして、霊夢に顔を寄せた。そのまま肩を組んで声を潜める。
「ちょっと、一体何を考えているんだい? この勝負、あんたにとっていいことなんて何も無いじゃないか」
霊夢は目を細めた。
「ん~? そんな事無いわよ。どのみち、さっきは閻魔様もああ言ったけど、黙っていたら私にもお説教していたでしょうしね。それに、あんたにここから帰られたら妖怪を見つけるのが大変になるじゃない」
「あ~、なるほど」
納得がいったと、小町は頷いた。
霊夢はちょっとだけ四季映姫を振り返って見てみた。そして再び視線を小町へと戻す。
「それに、あんたの言った通りあまりご機嫌よろしくないみたいだし。しばらくはこっちでのんびりしていってもらいましょう。向こうにいたら、色々としがらみがあって休もうにも休めないんじゃないの?」
「ふむ……それもそうだねえ。けど……勝てるのかい?」
「大丈夫よ。普段ならどうか分からないけど……ああいう、眉間に皺寄せて心ここにあらずって状態ならね」
弾幕ごっこには高い集中力が要求される。迷いがあれば、勝てるものも勝てない。
私に任せておきなさいと、霊夢は小町に力強く頷いて見せた。
四季映姫・ヤマザナドゥは深く溜息を吐いた。
結局、弾幕ごっこには……自分でも粘ったつもりだったが負けてしまった。まさか閻魔が約束を違えるわけにもいかない。約束通り、彼女は小町と霊夢を解放し、中有の道から離れる事にした。
特に行く当てというのも直ぐには思い当たらず、林道を歩いていく。
(どうも最近……よくないですね)
弾幕ごっこに負けた理由も分からなくもない。自分ではまだまだ大丈夫だと思っていたが、やはりどこかで心の迷いがあったのだと、そう思う。
映姫は己の未熟を恥じた。そして同時に、心を痛める。
閻魔の仕事というのは、重い。無論、裁決に過ちがあるかもしれない……そんな不安を抱きながらこの仕事はしていない。そんな真似は、裁決を受けた死者達に対する冒涜だろうから。
そして、だからこそ彼女はこの仕事に対して畏れを抱いている。過ちは許されないと、その重圧を背負い続けている。どんな仕事であれ、畏れを抱くのはその仕事に従事するものとして当然の事ではあるが、そのことを彼女は人一倍理解しているつもりだった。
どうして閻魔になったのか? ふと、映姫はかつての自分を振り返る。
自分が道ばたに立つ地蔵であった頃、何度となく手を合わされた。事情は異なれど、様々な苦難に悩み苦しむ人達を見てきた。それが、本当に心苦しいと思った。
この苦しみから悩める人達を解放したい。
それが彼女の原点であった。誰もが心安らかに生きていく事が出来たなら、それこそが彼女の願いであった。
(そうですね。取り敢えず、人里にでも行ってみましょうか)
彼岸の住人ではあるが、それでも思い返せば随分と長い事、こちらの人里には行ったことが無かった様な気がする。
以前に行った頃から何か変化があったのだろうか。そんな興味が少しだけ湧いて、彼女は人里へと向かうことにした。
人里の活気に、映姫は少しだけ心安らぐものを感じた。
裏ではやはり多くのものが悩み苦しみながら生きているのだろう。しかしそれでも今のこの世は荒んではいないようである。
世の中が荒めば、その分、多くの罪を重ねなければ生きていけない人間が増えてくる。そしてそれは負の連鎖となってさらなる罪人を増やしてしまう。それは酷く悲しいことである。
それはそれとして、ただでさえ経済難の地獄を更に困窮させるわけにもいかないわけで。
とはいえ、やはり長いこと来ていなかったせいか、少し町並みも変わっているような気もする。以前来たときは無かった屋台があったり、逆に無くなっている店もあるようだった。
「おや? ここは?」
通りを歩いていて、映姫は一際大きな変化を見つけ、思わずそこに立ち止まった。
以前はこんな広く大きな建物は無かったはずだ。
門の上部に書かれた看板の文字を読む。
「命蓮寺? お寺? この幻想郷に神社だけではなくお寺も出来たのですか」
閻魔もまた仏門に身を置く存在である。それ故に、新たに寺が建立されたことに興味が惹かれた。
映姫は門をくぐり、敷地の中へと入っていった。
周囲を見渡してみる。手入れも行き届いている。どうやらここに身を置くものは真面目に修行を修め、信仰しているようだ。
「あら、こちらに何か御用でしょうか?」
寺の角から一人の女が姿を現した。服装から察するに、この寺の尼であろう。映姫は頭を下げた。
「これは失礼しました。私は怪しいものではありません。四季映姫と申します。ちょっとこのお寺に興味があったので入らせて頂きました」
「四季映姫?」
女は頬に手を当て、少し驚いた表情を浮かべた。そのまま、映姫の傍へと歩み寄ってくる。
「あの、四季映姫とおっしゃいますと、ひょっとして四季映姫・ヤマザナドゥ……幻想郷の閻魔様でしょうか?」
「はい、その通りです。私がこの幻想郷で閻魔を担当させて頂いております」
映姫は頷いた。
「これは失礼しました。私、申し遅れましたがこの寺の住職を務めさせて頂いております聖白蓮と申します」
「ああ、あなたがこの寺の住職なのですか。真面目に修行をされているようですね。感心なことです」
「有り難うございます。閻魔様にそう言って頂けるとは光栄です。今後もより一層、修行に励んで参ります」
聖は深々と映姫に頭を下げた。
「ときに映姫様、お時間はございますか? もしお時間のご都合がよろしければ、少しお話を聞かせて頂きたいのですが」
「お話……ですか」
聖の申し出に、映姫は頷いた。
「そうですね。私も、今はオフなので時間はあります。それに、恥ずかしい話ですがちょっと色々ありまして今は行く当ても無かったんです。お言葉に甘えて、上がらせて頂いてよろしいでしょうか」
「ええ、喜んで」
聖は顔をほころばせた。
寺の奥、映姫と聖は対面になって座布団の上に正座した。
映姫はお茶を啜った。「粗茶ですが」と言われて出されたお茶ではあったが、心温まる優しい味わいであった。
「――ははあ、なるほど妖怪も弟子に。それでずっと魔界に封印されていたのですか」
「はい、しかし皆の助けのおかげで、こうして戻ってくることが出来ました。ああ、あとは博麗霊夢さんに霧雨魔理沙さん、東風谷早苗さんの力も……お借りしたというのでしょうかね? この場合は」
目が覚めたと思ったら何故か宝塔を持っていた見知らぬ少女達の姿を思い出し、聖はくすくすと笑った。
映姫も映姫で、まさかこんなところで彼女らの名前を聞くことになるとは思わなかったのか、苦笑する。本当に賑やかな少女達である。
「ところで映姫様、話が変わりますが……」
「はい、何でしょうか?」
聖はちょっとだけ表情を翳らせた。
「差し出がましい話でしたら申し訳ございません。ただ、閻魔のお仕事というのも、大変なのですねと……少し思いましたもので。何か憂いていることや迷っていることでもあるのでしょうか」
ぴくりと、映姫は数瞬、硬直した。
「どうして、そう思うのですか?」
「映姫様はこちらに来られたときから、ずっとどこか硬い表情を浮かべてらっしゃいます。先ほど、霊夢さんに勝負で負けたと仰っていましたが、彼女もそこを読んでいたのではないかと思います。勘がいい娘ですから」
なるほど、と映姫には合点がいった。あの巫女は本当に勘がいい。どうやら聖の言うとおり読まれていたのだろうと、今更ながらに気付く。
映姫は少し肩を落とした。
「そうですね。どうやら私は迷いを抱えているようです。本当に、こうして閻魔になったというのに、恥ずかしい限りです」
聖は首を横に振った。
「いいえ、そんなことはないのではないでしょうか。神や仏だから迷ってはいけないなどということはないと思います。常に迷いながら、そして新たに悟りながら、そうしてより高い精神へと昇っていく……そういうものだと私は思っております。常に悩みはつきまといます。それは恥じることではないでしょう。恥じることがあるとすれば、悩むことから逃げ出すことではありませんか?」
映姫は苦笑する。まさか、人間の僧侶にこうして説かれることがあるとは思いもしなかった。だが、悪い気はしなかった。むしろ心地よいと思う。彼岸から離れた場所で、こうして静謐な空間にいるせいだろうか。
「もし、私でよろしければお話を聞かせて頂けないでしょうか。閻魔様に比べたら卑小な身でございますが、それでも微力ながらお力になれるかと思います」
映姫は少しの間、押し黙った。本気で聖のことを卑小だとか頼りないと思ったわけではなく、自分の抱えているものを吐き出す覚悟を決めていた。
「そうですね。では、聞いて頂けますか? 本当に、俗物的な話になってしまうのですが」
「はい、喜んで」
映姫は小さく頷いた。
「実は先日、私の上司がこちらに見回りに来ましてね。そこでお説教をされてしまったのです。『映姫。そう……お前は少し話が難しすぎる。いかに有り難い話であろうと相手に伝わらなければ意味がない。それはお前だけが心地よく、相手には無意味な苦痛を強いているだけだ』といった具合です。特に、私が担当した地獄行きの死者達がなかなか罪を清算出来ないことを憂いていました」
もっとも、そのお説教には死者達に対する地獄の管理維持の軽減化というものも裏事情としてはあるのだが。
「なるほど」
「私も、幻想郷で裁きを預かる者として、ここに住む人達の生活を豊かなものにしたい。出来るだけ罪を背負わずに過ごしてもらいたい。そう思ってきたのです。そして、それ故に多くの者達に説教を続けてきました」
うんうんと聖は映姫に相槌を打つ。
彼女の言っていることは真実だろう。心優しくない閻魔などいるはずもない。
「しかし、上司から言われて思ったんですよ。いえ、それでなくても、数字を見れば明らかでした。幻想郷の住人の罪人は……実のところ、外の地域に比べればまだ少ないのですが、それでも改善の兆しがほとんど見られなかったんです。私の話が伝わっていなかったんですね」
「伝わっていないとは、やはり映姫様ご自身もそう思われるのですか?」
映姫は首肯した。
「以前、先ほどの話にもあった博麗霊夢、霧雨魔理沙、他にも色々な妖怪や幽霊、妖精にお説教をしたことがありました。それで後日、様子を見に行ったのですが……」
映姫は深く溜息を吐いた。明らかに落胆している。
「ちょっとは気にしてくれたようなのですが、全然理解してなかったんです。もうね……あなた達……アホかと……馬鹿かと。閻魔が口にしていいことではないですけどっ!」
「ま、まあ確かに妖精だと、すぐに忘れてしまいますよねえ。妖怪でも、鳥頭だったらやっぱり直ぐに忘れそうですし」
あの巫女や魔法使い達もそうだ、性根が歪んでいるわけでもないが、素直に人の話を聞くような娘達ではない。
もっともそれも悪いことではない。恐らく彼女らは自分で体験し、経験し、そういった幾度もの積み重ねを詰まなければその血肉とは出来ないのだろう。人の身であることを考えれば、それはともすると傲慢なのかも知れない。しかし、映姫の言葉を拒絶しているわけではなく、ゆっくりと咀嚼し、吟味し、その上でなければ判断が出来ない。そういうことなのだろうと聖は思う。もっとも、それはそれである意味では遠回りな道であり、閻魔としては歯がゆくて仕方ないのだろうが。気持ちとしては、這えば立て、立てば歩めの親心といったものに近いのだろうか。
ちょっとだけ感情を爆発させて気が楽になったのだろう。映姫は肩の力を抜くように息を吐いた。
「聖、私にはあなたが眩しく思えますよ。人のみならず、こうして妖怪達にまで説法を行い、そして信仰を獲得している。それだけ相手に対して伝わる話が出来ているということなのですから」
「いえいえ、そんな滅相もない。私なんて、まだまだですよ。それに……私だって話が伝えられないことはよくあります。私の仲間達も、最初から私の話を聞いてくれたなんて、そんなわけじゃありませんでから」
聖は笑みを浮かべた。
「陰口なんてよくないことだとは思いますが、お許し下さい。うちの寅丸なんて、最初は私の話を聞いても居眠りばっかりだったんですよ? やる気は人一倍あったんですけどね? それがもうどうして、ちょっと難しい言葉が出てくると、目を離したらあっという間にぐぅぐぅいびきをかいて眠っていたんです。それを見るたび、ナズーリンが深く溜息を吐いていましたね。『もう、いい加減こいつ毘沙門様に言って破門にしてやろうか』って」
今思い出しても楽しいのだろう、聖は口に手を当てて笑った。
「一輪や村紗もそうでした。どうしてもなかなかお釈迦様の教えを理解出来なかったり、理解したと思っても実践出来なかったり。そして今も、彼女らも私も迷いながらこうして修行を重ねております」
その迷いすらもまた生きる糧として愉しむ。聖はその域に達している。映姫は、目の前の尼は本当によく修行しているのだと改めて思った。
「映姫様。人や妖怪、そして妖精が教えを理解するのは、時間がかかるものです。それでも、さっき映姫様が言われたように、彼女らの心に少しは残っているのですから、映姫様のお話は決して無駄ではないのだと私は思います」
「ならいいのですが」
「ですがっ!」
聖は人差し指を立てて見せた。その上、ずいっと身を乗り出してくる。
ちょっと強い口調で言ってきた聖に、映姫は軽く気圧された。
「やっぱり、映姫様の上司が言われたように、上手く伝わらないというのも問題だと思うのです。いかにいい薬だろうと、苦みばっかりでは効き目が半減するかも知れません」
「……つまり、妖精には妖精用のお薬を。妖怪には妖怪用のお薬を出すように、各自に合った薬を出さないといけないというわけですね」
「はい、その通りです。映姫様は毎日多くの死者達と向き合っているのですから、時間の都合上なかなかそうはいかないのは分かります。しかし誰もが掛け替えのない人生を背負い、そして歩いてきたんです。大切なのはそんな彼ら彼女らの気持ちを背負い、その上でその心に響く言葉を選び、伝えてあげることではないでしょうか。いかに正しいことでも、自分の心や歩いてきた道を否定されて、それを素直に受け入れるというのは難しいことだと思います」
映姫は瞑目した。
そして霊夢や魔理沙、その他多くの人間や妖怪、妖精達に初めて会ったときのことを思い出す。彼女らは自分の言葉に対して皆、反抗的だった。それは彼女らの未熟さ故というものも確かにあるだろう。しかし、同時にそれは「心が痛い」という彼女らの悲鳴でもなかっただろうか。
良薬口に苦し。痛みを忌避することはいいことではない。何の痛みも苦みも無いのなら、それはそれで意味が無いし何も残らない。だが、いたずらに無意味な痛みを押し付けるのもまたよいことではないだろう。
聖の言葉が胸に痛かった。苦かった。かつて自分が説教をした相手の心を思うから、痛くて苦かった。そして、心に沁みた。
「有り難うございます。とてもよく効くお話でした」
映姫はゆっくりと、そして深々と聖に頷いた。
そして再び顔を上げたとき、そこにはもう先ほどまであった表情の硬さは消えていた。
それを見て、聖も微笑む。
と、映姫は部屋の外を見た。いつの間にか日も暮れかかっている。
「ああ。いつの間にかすっかり話し込んでいましたね。失礼、そろそろお暇します」
「よろしいのですか? お休みの間は彼岸には戻られない約束だったはずでは?」
「…………あ……」
映姫は思い出す。すっかり忘れていた。恥ずかしさに思わず顔を赤らめる。
「よろしければ、せっかくですからこちらに泊まられては如何でしょうか? 折角の機会ですので、私達も映姫様のお説教をお聞かせ願いたいと思います」
「すみません。またもやお言葉に甘えさせて頂きます」
「いえいえ、困ったときはお互い様ですよ」
では、本堂の方へ移りましょうと、映姫と聖はその場を立ち上がった。
短かった休暇も終わり、四季映姫は職場に戻った。
彼女の目の前には、小町の連れてきた死者が立っていた。表情は決して明るくない。これから判決を言い渡されるという緊張もそうだが、彼は自分の人生を深く悔いていた。
映姫は浄玻璃の鏡で男の一生を振り返る。
男はずっと仕事一筋に生きてきた。それが世のため人のためになると信じ、がむしゃらにその人生を突っ走ってきた。
だが、ある日その人生の過ちに気付く。ずっと仕事で生きていて、男は家庭を顧みることが出来なかった。妻や子を愛していなかったわけではない。しかし、長く彼女らに寂しい思いをさせていたことに気付かず、そして気付いたときには既に手遅れだった。そう……そのときは既に、彼女らは彼の元から去っていた。
“判決は……黒です”
厳かに、そして淀みなく映姫は判決を言い渡した。
「理由は言うまでもありません。あなたも分かっているのでしょう。その後悔の通りです。そう……あなたは近しい人達を悲しませすぎた」
地獄行き。
その重い裁定に、男は項垂れた。
「仕事が忙しかったのも分かります。その仕事によって本当に多くの人が救われ、助けられてきたのも確かです。しかし、だからといって自分の近しい人達を悲しませていいという道理はありません」
男は頷く、そのことは本当によく分かっているのだろう。
「一つ言っておきます。地獄はあなたを苦しめ、虐めるために存在しているのではないのです。あなたが悩み、苦しんでいるその罪と向き合い清算する時間を与えるためにあるのです。ゆっくりと答えを考えて下さい。来世ではどう生きるべきかを……どう生きたいのかを。家族を愛していたのでしょう?」
もう一度、男は頷いた。
映姫は思う。仕事をする。それによって人を救う。それは間違いなく善行である。その功績を考えれば判決は白でもいいのかも知れない。しかし、それがこの男にとって必ずしも幸福なことだとは思えなかった。
判決が白だとしても、きっとこの男はこの罪を清算出来ずにいつまでも苦しむことになるのだろう。それ故に、映姫は敢えて黒という判決を下した。
映姫は深く息を吸った。
「それでは、最後にもう一言だけ言わせて下さい。『お仕事、お疲れ様でした』。大変だったと思います。辛いこともあったと思います。それを投げ出さずに、あなたは戦ってきました。そのことは、誇ってもよいことです。ですから、その気持ちは大事にして下さい。後悔をすることは、罪の清算にはならないのですから」
男はもう一度深く頷いた。
それは、絶対に来世こそ、世の中の人達も自分の家族も幸せにして見せようという、力強い決意であった。
映姫はそんな男に、激励の意味も込めて、微笑みながら頷いて応えて見せた。
小町は目を大きく開き、笑みを浮かべた。
その視線の先には、ちょっと意外な顔があった。
「やあ、真面目にやっているようだね。まあ、あんたが売り上げをちょろまかすなんてこっちも思っちゃいないが」
「ああ、これはどうも。あのときはお世話になりました。まさか覚えているなんて……」
出店を営んでいる男が、照れくさそうに笑った。
中有の道で出店を営む者は、言うなれば地獄を抜け出る最終試験を受けているようなものである。つまり、この男は早々と地獄を抜け出る寸前のところまできたわけである。
「なあに、こっちも三途の川を渡りながらそんなに短くもない時間をあんたの顔を見ているんだ。覚えているもんさ」
からからと小町は笑って見せた。それは裏表の無い実に気持ちのいい笑顔だと男は思った。
こういう知った顔と出会えることもあるから、ここに来るのは楽しいのだと小町は思う。
「……ちょっと気になるんだが。あんた、あたいのこと恨んでいるかい? 白を出してくれるような閻魔じゃなくって、映姫様のところに送ってしまったことをさ」
男は首を横に振った。
「いや、そんなことはないですよ。俺も、地獄に堕ちてゆっくりと考えたんです。次はどうしたらいいのかって……あの人はその時間をくれたんです。だから、恨んでませんよ。むしろ、感謝してます」
「ん……そうかい。そいつぁなによりだ。来世では、幸せになりなよ」
「ああ」
頷く男に手を振って、小町は出店を離れていった。
そして、十歩ほど歩いたところで立ち止まる。
“あ、あんた。こんなところで何しているのさ?”
“お、お前の方こそ。……って、そうか……こっちに来てしまったのか”
背後から聞こえてきた声に、小町は振り返った。さっきまで話していた男の店の前に一人の女が立っていた。
「……なあお前、今更言うのには遅いのは分かっている。だけど一言だけ言わせてくれ。寂しい思いをさせていて、本当にすまなかった」
「ううん、私の方こそ、あんたがいつもあんなに大変だったっていうのに何も……自分の気持ちを言わなくて、本当にごめんよ。私もさ……あれからずっと、後悔していたんだ。どうして……どうしてって……」
女は泣いていた。
小町は小さく笑みを浮かべて、先に三途の川に行って彼女が来るのを待つことにした。男との積もる話しもいっぱいあるだろう。その時間を与えようと思いながら。
―END―
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東方二次創作
四季映姫が上司に怒られたようです
花映塚での映姫様のお説教にいちいち反発してしまう自分はまだまだ未熟なのだと思います